新サイバー閑話(130)<折々メール閑話>71

「政治的無関心層の突然の反乱」=参政党支持

 B 参院選における参政党躍進は、現在日本の政治状況の混迷を浮き彫りにしました。参政党に投票した人、比例区で言えば740万余票はどんな人びとなのか。
 これについて若手評論家の古谷経衡氏は「人生で初めて投票に行く『無関心層』が中心で、保守とリベラルの対立構造や与野党の違いすらあいまいで、報道や外国人が増えたという何となくの実感から無自覚なゼノフォビア(外国人嫌悪)を抱いた人びと」だとし、740万余票の内訳を、元々の支持者200万票、投票率が6ポイント上がって生まれた600万票の4~5割に当たる約300万票、自民からの離反組が100万票、これに加え、れいわ新選組が本来獲得すべきだった100万票強」と具体的に推測しています(AERA DIGITAL&日刊ゲンダイデジタル)。

A 総務省調べでは現在の有権者数は1億424万余票。ざっと1%100万人の計算ですね。れいわの票が100万票食われたというのは、我々の実感とも重なりますね。

B この「参政党に投票した無党派層」は、前回も言及しましたが、年齢的には10代から40代、さらに50代も含めた若年層で、彼らの多くはいままで既存選挙制度の枠外にいたわけですね。それが今回、政治の世界になだれ込んできた。既存政党の支持者だけで票を分け合っていた高齢者中心の選挙制度は、はっきりと終わったと言えそうです。自民、公明、立憲、共産の不振がそれを物語っています。
 ここで浮き彫りになった人びとは、既存の政治システムからだけでなく、社会的にも非正規雇用やパート勤務だったり、経済的な理由で結婚を諦めていたり、日本経済の長い停滞の中で今後の生活に不安をいだいていた層だったと思います。その彼らの票をなぜ参政党が掘り起こすことに成功したのか。

A 地道に地方組織を育てて集会+ネット発信で支持者を拡大してきたとか、ポスターなどのビジュアル作戦に長けていたとか、いろいろ言われているようですが、なんと言っても大きかったのは、「日本ファースト」のスローガンでは。

B ユーチューブ大学の中田敦彦は「参政党とは何か」という動画で、「参政党はこれまでの政党のように思想先行型ではなく、感情訴求型の政党だった」と興味深い指摘をしています。参政党は泣き叫ぶ子どもに寄り添う母親のように、あるいは不満をぶちまける彼女をなだめる彼氏のように、ただひたすら弱者の声に「寄り添って」きた。コロナワクチンは怖いという人に「そうだね」と言い、外国人が日本を破壊しているという人に「何とかしようね」と声をかけ、生活が苦しいという人に「減税を勝ち取ろう」とやさしく寄り添った。事実の真偽や具体的政策はあまり深く追求せず、ただひたすら人びとの不安や恐怖に寄り添ってきた。だから参政党の主張には思想的な一貫性がないし、いいとこ取りのところもあるが、それが奏功した要因ではないか、と。
 ここには30年余の日本経済の低成長が大きく影を落としています。いま50代の人でも高度経済成長時代やバブル経済を実感として知りませんし、日本が世界No.1とはやされたなどは、まるで夢物語の世界です。この間、国力は衰え、海外での日本の地位は低下、日本人としての羽振りも悪くなった。神谷宗幣代表も若いときに世界を歩いて、そのことを痛感したと言います。給料が上がらず、結婚もできない人々の不安を、これまでの自公政治は、野党の無策も含めて、ほとんど解決しようとしてこなかった。そして、「投票に行くより眠っていてくれた方がいい」(森喜朗前首相)と選挙制度、さらには政治の外側に放置してきたわけです。その放置されていた人びとが、今回、参政党という蜘蛛の糸につかまって、政治の世界になだれ込んできたということではないでしょうか。

A その萌芽は古くは維新の躍進だと思いますが、この流れが顕著になったのは、昨年の都知事選における石丸(伸二)ブームであり、衆院選における国民民主党の躍進だった。

B これまでの政治の貧困のつけが回ってきたとも言えるが、今回顕在化した人びとの群れを何という言葉で表現するのがいいのか。市民とか人民とか呼ぶには、明快な政治的意見を持っているとは思えないし、民衆、庶民というには、生活に密着した知恵(歴史に培われた良識)から引き裂かれているように思えます。大衆に一番近いかもしれないが、彼らはあまりに孤立している。多くは新聞もテレビも見ず、ただスマホを通じてSNSだけで情報を集め、それに瞬間的に反応しているように見えます。何らかの組織に帰属しているというより、むなしく宙(インターネット)に浮いている感じだから、群衆という感じもしない。参政党の憲法構想案からは臣民という言葉も浮かんでくるが、本人たちもまさか臣民になりたいとは思っていないでしょう。「政治的無関心層の突然の反乱」をうまく表現するのはなかなか難しい。
 ここで思い浮かぶのは、彼らが完全なデジタル世代だということです。インターネット元年と言われた1995年からすでに30年。1995年生まれの人が30歳、当時若者としてインターネットに親しんでいた人はすでに50代になるわけです。私はIT社会を生きる基本素養としてサイバーリテラシーを提唱し、サイバー空間登場以前をBC(Before Cyberspace)、それ以後をAC(After Cyberspace)と分けていいほどに、インターネットは人類の思考、感性に大きな影響を与えると考えています。年長者には想像するのは難しいけれど、「政治的無関心層の突然の反乱」→参政党支持=デジタル世代の行動様式、という図式がなりたつのではないでしょうか。
  はっきりしているのは、彼らがこれまでの政治の犠牲者であるということです。ここ数十年の日本の政治、あるいは教育が生み出してきた新しい人物像です。彼らは理屈で政党を選ぶのではなく、自分の感情のままに、今の苦難に風穴を開けてくれそうな参政党に票を投じた。古い秩序が硬直化し、新しい世代を教育し、秩序の中に包摂することを拒否してきたがために、その犠牲者たちがいま反乱を起こしたというのが一番近い説明のように思われます。
 保守思想家の中島岳志氏は、保守の伝統的思考は「うつろいやすい大衆」と「良識に依拠した庶民」を明確に区別して、「健全なデモクラシーは『庶民』の伝統的英知・社会的集合知によって支えられるべき」ものだと考えてきたと述べています。だから彼らを保守と呼ぶのはまるでふさわしくない。われわれは「庶民の英知」をわきまえた人という意味で、折にふれて「まっとうな人間」という言葉を使ってきましたが、彼らがまっとうだともちょっと考えにくいですね。

A 現代社会では教育そのものが変質し、まともな人間を育てなくなっていますが、今回の参政党の「躍進」は、それとはまた別の「空虚さ」というものを感じさせますね。

B そうです。社会が彼らを育てた。と言うより、育てなかったからこそ、彼らは反乱を起こしたという側面がありますね。そこで、れいわ新選組です。れいわは結党以来、政治の外に置かれてきた人びとに政治への参加を呼びかけ、選挙のたびに既成政党と一線を画して、「みんなで政治を変えよう」と訴え、着実に議席数を伸ばしてきました。れいわこそ、古い政治に風穴を開け、若者を中心とした無関心層を掘り起こし、新しい政治を樹立したいと懸命に努力してきた政党だったわけで、実際、前回衆院選では9議席を獲得する躍進ぶりでした。山本太郎代表をはじめとする、いまや結構の人数になった国会議員たちの活動で、ようやく風穴が開きそうになったところを、まるで似て非なる政党にトンビに油揚げをさらわれる如く、無党派層のかなりの層をさらわれたということだと思います。
 だから、参政党に流れた無関心層をどうれいわの側に取り込んでいけるかをあらためて考えていかなくてはいけません。有権種の6%に当たる人が今回投票したわけで、それはそれで大きな前進、プラスです。その票の行き先を参政党かられいわに向けることこそがいま大事なのだと思います。
 国会地図で言うと、リベラル勢に入る日本共産党、立憲民主党、社会民主党は今回も伸び悩み、あるいは退潮を余儀なくされました。これをどう立ち直すべきかも大きな課題だと思いますが、我々としては、なぜメディアや識者はれいわのやろうとしていることをきちんと認識し、報道しないのかと思いますね(^o^)。

A 参政党から学ぶべきこともあるようです。参政党が結党以前から続けてきた地方組織網です。その組織作りに元共産党員が活躍したということですが、参政党の地方組織は政治家(議員)ではなく党員中心の組織らしい。2025年8月4日現在。都道府県議会議員8人、市区町村議会議員155人を擁してもいるようです(ウイキペディア)。

B 参政党の「日本ファースト」という考え方は、トランプ大統領のMAGA(Make Amerika Great Again)と同じですね。ヨーロッパでもEUを離脱したイギリス、ドイツの右翼政党躍進など、保守回帰は世界的潮流でもあります。
 ともかくも8月1日、臨時国会が開かれ、今回参院選で当選したれいわの伊勢崎賢治、木村英子、奥田ふみよ(芙美代)の3氏が高井崇志幹事長とともに登院し、国会前で意気込みを語ったあと、支持者も交えて記念撮影していました。
 われわれとしては、今後のれいわの活躍を一層期待したいと思います。

新サイバー閑話(129)<折々メール閑話>70

参院選における314について考える

 B 3対14というのは、7月20日投票の参院選でのれいわ3と参政党14の獲得議席数ですが、この差は現代の政治状況の何を示しているのか、ということを考えてみたいと思います。
 左の表は党派別獲得議席数ですが(東京新聞7.22日付)、参政党は1から14へと、14倍増です。選挙がはじまったころの神谷宗幣代表の予想は6議席程度だったのに、それを大幅に上回りました。
 この「あっと驚く」躍進ぶりは、昨年11月の兵庫県出直し知事選を思い出させますね。議会から不信任決議をされた斎藤元彦知事が再び立候補し、選挙前の予想を覆して再選されました。最初はほとんどの人が彼が再選されるとは思ってもいなかったわけですが、街頭演説に集まる兵庫県民の姿がしだいに増え、わずか17日の選挙期間中に「あっと驚く」逆転をしました。
 これについては「なぜ兵庫県民は斎藤知事を再選したのか」(『山本太郎が日本を救う④れいわ躍進 膨らむ期待』所収、アマゾンで販売中)で詳しくふれています。彼を再選させた理由として「マスメディアが言うこととは違い斎藤知事は悪くない」という情報がSNSで広まったこと、N党(NHKから国民を守る党)の立花孝志氏が「当選をめざさない立候補」で斎藤知事を応援、触媒役を果たしたことを上げています。我々としては、「わずか2週間余の選挙期間中に世論の流れが急転回した」ことに驚くと同時に、その素地を生んだスマートフォンを通したSNS情報の威力に危惧を感じたわけです。
 今回、参政党に票を投じた人はどういう人たちなのか。これはいずれ詳しい分析が行われるでしょうが、とりあえず①30代や40代も含めた若者層の票が多い、②自公、立憲民主、さらには共産党まで、既存政党の票が参政党や国民民主党に流れた、③投票率が58.51%と前回の52.05%を6ポイント以上も上回ったのは、若者層の政治参加を促した結果だと思われるが、その多くが参政党や国民民主に流れた、ということが言えると思います。

A 日ごろスマートフォン上のSNSに親しみ、新聞やテレビをほとんど見ない人が、参政党に投票したんじゃないですか。そういう意味では既存政党の衰退やマスメディアにおけるジャーナリズムの衰退と根っこは同じ気がしますね。

B 兵庫知事選ではマスメディアの情報が不十分だったために、人びとはSNSに真相を求めた面があったと思うが、今回は様相がだいぶ違いました。選挙の争点が参政党の「日本ファースト」にあおられた形で外国人問題にそらされ、しかもマスコミがそれに乗っかかって、その種の報道ばかりしたのが、参政党に大きな追い風になったのだと思います。山本太郎が「マスコミの争点そらし」を強く批判していたのは、そのことです。
 日本経済がここ30年以上疲弊して、国民の生活水準は押しなべて低下しています。そこへ、円安を利用して海外から多くの観光客が訪れ、そのためにホテル代が高騰するなど国民生活に影響を与えているし、外国人が引き起こすトラブルも報道されています。そういう漠然とした国民の不安が参政党の「日本ファースト」に引きつけられ、一気に排外主義的というか、保守的モードに流れた。兵庫県知事選で立花孝志氏が果たした触媒役を、きちんとした選挙報道を怠り、参政党の実態についても十分な報道をしなかったマスメディアが果たしたと言えなくもないですね(意図しているかどうはともかく)。

A 一時、日の出の勢いだった維新には陰りが見えています。だから参政党もそのうち退潮に向かうだろうと楽観する意見もありますが、そのときは、また別の政党が出てくる可能性を否定できない。都知事選における石丸(伸二)ブーム、兵庫県知事選のどんでん返し、今回の参院選における参政党躍進――、同じ流れに乗った一連の動きのように思えます。

・空洞に落ち込んだ日本民主主義

B 前回、参政党の憲法構想案のアナクロニズムについてふれましたが、こういう政党が国会で15議席も得て、法案提出の権限を獲得しました。ヒトラーのナチス台頭を持ち出すまでもなく、日本の民主主義はいま大きな空洞に落ち込んでいるように思いますね。

A 友人がこんなことを言っていました。

 参政党の正体や憲法草案や言動なんか関係ないんですよ。ワンイシューが気に入ったら盲目的に「推し」てしまう。私の周辺でも参政党に入れ込んだ人びとは、「子ども1人に付き毎月10万円支給してくれるなんてスゴイ!」、「最近、外人が増えてイヤだ、参政党に追い返してほしい!」など、そんなワンイシュー亡者なんです。

  参政党躍進を後押ししたのは財務省だという人もいます。参政党がこれからの政局で消費税ゼロあるいは減税を主張するとは思えないですね。前川喜平さんが投票日のⅩ(旧ツイッター)に「神谷宗幣(同党代表)は日本の恥だ。(自民党の)西田昌司(氏)も杉田水脈(氏)も日本の恥だ。それが分からない有権者も日本の恥だ」と書いたら、数百万の反応があったらしい。ついでに言えば杉田水脈氏は落選しました。参院議長をつとめた山東昭子氏も。彼女は現在83歳ですよ。立候補するのがおかしい。

B 前川ツイートは新聞などでも取り上げられましたが、これを報じたヤフーニュースに対する前川批判のコメントがまたすごい。「自らの意向に沿った選挙結果にならなかったからといって、 民主主義の根底である民意を無視し、 有権者を愚弄すべきではないのではないのでしょうか」というのもあったけれど、「民主主義の根底である民意を無視した」などと居丈高に大義名分を掲げる人が最近増えているのは大いに気になりますね。

A 前回、れいわにしようか、参政党にしようかと迷っている人のことにふれたけれど、開票結果を報ずる東京新聞にも、悩んだ末に比例は「参政党」にした人を紹介していました。れいわと参政党の区別ができないということが不思議なんだけれど、そこには世論調査ばかりやって、何の主張もしない、あるいは参政党の危険な体質にふれないマスメディアの報道の仕方も大きく影響していると思いますね。

B れいわは前回より1議席多い3議席を獲得しましたが、予想に比べると、たしかに期待外れでした。大きく括ったリベラル勢力という側面で考えると、野党第一党である立憲民主党は横ばい、共産党は議席減です。それから見ると、れいわはわずか1議席増ではあるが、比例特定枠の伊勢崎賢治氏の当選など、それなりの実績を獲得したとも言えますね。社会民主から立候補したラサール石井氏や、みらいの党のIT技術者、安野貴博氏の当選も明るい側面です。N党、再生の道は当選者なし、保守党からは北村晴男、百田尚樹の2人が当選しました。
 れいわが比例区で獲得した票を過去と比べてみると、2022年参院選は231万9156票、今回は387万9914票で、れいわ支持者は着実に増えています。全体に占める得票率でみると、4.4%、6.6%となります。ただし前回(2024年)衆院選の比例得票数380万5060票からすると、あまり増えていません。これに比べ参政党の得票は742万5053票で、れいわの2倍近い。今回は投票率が高かったことをあわせて考えると、若者票がかなりれいわから参政党に流れたと考えた方がいいですね。れいわが掘り起こしてきた政治的無関心層、若者層が、あるときは石丸候補に、あるときは参政党に流れているわけです。

A 社会全体の保守への回帰は否定しようがないですね。保守的思考自体は必ずしも悪いとは思わないが、似非保守が跋扈しているというか‣‣‣。立憲も自民と同じく高齢者に支えられているわけで、若者層全体で見ると、総保守化の傾向が見られます。その中でれいわが1議席増だったことは、よくやったと言えなくもない。
 もう1つ、参政党の当選者14人のうち7人、国民民主17人中5人が女性です。既存政党との対比で言うと、女性の比率が高い。今回の参院選では女性が42人当選し、過去最高だと言われています。女性議員が増えることは歓迎ではあるが、参政党当選者の半分が女性というのはどう考えるべきでしょうね。

B れいわとしてはあまり焦らず、我が道を着実に歩んで行くのがいいと思いますが、参政党は法案提出の権利も獲得しました。さっそくスパイ防止法案を提出するとか言っていますが、この参政党に自公、維新、国民民主、さらには保守党も合流すると、世の中、一気にきな臭くなりますね。
 今回の参院選ではスマホやSNSがいよいよ現実の政治に大きな影響を与えていること、そういう状況下でマスメディアはいよいよその力というか見識を失っていること、そのため日本の民主主義は大きな岐路に立っていることを浮き彫りにしたのではないでしょうか。

新サイバー閑話(128)<折々メール閑話>69

自公の票が国民や参政に流れて、何が変わるのか

 B <折々メール閑話>前回の投稿が4月6日だから、早や3カ月以上たってしまいました。この間もコメ不足と小泉農林水産大臣登場、東京都議選など、話題はいろいろあったけれど、ちょっと体調を崩したこともあり、特筆すべきこともないと思えば、そのようにも思え、なんとなく過ぎてしまいました。そして、あっという間に参院選がやってきました。

A このところの選挙で驚くのは、参政党の躍進ですね。少し前までは石丸(伸二)ブームや国民民主党の躍進があったけれど、石丸新党は都議会議員選挙では全滅しました。国民民主党はこれまでの0議席に対し9議席も獲得しましたが、山尾しおり元議員の参院選立候補をめぐる公認と取り消し騒動も影響して(本人は無所属で東京選挙区から出馬)、一時の勢いがなくなったようです。これに対して、参政党は都議選も4選挙区で候補を立て、世田谷、大田、練馬の3選挙区で、しかもそれぞれ高位で当選しました。大阪府尼崎市議選、愛知県西尾市議選、福井県あらわ市議選でもトップ当選しています。鎌倉市議選でも1人当選しましたね。

 B 参政党は2000年に神谷宗幣氏が立ち上げた政党で、2022年の前回参院選で神谷氏が比例区で当選、2024年の衆院選では比例で3議席を獲得しました。地方議員はすでに140人以上います。
 参政党の新日本憲法構想案(「改憲」ではなく「創憲」と言っている)を見ると、前文では「日本は、稲穂が実る豊かな国土に、八百万の神と祖先を祀り、‣‣‣、心を一つにして伝統文化を継承し、産業を発展させ、調和のとれた社会を築いてきた」、「天皇は、いにしえより国をしらすこと悠久であり‣‣‣、国全体が家族のように助け合って暮らす、公権力のあるべき道を示し、国民を本とする政治の姿を不文の憲法秩序とする。これが今も続く日本の國體である」と、まるで戦前の建国神話のような文章が続き、個々の条文には人権に関する章もなく、全体に法律の体裁も整っていない。時代錯誤の極右政党としか思えませんね。
 ユーチューブのアークタイムズに出演していた憲法学者、石川健治・東大教授によると、「参政党の憲法構想案は必ずしも憲法がわからない人が書いたものではない」らしいのだが、「そこには自分とは違う他社の存在がまったく想定されておらず、歴史によって培われてきた立憲主義的憲法とはまるで異色のものである」と述べていました。
 理念的には、れいわ新選組と対極にあると言ってもいい政党ですが、既存組織とは関係なく支持拡大をはかっている点や、神谷代表が山本太郎代表とほぼ同年代で、党設立も1年の差であるなど、れいわ新選組と表面的に似通ったところもあります。選挙公約などでもナショナリズムや反グローバリズムなどの保守的主張に加え、反ワクチンや減税などの口当たりのいい政策を掲げています。
 このヌエ的な極右政党が今回参院選の各種投票予想調査でも、異常な躍進ぶりであることは、やはり大きな驚きです。支持者たちは憲法構想案を読んでいるのでしょうか。
 NHK世論調査(6月27日から3日間、全国の18歳以上を対象にコンピューターで無作為に発生させた固定電話と携帯電話の番号に電話をかける「RDD」という方法で実施)による各政党支持率は左図の通りです。参政党はれいわを上回っているわけですね。これを年齢別に見ると以下の通りです。この表から次の点が指摘できるのではないでしょうか。
 ①自民、立民、公明、共産という既成政党は高齢者の支持が高いのに対して、国民、れいわ、参政は若者層の支持が多い。このところの選挙で明らかなように、高齢層と若年層の意識の乖離(分断)がいよいよはっきりしてきた。維新は明らかに退潮傾向にある。
 ②自民、立民、公明、共産という既成政党の票が、とくに若者層で新興の国民、れいわ、参政党などに流れているように見えるけれど、ここで推測をたくましくすると、与党たる自公の票が参政党や国民民主に流れている、すなわち民意はより一層保守化しているというか、右方向に流れているのではないか。

A 参政党は第3、、あるいは第4与党だと言われているみたいですが、「日本ファースト」などという耳ざわりのいいワンフレーズにいとも簡単になびく選挙民の、それこそ民度の問題だと思いますね。背後には怪しげな宗教団体も存在するようですが、そもそも党首が信用出来ない。言うことにこと欠いて、れいわは移民推進政党だなどとデマを振りまく。「国民の危機感を煽り、自身の主張を言い募るのはナチスと同じだ」とれいわ三重サポーターズの仲間が言っていました。

B 右翼政党の台頭はドイツで「ドイツのための選択肢(AfD)」が躍進したように、世界共通でもありますね。既存政党に不信をいだく有権者がテレビで「れいわか参政党に入れる」と言っていましたが、れいわと参政党という、まるで違う政党が同じように見られているわけです。

 ・今回も逸材そろうれいわの候補者

A 今回参院選でれいわは安保問題の専門家、東京外国語大学名誉教授の伊勢崎賢治、経済政策の長谷川うい子、主婦パワーの奥田ふみよなどの逸材を比例に立て、選挙区でも東京で元衆院議員の山本譲司、神奈川で元外交官の三好りょう、京都で教育学博士の西郷みなこ、広島で弁護士のはんどう大樹など、他党とは明らかに際立つ人材を擁立しています。顔ぶれ一つ見ても、れいわの政治に取り組む真剣さが感じられますね。有権者がかっと目を見開いて投票することを期待したいです。伊勢崎氏は比例の特定枠だから、当選したも同然ですが、国際問題がいよいよ緊張している今、なぜ他の政党にこういう人材がいないのかはよく考えてもらいたいです。

B 以前、このコラムで政治家の劣化を取り上げたけれど(『山本太郎が日本を救う』第1集、「まともな人間を育てない教育」参照)、保守化する若者層を見ていると、いびつな社会や教育の犠牲のようにも思えます。まともな人びとももちろん多いわけだけれど、大きく見ると、フランスの歴史家、エマニュエル・トッドが言うように、教育が知性を育むことから離れて、ただの「資格」取得のためとなり、物事を深く考える暇もなく、ただ学歴だけを積み上げていく人間を生み出している。これは世界的傾向で、日本もまったく同じ。それは指導層にも言えるし、国民全般にも言えるのでは。こういう状況下での参政党躍進でもあると思います(トッドは最近、『西洋の敗北』という本を書き、独特の視点からウクライナをめぐる現代世界情勢を分析している)。

A 今回参院選比例区で興味深い顔ぶれとしては、2024年都知事選で落選した蓮舫氏が立憲民主党から再挑戦すること、梅村みずほ氏が維新から参政党に鞍替えして立候補したこと、タレントのラサール石井氏が社会民主党から立候補していることですね。先の都知事選で15万票を得たIT技術者の安野たかひろ氏も「チーム未来」から立候補しています。

 B ラサール石井氏の社民党からの立候補には男気を感じますが、じり貧傾向の社民党を救えるかどうか。

 A 都知事選では石丸ブーム、今回参院選では参政党台頭、そのつどウケ狙いの連中が登場しては消えてゆく。それだけで何も変わらない。と言いつつ、変わらないのは山本太郎ただ一人!

Online塾DOORS報告④<2025.1.20~>

 2025年から<ジャーナリズムを探して>シリーズを始めたのに伴い、2025年以降のOnline塾DOORSの記録をOnline塾DOORS④<2025.1.20~>へと更新しました(一部ダブリ掲載あり)。塾の精神、これまでの授業など、ほとんど従来通りで、その趣旨は別稿のOnline塾DOORSへの招待、<ネットのオアシスを求めて>をご覧ください。「国境を越え、世代を超えて」がキャッチフレーズです。より多くの皆さんの参加を希望しています。
 なお従来の履歴はOnline塾DOORS③のメニューからご覧いただけます。それ以前はOnlineシニア塾①<2020.5~2021.4>、および②<2021.5~2022.4>に収録しています。
 2025年3月現在の講義は以下の通りです。

講座<若者に学ぶグローバル人生>
講座<気になることを聞く>
講座<とっておきの話>
講座<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>
講座<よりよいIT社会をめざして>
講座<超高齢社会を生きる>
講座<女性が拓いたネット新時代>
講座<ジャーナリズムを探して>

講座<ジャーナリズムを探して>⑩

◎第92回(2025.8.18)
 前川喜平さん【テレビが政権の圧力を受けて萎縮するのではなく、むしろ隠された真相を抉りだし、公正な報道をするようにならないと、民主主義は損なわれます】

  東京大学法学部卒業後、文部省入省。初等中等教育局財務課長、官房長、初等中等教育局長などを経て2016年に文部科学事務次官。17年、同省の天下り問題の責任をとって退官。現在は、自主夜間中学のスタッフとして活動するかたわら執筆・講演活動を行う。2024年、田中優子前法政大学総長といっしょに「テレビ輝け!市民ネットワーク」の共同代表となり、テレビ朝日の株主総会に出席し公正な報道を行うための提案をしている。

 文部科学官僚としてトップにまで上り詰めた人が、退官後は「テレビ輝け!市民ネットワーク」プロジェクトの共同代表をつとめたり、ユーチューブのデモクラシータイムス「3ジジ放談」で時局発言を続けたり、東京新聞の連載「本音のコラム」で健筆をふるったり、講演で全国を飛び回ったり――、現在日本の混乱する政治やふがいないマスメディに対して檄を飛ばしている。いまや右傾化する一方の流れに逆らう良識派(リベラル派)の代表格である。前川さんにプロジェクトの代表を引き受けた経緯、マスメディアのリテラシー欠如と政治教育のあり方、学術会議改変に見られる現在の危機的側面などについて率直な話を聞いた(写真は9月7日に予定されているテレビ輝け!市民ネットワーク主宰の講演会=参加無料=のお知らせと3ジジ放談)。
 本<ジャーナリズムを探して>シリーズは前川さんが10番目の登壇で、当日は24人が参加するという過去最高の「人出」となった(以下、前川さんの話。()内はメンバーの発言や感想)。

なぜテレビ朝日をターゲットにしたのか

 「テレビ輝け!市民ネットワーク」プロジェクトは弁護士の坂口徳雄さん(昨年死去)、梓澤和幸さんたちが事務局を務め、その上に共同代表として法政大学前総長の田中優子さんと私が乗っかっている組織です。実はその前に「市民とともに歩み自立したNHK会長を求める会」というのに担ぎ出されて、NHK会長は経営委員会が決めるのではなく、実際は官邸で決められている、これを正せということで、その会長候補に擬せられたことがあります。そんな経緯もあって、田中さんが引き受けるのなら、断るわけにもいかないと引き受けたわけです。2024年2月に設立記者会見をしました。
 最近のテレビは報道機関としての役割を果たしていないのではないか。政府が隠そうとしている真相を抉りだし、新鮮な議論を喚起するような報道をしてほしいのだけれど、現実には政権の圧力を受けて、どんどん委縮してきた。こういう政権への忖度が蔓延するような事態を放置すれば民主主義が損なわれるばかりでなく、どんどん戦争に向かっていくのではないか。戦争をさせないという意味でも、テレビを中心とする報道の自由を守らなくてはいけない、という思いです。
 民放の中で、日本テレビやフジテレビ、TBSなどではなく、なぜテレビ朝日をターゲットにしたのか。テレビ朝日じゃなければならないという積極的な理由はなかったけれど、「テレビ朝日の報道は以前はもっと良かったのではないか」という共通の思いがありました。報道ステーションなどもけっこう政権批判していましたし、かつての姿を取り戻してほしいというのでテレビ朝日にしたわけです。
 2015年3月27日の報道ステーションでコメンテーターの古賀茂明さんが「菅官房長官を始めとする官邸の人びとからものすごいバッシングを受けてきた」と言って、早河洋会長らの意向で降版することになったと暴露しました。さらに番組のプロデューサーの松原文枝さんも更迭されることも生放送の場でしゃべり、「I am not ABE」というフリップを掲げました。彼が「I am not ABE」を掲げたのは2回目で、1回目は前年のシリアにおけるジャーナリスト、後藤健二さん殺害に対する安倍政権の対応を批判した時です。「安倍さんの行動はおかしいのではないか、日本人はみなが安倍さんと同じではない」ということで掲げた。そのころから古賀さんは安倍政権からにらまれていたわけです。テレビ朝日社長は従来、朝日新聞社出身者がなっていたのですが、2009年に早河さんがテレビ朝日出身として初の社長になり、今も会長を務めています。早河体制になってから政権との距離が非常に縮まりました。
 さらにもう一人、テレビ朝日には放送番組審議会委員長を10年ぐらい続けている幻冬舎社長の見城徹さんがいます。それ以前の何年かは委員をしていました。本来第三者の立場で番組をチェックすべきですが、安倍首相とかなり近い関係にあり、早河―安倍の関係を取り持ったのも見城氏だと言われています。
 テレビ朝日の株を3万株以上持っていると、株主総会で議案を提出できます。最初は50人ぐらいが集まって株を買いました。
 2015年から2016年にかけて高市総務大臣が国会で「一つの番組でも放送法に抵触する場合がある」とか「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、電波停止を命ずる可能性もある」と、放送法第4条の政治的公正を逆手にとって停波に言及したりしていました。高市さんの行動の背後に官邸の動きがあったことが後に立憲民主党の小西議員によって明らかになっています。そういう圧力をもろに受けていたのがテレビ朝日だったということでもあります。
 株式提案は定款変更の形をとるので、去年6月に初めての提案をしました。見城氏の存在が問題だとして、審議会委員の任期を設けるなども盛り込みました。もちろんすべての提案は却下されたけれど、我々のようなグループが株主総会でそれを指摘するというのは、ある程度テレビ朝日の姿勢を変えさせる効果があったのではないかと思っています。今年も同じように株主提案をしました。フジテレビ事件に関連して、女性の登用を求める提案もしています。フジテレビ事件では女性の地位がないがしろにされていたことが明らかになりました。早河さんは民放連会長になっていますから、そう言う意味での影響も考慮しました。
 早河さんは株主総会で「テレビ朝日ホールディングスは利益を上げている」と強調していたけれど、放送事業というのは国民の所有物である電波を使って事業をするわけだから、単に利益をあげて株主の配当を増やせばいいいいというものではないですね。公の器として憲法で求められている報道の役割を果たす使命があるはずで、利益を生まなくてもやるべきことはやることが必要です。とくに政治権力に忖度するようなことはすべきでない。こういうことを引き続き求めていきたいと思っています。少なくとも来年もやるつもりです。

政治教育の重要さと「ゆとり教育」の挫折

 今年の株主総会では、SNSでデマが猛スピードで拡散され、それが選挙の投票行動まで影響していることを受け、SNS上の情報についてきちんとファクトチェックをすることを定款に書き込むとことも提案しました。
 SNSのきわめて断片的な情報が投票行動に影響を与えている。とくに若い人たちですね。国民民主党や参政党はそれを熟知し、利用して若い人の票を多く集めた。もっとも、若者はテレビも見ないという問題はありますが、極右政党の参政党引きつけられる若者が増えてきたのは非常に危ないと思います。
 その裏には若者たちが失われた30年の間に、不安感や被害者意識をため込んでいるという事情があります。私たち年配者は日本の高度成長時代に青春時代を過ごしてきて、「今日よりは明日はよくなる」みたいな気持ちが社会全体にあった。今の低賃金とか物価高騰とかは明らかにアベノミクスの後遺症、後遺症というよりもアベノミクスはもともとそういうことを目的にしていた経済金融政策だったと思うけれど、本来責任のある方向に批判の矛先が向けられずに、外国人が悪いんだというような筋違いのところに話を持って行ってしまっている。
 その根底には戦後教育の問題があると思います。昔、森喜朗さんが選挙の時は寝ていてくれた方がいいと言ったけれど、主権者としての自覚を持たない国民が多ければ多いほど為政者には都合がいい。戦後の保守政治は主権者教育にきわめて消極的だったけれど、当時は教職員組合が強く、保守政治と対峙、民主教育、人権教育、平和教育を進めようとしていたんですよね。
 私は長い間、文部科学省にいましたが、民主教育とか平和教育とかは、反政府的、反権力的な動きであって、警戒すべくものなんだ、平和教育とか人権教育というのはあまりあらせない方がいいんだという感覚があったのは確かですね。それは文科省自らが持っているものではなく、その上にいる保守政治の考え方が文科省内部にも浸透していたんです。
 1969年に文部省が高等学校に対して出した通知に「高校生はまだ未熟だから政治活動をさせるな」というのがありました。2015年にその通知を上書きするような通知を出しています。同年に18歳以上に選挙権が与えられましたから、高校生は未熟だから政治活動させるな、とは言えなくなったわけです。
 そこで、有権者になるために必要な政治教育は高校でもやる必要がある、高校生の政治活動は原則自由であると言っています。三権分立や地方自治などの政治の仕組みばかりでなく、現実の政治的事象も取り上げなさいとも言っており、文部科学省が出した通知としては異色と言ってもいい。しかし、そのあとに、「教師は政治的中立性を守れ」と言っているのが問題です。教師は授業で自分の主義主張を述べてはならない、学校内外を問わず生徒に不用意に影響を与えないように、と。ここまで言うのはおかしいと思います。教師がSNSで自分の政治的見解を表明するという憲法の表現の自由そのものを否定しているわけです。
 私がまだ文部科学省にいた時に出た通知なので、他人事みたいに評論するのはおかしいのですが(^o^)、中立という言葉を権力者側が使う場合には「権力を批判するな」、「権力を批判するような教育を行うな」ということになる。これは放送法の政治的公正ということを権力者側が使うとき、権力批判を封じる言葉として使われるのと同じです。教育の中立性も教育に携わる者が自らを律する、自立する規範として考えるべきで、権力を握っている側が、お前のやっていることは中立性を逸脱しているからけしからんというふうに使うのは問題です。
 私は政治的中立性に関してはドイツの「ボイテルスバッハコンセンサス」が日本でも有用だと思います。1976年に当時の西ドイツで政治教育に携わる教師や大学人がボイテルスバッハという町に集まって作ったガイドラインで、政府や政府のつくった審議会がつくったものではなく、3つの原則からなっています。

圧倒の禁止の原則:教師自身が望ましいと思う見解はあるだろうが、それを生徒に押し付けてはいけない。自分の見解を述べてはいけないとは言っていない。述べてもいいけれど、それが絶対に正しいと言って、生徒を圧倒してはいけない。
論争性の原則:政治の場でも学問の場でも論争があるものは論争があるということをちゃんと生徒に伝えなさい。だから論争あるものは論争があることを生徒に伝えなさい、その中で生徒たちが考える。
生徒志向の原則:生徒自身が自分の問題として自分の見解を形成することをうながすように。

