新サイバー閑話(116)<折々メール閑話>57

「混沌の先の激変」が可視化させた「明るい闇」

 B ユーチューブなど SNS以外ではほとんど無名だった石丸伸二氏は都知事選で若者、無党派層の大量票を集めて、選挙後はテレビをはじめとするマスメディアの寵児へと変身しました。テレビや新聞の手の平を返すような対応はいかにも日本的な変わり身の早さですが、では今回の石丸善戦の意味は、となるとあまり深い分析はされていないようです。当の石丸氏は当選直後のインタビューでテレビ局側の場当たり的な質問に独特の話法でけむに巻くなどしており、これにはテレビ局側の批判も起こったけれど、喝采を叫ぶ声も強かったですね。

A 石丸氏自身がエリート銀行員出身で、考え方の基本が日本維新の会に近い新自由主義的傾向をもつことについては、前回すでに話題にしました。各地で精力的に街頭演説を行い、それがユーチューブでどんどん報道されることで集めた金は3億円に上ったと、彼自身が出演したテレビの「TVタックル」で話していました。SNS恐るべし、ではありますね。

B 石丸氏は政党本位の選挙図式の枠外に置かれ浮遊していた無党派層、若者層を選挙の場に呼び込んだという点で、一種の「トリックスター」だったと言えます。トリックスターには詐欺師、ペテン師という意味もあるけれど、ここでは原義の「神話や民間伝承などで、社会の道徳・秩序を乱す一方、文化の活性化の役割を担うような存在」(広辞苑)という意味で使っています。もっとも、これが「文化の活性化」なのかどうか、これが今回のテーマでもあります。
 問題はこの若者層、無党派層が今後、政治にどのような形で参加していくのか、あるいはいかないのかということですね。前回も紹介した知人がOnline塾DOORSの第1回読書会で都知事選を総括する報告をしてくれました。というわけで、都民でもあるこの知人に特別にゲスト参加してもらい、都知事選、とくに石丸現象を総括してもらうことにしました。

C 私はインターネット上の情報を丁寧に(才覚をもって)探せば、がれきの中にも価値ある情報が多く存在することを示す「情報通信講釈師」を自称しています。したがって、今回の都知事選に関しても、ネット上の言論を渉猟して紹介しつつ、あわせて私の見解もお話したいと思います(下図は読書会報告のPPTファイルの1画面。北川高嗣・筑波大学名誉教授の評価で、既存政党の混乱ぶりを鋭く指摘している)。
 都知事選での上位3人の候補に対する私の評価は<1位小池:現職の立場を利用し、組織票を固めた老練な悪徳政治家、2位石丸:間接的に金を払ってYouTuberを使い若いネット民の心を巧みに掴んだが、安芸高田市では典型的なパワハラ上司タイプで訴訟されている、3位蓮舫:現職批判に徹し過ぎ、何をやるのかを明確に示せていなかった>となります。私自身はこれ以外の候補に投票しました。
 石丸躍進については、作家・古谷経衡さんが日刊ゲンダイ「石丸伸二氏を支持した『意識高い系』の空っぽさ」という論考が出色だと思います。まず「石丸氏は自己顕示欲や承認欲は旺盛だが、具体的な知識や教養が伴わないため、キラキラした空論しか言えない典型的な『意識高い系』である。 彼の2冊の著書『覚悟の論理』、『シン・日本列島改造論』から分かることは、コスパ(コスト・パフォーマンス)、つまり合理性と効率、損得勘定がすべてで、彼のコスパ最優先の世界観は都内の若年有権者に響いた」と分析しています。
 さらに「損なこと・無駄なことはやらない。得だと思えば最短で結果が出る戦略を実行する。要は弱者切り捨ての正当化であり、自己責任論の亜種である」と断じ、「 出口調査では、10代~30代の若年層から強く支持されたことが明らかになっており、若者に限ったことではないが、コスパとタイパ(タイムパフォーマンス)が社会をハック(うまくやり抜く)する必須の道具と理解している」と書いています。

B なるほど、鋭い分析ですね。とくに今回選挙で躍り出た若者の精神風土についての考察は考えさせられます。以前、このコラムでも紹介したけれど、某大学教授が「最近の若者は寅さんのおもしろさがわからない」と嘆いていたのを思い出します。若者の感性がもはや日本の伝統と切り離されているというか。

C 古谷氏は、彼らについても今の若者は 2時間を超える映画を見ることができず、15分に短縮したファスト映画が横溢し、本や記事を読むことが苦痛で、要点だけをまとめた『見出し記事』で何かを分かった気になっており、議論より『論破』を好む。こうした知的怠惰の層は確実に増えており、ユーチューブなどのまとめ動画にふれたのがキッカケで石丸支持に向かった者も多い。彼を支持した西村博之氏、堀江貴文氏らのメンツを見れば、支持層の知性水準がおのずと明らかである、と。

B これまで選挙や政治と無縁に生きてきた若者がユーチューブのスター、石丸氏によって政治の場に引きずり出されたわけで、だから彼らは小池氏に投票しなかった以上に、既成野党に支えられた蓮舫候補に見向きもしなかった。そういう意味では今回、可視化された若者の参加はプラスとも言えるが、内実を見ると、きわめて心配な点がありますね。

C 古谷説の説明が長くなりますが、彼は「石丸の大番狂わせは政治不信の結果なのだろうか。否である。既存の政治家が何を言い、何をやり(あるいはやらないか)すら、自分で調べることが面倒で小難しいと考えている人々が石丸を支持した層の主体である。世の中に全く無関心というわけではないが、民主主義に参加する際の最低限度の作法すら身に付けておらず、具体的な知識も持っているわけではない──。こういう空っぽな連中には、『石丸程度』がちょうど良かったというだけではないか」と核心を突くことを言っています。

B 思わず、うーんと唸ってしまいます。ここには長い間の日本の教育行政が反映している。大学では人文科学より手っ取り早く金が稼げる工学系を重視すべきだとか、政府批判をするような学者や大学は排除するとか、学術会議を政府寄りに改組すべきだとか、長い間の文教教育のいびつさが生み出した奇形的学生が増えているわけで、中立というのは政府の考え方に従うことだとマジメに思っている学生も珍しくないとか。
 寅さんではないけれど、泥臭さ、一生懸命さが一番嫌われる。こういう若者と石丸氏の嗜好はぴったりかも。マスメディアの軽薄さについては後に触れますが、ユーチューブなどで論陣を張っている人にも、こういう若者に受けそうな軽薄な人が多いように思います。
 ちなみに古谷氏が「意識高い系」という言葉を使っているところが興味深い。「意識が高い人」とはむしろ逆の存在で、ウイキペディアでは、<自己顕示欲と承認欲求が強く自分を過剰に演出するが相応の中身が伴っていない人、インターネット(SNS)において自分の経歴・人脈を演出して自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称」と説明しています。<本当の意味で意識が高い人の表面的な真似に過ぎないため、「系」と付けられている>ともあり、この「系」というのがいかにも現在の精神状況を反映しているように思います。

A 古谷氏はれいわ新選組が共同代表選挙をやったときに立候補した人ですね。

B そこで、前回も書いたように、今回ともかくも投票所に行った若者たちが今後、れいわ支持に向かうのか、石丸氏など維新の風潮になびいていくのかはきわめて重要ではないかとも思ってるんですね。
 ユーチューブ大学の中田敦彦氏との対談やテレビ「TVタックル」での発言を見ていると、「自民党政治の密室性を排する」とか、「国政には当面関心がない」とか言っていて、しっかりした印象も受けるけれど、突然、論理的には「明日地球が破滅する可能性もないわけではない」という意味で、「国政進出の可能性もある」、「広島一区とか」というふうなメディアが飛びつくようなことを言って敢えて波風を立てようとするなど、人間的な誠実さは感じられないですね。

C 橋下、ホリエモン、東国原などの人とは知的レベルが違うかも知れませんが、品性の無さは同程度かと思います。「論語と算盤」の観点からすれば、算盤ばかりで論語を勉強していない、片手落ちの人間なんだろうと思います。そうでなければ、一夫多妻制とか遺伝子組み換え人間といったことを早計に口にすることはないと思いますね、ましてや公共の電波を使って。

A 「義理と人情が、たとえわずかであっても、金絡みの世の中を救っているんだ」(宇江佐真理『髪結い伊三次捕物余話』の主人公、伊三次のセリフ)に共感する身としては、算盤だけの石丸氏には大きな違和感を感じます。

B 現代日本社会が抱えている大きな滓(氷山)の一部が一気に浮上したというか、可視化した印象があります。ここをよく考えないといけないですね。しかも、北川先生の言うように、蓮舫陣営は「完敗の説明も整理もできない」呆然自失の状態です。泉健太代表をはじめとする立憲民主党は、たとえ党首をすげ替えても、蘇生に向かえるかどうか。

C 文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」で大竹まことが「選挙が終われば普通は沈静化するのに、今回は石丸伸二がメディアで引っ張りダコみたいな現象になっている」と指摘しつつ、こんなふうに述べていました。「これまで自公政権がずっと社会を引っ張って来たけど、何十年も低迷していて、給料も上がらない、誰がやっても良くならないという諦めムードの中、イキのいい人が出て来た。今までの政治は組織票が強く、若者の意見は届かない。そこに、この人は何を考えているんだろう?どうしたいんだろう?と年寄りも若者たちも、石丸現象を不思議に思っている」と。
 日刊ゲンダイは都知事選・都議補選の結果で与野党にショックが広がっており、その一因として連合会長の言動が問題だとして、以下の発言を紹介しています。

・ 選挙前後の芳野友子連合会長の言動に立民、共産、蓮舫が猛反発中しているが、連合会長が共産党排除を言う資格があるかは疑問である。労働組合は賃金引き上げのために組織されたものだが、企業が550兆円以上の内部留保を持つ中、連合はアクションを起こさず、労働貴族化している(精神科医・和田秀樹) 
 ・連合は一体どこを見ているのか? 労働者を代弁する組織なのか? 野党を応援しているのか? 第2経団連を目指しているのか? 第2自民党か? 自民党の手下のように振る舞ったり、立ち位置がさっぱり分からなくなっている。連合の動きが野党に対する誤解を招き、ひいては国民にとってマイナスに作用している (政治ジャーナリスト・角谷浩一)

 私としては、自民党トップと会食する連合芳野と大手マスコミ各社トップが日本の政治・経済の低迷化を加速している元凶だと思いますね。

B いよいよマスメディアが登場しました(^o^)。今回はっきりと可視化されたのがメディアの悲惨な状況でもありました。その象徴的事例として、ここでは朝日新聞政治部記者K氏の蓮舫批判というか、これが政治部記者なのかと根本を疑わせるケースに触れておきます。
 K氏のⅩの書き込みは右の通りだが、文字起こしすると、こうなります。「ザ蓮舫さん、という感じですね。支持してもしなくても評論するのは自由でしょう。しかも共産べったりなんて事実じゃん。確かに連合組織率は下がっているけれど、それは蓮舫さん支持しなかったかではないでしょう。自分を支持しない、批判したから衰退しているって、自分中心主義が本当に恐ろしい」。
 芳野連合会長が「蓮舫陣営は共産党から支持されたことで票を逃した」と余計な横やりを入れたのに対して、蓮舫氏が「小池氏を支持した人に言われる筋合いはない」と反論したことに対して、茶々を入れた投稿ですね。小中学生なみの書き方「じゃん」。
 こういうことを朝日新聞政治部記者が書くようになった。本コラム53回でやはり朝日新聞編集委員の朝日デジタルでの書き込みを取り上げたけれど、あれも新聞記者の素質を疑わせるものでした。いまの朝日新聞にはジャーナリズム精神と無縁のこの種の記者が過半を占めるのではないかとさえ思わされます。
 先日、ある会合で汐留シティセンターの42回レストランから朝日新聞社屋を望む機会があったけれど、再開発ビル群に囲まれた朝日新聞ビルのなんと小さく見えたことか。後ろに広がるのが築地市場跡地ですが、その再開発事業を推進するのは、明治神宮外苑再開発も手がける三井不動産を代表企業とするグループで、構成企業にはトヨタ不動産、読売新聞グループ本社、鹿島や清水建設、大成建設、竹中工務店、日建設計、パシフィックコンサルタンツとともに朝日新聞社も名を連ねています。
 前回、「組織のトップが無能であると、自分の非力を補完する有能な人材を回りに集めるのではなく、むしろ自分の地位を脅かす有能な人材を排除し、自分を忖度して動いてくれる、あるいは自分の地位を脅かさない無能な人材を集める」と、組織における「無能移譲の原則」とも言うべき〝法則〟にふれたけれど、朝日新聞はこのところどんどんダメになりつつ、いよいよダメな人間を培養してきたのだと思います。
 もちろん、それは自民党にも、野党にも、企業にも言えますね。小林製薬、東京モータースなど世襲企業の名がすぐ浮かぶけれど、日本の政治をダメにしたのが世襲議員でもあります。

A 新聞記者劣化の一つには、貴兄の若き記者時代に於ける田中哲也氏のような、先輩記者に恵まれなかったこともあるかも知れませんね(㊸、『混迷の先に激変の兆し』補遺として「これが新聞記者だ 反骨のジャーナリスト田中哲也」を収録、アマゾンで販売中)。
 氏の任侠三部作は好きな歌です。またスナックで歌おうかな(^o^)。ちなみにこれもときどき本コラムに登場してもらう友人のH氏も記者の劣化を憂いて、「朝日は戦前戦中に回帰するのか!」と嘆いていました。

