Online塾DOORS報告④<2025.1.20~>

 2025年から<ジャーナリズムを探して>シリーズを始めたのに伴い、2025年以降のOnline塾DOORSの記録をOnline塾DOORS④<2025.1.20~>へと更新しました(一部ダブリ掲載あり)。塾の精神、これまでの授業など、ほとんど従来通りで、その趣旨は別稿のOnline塾DOORSへの招待、<ネットのオアシスを求めて>をご覧ください。「国境を越え、世代を超えて」がキャッチフレーズです。より多くの皆さんの参加を希望しています。
 なお従来の履歴はOnline塾DOORS③のメニューからご覧いただけます。それ以前はOnlineシニア塾①<2020.5~2021.4>、および②<2021.5~2022.4>に収録しています。
 2025年3月現在の講義は以下の通りです。

講座<若者に学ぶグローバル人生>
講座<気になることを聞く>
講座<とっておきの話>
講座<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>
講座<よりよいIT社会をめざして>
講座<超高齢社会を生きる>
講座<女性が拓いたネット新時代>
講座<ジャーナリズムを探して>

講座<若者に学ぶグローバル人生>

◎第84回(2025.3.27)
 古海正子さん【「もっと知ってほしい日本のこと、もっと知りたいアジアの国々」。アジアの若い仲間の支援を続けて20余年。あなたも「アジ風」に参加してみませんか】

 アジアに「新しい風」が吹いてからすでに20余年。創立者の上高子さん(写真)は、日本航空勤務のあと、よりやりがいのある仕事を求めて40代半ばで早期退職、日本語教師へと転進したが、そこで焦点を欧米よりもアジアに定め、アジアの若者たちの日本語学習を支援することを思い立った。日本語教師の派遣を希望する大学の日本語学部に教師を派遣することから始めたが、Iメイト(アイメイト、I=インターネット、愛、会い)という秀逸なシステムに乗って、その草の根的交流はアジア諸国と日本のきずなを深めることに大きな貢献してきた。NPO法人「アジアの新しい風」設立は2003年、現在その理事をつとめる古海正子さんに、コロナ禍以後も「新しい風」を吹かせたいと頑張っている同法人の活動について聞いた。
 なお<若者に学ぶグローバル人生>では、これまでアジア、アフリカなどの留学生を中心に話を聞いてきたが、上さんや彼女の後任副理事長を務める創立時以来の会員、元日本語学校校長の奥山寿子さん、そして古海さんなどにも何人かの留学生を紹介していただいている。

https://www.npo-asia.org/

 NPO法人アジアの新しい風(略称:アジ風)は、日本語教育を通して日本についてのアジア諸国の理解を得るため、Iメイト交流を始めとした日本語学習者への支援や文化交流などの事業を行っています。同時に、アジアの国々について学び、相互理解を深めることによって、多文化共生社会の実現を目指し、アジアの平和とひいては世界の平和に貢献することを目指します(定款)。

 1970年4月日本IBM(株)入社、1982~1987まで全社新入社員研修を担当、1987後半から海外人事マネジャーになり、その後、国際人事及び福利厚生などを担当。日本IBMの上部組織にあたるアジアパシフィックで国際人事や秘書のマネジャーを経験した。2009年にアジ風会員となり、2012年から理事、2017年から3年間事務局長、その後現在に至るまで理事。

 アジ風の現在のメンバーは190人ほど。50~70代が中心ですが、80を越えた方もいらっしゃいます。中国(清華大学)、ベトナム(貿易大学)、タイ(タマサート大学)、インドネシア(パジャジャラン大学)の日本語学科で学ぶ学生と直接、あるいはインターネットでのメール交換を通してコミュニケーションしながら、日本語学習の支援をしています。
 主な活動は、Iメイト交流、アジア各国の交流校訪問、交流会や著名人の講演会開催、留学生支援、日本での就職支援などと幅広いです。奨学金制度も設けています。
 Iメイト(アイメイト)は日本語学習者(学生)と会員がEメールを通じて1対1で交流するシステムです。彼ら、あるいは彼女たちが日本に留学するようになると、Iメイトがマンツーマンで観光案内したり、自宅に招いたりして、より交流を深めています。彼らは日本についてけっこう勉強しているので、質問に答えられなくて改めて調べたりもするので、勉強にもなりますが、それよりも子どもや孫ぐらいの若い人たちと、年を離れた友だちのようになれること自体、たいへん楽しいですね。
 交流校は先に上げた4校で、韓国、フィリピンなどが含まれていませんが、もともと日本語学部に日本語教師を派遣することから始まっており、とくに韓国からは「必要ない」と断られた経緯があります(^o^)。
 年に1~2回、Iメイトたちが現地を訪れ、交流校訪問をしています。いずれも現地の一流大学で、清華大学、タマサート大学ともに広大なキャンパスなのには驚きます。
 現在のIメイト参加者は70人強、学生の方は200人くらいいるので、1人の会員で複数の方と交流していることになります。現地での交流会では学生たちの自宅に招かれることもあります。

 交流会ではZoomを使った遠隔参加もあり、新春交流会では150人ぐらいが参加します。グループディスカッション、詩歌朗読コンサート、アニメのアフレココンテスト、落語講演、など多彩な行事を計画しています。年1回の総会の後は著名人をお呼びしての講演。初代理事長をお願いした林雄二郎さんの息子さんで、やはり理事長にもなっていただいた作家の林望さん、日本総合研究所の寺島実郎さん、比較文学の専門家で東大名誉教授の川本皓嗣さん、写真家の大石芳野さんなどに、日本とアジアとのかかわり、言語とナショナリズム、アジアにおける日本のサブカルチャー人気、ウクライナ情勢など、時々のトピックスにそった話を聞いています。これはたいへん勉強になりますね。
 この20年は日本経済の停滞と一方でのアジアの発展という激動の時代を反映して、会の運営にも変化がありました。日本語教師の派遣は経済的な問題のほかに、先方の希望水準が高くなったなどの事情で、いまはやめています。中国は日本を上回る経済大国になりましたしね。
 その間にはコロナ禍もあり、直接交流が途絶えた隙を埋めるように、Zoomを使った交流が始まりました(奥山さんに<Zoomが「アジアの新しい風」に新風>というコラムを書いていただいたこともある)。
 そんな中でも、なお日本に魅力を感じてくれる人も多く、大学卒業後は日本で働きたいという学生さんもいます。これからは日本での就職支援に力を入れたいと思っています。
 悩みは経済情勢よりも、アジ風に参加してくれる会員が減っていることです。最盛期には総数250人近かったメンバーが今は190人。創立当時、60歳の人はもう80過ぎですから、病気などで退会する人が出ていますが、それに代わる若い50~60代の人がそれほど増えないんですね。現役で働いている人は仕事が忙しくなかなか暇が取れないですし、最近は定年が延長になったり、定年後も働かざるを得ない人が増えてきたりもしており、社会全般にこういうボランティア活動に参加する人が減っているように思います。
 それはともかく、いま、絶賛会員募集中です。アジ風のウエブに、第2の人生で落語家になった参遊亭遊助さんの「草の根~アジアの新しい風物語」というなかなか秀逸な入門落語がありますので、それをご覧になって、ぜひ応募してください。https://www.npo-asia.org/info
 公的な助成金はほとんど受けていないので、活動資金はもっぱら寄付と会費(個人は入会金2千円、年会費6千円、法人は入会金1万円、年会費3万円)に頼っています。それでは、よろしく。
 おあとがよろしいようで。

新講座<ジャーナリズムを探して>

第83回(2025.3.6)
 山田厚史さん【記者が紙の新聞からインターネットへと活動の舞台を移す時、デモクラシータイムスがその「踏み台」になってくれればいいと思っています】

  山田厚史さんの朝日新聞記者としての活躍、CS番組「ニュースター」での映像メディアへの挑戦、さらにインターネットに転じたユーチューブ番組「デモクラシータイムス」設立に至る経過と実際などの話を聞きながら、「懐かしい歌が聞こえてくる」感慨にとらわれた。
 それは朝日新聞がジャーナリズムの雄としてまだ羽振りもよく、社会的にも信頼されていた時代の郷愁のせいか、山田さんの穏やかな語り口のせいか。当方もまた新聞出身であるためか。いや、それはインターネット初期の喧噪の中で、ネットというメディアプラットホーム上で新しいジャーナリズムのあり方を模索した人びとの興奮と歓喜、試行錯誤にともなう熱気のせいに違いない。デモクラシータイムスは「ネットジャーナリズム黎明期に咲いた幸せの花」ではないだろうか。
 その種子が新しい実を結んでいるのも確かである。ネットジャーナリズムの歴史を振り返る時がくれば、間違いなくその存在は「懐かしく」人びとの記憶に蘇るだろう。いや、いや。その礎を立派に果たしたデモクラシータイムスのさらなる躍進をお祈りしたい。
https://www.youtube.com/@democracytimes

 ジャーナリスト。元朝日新聞記者。経済部で大蔵省、外務省、自動車業界、金融業界などを担当。ロンドン特派員、編集委員、バンコク特派員などを歴任。2017年にデモクラシータイムスを立ち上げ「山田厚史の週ナカ生ニュース」で情報発信を続けている。2017年衆院選挙で立憲民主党(千葉5区)から出馬した経験がある。著書に『銀行はどうなる』、『日本経済診断』(岩波ブックレット)、『日本再敗北』(文芸春秋社・田原総一朗 と共著)など。

  デモクラシータイムスという現在日本有数のネットジャーナリズムの牙城は、各種の情報サイトが1カ所に軒を並べた専門店だと言っていい。メニューは、これまで配信したものを含めると100近いが、いまのメインは「山田厚史の週ナカ生ニュース」、佐高信、平野貞夫、前川喜平の「3ジジ放談」、何人かのコメンテーターがその週のニュースを解説する「ウィークエンドニュース」など。参加メンバーは田岡俊次、竹信三恵子、升味佐江子、山口二郎、池田香代子、横田一、白井聡、高瀬毅、雨宮処凛、金子勝各氏など、ジャーナリスト、学者、評論家、小説家などさまざまで、それぞれが独自の情報を発信している。ほかに荻原博子、辛淑玉、マライ・メントラインさんなど女性がけっこう多いのも特徴である(写真は2025年正月の「週ナカ生ニュース」の山田さんと升味さん)。
 ウエブには<デモクラシータイムスは、「日本で一番わかりやすいニュース解説」を目指しています。2017年3月、今の世の中はこれでいいのか、政治も社会もおかしくないか、息苦しい時代に自由な発信の場を作りたいと9人で始めたyoutubeチャンネルが、視聴者のみなさんの寄付に支えられて毎日配信するようになり、2021年には10万人を突破しました。一人一人の方の寄付が育ててくださった放送局です」とある。
https://www.youtube.com/@democracytimes

 2025年現在、視聴者は23万人に上る。このデモクラシータイムスはいかにして誕生したかを山田さんに聞いた。
 朝日新聞入社は1971年、青森支局が振り出しで、その5年間で記者としての一通りのことを学びました。その後、経済部、外報部と記者生活を送り、定年後に朝日新聞グループが多メディア化の波に乗って開設した「朝日ニュースター」で経済問題を担当、ここでキャスターの勉強をしました。運営をめぐって朝日新聞からテレビ朝日に移ったり、メインキャスターの愛川欽也さんのポケットマネーで運営したりと紆余曲折の末、仲間で独立して活動した方がいいと考えて、9人の記者でデモクラTVをつくり、社長になりました。折からインターネット上のユーチューブというシステムを利用すると、大きなカメラを何台も用意することもないし、スタッフもディレクターとスピーカーの2人、小型カメラだけでで大丈夫と聞いて、「ほんまかいな」と疑心暗鬼ながら、山田、田岡、早野透(故人)で100万円づつ拠出して、2017年、ユーチューブのニュース提供番組、デモクラシータイムスをつくることになったわけです。
 撮影は9割方スタジオでやっていますが、そのスタジオも仲間が経営しているアパートの一室と、かつての法律事務所を借りた簡便なもので、出演者はメンバーが声をかけて出てもらったり、古巣の朝日OBだったり、学者、作家、評論家など様々な人が参加してくれています。
 テーマは政治、経済、憲法、原発など。新聞ではいま一つ背景がわからないことをもう少し深堀することをめざしています。録画時間も長いものは2時間以上あり、やりようはいろいろです。なるべく自分の意見をはっきり言うようにしています。論者によって考えは違うが、気心の知れた仲間ばかりでもあり、基本的な考え方には自ずからの合意があります。「ほんとうのところはこうなんだよ」ということを新聞紙面より突っ込んで言う感じで、見ていただく方が「これでいい」と思うならどうぞ見てください、というスタンスです。
 合議で何かを決めるということはなく、それぞれが自分の信念でやりたいことをやっています。ユーチューバーのスタジオ版というイメージですかね。 
 ほとんどボランティア出演で、フリージャナリストのように生計がかかっている人には少し配慮しますが、あとは交通費程度の支給です。意気に感じるとか、新たな情報発信に挑戦するとか、思いは様々ですが、基本的に出演者の好意で成り立っています。古巣の朝日新聞との関連で言えば、現役記者の海外特派員などにも現地報告してもらったりしています。紙のメディアからインターネットへ舞台を移してジャーナリスト活動を続けたいという人はけっこういます。
 最初は読者5000人くらいで始めましたが、年々増えて、現在登録してくれている読者が23万人以上います。その方々のカンパが年に約2000万円、それに広告も含めてユーチューブから入ってくる収入が約1000万円。合計3000万円の範囲内で運営しており、出来ないことはやりませんから、赤字ということはありません。CS放送のころから「ユーザーがいる限り辞められないね」と言って続けてきたので、読者に飽きられて、読まれなくなればやめればいいと思っています。しかし、ありがたいことに、年々読者は増えています。もう少し収益のあるものをやりませんかというお誘いもありますが、これを受け入れてしまうと、そちらに流されることにもなり、朝日新聞でがんばってきたことの意味がなくなりますね。
 ネットジャーナリズムの安定的な基盤、どういうビジネスモデルをつくれるか、はまだ試行錯誤の段階です。明確な方針などないまま、時のメディア動向に流されながら、ここに行き着いたというわけで、なお「漂流中」です。かつての朝日新聞のような優雅なやり方はもはやあり得ない。貧乏暮らしを覚悟するか、それとも年金などの片手間か。幸い私たちは朝日新聞でおいしい時代を過ごしてこられたので、その余力でもって、次の時代のこやしになれればと思っています(^o^)。

 若い人がどんどん加わってほしいですね

 (1人ひとりが放送局になるというネットメディアのイメージから見ると、デモクラシータイムスは過渡期の形態とも言えるようですね)
 いまネットで活躍している鮫島浩氏や尾形聡彦氏なども一時、ここで活動していたことがあります。新聞、出版、放送からインターネットへと、今後のジャーナリズムの活動は舞台を移していくと思いますが、新聞社から出てネットへ移っていくための踏み台にしていただけるといいと思っています。
 初期のメンバーも含めて年長者が多いので、これからは若い人がどんどん加わってほしいですね。朝日新聞を出て会員制の『Tansa』を始めている渡辺周君など優秀な人材が育っているので、大いに期待しています。
 (最近のフジテレビ事件の2回目の記者会見はフリージャナリストなど400人が参加、時間も10時間半に及びました。これは記者クラブのあり方も含めて、いろんな問題を提起しましたが‣‣‣)、(記者に対する迫害、圧力に対して組織として守る、弁護士会のようなものがほしいとも思います)
 だれでもジャーナリストを名乗ることはできるけれど、新聞社や放送局が指定するのではない、フリージャーナリストをどう育てるかも問題になってきますね。記者会見にしても、記者側が主導権をとるためには、それなりの資格と素養を持っている人に何らかの「記者章」を発行するような組織が必要になると思います。公権力とは独立した公的な組織ですね。
 (インターネット上の情報はプラットホームによって〝検閲〟されますね。たとえばコロナワクチン問題の危険性を警告していた原口一博衆院議員など、自分のユーチューブが何度もBANされた=停止・削除を命じられた=と言っています)
 デモクラシータイムスでも、「もう1回やったら広告を切ります」といったメッセージがユーチューブ(グーグル)から来ます。しかし、なぜ問題だとしているのか、その理由が開示されない。仕様書などがあるのであれば、対策も取れますが、まるで自主規制を迫るような感じです。ユーチューブは一大メディア・プラットホームに成長し、大きなポテンシャルを持っています。最初は機械(アルゴリズム)で検閲しており、文句を言うと、担当者(人間)が出てくる。これは大問題でもあり、こちらとしても、どんなものがチェックされたのかのリストをつくる作業をしないといけないと思っているところです。
 (紙の新聞はここ10年で半減しました。あと5年から10年もすると、読売新聞以外は100万部を切るという予想もあります。紙の新聞が生き残る可能性はありますか。もっとネットに向かって舵を切るのは?)、(古巣の朝日新聞に対して思うことは?)
 マスメディア企業はいま守りに入っていますが、圧倒的人材は今でもそこにあります。新聞社を止める人はリスク取っているわけで、そこまで決断できなくても、有意な人は内部でも頑張ってもらいたいと思います。
 朝日の人に出演をお願いするときの敷居がどんどん高くなっています。昔は上司の印鑑だけでよかったのが、いまでは広報を通せ、文書を出せと、社外活動を促進するよりも拘束する方向に言っているようですが、逆に社外に広く門戸を開くことが、記者のためにも会社のためにもなると思いますね。優秀な人材を社内に閉じ込めるんではなく、他の媒体にもむしろ積極的に出してやると、記者の能力も高まるのではないでしょうか。記者根性のある人が働ける場所を与えていく必要がある。紙だけがメディアではありません。
 結局は、メディアはデジタルに向かうしかない。新聞が百年かけて作った「みんながたっぷりご飯を食べられるおいしい」モデルはもう無理ですが‣‣‣。

