原発汚染水放出と鎌倉市庁舎移転
A 岸田政権が福島原発汚染水の海中放出を決め、8月24日から実際に放出を始めました。これに関連して野村哲郎農水相が記者団に説明するとき、「処理水」というべきところを〝誤って〟「汚染水」と言ったことが話題になっています。岸田首相は農水相を厳しく叱責、発言の撤回と謝罪を求め、農水相は大いに恐縮したようだけれど、放射能汚染水を「汚染水」と言って何が悪いのか。海外報道では、ふつうにcontaminated water(汚染水)と呼んでいるわけですね。ジャーナリストの青木理氏も「欧米のメディアの書き方が一番正確で、『処理水』なんて生ぬるく書いてるメディアはない」と語っていました。
微妙な問題に対する配慮を失した政治家のセンスに疑問を投げかけるのはわからないでもないが、局地戦での敗戦を「転戦」と言いくるめた戦前の政府発表を思い出させる話です。福島原発の放射能汚染水をALPSという多核種除去設備で「浄化」、それを薄めて海に放出するわけで、専門家によれば、話題になっているトリチウムはもちろん、他の放射性物質も完全に除去できるわけではない。漁民の反対の声を「聞き置いた」だけで、実際には無視して放出を決めたというのが実情です。
それを知ってか知らずか、立憲民主党の泉健太代表を始め多くの政治家が「放出に反対している中国側をいたずらに刺激する発言で、農水省は自覚が足りない」と批判、テレビのバラエティ番組でもタレントが訳知り顔に「風評被害を心配している福島の人びとに失礼」などと言っているのは、さらに奇妙なことです。「汚染水」と言うと現地の人に迷惑がかかるということのようだけれど、海洋放出には地元漁民は反対しているわけですよ。「汚染水」などという刺激の強い表現を使うべきでないという「配慮」自体がおかしい。放射能汚染水をなぜいま海に流してしまうのかという基本的な議論が忘れられていることが、この国の政治のレベル、さらに言えば、知的レベルを疑わざるを得ない。そのことをそっくり同じ論調の中で報道しているメディアもどうかと思いますね。
B トリチウムの毒性は比較的弱いようだけれど、ALPS処理水には他の放射能もかなり含まれているわけですね。ALPS処理水=トリチウム水=薄めれば無害、といういい加減な方程式で海水放出を正当化していますが、いくら薄めても大量に放出すれば、その影響は無視できないでしょう。その辺の説明もおざなりです。原子力専門家の小出裕章さんはユーチューブの動画で、日本が進めている原子力基本計画ではトリチウムを大量に海水に放出することになっており、その前提からしても放水せざるをえない、要するに日本が現在の原子力政策を続けている以上、放射能汚染水を「処理水」と強弁してでも放出せざるを得ない、と言っていました。
日本が長年取り組んできた核燃料再処理とか、取り出したプルトリウムを再利用して夢の原子炉をつくろうという動力炉開発計画は、東日本大震災での東電福島第一発電事故を経て頓挫しています。また動力炉「もんじゅ」はたびたびの事故の末に廃炉になるなど、日本の原子力政策は暗礁に乗り上げていると言ってもいい。
岸田政権は、そういう全体状況はいっさい枠外において、福島原発事故の教訓をほとんど忘れたように、原発推進、再稼働に舵を切っているわけですね。最近、山口県上関町長が原発の使用済み燃料の中間貯蔵施設設置のための調査を受け入れる見解を表明しましたが、これなど過疎県が補助金(原発マネー)という飴に釣られた結果です。たとえ中間貯蔵施設がもう1つ増えたとしても、最終的な処分への道は示されていない。こういう全体計画があいまいなままにことが進む状況が、無謀な戦争にあれよあれよと突き進んだ戦前にいよいよ似て来ています。
A 岸田首相には、まともな政治を行おうという気構えがまるでない。しかも全漁連との話し合いで、「漁業者が安心してなりわいを継続できるよう、たとえ数十年にわたろうとも全責任をもって対応することを約束する」などと歯の浮くようなことを平気で言う。安倍元首相の「アンダーコントロール」発言と同じで、無責任この上ないですね。