B 以前、「『安倍国葬』に見る日本の明るい闇」(『山本太郎が日本を救う』所収)をテーマにしたことがあるけれど、戦前の「暗い闇」とは違い、ある意味ではもっと絶望的な「明るい闇」がいま日本を覆っているといえますね。
 僕が心配しているのがこの地滑り的流動化が、これまで山本太郎やれいわ新選組が営々として掘り起こしてきた無党派層、若者層の政治への掘り起こしを促進する方向に働くよりも、むしろ引きはがしに向かうのではないかということです。
 ちょっと気になるのが選挙後の20、21両日に共同通信が行った世論調査で、れいわ新選組の支持率が3.3%と前回(6月22、23日)の5.1%より減り、次期衆院選での比例代表制で投票する政党では3.0%とやはり前回の4.4%より減っていることです。
 自民の裏金問題がピークのころ、次期選挙では自民激減、立憲大幅増という予測もありましたが、あのころ(と言っても数カ月前)までは人びとの意識に政権交代への幻想があったけれど、事態はまたがらりと変わりつつありますね。

A 我々としては、地道にやっていくしかないですね。昨日は事務所のポスターを張り替えました。 

[空気を読まない馬鹿にしかこの国は変えられない]
[世界に絶望してる?だったら変えよう]

 誰が考えたのか実に力強いメッセージですね!山本代表の顔はますます風格を感じさせます。
 グループラインでれいわサポーターズ三重の仲間からいいねの大絶賛。参加した時は40名弱だったけれど、今では総勢60名を超えました。何よりも皆若くて、30代から40代前半のメンバーが多いのが強みです。活動量も多く、中でも女性陣ががんばっています、主婦も多い。

B 海の向こうではとうとうバイデン大統領が次期大統領選からの撤退を表明しました。土壇場まで引きずったことの痛手は大きいけれど、ともかくも彼は撤退を決断した。民主党も新大統領候補、カマラ・ハリス副大統領を支援する態勢を立て直し、トランプ候補に堂々と対決してほしいですね。

新サイバー閑話(115)<折々メール閑話>56

小池都知事3選と健闘した石丸候補の危うさ

B 7月7日投開票の東京都知事選は現職の小池百合子氏3選で終わりましたが、考えさせられることの多い選挙でした。石丸伸二候補は無党派層、無組織層の票を吸収し、蓮舫候補を上回る2位となりました。とくに若年層の支持を集め、それも関係してか投票率が60.6%、前回の55%に比べると5ポイントも増加しました。
 本コラム53回のタイトルは「混沌の先に激変の兆し」で、これを『山本太郎が日本を救う』第3集のタイトルにもしています。外野席からひそかに期待した「小池知事3選阻止」はかなわなかったとは言え、まさに「激変」したと言っていいでしょう。
 小池知事は裏金自民の支援を表に出さない戦略で、現職の強みを生かしつつ、実際は自民党、公明党、さらには組合の連合などの組織票を固めて292万票を得ました。これに対して小池都政リセットを掲げた前立憲民主党参院議員、蓮舫候補は立憲民主党と共産党のやはり組織層を基盤にして闘い、無党派層の支持を獲得するのには失敗しました。
 ここだけを見ると、既存の選挙パターン、大票田の無党派層を枠外に置いて繰り広げられる組織本位の選挙戦と同じです。そこでは保守が強く革新はじり貧、その外側に存在する無党派層、無組織層、若年層はむしろ選挙に無関心で、したがってどんどん投票率も低くなり、選挙そのものが形骸化すらしていたわけですね。

A 蓮舫応援に立ったのが立憲の野田佳彦、枝野幸男といった古色蒼然たる顔ぶれだし、共産党は組織そのものが高齢化しており、これでは利権政治の自民党に勝てるわけがないですね。

B そこに新風を巻き起こしたのが石丸候補でした。安芸高田市長としての活躍ぶりに興味を持ち、選挙中盤の街頭演説に多くの聴衆が集まるのを見て、一時は打倒小池百合子の期待を抱いたほどでした(写真は新宿での石丸候補と聴衆)。彼はたしかに無党派層、若年層の支持を集め、それが蓮舫を上回る166万票も獲得した理由です。蓮舫候補の128万票をたすと、294万票で、わずかではあるが、小池票を上回っています。小池百合子が勝ったとはいえ、内実を見ると、圧勝とは言えないですね。
 しかも、4、5位にほとんど無名だったIT専門家の安野貴博、医師・作家の内海聡の各氏が入っており、この2人の票をあわせると、4位の田母神俊雄候補を上回る27万余票です。安野、内海両氏の得票も既存の保革対決の図式を外れたところに選挙民の関心がある証拠ではないでしょうか。都知事選の詳しい投票分析が待たれますね。

A 既存の組織中心の選挙から離れようとする兆候が見られ、その最大の証拠が石丸善戦でしょう。石丸候補の周辺には橋下徹氏など維新の影がちらついて敬遠気味でしたが、石丸陣営が選挙前に日本維新の会に選挙協力を申し出ていたことも選挙後に明らかになり、さもありなんと思いました。

B ここが注目すべき点ですね。石丸候補の参謀は維新に近い人だとも言われていました。既存組織とは一線を画した新しい勢力として台頭、安芸高田市長時代からのユーチューブファンを中心に若者の支持も集めたけれど、それでも小池打倒とは行かなかった。だから個人的には、彼の役割は終わった感じがしますが、問題はむしろその先にある。今回、石丸候補を支持した若者は、今後どこに向かうのか。
 山本太郎は既存の政党には吸収されない無関心層、あるいは若者層に働きかけて新しい政治をやろうとしているわけだけれど、都知事選ではれいわ独自の候補を立てず「静観」の態度をとりました。
 今回、石丸候補は多くの若者層の関心をとらえたけれど、これを別の観点から見ると、若者の関心が石丸候補を媒介としてさらに保守の方向に流れる危険を感じます。れいわ支持層をはぎ取って保守へと回帰させる恐れもあるのではないか。したがってこの「激変」はれいわにとって大いに警戒すべきではないかとも思うわけです。
 選挙中に流れたいろんな番組のなかで、たとえば「ユーチューブ大学」の中田敦彦氏との対談などを見ていると、古い密室政治と一線を画する考えに感心することもあったのだが、選挙後は新たな「政治屋」の誕生という面が浮き彫りになっているのは、大いに残念というか、幻滅ですね。もっとも、彼が日本のマスメディアのダメさ加減をあぶりだしてくれたのはプラスだったと言えます。

A くだらない質問をするメディアを一刀両断で切り捨てる態度には快哉を叫びたいところもあったけれど(^o^)、若い女性アシスタントの質問を頭から無視してバカにする一方で、橋下徹氏などには下手に出るなど、人間的な誠実さを疑わせました。

B 知人で最初から石丸候補に「維新の臭い」をかぎ、さらばと言って蓮舫では勝てそうにない、いっそ自分が信じるまっとうな人に投票しようと、内海聡候補に投票した人がいます。選挙リテラシーということを考えると、2位の候補に投票し小池打倒をめざすのがいいけれど、もはや小池3選阻止は無理と考え、意中の人に投票したわけで、これはこれで見識とも言えます。そういう人が安野さんに投票した人も含め27万人いたということでしょう。
 ところで、その知人が石丸候補独特の話法を皮肉った「マックの注文」というインターネット上の辛口パロディを教えてくれたので紹介しておきます。
 石丸氏には安芸高田市長選をめぐるポスター制作費をめぐって印刷会社から代金未払の訴訟を起こされ最高裁で負けたり、安芸高田市議から「恫喝した覚えはない」と訴えられた裁判でも高裁で敗訴するなど、これも橋下徹譲りなのか、訴訟されても平気という体質もあるようで、だんだん化けの皮がはがれてきたようですね。

A 彼には弱者に対する思いやりをいささかも感じない。これも橋下徹と同じ。山本太郎との大きな違いです。ポスター代金不払い訴訟では担当弁護士に「モンスタークレーマー」だと一刀両断されていました。
 共産党の友人が「今回の結果は、ジャーナリズムの責任と言うより、大衆の心理を見極めることが出来なかった立憲民主党と共産党の責任だと思います。私も蓮舫に期待していたが甘かった。大衆は強いヒーローを待ち望んでいる。特に10代〜50代。石丸にも橋下が出て来た時と同じ様に感じます」と言っていました。

B 都知事選で同時に行われた9選挙区での都議補選では、自民党は8人を擁立しながら当選は2人で、裏金自民への批判の風当たりは弱まっていないこともわかりました。
 石丸候補が今後どう政局に絡んでくるのか、もはやあまり興味もないのだが、むしろ大事なのはれいわの今後です。
 山本太郎は投票翌日の9日も栃木でのおしゃべり会に参加し、持論を展開しつつ次期衆院選に向かっての構想を話していたけれど、石丸候補によって掘り起こされた(とにかく投票に行った)無党派層、若年層が、石丸候補や維新の方向に流れないように一層の活動が必要だということになりますね。
 われわれも「貧者の一灯」を掲げ直して、次期衆院選でのれいわ国会議席20人以上を目指しましょう。

A 先の友人は「山本太郎と石丸伸二は月とスッポンです(!)」と言ってくれました。石丸氏は広島一区から衆院選出馬の意志もあるみたいですが、無脳キシダの代わりにとんでもないモンスターが誕生する恐れもありますね。

B あまり注目されなかったけれど、2022年7月8日は先の参院選最中に街頭演説中の安倍元首相が統一教会の信者2世の若者に銃撃された日です。奈良市で起こったこの事件については本コラムでもリアルタイムで取り上げましたが、あれから2年がたちました。統一教会問題に関しては、7月11日に最高裁で画期的な判決が出ています。信者が献金に際して「損害賠償請求をいっさいしない」と書いた念書は、「教団の心理的な影響下にあった」もので無効であると、下級審の教団勝訴の判決を破棄しました。こういう教団に対して時の首相がメッセージを送っていたわけで、この銃撃事件の裁判の行方も注目されます。
 安倍政権の膿はまだいっぱいたまっているわけで、都知事選で見えた「激変の兆し」を、政治を本道に戻す「兆し」にしてもらいたいものです。

 

新サイバー閑話(114)<折々メール閑話>55

国会無視の「集団的自衛権行使容認」から10年

 B 安倍内閣が閣議だけで集団的自衛権の行使を容認して、すでに10年がたちます。それまでの政府解釈では「集団的自衛権は憲法違反」だとされてきましたが、安倍内閣は2014年7月1日、国会の審議も経ずに、一内閣の決定だけでこれを覆したわけです。「非立憲内閣の上からのクーデター」とまで言われた暴挙だったわけですが、この決定により、日本は「専守防衛」から大きく舵をとり、「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、日本国民の権利や生命が根底から覆される明白な危険がある」場合は武力を行使できることになりました。
 本来、立法府である国会で議論し決めるべき事柄が、行政府である内閣によって安直に、そして恣意的に決めていいのだという風潮がこれ以来、一気に広がりました。悪貨が良貨を駆逐するように、民主主義的な政治手続きが骨抜きになり、国会を無視するばかりか、民意などどこ吹く風、大事なことは何も説明せず、不都合なことはあえて隠して、強引にことを運ぶという路線の上にここ十年、アメリカ追随の軍事大国化への道を突き進んできたわけです。
 安倍内閣は2015年にその閣議決定をもとに集団的自衛権行使容認を柱とする安全保障関連法を成立させましたが、この動きは岸田政権へと受け継がれます。2022年12月には、防衛力強化に向けた新たな「国家安全保障戦略」などの安保関連3文書が、これも閣議決定され、敵基地攻撃能力(反撃能力)保有も明記されました。また防衛財源確保法、防衛産業基盤強化法なども成立、武器輸出ルールの緩和も進んでいます。

A その安倍政権は2020年1月、当時「政権の守護神」とまで言われていた東京高検検事長、黒川弘務氏の定年を、これも突然、これまでの慣例を無視して閣議決定だけで「検察官の定年に国家公務員法は適用できる」ことにし、黒川氏が63歳の定年を迎える数日前に半年間延長することを決めた。半年延長する間に彼を65歳定年の検事総長に昇格させようという恐れ入ったごり押しです。

B 森加計問題や桜を見る会など安倍政権の強権政策への国民の批判を、検察当局に「身内」の人材を送り込むことで糊塗しようとしたわけですね。集団的自衛権容認のために法の番人ともいうべき内閣法制局長官の首をすげ替えたのと同じ手法です。
 この点については本コラム「日本を蝕んでいたアベノウイルス」(『山本太郎が日本を救う』所収)で取り上げ、以下のように書きました。

 なぜ安倍政治は短期間の間に日本をかくも無残な状態に陥れることができたのか。それは安倍晋三という個人の資質と大いに関係があります。一方に愚鈍というほどの無神経があり、他方に一国の首相という絶大な権力があった。この不幸な組み合わせが、他の人ならさすがにここまではやらないと思うような事柄を臆面もなく実行させ、しかもそれが実行された暁には、多くの人が「そういうことも許されるのか」、「それもありか」と安易に追随するという連鎖が起こった。それが「決断する政治」の内実です。ここには既成事実に弱い日本人の特性が大きく影響していると言えるでしょう。この結果、政治の世界のみならず、日本社会の隅々までアベノドクが蔓延しましたが、銃撃事件によってそれが国民の目に可視化されたわけです。