<私にとってのジャーナリズム>朝日新聞時代に3度も名誉棄損訴訟を起こされました。最初は青森支局で学園紛争取材に絡んで理事長から、次は大蔵省批判で国税庁長官から、最後は粉飾決算がバレた証券会社の内幕をテレビで語って安倍晋三首相から。いずれも「和解・訴訟取り下げ」で決着しています。社内で「凶状持ち」と言われたりもしましたが(^o^)、当時の朝日新聞には外部の圧力から正論を守る、記者を守る気概があったように思います。
 記者を続けるためには、強いものを敵に回す覚悟が必要です。攻撃や圧力にさらされるのは当然で、私は「働いた先々に爪痕を残してくる」ことを常に考えていました。おかしいことを「おかしい」と主張し、ずるく立ち回らなければ、理解してくれる人は取材先にもいます。「敵ながらアッパレ」と思ってもらえれば、記者冥利に尽きるというべきですね。(この項、3.22追記)

 山田さんは何度もデモクラシータイムスは新聞からインターネットへと記者が移行していくための「踏み台」になれればいいと話した。スピンアウト、核分裂という言葉もあった。デモクラシータイムスは十分にネットジャーナリズムの「揺籃」の役割を果たしていると思われる。当日のメンバーから「回りの年長者もどんどん新聞購読を止めている。と言ってユーチューブを見ている人も少ない。インターネットにはいろんな情報があふれているが、いま何を見るのがいいのかがわからない」、「みんな電車の中で前を向いてスマホを見ているが、そのときにきちんとした情報が提供されているといいと思う」という声があった。デモクラシータイムスはネットジャーナリズムの入り口としては格好のサイトでもあるだろう。

 パッケージメディアとしての新聞 かつてジャーナリズムの雄を自認し、それなりの役割を果たしてきた新聞は、さまざまな情報を「パッケージ」として売るメディアだった。政治、経済、社会といった報道面だけでなく、ラテ欄も、四コマ漫画も、スポーツ面も、映画・演劇・美術などの娯楽面もすべてが「新聞」紙としてパッケージされているところが特徴であり、強みでもあった。言ってみれば、ラテ欄があるから買ってくれる人の購読料をニュース(調査報道などのジャーナリズム)の取材活動に回すことが可能だった。高い広告料も戸別配達による大部数のもとに成り立っていたと言っていいだろう。
 ところがインターネット上の情報は原則としてばら売りで、ラテ欄はもちろん、漫画・アニメも、スポーツも、映画評も、すべてが個別に提供される。そのとき、いわば「むき出しになった」調査報道をはじめとする報道、ジャーナリズムに誰が対価を払うか、というのがネットジャーナリズムのアキレス腱である。朝日新聞がインターネット黎明期に立ち上げたasahi.comは、ただ新聞紙面を模倣し、そのモデルを踏襲し、言って見れば紙の新聞の付録扱いで、しかもその付録が本体の紙の価値を軽減する結果をもたらした。この辺はメディア業界で独自に工夫すべきジャーナリズム仕様(アルゴリズム)をシリコンバレーに丸投げした米メディアも似たり寄ったりで、だからこそ、これからの生き残りにはジャーネットナリズム・プラットホームの工夫が必須と言っていい。
 デモクラシータイムスの寄金(カンパ)に頼るスタイルは、他の同種サイトでも見られるが、これはどちらかというと、内容がそれぞれに特化され、購読料(書籍代)のみで成り立っている出版モデルに近いと言えるだろう(出版の可能性についてはまた取り上げるつもりである)。
 インターネットという誰もが情報発信できる時代にかえって「表現の自由」、「報道の自由」の理念が形骸化しているのも、現下のジャーナリズム衰退の大きな要因である。私たち一人ひとりがあらためてIT社会に生きること、そこでのジャーナリズムの意味を考え直し、支援の輪がより広がれば、デモクラシータイムスはIT社会におけるジャーナリズムの「大輪」になれるかもしれない(Y)。

講座<若者に学ぶグローバル人生>

◎第82回(2025.2.22)
 髙橋麻里奈さん【JICAでラオスに派遣され、ちぐはぐな開発援助の矛盾に悩みながらも、元気に理科教育普及に励んでいます】 

 今回は久しぶりの<若者に学ぶグローバル人生>で、海外青年協力隊(JICA)の一員としてラオスに駐在、現地の理科教育普及や教員養成に励んでいる高橋麻里奈さんの話を聞いた。
 寒波と大雪に四苦八苦している日本とは真逆でラオスはいま夏、しかも乾季。連日30度を超す猛暑だとか。現地ラオスからのご登壇だったが、たまたま当日は、高橋さんをご紹介くださった学芸大学教授の岩田康之さんが長期滞在先の香港から、そして海外青年協力隊の先輩でもあり、現在フィリピンで起業しているメンバーの鮎川優さんがフィリピンから参加、13人の参加者中3人が海外からと、なかなかのグローバル模様になった。
 本塾をOnline塾DOORSと改名した時、<国境を越え、世代を越えたコミュニケーション塾>にしたいという抱負を述べたが、「世代」的には、メンバーの高橋由紀子さん主宰の教室から高校1年の女生徒も参加して、かれんな花を添えてくれた。

 高橋さんは東京学芸大学在学中に休学し、フィリピン留学とボランティア、ついでフィンランドの小学校での短期教育実習、その間、ユーラシア大陸を回り、大学卒業後は東京学芸大学附属世田谷小学校などに4年間勤務、理科実験カリキュラムづくりや異年齢学級などを担当した。その後、カナダのモントリオールでの短期留学とアメリカ南北大陸を歴訪して、帰国したと思ったら、昨年は海外青年協力隊に参加、今はラオスに駐在、というまさに「世界を駆ける」行動派教師である。専攻は理科教育。趣味は旅行で、すでに31カ国を訪問している。現地の人びとと協力しながら、経済や社会の発展に貢献するというのが願いだとか。その自由で軽快な行動スタイルが、若いエネルギーを感じさせる。
 JICAには教養試験、語学試験、健康状態などをクリアした新卒、シニアがそれぞれ1~.2割ほど、残りは退職した20代後半〜40代の人びとが参加しており、福島県二本松訓練所には200人ぐらいいた。そのうち高橋さんら11名がラオスへ。その半数は助産師、看護師などの医療系、残りは水質検査、農業開発、スポーツ関連、教育など。
 ラオスは、ベトナム、カンボジアなどとともにインドシナ半島を構成するASEAN諸国だが、他の国に比べると影が薄い。日本の本州ぐらいの国土に人口約700万人。1平方キロメートルの人口密度はたった24人(ベトナムは256人、タイは132人、日本は340人)。中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーに囲まれた内陸国で、かつてはタイの領土だった。共産主義国で宗教は上座仏教。中国やタイとの関係が深い。2021年にはラオス中国鉄道が開業した。入国直後は首都ビエンチャンでラオス語の訓練などを行い、いまは南のサラワン県(地図で丸で囲ったところ)に赴任、大きな平家に1人、多くのヤモリと生活している。
 若者たちはタイの音楽や文化に慣れ親しんでおり、街には意外に韓国人が多いと言う。岩田先生によると、ラオス語はタイ語の方言みたいなものらしい。意外でもあり、なるほどそういう時代かとも合点したのは、スマホの保持率はかなり高く、小学生も持っているとか。買い物や光熱費などもスマホを使ったキャッシュレス決済で、みんなの憧れはアップルのスマートフォンiPhone。テレビは驚くほどなく、観ている様子もあまりない。
 いろんなスライドを見せてもらったが、決して豊かとは言えない田舎が広がっているような光景で(主産業は農業)、まさに発展途上の国である。彼女も「ラオスは牧歌的で、シンプルで、びっくりしました。言い方が悪いけれども、特徴がない」という印象を受けたようだ。
 彼女はそこで小中高校生や教師を相手に理科教育について教えている。ほしい機材がないかと思うと、同じ機材が山のようにあったり、立派な実験教室があるのに理科教師がいないために放置されていたり、新校舎が建ったために、まだ立派な木造校舎が廃校になったり、開発援助の矛盾に悩まされながら、専門の理科教育について、持ち前の明るさを忘れず、大いに奮闘しているようだった(写真は上から右周りに「首都ビエンチャンの街角」、「授業風景」、「理科実験」、「廃校になった旧校舎」、「日本の援助で出来たが、まだ使われていない理科実験室」)。
 なぜラオスを選んだのか、との質問に対しては、「小学校5年生の時、塾の先生が『カンボジアに学校を建てたい』と言っていたのを、子どもながらに『これはすごい』と思って、自分も何かできることがあるのではないかと、教員として海外協力したいという夢を持つようになった」と話してくれた。
 ラオスには2年いて、帰国後は日本でも理科教育にたずさわろうと考えていたが、開発援助の実態を見るにつけて、それらをよりスムーズに運べるような事業に取り組もうかとも思い、今は悩んでいるという。
 海外から日本はどう見えますかとの質問の答えは、「海外に長く出ていると、だんだん日本の良さが身にしみる」とのことだった。日本は「人びとが暗黙に守っているルールで社会が成り立っている」という感慨で、私たちの信条にふれたものだったが、その日本は数十年における政治の混乱、経済の停滞、何もかもを金に換えて利潤を追求する新自由主義の猛威を受けて、その良さが急速に失われつつある。彼女が日本に戻って来た時「浦島太郎」にならないように、「日本をちゃんと守っていないといけないですね」という声も聞かれた。

新講座<ジャーナリズムを探して>

 第81回(2025.1.20)
 佐藤章さん【組織ジャーナリストであろうと、フリージャーナリストであろうと、大事なのは記者の「志」。いまのマスメディア関係者にはそれが薄くなっている気がします】

 ジャーナリスト、元朝日新聞記者。東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部、月刊 Journalism 編集部などを歴任。退職後、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。著書に『日本を壊した政治家たち』(五月書房新社)、『コロナ日本国書』(五月書房新社)、『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)など。

<新講座発足にあたって>政治の混迷、マスメディアの崩壊、SNSなどインターネット上の情報発信の爆発的増加など、昨今の社会の激動は、情報端末としてのスマートフォンやSNSなどインターネットメディアの普及といった、私たちを取り巻くメディア環境の変化と大きく関係しています。新しい情報の流れの中で、従来のマスメディアが曲がりなりにも担ってきた社会の民主主義的土台を支える機能、ジャーナリズムという営為はずいぶん陰の薄いものにもなっています。
 テレビが普及し始めた20世紀半ば、カナダのメディア研究家、マーシャル・マクルーハンが放った「メディアはメッセージである」という警句が今更のように生々しく蘇りますが、インターネットが爛熟期にある21世紀において、社会のジャーナリズム機能は衰退していいとは、とても思えません。イシエル・デ・ソラ・プールが20世紀後半に『自由のためのテクノロジー』で書いた「21世紀の自由社会では、数世紀にもわたる闘いの末に印刷の分野で確立された自由という条件の下でエレクトロニック・コミュニケーションが行なわれるようになるのか、それとも、新しいテクノロジーにまつわる混乱の中で、この偉大な成果が失われることとなるのか、それを決定する責任はわれわれの双肩にかかっている」という言葉がいよいよ切実に感じられます。
 だとすれば、IT社会全体におけるジャーナリズム機能をどこが、そして誰が担うべきなのか、そういう問題意識のもとにスタートしたのがこの企画で、トップランナーを朝日新聞OBでいまはユーチューブ番組「一月万冊」を舞台に活躍している佐藤章さんにお願いしました。
 本シリーズでは、以下の3つを柱にして、様々なメディア関係者にご登場いただき、個別具体的なお話を聞きながら、メンバーとの質疑応答を通して、ジャーナリズムのあり方を考えていきたいと思っています。話していただく順序はアトランダムです。

・朝日新聞OBに聞く。「朝日新聞はどうすればいいのか」&「ネットジャーナリズムでの挑戦」&「新聞とネットの違い」。
・ネットでの情報発信を実践しているパイオニアに聞く。「ネットメディアでの新たな試み」&「テレビからユーチューブへ」&「IT社会におけるジャーナリズムの可能性」。
・メディア研究者などに聞く。「私のジャーナリズムへの期待」。

 シリーズ後半には既存マスメディアで活躍してきたOBたちに、歴史的総括として「私たちはこう考えてきた」&「どこで間違えたのか」についてもお聞きできればと思っています。
 このシリーズの趣旨は末尾にJPEGファイルとして掲載した「趣意書」をご覧ください。

 佐藤章さんの現在の主な舞台はユーチューブ上の「一月万冊」です。
 「一月万冊」は約10年ほど前に読書好きのベンチャー起業家、清水有高氏が開設したもので、今は佐藤章、本間龍(作家)、安冨歩(元東大教授)の各氏がここを舞台に自らの情報を発信しています。
 佐藤さんは朝日新聞在社中から慶應義塾大学でメディア論の教鞭をとってきましたが、退職後に知り合いから一月万冊を紹介され、システム操作や番組の作り方をスタッフの人に教えてもらいながら、情報発信するようになりました。
 現在は週に5回ほど、1時間内外の番組を配信しています。古くは安倍元首相襲撃事件、石丸伸二候補が旋風を巻き起こした昨年の都知事選を始めとする各種選挙報道、最近ではフジテレビの屋台骨を揺るがすまでになったタレント、中居正広スキャンダルなど折々のニュースを取り上げてきました。私たち庶民の怒りや批判を代弁しながら、事件の背景やその本質を丁寧に解きほぐす語り口は、多くのユーザーに好感をもって受け取られているようです。ここに一つのジャーナリズム実践があるのは間違いないでしょう。
 当日は、①「一月万冊」について、やってみての感想、視聴者の反応、新聞との違いは、②古巣の朝日新聞について、③ネットジャーナリズムの可能性、などについて話を聞きました。折々にメンバーが質問を投げかけ、それに佐藤さんが丁寧に答えるという感じで議論は進みましたが、佐藤さんの誠実な対応が印象的でした。
 その一部を以下に紹介します。()内はメンバーの質問や発言。このシリーズは、討議の内容を詳説したサイバー燈台叢書として後に公刊する予定です。

 最初のころは紙で新聞原稿を書き、大学では黒板を使って教壇から話し、ワープロ・パソコンによる記事出稿、そしてユーチューブ番組でのしゃべりと、情報発信のやり方はいろいろ変わったけれど、変わらないものは「志」だと思っています。
 番組は事前収録です。視聴者の反応としては、わかりやすいという声が多く、僕としてもここを大事にしたいと思っています。理解してもらわなければしょうがないですからね。視聴者は少ない時は4万人ぐらいですが、最低でも4万人はほしいですね。多かったのは安倍逮捕の時で、突然ポーンと数十万人に上りました。番組内容については、毎回予告するようにしていますし、僕自身もツイッターやフェイスブックで㏚しています。
 (4万人というのは、月刊誌に比べるとすごいですねえ)
 街を歩くと声をかけられるので(^o^)、見られているなと思いますね。ここが新聞雑誌や書籍とは違うところですか。
 朝日新聞の精神はあまり変わっていないと思っていますが、ウエブの作り方にもう少し工夫があるといいですね。ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなど成功したウエブでは、新聞の体裁をとりながら、ある文字をクリックすると詳報がずらっと見えますね。
 もっとも英語の力が強い。日本の場合は日本語の壁がありますね。それについて僕は朝日新聞中国語版を作ることを提案しているのだが、乗ってきませんねえ(^o^)。中国人は日本に関心を持っているし、なにせ人口が多く、読者数が違います。中国とは仲良くやるべきですよ。
 記者のころから、日本を少しでもよくしたい、できるだけ正しいことを伝えたい、できれば特ダネを取りたいという思いでやってきましたが、それは今も変わらないですね。いまは組織的支援がなく、孤軍奮闘だけれど、結局、特ダネは深く付き合っている人から取れるものです。
 (『外岡秀俊という新聞記者がいた』という朝日新聞記者に関する本を興味深く読みましたが、彼は特ダネというのは「記者が書かなければ永遠に闇に葬られるような事実を発掘することだ」と言っていますね)
 その特ダネに関する意見にはまったく異論はありません。ただ私は経済部が長かったので、たとえば日本銀行、財務省など大きな役所が発表することで社会に与える影響が大きいものもありますね。それを役所側から抜くというのも重要な特ダネと思っています。発表ものというのではなく、ね。記者として幸せだったと思うのは、経済部として役所中心に取材した後、後半は『アエラ』という雑誌で自由な取材が出来たことです。
 組織ジャーナリストは組織内で忖度しなければならないが、フリージャーナリストには何事にも縛られないという利点もあります。朝日新聞時代には内部からすごい圧力がありました。銀行の不良債権の実態をめぐり、社では書かせてくれないので他社の月刊誌で書いたら、当時のH経済部部長から左遷されて、7年間、第一線の取材現場から外されたこともありました。その時、あらためてジャーナリストとしての基本的な勉強をし直しました。
 最近、フリージャーナリストとしていろんな記者会見の場に出ますが、記者の力が落ちたと感じます。記者会見に臨むにあたっては、周到な準備をして、いくつか質問項目を考えておいて、状況に応じてその中から適当なものを選んで質問するわけですが、いまの記者にはそういう努力を感じない。僕が現役だったころに比べると、力が落ちたと感じます。変な記者もいますね。都知事選のころ小池都知事に「側近の方もあなたはカイロ大学を卒業していないと言ってますよ」と言おうとしたら、幹事社らしいテレビ朝日の記者が「まだこちらの質問が終わっていません」と僕を遮って、何と言ったと思います?「今日は勝負に出る緑色じゃないですね」と彼女の服装に関する発言をした。準備もしていないし、なあなあで会見をやっているというのがよくわかります。
 なぜ、甘い甘い記者クラブになってしまったのか。僕にも責任の一端があるんだけれども、僕が飛ばされた姿を後輩は見ている。そうなると忖度することになる。小池知事と仲良くやって、機会があったら知事から上司に自分のことを売り込んでもらおうと考える。そういう人がメディアのトップに座るようになると、いよいよそういう記者ばかりになっていく。H氏が社長になって、朝日新聞でもそういう(ひらめのような)人が偉くなって、いよいよその種の記者が増えているように思います。
 (若いころには、朝日新聞以外は新聞じゃないという考え方が世間にもあった。企画の話を持って行くにしても、朝日新聞が中心だった。大学入試問題に「天声人語」がよく取り上げられたりしてましたしねえ。それがだんだん薄れてきた。特ダネも減ってきて、取材力が減じていると思われる。嘆かわしいことだが、政治家には軽い感じの記者の方がいいのかな、と思ったりもします)。
 記者は常に己の刃を研いでいたものだが、いまや刃はなくなり、新聞記者がテレビの記者と同じようになってしまった。中居事件ではありませんが、ネタを取るのに女性の方が有利だというので、政治家などの取材に女性を配することもあると聞いています。
 (若いころを振り返ってみると、新聞社に入ろうとする人には、社会をどういうふうにしたい、社会の問題点を明らかにしたいという気持ちが強かったように思うけれど、今の若い人たちでジャーナリストになるという姿勢に大きな変化がある。世の中をどういうふうに見るかという見方も変わってきた。何とかしないとけないのか、諦めて見ているしかないのか)。
 これはどこの企業でも同じだと思うけれど、現場の教育、オンザジョブ・トレーニングが大切です。それは足で稼ぐということでもある。スマホで得られるのは二次情報。それから先は足で現場に行って、観察することが必要です。情報は人間からしか出てこない。その人たちをどういうふうに探し出すか、それは、共感力の問題です。相手も自分も同じ現場を見ているということで生まれる共感、それが大事だけれど、現場にも行かずにスマホで情報を得ているようではダメですね。
 (特ダネは、言い方によっては、無駄な作業の結果であり、1日に何本原稿を書いたかというような成果主義からはなかなか生まれにくい。かつての新聞社では、偉くなっても、ならなくても、給料はあまり変わらないし、偉いからと尊敬する記者もほとんどいなかった(^o^)。今は偉くなる「うまみ」が出てきた)、(かつてパソコン使いこなしガイドブックを出そうとしていたとき、西部本社の友人が「お前は農薬雑誌を作るのか」と言った。「農薬のせいで農業はダメになった。ワープロが社員に支給されて、新聞記者はダメになった。彼らは足で取材するのをやめて、手でデータを集めている」と言うんですね。ITがもたらす弊害の一面を鋭く突いていると思いますね)
 インターネットからは特ダネは出てこない。左遷されたころ、『文春』に行こうかな、と思ったことがあります。誘いもありました。システムを聞いたら、いろんなチームのチーフの下に優秀な記者が数人配されている。かつて社会部などはそういうふうにやっていたが、今や文春の一人舞台で、出席原稿出してOKという感じになってしまったように思います。