B 岸田首相は就任時に「聞く力」を強調したけれど、それは「反対意見も含めて、他人の話を真剣に聞いて、よく考えたうえで、自らの責任で決断する」というような力ではない。仲間の政治家、官僚、さらにはバイデン米大統領などごく一部の人間の言うことを「そのままうのみにして従う」わけで、そういうことを「聞く力」とはふつうには言わないですね。
A しかも、今回の汚染水放出にあたっては、原子力推進のための国際機関、IAEA(国際原子力機関)のお墨付きまで仰いだ。訪米前の岸田首相にインタビューした米誌『タイム』の記事(折々メール閑話㉜『山本太郎が日本を救う』第2集、アマゾンにて販売中)がまさに正鵠を得ていたと思うけれど、日本のメディアにはその役割を期待することはもはや無理ですね。
B 福島原発事故を経験した日本は、あらためて原子力政策について考えなおすべきなのに、そういう空気が日本全体に希薄なのが情けない。国会審議で言えば、やはり頼りになるのはれいわ新選組の山本太郎で、6月の参議院環境委員会では、汚染水放出に反対しつつ、プランクトンから小魚、そして大魚へと放射能が体内濃縮されながら、最終的に人間の口に入る危険性を考え、それに対応する検査体制が出来るまでは、「海洋放出しない選択肢がもっとも賢明な、リスクを減らす環境政策」ではないかと厳しく追及していました。西村明宏環境長官の紋切り型の答弁に対しては、「まったく話がかみ合ってない。ゼロ回答っていうんですね。そりゃそうですよ。心から、というか大臣のお立場で答えてないから。それも作られた作文を読んでるだけなんですね」と大いに落胆していました。
A 最近の与党協議で、他国と共同開発した武器を日本から直接第三国に輸出できるように見直すことなども決めています。岸田政権になって、戦後日本が大切にしてきた平和主義の精神はかなぐり捨てられたと言っていい。一方で、岸田首相は広島出身であることを強調して「核なき世界を実現するのが悲願」などと平気で言うわけです。知的レベルというか、人間としての誠実性を疑われてもしょうがないと思いますね。
後藤田正晴いま在りせば!と思う気持ちがいよいよ強まります。中曽根首相のイラン・イラク戦争への自衛隊派遣の閣議決定署名を拒否した。こういう骨のある政治家は見当たらなくなりました。後藤田氏はたしか戦争経験者が国会からいなくなる日の事を危惧されていたと記憶します。それが現実になった。
自公は多数を頼んでやりたい放題、確実に戦争する国になろうとしている。しかも、それは強固な信念に基づくものでもなんでもなく、ただただ対米従属。情けないの一言です。
・成熟した人間がいなくなったのにはワケがある
B 岸田政権の支持率はいろんな不祥事で最近は低迷気味とは言え、それでも世論調査をすると、30%程度の人びとは支持するわけですね。このところ選挙もないということで、岸田首相は汚染水問題だけでなく、国民無視のやりたい放題です。安倍、菅、岸田と続く自民党政権はもっての外として、野党も、メディアも、そして政権を支持する国民も含めて、成熟した政治のあり方とはとても思えない現実です。しかもこういう状況は国レベルだけでなく、地方自治体でも、まったく小型化した形で起こっており、いよいよ絶望的な気持ちにさせられます。
A 今だけ、金だけ、自分だけの新自由主義にどっぷりつかり、国民は分断されて格差は広がる一方です。
B 僕が住む鎌倉市ではいま市庁舎移転が大きな話題になっています。鎌倉駅のすぐ近く、昔から市の中心部だった御成町にある市庁舎が老朽化したのと、現在地が材木座海岸などから比較的近く、津波の危険性があるというような理由から、これを西部の深沢地区に建て替えようというものです。
なぜいま市庁舎を他に移転、建て替える必要があるのか、現在地で震災などの補強工事をすることでいいのではないかという根強い反対があり、昨年暮れには鎌倉市議会でこの市庁舎移転に伴う位置条例が否決されました。賛成3分の2に足りなかったためです。これで移転問題は蹴りがついたかと思われましたが、松尾崇市長はいまだに市庁舎移転を諦めず、再度位置条例を議会に提出する意向です。