A 折りしも今年6月27日、検事長定年延長に関する文書の開示を求めた訴訟に対して、大阪地裁は「法解釈の変更は元検事長の定年延長が目的」だと明快に断じ、国に文書開示を求める判決を出しました。

B 今更ながらとは言うものの、まっとうな判断が出てほっとしました。従来の判決ではクロであるものをシロと言い含めるために、やたらに複雑な判決になりがちですが、すなおに考えればこういう判断になるしかないと思わされる明解な判決文でもあります。
 結局、この10年で日本の立憲政治は完全に空洞化したと言ってもいい。安倍内閣の罪はきわめて大きい。自分ではほとんど何も考えない岸田首相は、安倍元首相の路線上で対米追随外交をしゃにむに推進しており、日本の主体的外交というものはまったくない。訪米時にバイデン大統領の専用車に乗せてもらってにやついている岸田首相の顔は見苦しいですね。

A そのバイデン大統領もひどい。年末の大統領選をめぐるトランプ元大統領との最近の討論会では年齢的な衰えが目立ち、正視するのもつらい状況で、ニューヨークタイムズなど「あなたが国に貢献できる唯一の方法は大統領選から撤退することだ」と述べたほどです。

B 彼は自分の年齢的衰えを自覚しているのだから、潔く身を引いて、トランプ大統領再選の「悪夢」を実現させないように最善を尽くすべきだと思いますね。これは政治家のモラルの問題です。いつまでも権力にしがみつく彼の姿はまことに醜い。日本の新聞が嘘にまみれた小池都知事に引導を渡せないのに比べると、ニューヨークタイムズは立派だとも思いましたね。

A 裁判の話題ということでは、7月3日、最高裁大法廷で「旧優生保護法は個人の尊厳と人格の尊重の精神に反しており」違憲であるとの判決が出ています。これも特筆すべきだと思います。
 いまは東京都知事選が真っ盛りですが、混沌の先に激変の兆しは見えますかね。最近はこんなことも考えます。

 宇江佐真理の小説に出てくる人情あふれる長屋共同体はどうして跡形もなく消えてしまったのか。小学生から中学高校まで過ごした小さな町の7棟の2軒長屋時代には、それは間違いなくあった。14家族のそれぞれの家族が何人構成で、一家の主の職業はもちろん、子どもたちの名前や誰が何年生でどこに通っているか、成人した家族はどこで働いているかなどすべてが分かっていた。嫌なおばさんもいて、少々うるさく思うこともあったが、それは江戸時代の長屋生活でも同じだろう。おおむね親切で優しいおばさんが多かったし、年寄りは年寄りらしくそれなりに尊敬され、暖かく皆も接していた。お金の貸し借りがあったかどうかは知らないが、味噌や醤油の貸し借りは普通だった。当時は毎日風呂を沸かす家など多くはなく、お互いもらい風呂というときもあった。皆等しく貧乏でお金持ちはいなかった。電話は親しい商店にかかって来て呼び出し電話だったし、テレビも無かった。

 B 僕のところも風呂は共同で、風呂焚きは住人の当番制でした。風呂が沸くと拍子木をもって町内をふれ歩いたことを思い出しました。戦後まもなくのみんな貧しいころで、だから相互扶助というか助け合いの精神は豊かでした。と言うか、当たり前の風景でした。
 メソポタミア文明の石に書かれた文字を解読したら、「最近の若い者はだらしがない」というようなことが書いてあったと、これは真偽定かではないけれど、歳をとると昔の生活が懐かしくなるのは古今東西変わらぬようですね。しかし、このことを差し置いても、戦後の日本の歴史は急速に衰退に向かっているように思います。
 戦後の貧しさから立ち直り、やがて高度経済成長になり、みんな故郷を離れて都会に出るようになりました。団地やニュータウンに住み、生活は豊かに、そして便利になったけれども、かつての人びとが大事にしていた大切なものも失われた。
 有名なエズラ・ヴォ―ゲルの ジャパン・アズ・ナンバーワン が出たのは1979年です。1980年から90年代にかけて、世界でも最高水準の経済大国とみなされるようになったわけですが、スイスの有力ビジネススクールIMDが毎年発表している世界競争力ランキングによると、2024年の段階で日本は38位です。3年連続で過去最低を更新しています。企業の生産性や効率の低さなどへの評価が落ち込んだことが主な理由と言われますが、まことに昔日の感に打たれます(表は日本経済新聞から)。
 安倍政権はその衰退の時期に生まれ、それを立ちなおすべきときに、むしろ破壊し尽くしたと言えますね。この期間は政治の堕落と経済の衰退が軌を一にしています。いまの若者は高度経済成長も知りません。日本の過去の長所の多くが失われ、それに代わる新しい秩序、倫理が生まれないことに、ITの発達が関係しているというのが僕の持論でもあります。
 過去の誤りの指摘はそれ自体としては必要であり、また意味あることでもあるが、その間の歴史を取り戻すことはできないですね。

 A こういう状況下にありながら、たとえば東京都知事選では依然として小池百合子現知事の優勢が伝えられているわけでしょう。公明党婦人部が小池百合子を支持しているのもどうかと思うけれど、労働組合の連合が小池支持というのは開いた口がふさがらないですね。小池百合子のどこが働く者の味方というんでしょうね。

B 前回もふれたけれど、僕は前安芸高田市長、石丸伸二氏の街頭演説の熱気に新しい政治の息吹を感じています。彼が保守の小池支持層を突き崩してそのまま突き進むか、その余波で蓮舫が浮上してくれることを、外野から期待している状況です。

新サイバー閑話(113)<折々メール閑話>54

「終わりの始まり」の予感、あるいは期待

B 第213回通常国会は6月23日に閉会しました。歴史的な評価は後世の史家に委ねるとして、ここ数年、政情を見てきた身には、最低の国会だった気がしますね。閉会間際の19日に岸田政権初の党首討論があり、立憲民主党(泉健太)、日本維新の会(馬場伸幸)、日本共産党(田村智子)、国民民主党(玉木雄一郎)の各党首が、政治資金規正法改正のザル法ぶりなどを批判して、岸田首相に「国会を解散し改めて国民の信を問うべきだ」と迫りましたが、岸田首相はただ突っぱねるだけ。玉木代表の「あなたはいま四面楚歌ですよ」という指摘に対して「私自身は四面楚歌であるとは感じておりません」と答える一幕もありました。総じていえば岸田首相の相変わらずの無責任ぶりと、野党側の迫力不足を感じさせられました。

A 党首討論にれいわの山本太郎が入っていないのが残念でした「だからこそ国会の議席を増やさないといけない」という山本代表の悲願がわかりますね。

 B 政治資金規正法改正はザルだらけで成立しましたが、岸田首相は政権の支持率低下などの世論の風向きを見て、形だけの改正法を成立させればいいと考えているから、企業献金をやめるというふうな抜本改正をやる気はまったくない。実質的に規制するのではなく、規制の外観だけをとりつくろうとする思惑が見え見えで、審議中に自民党議員に対して、抜け穴は十分あるというふうな背景説明などもしていました。
 彼が自民党だけを見て、国民にはまったく目を向けていないのは明らかで、改正法をあえてザル法にしたり、細かい規定は後に考えたりというまやかしの法づくりです。このようないい加減な法案づくり自体、前代未聞の気がします。

 A 規正法改正の細かい条文をめぐり公明、維新と折衝をくりかえし、そのたびにメディアは経緯を詳しく報道しましたが、本質にはあまり関係のない話です。たとえば、政治資金パーティー券購入者の公開基準額を「20万円超」から「5万円超」に引き下げるとか、国会議員に月額100万円が支給される「調査研究広報滞在費(旧文書通信交通滞在費)」をめぐる改革とか。後者では、首相が今国会での改革を維新代表と合意したのに、結局は見送ったことで、維新の会は「嘘つき岸田」と批判して、衆院で賛成した法案に参院では反対にまわったりしています。

B 今回の国会は「荒れた」わけではなく、荒れるほどのエネルギーが野党になかったということだと思います。
 今国会で成立した地方自治法改正、子ども・子育て支援法改正など、みんな問題含みだったと言えますね。自民流(岸田流)の政治手法は、①法制定は極力細部をあいまいにして、事後に裁量でどうにでも解釈できる余地を残しておく、②国会では十分な議論を尽くさない(民意の代表としての国会を軽視する)、③不都合な抵抗は無視して、問題を何度も蒸し返し、その間に大金を投じた世論工作をし、自らの意向をごり押しする、といったものだと思うけれど、その当然の結果として国民の順法精神も形骸化、末端ではルール無視が日常化しているのではないでしょうか。
 5月30日までの折々メール閑話をまとめて、『山本太郎が日本を救う・第3集 混迷の先に激変の兆し』を刊行し、その表紙に山本太郎の「野党を強くしていくためには、国会で徹底的に戦う姿勢と国の経済を立て直すための太い経済政策が必要です。そのためには、私たちがまず強くなる必要がある」という発言を掲げましたが、まったくその通りだと思います。

A まっとうな議論が行われない国会にしたのは、やはり国民にも責任がある。

B タイトルの「混迷の先に激変の兆し」というところに、我々としては一抹の希望を見たいと思っているわけです。それを感じさせてくれる一つが、20日に告示された東京都知事選挙における石丸伸二・元安芸高田市長の善戦ぶりです。前回の折々メール閑話で石丸伸二が台風の目になるとの観測を述べましたが、告示後1週間までの街頭演説に多くの聴衆が集まっているのを見ると、ひょっとすると、という思いが強くなりますね。

A 石丸陣営にはいつのまにか大きな支援グループが出来ているようですね。大物財界人が支援しているとか、「選挙の神様」と言われる選挙のプロが事務局長に就任したりしています。
 何と言っても彼には安芸高田市長としての実績というか、市議会の旧態依然たる保守政治家と対決してきた経緯があります。この動画がユーチューブで全国配信され、人気動画になったために、これまで政治にそっぽを向けてきた若者層の関心も呼び起こしました。

B 彼については当コラム「岸田首相と石丸安芸高田市長の器の差」(㊷、第3集に収録)でも取り上げていますが、既成政治家とはだいぶ違うスタンスをとっています。彼の言動を見ていると、自民党、公明党、さらには労働組合の連合など保守的組織の支持を見込んでいる小池百合子陣営、立憲民主党や共産党など革新的な組織票を見込む蓮舫陣営に比べ、石丸陣営には、とりあえず組織の支援というものがない。
 保守にしろ、革新にしろ、高齢者にしろ、若者にしろ、いずれも既存の組織と関係のない、要は組織票と無縁なところに新味と強みを感じます。硬直化した既存の選挙戦とは違います。

A 「東京を動かそう」、「政治屋一掃、恥を知れ!」という彼のフレーズはいい。実践エコノミストである点、政策への期待もあります。ただ山本太郎と比べると、弱者目線が弱い。何と言っても彼はエリートですからね。
 今回の都知事選には有名なIT専門家も立候補しており、少し選挙風景が変わってきたかも。しかし、打倒小池百合子という観点から見ると、蓮舫、石丸が競いあって、共倒れする心配もあります。われわれには選挙権はないけれど、都民が今後の情勢をよく見極め、賢い選択をしてほしいです。

B れいわ新選組は都知事選では候補を立てず、「静観」という態度をとっていますが、石丸陣営が体現するものとれいわ新選組が求めてきたものとは似ている点がある(もちろん違う点もある)。
 石丸陣営の強みは硬直した既存政治の否定ですが、保守層からもかなりの支持を得ているようです。この「新しいうねり」は、山本太郎がこれまでの活動を通じて掘り起こしてきたものと重複するところも大きい。
 今回の都知事選は既存の政治に不満を抱いている人びとが、あらためて政治に関心を持つきっかけになりそうな気がします。石丸氏が当選できるかどうかはもちろんわかりませんが、落選したとしても、多くの人に「新しい政治」の可能性を感じさせた点で大きな意義があったと言えるでしょう。
 それは、れいわの次期衆院選での躍進を予感させるものでもあります。既存政治の退廃から抜け出す「終わりの始まり」の予感、あるいは期待というものを感じさせますね。

 例によって、㏚です。
 『山本太郎が日本を救う第3集 混沌の先に激変の兆し』(サイバーリテラシー研究所刊、アマゾンで販売)は前回同様、定価1300円(+消費税)で、目次は以下の通りです。2023年8月14日から2024年5月31日までの「折々メール閑話」を採録しています。補遺に本文㊸でふれた反骨のジャーナリスト、田中哲也の紹介文とかつて読売新聞文化欄に寄稿した論考を採録しました。

PARTⅠ <折々メール閑話>
花火を「商品化」し地元民を締め出す倒錯㊲
原発汚染水放出と鎌倉市庁舎移転㊳
ジャニーズ事件と「自浄能力」喪失日本㊴
今日も孤軍奮闘するれいわ新選組㊵
統一教会・ジャニーズ・大阪万博㊶
岸田首相と石丸安芸高田市長の器の差㊷
寒暖差激しい秋の夜長のだらだら閑話㊸
岸田政権崩壊で加速する政局の「液状化」㊹
いよいよ沈みゆく泥沼の日本政治㊺
ついに「れいわの出番」がやって来る㊻
いま力強く羽ばたくれいわの「白鳥」㊼
号外・山本太郎が次期総理候補第2位に
多難な年明け れいわの真価が試される㊽
#大石あき子、橋下徹に完勝したってよ㊾
菜の花咲く春なのにまともな政治はまだ来ない㊿
もはや自民党政権にはつける薬もない 51
小池都知事の「嘘で固めた」人生の黄昏? 52
混沌の先に激変の兆し。焦点は都知事選 53
PART Ⅱ補遺
<1>これが新聞記者だ 反骨のジャーナリスト 田中哲也
<2>IT技術は日本人にとって「パンドラの箱」?
 