 政治教育のガイドラインとしては、非常に優れたものだと思います。
 先の通知の話に戻ると、通知には法的拘束力はなく、単なる指導にすぎません。教師は自分の見解を述べてはいけないという法律はないので、だから私は先生に会ったときは「こんな通知は無視していいですよ」と言っているわけです(^o^)。
 文科省の通知の誤りは「生徒は教師に影響される」と考えていることですね。教師が右向けと言ったら、生徒は右を向くと。その前提に立って、教師に影響力があるから、意見を言うなと言っているわけで、その生徒像に根本的問題がある。教師がなんと言おうと、生徒は自分の考えを自分でつくりあげないといけない。教師の言いなりになるような生徒を育ててはいけない。そうやって18歳の有権者になるべきなんです。
 若者たちにもそうやって考え続ける姿勢があれば、参政党はやっぱりおかしいんじゃないかと気づく人も当然出てくる。これまで保守政治のもとでは、政治的に覚醒しない人間を育てた方がいいのだという方針のもとに育てられた人が多い。触らぬ神に祟りなし、ちょっとでも政治的なことを授業でやると偏向教育と言われかねない、といまは教師たちも委縮している。政治的中立性=政治教育はしない。という態度に追い込んでいるわけです。
 新採用の若い先生が国政選挙があったとき、校長に「私は選挙で投票してもいいんですか」と聞いたという話があります。政治的中立性が求められているのなら、自分の意志を投票で表すのもいけないんじゃないかと。そんなふうに思うような若い先生がいるんですね。これは恐るべきことだと思いました。教師になろうとする人が勉強している大学教育の段階から、いかに政治教育が大事なのかということを教えるべきではないかと思います。
 このことと「ゆとり教育」はどう関係するかだけれど、ゆとり教育は政治的意味と教育的意味で二義的な言葉だと思う。私たちが文科省の役人として進めようとしていたゆとり教育の最終目標は「自分で考える人間を育てる教育」で、その反対は詰め込み教育です。詰め込み教育というのは、あらかじめ正解とされる答えを子どもたちに詰め込んで、子どもたちはそれを覚える教育です。そうではなく、何が答えかを子どもたちが自分で考える、自ら学び、自ら考える力を育てるということを言っていたけれど、それは生涯学習社会における学校教育の使命であると考えていた。学ぶこと自体は学校の中だけに限られるわけではなく、学校の外でも学ぶことができる力を学校でつけるのだと。学校は知識を詰め込むのではなく、知識を獲得する力を育てる。
 だから都道府県名をすべて暗記させるのではなく、むしろ地図帳を使いこなすことを教えるということをした。これがバッシングを受けて、ゆとり教育は日本の子どもたちの学力を低下させたという根拠のない非難を受けました。脱ゆとり教育ということで、いま47都道府県の名前を覚えさせるようになっています(^o^)。
 自ら考えるという意味でのゆとり教育を再評価し、またそちらに動くべきだと思っています。いま行われている学習指導要領は、私の見るところ、ゆとり教育に戻ろうとしている面があります。
 政治的なゆとり教育には別の文脈があって、今でも影響力を持っている森喜朗氏ら自民党文教族に根強い考え方です。2000年から2001年の森内閣以降、文部科学大臣は自民党内最右翼と言っていい森派(安倍派)の人が非常に多い。統一教会に関係が深いし、裏金問題の中心でもあります。
 森さんを中心とする文教族が考えていたゆとり教育とは何か。彼らには知育偏重という現状認識があった。知育、徳育、体育の知育の比重を減らし、徳育、体育を増やすというのが森流ゆとり教育で、彼らは知育を軽視する考え方だった。森さんは知、徳、体ではなく、体、徳、知だと言っていた。道徳と言っても教育勅語に戻るようなことを言っているわけだから、森さんのゆとり教育はたしかに知育軽視だった。文科省が中教審などで議論してやっていたのは、そういう知育軽視ではなくて、本当の意味の知育はどうあるべきか、それこそが主体性のある選挙民を育てることにもなるはずで、断片的なSNS情報に踊らされることもないはずだったわけです。

学術会議報道に見るメディアのリテラシー欠如

 最後に学術会議問題です。権力を握っている人たちは、物事を考える人が少なければ少ないほどいいということですね。政権に役に立たない学問はない方がいい、と。中国・秦の始皇帝の焚書坑儒以来、古今東西、権力者は学問を弾圧してきた。それが日本でも露骨に表れてきたのだと思います。
 学術会議問題は菅政権下で6人の学者の任命拒否として表ざたになりましたが、安倍政権のころから始まっていた。この任命拒否に関しては、さまざまな分野から異論が上がりました。ドイツ・ナチス時代の牧師、ニーメラーの悔恨(注)の言葉を引きながら、これは学問の世界に限らない、いずれ全ての人々の自由を脅かす一歩になるだろうと。これについては、メディアもそれなりに報道したと思うけれど、6人の任命拒否問題は今も解決していません。
 そもそも日本学術会議法(すでに廃止)は、会員の選考は学術会議自身がすることになっていました。内閣総理大臣はその推薦に基づいて任命すると。「基づいて」という法律用語は「その通りに」という意味で、すなわち推薦されたとおりに任命することになっていた。今回、学術会議が決めた6人を任命しなかったわけだから、これは越権行為(拒否できないものを拒否したから法律違反)です。今年の通常国会で学術会議法そのものが廃止されて、特殊法人としての学術会議をつくるという別の法律ができました。名前は同じだけれど、まったく別の法律ができた。
 この学術会議法人化案は自民党内で早くから出ていたが、この法案に対するメディアの対応は非常に鈍かったと思う。もっと早くから警鐘を鳴らし、この法案の本質を国民に知らせるべきだったのに、まったくその動きがなかった。法人化案が政府の中で方向づけられたのは去年の12月です。その時点でもメディアが警鐘を鳴らすべきだったのに、ほとんど行われませんでした。法人化案が国会に提出され、あれよ、あれよというままに成立したけれど、法案提出後の報道も弱かったと思う。法人化案に反対する動きがあり、私自身もそこに加わっていたけれど、この報道もあまりされなかった。
 とくにNHKの報道はひどかった。「政府から独立した法人」という言葉尻を取って、「日本学術会議を政府から独立した法人にする法案だ」という言い方をしました。「政府から独立した」という文言は必ずしも間違いでないとしても、実質的な意味はまるで逆です。かつての学術会議は政府の機関ではあるけれど、政権からは完全に独立していた、独立を保障された政府機関だったわけですね。新しい学術会議は特殊法人として政府から切り離された法人であるけれど、政府の支配権が縦横に盛り込まれている。いろんな形で政府がコントロールできる仕掛けがあって、とても政府から独立した機関とは言えない。本来の独立性は従来の学術会議の方が持っていた。だから、今後は任命拒否問題なんて起きるはずがない。初めから政府の意向に反するような人は任命されないことになるでしょうから。あたかも独立性が高まったかのように政府側は説明し、それを鵜呑みにして報道することが広く行われた。要するに取材していた記者たちのリテラシーがきわめて低かったと思う。
 学術会議法人化法についてメディアが問題点を指摘できなかったのは、結局、記者たちが不勉強だったからです。学術会議の報道については非常に不満を持ちました。それが学者たちだけの問題ではないんだということに対してもメディアの人は十分気づいていなかったのではないか。学術会議の独立性を高めるのだという説明にまんまと乗ってしまったと私は思います

 注:ニーメラーの悔恨 ナチスが共産主義者を襲ったとき、私は少し不安になったけれど、私は共産主義者でなかったので何もしなかった。ナチスが社会主義者を攻撃した時、私の不安はやや増大したけれど、私は社会主義者ではなかったので、やはり何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ人がと次々に攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なお何もしなかった。それからナチスは教会を攻撃した。そして自分はまさに教会の人間だったので何らかの行動を起こしたが、そのときはすでに手遅れだった(政治学者、丸山真男が「現代における人間と政治」(1961)で紹介して有名になった)。

「面従腹背」の官僚生活とその個人的総括

 (前川さんの個人的お考えと文科省が進めた政策との間には齟齬があった、さらには文部省が進めたかった政策と自民党文教族の思惑との間にも齟齬があったということだったと思いますが、その中で前川さんは官僚のトップである事務次官までおなりになったわけですね。その間の前川さんの心情というかディレンマというものについてお聞きしてもいいですか) 大学を出て文部省に入る時から、自分の個人的価値観や思想信条と文部省の組織としての考え方に齟齬があるのはわかっていたんですよね。だから文部省に入ったときから「面従腹背」を繰り返してきた。面従腹背が習い性になるというか、常態化しているので、それほど苦痛には思わずにやってきた(^o^)。組織の中でやらされた仕事は、それなりにやっていたわけです。
 たとえば2006年の教育基本法改正のとき私は大臣官房総務課長で、法案成立のための根回しをする役でした。内心ではまったく改正すべきでないと思っていたので、自らの思想信条とは真逆のことをせざるを得ないことがたくさんありました。ただ自分に与えられた裁量の部分では、それなりに工夫していました。初等中等教育局長になった時、大臣は下村博文さん(第二次安倍内閣最初の文部大臣)で、しかも3年近くやった。道徳の教科化というのは下村さんが実現させたようなものです。
 道徳というのは憲法19条にあるように、一人ひとりの心の中にしかないもので、思想信条の自由として保障されなくてはならない。日本人の道徳はこれであるというようなことを国が決めて、それを学校教育を通じて子どもたちに刷り込んでいくなんて、私は憲法違反であると思っています。
 私は学習指導要領はあっていいけれど、道徳は作ってはいけないと思っています。道徳は個々の人間の心の中に任されているものであって、これが日本人の最大公約数としての道徳だなどということはつくってはいけない。戦前はそれを国がつくっていたわけですね。それが教育勅語で、現代版の教育勅語に当たるものは小中学校の学習指導要領の道徳編だと思います。これが最初に作られたのは1958年、岸内閣のときで、道徳の時間というのがつくられた。しかし当時は教育現場の力が強かったから、現場でそれを握りつぶすことができた。いまは組合がきわめて弱体化しています。
 下村さんは教育勅語に関しても重要な転回点になる国会答弁をしています。2014年の4月、参院の文教科学委員会で「教育勅語を学校の教材として使うべきではないか」という自民党議員の質問に対して、私は大臣にこう答えろと言われました。「教育勅語には現在でも通用する普遍的な内容が含まれているので、それに着目して、学校の教材として使うことは差し支えない」。これは完全に私の内心の価値観と矛盾するので、たいへん困りました。それでちょっと言葉を濁すような答弁をした。それが私のせめてもの抵抗。「普遍的な」、「差し支えない」という言葉は使わなかったけれど、「教育勅語には現在でも通用する内容があるので、‣‣‣使うことも考えられる」というところまでは、言っちゃったんですね。
 これは私の一生の汚点なんですけれど、下村さんは私の答弁では不十分だと考えて、大臣が自ら答弁して、私の答弁は上書きされた形で記録されています。「教育勅語は現在の学校でも使えますよ」なんていう答弁はまったくやりたくない答弁で、実に嫌だったですね。それでもなぜ反抗しないでいたのか、ということですが、反抗すれば結局飛ばされるだけなんですね。飛ばされるよりは、私がそのポストにとどまっている方が、まだましだろうと。徹底的に反抗はせずに、面従腹背していたんで、それで事務次官までなっちゃったわけです(^o^)。
 もう1つ、下村さんが文部大臣時代に困ったなあということがありました。八重山教科書採択問題で、中学校の公民の教科書。沖縄の八重山地方(郡)の教科書採択で3つの自治体、石垣市、竹富町、與邦国町で採用する教科書が別になった。自衛隊誘致派の首長の石垣、與邦国は「新しい歴史教科書をつくる会」編纂の育鵬社のものを採用、そうでない竹富町は別の東京書籍の教科書を採用、当時は同一地方内で別々の教科書は採用できなかったためにひと悶着あり、民主党政権下で一応、別々に採用することで決着がつきました。
 自民党の下村大臣に移ってからこの問題が蒸し返された。協議会の多数決に従うべきで竹富町の採択は間違い、竹富町は育鵬社のものを採用すべきだと、局長の私に説得しろと言ってきた。しかしいくら指導しても竹富町は方針を変えない。私が指導するふりだけしているので、変えないわけですよ(^o^)。そこで業を煮やした下村大臣は、私に竹富町に対してに地方自治法に基づく是正要求をするように要請しました。そこで、裏では「こんなのに従わなくていいですからね」と言いながら。ここはまさに「面従腹背」してたわけです。そのころ並行して教科書採択の制度改正を進めており、そこに郡単位で共同採択するとの文言を外すことにして一件落着するのですが、法改正には国会の賛成が必要ですから、面従腹背にもいろいろ苦労がありました。しかし、私の面従腹背で一番成功したのはこれです(^o^)。
 (前川さんが心を許せる仲間は文科省にはどれぐらいいましたか) 八重山教科書問題のときには教科書課ぐるみで私と共同歩調をとってくれまた。部下に下村さんと通じている人間がいたら、私はとっくに首になっていましたよ。大臣を欺くのはあまり苦痛でないけれど、国会を欺いたのには苦痛を感じています。できるだけ早い段階で「あれは嘘でした」と言わなくちゃいけないなと思っていましたが、その機会は意外に早く来ました。国会まで欺いては、ほんとはいけないんですよね。でも欺かないと、多数を握っている自民党の賛成は得られなかったんですねえ。
 文科省で最後にいい仕事ができたのは夜間中学に対する文科省の姿勢が180度変わったことです。応援しようとする若い職員がいたし、今ももいます。文科省をやめたあと、加計学園問題で安倍政権を批判する言動をするようになってからは、とくに課長以上の幹部は寄りつかなくなりました。前川とつながっていると思われると危なくなるわけですよ。私と同じ気持ちを持っている人でも、「やっぱり前川さんには近づかない方がいい」と。安倍政権のもとで偉くなるには、とにかく官邸から気にいられないと無理ですから。

<ジャーナリズム再生の根っこは教育>ジャーナリズムは金儲けが第一の事業ではないということを当事者が自覚することが大事だと思うけれど、根っこの根っこには教育の問題がありますね。1つは情報リテラシー教育。一方で主権者としての意識をきちんともつ主権者教育、合わせて憲法の価値をしっかりと身につけさせる人権教育や平和教育。その中からジャーナリズムは育っていく。ジャーナリストも育っていくのだと思います。
 学校でも若い先生がすごく心配だけれど、ジャーナリズムの世界でも、若い記者たちがすごくひ弱に見えます。権力に従順な子どもを育てる教育を何十年も続けてきた因果応報というか。もっと権力を疑う、権力者を疑う、そういう面を育てないといけないですね。どこから始めていいかわからないけれど、大本は教育やそのための教員養成かなと。いまの保守政権のもとではなかなか実現できないが、市長が変れば教育長も変わる。教育委員会が変れば学校を変えていくこともできる。文部科学省も政治のもとで仕事をしているわけですから、政治が変れば教育行政も変わる。安倍派が君臨するようではダメですね。

 ◇

 安倍政権下2014~2016年のマスメディア攻撃 <ジャーナリズムを探して>⑥渡辺周さんの回で、朝日新聞「崩壊」の節目が2014年だったことに触れたけれど、2014年から2016年は安倍政権による執拗なメディア攻撃が繰り返された年だった。前川さんの前半の話とも関連するが、本企画<ジャーナリズムを探して>としても、きちんと記録しておくべきだと思うので、以下に少し長くなるが、この間、テレビ会社にかけられた政権の圧力を整理しておく。

[2014]
 
2014/1/25 新任のNHK籾井勝人会長が就任記者会見で、領土問題に関して「政府が『右』と言うものを『左』と言うわけにはいかない。政府と懸け離れたものであってはならない」と述べた。前年の2013年11月には作家の百田尚樹氏らがNHK経営委員に任命されている。
 2014/3/21 安倍首相、フジテレビのバラエティ番組「笑っていいとも!」に出演。
 2014/7/1 安倍政権は、これまで憲法解釈で認められなかった集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行った。 
 2014/9/11 朝日新間の本村伊量社長が記者会見し、原発事故のいわゆる「吉田調書」の記事の取り消しを発表して謝罪、あわせていわゆる慰安婦問題の「吉田証言」に関する誤報についても誤報の訂正が遅れたことを謝罪した。
 2014/11/18 安倍首相がTBSの「ニュース23」に出演中、街頭インタビューの視聴者の声がアベノミクス批判ばかりだとして、「おかしいじゃないですか」と発言。
 2014/11/20 自民党が「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」という文書(萩生田光一副幹事長などの名)を在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛に出す。①出演者の発言回数と時間の公平を期すること、②ゲスト出演者等の選定も公平、公正を期する、③テーマについて特定の立場からの意見の集中がないようにする、④街角インタビュー、資料映像等で一方的な意見に偏る、特定の立場が強調されないようにする、など番組制作の細部に介入するものだった。 
 2014/11/21 衆院解散。12/14投票、自公両党で議員総数の3分の2を確保。
[2015]
 2015/3/27 テレビ朝日「報道ステーション」降版に際し、コメンテイターの古賀茂明氏がI am not ABE のフリップを掲げる。同氏は1月13日の段階で中東政策に関する政権批判として、日本国民は世界に向けてI am not ABEであると主張すべきだとの発言をしていた。
 2015/5/12 高市総務相が参議院総務委員会で「一つの番組でも放送法に抵触する場合がある」と答弁。
 2015/9/19 安倍政権が安全保障関連法を強行成立させる。
 2015/11/14~15 読売新聞、産経新間の両紙に、TBS「ニュース」岸井成格キャスターの番組内での発言が放送法第4条に違反していると名指しで批判する意見広告(市民団体名)が掲載された。
[2016]
 2016/2/8 高市総務相が衆議院予算員会で、「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、電波停止を命ずる可能性もある」と答弁。
 2016/2/12 総務省が「政治的公平性の解釈について」政府統一見解を出す。「一つの番組のみでも、たとえば、①選挙期間中又はそれに近接する期間において、殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合。②国論を二分するような政治課題について、放送事業者が、一方の政治的見解を取り上げず、殊更に、他の政治的見解のみを取り上げて、それを支持する内容を相当の時間にわたりくり返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合 といった極端な場合においては、一般論として『政治的に公平であること』を確保しているとは認められない」。総務省ではこの見解を「『番組全体を見て判断する』というこれまでの解釈を補充的に説明、より明確にしたもの」と説明した。

 安倍政権は結局、民主主義制度に埋め込まれていたチェック(バランス)機能を、官僚組織のトップに仲間を送り込んだり、マスメディアを力づくでねじ伏せたりして弱体化した上で自らの政策を実現した。集団的自衛権の閣議決定が憲法学者によって「上からのクーデター」と言われた理由である。
 上の年表はサイバー燈台の<折々メール閑話㉗メディアの根底を突き崩した安倍政権(『山本太郎が日本を救う・第2集』所収、アマゾンで発売中)>から援用したものだが、2016年3月末をもって、NHK「クローズアップ現代」、TBS「ニュース」、テレビ朝日「報道ステーション」のメインキヤスター、国谷裕子、岸井成格、古舘伊知郎の3氏がほぼ同時に降板している。安倍政権としては大いなる成果であり、メディア側から言えば、まさに無残な敗北であった。この間の動きはきちんと総括すべきだと思うが、それにしても、あっけないマスメディアの黄昏だった。金平茂紀『抗うニュースキャスター』(かもがわ出版)は、「日本のテレビ放送史上、デイリーの報道番組のメインキヤスターが3人同時期に降板した例はこれまでない」と記している。
 この間の出来事に官邸の意向が強く反映していたことを、立憲民主党の小西洋之議員が2023年3月に参議院予算委員会で古い記録を示しながら明らかにしている。そのときネット上で雑誌『創』のバックナンバー(2016年8月号)が再掲されたが、そこでの岸井さんの発言を紹介しておこう。

 安保法制と原発に関して批判的な報道をすることは許さんと、そういう基本方針が政府にはあったし、今もそれはあるんじゃないかと思っています。私が先輩から受け継いだジャーナリズムの基本というのは「権力は必ず腐敗し、時に暴走する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」ということです。これを見誤ってしまうと、後々になって取り返しのつかないことになる。そういうことを、我が国は経験してきている。しかもその中に、メディアは積極的に参加してきてしまっているんです。これだけは二度と繰り返してはならないということは、メディアの使命だと思うんですね。ですから、権力の腐敗とか暴走というものに、どうやってブレーキをかけるか、つまり権力の監視役というのがどれだけできているのか、ということがメディアやジャーナリズムにとっての生命線なんです。これが、だんだん崩れているというのが今の状況です。

 だからこそ「テレビ輝け!ネットワークの活動の意味は大きいと言える。
 ところでゆとり教育は学習指導要領のもとに1980年から2010年までの30年間実施されたが、ほどなくして社会はパソコン、インターネット普及の波に巻き込まれ、子どもたちの間にもケータイ、スマホが普及するようになった。これは私見だが、「詰め込み」から「ゆとり」へ向かう子どもたちの貴重な時間が、ものを考えるとはまるで逆の方向に費やされたのは歴史の皮肉のように思われる。

講座<ジャーナリズムを探して>⑨

◎第91回(2025.8.12)
 武田剛さん【屋久島ポスト、ここにあり。人口1万1000人の小さな島の行政にペンとカメラで目を光らせ、地域発展につくしたいと今日も頑張っています】

  1967年生まれ。 1992年に朝日新聞入社。富山支局、東京本社写真部、同デスク、編集委員などを歴任。2003年末から1年4カ月、第45次南極観測隊に同行取材。2012年に朝日新聞を早期退職、2021年に住民有志と市民メディア「屋久島ポスト」を立ち上げ、行政監視の調査報道を続けている。著書に「南極 国境のない大陸」(朝日新聞社)、「もうひとつの屋久島から」(フレーベル館)など。北極取材をまとめた「地球最北に生きる日本人」(同)で第53回児童福祉文化賞、第57回産経児童出版文化賞を受賞。
屋久島ポスト http://blog.livedoor.jp/yakushima_post/

 武田剛さんはカメラマンとして朝日新聞に就職したが、支局で記者修業も終え、写真部時代も自ら企画し記事も書くという、記者とカメラマンの「二刀流」で活躍してきた。2001年から内戦終結後のアフガニスタンやイラク戦争を取材。大学山岳部で多くの国内外の山に登った縁だったかどうか、2003年末から第45次南極観測隊に同行して昭和基地で越冬取材。帰国後、地球温暖化をテーマにグリーンランド、ヒマラヤ、北極圏カナダなどを取材した。
 人生後半は好きな自然に囲まれて自由な取材をしたいと、朝日新聞を2012年に早期退職、世界自然遺産の屋久島に家族とともに移住した。2015年から鹿児島放送や南日本新聞、朝日新聞などの委託記者として、縄文杉や自然に生きる動物の生態などを出稿していたが、しだいに町役場や町議会などにも足を向けるようになり、ついには町の不正を糾弾する市民メディア、「屋久島ポスト」を創刊するに至る。詳しい業績はウエブにつぶさに報告されている。屋久島ポストは、さわやかな山男の、豪放でおおらかな気性が支える地域メディアと言って良さそうである。お兄さん、頑張ってるねえ。いや、おじさんかな(以下、武田さんの話。()内はメンバーの発言や感想)。

 屋久島の人口は1万1000人強。6400世帯です。屋久島で取材していると、いろいろ不穏な情報が入ってくるようになりました。2018年には山海留学生への体罰問題が起こり、児童の親が町や里親を訴えました。2019年には屋久島入山協力金の横領問題について、日本自然保護協会の機関誌「自然保護」に原稿を書きました。年間6000万円の協力金の約半分、3000万円を職員が横領していました。町は本人の責任だと言うばかりで、責任を取りません。
 そのうち屋久島町長が、格安航空券を利用しながら正規運賃を請求して差額を横領していることがわかりました。被害金額は2019年までの4年間で90回、200万円に上ります。これらはもともと噂話として広がり、それが仲間を通して耳に入ってきます。この話を南日本新聞も書いてくれ、否定していた町長も最終的に着服を認めました。議会幹部なども同じようなことをしているのではないかと取材したら、副町長や議長が実費より高額な航空運賃が記載された虚偽の領収書で不正清算していたことがわかりました。同じようなことが一般職員まで広がっており、次々事実が明るみになりましたが、そのうちマスコミはトーンダウンしてきます。町長、副町長ならニュースバリューがあるけれど、一般職員じゃ記事にならないわけですね。これからが本番というところで、何故書かなくなるのか。マスコミが取材しないなら、自分たちで取材しようということに仲間内で話は進みました。
 私は、当時はまだマスメディアでも取材していたので、正直悩みましたが、結局、2021年に屋久島ポストを立ち上げることになりました。共同代表が大阪から郷里に帰ってきたKさんと私、後は地元の4人です。4人はもっぱら噂の収集人、長年の付き合いを通して貴重な情報を集めてくれます。
 報道した例をいくつか上げますと、口永良部島での不正工事。資料の開示請求などをして、完成しない工事を完成していたことにして国の補助金を詐取していたことを明らかにしました。住民訴訟を起こし、最高裁で町長に135万円の賠償責任が認められ、信じられない成果を上げました。不正調査をした厚労省からは、屋久島ポストの報道で役場や議会の様子がよくわかり、とても助かったとお礼を言われました。
 小さなメディアでもしっかりした情報を出していけば意味があること確認したわけです。町長交際費問題の取材では、国会議員などに焼酎など特産品が贈られていたことが判明し、その後、町は国会議員への贈答をやめました。町議が所有アパートの廃材を不法投棄していた事件や町営牧場で職員が過労死した事件もあります。ほとんど取材されたことのない地域社会に取材する人間が入ると町はどう変わるか、の社会実験をしている感じですね。不自然な金の使い方や過酷な働かせ方などを告発したわけです。市民メディア、議員、住民有志の連携で成果を上げ、3年余で900本の記事を配信してきました。
 情報発信は無料のライブドアブログを使っています。無料でどこまでやれるのかを試しつつやっている状態ですが、将来的には自前メディアを立ち上げたいと思っています。
 その間、ネットで誹謗中傷されたり、島から出ていけと言われたり、名指しして「人間性に問題あり」などと言われたこともあります。取材拒否や妨害もありました。町議会には「日本新聞協会会員社、日本民間放送連盟加盟社および専門新聞協会加盟社以外」の取材は受けないと言われたり、契約していたテレビ局(鹿児島放送)に圧力をかけられたり、議長ら議会幹部が「面談」と称して契約新聞社などに圧力をかけたり、意に添わない記事の訂正を要求されたり‣‣‣。
 しかし、しだいに小さなメディアが一つ存在するだけで、町がいい方向に向かっていくきっかけになるんだということもわかってきました。小さな地域社会ゆえのしがらみがあり、多くの町民は表立っては応援してくれませんが、それでも定期的にカンパしてくれる人も現れるようになりました。
 他市からも取材依頼が来るようになり、2025年3月に鹿児島ポストも作りました。鹿児島市内の100世帯入るマンションで管理人がマスターキーで女性宅に入り下着を物色していた事件や垂水(たるみず)市の児童施設の更衣室で職員が盗撮していた事件を報道しています。後者では20年から24年にかけて、はっきりしただけで児童10人が被害にあっていました。南日本新聞でも記事にしてもらいましたが、大隅地区の児童施設と固有名詞が明らかにされなかったせいか、垂水市は報告も謝罪もしていません。南日本新聞とテレビ1社をのぞき、他のマスコミは報じていません。マスコミは大きな見出しが立つような事件じゃないと書かないので、こういうところに。地域メディアの意味があると思っています。
 機能不全に陥った町政が一向に改善されない要因としては、町長派が圧倒的多数を占める町議会がまったく機能していないことがありますね。屋久島ポストの取り組みは、住民自身が行政監視をする「草の根メディア」のモデルケースになり得るのではないでしょうか。

 今は副業で本体の取材費を捻出する状態です

 (読者はどのくらいいますか) 百数十人から七百人くらいでしょうか。多い時は3000ページビュー(ウエブを閲覧した回数)くらいあります。記事を更新すると高くなりますね。コアの読者が読んでくれればいいと思ってやっています。
 (活動を支える費用は?) 最初は大手メディと契約していたのでよかったけれど、なかなか厳しいです。寄付は月に1万円ぐらい。賞をもらったり、講演したり、報告を書いたりする副収入で何とかやっています。共感は得られるけれど、親身になって活動を支援してくれる人は少ないですね。クラウドファンディングもやってみたけれど、これも芳しくありませんでした。財政的には難しいということを実感しつつあります(^o^)。屋久島ポストや鹿児島ポストで取材してきたことを他のメディアで書いて原稿料をもらうとか、いずれ体験記をまとめて本にするとか、本体ではないところで収入を得てこれを本体の取材に当てていく感じです。
 (武田さんは朝日新聞で取材のノウハウを培ってきたわけだけれど、記者の素質ということはどう考えていますか) 本来なら記者を育てていく必要があるけれど、身の回りが忙しくて手が回らない。地元でこの種のメディアをやりたいと思っている人はけっこういると思うが、どうしていいかわからない。一人でも記者経験者などのアドバイザーがいれば、メディアはできると思います。地域メディア同士でいろんな問題を持ち寄って議論したり、相談したりできるネットワークをつくろうという運動も始まっています。取材の方法を間違えると、名誉毀損や誹謗中傷、さらには政争の具に使われる危険性もあるので、市民記者をまとめる取材経験者の支援が必要不可欠だとも思います。
 (町民の反応は?) 現職町長のネガティブな情報ばかり出していたので、町長派の住民が怒り、町長の対抗馬のためにやっているのだと言われたこともあります。(取材に対する当局の反応は?) 鹿児島県警、検察庁、裁判所などは記者クラブに加盟していないということで取材を拒否されています。報道機関であるかどうかではなく、記者クラブに加盟しているかどうかが問題とされる。しかしちゃんと説明すると、鹿児島県庁も他の市町村も取材を受けてくれます。朝日時代は朝日の名刺1枚ですぐ取材を受けてもらえたけれど‣‣‣。でもいまはメディアもが多様化しているので、わりときちんと対応してもらえていると思います。
 (垂水市の件をなぜ全国紙は報道しないのか) 最終的に50人の児童が被害にあった可能性があるのに、なぜマスコミは書かないのかと思いますね。マスコミが報道しないと真剣に対応してもらえないということはありますね。小さな地域の問題をコンスタントに報道するのは難しい面もあると思いますが、地元の人は裏切られたと感じるんですね。マスコミは頼りにならないと。われわれのような地域メディアとマスコミの双方で記事を取り上げればいいのではないかと思っています。
 (ウエブ発信だけで情報は町民にどれだけ届いていると思いますか。金の問題もあるだろうけれど、ウイクリーでもマンスリーでも、ペラ1枚の紙を時々配布するというアイデアはどうですか) なるほど。今は年寄りもスマホは持っており、コアの人も少しずつ増えていると思っています。

<私にとってのジャーナリズム>屋久島ポストは小さな地域メディアですが、それでも町当局に「見られている」という意識が働くことが一つの抑止力になると思っています。
 その原点は2004年の南極取材です。昭和基地に大量の廃棄物が残されていましたが、観測隊を派遣する国立極地研究所は、過去の隊が残した廃棄物を片付けるつもりは微塵もなく、私が写真の記事を出したところ、南極観測を所管する文科省を含めて大変な騒ぎになりました。私は昭和基地でのけ者にされ、帰りの南極観測船「しらせ」でも「針の筵」状態でした。3年後に国立極地研究所を訪ねると、廃棄物処理の担当者から「記事が出たあと昭和基地の廃棄物を運び出すプロジェクトが始まった」と聞かされました。「廃棄物問題で日本は各国から出遅れていたので、記事で書いてもらって助かりました」とお礼まで。あの時に書いていなければ、今でも昭和基地には大量の廃棄物が残されていたことでしょう。
 その経験があるので、屋久島町の諸問題に直面しても、私は見て見ぬふりをすることなく、取材を続けることができています。

 地域を拠点にしたメディアが続々誕生 屋久島ポストのような、地域を拠点にした小さなメディアとしては、ほかにもNews Kochi(高知)、ニュース「奈良の声」WATCHDOG(ウオッチ大津&ウオッチ滋賀&ウオッチ霞が関)などがある。メディア研究の専門家らが集う日本メディア学会は2023年の時点でこれらの地域メディアを「ハイパーローカル・ジャーナリズム」と位置づけるワークショップを行い、そこに武田さんも参加している。既存新聞の衰退とともに、地方の取材網が縮小している今、地域のジャーナリズムを担う新しい主体として、これらのメディアが注目されているようだ。強みはローカルであり、かつグローバル、世界との連携も可能なことである。
 小さなメディアをハブとしてまとめ、既存マスメディアの記者の受け皿、若いジャーナリストの教育、法律面あるいは財政的なサポートなども行う組織ができると、IT社会のジャーナリズム再生への希望ともなりそうである。
 これらの事例については、これからも何人かに話を聞く予定だが、とりあえずここでは、日本の地域新聞の元祖とも言うべき、むのたけじ(武野武治)さんの「たいまつ」を紹介しておこう。
 話は少し古いが、やはり朝日新聞記者だったむのさんが敗戦後に故郷の秋田県横田町(現在は市)に戻って立ち上げたのが週刊新聞「たいまつ」である。1948年2月2日に第1号が発刊された。むのさんは当時33歳。タブロイド判2ページ(活字印刷)で、当初の値段は3円だった。読者はほとんど地域住民だったから、農村問題、教育問題、地域文化など地元の問題を積極的に取り上げたが、国内問題や国際問題にまで射程を広げ、地方から中央を、さらには世界を撃つ気概溢れるオピニオン紙だった。
 1964年段階までの記録として『たいまつ十六年』(理論社)が刊行されているが、「たいまつ」そのものは1978年まで約30年続いた。本書収録の炬火集には<前に出すぎれば、お前の光は人々の足もとから離れ去る。もしも人々のうしろからゆくなら、お前は無用となり終わる。たいまつよ><嵐は、たいまつを消すことができる。たいまつが炎々ともえるのも嵐のときだ>という言葉も収録されている。
 「たいまつ」はほとんど家内営業に近く、タブロイド判の新聞を一軒一軒、農家を回りながら購読者を募っていった。むのさんは2016年、101歳で永眠した(Y)。

講座<ジャーナリズムを探して>⑧

◎第90回(2025.7.25)
 
遠藤浩二さん【「明日になってもわからない」隠された事実を執拗な取材でつかみ、報道するのが調査報道。しっかりした組織をもった新聞社じゃないとできないと思います】

 1982年生まれ。2008年、毎日新聞入社。鳥取支局、大阪本社社会部を経て東京本社社会部。オウム事件最中の1995年に起こった国松孝次警察庁長官狙撃事件の「真犯人」追及や、検察が公判直前に起訴を取り消した大川原化工機事件の冤罪報道など、精力的な記者活動を続けている。

 遠藤浩二さんは毎日新聞東京本社社会部に籍を置く40代前半の現役記者である。初任地の鳥取支局で犯罪史上有名な鳥取連続不審死事件(注:スナックに働く女性の周りで男性が次々死亡、女性はそのうち2件の強盗殺人容疑で死刑になった)に遭遇したことで、彼は優秀な事件記者になった。そのとき、大阪社会部から応援にやってきた先輩から「夜討ち朝駆けとは『雪地蔵になることや』」と言われる。降り積もる雪の中で傘もなく立ち続ける忍耐が初めて警官の口を開くのだと。彼はそうやって半年間、「来るなと言ってるだろうが」と怒鳴られながら警官が帰るのを待つ夜討ちを続けた。そんなある日、警官は「お前はほんとに馬鹿だなあ」と始めて口を開いてくれたのだという。
 遠藤さんはその後、大阪社会部で事件記者の腕、いや足に磨きをかけ、東京本社社会部に移った。彼の『追跡 公安調査』(毎日新聞出版、2025)は、警察庁長官狙撃事件と大川原化工機事件をめぐる奮闘努力の記録である。こういう記者はつい最近まで、各新聞社にたくさんいたと思うが、昨今のマスメディアの状況からすると、まことに古典的な新聞記者像とすら思われる。あるいは、新聞記者の本領を真のあたりにしたと言うべきか。今でも大手マスメディアにはこういう硬骨のジャーナリストがいるのだと知って、思わず胸が高鳴った。
 遠藤さんの話は、既存マスメディアでも調査報道を続けられるのだという証であり、新聞こそが調査報道の担い手であるべきだという自負であり、他方では、そういう活動には陰に陽に圧力がかかるが、逆に励まし応援、協力してくれる人も出てくるという現実でもあった(以下、遠藤さんの話。()内はメンバーの質問や発言)。

 2008年4月に毎日新聞に入社し、初任地は鳥取支局でした。2年目に鳥取連続不審死事件が起こり、気がつけば、事件記者街道をまっしぐらという感じです。
 12年に大阪社会部に移り、大阪府警捜査1課、2課などを担当しました。裁判担当のときに大阪市、堺市の上下水道工事不正問題などで調査報道を始めました。21年4月に東京社会部に移り、東京地裁、高裁、最高裁を担当、そこで警察庁長官狙撃事件や大川原化工機冤罪事件に取り組むことになります。24年4月からは東京社会部専門記者として遊軍的に取材しています。

