東山「禅密気功な日々」(25)

細胞と和気あいあい

 だいぶ前だが、『奇跡の脳』(ジル・ボルト・テイラー著、竹内薫訳、新潮社、2009)という本が話題になった。脳卒中で左脳の活動が止まってしまった脳科学者が、左脳の回復までの過程で、むしろ右脳のすばらしい機能に目覚めていく体験を記したものである。8年の苦闘の末に咲いた幸せの記録でもある。

 左脳が壊れた彼女は、自分がこれまでとは違う穏やかな性格に変わったことに気づき、それをすごく魅力的だと思う。そして、左脳が回復する過程で右脳の素晴らしさがまた失われていくのを恐れた。彼女は、脳卒中という不慮の事故を通して、理知的で冷たい左脳とは違う、感情的で穏やかな右脳の働きを自ら体験、そのうえで脳科学者らしく、両者をバランスよくコントロール技術を身につけたわけである。

「脳卒中を体験する前のわたしは、左脳の細胞が右脳の細胞を支配していました。左脳が司る判断や分析といった特性が、私の人格を支配していたのです」、「脳卒中によってひらめいたこと。それは、右脳の意識の中核には、心の奥深くにある、静かで豊かな感覚と直接結びつく性質が存在しているんだ、という思い。右脳は世界に対して、平和、愛、喜び、そして同情をけなげに表現し続けているのです」、「回復するまでのわたしの目標は、二つの大脳半球が持っている機能の健全なバランスを見つけることだけでなく、ある瞬間において、どちらの性格に主導権を握らせるべきか、コントロールすることでした」。

 ここには左脳的な人間が、左脳的に考えながら、右脳の働きを取り入れて人生を豊かにしていこうという、いかにも西欧人的な対処法が示されているが、著者が気づいたことは、ひとことでいえば、瞑想のすばらしさだろう。「瞑想の発見」だったと言ってもいい。

 彼女は書いている。「左脳マインドを失った経験から、深い内なる安らぎは、右脳にある神経学上の回路から生じるものだと心の底から信じるようになりました。この回路はいつでも機能しており、いつでもつなげることができます。安らぎの感覚は、現在の瞬間におきる何かです。……。内なる安らぎを体験するための第一歩は、まさに『いま、ここに』いる、という気になること」、「私の意識は、自分自身を個体として感じることをやめ、流体として認知する(宇宙とひとつになったと感じる)ようになったのです」。

 瞑想の極意とは、まさに「宇宙と一つになる」感覚だろう。「いま、ここにいる」感覚は、朱剛先生が教室でよく言う「気持ちのいい感覚に意識を集中する」を思わせる。

 後半で彼女は、自分の「新しい」人生について、「脳の細胞との会話に多くの時間を費やすのに加えて、わたしはからだをつくっている50兆もの細胞という天才たちと、和気藹々とした関係を結んでいます。細胞たちが元気で完全に調和しながら働いていることに、感謝しています」とも書いている。

 この「細胞と和気あいあい」という表現がまた興味深い。これこそ蠕動の極意でもある。全身を動かす時、頭、肩、背、腕、胸、腹、股間、脚と意念を動かしながら、それぞれの細胞と和気あいあいの関係を維持する。以前書いた「気を動かす=細胞を共鳴させる」というのも同じである。

 

東山「禅密気功な日々」(24)

辛いほど頑張る必要はない

 人体の筋肉を大きさ順に並べると、だいたい以下のようになる。説によって、一部順位の入れ替わりがあるようだが、だいたいこんなところだと考えていい。

大腿四頭筋 
大臀筋
三角筋
ハムストリングス
大胸筋
上腕三頭筋
腓腹筋
広背筋
僧帽筋
上腕二頭筋

 上位に大腿四頭筋とハムストリングス(ももの前後)および大殿筋(尻)が並んでいるように、下半身に全身の7割の筋肉がある。上半身で大きいのは左右の肩にある三角筋、ついで大胸筋である。背中の広背筋と首筋にあたる僧帽筋は意外に小さい。上腕の三頭筋(陽面)と二頭筋(陰面)もトップ10に入っている。

 鍛えやすく、また大きくなりやすいのは大胸筋、三角筋、上腕二頭筋、大腿四頭筋、大殿筋と言われるが、高齢トレーニングでは筋肉の増強自体を目指す必要はあまりない(二次的にはともかく)。老化は足からとも言われるが、高齢者にとっては、下半身を鍛えることがとくに大事である。気功でも下半身に気血をめぐらせることはできるが、自分の体重を負荷とするウオーキングは格好の運動である。私は毎朝、蠕動のあとステイショナリーバイクに乗っている。

 一方で日常作業を円滑に行うために鍛えておかないと具合が悪い筋肉がある。手首と足首はその筆頭である。ちょっと重いもの、ポットなどを持った拍子に手首をひねったり、くじいたりする。また石に躓いたわけでも、段差のある場所でもないのに、足首を捻挫することがある。健康寿命を維持するための手首、足首の筋トレはけっこう大事である。

・トレーニングの敵は風邪とけが

 高齢トレーニングは持続することが命である。翌日体の節々が痛くなるまでやるのは、その日は充実感を得られるかもしれないが、痛みが長引いて長続きしない結果にもなる。

 持続を妨げるのは風邪とけがである。風邪は寝込むというほどでなくても、あらゆる事柄への意欲をそぐのがいけない。せっかくトレーニングを始めたのに風邪をきっかけでやめてしまう例はよくある。

 寒い時は厚着し、外出を控えるなどして予防する。やっかいなのは夏の列車、オフィス、レストランなどの冷房である。日本の冷房は効きすぎていると思うが、あるいは若者向け仕様のためかもしれない。いくら屋外が暑くても、室内用の上着を忘れないようにする。

 過度に負荷をかけたり、不自然に体を動かしたりすると、すぐけがをする。インストラクターの知人がこんなことを言っていた。「傷をつけることで筋肉は大きくなるが、キズとケガは違う。ケガをしない心がけが大事である」。高齢者にとってけがはまさに大敵である。いったんけがをすると、治るのに時間がかかるから、これも、それっきりトレーニングをやめることになりがちである。運動前後のストレッチは不可欠である。

 軽い負荷で丁寧に、鍛えたい筋肉を動かしていれば、しだいに力がついてくる。そうすると、最初のころの辛さが楽しみに変わる。菩提寺でもらった小冊子の表紙に「苦しみがなくなるのではない。苦しみでなくなるのだよ」と書いてあったが、これは高齢トレーニングにも応用できる。

 映画女優のオードリー・ヘップバーンは「人には誰にも愛する力がある。しかし筋肉と同じように、使わないと衰える」と言ったらしい。愛は高齢者にとっても魅力的だが、ここは愛よりも筋肉を鍛えることを優先しないといけない。

東山「禅密気功な日々」(23)