新サイバー閑話(112)<折々メール閑話>53

混沌の先に激変の兆し。焦点は7月の都知事選

B ここ1年ほどの日本を見ていると、どんどん悪くなっていくというか、いよいよ衰退し、沈滞していく傾向をひしひしと感じますね。政治の堕落が官界、経済界、メディア界に広がり、日本全体がまさに混沌として、「液状化」という言葉がぴったりです。こういう状況を象徴しているのが、人物で言うと、岸田文雄首相と小池百合子東京都知事、政党では、自民党とその亜流とも言うべき日本維新の会ではないでしょうか。
 最近のニュースを拾うだけで、彼らが繰り出す日々の行動の軽薄なこと、自分本位なことにあきれてしまいます。まさに「今だけ、自分だけ、金だけ」、彼らの念頭には政治理念も国民の存在もありません。
 たとえば岸田首相。6月から始まる「定額減税」を自分の手柄と印象づけたいために「減税額を給与明細書に明記する」ことを企業側に義務づけた。企業、とくに中小企業の煩雑な手間のことは考えていない。たとえば小池都知事。都議会で経歴詐称疑惑に関して追及されても、それを役人に答弁させる。7月の都知事選は立憲民主党の蓮舫参院議員が名乗りを上げるなど熱気を帯びてきましたが、28日には都内の区市町村長有志などが小池知事の3選出馬を要請するパフォーマンスがありました。62区市町村長のうち52首長が名を連ねたというが、1関係首長が明らかにしたところでは「先方の応援依頼」が「当方の出馬要請」へとすり替わったものらしい。経歴詐称疑惑打ち消し工作を彷彿させるやり方です。日本維新の会の大阪万博をはじめとする政策の綻び(無責任さ)はひどいものだが、同党はいま露骨に自民党にすり寄っています。当の自民党の裏金問題は言語道断ながら、最近、自民党議員の何人かが、自分が代表を務める政党支部に自ら寄付することで、所得税の一部を還付させるという、個人献金促進のための税制を悪用した〝私腹肥やし〟をしていたらしい。いやはや。

A これらの出来事をメディアは、ただ事実として垂れ流すだけの報道をして、権力者の宣伝に大いに貢献している。昭和の時代にはあったブンヤ精神がいつの間にか無くなって、「両論併記」で事足れりとするサラリーマン化した連中ばかりになった。本田靖春の名著『警察(サツ)回り』に生き生きと描かれているブンヤの交流風景など今は望むべくも無いのですかね。

B こういう状況になった遠因を考えると、まず、組織のトップが無能であると、有能な人材が集まらないという古今東西を通じての真実に気づきます。自分が無能だからそれを補完する有能な人材を回りに集めるということは起こりにくく、むしろ自分の地位を脅かす有能な人材を排除し、自分を忖度して動いてくれる、あるいは自分の地位を脅かさない無能な人材を集める。優秀な人材を回りに集めるような人は、すでに無能ではないですね。
 自民党政権はこの負の連鎖を拡大生産してきた。岸田首相もそうだし、管元首相もそうだと思うけれど、やはりその前、12年も続いた安倍元首相が負のサイクルを大々的に醸成し、促進した。いったん出来上がった負のサイクルを変えることは至難であり、そういう実態が長引けば長引くほど、弊害は幾何級数的に大きくなります。無能であるために選ばれた幹部が、さらに無能な人材を回りに集め、有能な人材を芽の若いうちに摘み取ってしまう。将来のためにすぐれた人材を育てようとは思わない。その結果が現在日本の政治状況、ひいては社会状況だと言っていいでしょう。
 そこではまっとうな思考そのものが駆逐される。負のサイクルに抗い、正論をはいたり、誤った意見を批判すると排除される。これが権力監視を旨とすべき記者たちにも及び、悪貨が良貨を駆逐するように、大手メディアのジャーナリズムは死滅しつつあります。

A 最近、前川喜平さんが「朝日新聞読むの、もう止めようかな」と発言した「悩みのるつぼ」問題はその象徴ですね。
 朝日新聞土曜版「Be」に「悩みのるつぼ」という人生相談コーナーがあって、そこに50代の男性が、「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています。ロシアの軍事侵攻、イスラエルのガザへの攻撃―最近では、アメリカ大統領選の報道。‣‣‣絶望的な気分になり、夜も眠れません」という投稿をした。その回答者がタレントの野沢直子さんで、彼女は「このお悩みを読んで、まず最初に思ったことは、そんなに心配なさっているのなら実際に戦場に出向いて最前線で戦ってくればいいのにな、ということです‣‣‣あなたがそこまで心配しているなら、その地に行って自分の目で確かめてくるべきだと思います。‣‣‣人間とはないものねだりな生き物で、あまり幸せだと『心配の種』が欲しくなってくるのだと思います。失礼ですが、それなのではないでしょうか」と驚くべき回答をしたわけです。まるでバラエティ番組で、すべてが「やらせ」ではないかとすら思えてきます。
 しかし問題はその先にあった。編集委員だという人が朝日新聞DIGITALで「野沢さんの回答、ぶっ飛んでいうようで重いです。そこまでしなくても、沖縄に行かれて、本土ではまれな米軍基地と隣り合わせの生活をご覧になればどうでしょう。相談者の方がそこで『不正義や理不尽』を感じたなら、同じ日本人として声を上げるという『手だて』があります」とコメントしたんですね。
 彼の態度は完全な第三者というか傍観者的で、ジャーナリストとして投稿者に向き合う姿勢や社会の矛盾に切り込むという覚悟がまるでありません。

B 自分がジャーナリストだとも考えていないわけですね。しかも編集委員氏は「政治・外交・憲法」が専門だと自ら名乗っている。小池都知事の経歴詐称疑惑をめぐっても、真正面から知事を追及しようとしない都庁担当記者の無気力と同じものを感じますね。前川さんが「朝日新聞をやめようかな」と思うのもむべなるかなです。
 泉房穂・前明石市長が「マスコミの政治部は解体せよ」と言っていたけれど、朝日新聞も中枢から腐って全部門に及んでいる気がしますね。
 自立精神を失い、その場の空気に流されていく。明らかにおかしいと思われることも、一部の批判の声はかき消され、だらだらと続いていく。統一教会と自民党議員とのずぶずぶの関係、コロナ対策の無策、東京オリンピックの利権構造とそれを摘発しない検察当局、自民党の裏金問題――メディアが歯止めになるどころか、それと同じ空気の中にどっぷりつかっている。

A 国際的なNGO「国境なき記者団」が5月3日、2024年の「報道の自由度ランキング」を発表しましたが、日本は前年からさらに順位を下げ、G7主要7か国で最下位の70位となりました。
 発表によると、180の国と地域のうち、1位はノルウェーで、2位はデンマーク。「国境なき記者団」は日本の状況について、「伝統やビジネス上の利益、政治的な圧力や性別による不平等などが権力の監視役としてのジャーナリストの役割をしばしば妨げている」と指摘、「日本では政府や企業が主要メディアに日常的に圧力をかけていて、汚職、セクハラ、健康問題、公害など、センシティブとされるテーマについて、激しい自己検閲が行われている」とも言っています。こういう指摘に当のメディアが正面から反論することもないし、「ロシア、中国、北朝鮮、ミャンマーなどの独裁国家に比べればはるかに自由である」、「指標の取り方に問題があるのではないか」などと言って、恥ずかしいとも思っていない。特ダネを雑誌、とくに『週刊文春』に抜かれっぱなしでも何の痛痒も感じない。何のために新聞記者になろうとしたのか、その根本に疑念を感じます。社内教育も行われていないのではないか。

・進む既存制度の空洞化、骨抜き

B もう1つの遠因は、無能なリーダーほど権力を自己に集中したがることです。安倍元首相の安保法制定の時、これは「非立憲政権による上からのクーデター」だと批判した憲法学者がいたけれど、安倍首相は民主主義という制度に埋め込まれていたチェックアンドバランスの仕組みである三権分立制度を、自分の仲間を行政や司法のトップに送り込むことによって破壊した。メディア攻撃も激しく、朝日新聞がダメになったのも、1つには、この攻勢に負けたからです。報道の自由度ランキングは、安倍政権以前の2010年には17位だったこともあったんですね。
 既存制度の空洞化、骨抜きの例として、最近、興味深い例がありました。横浜市立学校教員による児童生徒へのわいせつ事件の裁判で、市教育委員会が横浜地裁法廷に職員を動員し、破廉恥事件の公判をなるべく部外者が傍聴できないようにした。市教育委員会の5月21日の発表では、2019、23、24年度に審理された4事件の公判計11回で延べ525人に職務として傍聴を呼びかけたそうです。裁判の公開原則を力づくで封じたわけです。だれがこんな臆面もないことを考えつくんでしょうね。
 この事件が明るみに出たきっかけは、東京新聞記者の「さして有名な事件でもないのに、やけに傍聴人が多い」というちょっとした疑問でした。東京新聞紙上で当該記者が経緯を書いていますが、傍聴席は48しかないのに、法廷入口にスーツ姿の男女60人ぐらいの行列ができていた。記者が閉廷後、傍聴の1人の後をつけたら、教育機関が入居するビルに入った。その取材が記者会見に結びついたようです。
 教育を看板に掲げる機関がこういうことをやっている。何の疑問も感じず、動員される人もどうかと思いますが、出張旅費なども支給されていたようで、まことに開いた口がふさがりません。

A ここで新聞記者魂が発揮されたことにはほっとします。そういう記者が社内で評価され、また社会的にも讃えられるようになってもらいたいですね。もっとも、2019年からそういうことがやられていたのに、だれもそれに異論をはさまなかったというのは、ちょっと考えさせられます。

B 危急存亡のときは国や首相に権限を集中すべきだと考えがちなのも、同じ発想の延長線上にあります。そのために都合のいいように法やシステムを変えようとするし、国民の代表である国会の役割は、当然のように軽視する。いざという時に中央の司令塔が誤った判断をすると、その被害は全国に広まる危険については考えない。
 戦国時代の骨肉相食む権力闘争はすさまじくはあるが、そのころは技術が未発達で、影響は直接には庶民に及ばなかった。現代IT社会では事情が違います。だからこそ権力集中は恐ろしいという健全な良識というものが働かない。

A 今国会の衆院で可決した地方自治法改正もそうですね。大規模災害や感染症の蔓延など「国民の安全に重大な影響を及ぼす事態」と政府が認定すれば、個別法に規定がなくても政府が必要な対策を自治体に指示できるようになり、これは一見効率が良さそうだが、危急存亡の時に政府が誤った場合は一億総崩れです。しかも、いまの政府に賢明な判断をする可能性はきわめて低い。身近な住民と直接接している地方自治体が個々に判断する方がいいと思いますね。コロナ禍のときの「小中高の一斉臨時休業」とか「アベノマスク」の愚を思い出すべきです。

B 2000年に施行された地方分権一括法は、国と地方の関係をこれまでの上下・主従関係から対等・協力関係へと転換し、個々の市町村において、政策を立案、実行していくための行財政基盤の強化をめざしました。今回の改正法はこれに逆行、地方を国に従わせようとするものですね。地方自治体からも反対意見が聞かれます。何もかも中央で判断する体制ができると、地方は国頼みの発想をいよいよ強め、判断能力そのものを喪失してしまう恐れも強いでしょう。

A これと軌を一にするように、力づくの政策への同調圧力も強まっています。

B 社会の潮流に異論をさしはさむと異端視されるばかりか、逆に処分されることは、これまでも山本太郎やれいわ新選組の大石あき子、櫛渕万里議員などの例で紹介してきましたが、最近、東京都議会でも同じようなことがありました。
 小池知事の経歴詐称疑惑については前回、詳しく紹介しましたが、東京都議会で答弁を求められた知事は、本人に関わる個人的な質問にすら答弁せず、代わりに側近の政策企画局長が答弁するという異常な事態が続いてきました。
 5月13日の都議会予算特別委員会で立憲民主党の関口健太郎議員が、小池知事は「知事に対して厳しい質問や耳障りなことを言う議員には76%の確率で答弁拒否する」、「質問する議員によっても違いがあり、これは答弁差別である」などと小池知事を追及しました。当の知事(右写真左端)はその答弁も拒否、政策企画局長がまさに官僚的な答弁をしていました(気の毒ではありますね)。問題はその後で、都民ファーストの会、自民党、公明党が「質問者は答弁者を決定する権限はない」などとして、同議員の発言は不穏当であるとして発言の取り消しを求める動議を提出、それが可決されたわけです。

・蓮舫、石丸伸二、そして小池百合子

A さすがに政権交代を求める国民の声も強まってきました。先の東京、長崎、島根の衆院補選に続いて、静岡県知事選でも自民候補が破れました。目黒区の都議補選もそうで、このところ自民党は選挙で全敗(不戦敗も含む)と言っていいですね。
 そして7月には焦点の都知事選です。小池知事の経歴詐称問題は尾を引いていますが、今回選挙では石丸伸二安芸高田市長に続いて、蓮舫立憲民主党参議院議員も立候補を表明しました。小池知事は31日現在、立候補を正式表明していませんが、3選に名乗りをあげてまた「カイロ大卒」の肩書を掲げたら「経歴詐称で告発する」と元側近の弁護士(小島敏郎氏)が言っている中でどう対応するのか。また小池知事の定見のない都政については、ようやく都庁内部からも批判の声が高まっているようです。

 B 小池知事が初めて都知事選に打って出た2016年には反自民を掲げていたのだが、その後は自民党と歩調を合わせてきました。最大の関心が権力の座をいかに維持するか、さらに上をめざしたいということだから、ときどきの風向きで政策が変わる。要するに政治理念というものはない。
 これは岸田首相も同じで、精神の下劣さは勝るとも劣らないでしょう。岸田首相をめぐる自民党内の駆け引きも熾烈を極めているようですが、とりあえず解散は先に延びたようで、当面の焦点は7月投開票の都知事選になるでしょう。
 石丸伸二安芸高田市長は次期市長選に立候補せず、都知事選に出馬することを表明しています。彼に関しては、<岸田首相と石丸安芸高田市長の器について㊷>で詳しく紹介しました。保守党市議との間で派手な喧嘩をしてユーチューブの人気動画になりましたが、主張はきわめて明解、今回も「東京を通して地方を活性化させる」と述べており、台風の目になる可能性もあります。他にも続々名乗りを上げる人が出ており、混沌の先の激動を占う選挙戦として大いに期待したいですね。

新サイバー閑話(111)<折々メール閑話>52

小池百合子都知事の「嘘で固めた」人生の黄昏?