その手法が福島原発の汚染水の海洋投棄を決めた岸田政権のやり方とまったく同じなんですね。議会で条例案が否決されても、「まだ考えの揺れている人がいるのでもう一度提出したい」と議員の決断を尊重しない傍若無人ぶりです。国でも地方自治体でも民主的な政治が機能していない。そして税金を使って自説を㏚する広報誌を出して、市民の考えを都合のいいように誘導しようとしています。それらの文書は、広告代理店が作成したような、それこそ歯の浮くような美辞麗句で埋められています。
鎌倉の市庁舎移転は深沢地区の再開発という民間デベロッパーもからむ大プロジェクトの一環であり、その中には消防署や図書館、体育館などの統廃合も含まれています。これらの施設は統廃合するよりも分散している方が住民サービスの観点から言えば、むしろ合理的なわけです。
僕は市庁舎近くにある中央図書館や鎌倉体育館に自転車で出かけてこのサービスを快適に受けていますが、これが廃止され、遠方に一本化されれば、もう行くことはないわけですね。だれのための統廃合なのかと考えると、それはその事業の建設や運営を請け負う一部企業の利益のためとしか考えられない。まさに逆転した地方自治です。これは、東京・明治神宮外苑地区の再開発計画とまったく同じ構造です。
前回もふれたけれど、すべてを食いつぶす新自由主義が古都、鎌倉でも猛威を振るっている。先日、市長と市民の連絡会というのに出かけてみましたが、今の政治状況は地方から変えていく姿勢が大事なのだと痛感しました。
松尾市長は岸田首相の真似をしているのか、一応、市民の意見を聞いているようで、ほとんど何も聞いていない。というか、岸田首相同様、基本的な「聞く力」を喪失しており、しかもそのことに無知だという印象でした。小池百合子都知事も含めて、これが現在の多くの為政者に共通する精神構造ということでしょう。
A 市民、あるいは国民の側がしっかりした批判精神を持たないといけないということでしょうが、首相、都知事、鎌倉市長、いずれも選挙で選ばれているわけですね。
B 連絡会には30人ほどの市民が集まり、なぜいま市庁舎を移転する必要があるのかについて多くの反対意見が出ていましたが、残念ながら、やはり若い人の姿がほとんど見えませんでした。
以前、現代社会ではまっとうな大人が育ちにくくなっているとして、教育のあり方を話題にしましたが(<折々メール閑話>⑨「まともな人間を育てない教育」。『山本太郎が日本を救う』第1集、アマゾンで販売中)、すでに大人になった人もそうだが、とくに若者に危惧すべきことが多いように思います。
社会学者の白井聡は「大学における『自治』の危機」(斎藤幸平+松本卓也『コモンの「自治」論』集英社、所収)で、「いまや大学は若年層の市民的成熟を実現する場として成立しえなくなっています。学園 紛争の反動であらゆるリスクを排除し、学生を保護した結果、逆説的に市民的成熟の機能が失われてしまつたのです」と嘆いています。
ある私立大学のゼミでは、安倍政権を肯定する意見が7割を占め、学生からは「そもそも、総理大臣に反対意見を言うのは、どうなのか」、「(政権に批判的な学生に対しては)空気を読めていない。かき乱しているのが驚き、不愉快」などの発言があるといった〝悲惨〟な実情報告も紹介されています。
大学自体、教授会の自治が失われ、文科省からの支配が強まっているけれど、大学教育において「まっとうな人間」がすでに育てられなくなっている、というか、そうして育てられた(育てられなかった)大人がいま社会の中枢を占めている。資本主義の価値観を完全に内面化して、自己というものを失った人間が続々と生まれているようなのです。こうなると問題の根はきわめて深いけれど、この現象は他国に比べて、とくに日本で顕著であることを示す同書添付の表は、大いに考えさせられますね。