マイナスからの出発

 以後しばらく、高齢者の筋肉トレーニングと禅密気功(とくに蠕動)について書くことにする。

 高齢になると、使っていない筋肉は確実に衰える。滓がたまっていくからである。軽い負荷でいいから、すべての筋肉をこまめに動かしてやる。精神を集中し丁寧に、ゆっくり、意念を細胞の一つひとつに行きわたらせる。これが高齢トレーニングの要諦である。歳をとればとるほど、実は筋肉トレーニングが大事になる。毎日、食べたり、寝たり、呼吸したりするのと同じように、トレーニングすることを心がけるのがいい。

 若いときに快適に動いていた体が凝り固まったところから始めるのだから、高齢トレーニングはマイナスからのスタートである。位置としてマイナスであるばかりか、ベクトルとしてもマイナスである。1日使わない筋肉は1日分衰える。逆に鍛えれば必ずプラスに反応する。1日トレーニングをして現状を維持できれば、1日の終わりに1日若返ったと考えてもいい。これを10年続ければ、10年若返る理屈である。肉体が日々衰えていくのに抗してトレーニングし、トレーニングによる効果が1日分の老化を上回れば、それは名実ともに若返りとなる。「健康を守り、老化を防ぎ、若返りもめざす」とはそういう意味である。

 使わない筋肉は衰える。逆に、鍛えれば必ず強くなる、というのは多くの専門家が指摘しているが、私の実感としてもそうである。筋肉のピークは25歳頃で、あとはどんどん衰える。だから、平均寿命の80歳まで生きるとして、後の55年間をただ衰えるにまかせているのは、どう考えても得策ではない。前にも書いたが、それは「迂闊」というものである。

・筋トレと禅密気功は健康維持の両輪

 大事なのは凝り(筋肉の滓)ほぐしである。滓がほぐれて邪気を発生するとも、滓が邪気になって体外に排出されるとも言えるが、その滓および邪気こそが「老いの素」である。それが高齢者の頭、首、肩、背、胸、腹、股間、下半身などあらゆるところに蓄積している。肩の凝り、膝の炎症、腹の贅肉、精力減退、顔の渋、いずれも原因は一つだと言ってもいい。

 筋肉トレーニングについて言えば、若いころと歳をとってからではやり方を変えなくてはいけない。若いころは激しい運動をすることでそれらの〝毒素〟を除去できるが、歳をとるともはや無理である。激しい運動ができないこともあるが、まず蠕動で滓をほぐしてからではないと、筋肉を鍛えられない。東洋医学(針灸)の虚実補寫(病邪の実を拭ったあとで正気の虚を補う)はそのことを言っている。

 若い時は意念が不足しても鍛えられるが、歳をとると、意念をともなわない運動はほとんど効果がない。逆に意念を強くすれば、歳をとっても、たくましい、そして弾力性のある筋肉をつくることができる。筋肉トレーニングと禅密気功(とくに蠕動)は、高齢者が健康を維持するための不可欠な両輪だというのが、私の高齢トレーニングに対する基本的な考えである。

東山「禅密気功な日々」(22) 動功編⑤

吐納気法と慧功<動功もまた瞑想の一部である>

 気功には築基功、陰陽合気法(天地部)のほかに、双雲功、吐納気法、慧功、洗心法、陰陽合気法(人部)、灌頂法、三密相応、霊至法、双至法などいろんな功法があります。中には密教系の加持祈祷のように印を結んだり、呪文を唱えたりするものもありますね。

――気功は古い歴史を持っていますが、禅密気功そのものは劉漢文先生が1980年代に、それまで家門秘伝とされてきた功法体系を公開したものです。密教系の歴史が長かったので、その文化も受けついでいます。本部道場でもそういう功法を教えています。

 すべての功法をマスターされた地点から見ると、築基功はどう位置づけられますか。

――築基功を広げていろんな功法に至るわけで、「築基功から始まって築基功に終わる」と言ってもいいでしょうね。

 太極拳と気功の違いはどういうところにありますか。

――太極拳は武術である拳法の一つです。太極拳でも気ということは言いますが、それは「気力」の気ですね。瞬発力と言ってもいい。気をゆっくり流していたんでは、試合に負けてしまいますから(^o^)。でもいま中国では太極拳(拳法)の試合はありません。型としての太極拳、健康法としての太極拳は、動きがだんだん柔らかくなってきています。もともと太極拳には気を流すという考えはなかったけれど、いまではだいぶ気功の動功に近づいてきたとも言えますね。

 今回は、上級気功士の資格を得るのに必須とされている吐納気法慧功についてのみ、その概略をお聞きします。

――吐納気法は、呼吸に合わせて外界自然の気を取り入れ、体内に流すことにより、内気と外気の自在な交流を日指す功法です。呼吸に合わせて意念を強くし、同時に気を強くします。

 外気との交流という点で、陰陽合気法との違いは何ですか。

――いい質問です(^o^)。陰陽合気法は温かいとか冷たいと感じることで気を取り入れますが、吐納気法はもっぱら呼吸にあわせて外気との交流をめざします。鼻を通して外の空気を吸い、あるいは体内の気を外に吐きます。

 なるほど違うんですね。

――大事なのは鼻、呼吸です。

 吐納気法を練習するためにも、築基功の修得は必要ですね。

――吐納気法には、気を吸うことに重きを置いた一字勢陰陽勢渾円勢などの納気法と、気を吸って吐くことを重視した排山勢立天勢などの吐気法の2通りがあります。

 樹木に向かって立ち、両手を前に伸ばし、息を吸いながら樹木の気を引っ張り、これを陰面を通して下に流したり、意念を手のひら(労宮)と足の裏(湧泉)に置き、その間で気を往復させたり、下から陽面を通して気を吸い上げ、それを労宮と中指から出したりします。
 吐納気法は武術からきて、だんだん柔らかくなった、他人を倒すのではなく、自分の体を動かす方法になってきました。

 集中コースを何度も履修しないとマスターできないですね。

――動作がたくさんあるから、覚えるまではたしかに練習が必要です。集中コースに年2回、20年以上参加している人もいますよ。

 慧功はどういうものですか。

――慧功は深い瞑想とともに、体内の気と天地宇宙の気を交流させ、調和させて心身を柔らかくし、人間が本来持っている潜在能力を啓発し、智慧を開発する功法です。慧功を練習すれば、心の奥深くから湧き出る悦びが表に表れ、精神は広く豊かになり、智慧は一層深くなります。気は体内を自在にめぐり、宇宙と連なり、宇宙の気、そして光と一体になり、自らも光となり、空になり、「空有合一」「天人合一」の境地が得られます。
 慧功を練習することにより、精神を癒し、ストレスを解消することができます。

 慧功は禅密気功の代表的功法だと聞いたことがありますが、どうでしょうか。

――一時はたしかにそう言われました。築基功、陰陽合気法、吐納気法をあわせたような練習をしますが、動きはもっと柔らかくなり、より深く瞑想します。ここまで履修すれば、禅密気功の山の5合目くらいまで来たという感じです(^o^)。

 「深い瞑想とともに、体内の気と天地宇宙の気を交流させ、調和させて心身を柔らかくし、人間が本来持っている潜在能力を啓発し、智慧を開発する功法」というのは、そういうことですね。いよいよ動功が瞑想に近づいてきた印象ですね。