<私にとってのジャーナリズム>記者職を外されたのは2000年4月だった。前年11月に岩波書店から『ドキュメント金融破綻』を刊行し、『文藝春秋』12月号に、みずほ銀行となる旧第一勧業銀行の大規模な不良債権隠しの実態を暴く記事を書いたことで、第一勧銀頭取から朝日新聞社社長にクレームが入った。即飛ばされた先は昭和元年からの朝日新聞紙面データベースを作るチームだった。だが、日本の現代史を勉強するチャンスと捉え直し、昭和史をめぐる書物を徹底的に読み込んだおかげで、7年後に記者に復帰した後のジャーナリスト生活において大変武器になる諸知識を獲得できた。
 その頃は個人的に辛く悲しい出来事も重なったが、自暴自棄にはならなかった。こういう時期には、いかにして「時をやり過ごすか」を考えた方がいい。「ジャーナリズム」は生涯の仕事であり、生涯は意外に長い。失敗に焦る必要はない。可能な限り気持ちを楽にもって戦略を立て直す。これが肝心だと思う(この項、3.24追記)。

  佐藤さん退出後も、本シリーズの今後の進め方などについて参加者で活発な議論が行われたが、これについては今は割愛する。ただ最後に「いろんな現象が起きた時に、やっぱり頼りにするのは、私の中では、新聞です。朝日新聞の情報が少なくなったとか、内容が少し薄くなっているな、というのは気になって、ときどき他の新聞と重ね合わせながら読んでいますが、記者の方、頑張ってください」という声があったことを付記しておく。

 ユーチューブ(YouTube)というメディア オンライン動画共有サイト。本社はアメリカ。ウイキペディアによると、アクティブユーザー数は、2022年1月時点では25億6,200万人)であり、ソーシャルメディアとしてはフェイスブックに次ぎ世界第2位。2005年に設立され、翌2006年にグーグルに買収された。
 スマホの機能拡大、通信回線の高速化で、テレビ画面と変らない解像度の動画をだれもが撮影し、それを簡単にアップできる。またそれを自由に閲覧できる。動画をアップし、アクセス数などで一定の基準を達成すれば、グーグルから相応の収入が得られ、動画に広告が掲載されるようになる。ユーザーが広告をクリックすると、広告料が加算される。
 メディアとしてのユーチューブの特異なところは、料金を得るのは動画をアップした人だということである(ヒット曲を歌う歌手の動画がアップされて、何千万回の再生数になろうと、歌手には収入は入らない)。だから大谷翔平とか、中居正広とか注目度が高い人を撮影したり、あるいは他から画像を切り取ったりするちゃっかり動画の氾濫となる。
 もっとも動画の多くは趣味の園芸だったり、料理教室やカラオケ指南だったりと、自分で動画を撮影し、自分でアップするもので、この場合は出演者個人やそのプロダクションに収入が入る。佐藤さんのような硬派番組の多くはその形をとっているが、ユーザーから活動支援の寄金を募っているサイトも多い。
 ユーチューブのコンテンツは、音楽系、ゲーム実況系、マンガ・アニメ系、メイク・ファッション系、料理系、教育系、ビジネス系、アウトドア系などなど、あらゆるジャンルに及んでいる。
 再生回数に応じた収益の目安は、最新のウエブ情報によれば、1再生回数ごとに0.05円〜0.2円らしい。それらは内容、時間などさまざまな要素を加味して決められ、かなりのばらつぎがあるようだが、再生回数が多くなれば収入は増え、それだけ多くの広告が表示される。するとクリックされる回数も増え、収入は増えていく。チリも積もれば山となる。登録者数何千万人、年間の再生数何百億回、推定年収何億円というユーチューバーもいるわけである。
 アクセス数を稼ぐための虚実入り混じった情報が氾濫しており、それらの情報が人びとに与える影響も少なくない。一方で「良質」な番組も少なからず、私たちとしてはそこに強い興味を持っているわけである。

新サイバー閑話(127)<折々メール閑話>68

フジテレビの恐れ入った体質と日本の現状

B タレント中居正広氏のフジテレビ女性アナウンサーに対する性加害を調査していた第三者委員会(竹内朗委員長)は、3月31日、報告書を発表しました。その骨子は、①女性アナウンサーは「中居氏によって性暴力 による重大な人権侵害被害を受けた」、②事件はフジテレビの「業務の延長線」上で起きたことが明らかである、③事件後、フジテレビは被害女性より中居氏を守り、彼を番組に起用し続けたが、これは女性に対する「二次加害」である、とフジテレビの「人権無視」の体質を明確に示し、それを強く批判するものでした。
 同報告書は、「港社長ら3名(編集部注:港浩一社長、多田亮専務、編成制作局長)は、性暴力への理解を欠き、被害者救済の視点が乏しかった。 本事案の対応方針について意思決定する経営トップ、役員、幹部は、事実確認、リスク の検討、性暴力被害者支援と人権尊重責任の視点でのケアと救済を行うなどの適正な経営判断を行うための知識、意識、能力が不足していた」、「女性Aに寄り添わず、漫然と中居氏の出演を継続させることによって女性Aの 戻りたい職場を奪い、中居氏の利益のためとみられる行動をとったことは、二次加害行為 にあたる」などと断じています。
 またフジテレビの「一部には、社員・アナウンサーらが、取引先との会合において、性別・年齢・容姿などに着目され、取引先との良好な関係を築くために利用されていた実態はあった」として、女子アナなどを本来の業務より顧客、あるいはタレントなどの接待要員として使っていた同テレビの常識外れの体質についても言及しています。

A 昨年暮れ以来の『週刊文春』の報道は大筋で正しかったですね。社員が外部の人間から危害を加えられれば、身内のために外部と対決するのが普通なのに、これがまったく逆だった。社長、専務、編成制作局長というラインで話は進んだようだけれど、その意を呈して動いた人は多かったでしょうねえ。そういう意味では会社ぐるみの犯罪です。
 同テレビが先に行った記者会見では、事件当日は中居氏が単独で女性に連絡していた一点だけを誇張し、「フジテレビはこの件に関知していない」と強弁していたわけですから、もうクソ喰らえという感じです。日枝氏の独裁君臨を許してきたことが問題の核心だと思います。組織というのは厄介なものですね、誰もが我が身かわいさで、反旗をひるがえすこともなく、大勢順応してしまう。

B フジテレビは前日の27日、日枝久取締役相談役および16人の取締役の退任を発表しています(表は日刊スポーツから)。あわせてフジの取締役数を10人に半減、1月に就任したフジの清水寛治社長が続投し、フジHD(ホールディングス、親会社である持株会社)の社長も兼任、フジHDの金光修社長は代表権のない会長につきました。
 さらに系列局の関西テレビ社長に転じていた元専務、多田亮氏も4日に辞任しました。これで従来の経営陣はほとんど退任、新たに女性取締役を増やしたり、若返りを図ったりしています。石原正人常務や反町理取締役は、第三者委員会報告で過去のセクハラ事案が改めて認定され、この種の問題を抱えていても出世していくフジの体質を証明することになりました。

A これは刷新人事と言えるのですかね。斎藤、金光両氏は日枝氏に重用された人だけに古いしがらみを断ち切るのは難しいのでは。

B 第三者委員会報告は結語で「これからの企業経営は、ライツホルダーの人権尊重と人的資本が一つの基軸になると思われる。社員が人権侵害を受けても、声を上げることができる、救いを求めることができる職場、みんなが前を向いていきいきと能力を発揮できる働きやすい職場でなければ、その会社に未来はないだろう」と述べているけれど、清水社長、金光会長とも日枝体制を支えた人材であり、過去のしがらみを断ち切ろうとしても、なかなか難しいでしょうね。
 今回のフジの人権無視体質は聞きしに勝るものだった。ちょっと古い話になるけれど、かのフランス革命で王が断頭台に送られたとき、「罪失くして王たりえない」と言った人がいます。王であることそのことが罪の証なのだというラディカルな主張だけれど、フジテレビではまさに「まともな人権意識をもっては役員たり得ない」ということだったように思えますね。
 反町、石原という報道出身の人間が日枝体制に迎合し、ジャーナリストを名乗りつつおよそジャーナリストらしからぬ役割を演じたことはまことに遺憾ですね。反町氏は担当していたBSフジの「プライムニュース」への出演を見合わせると発表されました。バラエティ主導の局内で報道は片隅に追いやられているように外部からは見えたけれど、そういうテレビ局をむしろ下支えしていたのが報道人だったということになるわけですね。多田氏も報道の出身です。

A 6月の株主総会で退任予定とされている吉田真貴子(山田真貴子)氏は総務省からの天下りで話題になった人です。総務省は3日、フジテレビとフジHDに対し、放送法を踏まえた厳重注意の行政指導を行ったと報じられましたが、吉田真貴子氏はフジ取締役としてこの間、何をしていたのか。まあ、何もしてなかったのだろうけれど、こういう天下りの実態こそ改めるべきですね。

B 貴兄が好む「男一匹、体を張って生きていく」のとはまるで違う「男の世界」が蔓延していたわけですね。まさに「組織の悪」だと言えるけれど、この体質は、何もフジテレビやエンターテインメント業界だけの話でもない。弱者は切り捨てられ、人権が平然と無視されているのが現代日本の現状です。
 たとえば最近、各地で繰り広げられた「財務省解体デモ」、農家が怒りの声を上げて都内にトラクターを持ち込んだ「令和の百姓一揆」など、切羽詰まって立ち上がった人びとが抗議の声を上げていますが、大手メディアではほとんど報じられていません。女性アナウンサーの声を無視してタレントを守ろうとした体質と、貧苦に悩む国民の声を無視する政治とは重なりますね。
 フジテレビ問題も既存メディアは率先して報道してこなかった。ジャニーズ問題、松本人志問題、いずれも性加害に関わるもので、報道しにくい面がないわけではないが、そこに重要な問題が内在していたわけで、これを暴くのはもっぱら週刊誌だというのは、ジャーナリズムのあり方として大いに考えさせられます。フジテレビが組織として抱える問題は、この国の問題であり、もっと言えば、我々自身の問題なのだと、今回の報告書を見て、大いに忸怩たるものを感じました。

A 令和の百姓一揆にはれいわ新選組の国会議員がたくさん参加していました。れいわの弱者に「寄り添う」姿勢がよく表れています。週刊誌の『サンデー毎日』が2週続き(3月23日、30日号)でれいわ特集をしていました。山本太郎インタビューも含めた大々的なもので、次期参院選での躍進がいよいよ現実味を帯びてきたようです。

 

 例によっての㏚です。
 本<折々メール閑話>を定期的にまとめている『山本太郎が日本を救う』シリーズの第4集、『れいわ躍進 膨らむ希望』が発売になりました。収録した<折々メール閑話>は2024年6月25日から2025年2月14日まで。紙の本、電子本ともアマゾンで発売中です。従来と同じく、紙は1300円、電子本は600円(+税)です。次期参院選でのれいわ躍進が大いに期待されている折でもあり、改めてご一読いただけるとありがたいです。既刊の1~3巻も発売中です。

 目次は以下の通りです。

PARTⅠ <折々メール閑話>
「終わりの始まり」の予感、あるいは期待 54
「集団的自衛権の行使容認」から10年 55
小池3選と健闘した石丸候補の危うさ 56
「激変」が可視化しさせた「明るい闇」  57
地に落ちて破綻したリテラシーの復権 58
日本の現状をよく考えて行動する秋! 60
自公過半数割れ、れいわは9議席獲得 61
なぜ兵庫県民は斎藤知事を再選したのか 62
山本太郎、「れいわにかけた」思いを語る 63
SNSが社会を、政治を動かし始めた 64
Online塾<ジャーナリズムを探して> 65
「公共放送」から逸脱したフジTVの悲惨 66
強者と弱者の亀裂は日米とも変わらない 67
PARTⅡ 補遺
<1> <ジャーナリズムを探して>趣意書
<2>唐澤豊さんをしのぶ Online塾DOORSから
第48回(2022.10.12)メタバース
第54回(2023.2.13)ChatGPT
第56回(2023.3.22)情報通信講釈師登場
第75回(2024.6.14)IT最前線
第79回(2024.9.30)レプリコン・ワクチン

新サイバー閑話(126)<折々メール閑話>67

強者と弱者の亀裂は日米とも変わらない

B 前回参院選でれいわ新選組・比例東京ブロックから立候補(惜しくも落選)した伊勢崎賢治さんが、れいわの政策委員(外交安全保障担当)として、2月9日のNHK日曜討論に出ていました。つい最近の日米首脳会談に対して「100点満点中で10点」と辛口の採点をしつつ、「日本だけは違うという希望的観測はやめましょう」という大局的な発言もありました。東京外国語大学教授であり、政府代表として国際紛争の現場で長く活躍してきた人を政策委員として擁するれいわの実力を大いにアピールしましたね。

A 1月下旬の日曜討論には、やはり政策委員の長谷川うい子さんが出て、「いまこそ消費減税」、「積極財政で経済を活性化」と、れいわの政策を理路整然と主張していました。

・堂々たるれいわの陣容に頼もしい新人

B 前回、大石あき子さんの「名演説」について紹介しましたが、れいわの新人、やはた愛さんの衆院予算委員会での質問も、関西弁で石破首相をやんわりと批判するなど、新人離れの堂々たる活躍でした。お飾り程度のタレント議員とは違いますね。

A 次期参院選の候補として京都選挙区の西郷みなこ(南海子)さん(37)が公表されましたが、京都大学大学院で教育学を学び、3児の母、長く市民運動に取り組んできた方です。記者会見での発言を見ても、たいへん頼もしく感じられました。
 れいわ新選組の顔ぶれは、他党を完全に圧倒していると思いますねえ。

B れいわの支持率が少しずつ上向きになっているのもむべなるかな、ですね。たとえば、左表はNHKの2月の世論調査結果です。NHKは政党支持率は高め、れいわ支持率は低めに出る傾向がありますが、ここで注目したいのは若年層のれいわ支持率です。 
 NHKではまったく注目していないけれど(^o^)、全体では2.1%と、野党では立民、国民、公明、維新、共産に次ぐ6位ながら、18~39歳で4.2%、40代4.8%と、国民民主党に次いで野党第2位です。50代の5.9%は3位。これは大いに期待できる数字じゃないでしょうか。
 ただ60代以上の高齢者の支持率が低い。これには我々としても力不足を感じます。80歳以上が自民48.5%、立民13.6%という数字には、旧態依然とした政治意識を感じさせられますねえ。

・トランプが当選したのには理由がある

 アメリカではトランプ大統領が再登場、その強硬姿勢を警戒する声も強いようですが、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は、講演や各種インタビューで、「アメリカでは何十年もの間、勝者(金持ち)と敗者(貧乏人)の格差は広がり、上層階級には莫大な利益をもたらし、下層階級には賃金の停滞、仕事の海外流出などをもたらした。政治を悪化させ、人びとを分断させてきたわけだが、その頂点が(トランプが最初に当選した)2016年だった」、「底流に金持ちになりたかったら大学に行けという考えが流れており、貧しい人びとは自助努力がたりないという蔑みの感情があった。こういう貧困層の不満をトランプはうまくすくい上げた。民主党はいまだにその意味が分かっていない」と述べています。従来、民主党支持が高かった貧困層、黒人層からもトランプ支持する人が出ており、「もしトランプが不適格であり、我々が言うように、民主主義への深刻な脅威だとしたら、なぜ国民の半数、いや今や半数以上が我々の提案する民主主義よりも彼を選ぶのか」(GaribenTVから)と。
 サンデルは15年ほど前、NHK教育テレビでも放映された「ハーバード白熱教室<これからの『正義』の話をしよう>」で日本でも有名になった政治学者で、主著は『民主政の不満(Democracy’s Discontent)』です。
 富者と貧者がいっしょに行動する空間が必要で、たとえば野球スタジアムにしても、昔はみんながいっしょの席で楽しんでいたのに、今では富者と貧者は別々の場所で観戦するようになり、共通の経験が失われたとも言っています。それ以前に教会、組合活動、ボランティア組織などの伝統的な信頼の構造がどんどん消えていくことに警鐘が鳴らされ、「社会資本」(Social Capital)の重要性が叫ばれたのと軌を一にしています。