 B 小池百合子都知事の「カイロ大学を首席で卒業」という経歴をめぐっては、ずいぶん昔から折にふれて疑問が呈されてきましたが、彼女はその都度、その批判をなんとかかわし、権力の階段を着々と登ってきました。そして、今回の自民党凋落を期に衆院選に打って出て自民党に復党、人気低迷の岸田首相を襲って女性初の総裁、首相をめざそうという野望も取りざたされていた折も折、前回都知事選前の経歴追及をみごとに鎮静化した「カイロ大学声明」なるものが、実は都知事陣営による自作自演だったとする告発記事が、月刊『文藝春秋』5月号に掲載されました。
 題して「私は学歴詐称工作に加担してしまった」。告発したのは元環境庁キャリア官僚の側近、小島敏郎氏で、告発のあらましは以下の通りです。

 前回都知事選前の2020年6月6日夕、「相談したいことがある」と小池さんに呼び出された。その年5月、ノンフィクション作家、石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋)が刊行され、そこで小池さんのカイロ時代の言動がくわしく検証され、カイロ滞在中に彼女と同居していた北原百代さん(本では仮名)の証言をもとに、カイロ大学卒業の経歴は虚偽だと告発していた。カイロ大学卒業を疑っていなかった私は、一応彼女に卒業証書や卒業証明書の存在を確認して、なぜうろたえるのか不思議に思いながらも、「カイロ大学から声明文を出してもらえばいいのではないか」と提案した。
 するとわずか数日後の9日、駐日エジプト大使館のフェイスブックに、カイロ大学学長名の「声明:カイロ大学」という文書が掲載された。そこには、小池さんは1976年にカイロ大学を卒業した、卒業判定は公正な審理と手続きを経てなされた、日本の一部にカイロ大学の認定を疑問視する声が後を絶たないのは看過できない、などとと記されていた。
 そのすばやい対応に驚いたが、その声明のおかげで学歴問題追及の動きは鎮静化、小池さんは翌10日、都知事選出馬を表明、再選された。圧勝だった。
 私はその後、この声明と同じような文章を小池さんのブレーンだったジャーナリストA氏が書いたことを知った。A氏とのやり取りを通じて、A氏の文案と声明文には微妙な違いがあることもわかったが、そこでは後に言質を取られるような言い回しは巧妙に避けられていた。カイロ大学が出した声明文ならなぜカイロ大学のホームページに掲載されないのか、文章がアラビア語でなく英語と日本語だけというのも不思議である。私は、実際には大学を卒業していない小池さんが、声明文を自ら作成し疑惑を隠蔽しようとしたとの疑いを強めた。私とA氏は図らずもそれに加担したことになる。

 小島さんは、経歴を偽り、それを糊塗するために隠蔽工作をするような人が国の中枢にいることを許してはいけないと、手記を書くに至るわけですね。彼は環境庁時代に小池環境大臣といっしょに「クールビズ」政策に取り組んだ縁で小池氏に呼ばれて都庁に転身したようです。12日、東京の弁護士会館で記者会見しましたが(左写真)、なぜ告発に踏み切ったかに関して、水俣病を告発したチッソ水俣工場付属病院長の細川一さんや、今回、「事実を知りながら黙っているのは共犯者になることだ」と実名証言に切り替えた北原百代さんなどの勇気に後押しされたと語っていました。2期目以降、東京オリンピックや神宮外苑再開発問題ですっかり自民党寄りになってしまった小池知事の政治姿勢への不満もあったようです。
 なお、同じ文藝春秋には、北原百代さんの「カイロで共に暮らした友への手紙」のタイトルで「百合子さん、あなたが落第して大学を去ったことを私は知っている」との告発記事も載っています。

A 文春独走が続きますね。いまや文春と日刊ゲンダイ、それと赤旗が頼りになる媒体では?(^o^) 大手新聞社は一体何をしているのかと思いますね。そもそも小池氏がダントツで前回の都知事選を制したことがおかしい。

B 大学の卒業証書や卒業証明書は本人が大事に保管しているもので、それを公開さえすれば真偽は明らかなはずだが、マスコミに公開したその写しが不鮮明で、かえって偽造したものではないかとの憶測を生んでいます。『女帝』では、その点も検証しています。
 また自作自演の文書がなぜ駐日エジプト大使館のホームページに掲載されたのかは、小島さんにもわかっていないようですが、ここに不明瞭な関係が介在しているとすれば、エジプト側に弱みを握られた人が一国の首相になることについては、大きな不安も出てきます。今回の告発内容は、過去の出来事に対しても同じような偽装工作が行われた疑念を強めますね。
 小島さんの経歴や記者会見での態度からは、たいへんまっとうな人だとの印象を受けます。これは「私は学歴詐称工作に加担してしまった」という懺悔の手記であり、こう言っては何だけれど、官僚の良心を久々に見る思いもしました。
 一方で、都庁記者クラブの知事追及はまことに情けなかったようです。『文藝春秋』の記事を受けて正面から切り込むのではなく、都知事が否定する発言をうのみにするというか、それに迎合して「知事が文春記事を否定」と書いた新聞もありました。
 『女帝』は大宅壮一ノンフィクション賞受賞の力作で、小池氏が十代で単身、カイロに出かけるころから始まり、「カイロ大学卒業」という経歴を武器に、ニュースキャスター、国会議員、環境大臣、防衛大臣、ついに東京都知事と権力の階段を登っていく経過が詳細に描かれています。一言でいうと、「嘘と虚飾」の人生であり、男社会で伍すために女性の立場を積極的に利用、男性がそれにころりと騙される話でもあります。著者の石井さんが度々書いているけれど、小池氏には政治家になって何をしたいかというビジョンはほとんどなく、うまく時流に乗り、ただ目立ちたい、偉くなりたいという執念だけが強かったようです。
 中東専門記者も含めてマスコミや政治家、経済界の人びとが若くてバイタリティーあふれ、魅力的な容姿の小池氏をちやほやし、彼女の言うなりに(裏も取らずに)、「芦屋のお嬢さん」、「カイロ大卒でアラビア語ぺらぺら」などと持ち上げた。北原さんは『文藝春秋』の記事で「作り話にメディアが飛びつくので、百合子さんも『受ける』話を作ってしまいたくなるのでしょう。私は悪気なく嘘をつく百合子さんも悪いとは思います。でも嘘をつかせ続けてきた、メディアの責任も重いと思います」と書いています。

A メディアが彼女を育てたとも言えますね。文春オンラインに石井さんが自著の文庫版に寄せた以下の文章が再掲されています。

 女性活躍、女性の時代といった言葉の数々がある。こうしたかけ声を追い風に、あるいは巧みに利用して「小池百合子」は誕生した。女性であっても公人である限り、その能力は冷静に批評されなければならないはずだ。だが、女性であるという理由で、批判が「女性に対する差別」としてすり替えられてしまう。それもまた、彼女が現在の地位を築き得た理由のひとつとなっている。
 「小池百合子」は、小池百合子という、ひとりの存在によって作り上げられたわけではなく、私たちの社会が、時代が生み出したのだ。仮に小池百合子が去ったとしても、社会が変わらない限り、女にしろ男にしろ、第二、第三の「小池百合子」が現れることだろう。私は小池百合子という個人を恐ろしいとは思わない。だが、彼女に権力の階段を上らせた、日本社会の脆弱さを、陥穽(かんせい)を、心から恐ろしく思う。

B まことにその通りですね。彼女が今月28日に投票予定の衆院補選東京15区からの出馬を断念したのも、『文藝春秋』の記事掲載を察知したからとも言われていますが、今度の告発は決定的だと思いますね。7月に都知事3選を目指すとして、肩書に「カイロ大学卒業」を謳えるのか。肩書を外せばいよいよ憶測を生む、逆に書いたら今度こそ公職選挙法違反で訴えられる可能性もある、嘘に嘘を重ねてきた父親譲りらしい虚飾の人生もこれで破綻かと思わせられますが、最大の危機とも言うべきこのディレンマを彼女はどう乗り切ろうとしているのか。
 彼女が徒手空拳で権力中枢にまで上り詰めたエネルギーにあらためて驚嘆するし、彼女が男たちをうまく手玉に取っていく姿はたしかに「女傑」を思わせ、本書の興味深い読みどころでもあります。彼女自身、「ウソも方便」と言っているけれど‣‣‣。

A 虚言ということでは、国会で嘘をはき散らした安倍晋三元首相とよく似ている。こういう人間が跋扈するのが日本政治の哀しい実態ですね。
 安倍首相と言えば、最近、小林製薬の紅麹サプリで死者が出た「機能性表示食品」は、事業者が食品の安全性と機能性に関する科学的根拠を届け出れば、健康効果などを表示できるようにしたアベノミクスの一環です。2015年に導入されています。国の審査が必要な特定保健用食品よりも規制が緩くなっており、健康産業育成のために規制を撤廃するやり方が、今回の事故を引き起こしたとも言えます。これも安倍政治の負の遺産と言っていいでしょう。
 新聞『赤旗』が4月10日に報じたところでは、小林製薬は安倍元首相が代表だった自民党山口県の支部に2022年までの12年間で310万円の献金をしていたと言います。まことにおぞましい話です。

・すっかりタガが外れた日本社会

B 規制を緩くしても、企業はきちんと安全を守るというまっとうな企業風土そのものが壊れている。政治の世界だけでなく、財界、メディア界、もっと言えば、日本人の生き方そのものが危機に瀕している。石井さんが書いている「日本社会の脆弱さ」、「陥穽」です。小池知事も、安倍元首相も、こういう風土の上に咲いたあだ花とも言えるでしょう。岸田首相や他の自民党議員、あるいは野党議員にもその類の人が多いですね。権力監視を第一義とすべきメディアもその例外でないところが情けない。
 本コラムでは日本を覆う倫理崩壊を象徴するものを「アベノウイルス」と呼んできましたが(『山本太郎が日本を救う』参照)、日本人のタガがすっかり外れてしまった。身の周りの市井の人びと、あるいは今回告発に踏み切った小島さんや北原さんなどを見ていると、「日本人なお健在なり」との印象も強いけれど、国力が低下するに従い、基本的な規範がどんどん崩れつつある。もちろんそこには、折にふれて指摘してきたように、ITの影響も大きいわけです。まさに社会の液状化です。
 これまで取り上げてこなかったけれど、今年1月に、漫画『セクシー田中さん』の作者、芦原姫名子さん(50)が自作のテレビドラマが「原作者の意図と異なる脚本になっている」とテレビ局に訴えている過程で自殺するという傷ましい事件がありました。ドラマ化にあたって脚本家は原作者と相談しないのが慣行になっているらしいのだが、これって不思議ですね。同一性保持権など著作者人格権の侵害だと思うけれど、実情はそれが守られず、原作者としても、ドラマ化してもらえば原作が世に知られ、したがって売れるからまあいいか、ととくに異議申し立てをしない風潮もあるらしい。
 これはひどいと思っているところへ、東京新聞(4月13日付)に同じ漫画家、東村アキコさんへのインタビュー記事が出ていました。その中で東村さんが、自作が韓国でドラマ化されたときの経験を話しています。韓国から脚本家4人がやってきて、セリフの1行1行について綿密なうち合わせをしたそうで、彼女が「好きにやっていいですよ」と言っても、「先生の世界観、思いをしっかり反映したいんです」と逆に怒られたとか。インタビューでは「原作者の意向をいかに忠実に映画やドラマに反映するかへの思いも強かった」と言っています。なんという彼我の差か。当たり前の姿が韓国にはあるのに、日本では崩れているわけです。
 こういう現象はほかにもあります。先日、主宰するOnline塾DOORSで東京学芸大学大学院生でもある小学校教師の話を聞いたけれど、彼女は大学生時代に台湾大学に留学したことがあります。そのとき、現地の小学校教育の現場を見たけれど、教員の勤務時間は7:30から17:00まで。18時過ぎには学校からだれもいなくなる。担任が受け持つ授業は15コマ。1クラス20~26人。教員採用倍率は10倍ほど。なりたくてもなれない人が多く、教員は尊敬される身分だとの社会的受け止め方が強いとか(これに対して、彼女が教員のときの授業は24~26コマ。雑務に忙殺されて、午後6時前に学校を出ることはほとんどなかったようです。公立学校教員採用率で見ると、東京都はほぼ1倍)。日本の小学校における教師の多忙さ、拘束時間の長さ、教師志望者の少なさなどと比べると、台湾の方がはるかにまっとうな教育行政です。この2例だけで一般化するのは乱暴ではあるが、国の底力という点でも、すでに日本はアジア諸国に遅れを取りつつあるような気がします。