・瞑想はより深く、動作はより柔らかく

――瞑想はより深く、動作はより柔らかくなります。瞑想(静功)は動いてはいけない、動功は動功というふうに分けて考えられているところがありますが、瞑想と動功は同時にも行なえます。禅密気功では瞑想の中に静功と動功があると考えているんですね。慧功はその辺をうまく合わせていると言えます。

 慧功では緩密処と展彗中の練習もしますね。

――全身の緊張を解きほぐし、心身を解き放つことが慧功の基礎で、その第一歩が「松展放収」の練習です。全身の緊張を緩めることにより、気持ちが落ち着き、呼吸が整い、気と息が調和します。
 まず密処を緩めます。密処の緊張が緩むと、それが逐次全身に波及し、血管の流れ、そして気と息の運行が円滑になります。密処を真にリラックスすることにより、全身は緩み柔らかくなり、心は調和され、心の奥底から自然に嬉しさがこみ上げてきます。
 ついで慧中を開きます(「展在慧中」)。慧中が開けてはじめて、自然と「微笑み(歓び)は心の底からとめどなく湧き上がる」という状態になれます。慧中が真に開けば、心身は改善され、悟りが開け、智慧が湧いてきます。

 なるほど。悟りですか。

――「悟り」というのは、人生に対する考えが変わるというか、人生がいい方に変わって見えることです。気持ちが落ち着いてきます。「知恵が湧いてくる」というのはこだわりや悩みがなくなり、視野が広くなることです。

 密処は「鉄の門」と言われるくらい固く、たしかに緩めるのがむつかしいですね。

――密処がほぐれるのには2つのポイントがあります。1つは尿が出そうで出ないような感覚、もう1つはあまり言わないですけれど、性欲の感じが出てきます。

 密処はいったんほぐれるとその状態がずっと維持されるのではなく、いつのまにかもとに戻ったりしますね。しかも密処が緊張していることを気づかせないのがやっかいです。密処はほぐしにくい、ほぐれてもすぐ元に戻る、密処は緊張していることを気づかせない、を私は「密処3原則」と呼んでいます(^o^)。

――人間、いい状態も悪い状態もいろいろありますからね。

 日により体調が変わる、と言うより、刻々と体調が変わることを、歳をとるにつれて敏感に感じるようになりました。だからこそいい状態をなるべく長く保つように心がけたいと思っています。漢方などは日によって、あるいはそのときの体調によって処方を変えると言いますものね。
 緩密処よりも展彗中の方が難しいように思います。慧中が開いて無限の宇宙が見えたかな、と思うこともありますが、慧中模様は曇天、頭に厚い雲が覆っているときもあります。

――ほほ笑むような感じが大事です。顔をやわらかくして、眉間を開きます。たまっていた意識が無限の空に向かって開いていくような感じですね、

 お話を聞いてあらためて思うのは、だからこそ毎日、築基功をやるのがいいのだと。私自身の体験からもみなさんにお勧めしたいと思います。

築基功教本(劉漢文編著、朱剛監修)

◇ 

 これで動功編を終わります。しばらく間をおいて、静功編をお届けする予定です。動功もまた瞑想だということはお分かりになったと思いますが、静功こそが瞑想の本丸、禅密気功の神髄ということにもなります。コメント欄や私へのメールで、ご感想や今後、先生に聞いてほしいことなどをご連絡いただければ幸甚です。

 

 

東山「禅密気功な日々」(21) 動功編④

陰陽合気法<大自然の陰と陽のエネルギーを体に取り入れる>

 鎌倉教室では、築基功のほかは陰陽合気法をもっぱら練習しています。

――陰陽合気法は、自然の陰気と陽気を取り入れて、身体の陰と陽のエネルギーを調和させる功法です。陰気とは地のエネルギー、陽気とは天のエネルギーです。宇宙のエネルギーと一体化した「天人合一」の意識にまで至れば、心身は穏やかに解きほぐされ、健康と活発な精神を得ることができます。

 陰と陽は中国思想の根本でもあるようですが、これについてまず説明してください。

――中国では常にものごとを陰と陽に分けて考えてきました。すべてのものごとには反対の意味がありますし、またその両者を統一することもできます。その考えを健康法に応用しているわけです。神秘とか幻覚とかいう非科学的なものに関連づけて説明すると、なんだかすばらしいように思えますが、かえって本質から離れてしまいます。大事なのはわかりやすく説明することです。

 体の前を陰面、背中の方を陽面と言いますね。犬などの四足動物で言うと、お腹が陰、背中が陽というのはわかる気もしますが‣‣‣。

――内側が陰、外側が陽。表が陽、裏が陰でもあります。腕でいうと、外側半分が陽、内側半分は陰ですが、細かく言うと、腕の外側3分の2ぐらいが陽です。

 陰陽合気法を練習するためには、築基功を修得しておくことが必要で、陰陽合気法の基本姿勢も「三七分力」、「三点一線」、「緩密処」、「展慧中」ですね。

――ここで陰陽合気法というのは「天地部」のことです。これとは別に「人部」がありますが、ここでは天地部について、順を追って説明します。
 最初が「築基法」です。まず、ゆるやかに嬬動します。次に、さらに深く瞑想、内視し、内に深く気を生み育て、行き渡らせます。その気は自然に外部ともつながり、内にも外にも気を配ることになります。動作は力を入れず、立ち止まらず、緩やかに、軽く、柔らかく、円くし、大小相まじって千変万化します。

 築基功の蠕動は、もっぱら体内の気を動かすが、築基法では外部との関係を重視するということでしょうか。

――そうでもありますが、自分の姿が見えるように、気をもっと感じるように、より強く瞑想します。目をつぶっても自分の姿が見えるようにします。

 瞑想の度を深めるということですね。

――「三円功」では、腹腔内に気を回して「先天の気」を育て、拡大させます。渦巻き状に円を描くように気を回します。円の描き方は「平円」「側円」「正円」の三つですが、どの円も下腹部の中心から渦を巻くように広がって、そして外周から中心に戻ります。
 「平円」を描く場合は、捻動と合わせて水平に回します。「側円」の場合は、擺動と合わせて時計方向(逆方向も可)に回します。円が大きくなったときは、上は鳩尾のあたり、下は密処を通します。さらに「正円」の場合は、蛹動と合わせて前後に回します。大きくなったときは、「側円」と同じように対処します。

 「先天の気」については以前もお聞きしましたが、「後天の気」との関係でもう一度説明してください。

――昔からいろんな言い方があります。たとえば生まれる前の気、生まれた後の気というとらえ方があります。生まれつきの気を先天の気と言ってもいいです。生後半年もたたない赤ん坊は病気もしません。そのうち食事をしたり、悩んだりして体に支障が出てくる。これを後天の気と言います。道教ではもともとの世界は「天人合一」と考えていたんですね。
 だから、こう言ってもいいです。先天の気は病気のない気、元気な気です。これに対して、社会生活の中でいらいらしたり、刺激を受けたりして乱れた気が後天の気です。この後天の気を先天の気に戻すようにするのが健康の秘訣です。