 妨害に屈せず報道していると、協力者も出てくる

 大阪・堺市の上下水道問題を追及していた時、大阪市が社会部長あてに抗議文を送ってきたことがありました。そのとき司法記者クラブキャップが市に乗り込み、「記事のどこがまちがっとんのや」と一喝、抗議を封じたこともあったし、水道局の職員から「遠藤さんのおかげで業者から7億円返ってきた。ありがとう」と言われたこともあります。この事件では最終的に大阪市が謝罪しました。
 ハイオクガソリン混合出荷問題では、追及した大手石油会社から社会人野球への干渉がありました。その会社の野球部が運動部の取材を拒否し、「二度と広告は出さない」とも言ってきましたが、運動部は「気にしないでいい。バンバン書いて」と言ってくれ、担当デスクは「大手石油会社に喧嘩を売るので、正直ビビっていたが、遠藤が問題ないというから問題ないと思った」と私を信頼してくれました。
 2つの取材で学んだことは、①相手が負けを認めるまで、徹底的にやらなければならない。②相手はさまざまな妨害工作をしてくるが、屈してはならない。③戦うことで協力者も増える、ということでした。
 東京に来て、あらゆるメディアが権力に飼いならされているのに驚き、あらためて記者たるもの、権力と戦わないといけないとの思いを強めました。完全に権力になめられているし、クラブ持ち場の縦割り意識が強すぎるという印象でした。そういう中で1995年の警察庁長官狙撃事件には真犯人がいる可能性を明らかにし、オウム犯人説に固執した警視庁公安部が結果的にこの事件を迷宮入りにしてしまったことを告発する記事を何本も書きました。
 地下鉄サリン事件が起こったころで、事件は捜査1課ではなく、公安部が担当したんですね。2019年に「実行犯Nを現場まで送った」という人から電話がありました。そのO氏を2年半かけて取材、Nを助けたとの具体的供述を得ました。この話は長らく記事にできなかったのですが、警察内部への執拗な取材で裏付けを取り、2023年3月20日に紙面化、関連の連載もしました。表現はだいぶマイルドなものになりましたが(^o^)。
 記事掲載後はOBや他社、さらには元警察幹部から「良い記事だった」との反応があり、その年の新聞協会賞に申請され(受賞ならず)、編集局長賞を受賞しました。警視庁批判の記事には社内からも相当、圧力がかかるんだな、というのが印象です。オウム犯行説をかたくなに主張する公安とN犯行説を探る捜査部門の確執も反映していたと思います。
 その次が大川原化工機の噴霧乾燥機をめぐる冤罪事件です。軍事転用可能な装置の不正輸出を疑われた化学機械メーカー、大川原化工機(横浜市)の社長ら3人が外国為替及び外国貿易法違反で逮捕、起訴されましたが、なんと初公判の直前に起訴が取り下げられました(2021年7月)。この捜査では、3人を長期拘留し、その間に1人は取り調べ中にがんを発症しましたが、保釈もされず、十分な治療を受けられないままに亡くなっています。
 私が関心を持ったのは、無実なのに長期拘留を受けた被害者3人が国を相手に起こした国家賠償請求訴訟(一審東京地裁)で、弁護側の証人として出廷した捜査官が「捜査は捏造だ」と証言したからです。なぜこんなことが起こったのか、それを裏付けるために検察庁が「起訴は無理」と認めた内部文書を入手し(公衆電話から電話をくれた捜査官が「茂みの中に封筒があるから、それを拾え」と指示してくれた)、それを報道しました。2023年12月7日の紙面です。
 この捜査が実にいい加減で、大学教授まで動員して偽りの資料を作ったり、輸出規制品に該当することを示すために、都合の悪い実験データを改ざんしたりしています。供述調書そのものがたちの悪い作文で、元取締役の1人は39回も取り調べを受けているのですが、彼が2回だけ、ひそかに録音した記録が裁判の証拠提出で明らかになっています。彼は「私は何回も言っているじゃないですか。なんで供述したことをその通りに書いていただけないのですか」、「私は日本の警察のやり方に失望しております。真実を言えというのでずっと言っています。嘘をつくつもりはありません」と悲痛な叫びをあげています。
 捜査を指揮した係長は日ごろから「大手には警察官が天下りしているからやっかいだ。零細企業では輸出をしていない。100人ぐらいの中小企業を狙うんだ」と言っていました。大川原化工機は警察OBを雇っていない社員90人の中小企業です。係長がターゲットとする会社の基準と一致していました。係長の指示に忠実に従っていた取調官は「取れない調書を取ってくる神」とさえ言われていたんですね。
 二審の東京高裁判決(2025年5月、国と都に対して被告に1億6600万円の支払いを命ずる)は、刑法の大原則、罪刑法定主義にふれ、捜査機関側の独自解釈を否定しました。大川原化工機事件は毎日とNHKくらいしかきちんと報道していません。捏造発言を受け、末端の捜査員を回ったのは、おそらく我々だけです。他社は最初から取材すらしていない。NHKの取材の中心はディレクター、私も警視庁担当ではありません。
 警察幹部は「大川原化工機事件では毎日新聞とNHKが他を10馬身以上離しているので、他社は追いかけられず、こちらとしてはありがたい。フジテレビのように一斉攻撃されると警視庁としては困る」、「捏造発言をした警部補は仕事ができない」などと言っていたんですね。
 記者がなめられているからだと思います。この冤罪で捜査官が責任を取らないのであれば、おかしい。警視庁が強気なのは警察べったりの報道をする社がいるからです。
 フリーの人たちも大川原化工機側を取材して記事にしていたけれど、一線の捜査官を回って、何時間もかけて話を聞くというような取材はしていません。よほどの能力と潤沢なお金がないと出来ないと思います。
 権力の監視というジャーナリズムの仕事は絶対になくならない。メディアが弱くなると、結果的に損するのは国民です。このままだと警視庁はまた同じことを繰り返します。ユーチューブで発信している記者はけっこう多いが、「他社がこう書いていますが事実はどうですか」というような質問じゃだめ。フジの会見を見ているとわかるけれど、大手メディアの記者がちゃんとしないといけないなと改めて思います。記者はコメンテイターではない。取材してファクトをつかまないといけない。

若い記者をもっと育てていきたい

 (遠藤さんの報道に対する社内の対応はどうでしたか) 毎日新聞は個人屋台の集合体で、毎日新聞の看板はあるけれど、記者はそれぞれ勝手に動くという感じですね。僕も結局、1人でやっています。邪魔さえされなければ、それでいいかな。僕の場合、遠藤という記者が勝手にやっているというスタンスでみんな見ていたんじゃないですか。「言っても聞かないから」と(^o^)。しかし、社内でも認めてくれる人がだんだん増えて、今では会社として応援してくれるまでになりました。
 (遠藤さんのような記者は少なくなったのでは) いまは働き方改革なんて言われるけれど、新聞記者は「休め、休め」というような仕事じゃないですね。僕らは「ネタ取れるまで帰って来るな」などと言われたけれど、いまは後輩を怒鳴るとパワハラだと言われますしね。守秘義務の壁を突破してネタを取ってくるような記者が少なくなっており、すごく危機感を感じています。若手を育てるには、自分が苦労して話を聞けたという成功体験がないとダメですね。入社2年目の鳥取連続不審死事件の経験が大きかった。
 (記者クラブについて) 鳥取や大阪ではあまり記者クラブの弊害は感じなかったけれど、東京に来てそれを感じるようになりました。警視庁回りがその後社内で偉くなっているからだと思います。社内人事のあり方も変えないといけない。「出禁」(できん=出入り禁止、取材対象から外されること)は名誉だと思っていましたね。幹部は当たり前のことしか言わない。一線の捜査官にあたればいいので、出禁は怖くない。(出禁はあってはならないことですよね) あってはならないことであるのは、たしかにそうですね。
 (ネットメディアでも調査報道は出来るのでは?) 取材源を守る、記事に間違いがないといった記者教育のノウハウが新聞社にはある。ヤフーが自前の記者づくりをしようとして失敗した例があります。記者がファクトを取って来れない。そういうことをやったことがない人がいくら集まってもダメだと思います。今まで記者クラブは解放した方がいいという意見だったけれど、フジテレビの会見を見て、そうも思えなくなった。記者会見の場は相手にしゃべらせる場で、自分がしゃべる場ではないと思う。15秒以上質問するのはおかしい。自分の語りを1~2分もやるのは売名で、ダメですね。どんなに長くても30秒ですよ。自分が取材した事実を相手に当てるのはいいけれど、どこそこの週刊誌が書いている事実を上げて質問するのはおかしい。
 (大手新聞社の調査報道に入れる力の度合いが弱まっているようですが?) おっしゃる通りで、特別報道部は毎日も、朝日も解体していますね。調査報道は多くの時間をかけても文字になるかどうかわからないところがある。そういうネタを追うよりも、ネットでバズるような記事を書け、という傾向になっていますが、これは自分たちの首を絞めることになる。記者は育たないし、権力監視という我々の存在意義もなくなっていく。上に立つ人が、目先のことしか考えないのがよくない。私の記事もネットで結構読まれているので、新聞社はジャーナリズムの王道にもどることが大事じゃないかと思う。どこの社にも載っていないスクープなら、金を払ってでも見てくれますよ。いまこそ原点に立ち返るべきだと思います。
 (毎日新聞にはジャーナリズムを重視する気風が残っているのではないかと感じました。遠藤さんの将来の道は?) かっこいい先輩の姿を見て育ってきたので、自分も折に触れて、そういう姿を後輩に見せたいと思っている。後輩が同じようなことを感じてくれるといいなと。社内的にある程度偉くならないといけないとは思っています(^o^)。若手に生意気な奴がもっと出てきてほしい。新聞記者の仕事ってコスト・パフォーマンス悪いですよ。ネタをとってきても、1~2行程度の記事にしかならないこともあるけれど、これを取って来た時の楽しさがある。世の中を変えたとか。あり得ない体験ができるのが記者です。早稲田大学で話したことがありますが、ジャーナリストになりたいという学生もいて、これからも積極的に話していきたいなと思っています。
 (毎日新聞が好きだという人がいて、「全国紙を守るのか、毎日ジャーナリズムを守るか。それは後者ではないか」と言っていたけれど、特別報道部のようなものをもう一度作るのはどうですか。名前は別のものにするとしても) 新しい調査報道のかたちを考えたいですね。部よりもやる気のある個人が出てきてほしい。5人もいたら十分だと思う。そういう若手が出てきてほしいし、育てたいとも思っている。権力に対して、「見てるぞ」、「何かあったら書くぞ」という構えを見せていることが大事だと思う。
 (大川原化工機事件で捜査を批判した3警部のその後は?) 他の人は階級が上がったり、出世したりしているが、3人は本部から所轄に出されて、警部補のままだと聞いています。本来なら逆であるべきだと思いますが、これはこれで厳しい現実ですね。
 (権力に切り込んでいく中で、身の危険を感じたことはありませんか?) よく聞かれるんですが(^o^)、交通違反はしないようにとか、痴漢に間違えられないようにとか、注意はしています。
 (権力は腐敗する。記者を育てられない経営者は首だと、なぜそうならないのか。国際的な新聞の自由度ランキングが低い。番記者制度と記者クラブがネックになっていると言われている) 裏金問題を政治部は書かない。記者会見にフリーを入れた方がいいと思っていたが、いまは限度もあるなあとも。記者クラブをなくすと、一層情報が入って来ないということもありますね。

<私にとってのジャーナリズム>最近のマスメディアは「マスゴミ」とか「オールドメディア」などと揶揄され、社会からの信頼が揺らいでいますが、だからこそメディア自身がジャーナリズムの原点に返ることが大事だと思っています。インターネットが発達したいま、「明日逮捕へ」などという明日になればわかる話をスクープする意味はほとんどない。「明日になってもわからない話」をつかみ、取材し、報道するのがジャーナリストの役目です。
 毎日新聞の取材入門読本には記者の心構えとして「飼いならされないこと」、「当局に記者クラブを敵に回すと厄介だと思わせて、初めて影響力を持ちうる」などとけっこういいことが書いてありますが、新人記者に言っているようなことが現実には実現できていない。権力と戦わなければ、記者の存在意義はない。それが社会の信頼に応えることだと思うし、そうやっていれば、取材先からも思わぬ支援を受けることもあります。

 既存マスメディアの奮起を促す 遠藤さんが「毎日新聞にこの人あり」。と言われているかどうかは、知らない。しかし、これからさらに活発な活動を続けて、将来、「毎日に遠藤あり」と言われるようになってほしいと思う。遠藤さんは大川原化工機事件の報道で昨年は新聞協会賞を逸したけれど、今年は1次選考を通過している。また社内の編集局長賞を獲得している(警察庁長官狙撃事件でも新聞協会賞に申請して落選、編集局長賞受賞)、その著書、『追跡 公安捜査』は新聞労連ジャーナリズム大賞を受賞している。新聞はまだまだやれるし、またいまこそ頑張るべきだという思いのこもった話だった。
 大川原化工機事件では、ほとんどの記者が捜査当局の発表をなぞっているだけだったらしい。被害者企業の取材をきちんとフォローしている所もあったが、その取材の矛先が権力そのものにはなかなか向かわなかったという。
 記者クラブに関しては、単なる御用聞きクラブなどいらないという意見もあるが、前回の高田昌幸さんが言うように、権力の中枢部に取材の拠点があることの意味をもう少し考えた方がいいようだ。記者クラブがあるからこそ、記者たちはそこを根城に役所内を自由に取材できるのであり、ひいては幹部の公式発表に隠された真実を、一線の捜査官を夜討ち朝駆けしながら掘り起こすことができる。記者クラブの場所や電話代を無償で提供されているのはけしからんという意見もあるが、部屋代や通信費は払うという解決策もある。
 高田さんも、記者はその役所の心ある人から不正を内部告発してもいいと思われるぐらいに濃密な対人関係を築くべきだと言っていた。リーク情報を漏らしてもらって嬉々として報道するのはむしろ恥ずべきことだと思われる。
 たとえば、ベトナム戦争に関するペンタゴンの内部文書はNYTのニール・シーハン記者によって明るみに出されたけれど、それはダニエル・エルズバーグという「内部」の人間が告発先としてシーハン記者を選んだからである。エドワード・スノーデンもグレン・グリーンウォルドを告発先に選んでいる。
 遠藤さんの話は、取材先に記者クラブを持っている意味と責任について改めて考えさせるものだった。それは同時に、ネットメディアが跋扈する今、自信を失いがちな既存マスメディアに向けての熱いエールのようにも思われた(Y)。

講座<ジャーナリズムを探して>⑦

◎第89回(2025.7.1)
 高田昌幸さん【フロントラインプレスは新しい調査報道のかたちをめざしています。実際の取材を通じて企業内に閉ざされたノウハウを共有したい】

 1986年北海道新聞入社。2004年、北海道警察の裏金をめぐる調査報道で取材班代表(デスク)として新聞協会賞、JCJ(日本ジャーナリスト会議)大賞、菊池寛賞、新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞した。その後、道警からの激しい圧力を受けて北海道新聞社の方が謝罪に追い込まれる展開となる。2011年依願退職、51歳にして郷里の高知新聞に転じた。2017年4月より東京都市大学メディア情報学部教授。2019年にフロントラインプレス合同会社を設立。著書に『真実 新聞が警察に跪いた日』(角川文庫)、共著に『追及・北海道警「裏金」疑惑』(講談社)など。
 フロントラインプレス https://frontlinepress.jp/

 新聞社(テレビ)と警察は、持ちつ持たれつ、切ってもきれない関係にある。その警察の「裏金」不正を、執拗な調査報道で暴き、最終的に北海道警察本部長が裏金の存在を認め、道議会で謝罪するまで追い込んだのが、高田昌幸さんをデスクとする北海道新聞取材班(佐藤一キャップ以下8人)だった。
 裏金は旅費、報償費、食糧費、交際費などの予算をあらかじめ偽造書類で警察内部にプールし、使途の決められている予算の制約を外したうえで幹部の裁量で自由に使えるようにした裏のシステムで、その金は幹部異動の際の選別、仲間内の遊興費などにも流用されていたという。
 そのいきさつは北海度新聞取材班『追及・北海道警「裏金」疑惑』(講談社文庫)や高田昌幸『真実 新聞が警察に躓いた日』(角川文庫)に詳しいが、前著で高田さんは裏金摘発に取り組む取材班の決意を<「事実を扶り出して相手に突きつけ、疑義を唱え、公式に不正を認めさせていく。そうした報道を取り戻したい。‣‣‣。記者クラブ取材のあり方、捜査情報をもらうだけの警察取材のあり方を根本から変えたい。報道もしょせん商売かもしれないが、しかし、もっと青臭くなりたい。‣‣‣。取材班はずっとそう考えてきた」(あとがき)と書いている。
 高田さんの話は、権力犯罪を暴こうとした硬骨のジャーナリストたちが対外的には顕彰された一方で、偉業を成し遂げた新聞社がその後いかにして権力に屈服していったか、「英雄」たちはなぜ社内で孤立していったかという調査報道の厳しさを物語るものでもあった。北海道警vs北海道新聞の図式は、前回の安倍政権vs朝日新聞のそれと軌を一にしているように思われる。
 しかも、高田さんの話には第2弾がある。彼のフロンティア精神は、閉鎖的な記者クラブのあり方について提言したり、北海道新聞をやめた後もオンラインメディアの可能性を模索したり、郷里の高知新聞で若い記者育成に尽力したり、さらには教職につく傍ら 「フロントラインプレス」を設立、ジャーナリストの新しい組織化に挑戦したりと、前進してとどまるところを知らない。物静かに語る一人のジャーナリストの内に秘めた情熱を目のあたりにして、参加者から熱いエールが送られた(以下、高田さんの話。()内はメンバーの質問や発言)。

 高校まで高知県で育ちました。朝日の新聞奨学生として上京、そこで新聞を始めて丁寧に読み、記者になりたいという気持ちが湧いてきました。大学卒業後、新聞記者をめざして失敗、一時、物流の仕事に就きましたが、初心忘れがたく北海道新聞へ。入社した時は26歳でした。小樽報道部に配属。毎日、必ず新聞を持ち帰って、夜な夜な文章を勉強しました。本社経済部から社会部へ。信用組合や農協の不正などを追及し、自分の書いた記事で世の中が動くという面白さと怖さを実感しました。社会部に5年いた後、東京支社に移ります。日本長期信用銀行や日本債券信用銀行が倒れる、足利銀行がおかしくなるという、まさに金融危機ピークのころで、日本銀行内の金融記者クラブに席を置いて取材、その後、今の財務省(当時は大蔵省)や国土交通省、外務省も担当して、約5年後に札幌に戻りました。
 社会部、経済部の区切りがなくなり報道本部になっていたその部署で遊軍キャップ、ついで警察担当デスクになりました。
 私もサツ回りをしたことはありますが、何々の事件で明日誰々を逮捕といった記事にはまったく興味がなく、キャップから「そういう記事を抜くのが警察担当の仕事だ」と言われて、「そんな仕事をする気はないのでいつでも替えてください」と言っていたくらいです。ただ、警察クラブに身を置きながら、独自に金融不祥事や政治家の金銭スキャンダルなどを追及していました。それでも正統的な警察取材には不熱心でしたから、警察時代の評価は低かった。それなのに警察担当デスクをやれと言われたわけです。「私が警察嫌いだということは知っているでしょう」と言うと、部長には「デスクの中でお前が一番若い。警察担当は忙しくて体力勝負だから」と言われて、それで警察担当デスクになりました。それから半年過ぎたころに警察の裏金問題が起こるわけです。

 北海道警に裏金の存在を認め、謝罪させる

 道警の裏金問題は2003年11月から始まり、1年半ぐらい追及し、大小あわせて1400本ぐらいの独自記事・関連記事を出稿しました。890本目くらいに道警が全国で初めて組織的な裏金作りを認めました。キャンペーンを始める前、最初に若い記者を集めて会議をしたときに私が示したA4判2枚のチャートがあります。「目標は裏金の存在を暴くことではない。それを認めさせることである」。 
 北海道警の裏金問題はテレビ朝日の番組「ザ・スクープ」が最初に報じて、われわれはそれを追っかける形だった。他府県でも裏金問題が新聞や週刊誌で発覚したことはそれまでもありました。しかしみんな「こんな不正があるよ」と報じて、警察側が全面否定して、それで終わっている。暴露して終わり、というパターンが何度も続いていたから、若い人に「暴露して終わりだったら、今までと同じ。大事なのは相手に公式に裏金の存在を認めさせることだ。認めさせない以上、書いただけの話。現実は変わらない。事実を認めさせたら、制度とか、警察とか、法律とか、いろんなものが変わる。報道で社会を変えることをめざそう」という話をしました。
 9カ月ほどかかって、やっと道警は裏金の一部を認めました。最終的には利息も含めて9億6000万円を国と道に返還することになりました。ところが、報道が一段落するころに社内の様子がおかしくなってきた。そのころ私は東京に異動になります。ロンドンに赴任する前の半年間、準備もかねて東京支社に移りましたが、異動直後に編集局長に呼ばれて、「裏金問題で道警が『われわれは裏金の存在を認めて議会で道民に謝罪したが、北海道新聞はあれだけの記事を書いて、その中にはミスもあったのに謝罪もしていない』と言っている」と聞かされました。そのころ道警と道新の関係は冷え切っており、交通安全運動の取材もさせないという感じで、編集局長は「だから謝罪しようと思う」と言いました。「ただ謝罪は出来ないから、何かの記事が間違っていたということで謝罪したい」と。
 そして「この記事を謝罪の対象にする」と言うんですね。「なんじゃ、それ」と思いました。記事はいわゆる「稲葉事件」に関するものです。話はかなり込み入っています。稲葉圭昭さんという北海道警の警部(実際は北海道警生活安全部の幹部らも了承)が暴力団と組んで、函館税関も含めた3者で、まず香港発釜山経由で石狩新港に覚せい剤を大量に密輸する、2隻目の船で大麻を密輸する。暴力団からすると道警が見守ってくれている中で堂々と密輸できるし、通関のときに摘発される恐れもない。その見返りとして、3回目の船で拳銃100丁を密輸し、それを警察が摘発する、と。当時は「平成の刀狩り」の時代で拳銃摘発が警察の至上命題だったので、道警と税関は拳銃摘発の現場を押さえられれば超大手柄になる、という東京の暴力団からの誘いでした。それを道警が呑んだ。このため1回目、末端価格として400億円の覚せい剤が国内に入りました。2回目は大麻2トンが入りました。ところが、3回目の拳銃摘発のとき、拳銃はやって来ませんでした。暴力団としてはすでに目的を達したので拳銃など持ってくる必要がない。道警はまんまとだまされた格好で、この事件は闇に葬られていたんですが、暴力団側が仲間割れをして、札幌の暴力団員が札幌北署に駆け込んで一部始終を暴露した。「稲葉が覚せい剤を使用している」。そこで事情を知らない北署は稲葉さんを逮捕し、一連の密輸事件も把握されていきます。
 その稲葉さんの裁判が札幌地裁で始まりました。警察側は稲葉さんの個人的犯罪として処理しようとしたけれど、すべてを証言すると言っていた暴力団関係者は出廷の前日、拘置所で靴下を口に突っ込んで自殺しました。稲葉さんがいた銃器対策室の刑事も自宅近くで首をつって自殺した。その結果、稲葉さんの個人犯罪とされ、彼だけが収監されて7年半刑務所に入りました。
 この「稲葉事件」のほぼ全容を裏金取材の最終段階でつかみ、報道しました。稲葉さんは収監中だったけれど、ある方法でコンタクトをとり、裏付け取材もして、記事にしています。その記事で謝罪したい、と編集局長は言うのです。「道警に間違いだったと謝って道警と関係を修復したい。お前どうだ」と。「どうだも、こうだもないでしょう」と反論すると、「じゃあ、この記事の情報源はだれか言え」と言います。仲間内の取材メモには情報源はA、B、C、Dなどと書いてあるので、それを渡しました。後日、「AはだれでBはだれか。階級だけでも言え」、「言えません。いま言ったら道警に筒抜けになるじゃないですか」。そのころ、北海道新聞の上層部が金の使い込みやその隠蔽、会社法でいう特別背任に該当するようなことをやっているとの情報が入ってきていました。それをネタに、道警が北海道新聞本社にがさ入れ(家宅捜索)をして、役員や幹部社員を逮捕するかもしれないというのです。「お前、警察担当のデスクだろう。どう思う?」と言われて、「事件があるなら逮捕してもらうしかないじゃないですか」、「お前は会社を守るという意識がないのか」などと言われたこともありました。その流れの中で謝罪しようという話がでてきた。若手もいろいろ査問を受けます。そのとき若い人には「情報源の秘匿に関しては、命をかけて守れ、社内でも言うな。もし言ったら、お前の記者生活はそれで終わりだ」と言いました。そして、だれも言わなかった。ところが2005年のある日突然、会社は2005年に新聞の一面でお詫び社告を出します。「稲葉事件の記事で関係者に誤解を与えかねない表現があったことをお詫びします」と。そしてお詫びをするような記事を書いたということで、私は懲戒処分されました。
 2006年2月にロンドンに着任しましたが、道警側は今度は、法人としての北海道新聞社、私と私の下にいたキャップ、出版社2社(道警関係で何冊か本を書いていた)の合計5者を相手に民事訴訟を起こしました。「本の記述の中に虚偽がある」。200ページの本のわずか数行が名誉棄損に当たるという内容でした。中心になっていたのが北海道警察で最高幹部だった1人、元総務部長です。5月に訴状が出てきた。その民事訴訟で、実は提訴前、編集局長と報道本部長ら北海道新聞の幹部が入れ代わり立ち代わり元総務部長と36回も会って、ひたすらお詫びしていることが明らかになります。一部始終を道警側が録音していて、それが証拠として法廷に出てきた。
 それによると道新幹部は、「このたびは道警に迷惑をおかけしました」と謝っている。「新聞社側が弓を引いてこんなことになりました。千何百本も書いた記事には筆が走ったところもありましたが、お詫びも出来ていません」と詫びています。「この決着をどうするんだ」、「訴えないでください」、「じゃあ、代わりに何ができるんだ」ということから、「間違った記事を書いたことを社告でお詫びする。その責任を取らせて高田と佐藤を辞めさせる」などと口にしています。「高田はけっこうしぶといから、懲戒処分しても辞めないだろう」、「じゃあ刑事事件(名誉棄損)で逮捕できないか」なんてことを編集幹部が道警側と話しているんですね。元総務部長に向かって「北海道新聞社の顧問になってほしい」とまで言っている。これが全部記録として出ている。読んでいると、これが自分のことじゃないみたいで、だんだん楽しくなるほどでした(^o^)。
 この訴訟は最高裁まで行って、争点4つのうち3つは勝ったけれど、1つで負けて、600万円の請求に対し72万円を払えという判決が確定しました。それで終わったと思ったら今度は、民事訴訟で証人に偽証させたとして、元総務部長が私を偽証罪で札幌地検に刑事告発しました。何度か取り調べを受け、逮捕されるんじゃないかなと思ったこともありましたが、結果的には逮捕されず、不起訴になりました。バックに道警組織を背負った形の元総務部長は、ほかの筋立てで偽証罪の告発を重ねてきましたが、それも不起訴。全部が終わったのは、私が高知新聞に入ってから4年目の2015年でした。
 北海道新聞では、ロンドン勤務のあと東京国際部に戻り、その後、本社運動部に行けと言われて、運動部デスクとして1年半。2011年の震災の時に会社に辞表を書いて、同年6月に退社しました(注:「稲葉事件」の顛末は『真実』に詳しく書かれている)。

フロントラインプレスは記者の受け皿

 2012年に郷里の高知新聞に誘われて行くんですが、その前の1年弱の間、書きたかった本を書いたり、真面目な硬派番組も作ろうとしていたニコニコ動画からの依頼で「ニコ論壇」という番組を何度か作ったりしました。番組の企画制作や出演もしていました。ニコニコ動の硬派番組としてはかつてない視聴率があったそうです。高知新聞社では後輩育成が半分、残り半分は好きにやっていいと言われました。早稲田大学の花田(達朗)先生と交流があったので、何人かの学生をインターンとして受け入れて、取材させ、原稿を書かせ、再取材もさせて、最終的に記事にするような記者教育をしていました。その中の1人はいまTansaで活躍しています。高知新聞を5年で辞めて、東京に戻って大学の教員になりました。それと並行する形で2年間、ヤフーの社員としてヤフーのニュース部門にも関わっていました。当時、ヤフーには独自の取材部門を作ろうという動きがあったんですね。「テクノロジーの会社なので編集や報道のノウハウがまったくない、力を貸してほしい」と要請され、ヤフーニュース特集編集部のアドバイザー兼編集デスクみたいな肩書で、オリジナルニュースをどう形作っていくかを研究し、実行しました。ウエブ上のニュースがどう読まれているかをデータで知り、実感するいい機会になりました。途中でBPO(放送倫理・番組向上機構)の仕事もするようになりました。
 東京都市大学メディア情報学部では、調査報道の研究、取材プロセス可視化などについて研究しています。それ以前も含め、朝日の山本博さんには何度も会い、調査報道の裏側を聞かせてもらいました。途中からこれを個人でやっているのはもったいないと考えるようになり、「調査報道セミナー」というイベントを年2回、春秋に東京と京都でやるようになりました。毎回100人ほどが集まり、5~6年はやったと思います。
 ただ、その限界も見えました。取材ノウハウを共有するセミナーをやっていても、そのときは充足感を感じても、取材の現場で実際にどう活かすのかが見えにくい。参加者には、カンフル剤くらいにしかならない。大事なのはこれまで企業ごとにタコつぼ化していた取材のノウハウを横串で刺すように共有することであり、実践を通じてその仕組みをつくりたいと思うようになりました。新聞の力は定点観測と組織力です。これを生かすために何かできないかと考え、あるいは、フリーや新聞社という身分を超えてジャーナリストが協業できないか、あるいは、衰退する新聞社から飛び出す記者らの受け皿になれないか、そんなことを考えてフロントラインプレス合同会社を作ったわけです。法人登記は2019年です。現在、ウエブで顔出ししているメンバーは約20人。現職の新聞記者にも顔出し組がいます。もちろん、顔出ししていないメンバーもいます。
 自分たちも取材して記事を出すけれども、いかにして新聞社なりテレビなりと手を結んで、1人ではできない、あるいは1社ではできない取材を実現していくかを考え、実行しています。大手の新聞と合同取材チームを作って、自分たちの記事を出していく。「〇〇新聞とフロントラインの共同取材でこういうことが分かった」という記事を出したかったわけです。
 実際、2020年3月18日の毎日新聞1面に、そういう記事が載りました(写真)。リードに<毎日新聞と調査報道グループ「フロントラインプレス」の調べで明らかになった>とあり、最後の記事クレジットに毎日新聞記者と並んでフロントラインプレスとあります。毎日から3人、フロントラインからも3人の記者を出してその成果は共有物とする、それをどう利用するかは自由である、活字にするときは、「‣‣‣ということが毎日新聞とフロントラインの取材でわかった」と書くことを条件としたわけです。クレジットを見た時は、「おーっ」と感激しました。それで風穴が開いて、その後、琉球新報や熊本日日新聞などとも、見える形で協業しました。
 フロントラインプレスの両輪は、1つは調査報道、もう1つはまだ実現していませんが、首都圏ニュースです。地方紙が衰退すればニュース砂漠になると言われますが、私に言わせると首都圏、近畿圏は1960年代からニュース砂漠です。北海道新聞時代から今度何かやるとすれば、東京で地方紙をやりたいと思っていました。東京新聞にも地元のニュースはほとんどありません。そこに焦点を当てたいと思っているのですが、コロナ禍のせいもあって何もできない時期があり、私個人の事情もあって、思うように進んでいません。
 最後に記者クラブ問題にふれておきます。私はわりと開明派で(^o^)、2000年ごろから個人ブログをやっていました。「これからはブログの時代です」と言って編集局長を折伏して、堂々とやっていました。そこで早くから記者クラブは開放すべきであると書いており、言っているだけでは物事が動かないので、「記者クラブと記者会見の完全開放を求める会」をつくって、各社の局長クラスに申し入れをする運動をやりました。開放に賛成するかしないかを聞き取って、その答えもオープンにしていく。日本プレスセンターで立ち上げ記者会見もやりました。文書をもって讀賣、産経などにも行きましたが、「北海道新聞の平社員が何を言ってるんだ」という感じで、まともに対応してもらえなかったですね。そんなある日、北海道新聞の東京編集局長から呼ばれて、「お前は一体何をやっているのか。各社にこんな要請を出すなんて本当か」などとも言われました。新聞協会も表向き、記者クラブは開放すべきと言っているのに全く進展していない、私は「休日を使って業界のために尽くしているんです」と反論しましたが……。その後に運動部行きを命じられました。インターネットが人の口に乗り始めた1995年代半ばには、判決文全文をネットにアップし、本紙にはそのURLを掲載する試みも継続しました。
 高知新聞でも国政選挙の投票日(2013年参院選)に、一面を読者の声で埋め尽くしました(写真はその一部)。「主人公は政治家ではない、私たち有権者だ」という思いからです。伝える側の意志が見える紙面を作りたかった。
 ロンドンにいたころの話ですが、イラク戦争の責任をブレア首相が問われていたころ、インディペンデントという新聞が一面にイラク戦争で命を落としたイギリス兵93人の写真を載せ、写真を入手できなかった人にはバラの花を載せた。その一番下に「ブレア、説明しろ」という大きな見出しがあった。それを見た時はしびれて(^o^)、これすごい、こういう紙面を作りたいと思い、インディペンデントに取材に行きました。編集班にデザイナーが入っているんですね。一面のメニューが決まったらそれをデザイナーがレイアウトするわけです。その新しさに感心しました。
 1986年に記者になったので、そろそろ40年。こんな記者生活を送ってきたわけです。

ジャーナリズムの新しい革袋

(フロントラインプレスの具体的運営は?) 雇用している社員はいません。出資者は私だけです。メンバーには守秘義務契約を結んでいただきます。自分たちでメディアを運営すると、けっこう手間とお金がかかる。それよりも有力なメディアと組んで、そこから上がってくる原稿料や製作費で運営しています。いま出稿している主なところは、ヤフーニュースオリジナルやスローニュース、JB Press、通販生活などです。フロントラインプレスの名前が出てこない記事もいっぱいあります。コロナで少し活動ペースが落ちて、当初プラン通りなら今ごろ首都圏ニュースをやっているはずだけれど、そこまでは進んでいません。
 (『黒い海 船は突然、深海へ消えた』との関係は?) 著者の伊澤理江さんはフリージャーナリストで、フロントラインプレスのメンバーです。『黒い海』は、2008年に千葉県銚子沖で漁船が沈没し17人の犠牲者が出た事故は潜水艦と衝突した可能性が強いことを綿密に取材したもので、スローニュースに8回連載したものがベースになっています。後に講談社から書籍化される際、相当な追加取材が行われました。この本は、本田靖春ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、日本エッセイスト・クラブ賞など受賞しました。
 (高田さんは神保哲生、青木理両氏との共著『メディアの罠』(産学社、2012)で、新聞記者の新しい組織づくりに関して、「本当の意味での記者協会をつくる。ギルド組合というか、職能団体ですね。そこが記者証を発行して、その記者証を持っていると、どの役所であれ団体であれ、会見等へのアクセスは保障される、それが私の考える理想形です」と言っておられますね。現代の状況をどう思いますか) ゼロから記者協会をつくることももちろん可能だと思うけれど、新聞協会加盟社だけで今も1万5000人の記者・編集者がいます。フリーの数なんて微々たるものです。記者の圧倒的多数は新聞協会と日本民間放送連盟に加盟するメディア企業の社員です。この人たちが新しい記者協会に入って来るとはとても思えない。だから仮に新しい記者協会ができるとしたら、新聞協会が完全に力を失ったときかもしれません。ただ、組織の悪弊、古びた文化こそが、新聞社衰退の原因の1つです。落ちるところまで落ちないと、今の新聞社を覆う前例踏襲主義、事なかれ主義は根本的には変わらないでしょう。
 (既存秩序が崩壊しつつあるIT社会の現状こそ、新しいジャーナリストのネットワークをつくりだすチャンスではないか) 理念に燃えて改革しようとする人は、いなくはないと思うが、大変少ないと思う。それよりも、やめた記者が行く先はどこなのか。日本全体では毎年、百人単位の記者が去っていると思う。こんなことでは、力の厳選だった組織力、それを支える個人の能力を維持できるわけがない。優秀であると言われる人が社をやめても、「どこかの企業の広報に行くよりはまし」という受け皿を早急につくることが必要です。実はその受け皿の一つになりたいという思いもあって、フロントラインプレスをつくりました。そういう面では、ここ数年が最大のチャンスだという気もします。
 日本でも新しい報道機関に資金を出したいと思っている人は、けっこういると思います。そういう人に、自分たちで作りたい報道機関はこうですよと、実現可能なプランをきちんと作って説得させる人がいない。そのためには、かなりの「億円」が必要だと思うけれど‣‣‣。あっという間に広がった「子ども食堂」の例を見ると、案外可能だという気もしますね。
 (道警疑惑を追及していたときの他社の対応は?) バックアップゼロです。足を引っ張る人は大勢いました。一番ひどかったのは、ある全国紙。道警幹部のところに行って、「これを機会にいっしょに道新の横暴さを叩き潰しましょう」と言っているんですね。
 (記者クラブは有害か有益か。高田さんのお考えは?) 使い方次第ですが、意味はあると思っています。記者クラブの現状には否定的ですが、権力機構の内側に物理的な部屋があるということの意味は大きい。そこに、あるいはそこを拠点にして役所内に出入りできるという条件は簡単には構築できない。いまはみんな、記者は物わかりのよい、「いい子ちゃん」になっているが、その場所と機能を有効に使うことが大事だと思う。よくあることだが、役所の建物が新しくなると記者室の場所が隅に追いやられる。彼からすればいつ火がつくかわからないような物騒なものは遠くにやりたいわけですね。
 (まるで刑事ドラマを見ているようなお話でしたが、裏金はこれからも続くんでしょうか?) チェックすべき人がチェックしない限り存在すると思う。予算は議会で決める。裏金は決められた予算の縛りを外して、自分たちで勝手に使うもので、私的な用途にも使っていました。道警の前に道庁の裏金も問題になっており、その総額は74億円に上りました。チェックしない限り裏金は発生すると思います。