A れいわ新選組の次期衆院選公認候補に決まった辻恵氏が記者会見で「今の日本は、国破れて山河あり、城春にして草木深しではなく、その山河が残っているのか、草木はちゃんと育っているのか!」と悲痛な叫びを発していました。こういう状況を選挙だけで変えられるわけではもちろんないけれど、次期衆院選では、何としてもれいわに躍進してもらいたいと思いますね。これは「悲願」です(^o^)。


A 国会休会中も、相変わらず腹立たしい出来事が続きますね。木原誠二官房副長官の2018年における捜査介入疑惑に関しては、『週刊文春』のスクープが続きます。僕は9週連続で文春を買いしましたよ(^o^)。他のメディアはほとんど報道していませんが、2006年段階における木原副長官の妻の元夫変死事件に関して、露木康浩警察庁長官が改めて「事件性なし」と表明したのに対し、2018年段階で捜査にあたった現場の刑事が実名で反論、後には記者会見までしました。根の深い問題だと思いますね。他の自民党大物政治家も登場して、松本清張の推理小説を読んでいるようです。
B 自民党女性局長の松川るい参院議員や局長代理の今井絵理子参院議員が、7月下旬に研修旅行としてフランス・パリを訪問した際に、はしゃいでエッフェル塔前でポーズ写真を撮り、それを自分のSNSにアップしたことも非難されました。実態はほとんど観光で、松川議員は〝研修中〟、娘を大使館に預けていたようです。昨今の政治家の「公私」混同は岸田首相を筆頭に目を覆いたくなる惨状です。こういう議員を選んで恥じない国民にも問題があるけれど、半数近くは棄権しているわけですね。政治を選挙だけで考えるのはもはや無理ではあるとしても、やはり「有権者」としての権利行使はきちんとしないと、こういう高学歴ながら人間的には非常識な政治家が誕生するわけです。木原副長官、松川議員ともに東大法学部卒、その後も、財務省や外務省の主流を歩いてきた人です。そうであるからこそ、日本の現状に対するみじめな感じが強まります。
この滋賀の「びわ湖大花火大会」はコロナ禍で中止されていたのが今年4年ぶりに開催されたようですが、有料の観覧席が設置された会場の周辺約2キロにわたって目隠しとなるフェンスが張られ、地元民はその隙間から覗くという情けないことになりました(写真)。さすがに地元の自治連合会が開催反対を求める決議文を提出するなどしたようですが、これは「公私」混同というより、本来「公」のものである花火大会を自治体が「私」的に囲い込み、金を払わない地元民を「排除した」ものです。
若いマルクス経済学者、斎藤幸平が力説しているように、私たちはもはや資本そのものから離れることを考えるしか将来の展望はないと思いますね。と言って、暴力革命だとか、前衛一党独裁とかいうような化石話を思い出す必要はない。祭りは地元の共有財産なのだから、みんなで管理運営して、みんなで楽しもうという当たり前のことでいいわけです。そのためには金にならないことでも奉仕するという相互扶助精神が大事だけれど、これって、昔はどこの地域でもやっていたことで、何も難しいことではないですね。
というわけで、ちょっとコマーシャル。<折々メール閑話>も少し期間があきましたが、この間のコラムを『山本太郎が日本を救う』第2集『みんなで実現 れいわの希望』としてまとめました。前著同様、1300円(税込み1450円)でアマゾンで購入できます。興味のある方はどうかご購入ください。見出しは以下の通りで、「櫛渕万里の弁明」全文書き起こしが目玉です。

政木和三さんが25年前に書いた『この世に不可能はない』(サンマーク出版、1997)は、気功愛好者必読だと思われる。政木さんはすでに故人だが、彼によると、人はだれでも「肉体」と「生命体」からなっている。生命体はエネルギーで、一つではなく、精神的に成長すると次々に新しい生命体ができてくるらしく、肉体が滅びると生命体は肉体を離れ、いずれ別の肉体に宿ることになる。輪廻転生である。
もう1冊は上平剛史『プレアデス星訪問記』(たま書房、2009)である。