 なるほど。三円功は「腹腔内に気を回して『先天の気』を育て、拡大させる」わけですね。

――「先天の気」に戻す、と言ってもいいですね。

 もっぱらお腹を中心に気を動かすのは、どういう効果がありますか。

――丹田はへそ下三寸あたりにありますが、これは医学的に言えば小腸の部分です。気功にはいろんな流派がありますが、丹田を重視するのは共通しています。伝統的には、体に入ったエネルギーはまず丹田に集まり、そこから全身に広がっていくとされています。現代医学で言えば、食べたものは消化されてまず小腸に行く。ここで栄養分は吸収されて血液とともに全身に回ります。小腸が健康に大きな影響を与えることが明らかになっています。

 小腸が大事だということですね。

――今では小腸の働きと穏やかな気持ちは関係があるとも言われています。丹田に気を集めると落ち着いた感じが出てきます。気が頭の方に上っていると、気持ちが安定せず、落ち着きません。エネルギー吸収にもよくないですね。

 禅などでも「気を丹田に養う」とか「上虚下実」などと言いますね。

――3つの円の共通の要点は次の5点です。
 ①目を閉じて意念で気を引き連れていくよう、帯のような気の流れを見つめる。
 ②方向を変えるときにはS字状に動かして、気の流れを変える。
 ③円の大きさは身体の外に出ない。
 ④回数は、男性が3の倍数、女性が2の倍数。
 ⑤手は下腹部に重ねて行なう。男性は左手の上に右手、女性はその逆にする。

 「帯のような気の流れ」を実感することが大事ですね。ところで、男性と女性では回数や手の置き方が違うのはどういうことでしょうか。

――気になりますか(^o^)。厳密に守らなければ効果がないのかと言われると、そうでもないわけですが、ここに陰陽の考えが反映しています。女性は陰、男性は陽です。もちろん人間としては同じですが、違う面もありますね。その一つの現れですから、まあ従っておいていいでしょう。

 三円功が終わった後は、「接地陰」と「通天陽」に移るわけですね。教室などでは三円功を後でやることもありますね。

――そのときの状況や都合によって三円功を後にやることはありますが、三円功は陰陽合気法の前提を整えるものでもありますから、やはり最初にやるのがいいですね。

・温かくなったなと思えば、温かくなる

「接地陰」は、陰のエネルギーを取り入れて、体内の気の調和を図ります。「三円功」が終わり、気が下腹部に戻り、集中したところから始めます。
 ①意念で気を引き連れて、下腹部から密処、腿の内側、両足の裏側を通して、陰面に沿つてはるか深く地根にまで至ります。井戸の中の冷たい水に全身が浸るようなイメージを持ちます。
 ②次に気は地根から上り始め、両足の裏側を通して、両腿、密処、腰から陽面に沿って下腹部に戻り、再び地根に向かいます。
 ③軽く、柔軟に蝠動して、手は柔らかく気を導くようにします。
 ④意念の行くところは、手と気だけが行くのではなく、目も耳も同行します。
 「通天陽」は、陽のエネルギー(天陽)を取り入れて、体内の気の調和を図ります。「接地陰」に引き続いて、下腹部に戻った気を天根にまで到達させます。
 ①気は下腹部中心から密処を通して、陽面に沿って上に上り、天頂を通して天根に通じます。意念で気を引き連れ、手は気の流れを導きます。暖かい太陽のエネルギーを浴び、包まれるようなイメージを持ちます。
 ②次に気は天根から降りて天頂を通り、陰面に沿って下腹部、密処を通して下り、そのあと再び上に上ります。
 ③「接地陰」と同様に、軽く嬬動し、手は柔らかく気を導き、意念は気の流れを見つめます。

 接地陰では地下深くにある冷たいきれいな水を意識し、蠕動しながらそれをかき回す。また通天陽では「太陽、月、星、雲など、あらゆるエネルギーをまとめて」ボールにして、その太陽のボールを天頂で見る。そこから温かい気を引っ張ってくるわけですね。
 陰の気が上ってくるとその部分が涼しく、また陽の気が下ってくるとその部分が温かく感じると言いますが、最初はなかなかうまくいきません。その感覚は人によって違うということでしょうか。感じられない場合は効果がないのでしょうか。

――人によって違いはありますが、温かくなってきたなあと真剣に思えば温かくなります。涼しいなあと真剣に思えば涼しくなります。想像を込めて練習するわけです。

 なるほど。ここがポイントですね。意念を強くするとは、イメージを喚起しそこに集中するということですね。

昇降法」と「合気法」は応用編のようでもありますね。

――「昇降法」は身体を左右半分ずつに区分して、左右両側を通して気を昇降させます。「地―人―天―人―地」と気を循環させます。
 ①「接地陰」で気を地根にまで入れた後、地根から左足、左半身を通して引き上げ、天根にまで到達させます。
 ②次に天根から気を引っ張り、右半身、右足を通して、再び地根に入れます。これを繰り返します。
 ③柔らかく軽く嬬動し、手は気を導き、意念は気を引き連れるように気の流れを見つめます。
 「合気法」は陰気、陽気を用いて「陰陽共盛」を図り、身体の全体的調和を実現します。
 ①「昇降法」に引き続いて、地根に到達した気を両足を通して陽面に沿って引き上げ、そのまま天頂を通して天根に届けます。
 ②次いで天根の気を引っ張り、天頂を通して陰面に沿って下に降ろし、再び地根に到達させます。これを繰り返します。
 ③柔らかく軽く嬬動し、手は気を導き、意念は気を引き連れるように気の流れを見つめます。

 陰陽合気法でも、収功がありますね。

――「収法」は気を下腹部中心に戻して、手は下腹部で解脱印を結び、天地人の気を収めます。目も耳も下腹部に集中させ、見、聞きます。気の感じがまとまり、集中し、安定し、消えたら、静かに目を開けて、終わります。

 収法は築基功の収功と同じですか。

――まったく同じです。

 陰陽合気法では、地―人―天―人―地という感じで、体内の気と外気を交流させるわけですね。

――そのための功法です。さっきも言いましたが、意念の働きが大事です。感じる、感じないと言うよりも、感じるように強く意識することです。雑念が入るとなかなか集中できませんが、練習を続けるうちに雑念は少なくなり、集中できるようになります。がんばってください(^o^)。

 これは陰陽合気法の主要部分の動画です。それぞれの功法の概略を知ることができます。

東山「禅密気功な日々」(20) 動功編③

気功と好転反応<途中でやめてしまうのはもったいない>

 夜明け前に漆黒の闇が訪れるように、体調が好転する直前にかえって症状が重くなることは多くの人が経験することですが、これは一般には「好転反応」として知られています。私にも熱心に気功に取り組んでいたころ、かえって体調が悪くなった時期があります。
 蠕動のやり方がうまくなったために体内の滓が解凍し始めているのだが、そのために出た大量の邪気を放散できないために、かえって悪さをしているのではないかと思ったりもしたのですが、気功をやれば悪くなる、と言うか、休めば症状が軽くなるような経験をしました。
 しばらく気功を休んだ方がいいかもしれないと思い、実際に1週間ほどやらないこともありましたが、そのころ先生の『気功瞑想ですっきりする』の中に「気功には好転反応もあります」の一文を見つけて、救われた思いがしました。
 こう書いてありました。