A そのためにこそまず政治を変えていく必要がある。このところ統一教会問題、オリンピック汚職、大阪万博をめぐる混乱、遅れる能登地震復興、突出した防衛費増強、少子化対策などを名目にする実質増税、目に余る裏金問題などで、自民党政権の膿があふれ出ていますが、そういう中で岸田首相は国賓待遇でアメリカ訪問、すっかりご機嫌です。政権交代すればすべてが解決するとは言えないにしても、せめて政権交代ぐらいしないと、という気持ちも強まりますね。この点については、少し明るい材料もあるようです。さすがに国民も目が覚めつつあるのではないでしょうか?
 これも文春オンラインに載っている調査だけれど、次期衆院選に対する党派別獲得議席予測がちょっと興味深い。自民党は現有議席259が186に減少、公明党も32→22に減ります。逆に立憲民主党は95→147と大幅増で、日本維新の会は41→62。国民民主党は7→16と倍増です。
 立憲民主党がこんなに伸びるとはちょっと信じられないけれど、その中でれいわ新選組は3→10とやはり大幅増です。参院の5人に加えて国会議員15名になる予想だけれど、目標の20議席にはまだたりない。
 いずれにしろ、16日に告示された28日の衆院補選(東京、長崎、島根)、5月の静岡県知事選、7月の東京知事選――、これらの選挙は衆院選の前哨戦です。少しはまっとうな風が吹くことを期待したいですね。

新サイバー閑話(110)<折々メール閑話>51

もはや自民党(岸田政権)にはつける薬もない

A 国会は相変わらず茶番づくしですねえ。衆議院で2月29、3月1日と開かれた政治倫理審査会で「裏金」問題を追及された自民党旧阿部派の歴代事務総長4人、塩谷立座長、松野博一前官房長官、西村康稔前経済産業相、高木毅前国対委員長はいずれも「歴代派閥会長と事務局長の間で長年、慣行的に扱ってきたことで、「自分は知らなかった」、「私は関わっていない」などと答弁しました。
 多い議員では3000万円以上の裏金を受け取っていた長年の慣行へのかかわりを否定したのだが、これらの収入に税金を徴収されないのはおかしくないのか、といった事の是非に関する感覚はまったくない。一般国民とはまるでかけ離れている〝特権〟意識に、自民党政治の腐敗ぶりが表れています。14日の参院政倫審には世耕弘成(元参院幹事長)、西田昌司、橋本聖子の3議員が出席しましたが、世耕議員の「知らぬ、存ぜぬ」答弁には開いた口がふさがりませんね。 
 それにしても岸田首相はひどい。政倫審には〝率先〟して出席しましたが、従来通り「全力をもって政治改革につとめる」と空疎な原則を繰り返すばかりで、自民党総裁としての責任感はまるでありません。指導力もない。こういう無責任な集団が国の政治を動かしているわけですね。
 しかもその間、2日には衆院本会議で2024年度予算案が自民、公明両党などの賛成多数で可決、参院での審議に関わらず自然成立することになりました。その際、抵抗姿勢を示すために立憲民主党から小野寺五典予算委員長解任決議案が提出され、本会議で型通りに否決されています。これに牛歩や棄権などで抵抗したれいわ新選組の大石あき子、櫛渕万里両議員が「演壇で不規則発言をした」ことで、議運委理事会の与野党総意の「国会の品位をおとしめた」という理由で厳重注意処分を受けました。「国会の品位を汚す」という表現が天に唾する行為であることすら感じられない瀕死の状態に国会はあるということでしょう。
 薩摩藩の二歳教育で真っ先にたたみ込まれるのは「廉恥」だったそうですが、まったく恥を知れ、と言いたいですね。自民党議員たちはこの言葉をもしかしたらマジで知らないのかも。

・「総理、いつやめるんですか」

B 5日の参院予算委員会でれいわの山本太郎代表が「総理、いつやめるんですか」と切り出して、「金と政治の問題に関しては国会で法改正しなくてはならないと考えています」と原則論を述べた岸田首相に対して、「それって面の皮が厚いと言いませんかね。自民党の4分の1の議員は裏金ネコババの泥棒なんですよ。泥棒行為を是正する法律を泥棒といっしょに作るっておかしくないですか。もっと言えば、泥棒が作った予算案を普通に審議している現在もおかしいし、泥棒が作った数々の法案をこれからこの通常国会で成立させようということ自体、あり得ない話ですよ。これに対して粛々と泥棒予算を審議し、最後だけちょびっとだけ闘うふりをして、結局、年度内成立に力を尽くした野党第一党もグルだと言えます。国民の真意を問う必要があります。総理、解散しないんですか」と腹立ちまみれに畳みかけていましたが、これこそ多くの国民の声でしょう。

A 馬鹿につける薬は無い。ぐっと下世話な話になりますが、岩手県選出の広瀬めぐみ参院議員が不倫現場を週刊誌に暴かれ、その事実を認めました。彼女は以前、パリ〝研修〟旅行で話題になった「エッフェル姉さん」の一員です。
 また8日には、近畿の自民党若手議員らが参加した昨年11月の「青年局近畿ブロック会議」後の懇親会で、下着と見まがうような露出度の高い衣装をまとった複数の女性ダンサーを招いてはしゃいでいたことが産経新聞によって報じられました。自民党和歌山県連の主催で、会合に出席していた党本部青年局の藤原崇局長と中曽根康隆局長代は辞任、企画者の和歌山県議は離党しました。
 こういう話は、取り上げる方もうんざりですね。ことさら暴き立てたくない気持ちもあるけれど、産経新聞によれば、会合費用は党本部や県連が支出したと言い、公費が含まれている可能性がある。ここが問題ですね。

B 芸人の松本人志の性加害問題がまだ尾を引いていますが、彼は税金を使って〝遊んだ〟わけではないですね。公費を使うことや税金を払わないことに対してまるで無神経なところが末期的たる所以です。3月13日の東京新聞に「不祥事や問題が発覚したた岸田政権の政務三役や自民党議員」のリストが上がっていますが、まさに惨憺たるものです。

 A 自民党のタガが完全に外れていますね。戦後70年、事態はここまで崩壊した。

B 最近、知人に勧められて平山周吉『昭和史百冊』(草思社、2023)を読みました。昭和史に関する文献ガイドと著者が書いた書評を集めたものですが、掲載されている本は400冊に上るという労作です。
 無謀な戦争に突き進んだ日本の政治に対する検証や反省がこれだけ膨大に積み重ねられているのに、その悪弊がそのまま戦後の現代政治に反映されている。
 こういう文章も紹介されています。「なぜなら、決断すべきときに必要な決断が下されず、それによって戦争終結が遅れ、それによって膨大な命が失われたからだ。終戦工作は完全な失敗だったのだ。/八月の三度の「聖断」を待つまでもなく、当時の日本に戦争を続ける合理的理由など何もなかった。国土は度重なる空襲で焼け野原、国力は疲弊、兵士も国民も飢え、一撃を与える戦力すらろくに残っていなかった」(吉見直人『終戦史――なぜ決断できなかったのか』から)。
 2024年度予算には、開催への懸念が日に日に高まっている大阪万博関連費用も含まれていますが、これだけ問題が多く、開催しても客が集まるかどうかもあやふやなオワコン(すでに終わったコンセプト)プロジェクトに今も税金が注ぎ込まれ、開催準備作業が遅れがちな能登地震の復興作業を尻目に続けられているわけです。太平洋戦争の時と同じように、関係者はだれも止めようとしない。戦争と言えば、戦後日本が禁じてきた武器輸出に関する歯止めも最近、どんどん外されつつあります。

A まっとうな生き方に対する強靭さ、しなやかさが完全に失われた。

・「救民内閣」は5回の選挙を経て実現

B だからこその「救民内閣」だとも言えるでしょう。泉房穂元明石市長のこの構想については<岸田政権崩壊で加速する政局の「液状化」㊹>でも紹介しましたが、かなりの反響を呼んでいると言い、その後も改訂作業が続けられているようです。直近の「泉チャンネル」では、以下のように言っています。

救民内閣構想の柱は2つである。
 ①政治の目的は結果責任。結果というのは当選とか政権交代ではなく、あくまでも国民の生活、国民の笑顔、国民の安心、そこまで届けきることが大切。そこに目標を設定すべきである。
 ②希望を持てば実現できる。遠い遠い先ではない。場合によっては一瞬でそういう状況を作ることができる。諦めから希望へ。
 道筋についてはたたき台を出し始めたところだが、私が最初に言った道以外でも可能ならばそれでもいいと考えている。基本は「国民から遠いのか」と「国民に近いのか」。今の政治は国民というよりも一部の有力者とか永田町を見た政治と言わざるをえない。
 具体的なシナリオは「7つのステップ」である。
 ①世論喚起
 ②大同団結
 ③候補者調整 小選挙区で一騎打ちに持ち込むことが大事。
 ④政権交代 これはゴールではなく、中間目標でありスタートである。
 ⑤方針転換 政策方針を変えないことには国民は救われない。具体的には食料品などの生活必需品は消費税をゼロにする。子育てにかかる医療費、保育料、給食費などの無償化、教育、授業料の無償化など。
 ⑥国会での可決 465の衆議院定数のうち232議席を占められれば総理大臣の指名まではたどり着けるが、全議員が政策転換に合意するかどうかはわからない。さらに解散総選挙を打つべきで、大きな方針転換に賛同しない議員は候補者を差し替え、政策転換に賛成する233人を揃えてもう1回選挙をする。法制定も含めてしっかりと大転換を図るには参院でも過半数を取る必要があり、そのためには当面、2025年、2028年の2回の参院選に勝つ必要がある。
 ⑦令和の大改革 衆院3回、参院2回の選挙に勝てば、令和の大改革が実現する。近ければ2028年には日本の夜明けが来ると期待している。

 泉氏は現在60歳。令和の大改革に邁進するつもりのようで、少しレンジの長い話です。古代中国、周の周公は横暴を重ねる殷の紂王を滅ぼすために、生まれたばかりの女性を紂王好みに育てることから始めたという故事があります。その娘こそ名高い妲己(だっき)だけれど、そこまでの長期戦略でなくても、1回の選挙で政権交代が行われ、それで万歳というほど、ことが簡単でないのは確かでしょう。ここまで壊れた政治を立て直すにはそれだけの戦略が必要でもあり、国民の側もそれなりの覚悟が必要です。
 われわれとしては次期衆院選でれいわの20議席確保に賭けているわけだけれど、「救民内閣」構想のような大きな流れにも目配りをしていかなくてはいけないですね。
 泉構想に期待をかける知人が、れいわが一部の若者に嫌われる理由として「押しつけがましい」ことを指摘していたけれど、なるほど、山本太郎は我々にとってはまさに若手のホープだけれど、若い人にとっては、うるさいおやじになっている面はあるかも。ここは大いに自戒すべきですね。

・着実に広がるれいわの支持率

A 以前 (「号外」)、センキョという会社が実施している去年12月の世論調査で、れいわ新選組の政党支持率が11.9%と高く、自民党18.6%、日本維新の会14.1%にくらべて3位になったというデータを紹介しました。ところが今年2月の調査では、なんと、れいわが12.9%で、これは自民の16.3%に次ぐ2位、野党第1位です。日本維新の会(12.2%)、立憲民主党(6.4%)を抜きました。さらに「次回総選挙の比例代表でどの政党に投票したいか」では、1位の日本維新の会(15.2%)に次ぎ、れいわ(14.8%)が2位になりました。これは自民党の14.1%をも上回りました。

B このセンキョという新しい会社の世論調査については、以前に「マスメディア好みというか、そちらに引き寄せられる層と、そうでない、どちらかと言うと、より平均的な層にかなりの意見の相違があるのではないか」、「センキョ層の人びとがそのまま投票行動に向かうかどうかは留保が必要で、投票しない確率が高そうだが、国民全体の意識としてはこちらがより正確なのではないか」と言ったコメントをしました。

A 以前はセンキョのウエブに行けば、この調査結果が見られたのだけれど、今はどういう理由なのか、何らかの手続きをしないと見られなくなっています。だから今回の表は伊達一詔さんの動画からの孫引きです。
 調査自体は定期的に行っているわけだから、そこでれいわの支持が高まりつつある傾向はかなりはっきりしていると思いますね。このところ万博問題なのでミソをつけている日本維新の会の人気が根強いのは、自民党に愛想をつかした人びとがかなりの部分、維新に流れているのかも。