先にも書いたが、『DOORS』は1997年5月号で突然休刊になった。有無を言わせずの強制終了である。最終号の目次が「休刊」のお知らせで、表紙には「ゼロから始めるウエブサーバー作り」の記事紹介もある。牧野さんの「今月の怒る弁護士」は「社会は変動する。かつての経済先進国日本は今急速に凋落する。未来を展望できない国家は、大きく衰退するのが歴史的必然だ」と書いている。私には『DOORS』休刊決定そのものが朝日新聞凋落の予告のようにも思われた。今は亡き三浦賢一君が「矢野さんにはいつも僕がついているから」と言ってくれたのは、突然の休刊を告げられた夜のことである。
ここで山本博氏について少し説明しておこう。彼は北海道新聞からスカウトされた途中入社組ながら、横浜支局デスク時代のリクルート報道で名をはせた朝日新聞社会部きっての特ダネ記者だった(平和相互銀行事件、KDD事件、談合キャンペーンなどの調査報道に携わり、新聞協会賞も2度受賞している。『朝日新聞の調査報道』=小学館=の著書がある)。柴田鉄治さんは朝日新聞改革案として「山本博君をリーダーとする調査報道部門を作るべきだ」と常々言っていたが、ともに編集局中枢から外されていた。朝日新聞という会社は、特ダネ記者を名古屋社会部長、販売局次長と適当に処遇しながら、次いで出版局次長にしたのである。
OPENDOORSが日本のマスメディア最初のホームページとして新聞協会のパンフレット『1997日本の新聞』に記されていることはすでに述べた。時代は突然、現在に飛ぶが、主宰しているOnline塾DOORSで友人、森治郎さんのミニコミ誌『探見』との共催で阿部裕行・多摩市長の話を聞いたことがある。
さて、本題である。わが社にとっても、また私たちにしてもまだインターネットをよく知らなかったわけで、社外の何人かに助言を頼んだ。それは相当たる顔ぶれだった。
日本でのインターネットの父とも言われる村井純さんには、当然のことながら、さまざまにお世話になった(伊藤、村井両氏の写真は1996年のインターロップで)。
著書もある。彼はインタビュー(1996年6月号)で「これからは技術者ではなく、社会の第一線で活躍している実務のプロがインターネットを始めるときである」と、インターネットの伝道師らしく、熱っぽく語っている(当時は慶応義塾大学助教授だったが、その後教授になり、現在は内閣官房参与、デジタル庁顧問なども努めている)。
されたり、この業界ではすっかり「顔」だった。にもかかわらず、利害渦巻く業界の垢にまみれぬ、毅然としたと身の処し方が、きわめてさわやかな印象だった。オーソン・ウエルズとスタンリー・キューブリックを敬愛する元映画青年は、時代の最先端で忙しく動き回りながら、メガネの奥に光る柔和な目で、メディア社会の行く末を見つめ、すでに『ハイパーメディア・ギャラクシー』(福武書店、1988年)などを世に問うていた。
史』=晶文社、1997年=として出版された)、折々の特集などでも知恵をお借りした。彼はその後、東大教授になったが、2014年に62歳で夭折したのはまことに残念である(写真は『ASAHIパソコン』インタビュー時のもの)。
内訳は、
だいたい1万円未満だが、1万円以上のものもある。岩波書店の『広辞苑』は第4版で1万4420円、平凡社の『世界大百科事典』は31巻の大百科事典が検索ソフトを含めて数枚のCD-ROMに収められ、14万5000円だった(私は1998年に発売された『広辞苑第5版』1万1100円と、同年発売の『世界大百科事典』第2版、5枚組で5万9000円を買った。『世界大百科事典』まさに高機能化、低価格化していたが、結局、あまり使わず、紙の『世界大百科事典』と同じ運命をたどった)。
タイトルを「ポスト日本人」としたことについて雑誌でこういうことを書いている(福井コンピュータ『cyber Architect』 1996年秋号)。
『ガジェット』は、日本よりも海外で高い評価を受けた。ユーザーがマウスを操作しながら、インタラクティブな物語の中に入っていく点では、たしかにゲームだが、より深い一つの世界を築き上げている。ゲームは、7人の科学者が発明した洗脳装置センソラマをめぐって、帝国と共和国、その双