 気功を練習することにより心身ともにさまざまな問題か生じてくることが考えられます。弱い体を健康な体にすることは大変です。一気に良くなるのではなく、波のように良くなったり悪くなったりしながら、階段を一段ずつ上がるように次第に改善されていきます。体調が少々悪くなっても継続し気功を信じて乗り越えることが大事です。

――良い結果がでるまでに苦しみ、痛みが先行する場合もありますね。たとえば2日間の基礎集中コースの練習の時、2日目は良い感じが次第に浮かんできますが、初日は疲れるばかりでつまらないと思うかもしれません。特にスジ、筋肉が硬くて弱い人は辛く感じることもあるでしょうし、2日目起きる時に、筋肉痛を伴うこともあるでしょう。それでも続けて2日目に練習に行くか行かないかが大事な分かれ道です。
 瞑想教室では4日間の工程をとっています。3日目までは辛くてしょうがなかったのに、4日目は見違えるように体が軽くなるという人は結構多いです。こういうところに気功を信じる心の強さが現れます。途中で止める人もいますが、残念ですね。

 何事によらず、ものごとをある程度理解できるようになるまでは時間がかかるし、それなりの練習も必要ですね。密処は股間全体で緩めなくてはならないと、言葉として理解することと、実際に体で体験して心底「腑に落ちる」のとは雲泥の差です。「これは大発見だ」と思ったことが、実は過去にすでに〝発見〟し、その後忘れていたものだったりすることはよくあります。
 修行には導師(グル)が必要だと言われるのも、このことと関係しますね。悩んでいるときに聞く「その一言」がありがたいわけです。
 好転反応についてウィキペディアには以下の説明があります。

 好転反応とは、治療の過程で一時的に起こる身体反応のこと。‣‣‣病状の改善が現れる前の一時的な悪化であり、経験上3~4日まで持続することが多い‣‣‣。
 慢性的に疲労していた筋肉がほぐれ、溜まっていた老廃物が血液中に流れることなどが要因として考えられる。だるさや眠気、ほてりなどを感じるケースが多い。‣‣‣。また、老廃物が尿として排出されるため、その色が濃くなったりする。その他にも、主訴となる症状が一過的にぶり返したかのように見える場合もある。

 他のウエブ上の記事を見てみると、好転反応というのは、鍼治療や整体などの自然治療を受けた翌日に、健康を取り戻す過程で、体にだるいなどの疲れや痛み、発熱などの症状が現れることを言う、という説明もあります。「一気に毒素や老廃物が身体中を駆け巡ることで、好転反応の症状が起きるようになります」とも書いてあり、この箇所は冒頭に述べた私の実感に近いです。
 『気功瞑想でホッとする』の「瞑想に入る前に」で書いておられる気功を始める心構えは、初心者にぜひ読んでいただきたいものです。好転反応の一字もここで見つけたわけですが、「信じることと気功」、「普段の生活と気功」のくだりはとくに、初心者向けです。ここでは「適切な教室、功法、指導者は信念を支える要素です」のくだりだけ再掲しておきます。

 いくら気功を信じて練習するといっても、 一人で練習するよりは教室に通うことで楽に長く続けられます。また、教室の雰囲気の中で練習する時と一人で練習する時とでは感覚が違います。
 功法は練習の方法であり教材です。1年生で3年生の内容を勉強しても効果がないし、3 年生になって1年生のものを勉強しても進歩はありません。
 また、教材がいかに素晴らしくても人によって理解が異なりますし、注意しないと間違った解釈になるかもしれません。ですから正しく体得している指導者が必要となります。良い指導者であれば教材の良さをすべて伝えることができます。

東山「禅密気功な日々」(19) 動功編②

基本姿勢と収功<なにはともあれリラックス>

 築基功のCDを聞いたりDVDを見たりしていただければわかりますが、最初に築基功を行うための準備態勢の説明があり、最後は「収功」にふれています。このことについてお聞きします。

――立ち方の基本は、身体全体の緊張をとり、心身ともに力が抜けて、もっともリラックスする位置を探すことです。頭のてっぺんである天頂を気の糸で吊るされているような感覚、かかとのあたりから密処(陰部と肛門の間)、天頂を通して気の柱が自分の中にあるといった感覚をつかみましょう。

 坐禅でも髪の毛で全身が吊るされている感じということを言いますね。天頂から密処にかけて気の筋が通るようにすると。

――立ち方のポイントは次のとおりです。

 ①両足を肩幅に開き、爪先を心持ち外に向けて立ち、指先は軽く開きます。体重の7割をかかとに落とし、3割を足裏の前の部分にかけます。これを三七分力といいます。
   ②両膝を曲げないようにし、硬直しないように緩めて、膝関節が自由に微動できる状態を保ちます。骨盤の関節を緩め、腰椎の生理的な前屈をなくすために、臀部を少し引っ込めます。また、両股の関節の前側を伸ばすように、少し前のほうへ出します。
   ③肩を下げ(緩め)、脇の下を少し開いて、両肘を心もち外側へ引っ張るようにします。両腕は下に垂らして、指は自然に開きます。頸椎は真っ直ぐにして、頭部は少し持ち上げ、天頂が天丼から細いヒモで吊るされているような感じにします。

 三点一線というのはどういうものですか。

――両踵を結んだ線の真ん中、密処、天頂の3点が、垂直に一直線になるように立つことです。3点を結んで気の柱があるようにイメージするのがコツです。
 密処は陰部と肛門の間、すなわち会陰のあたりのことですが、小さな点や表面の一部ではなく、下腹部全体と連なった「立体」としてイメージします。密処は気を運行させる重要な通路で、要となる場所です。リラックスさせると同時に、意識を密処に強く集中します。密処が緩めば、両腿の内側に温かい感じがして、陰部に痺れ、微かな性感を感じます。
 慧中は両眉の真ん中、少し上のところにあります。「第三の目」とも言われるところで、エネルギーの出入り口です。慧中を開くには、快い気持ちを持って意識を慧中に集中し、そこに窓を開いて光を見るようにイメージします。

 密処を緩めるのと慧中を開くのは、ともに最初はチンプンカンプンだと思いますね。ふだん私たちは密処とか慧中を意識しないし、そもそも病気の時以外は、体のことを考えることもありません。そして喉元過ぎれば熱さを忘れる、健康になれば、また忘れてしまうわけです。
 緩密処(密処を緩めること)と展彗中(慧中を開くこと)は瞑想に結びつく大事なポイントですので、後でもお聞きしますが、一般的に言って、自分の体の内部をのぞくのは大変興味深い。精神世界の広大さを感じますね。「魂の井戸に石を投げてその深さを測る」という表現を見た記憶があります。気宇壮大と言えば、こんなざれ歌もあります。