B 新聞社系の世論調査でも、岸田政権の支持率は低下する一方ですし、自民党の支持率も低減傾向にあります。それでもなぜこんなに高いのかと思いますが、れいわの支持率は、わずかではあるが着実に伸びており、支持層の広がりを感じますね。

A れいわが支持を伸ばしているのはご同慶の至りですね。ところで、れいわ愛知勝手連の方が作曲されたという「れいわ音頭」をお聞きください。若い人にも聞いてもらいたいですね。

 

 

新サイバー閑話(109)<折々メール閑話>㊿

菜の花咲く春なのに、まともな政治はまだ来ない

B 去年の今ごろ、本コラム㉕<訪れた春を愛でつつ、つれづれ閑話>で伊勢の梅林の写真を紹介していただきましたが、今年は菜の花と富士山でどうですか。2月12日神奈川県二宮町の吾妻公園での写真です。富士には月見草より菜の花ですよ(^o^)。
 春は花  夏ほとゝぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり(道元禅師)

A だんだん陽気がよくなってきましたが、日本の政治は相変わらずの混乱ぶりですね。
 二階俊博元自民党幹事長が政治資金収支報告書修正で示した3000万円の書籍代には開いた口がふさがらないですね。2020年から22年の3年間で3000万円分の本を買ったというんですね。自著や知り合いの本買い取りなどが申告されているけれど、ふざけるなと言いたい。それがもし事実だとして、自分や自民党にヨイショする単行本や雑誌を大量に買っているとすると、これはまったく宣伝工作ですね。官房機密費なども自民党支援や右翼的な書物を大量購入し、結局は自民党支持の温床づくりに使われていると、十分想像できますね。一種の世論操作です。
 一方で能登地震の復興はいっこうに進んでいません。自民党政治家がポケットマネーからポンと3000万円を寄付したという話も聞かないですね。

B 自民党の「裏金アンケート」結果を見ましたか。東京新聞(2.14付)に「アンケートで不記載が確認された自民党議員」とその訂正額が載っていますが、明らかにされただけでも2018年から2022年の間で85人計5.8億円の不記載があった。何に使ったかわからないこれだけの金が、裏金として政治資金収支報告書に記載されていなかった。今回それを修正したからと言って、それで話がおしまいというのもおかしい。

A これらの金は無税です。折しも確定申告が始まっていますが、我々の税金に関しては厳密に取り立て、政治家はノンズロというのはあまりにひどい。岸田内閣の支持率はさらに低下しているようだけれど、それにしても日本人はおとなしい。こんな政治など覆すべきでは。
 岸田首相の国会答弁も腹立たしい。言葉では「率先して改善に立ち向かう」と言うけれど、彼の頭の中はこの裏金事件を自分の政権延命に利用したいという思惑だけのようです。それを追及する野党も、メディアもまことに手ぬるい。

B ここでもれいわ新選組だけが突出しています。「つまりは何か」という動画で山本太郎が言っていることはまことに正論だと思います。

 国会の中で(れいわが)嫌われる理由は何か? れいわがなければ、自分たちがこれまで仲良くやってきたものを外に漏らされることなかったんですよ。うまくやってたことのその内容を外にばらされるってのが一番嫌なんです。だからいつでも潰すタイミングをねらわれてるんです。懲罰とか除籍とか、与党だけじゃなくて、野党もですよ。‣‣‣。政権交代をしていくためには、まず野党を強くしないとダメなんです。今の野党は与党からとってみれば脅威でも何でもないんです。どんなことがあったとしても、自分たち選挙で勝つと思っているから、この野党を強くしていくためには、2つのものが必要なんですよ。1つは国会の中で徹底的に対峙して戦う野党です。闘ったふりではなく。そしてもう1つは徹底的にこの国の経済を立て直すための太い経済政策なんです。この2つ、野党の中に注入していくためには、私たちがまず強くなる必要がある。もう変えるしかないんですよ。こんな世の中。冗談じゃない、やってられない。

A 主として企業が政治パーティ券を購入したお金が裏金としてよくわからない使途に使われているわけですね。企業側からみると、いずれにしろ献金した議員は自分たち企業に有利な政策を遂行してくれるから、それでいいということかも知れないけれど、どうですか。
 日本はとうとうGDPでドイツに抜かれて世界4位になったという報道がありましたが、人口を考えると、一人当たりGDPではもっと低いでしょうね。自民党に献金して税金を負けてもらおうというような姑息な考えが、結果的に、企業の創意工夫へのエネルギーを喪失させ、世界における日本企業衰退の原因になったんじゃないですか。日本経済を再生するためにも、企業献金をやめるべきでしょう。

B そうですね。もっとも森永卓郎『ザイム真理教』(三五館新社)は、日本経済30年の不振は「急激な増税と社会保険料アップで一般国民の手取り収入が減ってしまったから」だと書いています。財務省は、とにかく財政正常化を図りたい。そのためには借金を減らすべきで、だからなるべく国債を発行したくないというのに尽きる。政府の方針に逆らわず、大企業に不利な増税もせずに財政均衡化を図るためには、結局、抵抗の少ない庶民から税金を巻き上げるしかないと考えるわけですね。そのためには「消費税はすべて社会保障費に回す」というような嘘を平気でつくし、年々膨大になる軍事費増額には当然、抵抗しません。
 彼によれば、財務省は二重の誤りをおかしてきた。第1は歳出の範囲内に支出をおさめるというあやまった財政均衡論に立っていること、第2に支出増を所与のものと考えるから、それらの出費を補うために抵抗の少ない弱者から税金を取り立てようとする。著者はこの財務省の均衡政策を信じている国会議員や一部の経済学者、多くの国民を「ザイム真理教」の信者だと弾劾してます。ザイム真理教の教義は「国民の命より財政」というのに尽きるようです。前々回ふれたように、野党第一党の立憲民主党はザイム真理教の信者になっている。積極財政を説くれいわはここでも余計者扱いです。
 なぜ日本の政治はかくまで堕落したか。自民党ばかりでなく、平成の政治家そのものが昭和に比べて著しく劣化したと思いますね。政治家ばかりでなく、経営者も、そしてメディアも。
 我々世代は、一応、戦後民主主義教育で育てられ、かなりの人が平和、民主主義、主権在民などの理念を当たり前のように考えてきたけれど、もちろんそうでなかった人もいて、どうも平成の中頃(2000年代)から時代の空気が変ってきた。世界的にはポストモダンの風潮とも関係すると思うけれど、まっとうな生き方が「暗い」とか「ダサい」とか受け取られるようになってきた。保阪正康『平成史』(平凡社新書)は、これを「戦後の終わり」だと言っているけれど、より正確に言えば、「戦後精神」の終わりですね。
 1994年(平成6年)に成立した小選挙区比例代表並立制の選挙制度改革も影響しているようだが、その動きを決定的にしたのが戦後生まれの首相による安倍政権だと思います。保阪さんは「つまり〈戦後〉という語が死滅していくのをもっとも象徴しているのが、第1次および第2次安倍政権だった」と述べ、さらに「政治の劣化は、安倍晋三首相の発言や答弁を見ていくと、もっと明確になってくる。「私(首相)は立法府の長である」と言ってみたり(正しくは行政府の長)、「云々」を「でんでん」と読んだり、冗談でも言っているのではないかという状態だ。この首相は、人と議論を交わすのが不得手らしく、すぐにムキになったり、自己陶酔したり、はては自分の都合のいいように答えたり、国会での議論をほとんど死滅状態にしたといっていいであろう。劣化の根本原因は首相の態度にあるということになる」とも述べています。
 第2次安倍政権は2012年(平成24年)成立だから、平成末期にあたるけれど、2020年(令和2年)まで続き、この間に「戦後精神」崩壊の最終仕上げをしたと考えられますね。安倍元首相の毒を我々は「アベノウィルス」と呼んできたわけだが(「日本を蝕んでいたアベノウイルス」、『山本太郎が日本を救う』所収、アマゾンで販売中)、現在露呈している裏金問題は、このアベノウィルスのエキスでもあるでしょう。

A 日本政治を徹底的にダメにした自民党安倍派は、つい最近まで最大の派閥を誇り、まさに「裏金」政治をしてきたわけです。アベノミクスについて安倍首相自身が「見かけだけよければいい(やってる感だけ出せばいい)」という態度だったわけで、その間に、日本経済はいよいよ衰退に向かったわけですね。いま安倍派は解体、岸田派も解体を宣言して、これまでの派閥は表面的には消えるようだけれど(麻生派などは存続)、目立つのは、このような政局がらみの話ばかりで、企業の政治献金廃止とか政治資金規正法改正とかいう抜本的な論議はいっこうに進んでいません。
 なんとなく改善するようなふりをしてその場をやり過ごそうとしている政治を野党も許しているわけで、やはりここは「嫌われ者」れいわの出番だと思います。
 次期衆院選にれいわ新選組の高井たかし幹事長が立候補するようです。まだ選挙区は公表されていないけれど。次期衆院選はほんとうに正念場です。れいわに大いに頑張ってもらいたいですね。
 れいわ三重サポーターズも燃えていて、ポス活(ポスター張り)をグループで展開しています。先日、二見町での活動に参加し、9枚張れてまずまずでした。ところで、れいわの仲間が教えてくれた初音ミク歌うところの「政権交代の歌」をぜひ聞いてください。これが全国の商店街でスピーカーから流れるといいですね!

 

新サイバー閑話(108)<折々メール閑話>㊾

#大石あき子、橋下徹に完全勝利したってよ

 B れいわ新選組の大石あき子衆院議員が2021年12月に配信された「日刊ゲンダイ」のインタビューで、元大阪府知事の橋下徹氏に対して、「気に入らない記者は袋だたき」にし「飴と鞭でマスコミを服従させた」などと批判したことに対し、橋下氏が大石さんと「日刊ゲンダイ」を名誉棄損だとして慰謝料300万円の損害賠償を求めた訴訟で、大阪地裁(小川嘉基裁判長)は1月31日、「発言の重要な部分は真実で、論評の範囲を逸脱していない」と、橋下氏側の請求を棄却しました。大石あき子の完全勝利と言っていいようです。
 大阪の記者会見に東京の議員会館からZoomで参加した大石さんは「橋下さんが府知事時代にやってきた、メディアを使って勢力を拡大するやり方が今度の裁判によって明らかになったのだと理解している。橋下さんは判決を真摯に受け止めてほしい」と述べました。

A メディアを権力的、弾圧的な手法で支配しようとする橋下流のやり方が「ほぼ真実」だと認められたわけで、訴えた橋下氏側にすれば、かなりの痛手だと思いますね。

B 都合のいいことを書くメディアを優遇、逆に批判的なメディアには不利益をもたらす橋下流のメディア選別〝喧嘩〟手法は、実は大阪で維新が躍進する背景でもあったわけですね。この訴訟は橋下氏が名誉を棄損されたとして大石さんを訴えたものですが、大石さんが批判した内容がほぼ真実と認められたことは、報道の自由という観点からしても、意味のあることだと思います。大石さんが訴えられた当初、ツイッターなどで「どこかでこれは〝おいしい〟訴訟だと思うところがある」と言っていた予感が当たったとも言えます。もっとも橋下氏側は控訴するようです。
 まだ判決理由を読んでいないけれど、弁護団の説明を聞いた範囲では、近ごろめずらしいすっきりした判決だったようです。橋下流のメディア操作については思い当たるところがあります。これは古巣の朝日新聞がからむ事例ですが、2012年に『週刊朝日』が「ハシシタ・奴(やっこ)の本性」という連載(筆者はフリージャーナリストの佐野眞一)をしましたが、橋下氏の出自が明らかにされたことで、当時の橋下大阪市長がツイッターで批判したほか、定例記者会見で朝日新聞を批判、朝日新聞と朝日放送の取材を拒否したんですね。記事にはいくつかの瑕疵があり、後に『週刊朝日』側と橋下氏側で和解が成立していますが、突然記者会見をして、当該社の取材を拒否するという強権的なやり方には疑問が出されました。結局、この連載は打ち切りになっています。
 半藤一利・保阪正康『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(東洋経済新報社、2013年)にこの問題に触れた個所があり、「新手の劇場型言論操作」として、以下のように話しています。

保阪 この問題では、『週刊朝日』で書いた佐野眞一君にも甘いところがあると僕は思います。それでも、橋下氏の抗議の仕方自体が暴力的だなと感じる。発想そのものに暴力があるんですね。『週刊文春』や『週刊新潮』だって、あれと似たような記事を書いているのに、橋下氏側からは何も言ってこなかったと聞きます。そこに、彼の計算があるんでしょうか。
半藤 狙ってやったんですかね。
保阪 橋下問題を通して、何かが崩れて、何かの罪が開いたという感じがします。
半藤 あえて言ってしまえば、解決を求める抗議ではなく、 一方的な相手を傷めつける暴力そのものに近づいてしまったなと感じます。

A 大阪では橋下氏を中心とする維新勢が飛躍的に勢力を伸ばしましたが、そこには在版のテレビ局を巻き込んだメディア戦略があったわけで、これを機会にメディアも主体性を回復すべきでは。

B ここで<お詫びと訂正>です。<折々メール閑話>㉕「訪れた春を愛でつつ、つれづれ閑話」(『みんなで実現 れいわの希望』所収、アマゾンで販売中)で書いた半藤一利の「40年史観」が本書に図示されていて、それによると、1945年から51年までの占領期間が「空白の6年」とされています。したがって本コラムでは1985、および2025年が40年の節目だとしていますが、実際は、1992、2032年になるようです。訂正して、その表を掲示しておきます。