A 「大学へ行け、大学へ行け」と追い立てられた人びとの側から見ると、大学は「金持ちになるための技術を習得する」場となり、これは以前にも話題にした「まともな人間を育てない『教育』」(『山本太郎が日本を救う』所収、アマゾンで販売中)ということになりますね。

B そのとき、エマニュエル・トッドの『大分断』(PHP新書、2020)「教育がもたらす新たな階級社会」について紹介しました。教育が知性を育むことから離れて、ただの「資格」取得のためとなり、物事を考える暇もなく学歴を積み上げていくだけの「自分でものを考えない」、「愚かな」人びとが指導層を生み出していく。アメリカを見ても、そして日本の現状を見ても、大いに納得できる話です。だから、いまの若者たちは「寅さんがなぜおもしろいのか」を理解できないわけですね。

A 他人を蹴落としてもいい大学に行こうという風潮が人間性を高めるわけがなく、ただ金儲けに必要な知識だけを詰め込んだ、いびつな人材を育てることになっている。だから高等教育を受けるほど、人間的資格に欠ける人が出てくるんですね。

・対米追随外交の縮図、「哀しき国会」

B トランプ大統領はバイデン政権の政策を覆すような大統領令を矢継ぎ早に出し、パレスチナ人をガザから他に移すという強硬策も進めようとしています。ウクライナ問題では、ウクライナを支援しつつ戦争を続行させてきたバイデン政権とは真逆というか、むしろロシア寄りの停戦を進めようとしているようです。それがどういう結果になり、歴史的にどう評価されるかはわかりませんが、トランプ大統領が「停戦」の実を取る可能性もあります。実行力という点では、ちょっと目を瞠るものがあり、それだけ日本の石破首相の軟弱な姿勢が際立ちますね。
 ウクライナ問題で思い出すのは、2023年5月23日にゼレンスキー大統領が来日した時の国会光景です。午後5時半から議員たちが続々と会場内に入り、岸田文雄首相や閣僚、衆参両院議長をはじめ計約500人が着席しました。午後6時、ゼレンスキー大統領が会場前方のモニターに映し出されると拍手が湧き、細田博之衆院議長の開会あいさつ後、ゼレンスキー大統領の演説が始まりました。12分近い演説が終わると議員たちは一斉に立ち上がり、約40秒間にわたり、割れんばかりの拍手。スタンディング・オベーションですね。山東昭子参院議長は演説後、青と黄のスーツ姿で、議員を代表して答礼、「閣下が先頭に立ち、また、貴国の人々が命をも顧みず、祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感動しております。日本国民もこのようなロシアの暴挙は絶対に許せないと、ウクライナへのサポート、そして支援の輪が着実に広がっております」と挨拶しています。
 その熱狂の国会で、唯一、それに賛同せず、起立しなかったのがれいわ新選組です。後に山本太郎代表は「あのときの風あたりは強かった。まるで非国民のように言われたけれど、ロシアとウクライナの戦争をやめさせようと思ったら、そのどちらかに加担しちゃだめでしょう。平和憲法を持つ日本こそが停戦に向けて努力すべきなんですよ」と語っていたけれど、まことにまっとうな意見ですね。
 対米追随外交でバイデン政権に盲目的に従う岸田政権の哀しい姿がここにあるけれど、それに唯一抵抗したところに、れいわの真骨頂があったとも言えるでしょう。

A 赤旗日曜版に「男はつらいよ」の山田洋次監督の、「国全体の問題や世界に広く関心を持ち、自分は何をしなければいけないのかを考える。今それが、とても大事なんではないかと思います」という談話が載っていました。「ナチスが共産主義者や社会民主主義者を攻撃した時、声を上げなかったら、自分が攻撃された時は手遅れだった」というドイツの牧師の言葉を引用しながら。
 まさにいま頼れるのはれいわだけ! ですよ。夏の参院選は衆参同時選挙になるという観測もあるようですが、れいわが一気に大躍進することを期待したいですね。

 

新サイバー閑話(125)<折々メール閑話>66

「公共放送」から逸脱したフジテレビの悲惨

 B タレント、中居正広氏の性加害スキャンダルはついにフジテレビの港浩一社長(写真左=日本テレビ)と加納修治会長(同右)の辞任という事態へ発展しました。フジテレビは1月17日に港社長が出席者制限、動画撮影禁止という記者会見で「会社は知らぬ存ぜぬ」と逃げ切りをはかりましたが、さすがに多くの批判を浴び、28日にやり直し会見になりました。それ以前に開かれた臨時取締役会で両氏の辞任が決まり、今度は記者制限のない記者会見を行ったわけです。集まった記者はメディア関係者、フリージャナリストなどを含め400人以上、午後4時に始まった会見は翌午前2時を過ぎるまで延々10時間半という記録的な長さになりました。
 同会見にはフジグサンケイループのドンとも言われ、現在のフジの体制を築き上げた日枝久フジサンケイグループ代表、フジテレビ取締役相談役は姿を見せず、中居正広氏の性加害、およびその後のフジテレビ側の対応については謝罪したものの、この事件を生んだ遠因としての女子アナをタレントなどの接待要因として使っていたのではないかという疑惑については、港社長の答弁が相変わらずすっきりせず、これが記者会見が長時間に及んだ原因であるのは確かですね。

 A フジテレビをめぐるスキャンダルに火をつけたのは、お定まりの『週刊文春』でしたね、当初は「中居氏がフジテレビの女性アナウンサーに性加害を加え、そのため当の女性アナウンサーは仕事を続けられない精神的打撃を受けた。その間にフジテレビのプロヂューサーが介在していた」ということだったけれど、同テレビではこの種の「女子アナ」を接待要員として使っていたのではないかとの疑惑へと発展しました。
 フジ側の説明では、事件が起こった当日に当該プロデューサーが直接関与したことはなかったということですが、それ以前の同種パーティーの延長上で事件が発生したと考えると、組織としての責任は免れないのでは。

B 今回明らかになったフジテレビの実態は、前々から想像していた以上にひどいものでした。「テレビなどの放送会社は公共の電波を使った公共事業であり、一種の文化的な営みである」との建前は完膚なきまでに否定されていたわけです。
 フジ変質の経緯はきちんと検証すべきだと思いますね。僕は1980年代初頭に雑誌編集部に所属していたころ、テレビを取材したことがあります。フジはもともと財界主導で開設したテレビ局ですが、取材当時のフジは民放一の高視聴率を誇っていました。時間区分の視聴率で言うと、ゴールデンタイム(午後7時から10時)、プライムタイム(午後7時から11時)、全時間を通して視聴率で第1位、いわゆる三冠でした。ドラマでは「北の国から」、「鬼平犯科帳」、「剣客商売」などの人気番組を擁し、当時勃興しつつあったお笑い番組では「オレたちひょうきん族」とか、タモリの「笑っていいとも」などでヒットを飛ばしていました。81年から「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズにし、その後、フジはこのお笑い路線に大きく傾いていくわけです。
 ちなみに日枝久氏(写真)は1980年に編成局長に就任。1983年に取締役編成局長、そして1988年に代表取締役社長に昇任しています。港浩一氏はそのバラエティー現場で活躍、ディレクター、プロデューサーとして「とんねるずのみなさんのおかげです」を手がけました。2022年にフジテレビ代表取締役社長およびフジメディアホールディングス取締役に就任しましたが、彼が女性アナウンサーを同席させる食事会を定番化(常態化)させたとも言われています。

・バラエティ路線に舵を切った日枝・港体制

 結局、日枝、港体制でフジは芸能本位、バラエティ番組中心のテレビ会社へと大きく舵を切ったと言えるでしょう。報道番組の影は薄れ、代わってバラエティ番組に各種のタレントがコメンテイターとして参加、政治や外交、経済ニュースにまでコメントするようになっていきます。他局も含め、女性アナウンサーは「女子アナ」としてもてはやされるとともに、本来の業務以外の接待要員化も進んだようで、これもフジが先鞭を切ったわけですね。
 もちろん庶民感覚に裏付けされたお笑いタレントのコメントが意味がないと言っているわけではありません。その方が視聴率が取れると、報道解説や教養番組も、バラエティ化の波に呑まれていきました。つい最近まで、オリンピックとか世界陸上といったイベント中継も、スポーツにはほとんど知識のないジャニーズなどの若手タレントが大挙して出演して、お祭り騒ぎのような報道をしていたわけですね。
 今回の事件は、女子アナを接待要員として使っていたのではないかという疑惑も顕在化させました。フジ側の煮え切らない態度や17日の無責任な記者会見を理由に、多くのスポンサー企業が広告を引き上げる事態に発展、それがきっかけになってようやくフジは社長を更迭、やり直し記者会見をしたわけです。

A 日枝氏は安倍元首相とも昵懇で、安倍元首相が「笑っていいとも」に出演したこともありましたね。安倍元首相はその一方で、報道の公正・中立性についてテレビ局に大きく介入、それがきっかけで、硬派のジャーナリストが次々にテレビ局から追放されたりしました。

B この件については当コラム(「メディアの根底を突き崩した安倍政権」『山本太郎が日本を救う・第2集、みんなで実現 れいわの希望』所収、アマゾンで販売中)でもふれましたが、こういった動きとフジの変質とは表裏一体にあったとも言えるでしょう。

A これはフジだけの問題ではないでしょうね。他のテレビ局はこの事件の報道に及び腰だったけれど、それは自社に跳ね返ってくるブーメラン効果を恐れたためだと思います。

B 前回、予告したOnline塾DOORSの<ジャーナリズムを探して>シリーズは1月20日に朝日OBで現在はユーチューブ番組「一月万冊」で活躍する佐藤章さんにご出演いただいて無事にスタートしました。<新講座発足にあたって>で書いたように、新聞ばかりでなく、テレビ、ラジオ、出版、インターネットも含めて、IT社会におけるジャーナリズム再生の可能性を探りたいと思っていますが、フジに象徴されるテレビ局全体の変質は由々しき事態だと思います。
 今回知ったのだが、総務省で次官級ポストである総務審議官をつとめ、菅元首相の長男の接待事件で話題になった山田真貴子氏がフジ相談役に天下っているんですね。テレビ会社を指揮監督すべき総務省役人が4人もフジテレビに天下りしています。
 この会見はフジを始めTBS、テレ朝などで実況されましたが、10時間半という長丁場はやはり異常ですね。日枝氏の欠席、フジ側の煮え切らない態度、前回の会見のやり直しなどの事情はあったけれど、質問の内容、方法など記者側の資質も問題になるでしょう。企業側、政権側が記者会見に参加する記者を制限したり、そこで主導権を撮ろうとするとき、これに対抗する記者側が、ただ無制限に開催しろと叫ぶだけでは、悪貨が良貨を駆逐するではありませんが、その役割、善意の意図にもかかわらず、かえって国民にそっぽを向かれる恐れもあります。これも<ジャーナリズムを探して>のテーマだと思っています。
 もう一つ付け加えれば、今回の事件をきっかけにフジテレビでは80人ぐらいだった労働組合の加入者が500人に急増したという報道も興味深いですね。テレビが好況のとき、何もしなくても給与が上がると、組合に見向きもしなかった人びとが突如、自分たちに降りかかってきた「倒産」の危機に、団結して経営陣に当たろうと思いなおしたようです。
 僕の持論、サイバーリテラシー3原則の1つが<サイバー空間は「個」をあぶりだす>というものです。組織のくびきから離れて自由になった「個」の危うさを指摘したものですが、深いところで見ると、テレビ業界の変質にインターネット普及が大きな影響を与えていることも明らかです。1995年はインターネット普及元年と言われています。

・大石あき子の国会演説に胸のすく思い

A フジ記者会見が開かれていた 同日は国会も開かれており、NHKは国会中継を流していました。れいわの大石あき子議員が演説で、堂々たる石破政権攻撃を展開したのは、近来稀に見る名演説だったと思います。フジテレビのキャッチコピー「楽しくなければテレビじゃない」ではありませんが、所信表明で「楽しい日本」という歯の浮くような演説をした石破首相に対し、「国民はますます貧困になり、1万件を超える中小企業が倒産している。そういう現実が見えないような首相は、いますぐやめてくれませんか」と畳みかけていました。
 大石あきこさん最高! 小気味いい!キレッキレッの弁舌!山本代表も大満足では!

 B いまのテレビ局の変質はここ数十年の国会の変質と呼応したところがありますね。自民党はとにかく数を獲得しようと、女子アナを起用するフジテレビのように、人気タレントを次々と国会に送り込みました。お笑いタレント偏重のテレビが公共放送という枠を逸脱したように、タレント重視の国会は国会の意義を変質させたとも言えますね。「上からのクーデター」がやりやすいように、国会が再編成されたとも言えます。
 ちょっと誇張気味だけれど、社会全体の「知の軽視」、「痴の推奨」とでも言うか。テレビ普及初期に評論家、大宅壮一が言った「一億総白痴化」が名実ともに実現した感じもします。

A なるほど。言論機関としての本筋を喪失したテレビ企業の空洞化と、実のある討論を軽視し、数だけでごり押しする国会の空洞化。そういう中での大石演説ですよ。彼女の才能の表れではあるが、前回衆院選でれいわ新選組が9議席を得たという事実が彼女に力を与えたようにも思います。山本太郎代表は、次回参院選では7議席を獲得、非改選議員も含めて参院10議席を得たいと言っていましたが、その参院選は7月、もうすぐですね。

新サイバー閑話(124)<折々メール閑話>65

OnlineDOORS<ジャーナリズムを探して>

 B あけましておめでとうございます。ということで、今日は鎌倉源氏山にある葛原岡神社裏の高台から見た富士山の絶景をお届けします。

 スマホで撮ったものだけれど、なかなか美しいし、ずいぶん近くにも見えます。同神社の宮司さんの話だと、「鎌倉一の富士」ということですが、実はこの絶景がいま消える寸前にあります。葛原岡神社の裏山は長い間、雑木や竹笹に覆われて、そこから富士はほとんど見えなかったのですが、その先にある雑木林の新しい所有者が、遺跡発掘調査などで雑木を切り倒した途端に、あーら不思議とばかりにその威容を見せ始めました。ところが、新しい所有者はこの絶景を目当てにかなり広大な屋敷を立てる予定で、すでに基礎工事が進んでいます(左写真)。
 皮肉なことに、この絶景は見つかった途端に消える運命にあるわけです。
 これはまことに残念至極と、源氏山に住む古民家移築&研究家の滝下嘉弘さんたち「源氏山公園の歴史的遺産と景観を守る会」の人びとがいま頭を悩ませています。土地の所有者はベンチャー企業の若い社長さんらしく、まさに絶景を目当てに自分の邸宅を建築中なわけで、すでに基礎工事は終えています。鎌倉市の建築許可もすでに得ており、これを阻止することは理屈上は無理でしょう。
 それにしても、「この絶景が見つかった途端に見られなくなるのはまことに残念」、「鎌倉市がこれを譲り受けて源氏山公園の延長として整備できないか」、「そうすれば絶好の観光スポットになるのでは」などと、頭を悩まさせている状況です。もちろん頭を悩ますだけでなく、「この地を源氏山公園(風致公園)に含め、史跡の追加指定をお願いする」署名運動も始め、すでに4000筆ほどの署名を集めました。
 葛原岡神社の祭神は鎌倉期の公卿、日野俊基で、鶴岡八幡宮の影に隠れた感じですが、源氏山ハイキングコースの中継地でもあり、今では初詣客や外国人客の訪問も増えています。瀧下さんはこれは決して建設反対運動ではないけれど、この絶景が失われるのは残念だとの思いから、何とかこれを「みんなの景観」として残すことは出来ないかと、年末から年初にかけて連日のように神社境内で署名運動に取り組んでいます。

A 富士山の絶景を守る会の人たちの奮闘が実るといいと思う反面、生活の苦労もない連中が富士山がよく見えるかどうかで騒いでいるにすぎないとも思いますねえ。山本太郎が言うように、中小企業はバタバタ倒れている。子ども食堂で食事せざるを得ない子どもたちは、この伊勢市にもいる。富士山より、今日の食事が問題だとも思うわけです。

 B うーん、痛いところを突かれました。事態はすでに進んでいるので、民家の建築をここで止めることは無理だと思いますが、場合によっては、建築デザインを工夫してもらって、高台からでも見られるようにするとか、この高台により高い展望台を作ってみんなが富士の絶景を楽しめるようにするとか、いろいろ工夫の余地はあるのではないかとも考えるわけです。最近は海外からも源氏山を散策する人が増えており、鎌倉市としてもいい観光スポットになるように思いますが‣‣‣。

・年頭のSNSをにぎわせている中居問題

 閑話休題。
 年頭の話題は、昨年暮れにまた『週刊文春』が火をつけたタレント、中居正広氏(写真、『女性自身』)のセックススキャンダルですね。昨年騒がれたジャニーズ、松本人志などの性加害事件とよく似た構造で、「中居氏がフジテレビの女性アナウンサーに性危害を加え、9000万円を支払い和解した」というものです。
 まだもっぱらSNSなどインターネット上の話題で、一方の主役、フジテレビを初めとして、既存メディアはどちらかというと静観の構えです。テレビ各社は中居氏がMCをつとめる番組をどんどん取り止めていますが、フジテレビも含めて、番組を止めながらその説明はないという奇妙な事態でもあります。新聞ももっぱら「下半身問題」との捉え方で、メディアのあり方への言及は少ないですが、日本テレビが「ザ!世界仰天ニュース」のMC、中居氏出演部分を全面カットして放映した件については報道しています。