  天と地を 団子に丸めて 手にのせて ぐっと飲めども 喉にさわらず

 落語家の始祖、曽呂利新左衛門の作とも言われるようですが、真偽は知りません。
 閑話休題。
 これは本コラム冒頭に書いたことですが、専門コーステキストに「注意事項」として、「彗中を広げ、密処を緩めるとき、いずれも〝点着〟(穴を守ること)しないで、〝面顧〟(全体意識)すること。でないと、結果はよくならない」と書いてありました。密処なら股間全体、慧中なら頭全体を緩めるということですか。

・眉間を開いて、笑みをたたえた状態にする

――展彗中では、眉間にシワを寄せるのではなく、平らに広げて穏やかな気持ちで、にこやかに笑みをたたえた状態にします。心の奥底から自然にこみ上げてくる楽しさ、悦び、おおらかさ、温かさ、優しさ、慈しみなどの気持ちが、自ずと笑みとなって現れた状態です。

 要はリラックスということでしょうが、このリラックスがなかなかむつかしい。実際に慧中が開いている人は外から見てもわかりますか。

――ゆったりとほほ笑むような気持になっていれば、当然、外から見てもわかりますね。実際に、にこやかにほほ笑むような気持になることが大事です。

 築基功をするにあたっては、三七分力、三点一線、展彗中、緩密処を整えないといけないということですね。
 続いて収功についてお聞きします。

――築基功の最後は気を収める動作、「収功」です。ポイントは、周りに広がった気を身体に入れて、下腹部の中心(丹田)に収める点です。収功の順序は次のとおりです。
 ①両手を左右に開いて、周りに広がった気を抱えるようにしてゆつくりと上げていきます。このとき背骨は微動させます。
 ②肩のあたりで両手の手のひらを上に向け、そのままゆつくりと上げていって、頭の上で手のひらを合わせます。このとき頭の上で気を集め、まとめるようにイメージします。
 ③合わせた両手を上からゆっくり降ろしていきます。慧中から顔の前を通り、胸のあたりまできたら、合掌している両手の手首の部分を少し開き、指先を付けたまま下に向け、そのままお腹の前まで降ろします。
 ④お腹の部分にある帯脈に沿って両手を左右に開きます。
 ⑤次に気を丹田に収めるために、印(解脱印)を結びます。両手の指を左右交互に組み、男性は左手の人差し指が右手の人差し指の上になるようにし、女性はその逆に置きます。このとき、気は慧中から背骨を通って、丹田にどんどん流れていき、背骨を洗います。
 ⑥気は拡散したボールからだんだん凝縮されたようになり、最後に気の感じがなくなったら、ゆっくりと目を開けます.

 収功は必ず必要ですか。教室で築基功をやったときも、必ずしも毎回、収功するわけでもありませんが‣‣‣。

――収功は、結局、体を整えるということですね。朝、いきなり起きるより、少し体を動かして態勢を整えて起きたほうがいいですね。妙な姿勢で起きると、一日調子が悪かったりします。これと同じで収功は穏やかな、やわらかい気持ちで終わるようにするのがねらいです。

 CDの最後に「脊椎を観想して、気を丹田のところに集めて、漏れないように集めます」と言っています。この「漏れないように集めます」というのはどういうことを言っているのでしょうか。

――意念を丹田に集中すれば気は自然に丹田に集まります。

 気の流れを心眼で追おうとしても、最初はどうしても腹の前あたりで止まってしまい、それより下までいけないということがありました。そのうち自然に下りていくようになりましたが‣‣‣。 
 話がぐっと下世話になって申し訳ないですが、鎌倉教室であるとき先生が蠕動の指導をしながら、「これをやっていれば、腰もくびれて、すっきりした体になりますよ」とおっしゃいましたが、これは私にはずいぶん腑に落ちる話です。体を隅々まで丁寧に動かし、たまった滓をそぎ落とせば、腰が引き締まるのは当然だと思いますね。

――背骨を使って体を動かせば、全身が締まってきます。だから腰も、腹も当然締まるわけですね。背骨の運動の効果は抜群です。

 

東山「禅密気功な日々」(18)先生に聞く・動功編①

基本としての築基功<背骨で体内の気を動かす>

(写真は2009上海・蘇州合宿の一コマ、以下同じ)

 最初に動功の基本としての築基功についてお聞きします。

――築基功は禅密気功の基礎を築くための功法です。背骨(頸椎・胸椎・腰椎)を、自在に動かし、生命活動の根源である気を全身にめぐらせます。

 背骨を前後、左右に、さらには回転させ(ひねり)ながら、全身の気をかき混ぜるように動かすわけですね。蛹動(ようどう)、擺動(ばいどう)、捻動(にゅうどう)、蠕動(じゅうどう)という4つの基本動作から説明してください。

――蛹動は背骨を前後にS字状に揺らします。尾骶骨から始め、しだいに上に向けて動かします。力を入れてはいけません。軽く、柔らかく、ゆっくりと、まろやかに。脊柱を波打たせるように前後に動かします。意識を脊髄に集中し、一関節、一関節、気を関節ごとに絡め、回転させながら、仙椎、腰椎、胸椎の順に上にのぼり、頸椎の頂上まで上り詰めたら、こんどは下へ向けて一関節、一関節ずつ、ていねいに尾骨まで降ろしていきます(右図=ウィキペディアから)。

 S字状に動かすというのがむつかしいですね。ふだんあまり運動していない年長者の体はがちがちになっています。昔は腰がすっかり曲がってしまった年配のお百姓さんがいましたが、彼、あるいは彼女にとっては、曲がっている状態が自然というか、一番安定しているわけですね。しかし、それはたとえば田植えや草刈りに精出したといった生活からくる、やはりいびつな状態です。
 毎夜、接待の飲み会で疲れて、電車で眠って帰るサラリーマンは首のあたりにこぶのようなしこりが出来ていると聞いたことがありますが、これも同じですね。背筋を通して、しゃんとした姿勢に戻すのが健康の基本で、そのためには蛹動はすばらしい効果を上げてくれますね。

――背骨を動かすのが禅密気功のすぐれたところです。他の功法ではあまりそういうことは言いません。

 まっすぐ立って、背骨をS字状に動かせと言われても、なかなか思うようにいきません。私自身の経験から言っても、背骨がなめらかに動くようになるまでずいぶん時間がかかりました。背骨は関節でつながっている多くの小さな骨の集まりだから、関節がほぐれれば、金属製の鎖と同じで、ぐにゃぐにゃに動くわけだけれど、その関節がさびついている。
 だから最初はぎくしゃくしてもいい。とにかくなめらかに動かすという意識をもつことが大事です。究極的には、「揺らす」のではなく「揺れる」状態になるのがいいと言われますね。

――車の運転と同じです。初心者の場合は、ハンドル操作などぎこちないですが、慣れてくると、とくに運転しているという気持ちがなくても、自由に車を走らせることができます。気持ちと動作が一体化するわけです。運転しているという意識もあまりない。それと同じように、慣れてくると、無意識のうちに体が動きだします。

 導引動作ということを言いますね。たとえば体を前後に動かすときに、両腕を並行して前後に円を描くようにします。手の動きにあわせて体内の気を動かすわけです。だから手の動き自体、角張った感じではなく、円くなめらかにしないといけません。手の動きが円くなければ、背骨はスムーズに動いていないと考えた方がいいですね。体を沈ませたり持ち上げたりという動きとも連動していますね。