方のスパイが暗闘を繰り広げる形で展開する。プレーヤーは、帝国のスパイの役割を与えられ、科学者たちの身辺を探りながら、いつしか不思議な狂気の世界へ迷い込む。最後にどんでん返しも仕組まれており、海外で6万枚、日本で5万枚を売るヒットとなった。この作品は93年度のマルチメディアグランプリ通産大臣賞を受賞した。アメリカの各メディアで激賞され、95年2月27日号の『ニューズウィーク』誌は、彼を「未来を動かす50人」の1人に選んだ。
飯野賢治さんは、インタビュー当時、まだ25歳だった。処女作のアドベンチャーゲーム『Dの食卓』で脚光を浴びていたころで、大きな体、いかつい風貌、それに似合わぬやさしい笑顔、同じ25歳で映画『市民ケーン』を作ったオーソン・
ウエルズを彷彿させるところがあった。
その主力の紙のメディアがさっぱり売れなかったのが最初にして最大の躓きだった。
DOORSという意味で、3Dメディアと呼んだ(3D=Three Dimensionでもあった)。創刊直後のある会合で、私は『DOORS』のコンセプトを敷衍して次のように話した。
ここには、インターネットにはガイド誌より、メディアとしての本質を掘り下げた記事が求められるのではないかという私の思いが反映していた。だから、創刊前に発行したムックは『インターネットの理解(Understanding Internet)』だった。MIT時代にインターネット最先端を精力的に取材、人脈も築いていた編集委員、服部桂君が全身全霊を打ち込んだ、インターネットの解説本としては他に例を見ない傑作だったと今でも思っている。タイトルがマー
シャル・マクルーハンの『メディア論』(Understanding Media)をもじっているように、インターネット黎明期のアメリカの最新事情を丁寧に紹介すると同時に、インターネットの預言者と呼んでもいいマクルーハンについても詳しく紹介した。巻頭ではジム・クラークやマーク・ア
ンドルーセンなどにもインタビューし、アメリカでのインターネットの熱気について伝えている。
「3Dメディア」としての実績は、少しづつ築かれつつあったとも自負している。主なものを整理すると、以下のようになる(写真は1996年7月号の3DOORS案内)。
私は『月刊Asahi』の3代目編集長となり、総合月刊誌の新しいスタイルを確立したいと悪戦苦闘したが、結局はうまく行かず、A4変型判から従来の総合月刊誌のA5判、いわゆる「弁当箱」スタイルに移行するなどの経過を経たのち、その休刊に立ち会うことになった。『20世紀日本の異能・偉才100人』(1992.7号)など発売直後に完売する特集をしたなどの思い出もあるが、ITと直接関係がないので、ここではその後、取り組むことになったインターネット情報誌『DOORS』に話を移したい。
1993年に発足した米クリントン政権はインターネットを重視したNII(National Information Infrastructure 全米情報基盤)構想を発表、「情報スーパーハイウエイ」という言葉とともに、インターネットが広く流布されることになった。軍事用、学術用に発展したインターネットは、しだいに商用利用へと道を開き、1995にはつながれたホスト数で、学術関係よりもビジネス関係の方が多くなっている。同年にはNSFネットのバックボーンも民間ネットワーク・プロバイダーへ移された。日本で初期のインターネット普及に取り組んだのがJUNET(Japan University Network)であり、それが発展したWIDE(Widely Integrated Distributed Environments)プロジェクトで、その中心人物が村井純氏だった。
出版局を去った後の1998年に出した『マス・メディアの時代はどのように終わるか』(洋泉社)のデータをもとに、1995年の状況を再現してみよう(本書は絶版となっている。『ASAHIパソコン』および『DOORS』について丁寧に振り返っており、本<平成とITと私>前半の記述の多くは本書に寄っていることをお断りしておく)。
①阪神淡路大震災で、災害に強い情報手段として注目される