 <私にとってのジャーナリズム>家族に対してかっこよくありたいというか、「あのときこういう役所の不祥事があったけれど、お父さんは書かなかったんだよね」なんて格好悪いじゃないですか。表と裏が違う人が多い。たとえば新聞労連に出ている時は、「頑張ろう」と言って記者クラブ開放に理解を示しても、新聞社に戻ったときに、その現場で自分の上司である編集幹部に向かって同じことを声高に言い続けられる人はどれだけいますか。立場によって言うことを変えるわけです。北海道新聞時代のあるとき、上司から「これが会社の考えだ」と言われて、「その会社という人と直接話したいので、その会社を呼んできてください」と言ったことがあります。「会社という看板をぶら下げて、保身に走らないでください」と。部下には「裏金報道を始めるといろんな風圧が起きるけれども、何か起こった時の責任は全部私がとる」と言っていました。幸い、今の日本では書いた記事で記者が物理的に危害を加えられることはまずありません。要は、腹をくくれば、相当なことはできるだろうと思います。

 調査報道のすぐれた教科書  高田さんが中心になって編集した『権力vs.調査報道』と『権力に迫る「調査報道」』(ともに旬報社)は、調査報道とはどのようなものかを学ぶための貴重な教科書である。前回にも少しふれた前著では、リクルート報道の山本博、沖縄地位協定の秘密官製マニュアル「日米地位協定の考え方」をスクープした前泊博盛(前琉球新報論説委員長・沖縄国際大学教授)、高知新聞で県の闇融資を追及した依光隆明(元高知新聞社会部長、朝日新聞特別報道センター長)、大阪地検のフロッピーデスク改竄をスクープした板橋洋佳(元下野新聞記者、朝日新聞記者)の4人が取り上げられている。後者に採録されている高田さんの日本記者クラブ講演は、記者向けに調査報道のあり方を述べたもので、大変示唆に富む。
 今回の高田さんの話にある、取材源を会社幹部にも秘密にすべきだと若い記者に力説するくだりに関連して、前著で山本博氏が興味深いことを言っているので紹介しておこう。
 世界的な調査報道の成果として知られる米ワシントン・ポストのウオーターゲート事件の主役、ボブ・ウッドワード記者が、当時の情報源だった「ディープスロート」が名乗り出た時、それを認めたことに対して、山本氏はこう言ったらしい。<ボブ・ウッドワードというワシントン・ポストの記者を、私は、今は尊敬していません。なぜならば、FBIの元副長官が「ディープスロートは私です」と言って、ほとんど認知症の状態で名乗り上げてきたときに、ウツドワードはそれを認めたうえに、さらにデイープスロートに関する本まで書きました。ほんとうに情けないと思いました。私がウツドワードだったら、FBIの元副長官が「私がデイープスロートです」と名乗り上げてコメントを求められたとしても、「ノーコメント」です。否定も肯定もしません。もちろん、それに関する本など出しません>と述べている。まさに記者にとって情報源秘匿は生命線なのである。

講座<ジャーナリズムを探して>⑥

◎第88回(2025.6.26)
 渡辺周さん【Tansaは「探査報道」に特化したジャーナリズム組織です。あらゆる権力から独立するために広告は取らず、広く読んでいただくために購読料も取らず、支援者の寄付に頼って運営しています】

 2000年に日本テレビから朝日新聞に移り、社会部や特別報道部で調査報道を担う。朝日新聞を早期退社、2017年に調査報道に徹したNPO法人「Tansa(探査)」をスタートした。支援者などの寄金で運営し、80余国の独立・非営利ニュース組織が加盟するGlobal Investigative Journalism Newsroomの公式メンバーとして、世界規模での連携を重視した意欲的な活動を展開している。Tansa(https://tansajp.org/)

 権力にとって都合の悪い事実を、独自の取材で掘り起こし、白日の下にさらけだす調査報道こそジャーナリズムの王道である。報道しなければ、それらは永遠に闇に葬られる。ジャーナリズムが民主主義社会に不可欠な機能を担うとされるのは、この権力監視のためと言っていい。
 渡辺周(まこと)さんが2017年に始めたTansa(探査、Tokyo Investigative Newsroom Tansa)は「調査報道」をより徹底的に追及する「探査報道」をめざしており、あらゆる権力から独立するため、企業の広告料を取らず、また多くの人に読んでもらうために購読料も取らない。個人からの寄付、財団などからの助成金などが主な財源である。
 渡辺さんは朝日新聞の調査報道部門で活躍したが、朝日新聞社が安倍政権の執拗な圧力と経営陣の不甲斐なさのために、せっかくの調査報道部門を縮小、解体するのに見切りをつけてTansaを立ち上げた。現在の専従スタッフはわずかに5人ながら、ゆくゆくは30人規模に拡大、国際的な探査報道の牙城に育てたいと言う。
 身近で目撃した朝日新聞〝変節〟の過程を振り返ってもらいながら、「探査」報道にかける夢と決意について聞いた。(以下、渡辺さんの話。()内はメンバーの質問や発言)

 大学卒業後の1998年に日本テレビに入りましたが、2000年に朝日新聞に転進しました。当時の朝日はまだ800万部の部数を誇り、元気がありました。インターネットが新聞とテレビをここまで駆逐するとは、当時はまるで想像できませんでした。
 特別報道部のいきさつを聞きたいということですが、特別報道部はすでに看板を下ろしています。10年ぐらい前の出来事だけれど、もはや100年も前のような気がします(^o^)。僕にとっては終わった話だな、と。
 特報部解体は安倍政権下の2014年の話です。順を追って話しますと、木村伊量社長のときに、従軍慰安婦に関する朝日新聞の記事を検証することになりました。そのころ慰安婦問題に関する河野談話(注:慰安所の設置・管理及び慰安婦の移送について日本軍の関与を認め「おわびと反省」を表明した)を見直そうという動きがあり、それに歩調をあわせて、慰安婦問題での国の責任を長年にわたって追及してきた朝日新聞に対する批判、攻撃が強まりました。木村社長が国会に呼ばれるという話も流れていました。
 その核心は吉田清治証言(注:済州島で朝鮮の女性200人を慰安婦として強制連行した、とする証言)です。朝日新聞は1982年に彼の講演を初めて記事にしました。他社も同じような記事を書いていたのだけれど、もっぱら朝日新聞が攻撃対象になっていました。吉田証言は虚偽だったわけで、その間の朝日新聞の記事を検証し、結果を紙面化したのが2014年8月です。吉田証言の取り消しは従軍慰安婦報道の検証の一部で、もちろん従軍慰安婦問題は存在するわけです。ところがその記事に対して「記事を取り消すのになぜお詫びしないのかという」バッシングが始まります。
 それとは別に、同年5月に東京電力福島原発事故当時の吉田昌郎所長が政府調査委の事情聴取に応じた「吉田調書」を朝日新聞がスクープします。その見出しに<福島第一所員9割「所長命令に違反 原発撤退」>とあり、これが「命令違反撤退と書くのは、従軍慰安婦問題と根が同じ朝日の反日行為である」と批判されました。折しも9月、朝日新聞で連載中の「池上彰の新聞ななめ読み」コラムで、池上さんが「慰安婦報道検証 訂正、遅きに失したのでは」と書きました。それに木村社長が「こんなコラムを載せるなら俺は社長を辞める」と激高、当時そのことは話題にならなかったけれど、朝日が池上コラム掲載を止めたことを『週刊文春』と『週刊新潮』がキャッチして報じました。内外から「新聞社が自由な言論を封殺するのは何事か」といよいよ激しいバッシングが起こりました。
 こういう錯綜する現実の中で、9月11日に木村社長が唐突に記者会見をします。われわれも何のための記者会見かわからなかったのですが、蓋を開けてみると、慰安婦問題の吉田証言ではなく、原発問題の吉田調書の報道を「読者に誤った印象を与えた」とお詫びし、肝心のスクープ記事を「取り消した」んですね。これには現場のわれわれは驚き、呆れ、怒りました。外からも「誤報じゃないのになぜ取り消すのか?」という疑問も起こりました。この辺の 経緯はTansaのコラム<葬られた原発報道>に記していますので、関心のある方はそちらをご覧ください。

 特別報道部門結成と解体までの一瀉千里

 朝日新聞の特報部はこういう時代の中で生まれ、そしてあっけなく消滅したということです。
 従来、特別報道、すなわち調査報道は社会部の専売特許だったけれど、そういう縦割り、記者クラブ割りではなく、政治部であろうと、経済部であろうと、いろんな部を横串にした特別報道部門を作ろうということで特報チームが生まれ、それは特報センターを経て特別報道部へと発展します。特報チーム発足は2005年にさかのぼり、翌2006年に特報センターになり、2011年、東日本大震災を機に特別報道部になります。いろんな部や外部から約30人の記者が集められ、私もその一員となったわけです。
 原発事故後の連載「プロメテウスの罠」が一つの成果で、新聞協会賞を受賞しましたが、私も原発立地町・福島県大熊町の苦悩を描いた「原発城下町」などを担当しました。従来の縦割り体制を打破して取材部門を再構成、新たな報道スタイルを模索しようとしていたわけです。それなのに、先にお話した木村社長の吉田調書取り消し記者会見のあと、編集幹部はあれよあれよという間に顔色を変えて萎縮、社内の空気は一変します。それ以後はとにかく書いた記事が社内で通らない。編集局長、局長補佐など何人もの編集幹部が記事をチェックするようになります。私も記事を見せに顧問弁護士のところまで行ったことがあります。「ここは訴訟リスクがあるからやめた方がいい」などと言われる始末で、営業サイドからのクレームも来ます。どんどん特報部立ち上げの精神から後退していきました。とにかく戦わない、すべてが内向きで、リスクをとりたくない、だから取材力も落ちていく。どんどん劣化していくわけです。ここ10年で記事の質は各段に落ちています。
 ある日、われわれは編集局長から「原籍に復帰してもらう」と言われました。支局を経て最初に本社勤務になった時の部が「原籍」です。私は松江支局→阪神支局→静岡・浜松支局→名古屋本社社会部→東京特報部という経過でしたから、東京における原籍なんてありません(^o^)。朝日新聞が正式に特別報道部の看板を下ろしたのは2021年です。
 最近、東洋経済新報オンラインに角田克・現朝日新聞社長のインタビュー記事(朝日新聞社長が語った“デジタル時代”の生き残り方 「“等身大の経営”を早くやるほかない」「地方取材のあり方を考え直す」、2025.6.23)を読みましたが、びっくりするほどひどい。
 「どのようなメディアでありたいか」と聞かれ、こう語っているんですね。「私は『3中』と言っているが、中心的メディア、中立、中庸でありたい。とくに中心的メディアでありたいと思っていて、そのために中立、中庸が必要になる」。なぜそう考えるのかと言うと、「えてして、朝日新聞の記事は記者の取材の中に主張が入り込むような形で、これまでいくつか失敗してきたというのが私の認識だ。今の人は、『朝日新聞の意見はいいよ』『ほかにこのテーマに対してはどんな意見があるの? それは自分が決める』というのが、メディアに対する視線だと思う。そういうときに強い主張を繰り返していくと、次世代の人たちに親しまれるメディアにはなれない」。
 私には、角田氏が「嫌われたくないから意見は持たない」、「当たり障りのない記事でみんなに好かれたい」と言っているようにしか思えません。意見を持って何が悪いのか。理不尽な目に遭っている人の役に立ちたい、社会を変えたい。そういう思いがあってこそ、ジャーナリストであり報道機関です。私たちはAIではない。
 まず「中立」という考え方がおかしいですね。重要なことは、主張の根拠となる事実が十分にあるか、取材は尽くしたかということで、自ら考えることをせず、いろんな意見を羅列して、それで中立だという考えは、角田社長だけでなく、日本の新聞社やテレビ局の社員に蔓延しています。そこに、私は危うさを感じます。そもそも多くの人たちは、新聞やテレビが「中立」だとは思っていない。「権力寄り」だと見ているんです。これこそジャーナリズムの自己否定ではないでしょうか。
 メディアはこれからどうなるかとか、その中で新聞はどうすればいいかいう本質への言及はほとんどなく、ジャーナリズムをめざす報道機関としてはもう潰れている。メディア企業体として緩慢な死を迎えるというような話で、実際とっくに死んでいると思いますね。
 この間の経緯で言えば、朝日もダメだったけれど、他社もひどかったと思います。権力の介入に対して連携して戦うべき時に、従軍慰安婦報道について「わが社はそんなことはしなかった」、「していない(からこっちを購読して)」という具合で、原発報道は完全に息の根を止められました。安倍政権下では消費税アップをめぐる軽減税率を新聞に適用してもらいました。政権にひれ伏したわけですね。

 ワセダクロニクルからTansa

 2015年の1年は地震担当になりましたが、母校でもある早稲田大学ジャーナリズム研究所(花田達朗所長)に顔を出すようになりました。そこには各社の記者が何人か梁山泊的に出入りしていました。
 そのときに大学発メディアとして「ワセダクロニクルは」を始めました。2017年です。ねらいの一つにジャーナリストの育成がありました。オンザジョブトレーニングとしての各社の記者教育はあるけれど、アメリカのような本格的ジャーナリズム教育、たとえばジャーナリスト倫理などの教育がない。大学を拠点にそれを行うのはどうかと、アメリカに視察にも行きました。大学は企業と違って開かれた場所なので、ジャーナリストと市民がいっしょになって考えていくところにワセダクロニクルの意義があると考えていたわけです。
 そのとき朝日新聞が退職金支給を優遇する早期退職者を募ったので早速応募し、先輩にもいっしょにやろうとメールしましたが、反応なし。結局、最年少の私が編集長になりました。韓国に「二ユース打破(ニュースタパ)」というサイトがあります。政権を批判する番組を制作したことで大手放送メディアを解雇されたプロデューサーや記者が2012年に設立したものです。月1000円からのマンスリーサポート会員が4万人いて、スタッフも40~50人擁しているというので、2015年の夏休みに視察に行きました。
 代表のキム・ヨンジンさんに会うと「金のことは心配するな。金は後からついてくるから、君も頑張れ」と励まされて、勇気百倍で日本でもやろうと帰国しました。当初1500万円ぐらいの大口寄付の話もあったのですが、結果的に断りました。お金は喉から手が出るほど欲しいけれど、いったん毒まんじゅうを食べてしまうと一発でアウト。ここが大事なところだとやせ我慢したんですね。
 ワセダクロニクルの滑り出しはうまく行きました。創刊シリーズ「買われた記事」は20年前から続くステマ(ステルスマーケティング)記事の真相を暴いたもので、製薬企業から金を受け取った電通が、共同通信に委託し、新薬の宣伝を「広告」ではなく「記事」として配信していたというスクープです。この記事のせいで電通は社内規定の見直しを表明、共同通信は対価を伴う一般記事の廃止を約束しました。この報道により、日本外国特派員協会から「報道の自由推進賞」をもらいました。
 新聞や雑誌でも取り上げられ、350万円を目標としたクラウドファンディングで500万円集まったので大喜びをしましたが、甘かったですね。韓国は寄付行為によってメディアが成り立つのに、日本ではそれが難しい。日本の市民社会はなお脆弱です。韓国はいまや日本からもっとも遠い国だと思います。
 早稲田大学からは1年で去り、2018年にNPO法人として独立、2021年に名前をTansaに変えました。大学内にいるメリットがあまりなかったからです。私が理事長兼編集長になりました。調査報道と言っても一般の人は何のことかよくわからない。一方で発表記事以外なら調査報道と言うように気軽に使っています。調査して報道するなんて当たり前。英語のinvestigate は単なるresearchより強い言葉です。そこで「探査」という言葉を採用しました。
 大事なのはジャーナリストの育成だと考えています。徒弟制度で教えるのではなく、すべてを言語化し体系化する。学ぶだけでなく現場に出て鍛えることをきちんと体系化したい。経営に関してはまったく素人で、広告なし、全記事無料提供、すべてを寄付に頼るというビジネスモデルは例がないようですが、試行錯誤の連続です。サポーターの皆さんは「金を払っていない人はずるい」とは考えないと思います。Tansaとサポーターは「社会をより良くする」という同じ方向を向いているからです。
 記事内容は「探査報道」(シリーズ&ニュース)、編集長コラムも含む「コラム」、ユーチューブ動画からなる「ビデオ」など、9年間の実績をすべて公開していますのでぜひご覧ください。
 「探査報道」の一つとして「人質司法」のタイトルで関西生コン事件を追跡しています。日本の労働組合は基本的に企業ごとの、主として正社員からなる企業別組合で、その連合体がまさに「連合」です。連合を見ればわかりますが、これは体制内組合と言っていい。これに対して、関西生コン労組は個々の企業を越えた「産業別労働組合」です。
 ここが資本にとって都合が悪いのでしょう、1980年代から警察の捜査を受けて来ました。当時の経団連会長が「箱根を越えさせない」と言った記録もあります。とくに安倍政権下の2018年以来、組合員延べ90人近くが拘留されました。京都、滋賀、大阪など多くの府県にまたがった警察が一斉に動き、労働組合を担当する警備・公安でなく、暴力団担当の組織犯罪対策課を動員しているところもあります。「組合員」を「組員」並みに扱っているわけですね。最近になって、「正当な労働組合運動への弾圧である」として次々に無罪判決が出ている実態を明らかにしています。
 この事件をマスコミ各社はほとんど報道してきませんでした。いや警察サイドで報道してきました。警察が記者クラブにリークして、それをそのまま報道する。「相手の懐に入る」と言うと良さそうだけれど、実際には「権力の犬」になっている。この産業別労組のあり方は、IT社会におけるジャーナリストの組織化という問題に大いに参考になると思っています。
 安倍政権のメディア潰しの際も、ジャーナリストの横断的なネットワークがあれば別の対応が可能だったかもしれません。企業内組合の連合である日本の労働組合は、自分の職業ではなく、自分の組織に忠誠を誓うだけですから、新聞記者が団結して戦うということが起こりません。
 財政面では、当面は月ごとに定額を寄付してくれるマンスリーサポート(平均単価2500円)を増やしたいと思っています。今年は1000人増をめざしています、すでに940人を越えました。ほかに単発の寄付が500万円くらい。外国の財団からも支援してもらっています。編集にはいっさい介入なし、です。
 Tansaの命は現場をきちんと取材することです。足を使わずパソコンの情報を見ながら書く炬燵記事ではありません。探査報道には時間も金もかかりますから、テーマごとにクラウドファンディングもお願いしています。この記事をもっと取材してほしいという読者からのアピールと受け止めています。日本各地はもとよりハワイやシンガポール、ニューヨーク、台湾などにも出かけています。こんなに出張しているところはないんじゃないですか。
 現在の年間予算は6500万円くらいです。スタッフは専従4人、まもなく1人増えます。ボランティア1人、学生インターン3人といった態勢で、顧問弁護士なども良心的ア価格でやっていただいています。若い人の活躍はめざましく、わりと盤石な態勢になっていますが、この10年で30人ぐらいのスタッフにしたい。十分手応えがあると感じています。
 他のメディアとのコラボレーションも重視しています。NHKスペシャルとコラボした「子どもを狙う盗撮・児童ポルノの闇」に関する報道は今年、第2回国際文化会館ジャーナリズム大賞特別賞を受賞しました。
 最近、事務所にあるトロフィーや賞状を見ながら創刊以来の受賞数を数えてみたら、13ありました。賞は社会からの応援の反映だと受け止めています。とてもありがたいです。メンバー一同、これからも地道な努力を続けていきたいと思います。

 いまやジャーナリスト希望者は絶滅危惧種

 (ジャーナリスト養成では何をやっていますか) 将来的には育成の方に力を入れたい。吉本でもお笑いスクールがある。民間でやってもいいが、大学でももっと本格的、体系的な授業をしてもらいたい。退職した人が昔の自慢話をしているようなものじゃだめです。学んでも出口がないというのもネックですね。先行きのないメディアにだれも行こうと思わないですよ。いまやジャーナリスト希望者は絶滅危惧種です。スクールでは、ジャーナリストのマインドとスキル両面で、それぞれオンライン授業をしてきました。会場を借りてクローズで有料授業もやっていました。新聞やテレビ関係者など100人ぐらいが来たけれど、いまは手不足でちょっと休んでいます。
 (記者クラブについてどう考えますか。記者クラブは有害なのか、有益だとすれば、どういうふうに改善すべきか) 記者クラブは有害でしかないと思います。権力の一翼を担っており、戦前の大本営発表以来、本質的に変っていない。対権力の圧力団体として機能している面もゼロではないが、基本的にはやめた方がいい。ジャーナリストの資格をどこが担保するかという問題もあります。これまでは企業がそれをやっていたわけだが、これからは誰でも記者会見に入れればいいのか。プロとアマの選別をどうするのか。それを担保するユニオンも今のところない。
 これは壮大な話になるけれど、記者クラブ問題一つとっても、すべてが繋がっていて、そこだけ解決しようとしても解決策がない。とりあえず記者クラブは解体した方がいいと思う。権力側の方が手放すことはあるかもしれない。マスコミの力が相対的に落ちてきて利用価値がないとなったときに、昔の佐藤首相ではないが、「私たちはフリーランスの人に話しますので、マスコミは出ていってください」とユーチューバーだけに話すみたいなことになりかねない。ジャーナリストとは何で、システムとしてどう位置づけるかという大問題を改めて考える時に来ていると思いますね。
 (Tansaをニュース組織として認められるための苦労は?) これが一番大切。取材でも新聞社だと名詞1枚で会ってくれる。Tansaの報道が国会や他のメディアで取り上げられるとか、実績を積み上げていくしかないですね。後は応援してくれる人たち。最近ありがたかったのはアメリカのNYT(ニューヨークタイムズ)が紹介してくれたことです。あれが出たことでだいぶ通りがよくなった。もう一つはコラボを進めていきたいですね。NHKスペシャルといっしょにやるとやはり大変やりやすい。NHKの方でもTansaの情報がほしいという事情があった。コラボが大事だと思っています。いろんなところとコラボしたいと思っています。外国ではイギリスのガーディアンとかドイツや韓国のメディアとかコラボをしてきました。日本のメディアは「社に持ち帰る」とかいって、話がなかなか進まないし、つぶれるケースもあります。もっとも、最近では現場レベルでコラボの話が来るようになっています。
 (韓国の戒厳令のときの市民の動きにはかなり驚いたけれど、日本ではどうでしょうか。私たちの学生のころはいろんな運動もあったけれど、今の日本人は変わってしまったのか。台湾や韓国は市民が社会を支えている感じなのに、日本はそうでなさそうだというのに先行き不安を感じるのですが‣‣‣) 韓国にはこれまで痛い目にあった歴史がある。そこから立ち上がってきた部分があるのではないか。日本の権力の方が巧妙ですね。ヒットラーのような人はいないけれど、だれが戦争を始めて誰に責任があるのかがわからない。だれも責任者がいないままに全滅するというか、亡びる時はみんなで亡びましょうという感じですね。今の若者は相手の言ったことを丁寧に再現するふうに学校で教育されている。疑問を持ったりすることをしない。不当な選択に怒ることもしない。親の格差が広がっているから子の格差も広がるし、企業内組合は正社員の組合というふうに、すべてが社会全体でつながっている話ですね。

<私にとってのジャーナリズム>もはやマスコミの時代ではなくなった。情報がマス(大衆)に向かって天から降ってくるようなことはもうない。朝日新聞でもデジタルあわせて100万部程度になるだろうし、逆にTansaが大規模メディアになることもないと思う。これからは、それぞれにクラスターと言うかコミュニティがあって、そのコミュニティ同士が繋がっていく感じですね。花田先生が言う「公共圏」(社会的関係が作り出す見えざる公共空間)のコミュニティがつながっていく。
 社会からこぼれ落ちる人をどうすればいいのかを考えるときにジャーナリズムが役に立つ。そういうマインドをみんなが持つことが大事だと思います。中立と公平は違います。意見が違う相手でも、会いに行って話を聞く。立場が違っても、何とかして話を聞こうとするのが「公平」。「中立」とは自分がどっちからも責められたくない、怒られたくないというだけだと思います。

 特ダネ記者、山本博氏の思い出 朝日新聞特捜部の盛衰については、元政治部でいまはネットメディア「SAMEJIMA TIMES」を主宰する鮫島浩氏の著書『朝日新聞政治部』(講談社)にも詳しい説明がある。鮫島氏自身、特報部での福島原発「手抜き除染」報道デスクとして新聞協会賞を受賞している。取材の中心になった1人は北海道新聞から移った青木美希記者だった。初代特別報道部長の依光隆明氏は高知新聞社会部長から招聘された人であり、部員として在籍した人には、渡辺さんといっしょにワセダクロニクルに移った木村英昭、週刊文春出身の松田史朗、銀行員から転職してきた宮崎知己(木村氏とともに吉田調書をスクープ)、下野新聞から移籍した板橋洋佳(大阪地検検察官のフロッピーデスク改竄をスクープ)各記者など、依光氏の言う「一騎当千」の記者たちが蝟集していた。これだけの陣容を抱えながら、特別報道部を閉鎖、多くの人材を手放した経緯そのものが、朝日新聞の衰退を象徴していると言っていい。
 依光氏はかつて<リクルート報道をやった山本博さんが社会部長になり、編集局長になっていたら、ひょっとすると山本さん的な調査報道のDNAが濃厚に残ったかもしれない」と述べたことがあるが(高田昌幸・小黒純『権力vs.調査報道』旬報社)、まことに同感である。山本博氏は調査報道史に燦然と輝くリクルート事件の報道でチーム代表として新聞協会賞を受けたが、それ以前の東京社会部時代にも公費天国、平和相互銀行事件、KDD事件、談合キャンペーンなどの調査報道に携わり、新聞協会賞を2度受賞している(写真は山本博『朝日新聞の「調査報道」 ジャーナリズムが追及した「政治家とカネ」』小学館文庫の中表紙から)。その彼を朝日新聞経営陣は編集局主流から外し、名古屋本社社会部長以後は東京広告局次長、出版局次長、事業開発本部長と傍系へと追いやった。
 その山博(やまばく)氏とは『DOORS』編集長をしているときに知り合った。社会部長や科学部長もつとめた著名なジャーナリスト、柴田鉄治さんは調査研究室長時代、朝日新聞改革案として「山本博君をリーダーとする調査報道部門を作るべきだ」と提唱したことがあるが、社内でまともに相手にされなかった。私が接した山本さんは、特ダネ記者とは別の進取の気性に富む良き管理者で、インターネットにも興味をもち、よく「いまメールしたから」とわざわざ局長室から伝言しに来たりした。彼とはウマが合い、後に朝日学生新聞社社長になったとき、その縁で『朝日小学生新聞』に「サイバー博士と考える・ケータイ質問箱」という、サイバーリテラシーという持論に基づいた連載をしたこともある。2013年の夏のある日、彼は「今日は早く寝る」とベッドについたきり、朝になっても目覚めず、帰らぬ人となった(Y)。

講座<ジャーナリズムを探して>⑤

◎第87回(2025.5.22)
 
升味佐江子さん【津々浦々、孤独な人への連帯を求めて、荒れ野で叫んでいます。一定の成果を上げつつ、YouTubeというメディアの限界も感じ、さらに一層発奮しているところです】

 1986年4月弁護士登録。2009年から2012年まで最高裁判所司法研修所刑事弁護教官、2013年から2021年までBPO放送倫理検証委員会(委員長代行)、2017年度第二東京弁護士会副会長。公益社団法人、自由人権協会(JCLU)代表理事、公益社団法人発達協会理事なども務める。デモクラシータイムスにはスタートの2017年から参加、事務全般を担当するほか「山田厚史の週中生ニュース」、「探査報道最前線」などでキャスターを努めている。

 デモクラシータイムスについては本シリーズ②で山田厚史さんから話を聞いているが、2017年の開設以来、そのよき伴走者、あるいは牽引者として事務一般を支えてきた弁護士、升味佐江子さんに、インターネットメディア全体の中でのデモクラシータイムスの位置付けや、現在のインターネットメディアとジャーナリズムのあり方について話を聞いた。
 弁護士稼業のかたわら、ふとした経緯からジャーナリズムの世界に足を踏み入れた升味さんだが、主として安倍政権下の民主政治への力ずくの介入とそれにタジタジとする既存マスメディアの不甲斐なさ、一方でネット特有のアルゴリズムにうまく乗った新興ネットメディアの多彩とも乱立とも言える現状は、升味さんの「ジャーナリスト魂」を呼び起こし、それを掻き立て、一層の奮闘努力を促しているようだった(以下、升味さんの話。()内はメンバーの質問や発言)。

 デモクラシータイムスのチャンネル登録者は2025年5月21日現在で24万2500人です。2017年以来約8年間で配信してきた番組は3118本、年間400本に上ります。週3回ナマ放送もしています。運営資金は小口寄付と広告料です。年間3000万円を集めて、それをほぼ使い切るという感じですね。
 デモクラシータイムスを始める前に3年間、デモクラTVの期間があり、ルーツが朝日ニュースターや愛川欽也さんの番組にあるのは山田さんのお話の通りです。初期メンバーは表の9人ですが、早野さんはすでに物故されました。デモクラシータイムスを始めた主観的理由は、時代の閉塞感を背景に、表現者の発表の場を確保したいという思いで、当時脚光を浴びつつあったYouTubeなどのネットメディアの可能性に賭けたということです。
 ネットの世界では、1999年に神保哲生さんが始めたインターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」が、日本でジャーナリストがネットで勝負しようとした最初ではないでしょうか。ここは、広告に左右されない独立性を保つという趣旨で最初から会員制でした。ベーシック会員は月額約1000円で現在は会員数が2万5000人くらいだと思います。月額2000万円を超える収入ですから、スタジオを自前で持ちスタッフを常勤で雇い運営していると聞いています。そして、新しい会員獲得のためにYouTubeでは一部無料公開もしています。チャンネルとしては原則有料で、有料会員の獲得のために人目を惹く無料動画をつくるというのが、ネットの世界では主流ですね。番組を前後に分けて前半は無料で人を集め、面白いところで「この後は有料です」という方式も多いのではないでしょうか。専業になれば、生活もかかるし見通しの立たない寄付には頼れないというのだと思います。ただ、集客のためという位置づけの無料公開動画は、タイトルや内容がどうしても煽情的になる、テーマも今話題になっている表面的なものにならざるを得ず、誰も着目していないけれど価値がある対象を深く掘るというジャーナリズム本来の方向性とはちょっと違ったものになりますね。
 その流れからすると、私たちは異端かもしれません。視聴回数を稼ぐ動画がある一方で、私たちは「これを伝えなければ」と思っている、ここでしかやっていないテーマは派手さがなくても地味に長くお金もかけてつくっています。そして、以前のデモクラTVでの経験から、YouTubeでチャンネルを有料化してしまったら、結局は、その問題に興味を持っている人だけしか見てくれないという限界がある、いわばもともと同じ意見の人が室内で集会をしているというか、庭池の鯉に餌をやるような感じがして、それが嫌ですべての動画を無料配信にしています。原発反対の人ばかりのところで原発反対を叫んでも、反対の人数は増えない。どこまで可能性があるかはわからないけれど、街頭に出て無関心な人の耳目に触れることを考えました。荒れ野で叫ぶというか‣‣‣。「津々浦々、孤独な人への連帯」をめざしたわけです。
 メニューの一端は以下の通りです。

 いわば総合チャンネルです。ねらいは「日本一わかりやすいニュース解説」で、モットーとしては「最初に鳴く、しつこいカナリア」をめざしており、現場取材を大事にしています。番組はこちらで消さない限りずっと残っていますので、古い番組が思わぬ時にヒットしたりもします。これはYouTubeならではの強み、アーカイブの力ですね。

 左の表はチャンネル登録者数の変遷です。コロナ、統一教会、マイナ保険証、大阪万博、小池都知事、兵庫県知事などのテーマを集中して配信することで視聴者が増えています。ここに上がっているトピックは、どれも先鞭をつけたのは私たちだとひそかに思っています。業界のひとが、ネタ探しに番組を見ているという話は特にコロナ後に何度も聞きました。大阪万博など私たちが2年前から言っていたことがその通りになったし、安倍首相と統一教会問題も私たちが最初に動画で取り上げたと自負しています。コロナ対策もマイナ保険証問題も世の中の風を少しは変えたかなという手応えは感じています。