 A 下半身問題はうんざりではあるが、フジテレビがただちに「この件には一切関係ない」とのコメントを出しながら、後の報道で被害女性が女性上司に相談した時の対応が問題になるなど、フジが知らぬ顔の半兵衛を決め込むのは無理ですね。

B 前回、情報端末としてのスマートフォンがすでにテレビを凌駕しつつあることを総務省データをもとに話しましたが、メディア接触時間に関する以下のデータ(やはり総務省)も興味深いです。

 平日のメディア利用時間は、10年前までは当然、テレビが長かったわけですが、2020年に逆転、2023年ではテレビ135分、インターネット194分となっています。休日の大勢も変わりませんが、インターネット利用時間は200分を越えています。  年代別に見ると、これも当然ながら、若年層ではテレビ視聴が著しく減少、代わってインターネットが伸びています。テレビは高齢者中心の「オールドメディア」になりつつあるのがよくわかります。

 インターネット(スマートフォン)で何をしているかについては、「メールを読む・書く」、「ブログやウエブサイトを見る・書く」、「動画投稿・共有サービスを見る」などが上位を占めています。おおざっぱに言えば、メールを書くか、ユーチューブ番組を見ているわけです。

・IT社会における<ジャーナリズムを探して>

 こういう現実を見ると、いくらテレビや新聞が黙殺しても、情報はどんどん広がっていきます。前回も触れましたが、メディアに投下される広告費もすでにインターネットがテレビを凌駕しているわけで、いまや新聞に続いてテレビが「オールドメディア」として衰退しつつあると言えるでしょう。昨年の選挙における投票行動の変化が象徴的ですが、これからの情報発信はどういう方向に向かうのか、民主主義社会を下支えするとされてきたジャーナリズム機能はどう変化するのか、これは「サイバーリテラシー」の提唱者として当面の最大の関心事です。

A よっ!真打ち登場! 絶え間なく変貌する情報発信の世界に、サイバーリテラシーがその道しるべになる時が来ましたね。

B おっ!嬉しいエール! 気を良くしたところで、主宰するOnline塾DOORSで、新年から<ジャーナリズムを探して>というシリーズを開講する㏚をさせていただきます。マスメディアOBでいまはユーチューブで活発に情報発信している人、テレビから転身したユーチューバー、ジャーナリズムに強い関心を持っている実務家、研究者などにご登場願って、IT社会におけるジャーナリズムについて考えようという企画です。
 既存マスメディアのジャーナリズム機能の衰退は著しく、今回、明らかになったようにテレビの実体は腐敗の極に達したようにさえ見えます。中居事件に関して関西在住のジャーナリスト、今井一さんが、ユーチューブ番組で「性被害問題に口をつぐみながら、一方で世界の平和や政治を語るテレビとは何か。テレビ局の意向のままに発言しているタレントとは何か」と憤慨していましたが、既存マスメディアのジャーナリズムは崩壊寸前です。
 一方、インターネットのユーチューブ番組の中には、一月万冊、鮫島タイムス、デモクラシータイムス、アークタイムスなど硬質のジャーナリズムを追及する試みがありますし、中田敦彦のユーチューブ大学などユニークな番組もあります。
 しかし、インターネット上の情報発信全般を見れば、アクセス数や広告費稼ぎを目的に真偽取り混ぜた情報が暗躍する魑魅魍魎の世界であり、それらの有害情報、フェイクニュースをチェックするとして発足した官民のファクトチェック機関が、有害情報駆除を口実に反権力、反体制的な情報を技術的な手法で「検閲」している問題もあります(トランプ政権発足にあわせて、フェイスブックを運営するメタ社が「ファクトチェックを廃止する」としたことで、新たな懸念も生じています)。またネット・ジャーナリズムの旗手の多くが既存マスメディア出身であることは、人材供給源としてのマスメディアの存在感を印象づけると同時に、マスメディア以後のジャーナリスト育成はどうすればいいのかという問題も投げかけているでしょう。かつて「ジャーナリズムの雄」を自負した新聞再生の可能性についても考えていくつもりです。

A 昨年暮れの29日、TBS「報道の日」2024と題する番組で、MCの一人として、「ユーチューブ大学」の中田敦彦氏が参加していたのを興味深く思いました。
 恒例の企画で今年のテーマは「TBSテレビ報道70年  8つの禁断ニュース」で、MCに膳場貴子、井上貴博TBSアナウンサーに加えて中田敦彦氏が加わりました。「ジャニー氏性加害問題 補償の裏側は…」、「安倍3代と統一教会 “組織的関係”の原点」、「田中角栄と三木武夫 知られざる権力闘争」、「繰り返された核の悲劇 原発導入に日米の思惑」、「第一次トランプ政権 アメリカ議会襲撃事件の裏で起きていたこととは?」など、この間の8大事件を取り上げた、なかなか重厚な作品でした。

B 前回コラムで中田敦彦氏に言及していますが、彼のユーチューブでの情報発信が評価されての大手テレビへの〝抜擢〟とも言えますね。彼は既存メディアの映像の豊富さに驚きと敬意を表していましたが、巨大な情報収集力をはじめとする古いメディアの底力を過小評価するのは禁物でもあります。
 Online塾DOORSは完全なボランティア運営で、出演者に支払う謝礼の用意もありません。他の講座同様、もっぱら善意にすがっての運営になりますが、心あるスピーカーのご理解、ご協力を得て、出来る処までやってみようと、またぞろ「老骨に鞭打って」います(^o^)。
 あわせて<ジャーナリズムを探して>へのみなさんの積極的参加を呼びかけたいと思います。希望者は info□cyber-literacy..com(□→@)まで

新サイバー閑話(123)<折々メール閑話>64

SNSが社会を、政治を動かし始めた

B まだ師走に入ったばかりですが、今年をメディア史の観点から回顧すると、SNSが社会を実際に動かし始めた年だったと言えそうです。いわゆるアラブの春や東日本大震災が起こった2011年ごろ、SNS(Social Networking Service)が脚光を浴び、大学で「2011年、SNSの旅」という講義をしていたわけだけれど、最近の傾向は日常生活のレベルでSNSの影響力がはっきりした形で表れ始めたと言えるでしょう。
 ユーチューブ、Ⅹ(元のツイッター)、インスタグラム、フェイスブックといったコンテンツ(ソフトウエア)としてのSNSが多くの人に閲覧されるようになり、その影響力が増大した。それはハードウエア、情報端末(デバイス)としてのスマートホンの機能強化とその圧倒的普及に支えられています。スマホの機能はパソコンとまったく遜色がなくなり、いまやニュースを知るにも、新聞はおろか、テレビを見る必要もなくなりました。

A そういう状況を反映しての斎藤正彦兵庫県知事の「あっと驚く」再選でした。海の向こうでもSNSを駆使したトランプがテレビ重視のハリスを打ち負かしました。まさに世界同時の歴史舞台の大転換ですね。

・スマホの普及・機能強化・多彩なコンテンツ

B 下に掲げたのは総務省による情報端末の普及グラフです。

 スマホの普及率は、2010年にはわずか9.7%だったのが年々伸び続け、2023年には90.6%になりました。93.3%のテレビともはやほとんど変わりません。一番上のグラフはスマホだけでなくいわゆるガラケー、PHSなどを含むモバイル端末全体の合計を示していますが、その数値は97.4%、テレビを上回っています。万人が何らかのモバイル端末を持っていることを示しているでしょう。
 ちなみにパソコンは65.3%、固定電話は57.9&、こちらは年々減少しています(テレビも減少傾向にあります)。若者の中にはパソコンを使ったことのない人もいるようですし、若い世帯では固定電話を引いていない家庭もけっこうありますね。社会全体がスマホで動くようになっている。このことを理解する必要があります。NTT(旧電々公社)がユニバーサル・デザインとして全国津々浦々に電信電話線を敷設しようと努力してきたことを考えると、まさに隔世の感です。
 もっとも僕自身はもっぱらパソコン派でiPhoneを持っているけれど、電話以外にはあまり使っていません。

 A 僕の場合は、工事見積の送付とか、顧客との連絡など仕事でパソコンを使いますが、ふだんの連絡は公私共にほとんどスマホですませてます。時にはスマホの電源を切りたい誘惑に駆られますね〜。顧客からのトラブルに関する電話など(^o^)。

B しかも通信回線の高速化で、スマホでも光回線なみの速さで動画をやり取りできるようになっています。2020年から日本でもサービスが始まったG5を使うと、5㎇という大容量のDVD1枚がほんの3~4秒でダウンロードできる。人びとはいまやテレビよりインターネットの動画を見るようになっていると言っても過言ではない。コンテンツもどんどん増えています。ちょっとした機材を用意すれば、だれでも動画をつくり、それをユーチューブに簡単にアップできる時代です。みんながユーチューバーになれるわけですね。今年は野球のメジャーリーグで大谷翔平選手が大活躍しましたが、僕なんかも毎日、そのダイジェストをユーチューブ番組で見ていました。コンテンツのレベルもテレビと変らないですね。

A そして、ついに選挙も様変わりしました。これまで若者、あるいは無関心層は既存の選挙システムの枠外に置かれていたのだけれど、その構造に変化が起こった。その最初が7月の都知事選での石丸伸二候補の躍進だったですね。

 B こういう背景のもとに、スマホおよびSNSが実際に選挙結果を左右するようになったと言えますね。選挙のあり方が変わったと言っても過言ではない。来夏の参院選ではまた大きな変化が起こるでしょう。SNSやスマホを通して、これまで選挙に見向きもしなかった層が選挙に関心を持ち始め、同時に候補者の方も、ユーチューブなどSNSの威力に気づき始めました。兵庫県知事選では投票率も大幅にアップしました。

都知事選→総裁選→衆院選→兵庫県知事選&アメリカ大統領選

  この件に関して、ユーチューバーの中田敦彦氏が自らの実践を通して鋭い洞察をしています。

 2019年以来、インターネット上の「ユーチューブ大学」でさまざまなコンテンツを配信してきた中田氏の以下の動画はたいへん興味深く、また多くを教えられました。
 https://www.youtube.com/watch?v=VlMO6NiSJBI&t=26s
 彼は7月の都知事選で石丸伸二、蓮舫、小池百合子と、主だった候補者にインタビューしてそれを配信して注目されました。その経緯はこんなふうだったようです。石丸候補がSNSを利用していることに興味を持って、「石丸さんにダメもとでインタビューを申し込んだら受けてくれて、この動画が好評だった。それで蓮舫さんや小池さんにも依頼したら、受けてくれたんですね」。蓮舫、小池氏は「『出たい』ということでもなく、『出ないとやばいかな』という程度だったと思います。しかし、自民党総裁選の段階では積極的に『出たい』という人が表れたんですよ」と、歴史が動いた瞬間を、メディアの渦中にいた人の生々しい実感として語っています。

 A 石丸躍進に敏感に対応したのが10月の衆院選における玉木雄一郎代表の国民民主党で、SNSを駆使する戦術が奏功して若者票を集め、4倍増という躍進をしました。

・インターネット広告費、テレビを抜く

B 動画配信の威力を実感した中田氏は11月の兵庫県知事選では、マスメディアの情報とネットでの情報が違うことに注目し、その違いがよくわかる番組を配信しましたが、これなどインターネット動画の質の高さを示したと言えます。
 彼は兵庫県知事選はSNSが政治を実際に動かした嚆矢だと位置づけていましたが、慧眼だと思います。彼も触れていますが、これと同じ構図がやはり11月初めのアメリカ大統領選でも起こっています。
 トランプ陣営は前回選挙選でもツイッターを駆使しましたが、今回はイーロン・マスク氏が買収したⅩも積極的に使い、ユーチューブの長尺インタビューも受けていました。それに対してハリス陣営はテレビ偏重で、それも明暗を分ける一因になったようです。
 テレビが両候補互角、あるいはハリス優勢という予想だったのも注目すべきでしょう。選挙民の実体を把握する点でも、テレビはすでに時代遅れになっており、コンテンツの面でもSNSに遅れ始めた。この点は兵庫県知事選とよく似ています。
 このテレビとインターネット(ユーチューブ)のコンテンツの違いに関しても、中田氏は鋭い分析をしています。①テレビは選挙期間に入ると、候補者に対する深堀をしなくなるが、ユーチューブにはそういう情報がふんだんにあった。②テレビは時間枠に制限があるが、ユーチューブにはなく、どんな長いインタビューでも配信できる。③テレビは、大手広告代理店、大手芸能事務所、政権与党に遠慮しがちであり、これらが関わる問題では報道力が弱まっているという認識が国民に広く知れわたった。
 テレビには1日24時間という制限があり、しかもゴールデンタイムなど視聴率の高い時間はいよいよ限られますが、インターネットには制限がまるでないから、特定の人に対して掘り下げた情報も提供できるし、利用者も深夜であろうと、自分の都合のいい時に視聴できます。これはインターネットの潜在的な力です。

A 2019年にはインターネット広告費がテレビ広告費を抜いたようですね。

B これもエポックメイキングな出来事ですね。大手広告代理店・電通の恒例調査によると、まさに2019年にインターネット広告とテレビ広告の逆転が起こっています。長い間テレビは最大の広告メディアでしたが、その地位がインターネットに奪われた。新聞、書籍、ラジオを含めたマスコミ4媒体の合計でもインターネットに抜かれました。

 ・便利で強力な道具を賢く使うために

A スマホの急速な普及やその影響力増大には恐ろしさも感じますね。実際、たった17日間の選挙期間中で兵庫県民の斎藤知事に対する見方ががらりと変わりましたからねえ。
 スマホの普及を野放図に放置していていいのか。正しい利用の仕方ということも考えないといけないのではないかと思っていた矢先、オーストラリア議会が16歳未満の交流サイト利用を禁止する法律を可決したニュースがありました。重要な発達段階にある子どもをオンラインの有害コンテンツから保護するのが目的で、当面、フェイスブック、インスタグラム、Ⅹ、TikTokなどを対象に厳格な年齢確認や有害コンテンツ対策などを事業者に義務付けるもので、罰則も設けています。おもしろいことに、ユーチューブは「教育などに役立つため」として対象外です。

B インターネットの黎明期やケータイ普及当初に、やはり子どもの使用制限に関する議論が起きました。サイバーリテラシー研究所としても、小学生朝日新聞で「サイバー博士と考える」という連載をしたり、『子どもと親と教師のためのサイバーリテラシー』(合同出版)を出版したりしましたが、便利性や技術発展のスピードに幻惑されて、有効な方策は取られてきませんでした。
 情報はもともと自由であることを求めるものでもあり、規制するのはなかなか難しいけれど、この便利でもあり強力でもあるツールを「賢く」使うリテラシーはやはり必要です。これは必ずしも未成年に限らないですね。改めて「サイバーリテラシー」について整理する必要を感じているところです。
 実は昨年、サイバー燈台叢書の一環として『<平成とITと私>①『ASAHIパソコン』そして『DOORS』』を出しました(アマゾンで販売中)。『ASAHIパソコン』創刊前後の1980年代から出版局を離れる1997年ごろまでの私家版コンピュータ発達史です。自分の経験と同時に、当時のコンピュータ事情はどういうものだったのかがわかるように工夫しました。同シリーズ②で、現役だった2013年までをまとめ、それ以後を『<平成とITと私>③として刊行したいと考えています。
 この③段階が実はインターネット発達史のきわめて重要な局面です。①②が前史だとすると、③が本番と言ってもいいかもしれません。やはり僕が主宰するZoomサロン、Online塾DOORSで、情報通信講釈師・唐澤豊さんに折に触れてIT最新事情を講義していただいているのですが、最近のトピックスは目を瞠るものがあります。
 用語だけを上げても、メタバース、ブロックチェーン、シンギュラリティ、生成AIなどなど。端末としてのパソコンやスマホの機能強化もすさまじく、それらの強力ツールの土台の上にユーチューブ、Ⅹ、フェイスブックなどのコンテンツが花開き、それが実際に社会を動かし、選挙の投票行動にも現実的な影響力を持ち始めたわけです。
 自分たちが置かれた現代という時代を理解し、いかに豊かなものにしていくことができるかを、あらためて考える必要があると思っています。「年寄りの冷や水」と言われるだろうけれど^o^)。

 