――擺動は背骨を左右に、これもS字状に、樹木が風になびくように揺らします。尾骨から始め、蛹動と同じように、極力軽やかに、柔らかく、ゆっくりと、まろやかに、脊柱を波打たせるように、左右に揺らします。意識を背骨に集中し、関節の間を縫うように、尾骶骨から頸椎まで、上に上ります。頸椎の頂上まで行ったら、こんどは下へ向かって、同じように関節ごとに、意念を縫うように降ろしていきます。

 擺動はわりとやさしいと思いますが、それでもまろやかに動かすのはむつかしい。体の左側を外に出して伸ばすときは、手は右側に開いて体全体のバランスをとる。逆の場合も同じです。とくに腰や肩を十分、伸ばしたり縮めたりするといいですね。蛹動でも同じですが、体を「く」の字型にする気持ちでやるといいと思いますが、これも角張ったくの字にならないことが大事です。

――捻動は背骨を左右にねじる動きです。まず身体を左から右にねじります。回す幅は、最初は小さく、次は中くらい、3回目に大きく回します。顔は正面を向いたまま、手と腰を同時に回します。次に右から左への回転を同じように行ないます。意念は背骨をねじるのに合わせて、背骨に絡ませるように回します。尾骶骨から始めて上にいき、頸椎の頂上まできたら、同じように下に降ろしていきます。背骨をねじる方向を右から左、左から右に変えるときには、意念をS字状に回して、気の回転する方向を変えます。

 捻動するとき、大事なのは体の外側から動かすのではなく、内側から動かす。すなわち背骨で体をひねることですね。背骨の動きにあわせて手(腕)も動きますが、手の後から背骨がついていくのではなく、背骨が先にねじれて、手がその動きについていく感じで練習するといいと思います。究極的に動いているのは背骨だということですね。

 ・蠕動は蛹動、擺動、捻動の組み合わせ

――蠕動は蛹動、擺動、捻動の3つの動きを組み合わせて、ゆっくりと自由自在に、滑らかに連続して動かします。蛹動の中に擺動があり、捻動があり、擺動の中に捻動があり、蛹動があります。また、捻動の中に蛹動があり、擺動があります。次第に全身のすべての関節、筋、筋肉も動かし、背骨で内臓も動かします。

 しばらく練習していると、蛹動、擺動、捻動という3つの動きの中でも、自分としては蛹動が一番やりやすい、いや捻動が好きだといろいろ好みが出てきますね。その違いを楽しみながら練習するのがいいと思います。
 私は蠕動が一番好きかもしれません。首、肩、胸、背、腰、腹、腕、股間、脚をそれぞれ意念とともに動かします。最初のころはどうだったのか、今ではもう覚えていませんが、途中から全身の骨や関節がボリボリ、ギシギシ音を立てるのに気づきました。首なんかすごかったですね。まるで下北半島の仏が浦か紀伊半島の橋杭岩のように大きな岩がごろごろ転がっている感じがしました(^o^)。しだいに小さくなり、岩から小石のようになっていきます。これだけの滓が体にたまっていたのだと思いますね。最初のころは音に気づかなかったのか、あるいは体全体が滓にまみれて、膠かビーフジャーキーのように固まって、音すらでなかったのか‣‣‣。
 先生のように若いころから武術に励んだり、スポーツに親しんだりしてきた人はそんなことはないのかもしれませんが、たいして運動もせず、いつの間にか歳をとってしまった人は、体がすっかりさびついているんだと思います。私は体内の気がスムーズに流れなくなって骨、関節、筋肉、内臓にたまってしまったのではないかと思い、これを「滓」と名づけています。
 体内の気をスムーズに流すだけでなく、こびりついた滓をほぐし(解凍し)、発生した気をうまく対外に放散してやれば、ある程度の若返りがはかれると考えているんですね。したがってこのインタビューでは、がたがたになった体を少しはまともなものにしたいと思っている年配の方を主な読者に想定しています。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の親鸞上人ではないけれど、だれにでも心がけ次第で救いはある、というのが僕の経験から得た知恵です。この辺は、コラム冒頭に掲載している「健康を守り、老化を遅らせ、若返りもめざす」でもふれました。

――すばらしい。とくに骨、関節、筋肉、内臓のすべてに言及しているところがいいですね。私も子どものころ腕に大きなけがをしたので、その部分がいびつに変化しているのでしょう、ギシギシすることはありますよ(^o^)。

 気功は何の準備もいりませんし、場所もほとんどとりません。毎日、ゆっくりと背骨を動かすだけで体が健康になるのですから、ぜひ皆さん、やっていただきたいと思います。最初は鎌倉教室や本部教室に通うのがいいと思いますが、練習用のCDやDVDもあります。
 百聞は一見に如かず。本コラム第15回でも紹介した先生の実践動画をここにも張り付けておきますから、コロナ禍で外出しずらいような場合は、まず動画を見ながら、見よう見まねでやってみてください。

 この動画は各功法とも前半だけですが、概略を知るには十分でしょう。先生の無駄のないなめらかな体の動きをよく見てください。無駄がないと同時に、動いていない部分がない、だからたいへん美しくもあります。

東山「禅密気功な日々」(17)

「動功編」を始めます

 前門のコロナ、後門の猛暑とも言うべき今夏ですが、みなさんお元気で気功に励んでおられるでしょうか。

 本欄で<朱剛先生に聞く>入門編を始めてからすでに5か月近くたちましたが、近く「動功編」の連載を始めます。やはり5回です。御覧いただいて、感想なりご意見などございましたら、東山までご連絡ください。

 なおこのインタビューはテレワーク用のアプリ、Zoomを使って行いました。

 サイバー燈台では、アフター・コロナを見据えて、<Zoomサロン>の試みを初めています。興味のある方は、Onlineシニア塾への招待をご覧ください。

東山「禅密気功な日々」(16)先生に聞く④

瞑想は緊張感をほぐしていく過程

杭州・西湖の夕陽(中国合宿の際に撮影)

 瞑想・意識・気感についての基本をお聞きします。

――瞑想という訓練法には、色々な呼び方がありますが、坐禅という名前が一番知られています。坐禅は、その訓練法の足を組んで動かないという形から、その名がつきました。

 坐禅は日本でも盛んに行われています。私も鎌倉の建長寺や報国寺の日曜坐禅会に何度か参加したことがありますが、報国寺の坐禅会は本格的で、朝7時から始まりますが、みんな6時ごろには集まり、境内の清掃から始めます。報国寺は竹寺としても有名な美しい寺です。本堂での修行のあとにおかゆが出され、初心者は和尚さんから法話を聞きます。「健康を守り、老化を遅らせ、若返りもめざす」で紹介した「いいと思うことを心を込めてくりかえす」という言葉もそのとき聞いたものです。坐禅歴何十年という〝猛者〟もたくさんいて、「最近になってやっと坐るということがわかってきた」なんて言っていました。