 YouTubeは自由な言論空間とは言い難い

 ネット上のさまざまな情報発信の中には、ジャーナリズムを標榜したものもたくさんあります。注目すべき動きは、2018年以降、投資家が関与し大きな資本をもって参入して、しかも多くの登録者を獲得している一群のサイトが出現したことです。代表的なのが「ピボット(245万人)」、「ニューズピックス(148万人)」、テレビ東京出身の高橋弘樹さんの「リハックQ(121万人)」などで、経済ニュースや話題の人物に焦点を当ててユニークな番組づくりをしています。
 それまでYouTubeの政治分野のチャンネルは、上位100位まで、安倍晋三チャンネルや虎ノ門ニュースなど右派系の政治家の個人チャンネルかそのグループの評論家の出るチャンネルがほとんどでした。それが、2020年前後から明らかに変わってきています(中身はあまり変わらないですが)。マーケッティングに重点を置いて、ターゲットも定めその関心にもっともヒットする話題や人を集めて番組を作る手法です。まとまった資本とある意図をもって参入したり、ポピュリズムや保守政党とのつながりがあったりですが、その存在感と力は、圧倒的になりつつあります。これに対して、リベラルなジャーナリズムはむしろ少数派です。
 私たちのめざすジャーナリズム追求サイトの可能性はどのくらいあるのか。私としては調査報道に特化しネットで取材結果をビジュアルも工夫して公表している若いジャーナリスト集団『Tansa(探査)』を大変興味深く思っています。海外を含めた果敢な現地取材、若いからできる体力に任せた膨大な量の公表資料の分析など、コタツ記者化、記者会見記者化しがちなネットのジャーナリストに喝を入れてくれるのではないかと期待しています。
 ただ、ネットのアルゴリズムそのものがもっている大きな制約も無視できません。一言でいえば、「YouTubeは自由な言論空間とは言えない」ということです。たとえば、ある動画を配信すると、そこにYouTubeが適宜広告を挿入、その中から配分されるものが私たちの収入になるわけですが、内容によっては広告料の配分がないものがあります。
 YouTubeは、巨大な広告業のマッチングサイトです。大量の広告の表示先の希望と動画をAIでマッチングさせるわけですが、広告主が広告を届けたいと希望する年齢、収入、関心などなどの視聴者群にその広告が表示されるように綿密にシステムが出来上がっています。広告料を高く出す証券会社や投資顧問会社であれば、経済や株価に興味があって、都市でも豊かな地域に住んでいて、高収入のビジネスマンか、悠々自適で投資の余裕のある高齢者に広告を表示したい。そうすると、金相場やこれからの株の動向、EV業界の今後と言ったテーマで、経済評論家やジャーナリストがしゃべる番組に広告をつけたいわけです。
 他方で、原発反対、沖縄の米軍基地などというテーマの動画ばかり見ている視聴者の関心にこたえる広告主はなかなかいないだろうと想像はつきます。さらに、従軍慰安婦や南京虐殺、イスラエルの蛮行を告発する動画となると、むしろ広告主としては政治的な主題やコントラバーシャルなテーマは避けた方が賢明だ(そういう動画に広告が流れると企業自身が炎上する可能性もある)と思うでしょうから、YouTubeとしては広告主にお勧めしないというカテゴリーにいれます。そうすると、私たちに広告料は分配されません。最近ですと、マイノリティレポートとか韓国通信、パレスチナの現地取材のようなものだけでなく、毎週やっているニュースショーでも「広告適格性がない」として数万回見られても分配が全くない番組が、一か月に配信する番組の1割強あります。
 結局、YouTube側からすると、広告主がつきやすい動画に優先的価値がある。「よく見られて、広告料がたくさん入る動画」=「いい動画」です。ジャーナリズム本来の機能である「権力批判」、「権力監視」などの番組に特に価値を見出しませんし、報道だからと高く評価することはまったくありません。その意味でYouTubeの基準は明確です。商業的に値段の高い広告をつける価値のある動画か、ということです。
 さらにYouTubeで配信する際の問題は、広告料の配分がないだけでなく、「削除」されることがある点です。たとえば、戦争やテロ、残虐な場面が含むもの、幼児虐待や健康に関わるものに関しては、膨大なガイドラインがあり、これに反すると広告料が入らないだけでなく、YouTube上からその動画が放逐されることになります。YouTubeの基準で動画が予告なく削除され、そういう動画が3回蓄積するとチャンネルそのものが削除されて、それまで公開してきたすべての動画がなくなってしまいます。「削除」は予告なく突然に行われます。基準は、分かりません。問い合わせると、「ガイドラインに書いてある」と返事があります(YouTubeとのやり取りは全てウェブ上で行われ、電話など直接人の声を聴くことはありません)。
 しかし、そもそもガイドラインが膨大なうえに抽象的で、動画のどの部分がどのガイドラインのどこにあたったのか、ほとんどわからないですね。ただ、テロの扇動と言われるようなものでなければ反政府的とか政権批判的なものでも自由です。根拠のない誹謗中傷は、名誉棄損的なものとして削除にもなりますが、そうでなければ相当に広い範囲で許容されています。だからこそ、私たちのチャンネルは活動できていますし、YouTubeは中国などでは遮断され視聴できないわけです。
 確かに、コロナが蔓延した時期は、非科学的な噂や陰謀論がYouTubeに広がって、これに対処するために「WHOや政府の公式見解に反する非科学的な動画」というのが削除対象となったことがあります。私たちの動画の中でも、初期に政府のコロナ政策を「科学的に」批判した動画が削除されたことはありました。この時は、ちょうどWHOの見解が少しずつ変化しており、新しい論文を根拠に異議を述べて復活しましたが、逆に、コロナの副反応の死亡事例について、その医学的メカニズムの仮説を解説した動画は、根拠となる論文等を指摘して異議を述べても通らず、削除されて回復していません。この辺りの基準が不明瞭なのが問題です。
 これは動画を配信する側に複雑な影響を与えます。最も問題なのは、削除の基準が私たちの側には事前に明確でないという点です。その結果、突然バンされる危険を避けるために自己検閲するようになりがちです。さらに、事後の救済措置が実効的ではありません。YouTubeは私企業で、私たち配信者はYouTubeのガイドラインを守って動画を投稿する約束で契約していますから、削除について不満を持っても民対民の問題で、政府の検閲のように裁判所に救済を求めるという制度はありません(公的機関がこのようなあいまいな基準で「削除」したら、憲法違反で訴訟になります)。
 異議を述べられる形ばかりのフォームがありますが、それで救済措置がとられることはほとんどありません。企業と利用者が対等であれば、契約上の取り決めで済みますが、YouTubeは動画配信の世界では独占的な支配者ともいうべき存在です。このような状況で、一方的な「削除」が契約上可能というのは、大きな問題です(もっとも、いまYouTubeで問題になっているのは、暴力的な動画、フェイクニュースの垂れ流しや兵庫県の混乱の原因の一つであり何名もの自殺者を生んでいる立花氏の動画のような名誉棄損や脅迫・強要まがいの動画、子どもを含む性的動画などの深刻な問題で、少なくとも日本では政治的意見によって動画が削除されたという実例は知りません。広告料の分配がないというのではなく、削除にまで至った事例は、政治的意見をまったくのフェイクの事実に基づいて拡散したり、表現が名誉棄損・侮辱的なものであったからではないかでしょうか。「動画が削除された」というのは、そのこと自体が一定の界隈ではチャンネルの宣伝効果を生むので、「削除された」と騒ぐ人もいますが、削除の理由は政治的意見やテーマ自体ではないと思っています)。
 いまはYouTubeだけが突出していますが、大きく言えば、インターネットのアルゴリズムそのものの問題もあります。データを自動的に分析して最も広告効果の上がるところに配信するというモデルが採用されている結果、自分がかつて見た、あるいは自分の意見と同じ傾向の動画ばかりが画面に現れるという「フィルターバブル」、「エコーチェンバー」も起こります。兵庫県知事選挙で問題になりましたが、同じことは日常的に起こります。視聴する方も、そのつもりで情報を探しに行かないと、世界中が自分の意見と同じなんだ、実は自分の意見が多数派なのだという誤解に陥ります。政治情勢も見誤りますし、判断がゆがむ危険は常にあります。

 広告料の基準にはかなりの幅がある

 (YouTubeは便利ではあるが、一方でやっかいな問題もあると) そうです。広告を取りたい、お金にしたいと考えると、より刺激的、より大衆迎合的に、という誘因が働きます。より短期的な視野の動画となり、長期的視野からの批判的論評など到底できなくなります。これは本来のジャーナリズムからは遠ざかる。形だけ派手で一緒に囃してくれる視聴者がついて、配信者が悦に入るという悲劇的なことになります。
 広告がつかないというのは、見ている人には広告がついているんだけれど、私たちには支払いがない、ということです。月に公開する番組35本のうち3~4本になることもあります。だいたい、年間では1割程度は広告料の分配がありません(こういうことがあると、普通は、広告適格性がないと言われない番組をつくろうと委縮するのですが、私たちは勲章だと思っています)。
 ただで便利なシステムを使わせていただいているのでしょうがないところがあります(自分でシステムをつくれば数千万かかりますし、常にハッカーが入らないようにとか安全性の確保やメンテナンスをする必要があり、年間の維持経費だけでも数千万かかると思います)。ただ、今の私たちのようにこれで食べていかない人たちが運営するのではなく、デモクラシータイムスをだれかに「企業」として引き継いでもらうことになれば、安定した収益が必要で、その手っ取り早い方法は番組の有料化です。でも、そうしようと言い出す同人はいない。初心通りこのままで行くしかないと思っています。メンバーも高齢化し、初期の8人の平均はすでに74.5歳。運営は「ゆる~い合議制」をとっていますが、ある時点ですっぱりやめようという人、これだけお客さんがついているのでそうはいかないという人、集まるたびに堂々巡りの状態です。
 (広告料金の基準は?) 基準がさまざま、必ずしも動画の時間の長短に拠るわけでもないですね。1クリックあたり0.1~0.3円が相場だと言われていますが、番組によって違います。1クリック1.0円というのもあり、うちの番組はほかのチャンネルの動画に比べるとわりと高いと思います。山田さんが司会をしている経済解説は高い部類です。ちょっとおちゃらけた、よく見られる番組はそれほど高くない。すべてAIで決まっているから、どうなっているのか細かい事情は分かりません。
 ユーチューバーで大金持ちになっている人は、YouTubeの広告料だけではなく、直接、企業から入る広告料の方が大きい。そういう広告を「会社案件」と言います。たとえば、インフルエンサーと呼ばれる人気のある若い女性のチャンネルは「美容・化粧」がテーマのものが多いのですが、化粧品会社が視聴者の多いチャンネルに多額の広告料を払って直接「今秋の口紅はこれがいい」などと勧める番組を作るように依頼し、YouTubeの広告とは別に番組の中でその化粧品で化粧をするところを見せて勧めたり、商品を見せてお勧めするというものです。
 これは、ターゲット層に直接商品を宣伝できるので非常に人気のあるマーケット手法で、ユーチューバーと会社を結びつけるための広告代理店も、そういうユーチューバーをかかえる事務所もあります。月に100万円単位で稼いでいる人もいるようです。デモクラシータイムスには、この本を取り上げてほしいというようなお金と全く関係のない依頼はありますが、なかなか番組中で宣伝するような商品を持ち込む人はいません。YouTubeから「もっと細かく番組に広告枠を設定すると(見ている人には大変邪魔くさいことになりますが)収入が1.3倍になりますよ」というような提案がきます。
 (YouTubeのコンテンツの傾向は「今だけ、金だけ、自分だけ」と言うか、新自由主義的な弱肉強食的なものが多いですか) 新自由主義的な投資を勧めたり、若者受けする一定の思考傾向の知名人を出したりする番組は視聴率もよく、だからYouTubeに歓迎されますね。ジャーナリズムの点で言えば、NYTではないけれど、YouTubeでないコンテンツがもう少し増えないかと考えているところです。『Tansa』はネット上で文字のメディアの新境地を求めているので、どうしてもその時の風に乗って右往左往しがちな動画の世界とは異なる媒体として、もっと大きくなってほしいなあと思います。
 (法曹の世界からメディアに関心をお持ちになり、とてもほかの仕事は出来ないのではないかと思うほど力を入れておられる理由は?) 回答は<私がジャーナリズムに深入りした理由>参照。

私がジャーナリズムに深入りした理由>意図してこうなったわけではないんですね。20年前、朝日ニュースターのころ、知人に「出演者に女性がいないから出てくれ」と乱暴(?)に誘われたのがきっかけです。その後2010年頃から世の中が息苦しくなってはいましたが、2012年暮れの第2次安倍政権の登場でメディア攻撃が強まり、好きなことを言える場がなくなるんではないかと、非常な危機感を感じました。せめて地下放送でいいから、「これは違う」と言い続ける場所が必要だと思ったわけです。
 デモクラTVの3年間はお金の面も含めて、会社を私物化する人たちと出口のない摩擦があり苦労しましたが、番組の作り方や視聴者の見方を勉強する有益な期間でもありました。安倍自民党の憲法改正案が出てきた時期には、そういうむき出しの力で押してくるものには負けたくないという思いも強まり、「押しつけ憲法論」を論破する番組をつくったら、意外に反応がありました。2012年から2022年までの10年間は、自分自身の生活でも、世の中、けっこう怖いことになっているなという感じがあり、乗りかかった舟なら沈没するまで乗ってないといけないかも、と。強い正義感があったわけでもないのに、それしか選択肢がないままにここに至っている感じです(^o^)。デモクラシータイムスからお給料が出るわけではないので、事務所を維持して、ご飯を食べるために本業もまじめにやってますよ。

 メディアはメッセージである カナダのメディア研究家、マーシャル・マクルーハンは「メディアはメッセージである」という警句で、媒体としてのメディアは、その内容であるメッセージ以上のメッセージを読者に伝えることを強調した。たとえば同じ西部劇映画でも暗い劇場の銀幕を通して見る場合と、お茶の間の一家団欒の場で見るのとでは影響が違う。映画館を出てきた男性が思わず蟹股姿になっているということは茶の間では起こらない。ましてやスマートフォンの小さな画面で見るのとは違うということである。
 インターネットというメディアはそれがデジタル情報からなっていることで、これまでのメディア(新聞・出版・放送)とは違う影響を与えるが、とくに重要なのはそのアルゴリズム(プログラム)の機能である。それは、升味さんの言うように、多くの情報が一企業であるグーグル(YouTube)好みに染められるということでもあるが、もっと深いところで私たちの精神や感情に影響を与えるだろう。
 一方でインターネットにはどんな少数意見でも、世界の片隅の誰かには届くという利点もある。マッチングの威力である。アマゾンが台頭していたころ、雑誌『ワイアード』編集長のクリス・アンダーソンが書いた『ロングテール』(2006)という本に、こういう話が紹介されている。
 アメリカにはインド人が推定で170万人住んでいる。インドは毎年800点を超える長編映画を製作しているが。それらの映画はほとんどアメリカでは上映されない。なぜなら映画館の客はその周辺住民に限られており、そこでヒットするためには、みんなに喜ばれるハリウッド大作である必要があった。「地理的にばらばらと分散した観客は、いないも同じになってしまう」。しかし、インド映画のオンライン販売になると、170万人は「顕在化」する、と。
 Online塾DOORSの同士だった故唐澤豊さんは「情報通信講釈師」を名乗り、常々、インターネット上の雑多な情報の海の中でも、才覚と努力をもって探せば、そこには表面に広がる一面的な情報とは違う、深い思索に裏打ちされた珠玉の情報があるのだと言っていた。一部の大企業や超富豪によって恣意的に運営されるインターネットを変えていく契機はあると私は思っているが、そのためにはIT社会に生きる個人一人ひとりの覚悟が必要でもあるだろう(Y)

講座<ジャーナリズムを探して>④

 86回(2025.5.12)
 
尾形聡彦さん【死にゆくメディアにノスタルジーを感じているより、新しいメディアでジャーナリズムを育てる。そう考えて3年ほど前にアーク・タイムズを立ち上げました】

 1993年に朝日新聞入社。米スタンフォード大客員研究員をへて、サンノゼ、ロンドン、ワシントンなどで特派員を経験。2018年〜2021年にサンフランシスコ支局長として、IT大手のGAFAを取材。グーグルのスンダー・ピチャイCEO、アマゾン創業者のジェフ・ベゾス会長、テスラのイーロン・マスクCEOにもインタビューした。2022年に朝日新聞を退社、同年7月にアークタイムズ(Arc Times) の YouTubeチャンネルをスタートさせた。著書に『乱流のホワイトハウス』(2017年、岩波書店)。
https://www.youtube.com/channel/UCJpCI6Q0mcy6D_FMqenM94g

 尾形聡彦さんは朝日新聞で長らく海外特派員を経験したあと、紙の新聞が若い人を中心に読まれなくなり、ジャーナリズムを守る気概も薄れつつある中で、古いものにノスタルジーを感じるよりも、ネットの世界で新しいジャーナリズムを追及する組織を立ち上げた方が早道だと考えた。新聞社を自ら退職し、2022年にかねてから準備を進めていたアーク・タイムズ<深い取材と質問を通じて市民社会や民主主義を前進させるメディア>をスタート。いまはスタッフも少人数だが、すでに利益が出る体質になっており、ここ10年で財政的にもしっかりした基盤をもつネットジャーナリズムを育てたいという。その構想は気宇壮大であるとともにジャーナリズム追求への強い意志に裏打ちされており、参加メンバーから熱い視線がそそがれた(以下、尾形さんの話。()内はメンバーの質問や発言)。

 朝日新聞に入社したのは1993年で秋田支局、千葉支局を経て経済部に異動、1年間スタンフォード大学客員研究員となりました。その後3年ばかりシリコンバレーで、当時はスタートアップだったグーグルの株式上場、アップルに戻ってきて間もないスティーブ・ジョブズのiPod発表などを取材しました。いったん帰国し財務省を担当したあとロンドンへ。その後ワシントンに3年間駐在し、発足直後のオバマ政権(2009年~)も取材、そのときから安全保障問題に取り組むようになりました。日本に戻り、経済部で財務省キャップなどもしました。内外の新聞記者取材を通じて、私はいつも率先して質問するようにしてきましたが、表の取材で名前を覚えてもらうことが、裏の取材にも威力を発揮することを学びました。
 アメリカでは2007年に「ポリティコ」がスタートするなど、オンラインメディアへの関心が高まりました。紙とネットと器(メディア・プラットホーム)は違っても、ジャーナリストは紙のメディアからネットに移り、また逆の場合もあるわけです。そういうのを日本でもやりたいと思うようになりました。
 一方で新聞はどんどん読まれなくなっていました。朝日の中でも改革案を出したりしましたが、結局、新聞は変わらないということもわかってきた。自分で小さいコアを作って拡大した方が役に立つのではないかと考えるようになったわけです。その後、2018年にサンフランシスコ支局長として赴任しましたが、その間もスタジオ探しや各種のリサーチを始めていました。自分自身の生産性が高いうちにやめたいと思っていましたが、GAFAの大物を取材できるのは得難い経験でもあり、結局、サンフランシスコから戻ったあとの2022年6月に退社し、同年7月にアーク・タイムズを立ち上げました。国際的なメディアになることを念頭にカリフォルニア州でも会社登記をしています。
 折りしも安倍晋三前首相が奈良で銃弾に倒れる大事件が起こり、7月12日に急遽、初めてのユーチューブ番組を配信しました。コアメンバーは編集長の私、カメラマン、会社運営や編集・事務をする幹部、それにキャスターとして参加していただいた東京新聞記者の望月衣塑子さんら。ほかに4人~5人ぐらいの協力者がいます。
 ニュースは基本的に毎日配信しており、休む日がときどきある程度です。配信は午後5時から9時ごろが中心。例えば斎藤元彦兵庫県知事の記者会見に出る日は午前11時ごろ新幹線に乗って、午後3時から会見に参加、その後ライブ配信をします。今日は岡山に来ています。明日は高松でジャニーズ関係の会見があるためです。この後岡山で夕方6時からライブをやったあと、深夜に高松に入る予定です。明日は朝から取材してジャニーズ関連の会見のあと東京に戻り、午後6時ごろからライブ配信といったようなスケジュールです。
 今のYouTubeのチャンネル登録者は15万7千人です。YouTube配信は無料ですが、チャンネル上で有料のメンバーシップ制も導入しており、メンバー限定の動画を配信しています。広告収入やサブスクなどで、利益は出る体質になっています。3年弱でここまで来ており、当初の予想を超えるペースです。今後さらに拡大していきたいと思っています。ニュースチャンネルのなかで、女性の視聴者が多いのが特徴なので、そうした特性を生かしつつ、成長速度を加速させていきたいと思っています。
 いまはユーチューブ配信が中心になっていますが、今後はオンラインのニュースの提供を拡大、記者も50人、そして100人へと増やしていき、海外にも拠点を置ける財政的にしっかりした組織にしたいと考えています。

 新聞は若者から読まれなくなり、記者の能力は衰えている

 2015年のデータですが、公表されていた数字で、各主要紙の40歳以下の紙面の有料購読者の割合を見た時にびっくりしました。日経を除いて、朝日新聞を含めた主要紙は5%前後でした。新聞は若い人にはまったく届かないのだと改めて驚きました。中高年だけのものになり、その層がさらに高齢化に向かうと、いよいよ消滅する。いま、朝日新聞の部数は330万部程度で、読売新聞は560万部程度だといわれます。部数が小さくなってるのに、減り方のスピードが止まらず、新聞によっては、部数減がむしろ加速していく状況です。
 記者も、物議をかもすような権力批判の記事よりも、自分の関心事項ばかりを取材して書く傾向にあるのではないか。人々の人権や権利を守る記事を書いてきた、いわゆる人権派の記者たちは冷遇されています。新聞社に入ったのに、なぜここまで出世したい記者が多いのかなとも思います。幹部たちは出世のためにはリスクをとりたくないから、部下にもリスクを回避するような記事を書くように求める。大きい組織で本来はまだ余裕があるはずなのに、実際は権力を監視する機能がかなり衰え、ジャーナリズムとしては相当厳しいところに来ていると思います。
 だからむしろ、ジャーナリズムの新しい組織を作ろうと考えました。ジャーナリズムはしっかりした経営者や編集責任者がいないと完結しない。自分が覚悟をもってメディアを立ち上げ、経営すれば、可能ではないかと思いました。だから、それを出来るだけ早くやりたいと思ったわけです。新聞はあと10年で10分の1ぐらいの規模になると思います。そのときにジャーナリズムのコアを担う組織をつくらないと、日本の民主主義はダメになる。世界も同じ状況で、今は新しいメディアが拡大するフェーズに入っている。我々も規模をどう拡大し、どう人員を増やしていけるか考えているところです。ニューヨーク・タイムズ(NYT)はデジタルだけで1000万人の有料購読者がいます。こうなれば十分にやっていけるわけです。
 紙のメディアは一覧性があり、読もうとしていない記事も自然に目に入る。見出しの大きさでニュースの重要さもわかり、すぐれたメディアだと思います。しかし、残念ながら読まれていません。テレビもすたれ始めている中で、それらを読んでください、見てくださいといっても詮無いことです。ネットの情報は短く、自分でスクロールして主体的に記事を読んでいるようで、実は同じ傾向の記事を見ることになったり、興味のない情報には接しなくなったりする短所があります。ただ、テクノロジーの発展とともに時代もメディアも変わっていくのは必然です。ネットを通じてより良い形で、幅広いニュースを伝えることを考えていきたいと思っています。

 財政基盤もしっかりしたネットメディアをつくる

 (前川喜平さんと田中優子さんが共同代表をつとめる「テレビ輝け!市民ネットワーク」という団体が、テレビ朝日ホールディングスの株主総会でテレビ報道の公正中立を求めて株主提案した件で、アークタイムズがテレビ朝日放送番組審議会委員長の見城徹氏と同氏経営の出版社、幻冬舎によって訴訟を起こされていますね) 田中優子さんに株主提案の経緯や目的を話してもらっただけなのに提訴されました。われわれとしては、これを「スラップ訴訟(SLAP=strategic lawsuit against public participation、市民参加を妨害するための戦略的訴訟)」と受け止めて、徹底的に争っています。報道の自由を封殺する動きには断固戦います。いまそのためのご寄付やカンパも募っています。
 (新聞が持っていた長所、記者訓練のノウハウなどをどう考えますか。記者クラブにもそれなりの役割があるのではないか。既存メディアの持っていた長所をネットメディアで維持できると思いますか) 日本は新聞購読率の高い国だった、讀賣1000万部、朝日800万部を擁し、海外支局も特派員数も多かった。大きな資本で大きな企画をして、新聞を売る術もたけていたが、いま急速に部数が落ちていて、どうしていいかわからない状態です。いま記者クラブはほとんど機能していないのではないか。個々の記者には頑張っている人たちもいます。しかし、記者クラブ内で団結して記者たちが厳しい質問をするようなことはほとんどない。沖縄や兵庫など地方の方がまだ健全だと思うが、中央の記者クラブはかなりダメになってきているように感じます。朝日の記者も、一部の個性的な記者を除いて、ほんとに目立たなくなった。
 財務省の取材キャップをやっていたとき、若い記者から「批判に何の意味があるんでしょうか」と聞かれて驚いたことがあります。将来を嘱望されているような記者が「批判することに何の意味があるのか」と思っているわけですよ。今やこの世代の記者たちが、デスクや部長になっている。やはり新聞の紙面の質が低下している背景にはこうした構造上の問題があると思います。
 記者クラブは今、単なる互助会となり、権力と一体化しつつあるのではないかと、昨年来、国民民主党の玉木代表の記者会見に出ていて感じました。記者たちの高い給料も、記者の個性が失われていることに影響していると思います。高い給料を守ために、保身に走る傾向が強くなる。権力におもねるようになるだけでなく、自社の幹部に対しても、モノを言わなくなっている。
 もっとも記者クラブが歴史的にどれだけ戦ってきたかは実は疑わしいと思います。個性的な記者が多かったことで、それなりの機能を維持していたというのが現実でしょう。メディアにもコアの部分で優秀な人はいると思うけれど、今、どこにいるのかはわからない。社会全体の右肩下がりの影響が大きく、その中でどうやって生き残るかしか考えていないのではないか。権力に立ち向かってはじかれるよりは、中に入って行ってヨシヨシとされる方がいいと思ってしまう人が多いように感じます。
 全国紙の中で讀賣だけが残るという意見がありますが、私は讀賣も苦しいと考えています。日経新聞は、ビジネス情報や株価の情報を扱っているので一定の形で残ると思う。一般紙はどこで生き残るかを考えると、解がない。新聞社は今、編集部門はむしろお荷物と見ていると思います。編集は縮小均衡で赤字が出ないようにしていき、むしろ不動産など他部門で稼ごうという。まったく間違った考えだと思います。これは記者のせいではなく、経営の失敗なのだが、ほんとに悪循環ですね。
 (現在の収入構造について) メンバーシップによる購読収入と、広告収入が主です。寄付やカンパにも助けられています。広告は、グーグルが事後的に動画に差し込んでくるもので、私たちは広告主との接触は一切ないので、広告主に影響されるということはありません。メンバーシップの数は公表していませんが、現代の段階である程度の規模はあります。利益が出る構造になってきているので、業容の拡大に向けて、いろいろ検討しているところです。
 (アメリカではネットメディアでもピュリッツァー賞をとれるような「プロパブリカ」とか「ポリティコ」などがあるけれど、日本での見通しは?)(朝日新聞が紙を諦めてデジタルだけでニュースを伝えていくのはどうか。朝日新聞デジタルはユーザー20万人くらいで、しかも新聞との併読が多い。外から見ていると、伸ばそうという意識もあまりなさそうだが) 
 なぜ新聞社を辞めたのかよく聞かれます。多くの人は定年後だったりするけれど、私の場合は、早くしないとメディアの変化に間に合わなくなると思って辞めました。10年後に、全国紙が消滅に近い状態になるときに役割を果たせるように、何とか間に合わせたいと思っています。そのとき、どれだけの規模になるかはともかく。NYTはデジタルの有料会員だけで1000万部、朝日デジタルはいまだに20~30万人だと言われます。調査報道はお金にならないというけれど、実は、売り上げを増やすことにもつながると思います。NYTがやっていることはほぼ調査報道のようなもの。「政権がいま、水面下ではこんなことを考えている」、「トランプ大統領はこう言ったが、その裏側にはこんな意図がある、こんな人々の働きかけがある」、こうした本質をビビッドに伝えるのは立派な調査報道です。そこにはニュース性があるし、人びとの関心も集まる。NYTにはいまのジャーナリズムで力で掘り起こせる、最も質の高い情報がそろっているから、人びとはおカネを払う。
 朝日新聞にもそれは出来ると思うけれど、その意思がない。経営の覚悟もない。「なぜネットの中でバズっているものを、2〜3周遅れで追いかけるのか」と、言ったことがあります。「それよりもバズるようなニュースを作り出さないと。朝日新聞にはそれができる陣容が揃っているのに」と。そこがわかっていない。もう1つはリスクをとりたくないんですよ。
 朝日新聞をはじめとした新聞は、いいメディアでした。でも衰退し、質が低下し、そのニュース部門を自ら立て直そうという意思がない組織に、残念ながら未来はありません。日本の新聞は、この130年間近く、人々にニュースを伝える「器」として支配的でした。しかし、その「器」はすでに、デジタルに変わってしまいました。ダメになってしまったものを嘆いてもしょうがないと、私は割とクールに思っていて、死にゆくメディアにノスタルジーを感じているより、新しいものを作って新しいジャーナリズムを育てるしかないと思っているわけです。
 調査報道をどう続けるか。まず一定の規模の利益が安定的に出るような態勢を作って手を広げていかないといけない。報道記者を増やし、質の高い報道を継続的に生み出し、それがさらなる収益につながるNYTのような好循環を作りたいと思っています。日本にも調査報道に特化した「タンサ」がありますが、一つのすばらしい方向性だと思います。
 私としては、まず商業的にジャーナリズム、調査報道が成り立つような財政的基盤を築きたいと考えています。調査報道が特別なものと考えているわけではありません。もともとジャーナリズムには政治権力の監視という意図があったはず。いま米がこんなに高いのになぜ問題にしないのでしょうか。おかしいと思います。いまの私は8割がた経営のことも考えざるを得ないから、取材する時間が減っています。朝日の新聞記者時代は、記事だけ書いていれば良かったから、今考えたら、幸せだったと思います。時間もあり、高い給料をもらっているんだから、もっとちゃんとやれよと思いますね(^o^)。

<私にとってのジャーナリズム>ビル・ゲイツにインタビューしたときに「新聞はどうなると思うか」と聞いたら、「世の中に起こっていることをきちんと取材し、それを咀嚼し、世の中に伝えるという仕事は残ると思う。ただ、それが新聞かどうかはわからない」と言われました。まったく同感ですね。ジャーナリズムというのは、相手とは違う市民の立場で取材して、事実を突きつけ、これはどういうことなのかを問うことですね。
 2020年のアメリカでの取材で、トヨタ自動車のEVへの取り組みについて現地幹部に「日本はなぜEV開発がこんなに遅れているのか。2025年にはもう勝負がついていますよ」と質問したことがあります。そうしたら後から広報の人がやってきて「なぜあんなことを聞いたのか」と詰問してきた。「上が怒っている」と。しかし「トヨタのEV対策は遅れている」と指摘するのがメディアですよね。「王様は裸だ」と示すのがジャーナリズムの役割だと思っています。

 目指すはネットジャーナリズムの雄 「ジャーナリズム(journalism)」という言葉は「日々の記録」を意味する「ジャーナル」から出ており、日々の出来事を認識し、表現し、公開する精神活動である。一般に民主主義社会を支える重要な機能とされ、その大きな柱が権力監視だった。かつてジャーナリズムの雄を誇った新聞が担った役割は、
 ①公正な報道
 ②価値評価:1日という区切りの中で、昨日の世界はどのようなものだったかを整理して読者に提供する
 ③社会を束ねる
ことにあった。②は記事の扱い(大きさ)に差をつけることによって、一定の認識の枠組みを提供することであり、③は多元的な社会のまとめ役だと言えるだろう。
 新聞だけではなく、出版も、テレビも、ラジオも、さらには映画も、アニメも、それらがメディアである以上、ジャーナリズムと無縁ではないが、だれもが情報を発信できるネット時代では、雑多な情報があふれる混沌の様相も見せている。アメリカでは早くからジャーナリズムを追及するネットメディアも盛んで、そこには多くのジャーナリストが集まり、ピュリッツァー賞を受賞するような記事も書かれている。尾形さんはアークタイムズを経営基盤もしっかりした日本におけるネットジャーナリズムの雄にしようと日々奮闘しているようである。(Y)

新講座<ジャーナリズムを探して>③

 第85回(2025.4.21)
 田淵俊彦さん【ホールディングス制と海外配信メディアの進出がテレビのあり方を変えました。テレビは「放送文化」としてのアイデンティティの危機に直面しています】

 放送の歴史ということでは、戦前の1925年に東京・愛宕山からラジオ電波が発信されて、今年でちょうど100年になる。もっともテレビは戦後、1953年のNHKと日本テレビが最初だから、まだ70年の歴史しかない。その間、1959年のミッチーブーム(皇太子妃ご成婚)、1964年の東京オリンピックを経て、テレビは一気にお茶の間メディアの中心になった。評論家の大宅壮一が「一億総白痴化」とテレビの弊害を警告したのは1957年だった。
 そのテレビが現在、インターネットのユーチューブをはじめとする動画配信に押されて、メディアの王座をすべり落ちようとしている。わずか70年の激しいアップ・アンド・ダウンである。最近、世上を騒がせたフジテレビの混乱は、その象徴のようにも思われる。テレビはこれからどうなるのか、どこに向かっているのか、どうすれば「文化産業」としてのアイデンティティを守ることができるのか、テレビ東京に37年間在籍し、ドキュメンタリー、ドラマなどの制作部門で活躍したあと、2023年から桜美林大学へと転じた田淵俊彦さんに話を聞いた。

 映像作家、プロデューサー、ジャーナリスト。テレビ東京で世界各地の秘境を訪ねるドキュメンタリーや「連合赤軍」、「高齢初犯」、「ストーカー加害者」などの社会派ドキュメンタリーを制作。ドラマのプロデュースも行ってきた。2023年に退社し、現在は桜美林大学芸術文化学群ビジュアルアーツ専修教授。「ドキュメンタリー論」、「映像デザイン論」などを担当、。映像を通じてさまざまな情報発信をする会社35produceを設立している。
 著書に『弱者の勝利学 不利な条件を強みに変える〝テレ東流〟逆転発想の秘密』、『秘境に学ぶ幸せのかたち』、『混沌時代の新・テレビ論』など。

 テレビ東京には、しんがりの弱小テレビ局だからこその熱気があったが、そのテレ東もしだいに自由な雰囲気と活気を失いつつあるという。アナウンサーだけでなく、有意の才能の人材流出が止まらない。その背景として、田淵さんはテレビ企業の「ホールディングス制」への移行とアマゾンやネットフリックスなどのアメリカ配信メディアの登場を上げた。すでに「テレビ局=番組を作る会社」という考え方は、過去のものなのである。(以下、田淵さんの話。()内はメンバーの質問や発言)

 大学は法学部で、弁護士志望でしたが、あるゼミで少年犯罪にテレビドラマが与える影響について研究したことがあります。テレビ朝日にいたゼミの先輩に、2時間ものサスペンスが流行っている現象について話を聞きに行ったのがきっかけで映像メディアへの関心が生じ、テレビ東京に行くことにしました。1986年のことです。
 テレビ東京は、先行のNHK、日本テレビはもとよりフジテレビ、テレビ朝日よりも10年ほど後発で、規模も小さいし、視聴率争いでも後塵を拝するという弱小企業でした。しかし弱小であるゆえに自由な空気が満ち溢れていました。
 入社6年目でさらに弱小である系列の映像制作会社に移ることになった私は、弱小であることを逆手にとった「逆転の発想」で知恵を絞り、テレ東でもあまり取り組む人がいなかった秘境ドキュメンタリー、しかも「日本の源流を探る」番組づくりに取り組みました。
 クルーはカメラマン、音響担当、アシスタントを含めた4人。まだカメラが踏み込んでない奥地を求めて、チベット、アマゾン、アフリカなど、20年間ひたすら旅をし、訪れた国は100カ国以上になります。最初にチベットに行ったときは高山病から風邪を併発、幽体離脱に似た経験もしました。害虫対策も大変でした。現地では、話を聞かせていただくという謙虚な気持ちを忘れず、あせらず、じっくり観察して、日常の中の非日常を探るようにしました。地域に溶け込むためにまず子どもと仲良くなろうと、おはじき、ビー玉などのおもちゃを持参し、日本食は禁止し現地の人と同じものを食べるなどの工夫も凝らしました。その後、ドラマのプロデューサーもしましたし、若いころはジャニーズも担当するなど多くの経験をしました。

 テレビを変えた出来事の1つが「ホールディングス」制、もう1つが海外配信メディアの登場でした。
 2007年に放送電波が従来のアナログからデジタルに切り替わります。その機器変更などでテレビ会社は多大な出費を強いられ、とくに地方局は財政的に厳しい状況に追い込まれました。そこで、従来からの「マスメディア集中排除の原則」が緩和され、テレビ局にもホールディングス制が導入されるようになりました。これを機に持株会社(親会社)は傘下の事業会社の株式を保有してグループ全体の戦略策定・管理を行い、各テレビ局は放送事業に専念する体勢になりました。背景には当時大きな話題になったテレビ局買収(孫正義+マードック陣営のテレビ朝日、堀江貴文氏によるフジテレビ、三木谷浩史氏のTBS)という動きに対処するねらいもありました。
 この縦系列のホールディングス制導入によって、テレビ局ではマネタリング=金儲けが強調されるようになります。この制度については、フジテレビ事件でフジメディアホールディングスの名前がよく出てきたのでご存知の方も多いと思います。
 また2015年には、アメリカの動画配信大手、ネットフリックスやアマゾン・プライム、フル(Hulu)などの配信メディアが日本に進出してきて「黒船」再来と騒がれました。これに対抗して、日本でも各テレビ局が共同でTVerを始めています。
 従来、テレビ産業は映像番組を制作し、それを電波で家庭に届けていたわけですが、電波とともにケーブルによる配信も盛んになります。テレビ局は当初は配信メディアをライバル視していましたが、そのうち積極的に配信に番組を流してそこで利益を上げるという方向に流れていきます。配信企業も映像作品を自作するようにもなります。テレビでは視聴率争いが熾烈でしたが、今では地上波送時の視聴率だけでなく、配信先での視聴状況も考慮されるようになりました。そうなると、配信先で人びとが飛びつきやすいようにより過激なタイトルや内容が好まれるというふうに作品自体も変化していきます。
 2019年にテレビの広告費がインターネットに抜かれるという、業界で言う「屈辱」的な出来事も重なりました。そんなこんなでテレビ局では金儲け主義が一層はびこり、本来の「文化産業としてのテレビ局」の面影は変質していきました。