新サイバー閑話(122)<折々メール閑話>63

山本太郎、「れいわにかけた」思いを語る

 B 兵庫県の斎藤元彦知事再選をめぐるその後の動きを見ていても、前回の骨格で修正すべきことはありませんが、現段階でいくつか補足しておきます。

・斎藤知事再選、補足的なコメント

マスメディアは事実を報道したのか>驚いたことにメディアの大半は、県民局長の自殺の原因が本人の不倫らしいと知っていたようです。これも真相は「藪の中」という感じですが、兵庫県議会百条委員会で証言した片山安孝前副知事が県民局長の公用パソコン内の「不倫日記」について話し始めた時、奥谷謙一委員長がこれを強引に静止した経緯があり、そのいきさつを記者も知っていたらしい。「報道しないで」と言われて、事件に重要な影響を与える事実をあっさり葬ってしまったとすれば、「報道の自由」、「報道の責任」ということから考えて、驚くべき事実ですね。
 表の報道(第1の物語)では、県民局長は斎藤知事から懲戒処分を受けて自殺したことになっていた(あるいはそれを強く示唆していた)わけで、別に自殺の原因があることを知りながらそれを〝隠す〟行為はちょっと信じられません。局長が百条委員会に出席して自分の所説を堂々と主張できるようになった段階で自殺するというのも不思議です。ここに真実を追及する姿勢を放棄して何の痛痒も感じない兵庫県庁記者クラブ周辺の記者たちの退廃があるように思います。野次馬根性もないこの無気力な態度は何を意味するのか。これ自体報道の「自殺」ではないか。こういうあいまいさが兵庫県民にマスメディア報道に対する疑惑を生み、第2の物語へと向かわせる大きな要因になったのは確かだと思います。
 ここまで騒ぎが大きくなると、何らかの手段で公用パソコンの中身が明らかにされることになりそうで、第1、あるいは第2の物語も補強され、さらには巫女(公用パソコン)の口から死者による第3の物語が語られることにもなりそうです。
<無党派層の政治参加と若者>この項の最後に「一方でSNSの輪はどのようにして大きく広まったか。これは大いに検討すべき事柄ですね」と書いていますが、案の定というべきか、斎藤知事圧勝に気を良くしたらしいベンチャー・プロダクションの女性社長が、「エッフェル姉さん」ばりの軽薄さで、「私たちが斎藤知事再選のためのSNS指南をした」とウエブで自慢して、公職選挙法に抵触するのではないかと新たな波紋を広げています。
 問題はインターネット(SNS)は操作しやすいということですね。以前、自民党との関係が取りざたされたツイッターの匿名アカウント「Dappi」にふれたことがあります。発信元は「ワンズクエスト」というIT関連会社で、立憲民主党の小西洋之議員らが虚偽の投稿で名誉を傷つけられたとして、同社と社長らに損害賠償を求めた訴訟の東京地裁判決(10月)では、「投稿が会社の業務だった」と認め、計220万円の支払いと問題の投稿の削除を求めています。その中で「自民によるネット操作の一環ではないかとの疑いは排除できない」とも述べています。だれもが好きなことを投稿しているように見えるツイッターを、政党や企業が大金を投入して操作できる余地が大いにあるということです。
 今回のSNS指南がどの程度のもので、効果がどの程度あったのか、また公職選挙法の規定に触れるかどうかはよくわかりませんが、新たな第4の物語の開幕になる可能性もありそうです。
 僕は2000年代初頭から「IT社会を生きる杖」としての「サイバーリテラシー」を提唱しており、サイバーリテラシー3原則は、「サイバー空間には制約がない」、「サイバー空間は忘れない」、「サイバー空間は『個』をあぶりだす」というものだけれど、その補則として「サイバー空間は操作されやすい」を加えた方がいいとも思っています。

 A サイバーリテラシーというのは、メディアリテラシーとは違い、サイバー空間と現実世界が相互交流するIT社会を生きるための基本素養ですね。これからは、いよいよサイバーリテラシーの出番だと思いますね。
 ところで兵庫知事選直後のれいわ・山本太郎代の街頭演説は、ほれぼれする内容でした。良き質問を得て、あらためてれいわ新選組にかける彼の熱意を吐露したものだと思います。

B まったくそうですね。この<折々メール閑話>をもとに刊行している『山本太郎が日本を救う』シリーズ(現在3巻まで。電子本ともアマゾンにて販売中)の第1号と第2号では巻頭に「山本太郎名言集」を掲載していますが、この演説も名言集として掲載するに値すると思います。山本太郎の立場や考えがよくわかるので、丁寧に文字お越しして紹介しておきましょう。https://www.youtube.com/watch?v=sQIJ57K9h1Y

・「自信をもって、いっしょにやっていきましょう」

 ――パワハラ疑惑の斎藤知事が当選し、SNSの影響が大きかったと思うが、一方でそういうことをあおる人たちがいてネットは怖いと思いました。

 そういうものを脅威に思う前に、れいわ新選組を広げた方がいい。私、そう思います。
 今の国政に唯一対抗できるのはれいわしかないですよ。30年の不況を作り出したのは自民党だけじゃない。その間、野党たちは何してたの? 自民党の考え方と立憲民主党の考え方はほぼいっしょですよ。だから自民党A、Bなんですね。
 それを考えた時に、彼らを野党だと信じ込んで応援するのは、ちょっと違うと思う。緊縮予算では社会を壊すっていうことを気づかずに、緊縮の思考を持ち続けているっていうのも、私は非常に罪深いなと思っています。
 社会があまりにもカオスになってしまっている。そのことに関して不満を持つのは当然です。他の政党の議席が取れたとか、党勢拡大されたとかいうことを見て、不安が深まるのも当然の感覚と思うけれど、そういったものに心揺さぶられながら、前に進むのはあまり好ましくない、と言うか、あまり意味がないんじゃないかなって思います。シンプルにこの国を変えるためにどうしたらいいんだって考えて、もしあなたが「れいわ新選組頑張れ」、「壊れた政治にクサビを打ちこもう」と思ってくださるんだったら、いかにれいわを拡大できるかという一点でいっしょにやってもらえたらな、と思います。
 メディアだったり、ネットだったり、いろんなものに踊らされ続けることから降りるっていうことが必要だと思うんですよね。あくまでもそれらは補足的なもので、実際は何かって言ったら、地に足が着いた状態で応援してくださっているみなさんが確実に横に広げてくださるからこそ、ここまで拡大できたんですね。ネットだけでそんなことにならないですよ。
 一時的な盛り上がりをつくるのはそんなに難しいことじゃない。たとえば新しく登場した政党とか、けっこう盛り上がるじゃないですか。でもそれが継続できるかっていうことが一番重要なんですね。一回だけの花火だったら誰でも打ち上げられる。その先をずっと維持していけるかということに関しては、やっぱり積み上げしかないんですよ。そういう意味では、しっかりとみなさんといっしょに積み上げられた5年間だったと思います。その結果、国会議員全14議席が生まれたんだと。
 もちろん社会が壊れていくスピードと私たちが拡大していくスピードっていうのは、なかなかうまい具合にマッチしないですね。ほんとだったらもっとパンパンバンってね、ホップステップジャンプっていう感じで行けたら一番理想なんですけど、なかなかそうはならないところに歯がゆさを感じるし、焦りも感じるんですけれど‣‣‣。でも一つ言えることは何かって言ったら、私たち1回も負けてませんよってことなんですよ。あなた方がれいわを1回も負けさせてこなかった、ってことなんですね。自信をもっていただきたい。そこからさらに拡大できる。いっしょにやっていきましょう。ありがとうございます。

A 山本太郎は衆院選直後には極度の疲労でげっそりして、ずいぶん心配しましたが、さっそうと復活しましたね。れいわは「1回も負けていませんよ」と言い切っているところがたくましい。

B 衆院選でれいわの今後にたしかな手ごたえを感じたということでしょうね。次は来夏の参院選です。さらなる躍進を期待しましょう。

・「右も左も関係ない。今は上と下との戦いですよ」

 ――マルクスとか反資本主義とかアナーキストとかっていう人たちと態度がけっこう近いのかなっていう印象を受けたんですけど、その理論的な距離感っていうか、実践的な距離感っていうか、そういう見方に対する批判ありますか。

 右だ左だというのはさまざまあると思います。例えば、右の中でも何だ、左の中でも何だと。れいわ新選組はどこら辺の位置にいて、逆に言ったら、それを回りからなんて言われてるか、みたいなことをかみ砕いたら‣‣‣、そういうお話でいいんですかね(^o^)。
 あのね、理論なんてないんですよ。はっきり言ったら、マルクスって何ですかって、読んだこともないわって話なんですね。申し訳ない、無学で。その他のそういったさまざまな右だ左だってことに関して、私まったく詳しくありません。逆に言ったら、その右だ左だっていうような小さなカテゴリーに私を入れてくれるなって話なんですよ。
 今の社会は上と下の戦いなんですよ。右だ左だとか、いろんな思想だとか、さまざまみなさんお持ちでしょう。それは尊重します。それを突き詰めていこうとされている方々に関しては、私から何も言うことはありません。あなたの頑張りたいことに関しては応援します。でも私自身を何かにカテゴライズするっていうのはごめんなんですよ。れいわ新選組を何かしらにカテゴライズする、されるっていうのは迷惑でしかない。そういうような感覚なんですね。なので理論的に云々っていうことに対して私自身が何かしら答えを持っているわけではありません。
 あまりにもあり得ない状況が広がっていますね。今の日本はだれが実権を握ってますかって考えたら、大きな資本を持つ者たちなんですよ。大企業ですね。どうして大企業がこれだけの実験を握れるかっていったら、政治をコントロールする力を持ってるからなんでよ。それは、票なんですよ。選挙の票。大きな会社、本体だけじゃなくて、取引先だったり、下部組織だったり、さまざまなところの票を取りまとめて、自分たちの利益の代弁者を議会に送り続けているわけですね。送り込まれた人たちは当然、議員バッジをつけてくれた人たちのために汗を流すんですよ。そうなると話が歪んでくるんです。国会議員たるもの、だれのために仕事をしますかって言ったら、この国に生きるすべての人びとのために仕事をするという感覚を持たなきゃダメなんです。一部の者のためだけに頑張りますっていう社会になっちゃったら、大きく社会壊れてしまいますよね。それが今この国の現実なんです。
 憲法にもはっきりと書かれています。第15条に「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」。30年どうしてこの国が先進国でただ一つ不況なんですか。国内を草刈り場にしたうえで、一部の資本家や大企業たちが儲け続けるようにルールを改正し続けてきたわけでしょ。たとえば消費税、消費税はあなたの社会保障とはほとんど関係がない。大企業に対して減税、大金持ちに対して優遇、その穴埋めとして消費税は上げられ続けているんですよね。これって、一部の者のためじゃないですか。どうしてこの国の労働者の非正規雇用が4割なんですか。誰がこれで得すんの。だれが嬉しいのって言ったら資本側ですよ。だって安いんでしょう、そのうえいつでも首切れるんでしょう。社会保障関係でも面倒見まくらなくていいわけでしょう。こんなに都合のいい労働者いませんよ。こんな不安定労働を広げるようなことを国会の中で決めて、90年代から今に至るまでの間に働く人の4割が非正規になっちゃったんですよ。歪みまくってるんですよ。
 つまり何かって言ったら、圧倒的に持ち続ける者と圧倒的に持たない者たち、この格差がどんどん開いている。国民の6人に1人が貧困ですよ。高齢者の5人に1人が貧困で、一人暮らし女性、4人に1人が貧困ですよ。一方で大きな資本を持った者たち、大企業は過去最高益を毎年叩き続けている、無茶苦茶じゃないですか、今や世界では何の戦いが繰り広げられているかって言ったら、上と下の戦い、右も左も力合わせて上と闘うんですよ。上であぐら組んで国内を食い物にしている者たちと闘っているんですよ。
 私は、資本家を倒したいとか、大企業を倒したいなんてみじんも思ってない。国内を弱らせるっていうことは、これはひいては資本を持った者や、大企業にとっても打撃にしかならないんですよ、見てみてよ、国内で商売がやりづらくなってるじゃない、需要が減ってるじゃない、だから海外出るんでしょ、国内でちゃんと商売して儲けられるだけのこの国には大きなエンジンがあるじゃない、個人消費がGDPの5割以上、それを大切にしなきゃいけないのに、そこを壊しながら、自分たちの利益だけを拡大していくってことになっちゃったら、一部の人たちにとっては、おいしい話は続くけど、国民にとっては地獄が続く、そしてそれは持続可能なのかって言ったら、まったく持続不可能ですよ。国内を草刈り場にするな、ものすごくシンプルな話です。
 私たちれいわ新選組が訴えている経済政策は、お前らだけいい思いをするな、さんざんいい思いしてきただろうから、いったんそっちはお休みで、次は30年間傷つけられまくってきた国民が得する番、豊かになる番、そして中小企業が得になる番、それは、ひいてはあんたらも得できるんだぜって、そういう社会にしていくしかないなって思ってます。
 そういう考え方を過去の人たちが言っていたならば、ずいぶん気が合いますねって話です(^o^)、その程度です。理論的でなくて申し訳ないんですけれど、動物的感覚でずっと生きているので、こんな感じです。ありがとうございます。

A これを聞いて反応する経営者が出て来てもいいだろうと強く思いますね。経団連は目を覚ませ! 彼の主張はこの5年間、それこそ「1ミリ」もずれていない。あらためてすばらしいと思いますね。

 B 前回、トランプ次期大統領が一部の富裕層が支配するDS(Deep State)に対決する姿勢を示していることに触れました。トランプご本人の粗暴で権力的ななふるまいは、アメリカ国内および世界にさまざまな危惧を与えているけれども、この「DS退治」が二極化したアメリカの貧困層、中間層の人びとの心をとらえたことは間違いないですね。
 今日の東京新聞にイタリア人芸術家のコンセプトアートとして、壁に本もののバナナをテープで張り付けただけの作品が9億円を上回る価格で落札されたというニュースが出ていました。落札したのは中国出身の暗号関係の起業家だといい、「このユニークな芸術体験の一環として、今後数日のうちに実際に食べる」と言っているとか。彼ら一部(1%)の資産家にとっては9億円も900円程度の感覚でしかなさそうです。こういう富の偏在に思いを馳せれば、山本太郎のまっとうな発言がよくわかりますね。

新サイバー閑話(121)<折々メール閑話>62

なぜ兵庫県民は斎藤元彦知事を再選したのか

B 11月17日に投開票された兵庫県知事選で斎藤元彦知事が再選されたのには、正直言って大いに驚きました。午後8時すぎに早々と当確が決まったとき、神戸市元町商店街にある斎藤陣営の選挙事務所前に集まった市民の熱気がまたすごかった(写真はMBS=毎日放送から)。兵庫県で何が起こったのか。

A 斎藤知事が再選されるなんて、まったく想像していませんでしたねえ。

B 斎藤元彦兵庫県知事の内部告発問題およびその後の選挙過程には2つの物語があるらしい。黒澤明往年の名作「羅生門」(原作は芥川龍之介「藪の中」など)を見る思いです。

・第Ⅰの物語 斎藤知事は日常的に部下を激しく叱責したり、夜中でも構わずメッセージを送りつけたりするパワハラを行い、出先では贈り物をねだる「おねだり体質」で、それらの行状を糾弾しようとした県民局長の告発(内部告発文書)をでたらめな文書であると断定、作成者を割り出すととともに、当該局長を停職3カ月の懲戒処分にした。その結果、告発者は自殺している。他にもプロ野球の阪神・オリックス優勝パレードへの協賛金の見返りに、金融機関の補助金を増額して兵庫県に損害を与えたとして、背任の疑いで兵庫県警に刑事告発もされている。この手続きにあたった職員も自殺したらしい。
 これらの問題をただすために兵庫県議会が百条委員会を設置し知事を尋問したが、知事はパワハラやおねだりについて行きすぎがあったことを認めたが、自己の行状への告発問題については、一貫して「公務員にあるまじき行為で、処分は適法である」という態度を崩さず、結果的に知事は議会の全会一致で不信任決議をされ、出直し選挙(10月31日告示、11月17日投票)が行われることになった。
・第2の物語 実は斎藤知事は就任以来、職員の天下り人事の抑制、県庁者移転事業の規模縮小、自らの報酬削減などの行政改革を進めてきた。これを快く思わない守旧派が知事追い落としを図り、その一環として知事のパワハラ、おねだりなどを糾弾する文書がつくられ、関係方面に配布された。後に内部告発文書として再作成されたが、当初はただの「政治文書」で、知事が局長を処分したのは正当である。局長は百条委員会が開かれた直後に自殺したが、原因は他にあり、長年にわたる不倫問題が明るみに出ることを恐れたためではないか。
 告発文書やそれを書いた政治的意図、また自身の不倫問題などを記録した文書が彼の「公用パソコン」に残されているが、公用パソコンの内容すべてが百条委員会で公開されているわけではない。知事は当初の主張を変えないままに全会一致の不信任を受け、自らの政治改革をさらに前に進めるために、再選挙に出ることを決めた。

A 斎藤知事はエリート臭の強い傲慢な人間だという印象で、泉房穂・元明石市長など彼を「モンスター」だと言っていましたよ。

B これが大方の世間の見方だったと思いますね。しかし兵庫県知事選はそういう筋書きでは進まなかった。

 斎藤知事が辞任を選ばす、再選挙に出馬すると決断したことは大きな驚きをもって迎えられ、<折々メール閑話>でも「支持政党なしで立候補して、たった一人で街頭演説をし、そのときになってやっと支持者がほとんどいないことに気づくんでしょうか」と書いています。
 たしかに失職後に街頭に立った時は孤独の影が強かったようですが、選挙選が始まるにつれて、演説する知事を取り巻く輪が広がり始めます。N党(NHKから国民を守る党)の立花孝志氏がこの知事選に立候補、自らが当選するのではなく、「知事糾弾の真実」を県民に知らせるための応援演説をしたのが「触媒」にもなり、第2の物語は、兵庫県民にしだいに浸透していったようです。知事自身が「たったひとりの反乱」を前面に出した戦略も奏功、同情や憐憫の情からなのか、あるいは判官びいきからか、当初は本命視されていた元尼崎市長の稲村和美氏を追う趨勢になり、しだいに肉薄、ついに逆転しました。
 支持者から「マスコミは本当のことを書いていないけれど、ネットで色々調べると、事実とは違うことがわかった」、「知事さん、だまされていてごめんなさい」という声が聞かれるようになり、ついには投票日の「斎藤知事再選おめでとう」という万雷の拍手になったわけです。

A 何が起こったのかと思いましたねえ。あれだけ叩かれ、最初は駅頭での選挙活動もほとんど無視されていた人物が、あっと言う間に復権する。SNSの力に空怖ろしくなりました。

 B どちらの物語が真実に近いか、あるいは個々の真偽はどこにあるのかはともかく、兵庫県民の意識が選挙期間中に第1の物語から第2の物語に動いたというのは確からしい。17日の選挙期間に起こったことをあらためてふりかえってみましょう。これから詳細な検証が必要だと思うけれど、とりあえず以下のことが言えるのではないでしょうか。