A 来るべき日本の底が2032年に伸びたわけですが、2025年の方が信憑性がありそうですね(^o^)。いや、2032年に向けてじりじりと崩壊していくのかな。

B 半藤さんは自説に対して、「当てにならない説ですけれど、ただ、現在がかなりおかしくなりつつある時期にあることは確かです」と言っています。11年前の話です。

A 日本はいよいよ混とんとしてきたとは言えそうですね。自民党の裏金問題は大山鳴動して鼠一匹、検察の捜査は尻すぼみで、自民党や岸田首相の対応はまったくのおざなりです。岸田首相の関心は、裏金問題の解決や能登地震の対策よりも自分の首相在任期間をいかに延ばすかを念頭に置いた政局一辺倒のようです。これじゃ、国は亡びますね。
 1月24日に開かれた参院予算委員会で山本太郎代表が岸田政権下で起こった自然災害11件を上げて、それらの被害者が現在苦しい状況に置かれたままであることを具体的に説明、口先で「政府全体として災害対策に万全を期す」と言うだけで、実際は自治体に丸投げしている国の姿勢を厳しく追及しました。
 れいわにあてがわれた、たった6分の質問でしたが、この動画は全国民に見てほしいですね。どちらが総理大臣に相応しいかは一目瞭然です。キシダという人物は人間としてのバッグボーンがまるでない。被災者にまったく無関心、無脳無策脳天気です。その裏で憲法違反の軍拡、武器輸出をスルスルと決定、日本を戦争する国にしてまった。唖然というより慄然とします。
 そこで頑張っているのは、やはりれいわ新選組でしょう。山本太郎代表はいち早く能登入りし、1月17日には声明「石川県能登半島地震の復興にかかるれいわビジョン」を発表しています。

 れいわビジョンとは、 甚大な被害をもたらした「能登半島を完全復興」させ、どの地域にどんな災害がおきても、必ず国の責任で元の生活水準を取り戻すことを国民に示す約束である。誰もが住み慣れた地域で、なじみのコミュニティとともに幸福な生活を希求できるよう、憲法上の国の責務を履行する政策を能登から実現する。復興、と言葉だけ踊り、実際は将来的に過疎地域として放棄する様な取り組みは許されない。この災害復興は、日本全国あらゆる地域での国民の生活を守る国の姿勢が問われている。

 能登半島を災害大国日本に本気で取り組むモデルケースとし、具体的な提言をしています。詳しくは声明をご覧いただきたいと思いますが、その5には「不要不急な事業(大阪万博、辺野古埋め立て工事)は中止し、被災地に社会的リソースを回すとともに、復興を理由とした増税をおこなわない」とあります。
 まことに格調高い。これこそが政治ではないでしょうか。一人でも多くの人がれいわへの認識を高め、応援してほしいと切に思います。

 

新サイバー閑話(107)<折々メール閑話>㊽

多難な年明けに、れいわの真価が試される

B 多難な年明けになりました。正月1日の能登地震が最大の災禍です。夕方、正月のテレビ番組を見ていて、飛び込んで来たけたたましい地震警告情報に驚きましたが、日がたつにつれて悲惨な実態が明らかになりました。道路は寸断、水道管も破裂、停電が相次ぎ、家屋はぺしゃんこ、その下敷きになって亡くなる人の数も日を追って増え、14日現在の死者は221人に上っています。避難者はなお2万人以上、寒さに向かう中で能登半島の人びとは、いまも辛い生活を送っている状況です(写真は行方不明者捜索を行う重機、石川県珠洲市で14日、中川祐一撮影、毎日新聞提供)。

A れいわの山本太郎代表は5日に能登に入り、連日、ツイッターで被害状況や必要な対策について発信し続けています。「始発でレンタカーに空きがある駅まで移動し、能登町に到着したのは午後6時。役場の駐車場には全国から集まったNPOが片付けと翌日の準備に忙しい」とレポートを始めています。彼は昨年暮には渋谷でホームレスのための炊き出しにも参加していました。

B この山本太郎の能登入りが外野で大きな騒ぎになりました。実は岸田首相はその5日に自民、公明、維新、立憲、共産、国民の党首会談を開いて、地元の要請を受けた形で、いま多くの人が現地に行くとかえって混乱を招くからと、国会議員の現地視察見合わせを決めたんですね。こういう大事における共同歩調は、ともすると、当然取るべき行動を相互に規制する作用をしがちですが、案の上、維新の議員から現地入りした山本太郎バッシングが起こった。報道機関の協定破りのように受け取られたわけです。
 しかし、どうでしょうか。石川県などの要請があったことは確かだけれど、とてつもない災害が起こっている可能性があるとき、報道陣が一斉に現地入りするのを止めることはできないですね。国会議員の場合も同じで、とくに野党の場合、国や行政の怠慢、あるいは落ち度をチェックすべき立場にあり、すべてを行政ルートで流れてくる情報に頼って良しとする姿勢はきわめて疑問です。
 なお6者首脳会談にれいわが呼ばれていなかったのもおかしい。山本太郎は常々「国会議員8人ではまだ国会にきちんと意見を反映できない。せめて次回選挙ではこれを20人まで増やしたい」と言っていたけれど、これなどその具体的証拠だと思います。

A 山本太郎が被災地で炊き出しのカレーを食べたとツイートしたことで、「被災者のものを食べると何事か」という騒ぎにもなりました。

B 一方に大惨事があり、その実情を自らの目で直接見たいと現地に駆け付け、SNSで報告している国会議員がいる、他方にそういう具体的な救援活動とは違うところで、野次馬的にその行動を非難する声が、やはりSNSなどで高まる。まさにインターネット時代ですが、ちょっと哀しい話でもあります。

A 現地では、1外国人がツイートしていたように、果敢に訪問してくれた山本太郎に感謝する声も多いようですね。岸田首相はようやく2週間後の14日に現地入りしました。ここでも、いざという時に頼れる政党はれいわしかないことを示したんじゃないですか。

B 本末転倒だと思うけれど、ここでも「いつも勝手に行動して全体の和をめざす」というような、れいわ孤立化の圧力も強まりました。心ある国民がどちらを支持するか、いや、山本太郎を支持して具体的支援の声をあげることが必要だと思いますね。

・庶民の底力と政界、芸能界、メディア界の腐敗

A 正月2日には羽田空港で日航機が被災地への救援物資を運ぶ途中の海上保安機と衝突するという傷ましい事故もありました(写真はJNNの中継画面)。

B これもテレビで地震被害を眺めているうちに突然、日航機の炎上のリアルタイム画面が飛び込んできました。燃え上がる日航機から乗客がシューターで脱出する瞬間も見ましたが、379人の乗員乗客が無事に脱出したのはせめてもの朗報でした。この脱出劇に対しては海外から日本人の冷静な行動に拍手の声がわきましたが、一般の日本人の底力を示したのだと思います(保安機の5人は気の毒にも亡くなりました)。

A 政界の堕落がいよいよが明らかになった年明けでもありますね。

B 昨年から話題になっている自民党の裏金問題では、安倍派幹部が軒並み東京地検の事情聴取を受け、二階派の二階幹事長も取り調べられました。裏金のキックバックを受けた安倍派の議員1人は逮捕されています。この事件は権力の腐敗のすさまじさを見せつけましたが、早くも捜査当局は派閥幹部だった議員たちの立件は見合わせるとの憶測も流れています。何のための捜査か、と思いますね。
 自民党は11日、この事件をうけた「政治刷新本部」の初会合を開きましたが、そのメンバーを見ただけで、これが政治刷新を目指すというより、当面の世論の鎮静化を待つための組織だというのが明らかです。本部長が岸田総理、最高顧問が麻生太郎、菅義偉、本部長代行が茂木敏光、幹事長が木原誠二というんだけれど、こんな顔ぶれでまっとうな政治刷新ができるわけがないですね。本来なら裁かれるべき人が、裁く法制度を検討するという、おなじみの手法とはいうものの、学識者や野党議員が入ったもう少しまともな組織を作るぐらいしないと、何も変わらないですね。茶番だと思います。
 こういう非常識に率先して異議を唱える人がいない。ここでも石橋湛山を引き合いに出すと、彼は戦後、首相になりながら病気で潔く辞任したとき、こういう言葉も残しています。「私権や私益で派閥を組み、その頭領に迎合して出世しようと考える人は、もはや政治家ではない。政治家が高い理想を掲げて国民と進めば、政治の腐敗堕落の根は絶える」。

A こういう状況下で、また「文春砲炸裂」というか、昨年暮発売の新年合併号で、吉本興業のお笑いタレント、松本人志の性的醜聞を暴露する報道がありました。昨年の芸能界はジャニーズの性加害問題でが大きく揺れましたが、今年は吉本興業かもしれません。

B いつも火付け役が『週刊文春』だという現実にも考えさせられます。一般紙にはただの芸能ネタと受け取られがちだけれど、松本人志は30年以上もお笑い界に君臨するビッグな存在で、大阪万博では「アンバサダー」をつとめるなど、政治的にも大きな役割を果たしています。マスメディアの多くの記者にとっては、こういう構造がはっきり見えていないようですね。

A 文春記事による松本人志の醜聞はまことにおぞましい。彼本人ばかりでなく吉本興業もこれを「事実無根」と否定し、法的措置を取ると言っていましたが、その後少し様子が変わり、松本人志は芸能活動休止となりました。
 吉本興業の社長、副社長とも松本人志、浜田雅功のお笑いコンビ、ダウンタウンの担当マネージャーだったらしいですね。会社も当初は松本人志の言い分をそのまま受けて対応したのでしょうが、その後、本人が「事実無根なので闘いまーす。それも含めワイドナショー出まーす」とツイートしたことで(ワイドナショーはフジテレビで14日に放映予定だった番組)、テレビ側が反発したのか、その出演も取りやめになりました。突然のことながら、吉本興業からもフジテレビからも、それに一部スポンサーからも見捨てられた状態になったようです。昨年のジャニーズ事件はもとより、スポンサー離れの影響も大きいようです。

B 松本人志の醜聞およびその対応を見ていると、自民党政治家とほとんど同じだという印象が強い。きちんと説明もせず、強引に〝逃げてしまう〟ようなことがなぜ許されているのか。そのこと自体が不思議だと同時に、今の日本の倫理的退廃を感じさせますね。この状況に対する国民の失望感、あるいは怒りはかなりなもののはずで、これが泉房穂元明石市長が「救民内閣」成立を促す背景だと思います。と言うか、彼は鋭い政治感覚でその状況を把握したということでしょう。

・れいわが独自に勝つチャンスはかなりある

 彼は「救民内閣7つのステップ」を明らかにし、政権交代でまず非自民政権を樹立し、ついで政策をめぐってさらに選挙をやるべきだとも言っています。政策の柱は、県をさらに大きな「圏」に広げる「廃県置圏」と「首相公選制」です。ただし、現実の政界地図をどのように再編成するかについてはまだはっきりしません。

A れいわの山本太郎は既存野党との共闘を原則的に拒否しています。彼は次期衆院選への姿勢にふれて、立憲民主党との連携を考えていないことをはっきりさせて、「とにかくれいわの議席を増やすことを優先する」と言っています。いまの野党でまとまってもダメだと見ているわけです。

B 山本太郎の考えには原則的に賛成ですが、泉提言によって眠っていた世論が掘り起こされる可能性は無視できない。そのエネルギーをうまく利用した方がいいとも思うわけです。
 れいわはこれからどう対応すべきかについて、元朝日新聞政治部記者、鮫島浩がれいわの集会に招かれて「どうする野党再編」と題して講演した内容が興味深いですね。彼はまず1993年の政治改革が構想した二大政党制は米国や経済界に都合のいい制度でしかなかった、と自己批判も込めて話しています。そして現在の政局はほとんど自民党内の勢力争いと絡んでいると。
 たとえば岸田政権にアンチの菅元首相は維新と近く、現在の最高権力者と目される麻生元首相は連合を通じて国民民主党と近い。そして立憲はどこに近いかというとそれは財務省である。というわけで、共産党を除く野党はいずれも既存勢力と密接なつながりをもっており、野党が野党としてまとまる芯のようなものはない。だから、現状では自民党内で権力を掌握したのがだれかによって、いずれかの野党が自民党に取り込まれてしまい、野党共闘はすぐガタガタになる。そして政治体制は実質的にはほとんど何も変わらない。そういう現状を説明したあとで彼はこういうふうに言いました。

 れいわ新選組はいま微妙な立場にある。他党とも協力しながら政権を窺うのか、国民の味方である立ち位置を死守して、徐々に勢力を伸ばしていくのか。その帰路にあるように見えるが、私は、れいわは独自の道を歩むべきだと思う。これからはイデオロギーとしての左右の対決ではなく、力としての上下の対決である。れいわはあくまで庶民、弱い国民の味方であるとの立場を貫き、安易に野党共闘に加わるべきではない。先方から寄ってくるのはいいが、自分からはそちらに近づかない。二大政党制に組み込まれることを拒否し、常に大きなビジョンを失わず、上級国民vs庶民の構図を作り出し、庶民をがっかりさせるようなことをしなければ、勝つチャンスはかなりあると思う、と。

 日本の政治を長い間見つめてきたジャーナリストの発言だけに、れいわにとっては貴重な提言に思えますね。