テレビの遺産をどう引き継いでいくか

 (ネットで人気のある番組のほとんどがテレビ会社の制作であり、またニュース記事の多くは新聞由来です。新聞もだけれど、テレビの役割は何かをもう1回見直さないといけないと思います。NHKの「ダーウィンが来た!」のようなしっかりした番組はユーチューブではできないですね)、(映像番組を制作する人を、これからだれがどう育てていけるのでしょうか)
 いまテレビ局はほとんど小さな制作会社におんぶにだっこ状態で、著作権なども複雑になっています。局に金は入るが制作会社にはいかないということもある。制作会社がフジの番組を作りたくないということになる可能性もありますね。
 テレビ局の人材に関しては、こういう経験をしました。若いAD(アシスタント・ディレクター)に調べものを頼むと、やけに早く提出するので事情を聞くと、「ウイキペディアで調べた」と言う。関係者に話を聞くなどして調べなおすように頼むと、今度はなかなか結果が出てこない。「ちょっと時間がかかります」と。Q&Aサイトで聞いているらしい。こういうことを厳しく叱責すると、パワハラで非難されかねない。会社に入ってから学んでいるようでは、放送事故を起こす恐れもあります。リテラシー、要は基本を教えられるのは大学の場ではないか。そういうことも教職に転じた理由ですね。
 (漫画『セクシー田中さん』の作者が自作のテレビドラマ(日テレ)が「原作者の意図と異なる脚本になっている」とテレビ局に訴えている過程で自殺するという傷ましい事件がありました。結局はすべてを取り仕切るプロデューサーの未熟のように思いますが‣‣‣) 
 報告書を見ても、結局はコミュニケーション不足ですね。意思疎通がもう少しとれていればよかった。全体を見ているのがプロデューサーの役割プだから、プロデューサーの力量不足と言えなくもないですね。フジテレビ問題も上層部はどこを見ているのか。おもしろいものというのは、視聴者が喜ぶものをつくろうとするわけだけれど、いまは誰のためにつくっているのか、スポンサーのためなのか。いまこそテレビ本来の「放送文化」としての役割を考えなおすべきだと思います。
 (フジテレビ事件は何が一番問題だと考えますか)
 テレビは隠蔽性が高いメディアですね。隠蔽体質と横並び。ほかの局が報道しないのにウチでやることないんじゃないのという。悪いものは悪いというべきだけれど、フジテレビも「隠蔽」体質と言えるのではないでしょうか。メディアは開かれているように見えるが、意外に封建的。フジテレビの場合、一人の人間が天皇のように君臨していた。事件が起こったときに隠そうとせずきちんと対処していたらここまでひどいことにはならなかったと思います。同じようなことは他局でも起こります。フジの広告費がウチに回ってきたと喜んでいる人がいるけれど、テレビ局全体の問題だということを認識していないと感じます。また日本のテレビ局はタレントに頼りすぎ。ドラマの企画でも主演はだれかが優先される状況で、編成局の質も落ちているから、おもしろい企画が生まれません。これは由々しき問題で、今後、放送業界が解決してゆかなければならないことだと思います。
 (テレ東と日本経済新聞の関係は?) 
 テレビ業界は、朝日新聞とテレ朝、読売新聞と日テレ、毎日新聞とTBS、産経新聞とフジというようにクロスオーナーシップを組んでいますが、個々のケースで新聞社の影響力には差があります。テレ東は東京12チャンネルができた時に財政難で日経が親会社になりました。それ以来、社長は日経から天下りで、テレ東のプロパーはこれまで一度も社長になっていません。
 (NHKドキュメンタリ―「シルクロード」が印象に残っているけれど、今は若い人でテレビを見ない人も増えている。これからどの層に焦点を当てて番組を企画するのですか。テレビできちんと見ようとする人と、配信で見ようという人とは見方が違うように思うが、それをどう両立させますか)
 クリエイターとして両方をかなえらるものをつくるのは難しい。放送はだめだけれど配信では良かった例もあります。TVerがけっこう見られていて、1週間以内に見られた回数。そこで評価を受ける場合もありますね。
 (テレビ輝け!ネットワークに入っています。テレビ局がいくら首をすげ替えても免許制が崩れない限り、事態はあまり変わらない気がします) 
 放送局には免許を「いただいている」という感覚がありますね。菅義偉総務大臣のときいろいろ圧力がありました。根拠のないことでも折に触れて言われると、それに影響されるということがありますね。

<薄くなった「放送文化」という意識>かつてのテレビ人には、番組づくりに当たって、「赤字を出してでも、局の可能性を引き出し、強いメッセージを放つためにこれをやるべきだ」という矜持があったし、1つひとつの番組ではなく、タイムテーブル全体で収益を上げればいいというおおらかさもありました。「放送文化のために頑張る」という意識ですね。これが昨今は希薄になってきました。
 また日本は電波のオークション制(行政府から独立した放送通信規制機関が放送免許を出す)を導入していない例外的な国であり、「ガラパゴス・ルール」とも椰楡されています。電波が国の免許制だから、折に触れて政権側から「免許停止」の脅しを受けています。アメリカのFCC(連邦通信委員会)をモデルに、台湾では2006年にNCC(国家通信放送委員会)を設置、韓国においても2008年にKCC(韓国放送通信委員会)が設けられているんですね。日本も改善すべきだという世論が高まるといいと思います。

 前半の話には、おもしろい映像作品をつくろうと切磋琢磨していたテレビ全盛時代の幸せな空気が反映されている。フジテレビはかつて大学生の就職希望ランキングで全企業を含めて1位をとったが、後発のテレビ東京は2021年春に大学・大学院を卒業予定の就職希望ランキング調査でNHKや他局を押しのけて業界1位になったという(『弱者の勝利学 〝テレ東流〟逆転発想の秘密』)。
 たしかに、比較的最近の番組を見ても、『開運!なんでも鑑定団』、『ガイアの夜明け』、『美の巨人たち』、『YOUは何しに日本へ』、『家ついて行ってイイですか』など視聴者参加のユニークな番組が多い。『弱者の勝利学』には田淵さん自身の創意工夫はもとよりテレ東全体の意欲的試みが具体的に描かれていてたいへん興味深い。また最近の『混沌時代の新・テレビ論』には、現代のテレビが置かれた状況がよく描かれている。

 総メディア社会とジャーナリズム デジタル技術であるインターネットが出現するまでは、メディアとはすなわち新聞、テレビ、出版と言った既存マスメディアを指していた。新聞は文字(や写真)を印刷した紙を戸別配達で全国に配るものであり、テレビは完成させた映像を電波で各家庭に配信するというように、それぞれのメディアはメッセージも配達ルートも特有のシステムを持っていた。メッセージとメディアは不可分に結ばれ、情報の送り手と受け手は固定され、送り手はメッセージの内容(真偽)に責任を負っていた。
 デジタル技術の登場で、メッセージとメディアは分離され、1つのメッセージがさまざまなメディアに流れるようになり、送り手と受け手の役割も相互に変わり得るものになった。メッセージは必ずしも完成品でなくてもいいし、一本一本が個別に売られるようになった。誰もが情報の送り手になれる気楽さはメッセージの質にも影響し、インターネット上では真偽取り混ぜた情報が氾濫している。真偽の判断は受け手に委ねられているわけである。家庭にテレビを持たない若い世代も出ており、彼らは多くの情報をスマホの小さな画面で見ている。
 私はSNSが登場する前の2009年に『総メディア社会とジャーナリズム 新聞・出版・放送・インターネット』(知泉書館、大川出版賞受賞)という本を書き、従来のマスメディアと新手のパーソナルメディア(ネットメディア)が混在、融合する社会を「総メディア社会」と名づけた。その上で従来のメディアの歴史を振り返りつつ、今後の進展を探ったものだが、そのときに掲げた「総メディア社会の構図」は上図の通りで、登場するメディア群は様変わりしているが、基本構図は変わらないと言っていい。総メディア社会のジャーナリズムの可能性を改めて考えようというのが本<ジャーナリズムを探して>のテーマである(Y)

講座<若者に学ぶグローバル人生>

◎第84回(2025.3.27)
 古海正子さん【「もっと知ってほしい日本のこと、もっと知りたいアジアの国々」。アジアの若い仲間の支援を続けて20余年。あなたも「アジ風」に参加してみませんか】

 アジアに「新しい風」が吹いてからすでに20余年。創立者の上高子さん(写真)は、日本航空勤務のあと、よりやりがいのある仕事を求めて40代半ばで早期退職、日本語教師へと転進したが、そこで焦点を欧米よりもアジアに定め、アジアの若者たちの日本語学習を支援することを思い立った。日本語教師の派遣を希望する大学の日本語学部に教師を派遣することから始めたが、Iメイト(アイメイト、I=インターネット、愛、会い)という秀逸なシステムに乗って、その草の根的交流はアジア諸国と日本のきずなを深めることに大きな貢献してきた。NPO法人「アジアの新しい風」設立は2003年、現在その理事をつとめる古海正子さんに、コロナ禍以後も「新しい風」を吹かせたいと頑張っている同法人の活動について聞いた。
 なお<若者に学ぶグローバル人生>では、これまでアジア、アフリカなどの留学生を中心に話を聞いてきたが、上さんや彼女の後任副理事長を務める創立時以来の会員、元日本語学校校長の奥山寿子さん、そして古海さんなどにも何人かの留学生を紹介していただいている。

https://www.npo-asia.org/

 NPO法人アジアの新しい風(略称:アジ風)は、日本語教育を通して日本についてのアジア諸国の理解を得るため、Iメイト交流を始めとした日本語学習者への支援や文化交流などの事業を行っています。同時に、アジアの国々について学び、相互理解を深めることによって、多文化共生社会の実現を目指し、アジアの平和とひいては世界の平和に貢献することを目指します(定款)。

 1970年4月日本IBM(株)入社、1982~1987まで全社新入社員研修を担当、1987後半から海外人事マネジャーになり、その後、国際人事及び福利厚生などを担当。日本IBMの上部組織にあたるアジアパシフィックで国際人事や秘書のマネジャーを経験した。2009年にアジ風会員となり、2012年から理事、2017年から3年間事務局長、その後現在に至るまで理事。

 アジ風の現在のメンバーは190人ほど。50~70代が中心ですが、80を越えた方もいらっしゃいます。中国(清華大学)、ベトナム(貿易大学)、タイ(タマサート大学)、インドネシア(パジャジャラン大学)の日本語学科で学ぶ学生と直接、あるいはインターネットでのメール交換を通してコミュニケーションしながら、日本語学習の支援をしています。
 主な活動は、Iメイト交流、アジア各国の交流校訪問、交流会や著名人の講演会開催、留学生支援、日本での就職支援などと幅広いです。奨学金制度も設けています。
 Iメイト(アイメイト)は日本語学習者(学生)と会員がEメールを通じて1対1で交流するシステムです。彼ら、あるいは彼女たちが日本に留学するようになると、Iメイトがマンツーマンで観光案内したり、自宅に招いたりして、より交流を深めています。彼らは日本についてけっこう勉強しているので、質問に答えられなくて改めて調べたりもするので、勉強にもなりますが、それよりも子どもや孫ぐらいの若い人たちと、年を離れた友だちのようになれること自体、たいへん楽しいですね。
 交流校は先に上げた4校で、韓国、フィリピンなどが含まれていませんが、もともと日本語学部に日本語教師を派遣することから始まっており、とくに韓国からは「必要ない」と断られた経緯があります(^o^)。
 年に1~2回、Iメイトたちが現地を訪れ、交流校訪問をしています。いずれも現地の一流大学で、清華大学、タマサート大学ともに広大なキャンパスなのには驚きます。
 現在のIメイト参加者は70人強、学生の方は200人くらいいるので、1人の会員で複数の方と交流していることになります。現地での交流会では学生たちの自宅に招かれることもあります。

 交流会ではZoomを使った遠隔参加もあり、新春交流会では150人ぐらいが参加します。グループディスカッション、詩歌朗読コンサート、アニメのアフレココンテスト、落語講演、など多彩な行事を計画しています。年1回の総会の後は著名人をお呼びしての講演。初代理事長をお願いした林雄二郎さんの息子さんで、やはり理事長にもなっていただいた作家の林望さん、日本総合研究所の寺島実郎さん、比較文学の専門家で東大名誉教授の川本皓嗣さん、写真家の大石芳野さんなどに、日本とアジアとのかかわり、言語とナショナリズム、アジアにおける日本のサブカルチャー人気、ウクライナ情勢など、時々のトピックスにそった話を聞いています。これはたいへん勉強になりますね。
 この20年は日本経済の停滞と一方でのアジアの発展という激動の時代を反映して、会の運営にも変化がありました。日本語教師の派遣は経済的な問題のほかに、先方の希望水準が高くなったなどの事情で、いまはやめています。中国は日本を上回る経済大国になりましたしね。
 その間にはコロナ禍もあり、直接交流が途絶えた隙を埋めるように、Zoomを使った交流が始まりました(奥山さんに<Zoomが「アジアの新しい風」に新風>というコラムを書いていただいたこともある)。
 そんな中でも、なお日本に魅力を感じてくれる人も多く、大学卒業後は日本で働きたいという学生さんもいます。これからは日本での就職支援に力を入れたいと思っています。
 悩みは経済情勢よりも、アジ風に参加してくれる会員が減っていることです。最盛期には総数250人近かったメンバーが今は190人。創立当時、60歳の人はもう80過ぎですから、病気などで退会する人が出ていますが、それに代わる若い50~60代の人がそれほど増えないんですね。現役で働いている人は仕事が忙しくなかなか暇が取れないですし、最近は定年が延長になったり、定年後も働かざるを得ない人が増えてきたりもしており、社会全般にこういうボランティア活動に参加する人が減っているように思います。
 それはともかく、いま、絶賛会員募集中です。アジ風のウエブに、第2の人生で落語家になった参遊亭遊助さんの「草の根~アジアの新しい風物語」というなかなか秀逸な入門落語がありますので、それをご覧になって、ぜひ応募してください。https://www.npo-asia.org/info
 公的な助成金はほとんど受けていないので、活動資金はもっぱら寄付と会費(個人は入会金2千円、年会費6千円、法人は入会金1万円、年会費3万円)に頼っています。それでは、よろしく。
 おあとがよろしいようで。

新講座<ジャーナリズムを探して>②

第83回(2025.3.6)
 山田厚史さん【記者が紙の新聞からインターネットへと活動の舞台を移す時、デモクラシータイムスがその「踏み台」になってくれればいいと思っています】

  山田厚史さんの朝日新聞記者としての活躍、CS番組「ニュースター」での映像メディアへの挑戦、さらにインターネットに転じたユーチューブ番組「デモクラシータイムス」設立に至る経過と実際などの話を聞きながら、「懐かしい歌が聞こえてくる」感慨にとらわれた。
 それは朝日新聞がジャーナリズムの雄としてまだ羽振りもよく、社会的にも信頼されていた時代の郷愁のせいか、山田さんの穏やかな語り口のせいか。当方もまた新聞出身であるためか。いや、それはインターネット初期の喧噪の中で、ネットというメディアプラットホーム上で新しいジャーナリズムのあり方を模索した人びとの興奮と歓喜、試行錯誤にともなう熱気のせいに違いない。デモクラシータイムスは「ネットジャーナリズム黎明期に咲いた幸せの花」ではないだろうか。
 その種子が新しい実を結んでいるのも確かである。ネットジャーナリズムの歴史を振り返る時がくれば、間違いなくその存在は「懐かしく」人びとの記憶に蘇るだろう。いや、いや。その礎を立派に果たしたデモクラシータイムスのさらなる躍進をお祈りしたい。
https://www.youtube.com/@democracytimes

 ジャーナリスト。元朝日新聞記者。経済部で大蔵省、外務省、自動車業界、金融業界などを担当。ロンドン特派員、編集委員、バンコク特派員などを歴任。2017年にデモクラシータイムスを立ち上げ「山田厚史の週ナカ生ニュース」で情報発信を続けている。2017年衆院選挙で立憲民主党(千葉5区)から出馬した経験がある。著書に『銀行はどうなる』、『日本経済診断』(岩波ブックレット)、『日本再敗北』(文芸春秋社・田原総一朗 と共著)など。

  デモクラシータイムスという現在日本有数のネットジャーナリズムの牙城は、各種の情報サイトが1カ所に軒を並べた専門店だと言っていい。メニューは、これまで配信したものを含めると100近いが、いまのメインは「山田厚史の週ナカ生ニュース」、佐高信、平野貞夫、前川喜平の「3ジジ放談」、何人かのコメンテーターがその週のニュースを解説する「ウィークエンドニュース」など。参加メンバーは田岡俊次、竹信三恵子、升味佐江子、山口二郎、池田香代子、横田一、白井聡、高瀬毅、雨宮処凛、金子勝各氏など、ジャーナリスト、学者、評論家、小説家などさまざまで、それぞれが独自の情報を発信している。ほかに荻原博子、辛淑玉、マライ・メントラインさんなど女性がけっこう多いのも特徴である(写真は2025年正月の「週ナカ生ニュース」の山田さんと升味さん)。
 ウエブには<デモクラシータイムスは、「日本で一番わかりやすいニュース解説」を目指しています。2017年3月、今の世の中はこれでいいのか、政治も社会もおかしくないか、息苦しい時代に自由な発信の場を作りたいと9人で始めたyoutubeチャンネルが、視聴者のみなさんの寄付に支えられて毎日配信するようになり、2021年には10万人を突破しました。一人一人の方の寄付が育ててくださった放送局です」とある。
https://www.youtube.com/@democracytimes

 2025年現在、視聴者は23万人に上る。このデモクラシータイムスはいかにして誕生したかを山田さんに聞いた。(以下、山田さんの話。()内はメンバーの質問や発言)

 朝日新聞入社は1971年、青森支局が振り出しで、その5年間で記者としての一通りのことを学びました。その後、経済部、外報部と記者生活を送り、定年後に朝日新聞グループが多メディア化の波に乗って開設した「朝日ニュースター」で経済問題を担当、ここでキャスターの勉強をしました。運営をめぐって朝日新聞からテレビ朝日に移ったり、メインキャスターの愛川欽也さんのポケットマネーで運営したりと紆余曲折の末、仲間で独立して活動した方がいいと考えて、9人の記者でデモクラTVをつくり、社長になりました。折からインターネット上のユーチューブというシステムを利用すると、大きなカメラを何台も用意することもないし、スタッフもディレクターとスピーカーの2人、小型カメラだけでで大丈夫と聞いて、「ほんまかいな」と疑心暗鬼ながら、山田、田岡、早野透(故人)で100万円づつ拠出して、2017年、ユーチューブのニュース提供番組、デモクラシータイムスをつくることになったわけです。
 撮影は9割方スタジオでやっていますが、そのスタジオも仲間が経営しているアパートの一室と、かつての法律事務所を借りた簡便なもので、出演者はメンバーが声をかけて出てもらったり、古巣の朝日OBだったり、学者、作家、評論家など様々な人が参加してくれています。
 テーマは政治、経済、憲法、原発など。新聞ではいま一つ背景がわからないことをもう少し深堀することをめざしています。録画時間も長いものは2時間以上あり、やりようはいろいろです。なるべく自分の意見をはっきり言うようにしています。論者によって考えは違うが、気心の知れた仲間ばかりでもあり、基本的な考え方には自ずからの合意があります。「ほんとうのところはこうなんだよ」ということを新聞紙面より突っ込んで言う感じで、見ていただく方が「これでいい」と思うならどうぞ見てください、というスタンスです。
 合議で何かを決めるということはなく、それぞれが自分の信念でやりたいことをやっています。ユーチューバーのスタジオ版というイメージですかね。 
 ほとんどボランティア出演で、フリージャナリストのように生計がかかっている人には少し配慮しますが、あとは交通費程度の支給です。意気に感じるとか、新たな情報発信に挑戦するとか、思いは様々ですが、基本的に出演者の好意で成り立っています。古巣の朝日新聞との関連で言えば、現役記者の海外特派員などにも現地報告してもらったりしています。紙のメディアからインターネットへ舞台を移してジャーナリスト活動を続けたいという人はけっこういます。
 最初は読者5000人くらいで始めましたが、年々増えて、現在登録してくれている読者が23万人以上います。その方々のカンパが年に約2000万円、それに広告も含めてユーチューブから入ってくる収入が約1000万円。合計3000万円の範囲内で運営しており、出来ないことはやりませんから、赤字ということはありません。CS放送のころから「ユーザーがいる限り辞められないね」と言って続けてきたので、読者に飽きられて、読まれなくなればやめればいいと思っています。しかし、ありがたいことに、年々読者は増えています。もう少し収益のあるものをやりませんかというお誘いもありますが、これを受け入れてしまうと、そちらに流されることにもなり、朝日新聞でがんばってきたことの意味がなくなりますね。
 ネットジャーナリズムの安定的な基盤、どういうビジネスモデルをつくれるか、はまだ試行錯誤の段階です。明確な方針などないまま、時のメディア動向に流されながら、ここに行き着いたというわけで、なお「漂流中」です。かつての朝日新聞のような優雅なやり方はもはやあり得ない。貧乏暮らしを覚悟するか、それとも年金などの片手間か。幸い私たちは朝日新聞でおいしい時代を過ごしてこられたので、その余力でもって、次の時代のこやしになれればと思っています(^o^)。

 若い人がどんどん加わってほしいですね

 (1人ひとりが放送局になるというネットメディアのイメージから見ると、デモクラシータイムスは過渡期の形態とも言えるようですね)
 いまネットで活躍している鮫島浩氏や尾形聡彦氏なども一時、ここで活動していたことがあります。新聞、出版、放送からインターネットへと、今後のジャーナリズムの活動は舞台を移していくと思いますが、新聞社から出てネットへ移っていくための踏み台にしていただけるといいと思っています。
 初期のメンバーも含めて年長者が多いので、これからは若い人がどんどん加わってほしいですね。朝日新聞を出て会員制の『Tansa』を始めている渡辺周君など優秀な人材が育っているので、大いに期待しています。
 (最近のフジテレビ事件の2回目の記者会見はフリージャナリストなど400人が参加、時間も10時間半に及びました。これは記者クラブのあり方も含めて、いろんな問題を提起しましたが‣‣‣)、(記者に対する迫害、圧力に対して組織として守る、弁護士会のようなものがほしいとも思います)
 だれでもジャーナリストを名乗ることはできるけれど、新聞社や放送局が指定するのではない、フリージャーナリストをどう育てるかも問題になってきますね。記者会見にしても、記者側が主導権をとるためには、それなりの資格と素養を持っている人に何らかの「記者章」を発行するような組織が必要になると思います。公権力とは独立した公的な組織ですね。
 (インターネット上の情報はプラットホームによって〝検閲〟されますね。たとえばコロナワクチン問題の危険性を警告していた原口一博衆院議員など、自分のユーチューブが何度もBANされた=停止・削除を命じられた=と言っています)
 デモクラシータイムスでも、「もう1回やったら広告を切ります」といったメッセージがユーチューブ(グーグル)から来ます。しかし、なぜ問題だとしているのか、その理由が開示されない。仕様書などがあるのであれば、対策も取れますが、まるで自主規制を迫るような感じです。ユーチューブは一大メディア・プラットホームに成長し、大きなポテンシャルを持っています。最初は機械(アルゴリズム)で検閲しており、文句を言うと、担当者(人間)が出てくる。これは大問題でもあり、こちらとしても、どんなものがチェックされたのかのリストをつくる作業をしないといけないと思っているところです。
 (紙の新聞はここ10年で半減しました。あと5年から10年もすると、読売新聞以外は100万部を切るという予想もあります。紙の新聞が生き残る可能性はありますか。もっとネットに向かって舵を切るのは?)、(古巣の朝日新聞に対して思うことは?)
 マスメディア企業はいま守りに入っていますが、圧倒的人材は今でもそこにあります。新聞社を止める人はリスク取っているわけで、そこまで決断できなくても、有意な人は内部でも頑張ってもらいたいと思います。
 朝日の人に出演をお願いするときの敷居がどんどん高くなっています。昔は上司の印鑑だけでよかったのが、いまでは広報を通せ、文書を出せと、社外活動を促進するよりも拘束する方向に言っているようですが、逆に社外に広く門戸を開くことが、記者のためにも会社のためにもなると思いますね。優秀な人材を社内に閉じ込めるんではなく、他の媒体にもむしろ積極的に出してやると、記者の能力も高まるのではないでしょうか。記者根性のある人が働ける場所を与えていく必要がある。紙だけがメディアではありません。
 結局は、メディアはデジタルに向かうしかない。新聞が百年かけて作った「みんながたっぷりご飯を食べられるおいしい」モデルはもう無理ですが‣‣‣。

<私にとってのジャーナリズム>朝日新聞時代に3度も名誉棄損訴訟を起こされました。最初は青森支局で学園紛争取材に絡んで理事長から、次は大蔵省批判で国税庁長官から、最後は粉飾決算がバレた証券会社の内幕をテレビで語って安倍晋三首相から。いずれも「和解・訴訟取り下げ」で決着しています。社内で「凶状持ち」と言われたりもしましたが(^o^)、当時の朝日新聞には外部の圧力から正論を守る、記者を守る気概があったように思います。
 記者を続けるためには、強いものを敵に回す覚悟が必要です。攻撃や圧力にさらされるのは当然で、私は「働いた先々に爪痕を残してくる」ことを常に考えていました。おかしいことを「おかしい」と主張し、ずるく立ち回らなければ、理解してくれる人は取材先にもいます。「敵ながらアッパレ」と思ってもらえれば、記者冥利に尽きるというべきですね。(この項、3.22追記)

 山田さんは何度もデモクラシータイムスは新聞からインターネットへと記者が移行していくための「踏み台」になれればいいと話した。スピンアウト、核分裂という言葉もあった。デモクラシータイムスは十分にネットジャーナリズムの「揺籃」の役割を果たしていると思われる。当日のメンバーから「回りの年長者もどんどん新聞購読を止めている。と言ってユーチューブを見ている人も少ない。インターネットにはいろんな情報があふれているが、いま何を見るのがいいのかがわからない」、「みんな電車の中で前を向いてスマホを見ているが、そのときにきちんとした情報が提供されているといいと思う」という声があった。デモクラシータイムスはネットジャーナリズムの入り口としては格好のサイトでもあるだろう。

 パッケージメディアとしての新聞 かつてジャーナリズムの雄を自認し、それなりの役割を果たしてきた新聞は、さまざまな情報を「パッケージ」として売るメディアだった。政治、経済、社会といった報道面だけでなく、ラテ欄も、四コマ漫画も、スポーツ面も、映画・演劇・美術などの娯楽面もすべてが「新聞」紙としてパッケージされているところが特徴であり、強みでもあった。言ってみれば、ラテ欄があるから買ってくれる人の購読料をニュース(調査報道などのジャーナリズム)の取材活動に回すことが可能だった。高い広告料も戸別配達による大部数のもとに成り立っていたと言っていいだろう。
 ところがインターネット上の情報は原則としてばら売りで、ラテ欄はもちろん、漫画・アニメも、スポーツも、映画評も、すべてが個別に提供される。そのとき、いわば「むき出しになった」調査報道をはじめとする報道、ジャーナリズムに誰が対価を払うか、というのがネットジャーナリズムのアキレス腱である。朝日新聞がインターネット黎明期に立ち上げたasahi.comは、ただ新聞紙面を模倣し、そのモデルを踏襲し、言って見れば紙の新聞の付録扱いで、しかもその付録が本体の紙の価値を軽減する結果をもたらした。この辺はメディア業界で独自に工夫すべきジャーナリズム仕様(アルゴリズム)をシリコンバレーに丸投げした米メディアも似たり寄ったりで、だからこそ、これからの生き残りにはジャーネットナリズム・プラットホームの工夫が必須と言っていい。
 デモクラシータイムスの寄金(カンパ)に頼るスタイルは、他の同種サイトでも見られるが、これはどちらかというと、内容がそれぞれに特化され、購読料(書籍代)のみで成り立っている出版モデルに近いと言えるだろう(出版の可能性についてはまた取り上げるつもりである)。
 インターネットという誰もが情報発信できる時代にかえって「表現の自由」、「報道の自由」の理念が形骸化しているのも、現下のジャーナリズム衰退の大きな要因である。私たち一人ひとりがあらためてIT社会に生きること、そこでのジャーナリズムの意味を考え直し、支援の輪がより広がれば、デモクラシータイムスはIT社会におけるジャーナリズムの「大輪」になれるかもしれない(Y)。

講座<若者に学ぶグローバル人生>

◎第82回(2025.2.22)
 髙橋麻里奈さん【JICAでラオスに派遣され、ちぐはぐな開発援助の矛盾に悩みながらも、元気に理科教育普及に励んでいます】 

 今回は久しぶりの<若者に学ぶグローバル人生>で、海外青年協力隊(JICA)の一員としてラオスに駐在、現地の理科教育普及や教員養成に励んでいる高橋麻里奈さんの話を聞いた。
 寒波と大雪に四苦八苦している日本とは真逆でラオスはいま夏、しかも乾季。連日30度を超す猛暑だとか。現地ラオスからのご登壇だったが、たまたま当日は、高橋さんをご紹介くださった学芸大学教授の岩田康之さんが長期滞在先の香港から、そして海外青年協力隊の先輩でもあり、現在フィリピンで起業しているメンバーの鮎川優さんがフィリピンから参加、13人の参加者中3人が海外からと、なかなかのグローバル模様になった。
 本塾をOnline塾DOORSと改名した時、<国境を越え、世代を越えたコミュニケーション塾>にしたいという抱負を述べたが、「世代」的には、メンバーの高橋由紀子さん主宰の教室から高校1年の女生徒も参加して、かれんな花を添えてくれた。

 高橋さんは東京学芸大学在学中に休学し、フィリピン留学とボランティア、ついでフィンランドの小学校での短期教育実習、その間、ユーラシア大陸を回り、大学卒業後は東京学芸大学附属世田谷小学校などに4年間勤務、理科実験カリキュラムづくりや異年齢学級などを担当した。その後、カナダのモントリオールでの短期留学とアメリカ南北大陸を歴訪して、帰国したと思ったら、昨年は海外青年協力隊に参加、今はラオスに駐在、というまさに「世界を駆ける」行動派教師である。専攻は理科教育。趣味は旅行で、すでに31カ国を訪問している。現地の人びとと協力しながら、経済や社会の発展に貢献するというのが願いだとか。その自由で軽快な行動スタイルが、若いエネルギーを感じさせる。
 JICAには教養試験、語学試験、健康状態などをクリアした新卒、シニアがそれぞれ1~.2割ほど、残りは退職した20代後半〜40代の人びとが参加しており、福島県二本松訓練所には200人ぐらいいた。そのうち高橋さんら11名がラオスへ。その半数は助産師、看護師などの医療系、残りは水質検査、農業開発、スポーツ関連、教育など。
 ラオスは、ベトナム、カンボジアなどとともにインドシナ半島を構成するASEAN諸国だが、他の国に比べると影が薄い。日本の本州ぐらいの国土に人口約700万人。1平方キロメートルの人口密度はたった24人(ベトナムは256人、タイは132人、日本は340人)。中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーに囲まれた内陸国で、かつてはタイの領土だった。共産主義国で宗教は上座仏教。中国やタイとの関係が深い。2021年にはラオス中国鉄道が開業した。入国直後は首都ビエンチャンでラオス語の訓練などを行い、いまは南のサラワン県(地図で丸で囲ったところ)に赴任、大きな平家に1人、多くのヤモリと生活している。
 若者たちはタイの音楽や文化に慣れ親しんでおり、街には意外に韓国人が多いと言う。岩田先生によると、ラオス語はタイ語の方言みたいなものらしい。意外でもあり、なるほどそういう時代かとも合点したのは、スマホの保持率はかなり高く、小学生も持っているとか。買い物や光熱費などもスマホを使ったキャッシュレス決済で、みんなの憧れはアップルのスマートフォンiPhone。テレビは驚くほどなく、観ている様子もあまりない。
 いろんなスライドを見せてもらったが、決して豊かとは言えない田舎が広がっているような光景で(主産業は農業)、まさに発展途上の国である。彼女も「ラオスは牧歌的で、シンプルで、びっくりしました。言い方が悪いけれども、特徴がない」という印象を受けたようだ。
 彼女はそこで小中高校生や教師を相手に理科教育について教えている。ほしい機材がないかと思うと、同じ機材が山のようにあったり、立派な実験教室があるのに理科教師がいないために放置されていたり、新校舎が建ったために、まだ立派な木造校舎が廃校になったり、開発援助の矛盾に悩まされながら、専門の理科教育について、持ち前の明るさを忘れず、大いに奮闘しているようだった(写真は上から右周りに「首都ビエンチャンの街角」、「授業風景」、「理科実験」、「廃校になった旧校舎」、「日本の援助で出来たが、まだ使われていない理科実験室」)。
 なぜラオスを選んだのか、との質問に対しては、「小学校5年生の時、塾の先生が『カンボジアに学校を建てたい』と言っていたのを、子どもながらに『これはすごい』と思って、自分も何かできることがあるのではないかと、教員として海外協力したいという夢を持つようになった」と話してくれた。
 ラオスには2年いて、帰国後は日本でも理科教育にたずさわろうと考えていたが、開発援助の実態を見るにつけて、それらをよりスムーズに運べるような事業に取り組もうかとも思い、今は悩んでいるという。
 海外から日本はどう見えますかとの質問の答えは、「海外に長く出ていると、だんだん日本の良さが身にしみる」とのことだった。日本は「人びとが暗黙に守っているルールで社会が成り立っている」という感慨で、私たちの信条にふれたものだったが、その日本は数十年における政治の混乱、経済の停滞、何もかもを金に換えて利潤を追求する新自由主義の猛威を受けて、その良さが急速に失われつつある。彼女が日本に戻って来た時「浦島太郎」にならないように、「日本をちゃんと守っていないといけないですね」という声も聞かれた。

新講座<ジャーナリズムを探して>①

 第81回(2025.1.20)
 佐藤章さん【組織ジャーナリストであろうと、フリージャーナリストであろうと、大事なのは記者の「志」。いまのマスメディア関係者にはそれが薄くなっている気がします】

 ジャーナリスト、元朝日新聞記者。東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部、月刊 Journalism 編集部などを歴任。退職後、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。著書に『日本を壊した政治家たち』(五月書房新社)、『コロナ日本国書』(五月書房新社)、『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)など。

<新講座発足にあたって>政治の混迷、マスメディアの崩壊、SNSなどインターネット上の情報発信の爆発的増加など、昨今の社会の激動は、情報端末としてのスマートフォンやSNSなどインターネットメディアの普及といった、私たちを取り巻くメディア環境の変化と大きく関係しています。新しい情報の流れの中で、従来のマスメディアが曲がりなりにも担ってきた社会の民主主義的土台を支える機能、ジャーナリズムという営為はずいぶん陰の薄いものにもなっています。
 テレビが普及し始めた20世紀半ば、カナダのメディア研究家、マーシャル・マクルーハンが放った「メディアはメッセージである」という警句が今更のように生々しく蘇りますが、インターネットが爛熟期にある21世紀において、社会のジャーナリズム機能は衰退していいとは、とても思えません。イシエル・デ・ソラ・プールが20世紀後半に『自由のためのテクノロジー』で書いた「21世紀の自由社会では、数世紀にもわたる闘いの末に印刷の分野で確立された自由という条件の下でエレクトロニック・コミュニケーションが行なわれるようになるのか、それとも、新しいテクノロジーにまつわる混乱の中で、この偉大な成果が失われることとなるのか、それを決定する責任はわれわれの双肩にかかっている」という言葉がいよいよ切実に感じられます。
 だとすれば、IT社会全体におけるジャーナリズム機能をどこが、そして誰が担うべきなのか、そういう問題意識のもとにスタートしたのがこの企画で、トップランナーを朝日新聞OBでいまはユーチューブ番組「一月万冊」を舞台に活躍している佐藤章さんにお願いしました。
 本シリーズでは、以下の3つを柱にして、様々なメディア関係者にご登場いただき、個別具体的なお話を聞きながら、メンバーとの質疑応答を通して、ジャーナリズムのあり方を考えていきたいと思っています。話していただく順序はアトランダムです。