<マスメディアは事実を報道したのか>局長の内部告発の意図、自殺の原因、すべてが記録されていたと言われる公用パソコンの中身、これらの重要な事実は、かつてならどこかの記者がスクープして、わりと簡単に明らかにされたことだと思うが、当今の記者はなぜこの真実に迫ろうとしないのか。「局長は『自死』した」というあいまいな表現でお茶を濁して平気なのが不思議です。公開するしないは別に、自らは記事を書く前提として押さえておくべき事実ではないのでしょうか。家族に当たればおのずから真実は現れるわけで、真相を知っていた記者もいるのではないかと思うけれど、「個人情報保護」のタテマエか、あるいはそれに寄りかかってか、マスメディア上ではこの事実は語られなかったように思われます。藪を突っつきもせず、周りを棒で叩いて足れりとする(やりすごす)とすれば、これをジャーナリズムとは言えないのではないか。マスメディア上に似たり寄ったりの記事しかなくなる道理です。
SNSの情報は正しかったのか>マスコミとは別の事実を流布するのに大きな役割を果たしたのがSNSのユーチューブやⅩだった。これがマスメディアが〝隠して〟きた事実を明らかにするのに貢献したのは確かでしょう。しかしSNSの情報の真偽ということを考えると、これほど危ういメディアもない。少なくともマスメディアでは情報の真偽はそれを担う既存組織が保証する建前だけれど、SNSでは真偽を判断するのは発信者ではなく、これを受け取る個人です。これはきわめて危うい構造と言っていい。
 ここで思い出すのは社会学者、清水幾太郎の古典的研究『流言蜚語」(ちくま学芸文庫)です。デマ(流言飛語)は表の情報が遮断されたときに、その不足を、あるいはあいまいさを補足するために裏で発生するもので、『社会学事典』(弘文堂)では「口から口へと伝えられる非制度的で連鎖的な『ヤミ』のコミュニケーションで、しかも人々から強い関心をもたれる内容を含み、一方で曖昧さを持つ情報であるため、異常なまでの意味増殖を生み出す言説内容とその形式をいう」と説明しています。
 今回のSNSによる情報流通をデマと同一視することはもちろんできないけれども、マスメディアの情報が一方的で真実を隠している、あるいはあいまいさを含んでいると考えられたことが、兵庫県民の心をSNSに向かわせたのは事実でしょう。しかも、SNSの情報は一方向に増幅しがちです。SNSの力とその危うさということを今回の出来事は改めて我々に突きつけたと言えますね。これは現下のマスメディアそのもののあり方に対しても、大きな警鐘を鳴らしていると思います。

A 斎藤知事の再選を知ってからずっと憂鬱です。原因は斉藤氏の復権というより、SNSの怖さですね。駅での演説にも立ち止まる人がなかったほど、人気が凋落していた人があっという間に復権する、この伝で行けば改憲、もっと言えば戦争にも容易に賛成するようになりかねない。民主主義の危機と言っても過言ではないのでは。

B 先の戦争におけるドイツの独裁者、ヒットラーを登場させたのはラジオだった。安倍政治を延命させたのはテレビと新聞だった(実際は、安倍政権がテレビや新聞を自らの権力で手なづけた)。つい最近まで、大阪での維新の躍進をもたらしたのが在版テレビ局だったのも確かなようだが、今回、斎藤知事を再選させたのは、これに変わって登場したSNSだったと言えますね。
 これが吉と出るか、凶と出るか。増幅能力が強いメディアだけに、どちらか一方に転ぶとあっという間に大きな流れになってしまう危険があります。

<既存秩序の崩壊と「浮遊する」個>マスメディア、政党などの既存秩序は崩壊しつつあるが、それに代わる新しい秩序は依然として生まれていない。インターネットによって既存組織から解放された個人が、今度はそのインターネットによって大きく動かされているのがIT社会の現実です。
 そういう状況下で注目されたのが立花孝志氏の「当選をめざさない立候補」という公職選挙法が想定していない動きです。彼の「兵庫県知事選の本質」を有権者に訴えるというねらいは、ある意味ではどんぴしゃりとはまったと思うけれど、既存秩序想定外の型破り行動は、今後、大いに検討を要すると思われます。彼は都知事選でもポスター掲示版ジャックなど公職選挙法を形骸化する行動に出ており、今のところ既存秩序の破壊者であり、混乱を助長しこそすれ、新しい秩序の建設者とはとても言えないですね。
<無党派層の政治参加と若者>SNSの政治に及ぼす力は、都知事選における石丸伸二候補の大活躍、衆院選における国民民主党の躍進と、しだいに大きな力を発揮するようになっています。しかも、無党派層および若者の力が大きくなっているようです。兵庫県知事選の投票率は55.65%。前回より10ポイント以上高く、先の衆院選よりも高い。
 ある出口調査によると、20~30代の若者の6割が斎藤知事に投票したと言います。若者とSNSの親和性は、このメディアの力、あるいは危険性を如実に示しているようです。
  既存の政治システムそのものがもつ「力」が急速に液状化、強度も粘りもなくなっているから、わずか17日の選挙期間中に事態が逆転するほどの変化が起こる。ここにIT社会特有の問題があると言えます。斎藤知事に投票した人はほとんど個人レベルで、そこには組織の力はあまり働かなかったようでもある。政党関係者で斎藤知事を応援した人もいるだろうが、それも個人的な支援ではなかったのでしょうか。
  もっとも今回は県議会全会一致の知事不信任という前提があり、前回斎藤知事を推薦した自民党は独自候補を見送り、他の野党候補は乱立気味という総すくみ、言い替えると「政党政治の空白」状況があった。しかしこれは特殊事情というより、今後の政治を占う兆候と捉えた方がいいように思います。一方でSNSの輪はどのようにして大きく広まったか。これは大いに検討すべき事柄ですね。

 A  立花氏は「自分には投票するな」と言っていたらしい。単なるカネ稼ぎの目立ちたがり屋ではないですか。10代〜30代の若者たちは、その人物の背景や政策、実績、本質などとは関係なく、「斎藤さんがかわいそう」、「イケメン」、「斎藤さんは東大卒」といった表面的な反応のようにも思えるけれど、これは老人の偏見かな。

B 斎藤元彦という人物は鉄面皮だと思っていたけれど、自分を攻撃する局長のプライバシーをも守ろうとしていたと考えれば、骨っぽい面もあるのかも。一方で、この不器用なキャラクターが事態を混乱させたとも言えますね。
 斎藤知事は19日、2期目の就任式にあたり、県職員を前に「謙虚な気持ちで丁寧に対話を尽くす」と強調したようですが、これでパレードをめぐる疑惑とか、パワハラ、おねだりなどの問題が一挙に雲散霧消するわけではないですね。
 第1と第2の物語のどちらが真実に近いのか。あるいは巫女(公用パソコンのデータ)の口を借りて死者が第3の物語を語り始めるのか。県民が評価した行政改革への取り組みも、それこそ前に進めなければ、県民を裏切ることにもなるでしょう。これからの斎藤知事、さらには県議会の対応があらためて注目されますね。

・トランプ大統領再選と石破内閣の発足

 B 兵庫県知事選問題を長々と続けてきたけれど、前回以来の世界および日本の出来事をふりかえると、第2次石破内閣の発足(11日)、米トランプ大統領復権(6日)という、より大きな出来事がありました。軽重逆さまながら、この問題に簡単にふれておきましょう。
 国内で言うと、11日に第2次石破内閣が発足しました。自公与党の衆院選惨敗にともな少数与党内閣です。立憲以外の野党は第1野党の野田佳彦・立憲民主党代表に投票せず、64票の無効票が出ての石破首相誕生です。しかし「与野党逆転」の証として、衆議院常任委員長は17のうち7つを、特別委員長は7つのうち4つを野党議員が占めました。30年ぶりに野党議員が務める予算委員長には、立憲民主党の安住淳氏が就任、ほとんどを自公が独占していたころに比べるとまさに様変わりです。ここに与野党逆転の成果が表れていると言えますね。少なくとも安倍1強体制の弊害は軽減するでしょう。また、そうなってもらいたいものです。
 しかし石破首相の組閣ぶりは政務官に今井絵理子、生稲晃子氏など、どう考えても資質に欠けると思われるタレント出身議員を起用するなど、まことにお粗末です。短命の石破内閣に変わって来夏にも「自民・立憲連立、財務省後援」の増税内閣成立が噂されるなど、参院選まで国内政治は不安定なまま進みそうです。

A れいわ9議席ではまだ委員長ポストには届かないですね。しかし、今回当選した新旧9議員は11日に国会前で元気な姿を見せていました。大いに活躍してほしいですね。今や野党にこそ知恵と政治力が求められるわけで、何もかもがよく考えもせずに決められてきた政治を変えるチャンスだと思います。

B 兵庫知事選で見られた選挙構造の変化は当然、国政にも反映されることになるでしょう。石丸伸二氏は来夏の都議選をめざして新たな地域政党を立ち上げる構想も明らかにしています。れいわが無党派層や若者の票を大幅に集めて、来夏の参院選でさらなる大躍進をしてくれることを期待しています。
 さて、アメリカのドナルド・トランプ次期大統領です。これも米大手メディア、それに寄りかかった日本のマスメディアではカマラ・ハリスの優勢、少なくとも互角という予想でしたが、蓋を開けてみるとトランプの圧勝でした。しかも共和党は上下院の議席数も制するトリプルレッド(大統領、上院、下院の3冠)を達成しました。来年アメリカおよび世界の政治情勢は激変するでしょうし、その余波は日本にもろにかぶってきますね。
 トランプ大統領の動きは素早いし、パワフルです。選挙戦に協力したロバート・ケネディ・ジュニア議員やIT起業家のイーロン・マスク氏を始め、若手の閣僚人事を次々に発表しています。とくに興味深いのは、「ワシントンの腐敗からわが国の民主主義を取り戻しDS(Deep State)を解体するための計画」を発表していることです。その内容は、①不正な官僚を解任する大統領の権限を回復する、②国家安全保障と情報機関にいる腐敗した役人を全員排除する、③わが国を分断してきた策略と権力の乱用を暴くために、真実和解委員会を開設し、DSによるスパイ行為、検閲、腐敗に関するすべての文書を機密解除し、公開する、などとちょっと驚く激しさです。
 DSについては本コラムでも折にふれて紹介してきましたが、トランプ次期大統領は世界の一部富裕層が絶大な影響力を持つ軍産複合体、医薬複合体、情報通信や金融複合体などの総称として、この言葉を盛んに使っています。DS勢力は当然、トランプ政権内にも根を張っていると思いますが、反ワクチン論者のロバート・ケネディ・ジュニアが厚生関係の要職に着くと、コロナワクチン問題にも大きな影響を与えるでしょう。
 いずれにしろ、こういう動きを見て感じるのは、アメリカという国は、いい意味でも悪い意味でも、メリハリがはっきしていることですね。そういう意味では、トランプその人が劇薬です。石破首相はやりたいこともはっきりしないし、人事はまさにヌエ的。トランプ攻勢に対等に渡り合えるとはとても思えないところが、なんともはや。対外的にも日本の前途は厳しいようですが、この件についてはまた取り上げることになるでしょう。

新サイバー閑話120<折々メール閑話>61

衆院選で自公過半数割れ、れいわは9議席獲得

B 10月27日開票の衆院選で自民党は裏金問題のあおりで旧安倍派を中心に大幅に議席を減らし、公明党とあわせても過半数に届かない惨敗となりました。第一野党の立憲民主党が大躍進、国民民主党は4倍増、れいわ新選組も3倍増の9議席を獲得しました。日本維新の会と共産党は議席を減らしました。
 れいわの9人は、大石あき子、くしぶち万里、たがや亮の現役3人のほかに、幹事長の高井たかしを始め、上村英明、佐原若子、さかぐち直人、やはた愛、山川ひとしが新議席を得ました。いずれもそれぞれ個性的な経歴の持主で、政治改革への意欲も旺盛だと見受けられます。れいわのウエブには9人勢揃いの写真が載っていますが、親の家業を漫然と引き継いでいるような世襲議員がいないのがさわやかです。

A 他党には見られない質の高さを感じますね。残念だったのは福岡の奥田ふみよ、北関東比例の長谷川うい子、東京比例の伊勢崎賢治などの落選ですが、勝手なことを言わせてもらえば、これらの人びとは来年の参院選の立派な候補ではないでしょうか。

B 神奈川2区の三好りょうも残念だったですね。彼は南関東比例でもあったので、地元候補を十分応援出来なかったのには力不足を感じました。

A 自公与党で過半数割れというのは15年ぶりとか。安倍政権以来続いていた自民一強体制が終焉を迎えたのは大きな変化ですね。もっとも与野党逆転と言っても、野党はバラバラ、大躍進した立憲民主党中心に政権交代が実現するような空気はまるでないですね。

B 最終的な党派別獲得議席数は表の通りです。左が新しい議席数、次が増減数、右が選挙前議席です。自民党が65議席も減らしたのはやはり「政治とカネ」、裏金問題に対する批判が強かったせいだと思います。裏金議員46人中当選したのが18人ですが、その中には萩生田、西村、世耕(離党して無所属で立候補)など旧安倍派の重鎮も含まれています。萩生田氏は統一教会疑惑の中心人物でもありますね。そういう点では世論の裏金批判も中途半端な印象です。
 今回の選挙の意味に関しては、さまざまに論評されていますが、ユーチュブ・デモクラシータイムスの「週ナカ生ニュース」で山田厚史氏が「安倍政治の終焉」だと言っていたのが正鵠を得ていると思います。彼は安倍政治を以下のように明快に総括していました。

 われわれは安倍的なるものを「アベノウイルス」と呼び、それが社会全体に蔓延していることを慨嘆してきたわけだけれど(「日本を蝕んでいた『アベノウイルス』」、『山本太郎が日本を救う』所収)、とくに「国会を無視して仲間内の解釈=閣議など=で法をまげる」、「人事で官僚を支配する」、「権力の私物化」などがいかに日本社会を腐敗させたかを考えると、今回の自民一強体制の崩壊は「アベノウイルス」の毒一掃に結びつけるチャンスだと思います。と言うより、ぜひそのようになってほしいものです。

A しかし立憲、国民、維新などが、そういう大局的な動きをするとは思えず、これからの自公に国民や維新がからむ合従連衡にはあまり興味がないですね。ただ自公がこれまでのように強引にことを運べなくなったのは大いにプラスだと思います。
 今回の選挙結果への感想を述べると、国民の7議席から24議席への4倍増にはちょっと驚きました。公明と維新は議席を減らしましたが、公明は石井啓一代表が落選したように、裏金議員を推薦するなど、自民べったり路線の代償だと思います。議員の高齢化も言われていますね。維新は議席数を落としているものの、大阪選挙区では19議席を独占しました。大阪万博や兵庫県知事をめぐる批判も不十分に終わった感じです。
 ところで、自民の裏金問題や石破政権の裏金議員への2000万円支給をスクープして自民退潮に少なからぬ〝貢献〟をした共産党が議席をむしろ減らしたのは、気の毒な気がします。こちらも高齢化や党名変更問題、体制改革などに問題があるんだと思います。
 それはそうと、開票日の山本代表は今まで見たことのないほどつらそうな表情でした。本人もはっきり「この選挙は辛かった」と言ってました。初めてですね、代表がこんなことを言うのは。一時は入院もしました。5年間走り続け、酒も止めていた訳ですから無理もないと思います。頬がげっそりこけ顔色も悪く、大いに心配しました。早い回復を祈っています。

B 投票率は53.85%と前回も下回り、戦後3番目の低さでした。つい3カ月前の東京都知事選では新人の石丸伸二候補に無党派層の支持が流れたことが大きな話題になりました。既存選挙制度の枠外に置かれた無所属若者層の票が戻ってきたようにも思えたのだが、衆院選では元の無関心に戻ってしまったのか。あるいは知事選特有の現象だったのか。
 あのときはこの無関心層の票がれいわ支持に向かってほしいと思ったのだけれど、どうでしょうね。テレビがやっていたある出口調査結果では、国民の支持者に若者が多かったらしい。古い政治地図の中で、あまりにひどい自民党政治への批判が高まり、自民敗北、野党躍進になったけれど、政治構造そのものはあまり変わっていないのかもしれません。

A 自民党はさっそく、萩生田、西村、世耕各氏など当選した6人を自民会派に取り組みました。石破自民党も裏金問題を真剣に考えていないということでしょうが、これで議席は197となります。まあ、大勢には影響ないですね。
 11日には国会で首班指名が行われます。自公による石破内閣が継続し、ケースにより維新、国民などと連携しつつ、参院選までだらだらとした政局が続くのではないでしょうか。国民はいずれ自民に近づいていく気がします。
 マイナカードのごり押し、インボイス制度、原発再稼働など、自公が過半数議席の上で推進してきたこの種の政策に変更が起こり得るのかどうか。立憲の野田体制を考えると、安全保障体制、消費増税といった基本政策に変化が起こるとも思えないですね。

B そこにれいわがどうか関わっていけるか。山本太郎代表は28日、国会内の会見で9議席獲得したことに手応えを感じつつも、節目の2ケタに到達しなかったことを悔やんでいました。衆参どちらかで2ケタに到達しないと、政党としての存在感がいま一つのようです。これまでの3議席に比べれば3倍増ですから、いろいろ工夫して戦ってくれると思いますが‣‣‣。

・明治製菓ファルマが原口議員を提訴の報道

A ところで29日の地元紙に気になる記事(共同通信ネタ?)が出ていました。前回紹介した『プランデミック戦争』の著者、立憲民主党の原口一博議員(当選)を明治製菓ファルマが提訴する方針だというニュースです。
 報道によると、「同社は原口氏を損害賠償などで近く東京地裁に提訴すると明らかにした」、「『国と取り組んできた公衆衛生向上への取り組みが攻撃された』として警告文を送ったが、改善が見られず提訴に踏み切る」ということでした。

B 実際にはまだ提訴していないようですね。原口議員は選挙期間中の「当て逃げ」報道だと言っていましたが、これについては、さっそくれいわの大石あき子議員がツイッターで、「レプリコンワクチン製薬会社が批判者を訴えるのは許されない」、「原口議員の考えがどうかは関係なく、これはワクチンを不安に思う全ての国民への脅し」と発言しました。
 ここでも興味深いのは、マスメディアには明治製菓ファルマの提訴方針に関する記事はありますが、われわれが前回、紹介したようなコロナワクチン行政に関する全体的な構図を解説したような記事が皆無に近いことです。こういう一方的な記事が垂れ流されることは世論を一定方向に誘導する危険があります。