――瞑想では、訓練の時の体内の微妙な状態を強調します。この微妙な状態というのは、体内外の感覚が薄くなり続けて、他の微妙な感覚が浮かんできます。
 その状態には5つのポイントがあります。

①一つの物事に集中することにより、外部からの刺激を受け取らないようにします。
②体内の眠気と雑念の刺激が相次いで浮かんできます。瞑想の状態ではなるべくその刺激も受けないように努力します。
③顕在意識を活発にしないようにしていると、徐々に、空あるいは無というような感覚が浮かんできます。
④そのうち「喜ぶ、楽しい、良いなあ」という気持ちが浮かんできます。
⑤その時、寝ているようで、寝ていない状態になって、「夢うつつ」、「まどろむ」、「半分眠っている」、「半分スッキリしている」と言う状態になります。

 瞑想は緊張感がほぐれると同時に、気が活発になり、新陳代謝が良くなり、免疫力が高まる効果があります。

 坐禅は只管打坐(しかんたざ)、ただひたすら無念無想をめざすけれど、瞑想はある一つの事柄に意識を集中することで、やはり雑念から解放されるという理解でよろしいか。

――本来ならば坐禅は瞑想と同じで、名前が違うだけです。坐禅は形の方を強調し、瞑想は意識を訓練することを強調しています。いまの坐禅は形を細かく強調して、中身の訓練はあまりないように思います。私達の瞑想法は伝統の法を継承して、これを重視します。それが5つのポイントです。

 ストレスを抱えることで、体の生理機能である免疫力や新陳代謝の働きをかえって阻害しているような気がします。「カエサルの物はカエサルに」、生理機能に介入しないように努力していますが、これがなかなか難しいですね。
 瞑想と意識の関係は?

――瞑想という訓練法は意識を使って行います。人間の意識もまたエネルギーであり、このエネルギーは他のエネルギーをコントロールできるという大きな特徴があります。それで、意識を「気の中の気」とも言います。意識が分散された状態が雑念、意識の集中した状態が意念または念力です。意念は内部に、念力は外部に向けられます。

 意識には顕在意識と潜在意識がありますね。顕在意識が潜在意識に突き動かされることもありますし、顕在意識が潜在意識を不当に圧迫することもあります。閉じ込められた潜在意識はときに爆発する。夢として現れることはフロイトが〝発見〟しました。瞑想は顕在意識を鎮めることによって潜在意識を解き放つ、そのことで心身の健康を回復するということでしょうか。

――そうです。そのときは雑念を抑え込もうとするのではなく、むしろ解き放つ。無為夢想というのはそういう状態です。

 先生は「気感」という言葉もお使いになりますね。これは気とは違うわけですね。

――気感とは、瞑想中の微妙な気の感覚のことです。瞑想する時、身体がリラックスしてきますが、この変化を感じるのが気感です。私は練習の間に緊張感がほぐれる時の変化だと考えています。瞑想は緊張感をほぐしていく過程です。その時の「ほぐす」はイコール変化で、この変化を気感というわけです。例えば、痙攣を感じたり、身体が大きくなったり小さくなったり、身体が無くなるような感覚がでてきます。光や物体が見えるような感覚もそうですね。

 坐禅・瞑想中に上半身、とくに胸部に強い膨張感を感じることがあり、密処のうずきや胸の膨張感を感じると身体全体がほぐれ、気分もよくなります。

――この気感は、流派により、幾つかに分かれます。
 道家系では、気が任脈、督脈という小周天(しょうしゅうてん)に沿って回ります。密家系には、気を身体の真ん中、中脈に沿って流していきます。
 禅密気功では、功法によりさまざまな気感が生じます。背骨を動かすという基礎功法では背骨に絡んで気を蛇のように流しています。陰陽合気法・天地部では涼しい気と暖かい気が流れます。吐納気法では、外部の大自然の気を呼吸と合わせて体内に入れたり、流したりします。慧功法では内、外の気と一体になる、といったように、いろいろな練習法があります。
 禅密気功の瞑想では八触(はっしょく)という気感を強調しています。この辺はのちに詳しく述べますが、「動」「痒」「軽」「重」「涼」「暖」「粗」「滑」があります。

 そのいくつかは実際に感じているように思いますが……。

――意念と気感(微妙な気の感覚)の関係は以下のようになります。

意守気動:意念を置いて動かさない(雑念を起こさない)と様々な感覚が現れてきます。
意随気行:現れた気を動かすと、意念がついていきます。
意領気行:意念を先に動かして、意念で気を導引します。
意気合一:これは意と気が一体になることです。

 この辺は実践なしに感じることは難しいですね。そのために禅密気功では本部道場で各種の功法を練習したり、瞑想会を開いたりしています。

 江戸川橋は禅密気功のメッカですね(^o^)。

――本部道場では各種功法の専門コースの教室を開いていますが、春秋に行う「気の瞑想会」は全4日間の日程です。朝10時から午後7時まで、昼食や昼寝の時間以外は瞑想三昧です。何事もそうですが、一定期間、特定の練習に打ち込む時間をもつということが大事なんですね。必ずしも4日全部参加する必要はなく、1日でもいいのですが、やはり4日間の練習を受けた後は効果が違います。

 日本禅密気功研究所の本部道場は地下鉄・有楽町線の江戸川橋駅近くです。第1回で先生に神田川沿いの桜を撮影していただきました。地蔵通り商店街は昔懐かしい雰囲気を漂わせています。
 専門コースや瞑想会のほかにも、秋には合宿をしていますね。私も湯河原や山中湖の合宿に参加したことがあります。またときどき中国合宿も行われています。2007年の黄山、2009年の蘇州・上海合宿に参加しましたが、黄山合宿には名うての気功士が多数参加し、たいへん貴重な経験をしました。

――今年(2020年)4月にも中国気功研修旅行を企画していましたが、残念ながらコロナ禍で中止しました。

・光の瞑想、色の瞑想

 先生は光の瞑想、色の瞑想ということを言われています。実際、瞑想しながら彗中を通して無限の空を見るようにしていると、全体が明るくなったり、青、黄、赤、白などいろんな色が見えたりしますね。銀河のようだったり、線香花火のようだったり、オーロラのようだったり、色のあざやかさにはびっくりします。

――瞑想のポイントとプロセスを整理すると、身、気、光、意、心になります。

身の練習:動功で、主には有酸素運動です。これは体質改善に良いです。
気の練習:肉体の身体を変えて気の身体になる感覚です。これは身体の病気を抑えるのにいいです。
光の練習:瞑想中の光や光景を整えることです。これは心の病などを治すのに良いです。
意の練習:スッキリした意識の状態になることです。人生観を高めます。
心の練習:愉快な穏やかな気持になることです。人生がより楽しくなります。

 これで気とは何か、禅密気功とは何か、体を揺らすことや瞑想の功徳などについて、ひと通り初歩的なことをお聞きしました。しばらく間をおいて、次回シリーズでは動功について、その基本である築基功をはじめとして、各種功法についてお聞きする予定です。コメント欄や私へのメールで、ご感想や今後、先生に聞いてほしいことなどをご連絡いただければ幸甚です。