・朝日新聞OBに聞く。「朝日新聞はどうすればいいのか」&「ネットジャーナリズムでの挑戦」&「新聞とネットの違い」。
・ネットでの情報発信を実践しているパイオニアに聞く。「ネットメディアでの新たな試み」&「テレビからユーチューブへ」&「IT社会におけるジャーナリズムの可能性」。
・メディア研究者などに聞く。「私のジャーナリズムへの期待」。

 シリーズ後半には既存マスメディアで活躍してきたOBたちに、歴史的総括として「私たちはこう考えてきた」&「どこで間違えたのか」についてもお聞きできればと思っています。
 このシリーズの趣旨は末尾にJPEGファイルとして掲載した「趣意書」をご覧ください。

 佐藤章さんの現在の主な舞台はユーチューブ上の「一月万冊」です。
 「一月万冊」は約10年ほど前に読書好きのベンチャー起業家、清水有高氏が開設したもので、今は佐藤章、本間龍(作家)、安冨歩(元東大教授)の各氏がここを舞台に自らの情報を発信しています。
 佐藤さんは朝日新聞在社中から慶應義塾大学でメディア論の教鞭をとってきましたが、退職後に知り合いから一月万冊を紹介され、システム操作や番組の作り方をスタッフの人に教えてもらいながら、情報発信するようになりました。
 現在は週に5回ほど、1時間内外の番組を配信しています。古くは安倍元首相襲撃事件、石丸伸二候補が旋風を巻き起こした昨年の都知事選を始めとする各種選挙報道、最近ではフジテレビの屋台骨を揺るがすまでになったタレント、中居正広スキャンダルなど折々のニュースを取り上げてきました。私たち庶民の怒りや批判を代弁しながら、事件の背景やその本質を丁寧に解きほぐす語り口は、多くのユーザーに好感をもって受け取られているようです。ここに一つのジャーナリズム実践があるのは間違いないでしょう。
 当日は、①「一月万冊」について、やってみての感想、視聴者の反応、新聞との違いは、②古巣の朝日新聞について、③ネットジャーナリズムの可能性、などについて話を聞きました。折々にメンバーが質問を投げかけ、それに佐藤さんが丁寧に答えるという感じで議論は進みましたが、佐藤さんの誠実な対応が印象的でした。
 その一部を以下に紹介します。()内はメンバーの質問や発言。このシリーズは、討議の内容を詳説したサイバー燈台叢書として後に公刊する予定です。

 最初のころは紙で新聞原稿を書き、大学では黒板を使って教壇から話し、ワープロ・パソコンによる記事出稿、そしてユーチューブ番組でのしゃべりと、情報発信のやり方はいろいろ変わったけれど、変わらないものは「志」だと思っています。
 番組は事前収録です。視聴者の反応としては、わかりやすいという声が多く、僕としてもここを大事にしたいと思っています。理解してもらわなければしょうがないですからね。視聴者は少ない時は4万人ぐらいですが、最低でも4万人はほしいですね。多かったのは安倍逮捕の時で、突然ポーンと数十万人に上りました。番組内容については、毎回予告するようにしていますし、僕自身もツイッターやフェイスブックで㏚しています。
 (4万人というのは、月刊誌に比べるとすごいですねえ)
 街を歩くと声をかけられるので(^o^)、見られているなと思いますね。ここが新聞雑誌や書籍とは違うところですか。
 朝日新聞の精神はあまり変わっていないと思っていますが、ウエブの作り方にもう少し工夫があるといいですね。ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなど成功したウエブでは、新聞の体裁をとりながら、ある文字をクリックすると詳報がずらっと見えますね。
 もっとも英語の力が強い。日本の場合は日本語の壁がありますね。それについて僕は朝日新聞中国語版を作ることを提案しているのだが、乗ってきませんねえ(^o^)。中国人は日本に関心を持っているし、なにせ人口が多く、読者数が違います。中国とは仲良くやるべきですよ。
 記者のころから、日本を少しでもよくしたい、できるだけ正しいことを伝えたい、できれば特ダネを取りたいという思いでやってきましたが、それは今も変わらないですね。いまは組織的支援がなく、孤軍奮闘だけれど、結局、特ダネは深く付き合っている人から取れるものです。
 (『外岡秀俊という新聞記者がいた』という朝日新聞記者に関する本を興味深く読みましたが、彼は特ダネというのは「記者が書かなければ永遠に闇に葬られるような事実を発掘することだ」と言っていますね)
 その特ダネに関する意見にはまったく異論はありません。ただ私は経済部が長かったので、たとえば日本銀行、財務省など大きな役所が発表することで社会に与える影響が大きいものもありますね。それを役所側から抜くというのも重要な特ダネと思っています。発表ものというのではなく、ね。記者として幸せだったと思うのは、経済部として役所中心に取材した後、後半は『アエラ』という雑誌で自由な取材が出来たことです。
 組織ジャーナリストは組織内で忖度しなければならないが、フリージャーナリストには何事にも縛られないという利点もあります。朝日新聞時代には内部からすごい圧力がありました。銀行の不良債権の実態をめぐり、社では書かせてくれないので他社の月刊誌で書いたら、当時のH経済部部長から左遷されて、7年間、第一線の取材現場から外されたこともありました。その時、あらためてジャーナリストとしての基本的な勉強をし直しました。
 最近、フリージャーナリストとしていろんな記者会見の場に出ますが、記者の力が落ちたと感じます。記者会見に臨むにあたっては、周到な準備をして、いくつか質問項目を考えておいて、状況に応じてその中から適当なものを選んで質問するわけですが、いまの記者にはそういう努力を感じない。僕が現役だったころに比べると、力が落ちたと感じます。変な記者もいますね。都知事選のころ小池都知事に「側近の方もあなたはカイロ大学を卒業していないと言ってますよ」と言おうとしたら、幹事社らしいテレビ朝日の記者が「まだこちらの質問が終わっていません」と僕を遮って、何と言ったと思います?「今日は勝負に出る緑色じゃないですね」と彼女の服装に関する発言をした。準備もしていないし、なあなあで会見をやっているというのがよくわかります。
 なぜ、甘い甘い記者クラブになってしまったのか。僕にも責任の一端があるんだけれども、僕が飛ばされた姿を後輩は見ている。そうなると忖度することになる。小池知事と仲良くやって、機会があったら知事から上司に自分のことを売り込んでもらおうと考える。そういう人がメディアのトップに座るようになると、いよいよそういう記者ばかりになっていく。H氏が社長になって、朝日新聞でもそういう(ひらめのような)人が偉くなって、いよいよその種の記者が増えているように思います。
 (若いころには、朝日新聞以外は新聞じゃないという考え方が世間にもあった。企画の話を持って行くにしても、朝日新聞が中心だった。大学入試問題に「天声人語」がよく取り上げられたりしてましたしねえ。それがだんだん薄れてきた。特ダネも減ってきて、取材力が減じていると思われる。嘆かわしいことだが、政治家には軽い感じの記者の方がいいのかな、と思ったりもします)。
 記者は常に己の刃を研いでいたものだが、いまや刃はなくなり、新聞記者がテレビの記者と同じようになってしまった。中居事件ではありませんが、ネタを取るのに女性の方が有利だというので、政治家などの取材に女性を配することもあると聞いています。
 (若いころを振り返ってみると、新聞社に入ろうとする人には、社会をどういうふうにしたい、社会の問題点を明らかにしたいという気持ちが強かったように思うけれど、今の若い人たちでジャーナリストになるという姿勢に大きな変化がある。世の中をどういうふうに見るかという見方も変わってきた。何とかしないとけないのか、諦めて見ているしかないのか)。
 これはどこの企業でも同じだと思うけれど、現場の教育、オンザジョブ・トレーニングが大切です。それは足で稼ぐということでもある。スマホで得られるのは二次情報。それから先は足で現場に行って、観察することが必要です。情報は人間からしか出てこない。その人たちをどういうふうに探し出すか、それは、共感力の問題です。相手も自分も同じ現場を見ているということで生まれる共感、それが大事だけれど、現場にも行かずにスマホで情報を得ているようではダメですね。
 (特ダネは、言い方によっては、無駄な作業の結果であり、1日に何本原稿を書いたかというような成果主義からはなかなか生まれにくい。かつての新聞社では、偉くなっても、ならなくても、給料はあまり変わらないし、偉いからと尊敬する記者もほとんどいなかった(^o^)。今は偉くなる「うまみ」が出てきた)、(かつてパソコン使いこなしガイドブックを出そうとしていたとき、西部本社の友人が「お前は農薬雑誌を作るのか」と言った。「農薬のせいで農業はダメになった。ワープロが社員に支給されて、新聞記者はダメになった。彼らは足で取材するのをやめて、手でデータを集めている」と言うんですね。ITがもたらす弊害の一面を鋭く突いていると思いますね)
 インターネットからは特ダネは出てこない。左遷されたころ、『文春』に行こうかな、と思ったことがあります。誘いもありました。システムを聞いたら、いろんなチームのチーフの下に優秀な記者が数人配されている。かつて社会部などはそういうふうにやっていたが、今や文春の一人舞台で、出席原稿出してOKという感じになってしまったように思います。

<私にとってのジャーナリズム>記者職を外されたのは2000年4月だった。前年11月に岩波書店から『ドキュメント金融破綻』を刊行し、『文藝春秋』12月号に、みずほ銀行となる旧第一勧業銀行の大規模な不良債権隠しの実態を暴く記事を書いたことで、第一勧銀頭取から朝日新聞社社長にクレームが入った。即飛ばされた先は昭和元年からの朝日新聞紙面データベースを作るチームだった。だが、日本の現代史を勉強するチャンスと捉え直し、昭和史をめぐる書物を徹底的に読み込んだおかげで、7年後に記者に復帰した後のジャーナリスト生活において大変武器になる諸知識を獲得できた。
 その頃は個人的に辛く悲しい出来事も重なったが、自暴自棄にはならなかった。こういう時期には、いかにして「時をやり過ごすか」を考えた方がいい。「ジャーナリズム」は生涯の仕事であり、生涯は意外に長い。失敗に焦る必要はない。可能な限り気持ちを楽にもって戦略を立て直す。これが肝心だと思う(この項、3.24追記)。

  佐藤さん退出後も、本シリーズの今後の進め方などについて参加者で活発な議論が行われたが、これについては今は割愛する。ただ最後に「いろんな現象が起きた時に、やっぱり頼りにするのは、私の中では、新聞です。朝日新聞の情報が少なくなったとか、内容が少し薄くなっているな、というのは気になって、ときどき他の新聞と重ね合わせながら読んでいますが、記者の方、頑張ってください」という声があったことを付記しておく。

 ユーチューブ(YouTube)というメディア オンライン動画共有サイト。本社はアメリカ。ウイキペディアによると、アクティブユーザー数は、2022年1月時点では25億6,200万人)であり、ソーシャルメディアとしてはフェイスブックに次ぎ世界第2位。2005年に設立され、翌2006年にグーグルに買収された。
 スマホの機能拡大、通信回線の高速化で、テレビ画面と変らない解像度の動画をだれもが撮影し、それを簡単にアップできる。またそれを自由に閲覧できる。動画をアップし、アクセス数などで一定の基準を達成すれば、グーグルから相応の収入が得られ、動画に広告が掲載されるようになる。ユーザーが広告をクリックすると、広告料が加算される。
 メディアとしてのユーチューブの特異なところは、料金を得るのは動画をアップした人だということである(ヒット曲を歌う歌手の動画がアップされて、何千万回の再生数になろうと、歌手には収入は入らない)。だから大谷翔平とか、中居正広とか注目度が高い人を撮影したり、あるいは他から画像を切り取ったりするちゃっかり動画の氾濫となる。
 もっとも動画の多くは趣味の園芸だったり、料理教室やカラオケ指南だったりと、自分で動画を撮影し、自分でアップするもので、この場合は出演者個人やそのプロダクションに収入が入る。佐藤さんのような硬派番組の多くはその形をとっているが、ユーザーから活動支援の寄金を募っているサイトも多い。
 ユーチューブのコンテンツは、音楽系、ゲーム実況系、マンガ・アニメ系、メイク・ファッション系、料理系、教育系、ビジネス系、アウトドア系などなど、あらゆるジャンルに及んでいる。
 再生回数に応じた収益の目安は、最新のウエブ情報によれば、1再生回数ごとに0.05円〜0.2円らしい。それらは内容、時間などさまざまな要素を加味して決められ、かなりのばらつぎがあるようだが、再生回数が多くなれば収入は増え、それだけ多くの広告が表示される。するとクリックされる回数も増え、収入は増えていく。チリも積もれば山となる。登録者数何千万人、年間の再生数何百億回、推定年収何億円というユーチューバーもいるわけである。
 アクセス数を稼ぐための虚実入り混じった情報が氾濫しており、それらの情報が人びとに与える影響も少なくない。一方で「良質」な番組も少なからず、私たちとしてはそこに強い興味を持っているわけである。

新サイバー閑話(127)<折々メール閑話>68

フジテレビの恐れ入った体質と日本の現状

B タレント中居正広氏のフジテレビ女性アナウンサーに対する性加害を調査していた第三者委員会(竹内朗委員長)は、3月31日、報告書を発表しました。その骨子は、①女性アナウンサーは「中居氏によって性暴力 による重大な人権侵害被害を受けた」、②事件はフジテレビの「業務の延長線」上で起きたことが明らかである、③事件後、フジテレビは被害女性より中居氏を守り、彼を番組に起用し続けたが、これは女性に対する「二次加害」である、とフジテレビの「人権無視」の体質を明確に示し、それを強く批判するものでした。
 同報告書は、「港社長ら3名(編集部注:港浩一社長、多田亮専務、編成制作局長)は、性暴力への理解を欠き、被害者救済の視点が乏しかった。 本事案の対応方針について意思決定する経営トップ、役員、幹部は、事実確認、リスク の検討、性暴力被害者支援と人権尊重責任の視点でのケアと救済を行うなどの適正な経営判断を行うための知識、意識、能力が不足していた」、「女性Aに寄り添わず、漫然と中居氏の出演を継続させることによって女性Aの 戻りたい職場を奪い、中居氏の利益のためとみられる行動をとったことは、二次加害行為 にあたる」などと断じています。
 またフジテレビの「一部には、社員・アナウンサーらが、取引先との会合において、性別・年齢・容姿などに着目され、取引先との良好な関係を築くために利用されていた実態はあった」として、女子アナなどを本来の業務より顧客、あるいはタレントなどの接待要員として使っていた同テレビの常識外れの体質についても言及しています。

A 昨年暮れ以来の『週刊文春』の報道は大筋で正しかったですね。社員が外部の人間から危害を加えられれば、身内のために外部と対決するのが普通なのに、これがまったく逆だった。社長、専務、編成制作局長というラインで話は進んだようだけれど、その意を呈して動いた人は多かったでしょうねえ。そういう意味では会社ぐるみの犯罪です。
 同テレビが先に行った記者会見では、事件当日は中居氏が単独で女性に連絡していた一点だけを誇張し、「フジテレビはこの件に関知していない」と強弁していたわけですから、もうクソ喰らえという感じです。日枝氏の独裁君臨を許してきたことが問題の核心だと思います。組織というのは厄介なものですね、誰もが我が身かわいさで、反旗をひるがえすこともなく、大勢順応してしまう。

B フジテレビは前日の27日、日枝久取締役相談役および16人の取締役の退任を発表しています(表は日刊スポーツから)。あわせてフジの取締役数を10人に半減、1月に就任したフジの清水寛治社長が続投し、フジHD(ホールディングス、親会社である持株会社)の社長も兼任、フジHDの金光修社長は代表権のない会長につきました。
 さらに系列局の関西テレビ社長に転じていた元専務、多田亮氏も4日に辞任しました。これで従来の経営陣はほとんど退任、新たに女性取締役を増やしたり、若返りを図ったりしています。石原正人常務や反町理取締役は、第三者委員会報告で過去のセクハラ事案が改めて認定され、この種の問題を抱えていても出世していくフジの体質を証明することになりました。

A これは刷新人事と言えるのですかね。斎藤、金光両氏は日枝氏に重用された人だけに古いしがらみを断ち切るのは難しいのでは。

B 第三者委員会報告は結語で「これからの企業経営は、ライツホルダーの人権尊重と人的資本が一つの基軸になると思われる。社員が人権侵害を受けても、声を上げることができる、救いを求めることができる職場、みんなが前を向いていきいきと能力を発揮できる働きやすい職場でなければ、その会社に未来はないだろう」と述べているけれど、清水社長、金光会長とも日枝体制を支えた人材であり、過去のしがらみを断ち切ろうとしても、なかなか難しいでしょうね。
 今回のフジの人権無視体質は聞きしに勝るものだった。ちょっと古い話になるけれど、かのフランス革命で王が断頭台に送られたとき、「罪失くして王たりえない」と言った人がいます。王であることそのことが罪の証なのだというラディカルな主張だけれど、フジテレビではまさに「まともな人権意識をもっては役員たり得ない」ということだったように思えますね。
 反町、石原という報道出身の人間が日枝体制に迎合し、ジャーナリストを名乗りつつおよそジャーナリストらしからぬ役割を演じたことはまことに遺憾ですね。反町氏は担当していたBSフジの「プライムニュース」への出演を見合わせると発表されました。バラエティ主導の局内で報道は片隅に追いやられているように外部からは見えたけれど、そういうテレビ局をむしろ下支えしていたのが報道人だったということになるわけですね。多田氏も報道の出身です。

A 6月の株主総会で退任予定とされている吉田真貴子(山田真貴子)氏は総務省からの天下りで話題になった人です。総務省は3日、フジテレビとフジHDに対し、放送法を踏まえた厳重注意の行政指導を行ったと報じられましたが、吉田真貴子氏はフジ取締役としてこの間、何をしていたのか。まあ、何もしてなかったのだろうけれど、こういう天下りの実態こそ改めるべきですね。

B 貴兄が好む「男一匹、体を張って生きていく」のとはまるで違う「男の世界」が蔓延していたわけですね。まさに「組織の悪」だと言えるけれど、この体質は、何もフジテレビやエンターテインメント業界だけの話でもない。弱者は切り捨てられ、人権が平然と無視されているのが現代日本の現状です。
 たとえば最近、各地で繰り広げられた「財務省解体デモ」、農家が怒りの声を上げて都内にトラクターを持ち込んだ「令和の百姓一揆」など、切羽詰まって立ち上がった人びとが抗議の声を上げていますが、大手メディアではほとんど報じられていません。女性アナウンサーの声を無視してタレントを守ろうとした体質と、貧苦に悩む国民の声を無視する政治とは重なりますね。
 フジテレビ問題も既存メディアは率先して報道してこなかった。ジャニーズ問題、松本人志問題、いずれも性加害に関わるもので、報道しにくい面がないわけではないが、そこに重要な問題が内在していたわけで、これを暴くのはもっぱら週刊誌だというのは、ジャーナリズムのあり方として大いに考えさせられます。フジテレビが組織として抱える問題は、この国の問題であり、もっと言えば、我々自身の問題なのだと、今回の報告書を見て、大いに忸怩たるものを感じました。

A 令和の百姓一揆にはれいわ新選組の国会議員がたくさん参加していました。れいわの弱者に「寄り添う」姿勢がよく表れています。週刊誌の『サンデー毎日』が2週続き(3月23日、30日号)でれいわ特集をしていました。山本太郎インタビューも含めた大々的なもので、次期参院選での躍進がいよいよ現実味を帯びてきたようです。

 

 例によっての㏚です。
 本<折々メール閑話>を定期的にまとめている『山本太郎が日本を救う』シリーズの第4集、『れいわ躍進 膨らむ希望』が発売になりました。収録した<折々メール閑話>は2024年6月25日から2025年2月14日まで。紙の本、電子本ともアマゾンで発売中です。従来と同じく、紙は1300円、電子本は600円(+税)です。次期参院選でのれいわ躍進が大いに期待されている折でもあり、改めてご一読いただけるとありがたいです。既刊の1~3巻も発売中です。

 目次は以下の通りです。

PARTⅠ <折々メール閑話>
「終わりの始まり」の予感、あるいは期待 54
「集団的自衛権の行使容認」から10年 55
小池3選と健闘した石丸候補の危うさ 56
「激変」が可視化しさせた「明るい闇」  57
地に落ちて破綻したリテラシーの復権 58
日本の現状をよく考えて行動する秋! 60
自公過半数割れ、れいわは9議席獲得 61
なぜ兵庫県民は斎藤知事を再選したのか 62
山本太郎、「れいわにかけた」思いを語る 63
SNSが社会を、政治を動かし始めた 64
Online塾<ジャーナリズムを探して> 65
「公共放送」から逸脱したフジTVの悲惨 66
強者と弱者の亀裂は日米とも変わらない 67
PARTⅡ 補遺
<1> <ジャーナリズムを探して>趣意書
<2>唐澤豊さんをしのぶ Online塾DOORSから
第48回(2022.10.12)メタバース
第54回(2023.2.13)ChatGPT
第56回(2023.3.22)情報通信講釈師登場
第75回(2024.6.14)IT最前線
第79回(2024.9.30)レプリコン・ワクチン

新サイバー閑話(126)<折々メール閑話>67

強者と弱者の亀裂は日米とも変わらない

B 前回参院選でれいわ新選組・比例東京ブロックから立候補(惜しくも落選)した伊勢崎賢治さんが、れいわの政策委員(外交安全保障担当)として、2月9日のNHK日曜討論に出ていました。つい最近の日米首脳会談に対して「100点満点中で10点」と辛口の採点をしつつ、「日本だけは違うという希望的観測はやめましょう」という大局的な発言もありました。東京外国語大学教授であり、政府代表として国際紛争の現場で長く活躍してきた人を政策委員として擁するれいわの実力を大いにアピールしましたね。

A 1月下旬の日曜討論には、やはり政策委員の長谷川うい子さんが出て、「いまこそ消費減税」、「積極財政で経済を活性化」と、れいわの政策を理路整然と主張していました。

・堂々たるれいわの陣容に頼もしい新人

B 前回、大石あき子さんの「名演説」について紹介しましたが、れいわの新人、やはた愛さんの衆院予算委員会での質問も、関西弁で石破首相をやんわりと批判するなど、新人離れの堂々たる活躍でした。お飾り程度のタレント議員とは違いますね。

A 次期参院選の候補として京都選挙区の西郷みなこ(南海子)さん(37)が公表されましたが、京都大学大学院で教育学を学び、3児の母、長く市民運動に取り組んできた方です。記者会見での発言を見ても、たいへん頼もしく感じられました。
 れいわ新選組の顔ぶれは、他党を完全に圧倒していると思いますねえ。

B れいわの支持率が少しずつ上向きになっているのもむべなるかな、ですね。たとえば、左表はNHKの2月の世論調査結果です。NHKは政党支持率は高め、れいわ支持率は低めに出る傾向がありますが、ここで注目したいのは若年層のれいわ支持率です。 
 NHKではまったく注目していないけれど(^o^)、全体では2.1%と、野党では立民、国民、公明、維新、共産に次ぐ6位ながら、18~39歳で4.2%、40代4.8%と、国民民主党に次いで野党第2位です。50代の5.9%は3位。これは大いに期待できる数字じゃないでしょうか。
 ただ60代以上の高齢者の支持率が低い。これには我々としても力不足を感じます。80歳以上が自民48.5%、立民13.6%という数字には、旧態依然とした政治意識を感じさせられますねえ。

・トランプが当選したのには理由がある

 アメリカではトランプ大統領が再登場、その強硬姿勢を警戒する声も強いようですが、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は、講演や各種インタビューで、「アメリカでは何十年もの間、勝者(金持ち)と敗者(貧乏人)の格差は広がり、上層階級には莫大な利益をもたらし、下層階級には賃金の停滞、仕事の海外流出などをもたらした。政治を悪化させ、人びとを分断させてきたわけだが、その頂点が(トランプが最初に当選した)2016年だった」、「底流に金持ちになりたかったら大学に行けという考えが流れており、貧しい人びとは自助努力がたりないという蔑みの感情があった。こういう貧困層の不満をトランプはうまくすくい上げた。民主党はいまだにその意味が分かっていない」と述べています。従来、民主党支持が高かった貧困層、黒人層からもトランプ支持する人が出ており、「もしトランプが不適格であり、我々が言うように、民主主義への深刻な脅威だとしたら、なぜ国民の半数、いや今や半数以上が我々の提案する民主主義よりも彼を選ぶのか」(GaribenTVから)と。
 サンデルは15年ほど前、NHK教育テレビでも放映された「ハーバード白熱教室<これからの『正義』の話をしよう>」で日本でも有名になった政治学者で、主著は『民主政の不満(Democracy’s Discontent)』です。
 富者と貧者がいっしょに行動する空間が必要で、たとえば野球スタジアムにしても、昔はみんながいっしょの席で楽しんでいたのに、今では富者と貧者は別々の場所で観戦するようになり、共通の経験が失われたとも言っています。それ以前に教会、組合活動、ボランティア組織などの伝統的な信頼の構造がどんどん消えていくことに警鐘が鳴らされ、「社会資本」(Social Capital)の重要性が叫ばれたのと軌を一にしています。

A 「大学へ行け、大学へ行け」と追い立てられた人びとの側から見ると、大学は「金持ちになるための技術を習得する」場となり、これは以前にも話題にした「まともな人間を育てない『教育』」(『山本太郎が日本を救う』所収、アマゾンで販売中)ということになりますね。

B そのとき、エマニュエル・トッドの『大分断』(PHP新書、2020)「教育がもたらす新たな階級社会」について紹介しました。教育が知性を育むことから離れて、ただの「資格」取得のためとなり、物事を考える暇もなく学歴を積み上げていくだけの「自分でものを考えない」、「愚かな」人びとが指導層を生み出していく。アメリカを見ても、そして日本の現状を見ても、大いに納得できる話です。だから、いまの若者たちは「寅さんがなぜおもしろいのか」を理解できないわけですね。

A 他人を蹴落としてもいい大学に行こうという風潮が人間性を高めるわけがなく、ただ金儲けに必要な知識だけを詰め込んだ、いびつな人材を育てることになっている。だから高等教育を受けるほど、人間的資格に欠ける人が出てくるんですね。

・対米追随外交の縮図、「哀しき国会」

B トランプ大統領はバイデン政権の政策を覆すような大統領令を矢継ぎ早に出し、パレスチナ人をガザから他に移すという強硬策も進めようとしています。ウクライナ問題では、ウクライナを支援しつつ戦争を続行させてきたバイデン政権とは真逆というか、むしろロシア寄りの停戦を進めようとしているようです。それがどういう結果になり、歴史的にどう評価されるかはわかりませんが、トランプ大統領が「停戦」の実を取る可能性もあります。実行力という点では、ちょっと目を瞠るものがあり、それだけ日本の石破首相の軟弱な姿勢が際立ちますね。
 ウクライナ問題で思い出すのは、2023年5月23日にゼレンスキー大統領が来日した時の国会光景です。午後5時半から議員たちが続々と会場内に入り、岸田文雄首相や閣僚、衆参両院議長をはじめ計約500人が着席しました。午後6時、ゼレンスキー大統領が会場前方のモニターに映し出されると拍手が湧き、細田博之衆院議長の開会あいさつ後、ゼレンスキー大統領の演説が始まりました。12分近い演説が終わると議員たちは一斉に立ち上がり、約40秒間にわたり、割れんばかりの拍手。スタンディング・オベーションですね。山東昭子参院議長は演説後、青と黄のスーツ姿で、議員を代表して答礼、「閣下が先頭に立ち、また、貴国の人々が命をも顧みず、祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感動しております。日本国民もこのようなロシアの暴挙は絶対に許せないと、ウクライナへのサポート、そして支援の輪が着実に広がっております」と挨拶しています。
 その熱狂の国会で、唯一、それに賛同せず、起立しなかったのがれいわ新選組です。後に山本太郎代表は「あのときの風あたりは強かった。まるで非国民のように言われたけれど、ロシアとウクライナの戦争をやめさせようと思ったら、そのどちらかに加担しちゃだめでしょう。平和憲法を持つ日本こそが停戦に向けて努力すべきなんですよ」と語っていたけれど、まことにまっとうな意見ですね。
 対米追随外交でバイデン政権に盲目的に従う岸田政権の哀しい姿がここにあるけれど、それに唯一抵抗したところに、れいわの真骨頂があったとも言えるでしょう。

A 赤旗日曜版に「男はつらいよ」の山田洋次監督の、「国全体の問題や世界に広く関心を持ち、自分は何をしなければいけないのかを考える。今それが、とても大事なんではないかと思います」という談話が載っていました。「ナチスが共産主義者や社会民主主義者を攻撃した時、声を上げなかったら、自分が攻撃された時は手遅れだった」というドイツの牧師の言葉を引用しながら。
 まさにいま頼れるのはれいわだけ! ですよ。夏の参院選は衆参同時選挙になるという観測もあるようですが、れいわが一気に大躍進することを期待したいですね。

 

新サイバー閑話(125)<折々メール閑話>66

「公共放送」から逸脱したフジテレビの悲惨

 B タレント、中居正広氏の性加害スキャンダルはついにフジテレビの港浩一社長(写真左=日本テレビ)と加納修治会長(同右)の辞任という事態へ発展しました。フジテレビは1月17日に港社長が出席者制限、動画撮影禁止という記者会見で「会社は知らぬ存ぜぬ」と逃げ切りをはかりましたが、さすがに多くの批判を浴び、28日にやり直し会見になりました。それ以前に開かれた臨時取締役会で両氏の辞任が決まり、今度は記者制限のない記者会見を行ったわけです。集まった記者はメディア関係者、フリージャナリストなどを含め400人以上、午後4時に始まった会見は翌午前2時を過ぎるまで延々10時間半という記録的な長さになりました。
 同会見にはフジグサンケイループのドンとも言われ、現在のフジの体制を築き上げた日枝久フジサンケイグループ代表、フジテレビ取締役相談役は姿を見せず、中居正広氏の性加害、およびその後のフジテレビ側の対応については謝罪したものの、この事件を生んだ遠因としての女子アナをタレントなどの接待要因として使っていたのではないかという疑惑については、港社長の答弁が相変わらずすっきりせず、これが記者会見が長時間に及んだ原因であるのは確かですね。

 A フジテレビをめぐるスキャンダルに火をつけたのは、お定まりの『週刊文春』でしたね、当初は「中居氏がフジテレビの女性アナウンサーに性加害を加え、そのため当の女性アナウンサーは仕事を続けられない精神的打撃を受けた。その間にフジテレビのプロヂューサーが介在していた」ということだったけれど、同テレビではこの種の「女子アナ」を接待要員として使っていたのではないかとの疑惑へと発展しました。
 フジ側の説明では、事件が起こった当日に当該プロデューサーが直接関与したことはなかったということですが、それ以前の同種パーティーの延長上で事件が発生したと考えると、組織としての責任は免れないのでは。

B 今回明らかになったフジテレビの実態は、前々から想像していた以上にひどいものでした。「テレビなどの放送会社は公共の電波を使った公共事業であり、一種の文化的な営みである」との建前は完膚なきまでに否定されていたわけです。
 フジ変質の経緯はきちんと検証すべきだと思いますね。僕は1980年代初頭に雑誌編集部に所属していたころ、テレビを取材したことがあります。フジはもともと財界主導で開設したテレビ局ですが、取材当時のフジは民放一の高視聴率を誇っていました。時間区分の視聴率で言うと、ゴールデンタイム(午後7時から10時)、プライムタイム(午後7時から11時)、全時間を通して視聴率で第1位、いわゆる三冠でした。ドラマでは「北の国から」、「鬼平犯科帳」、「剣客商売」などの人気番組を擁し、当時勃興しつつあったお笑い番組では「オレたちひょうきん族」とか、タモリの「笑っていいとも」などでヒットを飛ばしていました。81年から「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズにし、その後、フジはこのお笑い路線に大きく傾いていくわけです。
 ちなみに日枝久氏(写真)は1980年に編成局長に就任。1983年に取締役編成局長、そして1988年に代表取締役社長に昇任しています。港浩一氏はそのバラエティー現場で活躍、ディレクター、プロデューサーとして「とんねるずのみなさんのおかげです」を手がけました。2022年にフジテレビ代表取締役社長およびフジメディアホールディングス取締役に就任しましたが、彼が女性アナウンサーを同席させる食事会を定番化(常態化)させたとも言われています。

・バラエティ路線に舵を切った日枝・港体制

 結局、日枝、港体制でフジは芸能本位、バラエティ番組中心のテレビ会社へと大きく舵を切ったと言えるでしょう。報道番組の影は薄れ、代わってバラエティ番組に各種のタレントがコメンテイターとして参加、政治や外交、経済ニュースにまでコメントするようになっていきます。他局も含め、女性アナウンサーは「女子アナ」としてもてはやされるとともに、本来の業務以外の接待要員化も進んだようで、これもフジが先鞭を切ったわけですね。
 もちろん庶民感覚に裏付けされたお笑いタレントのコメントが意味がないと言っているわけではありません。その方が視聴率が取れると、報道解説や教養番組も、バラエティ化の波に呑まれていきました。つい最近まで、オリンピックとか世界陸上といったイベント中継も、スポーツにはほとんど知識のないジャニーズなどの若手タレントが大挙して出演して、お祭り騒ぎのような報道をしていたわけですね。
 今回の事件は、女子アナを接待要員として使っていたのではないかという疑惑も顕在化させました。フジ側の煮え切らない態度や17日の無責任な記者会見を理由に、多くのスポンサー企業が広告を引き上げる事態に発展、それがきっかけになってようやくフジは社長を更迭、やり直し記者会見をしたわけです。

A 日枝氏は安倍元首相とも昵懇で、安倍元首相が「笑っていいとも」に出演したこともありましたね。安倍元首相はその一方で、報道の公正・中立性についてテレビ局に大きく介入、それがきっかけで、硬派のジャーナリストが次々にテレビ局から追放されたりしました。

B この件については当コラム(「メディアの根底を突き崩した安倍政権」『山本太郎が日本を救う・第2集、みんなで実現 れいわの希望』所収、アマゾンで販売中)でもふれましたが、こういった動きとフジの変質とは表裏一体にあったとも言えるでしょう。

A これはフジだけの問題ではないでしょうね。他のテレビ局はこの事件の報道に及び腰だったけれど、それは自社に跳ね返ってくるブーメラン効果を恐れたためだと思います。

B 前回、予告したOnline塾DOORSの<ジャーナリズムを探して>シリーズは1月20日に朝日OBで現在はユーチューブ番組「一月万冊」で活躍する佐藤章さんにご出演いただいて無事にスタートしました。<新講座発足にあたって>で書いたように、新聞ばかりでなく、テレビ、ラジオ、出版、インターネットも含めて、IT社会におけるジャーナリズム再生の可能性を探りたいと思っていますが、フジに象徴されるテレビ局全体の変質は由々しき事態だと思います。
 今回知ったのだが、総務省で次官級ポストである総務審議官をつとめ、菅元首相の長男の接待事件で話題になった山田真貴子氏がフジ相談役に天下っているんですね。テレビ会社を指揮監督すべき総務省役人が4人もフジテレビに天下りしています。
 この会見はフジを始めTBS、テレ朝などで実況されましたが、10時間半という長丁場はやはり異常ですね。日枝氏の欠席、フジ側の煮え切らない態度、前回の会見のやり直しなどの事情はあったけれど、質問の内容、方法など記者側の資質も問題になるでしょう。企業側、政権側が記者会見に参加する記者を制限したり、そこで主導権を撮ろうとするとき、これに対抗する記者側が、ただ無制限に開催しろと叫ぶだけでは、悪貨が良貨を駆逐するではありませんが、その役割、善意の意図にもかかわらず、かえって国民にそっぽを向かれる恐れもあります。これも<ジャーナリズムを探して>のテーマだと思っています。
 もう一つ付け加えれば、今回の事件をきっかけにフジテレビでは80人ぐらいだった労働組合の加入者が500人に急増したという報道も興味深いですね。テレビが好況のとき、何もしなくても給与が上がると、組合に見向きもしなかった人びとが突如、自分たちに降りかかってきた「倒産」の危機に、団結して経営陣に当たろうと思いなおしたようです。
 僕の持論、サイバーリテラシー3原則の1つが<サイバー空間は「個」をあぶりだす>というものです。組織のくびきから離れて自由になった「個」の危うさを指摘したものですが、深いところで見ると、テレビ業界の変質にインターネット普及が大きな影響を与えていることも明らかです。1995年はインターネット普及元年と言われています。

・大石あき子の国会演説に胸のすく思い

A フジ記者会見が開かれていた 同日は国会も開かれており、NHKは国会中継を流していました。れいわの大石あき子議員が演説で、堂々たる石破政権攻撃を展開したのは、近来稀に見る名演説だったと思います。フジテレビのキャッチコピー「楽しくなければテレビじゃない」ではありませんが、所信表明で「楽しい日本」という歯の浮くような演説をした石破首相に対し、「国民はますます貧困になり、1万件を超える中小企業が倒産している。そういう現実が見えないような首相は、いますぐやめてくれませんか」と畳みかけていました。
 大石あきこさん最高! 小気味いい!キレッキレッの弁舌!山本代表も大満足では!