A あの記事を読んだ時は、自社のワクチン開発に強い危惧を投げかけた『私たちは売りたくない』の著者、チームKの人びとはいま社内でどういう状況に置かれているのかということでした。なぜ報道機関はそういう問題に切り込むドキュメントを書こうとしないのでしょうね。

B 前川喜平さんと田中優子さんが共同代表をつとめる「テレビ輝け!市民ネットワーク」という団体が、テレビ報道の公正中立を求めて、6月27日のテレビ朝日ホールディングスの株主総会で、「政権の見解を報道する場合にはできるだけ多くの角度から論点を明らかにする」などの内容を定款に追加する」といった放送法の趣旨にのっとった株主提案をしました。結果的に否認されましたが、この件で田中さんが「アークタイムズ(Arc Times)」というネットメディアで事情説明をした内容に関して、テレビ朝日放送番組審議会委員長の見城徹氏と同氏経営の出版社、幻冬舎がアークタイムズの尾形聡彦代表や田中優子氏らを名誉棄損で2000万円の損害賠償訴訟を起こしています。その第1回口頭弁論が9月26日に行われ、その後に尾形、田中両人などが記者会見をして、カンパなどの訴訟支援を訴えました(写真)。
 尾形代表らは、これを「スラップ訴訟だ」として、徹底的に闘うと言っています。スラップ訴訟というのはSLAP(strategic lawsuit against public participation、市民参加を妨害するための戦略的訴訟)、言ってみれば、富裕な個人や大企業などが学者やジャーナリスト、市民組織に対して批判や反対運動を封じ込めるために起こす威圧的訴訟のことで、ウエブに「わかりやすく言うと、 嫌がらせ等の目的で法律上認められないことが明らかな訴訟を提起すること」という、たいへんわかりやすい説明がありました。
 れいわから先の参院選に立候補して当選(後に辞退)した水道橋博士が自分に対して起こされた「スラップ訴訟に対決したい」と述べたとき、この言葉が脚光を浴びましたが、訴訟を起こされた側は裁判をするために膨大な時間や資金が必要になります。訴訟を起こすと言って大々的に報道させ、実際は訴訟しないという場合もあるようです。

A テレビ朝日という大手メディアの幹部が弱小メディア、アークタイムズの報道内容を訴えるというめずらしい訴訟で、ともに「報道機関」ですから、「言論の自由」、「報道の自由」が争点にならざるを得ない。たいへん興味深いですね。

B こういう世情を見ると、いまさらではあり、また大いに陳腐でもあるが、「古き良き時代」という言葉が浮かびますね。かつては「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とか「ノブリスオブリージュ(高い社会的地位には義務が伴う)」など、学問や実業で大成した人や庶民の上に立つ政治家などは謙虚であるべきであり、富裕層や支配層は社会(世界)全体の平和や繁栄に責任をもつべきだ考えられていました。近代民主主義はそれらの理念を制度的に保障しようとしてきたと言えるけれど、「啓蒙」という言葉がダサいと思われるなど、いまはすっかり様変わりしました。
 弱肉強食的な風潮は世界共通でもあり、アメリカでは一握りの富裕層は自分だけが安全な場所に住めればいいと、大海原の孤島や宇宙の片隅に独自のコミュニティ用シェルターをつくり、外から攻撃されないようにガードマンを雇ったりしているようですし、「国際経済フォーラム(ダボス会議)」など超支配者グループの周辺からは「世界人口は多くなりすぎたから削減すべきだ」という声も公然と語られています。一方でコロナmRNAワクチンの危険性に関して、そういう大きな枠組みを踏まえて警告したり反対したりする勢力も少なからず存在します。
 『プランデミック戦争』ではないけれど、まさに世界は「戦争」状態にあるとも言えますが、日本の支配層はそういう大きな構図に気づいているんでしょうか。明治製菓ファルマの訴訟目的にある「国と取り組んできた公衆衛生向上への取り組みが攻撃された」という記事の文言は、実際にどうだったかはわかりませんが、その背景に「国の政策は正しい」、「我々は国策に沿っているのだから、それに反対するのは許せない」という考えがあり、それ自体が世界の潮流から遅れていると感じさせます。社員に見えていることが経営者には見えていない。
 これもまた自公政治の大きな問題点ではないでしょうか。私たち自身、世界の潮流に無知であってはいけないわけですが、大きな視野をもった政治家がいよいよ重要になっている今だからこそ、れいわへの期待も高まるわけですね。

新サイバー閑話(119)<折々メール閑話>60

日本の現状をよく考えて行動する秋!

 A 10月27日の衆院選投票日が迫ってきましたが、新聞社などの当落予想は「自民惨敗、立憲躍進」という大勢で、場合によっては自公で過半数割れもあるとか。さすがに自民政治への批判が高まっているようです。まさに「混沌の先に激変の兆し」ですねえ。
 その中でれいわ新選組の躍進が語られ、とくに「れいわは最大15議席獲得もあり得る」という、我々にとってはまことに喜ばしい報道(朝日新聞)もありました。選挙戦当初、山本太郎代表は「少なくとも現3議席の倍以上」と控えめに語っていましたが、本来予定していた衆参両院で20議席獲得の夢も実現しそうな趨勢です。

B 野党共闘がほとんど機能していない中で立憲が票を伸ばしそうなのは、歓迎しないわけではないが、それで現政治の何が変わるかと考えると、あまり期待できません。その中でれいわや国民民主党が伸びそうだというのは、自公や立憲という「大政翼賛」的な政治への不満の表れだとも言えますね。

A 安冨歩さんが一月万冊で「自民党は組織的犯罪を犯しているのではなくて、犯罪者集団だ」と痛快なコメントをしていました。
 ところで、選挙戦最中の23日に新聞「あかはた」が大スクープを放ちました。なんと石破新体制は「裏金議員10余人を非公認にすると同時に裏金議員の比例区重複立候補をさせない」と、裏金議員に厳しい措置を取ると公言しつつ、裏で非公認議員の所属する党支部に2000万円を振り込んでいたんですね。公認候補の支部には公認料500万円+活動費1500万円で計2000万円が支払われ、実際には非公認候補の支部にも「党勢拡大の活動費」2000万円が振り込まれていた。「統一教会とは組織的な関係はまったくない」としらを切ってきた岸田政権とまったく同じ「まっ赤な嘘」が明るみになったわけで、これがすでに劣勢の自民にとってさらなる追い打ちになるんじゃないでしょうか。

B 「嘘つき自民党」の本質が暴露されたわけだけれど、石破という人間のダメさ加減もはっきりしました。野にあるときはそれなりに筋を通していたけれど、組織の長になると、党内事情に流されて自己の主張を通せないというのか、自分が統治する組織の大勢に流されてしまう。最悪の状態だと思います。あれよあれよと太平洋戦争に突入していった近衛文麿によく似ている気がします。森山幹事長に押し切られたのかもしれないが、ダメですねえ、この人は。
 衣の下から鎧がのぞくと言うか。石破首相は「政党支部に出した政党活動費で、選挙には使わない」などと取り繕っていますが、騙せるものは騙そうという自民党の体質は安倍政権時代と変わらないですね。野党はここぞとばかりに「裏公認だ」(野田立憲代表)、「ステルス公認だ」(玉木国民民主党代表)などと攻撃を強めています。

A 自公政治のいい加減さにうんざりする声が、れいわへの支持拡大につながっているのでは。実は先日、「れいわのポスターを分けてください」と訪ねて来られた方がいました。もちろんお分けしたのですが、市内でギフトショップを経営している80歳の方で、後に改めてご自宅にお伺いしたとき、「自民党政権は貧困層を意図的に作り出しているのだから、国民目線になるはずがない」とおっしゃっていました。こういう人がれいわを支持してくれているのはたいへん心強いです。

・製薬メーカー社員の慟哭の書、『私たちは売りたくない』

B 自民党を中心とする「嘘の政治」に関して、この機会にちょっと言っておきたいことがあります。10月に緊急出版された、コロナワクチンに関する2冊の本を読んで、コロナワクチンをめぐる深刻な現状をあらためて痛感しました。
 チームK『私たちは売りたくない! 〝危ないワクチン〟販売を命じられた製薬会社現役社員の慟哭』(方丈社)と 、原口一博『プランデミック戦争 作られたパンデミック』(青林堂)です。
 前者は10月から日本で接種が始まった新手のレプリコンワクチン製造元、Meiji Seikaファルマの社員が「私たちはこの危険なワクチンを売りたくない」と訴えている、まさに「慟哭」の書です。後者はコロナワクチンが原因で悪性リンパ腫にかかった衆院議員(立憲民主党)が、国および世界の「つくられたパンデミック」という大きな〝犯罪的〟構図に異を唱えた「告発」の書です。
 コロナワクチンをめぐる問題は、衆院選の争点として大きく触れられていないけれど、ここには現代の日本人および世界の人びとの命が脅かされている大問題が横たわっています。投票日が目前に迫るなか、現在の政局を見渡した場合、こういう大きな構図を射程にとらえられる政党はどこなのか、よくよく考えて一票を投じてほしいと、あらためて思います。

A 前にも言ったと思うけれど、僕はコロナワクチンは最初から打っていません。頓着していなかっただけでもあるが、金持ちがアメリカまでワクチンを打ちに行くとか、関係者優先で接種が行われたとかいう馬鹿騒ぎに腹が立ったのも一因です。だけど、今ではコロナよりもワクチンの方が危険だという声が高まっているようですね。そういう危険なワクチンを国はなぜ打たせようとするのか。それは「脅しによる金儲けじゃないか」と感じていました。

B 『私たちは売りたくない』の方から紹介すると、Meiji Seikaファルマはワクチン製造では名のある会社です。だからワクチンそのものが問題というのではもちろんなく、ポリオ(小児麻痺)などワクチンで〝根絶〟された病気もあります。焦点は今回のコロナ禍で急遽開発され、多くの日本人もすでに何度も接種している米ファイザーやモデルナなどのmRNAワクチンです。
 このワクチンは、①開発期間がほぼ1年と従来のワクチン開発に比べてきわめて短い治験期間しか取っておらず、長期的な影響などが検証されていない、②従来のワクチンの抗原は工場で作られ、それを無毒化して体内に注入、そのことで抗体をつくって疾病を予防する仕組みだが、mRNAワクチンは遺伝子情報を体内に送り込み、抗原を被接種者の体内で作らせる方式で、従来ワクチンに対して副作用がひどく、ワクチン接種による死亡事例もすでに700件以上報告されている(予防接種健康被害救済制度認定者数の死亡者は2024年8月現在で773人)、などの理由で安全性に強い疑義が投げかけられています。
 その中で今度、Meiji Seikaファルマが世界に先駆けて製品化し、すでに高齢者を対象に接種が始まっているレプリコンワクチンは、遺伝子情報そのものを体内で増幅させることで効率化しようとする「自己増殖型」ワクチンで、それ故に一層危険だという声も強いわけです。
 Meiji Seikaファルマの若い社員がこのmRNAワクチン接種が原因で急死、その死をきっかけに心ある仲間がワクチン研究チームをつくり、さままざまデータを集めた結果、mRNAワクチンやレプリコンワクチンを「私たちは売りたくない」という結論に達したのだと言います。彼らの主張は、<私たちは、「安全だ」と胸を張れないワクチンは、『売りたくない!』のです>というのに尽きます。「社員として生きるか、人として生きるか」と自らに問いかけ、自社が世界に先駆けて製造販売するレプリコンワクチンの危険性を敢えて世に問うたわけです。ただの「会社人間」には、なかなかできないことだと思います。

A まさに義挙そのもの。日本にもこういう方たちがいるという事実には、大いに勇気づけられます。

B 小さな出版社から刊行され、初版1万部だったとか。これがあっという間に売り切れ、さらに3万部増刷したがそれも売り切れという状況らしい。大手出版社なら一気に何十万部も刷り、ベストセラーになってもおかしくないと思いますが、大手出版社から出版できない事情があったのだと推察されます。
 ユーチューブなどSNSでは「驚愕の書」としてかなり紹介されていますが、検索履歴で見る限り、大手新聞や雑誌による紹介や書評はありません。ここにこそ現代の危うい側面が表れていますね。
 朝日や毎日など大手メディアのレプリコンワクチン接種の記事には、これが「世界初」だという説明はあっても、危険性についての記述はほとんどなく、厚労省発表を鵜呑みにした「発表記事」になっています。
 次に厚労省の姿勢が大いに問題です。ワクチン接種促進をはかるために、「製薬会社がやればすぐ業務停止命令を受けるようなデータの提示の仕方をして、コロナにかかったときのリスクを過度に少なく示した」と告発しています。それを率先して行ったのが河野太郎ワクチン推進大臣で、自身のブログで「【長期的な安全性はわからない】という主張はデマだ」と書いたりしていたようです。常識外れのワクチン行政ですが、例によって、それに加担した学者の信じがたい発言もありました。「ワクチンを打たないと死者が圧倒的に増える」というデータを発表した人もいたわけです。

A 河野太郎元大臣が選挙演説中に聴衆から厳しい批判を受けて立ち往生したというのも、むべなるかなと思いますね。今や日本は支配者階級と被支配者階級に二分されていると、前川喜平さんがユーチューブで述べていましたが、その通りだと思います。

B ユーチューブはユーチューブで問題があるらしい。ワクチン問題を取り上げた動画にはワクチン、レプリコンなどの表記をあえて伏字にしたものがあり、これはAIによる検閲を避けるためだと見られます。この問題は後に取り上げる『プランデミック戦争』でも原口議員の体験として頻繁に言及されていますが、大手メディアの自主規制ばかりでなく、SNSもまた検閲されている。SNS上の偽情報を取り締まるという大義名分で設立された機関が、政治的な検閲で威力を発揮しているわけで、これはサイバーリテラシー的にも由々しき事態です。このテーマについては後にふれる機会があるでしょう。

A 僕もツイッターでメッセージを削除された経験がありますね。

B 読者にはMeiji Seikaファルマの社員の思いをくみ取ってほしいと思います。自分たちの健康を守るためですからね。
 本書は、現代日本人必読の書と言ってもいい。奇をてらったり、ことさら言上げしようとしたりしてはいない。専門家らしく従来のワクチンとmRNAワクチンの違い、それがなぜ危険なのか、丁寧な叙述がかえって胸を打ちます。従来型製法で安全とされる現在のインフルエンザワクチンも今後、mRNAワクチンに切り替えられそうだという記述には驚きました。まったく怖い話が、私たちの知らない間に進んでいるわけですね。
 おそらくは愛社精神の強い著者たちは、以下のように会社の将来を心配しています。

・レプリコンワクチン接種で被害を受けた接種者から、多数の訴訟を提起されるリスク
・危険性を認識していながら、歴史的大薬害を推し進めた企業として名を連ねるリスク
・医師をはじめとする医療従事者からの信用を失墜するリスク
・社員のエンゲージメントが著しく低下するリスク
・不買運動の拡大など、明治グループ全体のブランド価値の低下、株価下落など、ステークホルダーに対して大きな不利益をもたらすリスク

 なぜMeiji Seikaファルマが世界に先駆けてレプリコンワクチンを製品化したかの背景についても説明があります。そこには、コロナ禍での巨大なビジネスチャンスを逸した日本の製薬メーカー、および政府の焦りがあり、世界に先駆けた新手のレプリコンワクチン開発で一気に〝汚名を返上したい〟という野望があると言います。疾病者に打つふつうの注射とは違い、ワクチンは健康な人、言ってみれば国民全員が対象であり、だからこそ巨大な利潤を生む。ファイザーやモデルナなどの米製薬メーカーはコロナ禍で一気に業績を上げ、世界のトップに躍り出たわけです。「彼らはワクチンを売るために、コロナの新株をつくっている」と告発する人もいるようです。
 詳しくは本書をぜひ読んでください。医者でさえワクチンについてはあまり知らないのが現実らしいが、健康、命に大きくかかわる事柄が、私たちの知らないうちに進んでいる現状は、それこそ危険だと言えますね。「政治の嘘」より怖い「政治の闇」です。 
 日本人はことさらワクチン接種に熱心だったらしく、「国民の8割の方が2回接種をし、3回接種を受けられた方も6割以上、なかには7回接種されたという方もいます」とか。実は僕も4回打っています。
 コロナワクチン問題については、主宰するOnline塾DOORSで「情報通信講釈師」唐澤豊さんに4度話を聞いています。その記録を再読してみると、時々の的確な指摘にあらためて感心します。こちらもぜひご覧いただければと思います。
www.cyber-literacy.com/cll/category/zoomsalon/senior_report

A チームKに何人いるか知りませんが、真のサムライだと思いますね。これぞ国士と言ってもいい。

・コロナ・パンデミックは『プランデミック戦争』

B 『プランデミック戦争』については簡単にふれます。「プランデミック」というのは著者の造語らしく、「計画されたパンデミック」という意味です。「プラン」で「パンデミック」ということですね。原口議員自体、コロナワクチン接種が原因で悪性リンパ腫にかかったといい、それが彼にコロナワクチン問題に取り組ませることにもなったようです。
 ここで語られているのは、パンデミックそのものが国連機関であるWHO(世界保健機構)やその背後に存在する巨大なグローバル権力によって引き起こされた、飽くなき利潤を求める戦争だということです。著者は「グローバリズムこそが人類の敵、人間の恐怖につけ込んだ全体主義」であり、「軍産複合体、医薬複合体、あるいは情報通信や金融複合体、WHOに関連する組織、ビッグファーマなど」をその主体として糾弾しています。これも一読をお薦めします。
 いまやWHOを動かしているのは米バイデン政権と日本だと言われているようですが(トランプ前大統領はWHO脱退を通告したが、バイデン政権で復帰)、問題はそのこと自体が日本人にほとんど知らされていないことです。彼の次の言葉は、なかなか興味深いですね。
<軍産複合体やビッグファーマ、またはアメリカの圧力から抜け出せない面々。あるいは日本弱体化装置である消費税を肯定する人々、そしてワクチンという人工物から逃れられない人々がいかに与野党で多いか。この問題について、解決しようと思っていない人たちを再編して政権交代だといっても、まるで意味がないことです>。