 B いまのテレビ局の変質はここ数十年の国会の変質と呼応したところがありますね。自民党はとにかく数を獲得しようと、女子アナを起用するフジテレビのように、人気タレントを次々と国会に送り込みました。お笑いタレント偏重のテレビが公共放送という枠を逸脱したように、タレント重視の国会は国会の意義を変質させたとも言えますね。「上からのクーデター」がやりやすいように、国会が再編成されたとも言えます。
 ちょっと誇張気味だけれど、社会全体の「知の軽視」、「痴の推奨」とでも言うか。テレビ普及初期に評論家、大宅壮一が言った「一億総白痴化」が名実ともに実現した感じもします。

A なるほど。言論機関としての本筋を喪失したテレビ企業の空洞化と、実のある討論を軽視し、数だけでごり押しする国会の空洞化。そういう中での大石演説ですよ。彼女の才能の表れではあるが、前回衆院選でれいわ新選組が9議席を得たという事実が彼女に力を与えたようにも思います。山本太郎代表は、次回参院選では7議席を獲得、非改選議員も含めて参院10議席を得たいと言っていましたが、その参院選は7月、もうすぐですね。

新サイバー閑話(124)<折々メール閑話>65

OnlineDOORS<ジャーナリズムを探して>

 B あけましておめでとうございます。ということで、今日は鎌倉源氏山にある葛原岡神社裏の高台から見た富士山の絶景をお届けします。

 スマホで撮ったものだけれど、なかなか美しいし、ずいぶん近くにも見えます。同神社の宮司さんの話だと、「鎌倉一の富士」ということですが、実はこの絶景がいま消える寸前にあります。葛原岡神社の裏山は長い間、雑木や竹笹に覆われて、そこから富士はほとんど見えなかったのですが、その先にある雑木林の新しい所有者が、遺跡発掘調査などで雑木を切り倒した途端に、あーら不思議とばかりにその威容を見せ始めました。ところが、新しい所有者はこの絶景を目当てにかなり広大な屋敷を立てる予定で、すでに基礎工事が進んでいます(左写真)。
 皮肉なことに、この絶景は見つかった途端に消える運命にあるわけです。
 これはまことに残念至極と、源氏山に住む古民家移築&研究家の滝下嘉弘さんたち「源氏山公園の歴史的遺産と景観を守る会」の人びとがいま頭を悩ませています。土地の所有者はベンチャー企業の若い社長さんらしく、まさに絶景を目当てに自分の邸宅を建築中なわけで、すでに基礎工事は終えています。鎌倉市の建築許可もすでに得ており、これを阻止することは理屈上は無理でしょう。
 それにしても、「この絶景が見つかった途端に見られなくなるのはまことに残念」、「鎌倉市がこれを譲り受けて源氏山公園の延長として整備できないか」、「そうすれば絶好の観光スポットになるのでは」などと、頭を悩まさせている状況です。もちろん頭を悩ますだけでなく、「この地を源氏山公園(風致公園)に含め、史跡の追加指定をお願いする」署名運動も始め、すでに4000筆ほどの署名を集めました。
 葛原岡神社の祭神は鎌倉期の公卿、日野俊基で、鶴岡八幡宮の影に隠れた感じですが、源氏山ハイキングコースの中継地でもあり、今では初詣客や外国人客の訪問も増えています。瀧下さんはこれは決して建設反対運動ではないけれど、この絶景が失われるのは残念だとの思いから、何とかこれを「みんなの景観」として残すことは出来ないかと、年末から年初にかけて連日のように神社境内で署名運動に取り組んでいます。

A 富士山の絶景を守る会の人たちの奮闘が実るといいと思う反面、生活の苦労もない連中が富士山がよく見えるかどうかで騒いでいるにすぎないとも思いますねえ。山本太郎が言うように、中小企業はバタバタ倒れている。子ども食堂で食事せざるを得ない子どもたちは、この伊勢市にもいる。富士山より、今日の食事が問題だとも思うわけです。

 B うーん、痛いところを突かれました。事態はすでに進んでいるので、民家の建築をここで止めることは無理だと思いますが、場合によっては、建築デザインを工夫してもらって、高台からでも見られるようにするとか、この高台により高い展望台を作ってみんなが富士の絶景を楽しめるようにするとか、いろいろ工夫の余地はあるのではないかとも考えるわけです。最近は海外からも源氏山を散策する人が増えており、鎌倉市としてもいい観光スポットになるように思いますが‣‣‣。

・年頭のSNSをにぎわせている中居問題

 閑話休題。
 年頭の話題は、昨年暮れにまた『週刊文春』が火をつけたタレント、中居正広氏(写真、『女性自身』)のセックススキャンダルですね。昨年騒がれたジャニーズ、松本人志などの性加害事件とよく似た構造で、「中居氏がフジテレビの女性アナウンサーに性危害を加え、9000万円を支払い和解した」というものです。
 まだもっぱらSNSなどインターネット上の話題で、一方の主役、フジテレビを初めとして、既存メディアはどちらかというと静観の構えです。テレビ各社は中居氏がMCをつとめる番組をどんどん取り止めていますが、フジテレビも含めて、番組を止めながらその説明はないという奇妙な事態でもあります。新聞ももっぱら「下半身問題」との捉え方で、メディアのあり方への言及は少ないですが、日本テレビが「ザ!世界仰天ニュース」のMC、中居氏出演部分を全面カットして放映した件については報道しています。

 A 下半身問題はうんざりではあるが、フジテレビがただちに「この件には一切関係ない」とのコメントを出しながら、後の報道で被害女性が女性上司に相談した時の対応が問題になるなど、フジが知らぬ顔の半兵衛を決め込むのは無理ですね。

B 前回、情報端末としてのスマートフォンがすでにテレビを凌駕しつつあることを総務省データをもとに話しましたが、メディア接触時間に関する以下のデータ(やはり総務省)も興味深いです。

 平日のメディア利用時間は、10年前までは当然、テレビが長かったわけですが、2020年に逆転、2023年ではテレビ135分、インターネット194分となっています。休日の大勢も変わりませんが、インターネット利用時間は200分を越えています。  年代別に見ると、これも当然ながら、若年層ではテレビ視聴が著しく減少、代わってインターネットが伸びています。テレビは高齢者中心の「オールドメディア」になりつつあるのがよくわかります。

 インターネット(スマートフォン)で何をしているかについては、「メールを読む・書く」、「ブログやウエブサイトを見る・書く」、「動画投稿・共有サービスを見る」などが上位を占めています。おおざっぱに言えば、メールを書くか、ユーチューブ番組を見ているわけです。

・IT社会における<ジャーナリズムを探して>

 こういう現実を見ると、いくらテレビや新聞が黙殺しても、情報はどんどん広がっていきます。前回も触れましたが、メディアに投下される広告費もすでにインターネットがテレビを凌駕しているわけで、いまや新聞に続いてテレビが「オールドメディア」として衰退しつつあると言えるでしょう。昨年の選挙における投票行動の変化が象徴的ですが、これからの情報発信はどういう方向に向かうのか、民主主義社会を下支えするとされてきたジャーナリズム機能はどう変化するのか、これは「サイバーリテラシー」の提唱者として当面の最大の関心事です。

A よっ!真打ち登場! 絶え間なく変貌する情報発信の世界に、サイバーリテラシーがその道しるべになる時が来ましたね。

B おっ!嬉しいエール! 気を良くしたところで、主宰するOnline塾DOORSで、新年から<ジャーナリズムを探して>というシリーズを開講する㏚をさせていただきます。マスメディアOBでいまはユーチューブで活発に情報発信している人、テレビから転身したユーチューバー、ジャーナリズムに強い関心を持っている実務家、研究者などにご登場願って、IT社会におけるジャーナリズムについて考えようという企画です。
 既存マスメディアのジャーナリズム機能の衰退は著しく、今回、明らかになったようにテレビの実体は腐敗の極に達したようにさえ見えます。中居事件に関して関西在住のジャーナリスト、今井一さんが、ユーチューブ番組で「性被害問題に口をつぐみながら、一方で世界の平和や政治を語るテレビとは何か。テレビ局の意向のままに発言しているタレントとは何か」と憤慨していましたが、既存マスメディアのジャーナリズムは崩壊寸前です。
 一方、インターネットのユーチューブ番組の中には、一月万冊、鮫島タイムス、デモクラシータイムス、アークタイムスなど硬質のジャーナリズムを追及する試みがありますし、中田敦彦のユーチューブ大学などユニークな番組もあります。
 しかし、インターネット上の情報発信全般を見れば、アクセス数や広告費稼ぎを目的に真偽取り混ぜた情報が暗躍する魑魅魍魎の世界であり、それらの有害情報、フェイクニュースをチェックするとして発足した官民のファクトチェック機関が、有害情報駆除を口実に反権力、反体制的な情報を技術的な手法で「検閲」している問題もあります(トランプ政権発足にあわせて、フェイスブックを運営するメタ社が「ファクトチェックを廃止する」としたことで、新たな懸念も生じています)。またネット・ジャーナリズムの旗手の多くが既存マスメディア出身であることは、人材供給源としてのマスメディアの存在感を印象づけると同時に、マスメディア以後のジャーナリスト育成はどうすればいいのかという問題も投げかけているでしょう。かつて「ジャーナリズムの雄」を自負した新聞再生の可能性についても考えていくつもりです。

A 昨年暮れの29日、TBS「報道の日」2024と題する番組で、MCの一人として、「ユーチューブ大学」の中田敦彦氏が参加していたのを興味深く思いました。
 恒例の企画で今年のテーマは「TBSテレビ報道70年  8つの禁断ニュース」で、MCに膳場貴子、井上貴博TBSアナウンサーに加えて中田敦彦氏が加わりました。「ジャニー氏性加害問題 補償の裏側は…」、「安倍3代と統一教会 “組織的関係”の原点」、「田中角栄と三木武夫 知られざる権力闘争」、「繰り返された核の悲劇 原発導入に日米の思惑」、「第一次トランプ政権 アメリカ議会襲撃事件の裏で起きていたこととは?」など、この間の8大事件を取り上げた、なかなか重厚な作品でした。

B 前回コラムで中田敦彦氏に言及していますが、彼のユーチューブでの情報発信が評価されての大手テレビへの〝抜擢〟とも言えますね。彼は既存メディアの映像の豊富さに驚きと敬意を表していましたが、巨大な情報収集力をはじめとする古いメディアの底力を過小評価するのは禁物でもあります。
 Online塾DOORSは完全なボランティア運営で、出演者に支払う謝礼の用意もありません。他の講座同様、もっぱら善意にすがっての運営になりますが、心あるスピーカーのご理解、ご協力を得て、出来る処までやってみようと、またぞろ「老骨に鞭打って」います(^o^)。
 あわせて<ジャーナリズムを探して>へのみなさんの積極的参加を呼びかけたいと思います。希望者は info□cyber-literacy..com(□→@)まで

新サイバー閑話(123)<折々メール閑話>64

SNSが社会を、政治を動かし始めた

B まだ師走に入ったばかりですが、今年をメディア史の観点から回顧すると、SNSが社会を実際に動かし始めた年だったと言えそうです。いわゆるアラブの春や東日本大震災が起こった2011年ごろ、SNS(Social Networking Service)が脚光を浴び、大学で「2011年、SNSの旅」という講義をしていたわけだけれど、最近の傾向は日常生活のレベルでSNSの影響力がはっきりした形で表れ始めたと言えるでしょう。
 ユーチューブ、Ⅹ(元のツイッター)、インスタグラム、フェイスブックといったコンテンツ(ソフトウエア)としてのSNSが多くの人に閲覧されるようになり、その影響力が増大した。それはハードウエア、情報端末(デバイス)としてのスマートホンの機能強化とその圧倒的普及に支えられています。スマホの機能はパソコンとまったく遜色がなくなり、いまやニュースを知るにも、新聞はおろか、テレビを見る必要もなくなりました。

A そういう状況を反映しての斎藤正彦兵庫県知事の「あっと驚く」再選でした。海の向こうでもSNSを駆使したトランプがテレビ重視のハリスを打ち負かしました。まさに世界同時の歴史舞台の大転換ですね。

・スマホの普及・機能強化・多彩なコンテンツ

B 下に掲げたのは総務省による情報端末の普及グラフです。

 スマホの普及率は、2010年にはわずか9.7%だったのが年々伸び続け、2023年には90.6%になりました。93.3%のテレビともはやほとんど変わりません。一番上のグラフはスマホだけでなくいわゆるガラケー、PHSなどを含むモバイル端末全体の合計を示していますが、その数値は97.4%、テレビを上回っています。万人が何らかのモバイル端末を持っていることを示しているでしょう。
 ちなみにパソコンは65.3%、固定電話は57.9&、こちらは年々減少しています(テレビも減少傾向にあります)。若者の中にはパソコンを使ったことのない人もいるようですし、若い世帯では固定電話を引いていない家庭もけっこうありますね。社会全体がスマホで動くようになっている。このことを理解する必要があります。NTT(旧電々公社)がユニバーサル・デザインとして全国津々浦々に電信電話線を敷設しようと努力してきたことを考えると、まさに隔世の感です。
 もっとも僕自身はもっぱらパソコン派でiPhoneを持っているけれど、電話以外にはあまり使っていません。

 A 僕の場合は、工事見積の送付とか、顧客との連絡など仕事でパソコンを使いますが、ふだんの連絡は公私共にほとんどスマホですませてます。時にはスマホの電源を切りたい誘惑に駆られますね〜。顧客からのトラブルに関する電話など(^o^)。

B しかも通信回線の高速化で、スマホでも光回線なみの速さで動画をやり取りできるようになっています。2020年から日本でもサービスが始まったG5を使うと、5㎇という大容量のDVD1枚がほんの3~4秒でダウンロードできる。人びとはいまやテレビよりインターネットの動画を見るようになっていると言っても過言ではない。コンテンツもどんどん増えています。ちょっとした機材を用意すれば、だれでも動画をつくり、それをユーチューブに簡単にアップできる時代です。みんながユーチューバーになれるわけですね。今年は野球のメジャーリーグで大谷翔平選手が大活躍しましたが、僕なんかも毎日、そのダイジェストをユーチューブ番組で見ていました。コンテンツのレベルもテレビと変らないですね。

A そして、ついに選挙も様変わりしました。これまで若者、あるいは無関心層は既存の選挙システムの枠外に置かれていたのだけれど、その構造に変化が起こった。その最初が7月の都知事選での石丸伸二候補の躍進だったですね。

 B こういう背景のもとに、スマホおよびSNSが実際に選挙結果を左右するようになったと言えますね。選挙のあり方が変わったと言っても過言ではない。来夏の参院選ではまた大きな変化が起こるでしょう。SNSやスマホを通して、これまで選挙に見向きもしなかった層が選挙に関心を持ち始め、同時に候補者の方も、ユーチューブなどSNSの威力に気づき始めました。兵庫県知事選では投票率も大幅にアップしました。

都知事選→総裁選→衆院選→兵庫県知事選&アメリカ大統領選

  この件に関して、ユーチューバーの中田敦彦氏が自らの実践を通して鋭い洞察をしています。

 2019年以来、インターネット上の「ユーチューブ大学」でさまざまなコンテンツを配信してきた中田氏の以下の動画はたいへん興味深く、また多くを教えられました。
 https://www.youtube.com/watch?v=VlMO6NiSJBI&t=26s
 彼は7月の都知事選で石丸伸二、蓮舫、小池百合子と、主だった候補者にインタビューしてそれを配信して注目されました。その経緯はこんなふうだったようです。石丸候補がSNSを利用していることに興味を持って、「石丸さんにダメもとでインタビューを申し込んだら受けてくれて、この動画が好評だった。それで蓮舫さんや小池さんにも依頼したら、受けてくれたんですね」。蓮舫、小池氏は「『出たい』ということでもなく、『出ないとやばいかな』という程度だったと思います。しかし、自民党総裁選の段階では積極的に『出たい』という人が表れたんですよ」と、歴史が動いた瞬間を、メディアの渦中にいた人の生々しい実感として語っています。

 A 石丸躍進に敏感に対応したのが10月の衆院選における玉木雄一郎代表の国民民主党で、SNSを駆使する戦術が奏功して若者票を集め、4倍増という躍進をしました。

・インターネット広告費、テレビを抜く

B 動画配信の威力を実感した中田氏は11月の兵庫県知事選では、マスメディアの情報とネットでの情報が違うことに注目し、その違いがよくわかる番組を配信しましたが、これなどインターネット動画の質の高さを示したと言えます。
 彼は兵庫県知事選はSNSが政治を実際に動かした嚆矢だと位置づけていましたが、慧眼だと思います。彼も触れていますが、これと同じ構図がやはり11月初めのアメリカ大統領選でも起こっています。
 トランプ陣営は前回選挙選でもツイッターを駆使しましたが、今回はイーロン・マスク氏が買収したⅩも積極的に使い、ユーチューブの長尺インタビューも受けていました。それに対してハリス陣営はテレビ偏重で、それも明暗を分ける一因になったようです。
 テレビが両候補互角、あるいはハリス優勢という予想だったのも注目すべきでしょう。選挙民の実体を把握する点でも、テレビはすでに時代遅れになっており、コンテンツの面でもSNSに遅れ始めた。この点は兵庫県知事選とよく似ています。
 このテレビとインターネット(ユーチューブ)のコンテンツの違いに関しても、中田氏は鋭い分析をしています。①テレビは選挙期間に入ると、候補者に対する深堀をしなくなるが、ユーチューブにはそういう情報がふんだんにあった。②テレビは時間枠に制限があるが、ユーチューブにはなく、どんな長いインタビューでも配信できる。③テレビは、大手広告代理店、大手芸能事務所、政権与党に遠慮しがちであり、これらが関わる問題では報道力が弱まっているという認識が国民に広く知れわたった。
 テレビには1日24時間という制限があり、しかもゴールデンタイムなど視聴率の高い時間はいよいよ限られますが、インターネットには制限がまるでないから、特定の人に対して掘り下げた情報も提供できるし、利用者も深夜であろうと、自分の都合のいい時に視聴できます。これはインターネットの潜在的な力です。

A 2019年にはインターネット広告費がテレビ広告費を抜いたようですね。

B これもエポックメイキングな出来事ですね。大手広告代理店・電通の恒例調査によると、まさに2019年にインターネット広告とテレビ広告の逆転が起こっています。長い間テレビは最大の広告メディアでしたが、その地位がインターネットに奪われた。新聞、書籍、ラジオを含めたマスコミ4媒体の合計でもインターネットに抜かれました。

 ・便利で強力な道具を賢く使うために

A スマホの急速な普及やその影響力増大には恐ろしさも感じますね。実際、たった17日間の選挙期間中で兵庫県民の斎藤知事に対する見方ががらりと変わりましたからねえ。
 スマホの普及を野放図に放置していていいのか。正しい利用の仕方ということも考えないといけないのではないかと思っていた矢先、オーストラリア議会が16歳未満の交流サイト利用を禁止する法律を可決したニュースがありました。重要な発達段階にある子どもをオンラインの有害コンテンツから保護するのが目的で、当面、フェイスブック、インスタグラム、Ⅹ、TikTokなどを対象に厳格な年齢確認や有害コンテンツ対策などを事業者に義務付けるもので、罰則も設けています。おもしろいことに、ユーチューブは「教育などに役立つため」として対象外です。

B インターネットの黎明期やケータイ普及当初に、やはり子どもの使用制限に関する議論が起きました。サイバーリテラシー研究所としても、小学生朝日新聞で「サイバー博士と考える」という連載をしたり、『子どもと親と教師のためのサイバーリテラシー』(合同出版)を出版したりしましたが、便利性や技術発展のスピードに幻惑されて、有効な方策は取られてきませんでした。
 情報はもともと自由であることを求めるものでもあり、規制するのはなかなか難しいけれど、この便利でもあり強力でもあるツールを「賢く」使うリテラシーはやはり必要です。これは必ずしも未成年に限らないですね。改めて「サイバーリテラシー」について整理する必要を感じているところです。
 実は昨年、サイバー燈台叢書の一環として『<平成とITと私>①『ASAHIパソコン』そして『DOORS』』を出しました(アマゾンで販売中)。『ASAHIパソコン』創刊前後の1980年代から出版局を離れる1997年ごろまでの私家版コンピュータ発達史です。自分の経験と同時に、当時のコンピュータ事情はどういうものだったのかがわかるように工夫しました。同シリーズ②で、現役だった2013年までをまとめ、それ以後を『<平成とITと私>③として刊行したいと考えています。
 この③段階が実はインターネット発達史のきわめて重要な局面です。①②が前史だとすると、③が本番と言ってもいいかもしれません。やはり僕が主宰するZoomサロン、Online塾DOORSで、情報通信講釈師・唐澤豊さんに折に触れてIT最新事情を講義していただいているのですが、最近のトピックスは目を瞠るものがあります。
 用語だけを上げても、メタバース、ブロックチェーン、シンギュラリティ、生成AIなどなど。端末としてのパソコンやスマホの機能強化もすさまじく、それらの強力ツールの土台の上にユーチューブ、Ⅹ、フェイスブックなどのコンテンツが花開き、それが実際に社会を動かし、選挙の投票行動にも現実的な影響力を持ち始めたわけです。
 自分たちが置かれた現代という時代を理解し、いかに豊かなものにしていくことができるかを、あらためて考える必要があると思っています。「年寄りの冷や水」と言われるだろうけれど^o^)。

 

新サイバー閑話(122)<折々メール閑話>63

山本太郎、「れいわにかけた」思いを語る

 B 兵庫県の斎藤元彦知事再選をめぐるその後の動きを見ていても、前回の骨格で修正すべきことはありませんが、現段階でいくつか補足しておきます。

・斎藤知事再選、補足的なコメント

マスメディアは事実を報道したのか>驚いたことにメディアの大半は、県民局長の自殺の原因が本人の不倫らしいと知っていたようです。これも真相は「藪の中」という感じですが、兵庫県議会百条委員会で証言した片山安孝前副知事が県民局長の公用パソコン内の「不倫日記」について話し始めた時、奥谷謙一委員長がこれを強引に静止した経緯があり、そのいきさつを記者も知っていたらしい。「報道しないで」と言われて、事件に重要な影響を与える事実をあっさり葬ってしまったとすれば、「報道の自由」、「報道の責任」ということから考えて、驚くべき事実ですね。
 表の報道(第1の物語)では、県民局長は斎藤知事から懲戒処分を受けて自殺したことになっていた(あるいはそれを強く示唆していた)わけで、別に自殺の原因があることを知りながらそれを〝隠す〟行為はちょっと信じられません。局長が百条委員会に出席して自分の所説を堂々と主張できるようになった段階で自殺するというのも不思議です。ここに真実を追及する姿勢を放棄して何の痛痒も感じない兵庫県庁記者クラブ周辺の記者たちの退廃があるように思います。野次馬根性もないこの無気力な態度は何を意味するのか。これ自体報道の「自殺」ではないか。こういうあいまいさが兵庫県民にマスメディア報道に対する疑惑を生み、第2の物語へと向かわせる大きな要因になったのは確かだと思います。
 ここまで騒ぎが大きくなると、何らかの手段で公用パソコンの中身が明らかにされることになりそうで、第1、あるいは第2の物語も補強され、さらには巫女(公用パソコン)の口から死者による第3の物語が語られることにもなりそうです。
<無党派層の政治参加と若者>この項の最後に「一方でSNSの輪はどのようにして大きく広まったか。これは大いに検討すべき事柄ですね」と書いていますが、案の定というべきか、斎藤知事圧勝に気を良くしたらしいベンチャー・プロダクションの女性社長が、「エッフェル姉さん」ばりの軽薄さで、「私たちが斎藤知事再選のためのSNS指南をした」とウエブで自慢して、公職選挙法に抵触するのではないかと新たな波紋を広げています。
 問題はインターネット(SNS)は操作しやすいということですね。以前、自民党との関係が取りざたされたツイッターの匿名アカウント「Dappi」にふれたことがあります。発信元は「ワンズクエスト」というIT関連会社で、立憲民主党の小西洋之議員らが虚偽の投稿で名誉を傷つけられたとして、同社と社長らに損害賠償を求めた訴訟の東京地裁判決(10月)では、「投稿が会社の業務だった」と認め、計220万円の支払いと問題の投稿の削除を求めています。その中で「自民によるネット操作の一環ではないかとの疑いは排除できない」とも述べています。だれもが好きなことを投稿しているように見えるツイッターを、政党や企業が大金を投入して操作できる余地が大いにあるということです。
 今回のSNS指南がどの程度のもので、効果がどの程度あったのか、また公職選挙法の規定に触れるかどうかはよくわかりませんが、新たな第4の物語の開幕になる可能性もありそうです。
 僕は2000年代初頭から「IT社会を生きる杖」としての「サイバーリテラシー」を提唱しており、サイバーリテラシー3原則は、「サイバー空間には制約がない」、「サイバー空間は忘れない」、「サイバー空間は『個』をあぶりだす」というものだけれど、その補則として「サイバー空間は操作されやすい」を加えた方がいいとも思っています。

 A サイバーリテラシーというのは、メディアリテラシーとは違い、サイバー空間と現実世界が相互交流するIT社会を生きるための基本素養ですね。これからは、いよいよサイバーリテラシーの出番だと思いますね。
 ところで兵庫知事選直後のれいわ・山本太郎代の街頭演説は、ほれぼれする内容でした。良き質問を得て、あらためてれいわ新選組にかける彼の熱意を吐露したものだと思います。

B まったくそうですね。この<折々メール閑話>をもとに刊行している『山本太郎が日本を救う』シリーズ(現在3巻まで。電子本ともアマゾンにて販売中)の第1号と第2号では巻頭に「山本太郎名言集」を掲載していますが、この演説も名言集として掲載するに値すると思います。山本太郎の立場や考えがよくわかるので、丁寧に文字お越しして紹介しておきましょう。https://www.youtube.com/watch?v=sQIJ57K9h1Y

・「自信をもって、いっしょにやっていきましょう」

 ――パワハラ疑惑の斎藤知事が当選し、SNSの影響が大きかったと思うが、一方でそういうことをあおる人たちがいてネットは怖いと思いました。

 そういうものを脅威に思う前に、れいわ新選組を広げた方がいい。私、そう思います。
 今の国政に唯一対抗できるのはれいわしかないですよ。30年の不況を作り出したのは自民党だけじゃない。その間、野党たちは何してたの? 自民党の考え方と立憲民主党の考え方はほぼいっしょですよ。だから自民党A、Bなんですね。
 それを考えた時に、彼らを野党だと信じ込んで応援するのは、ちょっと違うと思う。緊縮予算では社会を壊すっていうことを気づかずに、緊縮の思考を持ち続けているっていうのも、私は非常に罪深いなと思っています。
 社会があまりにもカオスになってしまっている。そのことに関して不満を持つのは当然です。他の政党の議席が取れたとか、党勢拡大されたとかいうことを見て、不安が深まるのも当然の感覚と思うけれど、そういったものに心揺さぶられながら、前に進むのはあまり好ましくない、と言うか、あまり意味がないんじゃないかなって思います。シンプルにこの国を変えるためにどうしたらいいんだって考えて、もしあなたが「れいわ新選組頑張れ」、「壊れた政治にクサビを打ちこもう」と思ってくださるんだったら、いかにれいわを拡大できるかという一点でいっしょにやってもらえたらな、と思います。
 メディアだったり、ネットだったり、いろんなものに踊らされ続けることから降りるっていうことが必要だと思うんですよね。あくまでもそれらは補足的なもので、実際は何かって言ったら、地に足が着いた状態で応援してくださっているみなさんが確実に横に広げてくださるからこそ、ここまで拡大できたんですね。ネットだけでそんなことにならないですよ。
 一時的な盛り上がりをつくるのはそんなに難しいことじゃない。たとえば新しく登場した政党とか、けっこう盛り上がるじゃないですか。でもそれが継続できるかっていうことが一番重要なんですね。一回だけの花火だったら誰でも打ち上げられる。その先をずっと維持していけるかということに関しては、やっぱり積み上げしかないんですよ。そういう意味では、しっかりとみなさんといっしょに積み上げられた5年間だったと思います。その結果、国会議員全14議席が生まれたんだと。
 もちろん社会が壊れていくスピードと私たちが拡大していくスピードっていうのは、なかなかうまい具合にマッチしないですね。ほんとだったらもっとパンパンバンってね、ホップステップジャンプっていう感じで行けたら一番理想なんですけど、なかなかそうはならないところに歯がゆさを感じるし、焦りも感じるんですけれど‣‣‣。でも一つ言えることは何かって言ったら、私たち1回も負けてませんよってことなんですよ。あなた方がれいわを1回も負けさせてこなかった、ってことなんですね。自信をもっていただきたい。そこからさらに拡大できる。いっしょにやっていきましょう。ありがとうございます。

A 山本太郎は衆院選直後には極度の疲労でげっそりして、ずいぶん心配しましたが、さっそうと復活しましたね。れいわは「1回も負けていませんよ」と言い切っているところがたくましい。

B 衆院選でれいわの今後にたしかな手ごたえを感じたということでしょうね。次は来夏の参院選です。さらなる躍進を期待しましょう。

・「右も左も関係ない。今は上と下との戦いですよ」

 ――マルクスとか反資本主義とかアナーキストとかっていう人たちと態度がけっこう近いのかなっていう印象を受けたんですけど、その理論的な距離感っていうか、実践的な距離感っていうか、そういう見方に対する批判ありますか。

 右だ左だというのはさまざまあると思います。例えば、右の中でも何だ、左の中でも何だと。れいわ新選組はどこら辺の位置にいて、逆に言ったら、それを回りからなんて言われてるか、みたいなことをかみ砕いたら‣‣‣、そういうお話でいいんですかね(^o^)。
 あのね、理論なんてないんですよ。はっきり言ったら、マルクスって何ですかって、読んだこともないわって話なんですね。申し訳ない、無学で。その他のそういったさまざまな右だ左だってことに関して、私まったく詳しくありません。逆に言ったら、その右だ左だっていうような小さなカテゴリーに私を入れてくれるなって話なんですよ。
 今の社会は上と下の戦いなんですよ。右だ左だとか、いろんな思想だとか、さまざまみなさんお持ちでしょう。それは尊重します。それを突き詰めていこうとされている方々に関しては、私から何も言うことはありません。あなたの頑張りたいことに関しては応援します。でも私自身を何かにカテゴライズするっていうのはごめんなんですよ。れいわ新選組を何かしらにカテゴライズする、されるっていうのは迷惑でしかない。そういうような感覚なんですね。なので理論的に云々っていうことに対して私自身が何かしら答えを持っているわけではありません。
 あまりにもあり得ない状況が広がっていますね。今の日本はだれが実権を握ってますかって考えたら、大きな資本を持つ者たちなんですよ。大企業ですね。どうして大企業がこれだけの実験を握れるかっていったら、政治をコントロールする力を持ってるからなんでよ。それは、票なんですよ。選挙の票。大きな会社、本体だけじゃなくて、取引先だったり、下部組織だったり、さまざまなところの票を取りまとめて、自分たちの利益の代弁者を議会に送り続けているわけですね。送り込まれた人たちは当然、議員バッジをつけてくれた人たちのために汗を流すんですよ。そうなると話が歪んでくるんです。国会議員たるもの、だれのために仕事をしますかって言ったら、この国に生きるすべての人びとのために仕事をするという感覚を持たなきゃダメなんです。一部の者のためだけに頑張りますっていう社会になっちゃったら、大きく社会壊れてしまいますよね。それが今この国の現実なんです。
 憲法にもはっきりと書かれています。第15条に「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」。30年どうしてこの国が先進国でただ一つ不況なんですか。国内を草刈り場にしたうえで、一部の資本家や大企業たちが儲け続けるようにルールを改正し続けてきたわけでしょ。たとえば消費税、消費税はあなたの社会保障とはほとんど関係がない。大企業に対して減税、大金持ちに対して優遇、その穴埋めとして消費税は上げられ続けているんですよね。これって、一部の者のためじゃないですか。どうしてこの国の労働者の非正規雇用が4割なんですか。誰がこれで得すんの。だれが嬉しいのって言ったら資本側ですよ。だって安いんでしょう、そのうえいつでも首切れるんでしょう。社会保障関係でも面倒見まくらなくていいわけでしょう。こんなに都合のいい労働者いませんよ。こんな不安定労働を広げるようなことを国会の中で決めて、90年代から今に至るまでの間に働く人の4割が非正規になっちゃったんですよ。歪みまくってるんですよ。
 つまり何かって言ったら、圧倒的に持ち続ける者と圧倒的に持たない者たち、この格差がどんどん開いている。国民の6人に1人が貧困ですよ。高齢者の5人に1人が貧困で、一人暮らし女性、4人に1人が貧困ですよ。一方で大きな資本を持った者たち、大企業は過去最高益を毎年叩き続けている、無茶苦茶じゃないですか、今や世界では何の戦いが繰り広げられているかって言ったら、上と下の戦い、右も左も力合わせて上と闘うんですよ。上であぐら組んで国内を食い物にしている者たちと闘っているんですよ。
 私は、資本家を倒したいとか、大企業を倒したいなんてみじんも思ってない。国内を弱らせるっていうことは、これはひいては資本を持った者や、大企業にとっても打撃にしかならないんですよ、見てみてよ、国内で商売がやりづらくなってるじゃない、需要が減ってるじゃない、だから海外出るんでしょ、国内でちゃんと商売して儲けられるだけのこの国には大きなエンジンがあるじゃない、個人消費がGDPの5割以上、それを大切にしなきゃいけないのに、そこを壊しながら、自分たちの利益だけを拡大していくってことになっちゃったら、一部の人たちにとっては、おいしい話は続くけど、国民にとっては地獄が続く、そしてそれは持続可能なのかって言ったら、まったく持続不可能ですよ。国内を草刈り場にするな、ものすごくシンプルな話です。
 私たちれいわ新選組が訴えている経済政策は、お前らだけいい思いをするな、さんざんいい思いしてきただろうから、いったんそっちはお休みで、次は30年間傷つけられまくってきた国民が得する番、豊かになる番、そして中小企業が得になる番、それは、ひいてはあんたらも得できるんだぜって、そういう社会にしていくしかないなって思ってます。
 そういう考え方を過去の人たちが言っていたならば、ずいぶん気が合いますねって話です(^o^)、その程度です。理論的でなくて申し訳ないんですけれど、動物的感覚でずっと生きているので、こんな感じです。ありがとうございます。

A これを聞いて反応する経営者が出て来てもいいだろうと強く思いますね。経団連は目を覚ませ! 彼の主張はこの5年間、それこそ「1ミリ」もずれていない。あらためてすばらしいと思いますね。

 B 前回、トランプ次期大統領が一部の富裕層が支配するDS(Deep State)に対決する姿勢を示していることに触れました。トランプご本人の粗暴で権力的ななふるまいは、アメリカ国内および世界にさまざまな危惧を与えているけれども、この「DS退治」が二極化したアメリカの貧困層、中間層の人びとの心をとらえたことは間違いないですね。
 今日の東京新聞にイタリア人芸術家のコンセプトアートとして、壁に本もののバナナをテープで張り付けただけの作品が9億円を上回る価格で落札されたというニュースが出ていました。落札したのは中国出身の暗号関係の起業家だといい、「このユニークな芸術体験の一環として、今後数日のうちに実際に食べる」と言っているとか。彼ら一部(1%)の資産家にとっては9億円も900円程度の感覚でしかなさそうです。こういう富の偏在に思いを馳せれば、山本太郎のまっとうな発言がよくわかりますね。