虐げられるれいわ新選組へのエール
B 櫛渕万里議員は6月1日の衆院本会議で10日間の登院停止という懲戒処分を受けました。2番目に重い処分で、衆議院議員の処分は16年ぶりとか。自民、公明、日本維新の会などの動議です。
A れいわ新選組の山本太郎、櫛渕万里、大石あき子の3代表は同日、記者会見を行い、この処分に強く抗議しました。櫛渕議員は「議会制民主主義そのものを茶番と言ったわけではない。かつて国会審議において野党が国会の玄関を封鎖するような行為までして法案を止めたこともあった。今回、予算審議において悪法が粛々と通っていくのに、そのことに真剣に立ち向かわない野党のあり方を含めて、国会全体が茶番だと言ったわけです」と自分の行動の真意をあらためて説明しました。
山本太郎代表は、「品位のない自民党とあきらめの野党がこの国を壊してきた。それに対してもう一度やり直そうじゃないか、闘おうじゃないかということを提案した者に対して、このような懲罰は不当でしかない。逆に言えば今後、野党は闘いません、体など絶対に張りませんということを、今回の懲罰で示した。自分たちの手足を縛ったことになるわけだから、間抜けもいいところですね」と批判、最後にぽつりと「狂っているとしか思えない」とつぶやいていました。
大石議員も「思い通りにならないからといって、やっていいことと悪いことがあるというふうに懲罰理由に書かれているんですよ。逆でしょう? 自分たちが思い通りにどんどん国民を苦しめていこうとしていて、れいわや心ある国会議員たちが、それに対して声を上げて、体を張って戦おうとしている。それに対して、自分たちの思い通りにならないからと、このような懲罰をすることはあり得ない」、「品性がないのは自民党、恥を知れ」(大石)などと激しく抗議の意を表明しました。国会の品位を汚しているのはどちらなのかと思いますね。
B 立憲民主党は、より軽い戒告動議を出したようですが、懲戒動議そのものには賛成していた。「野党第一党がなぜ他の野党を守らないのか」という声もあるけれど、野党第一党が立憲民主党である限り、こういう国会状況は続きますね。
A 櫛渕万里こそ真の国会議員です。彼女の出演するテレビ番組、「朝まで生テレビ」を見ていましたが、意気軒昂たるものがありました。大石さんは、ほんとに肝っ玉が坐っていますね。「もし悪法を身体を張って止められるなら、除名でも何でもやります」と、さらっと言ってましたが、戦慄が走りましたよ。かつて「府政のジャンヌダルク」と呼ばれていたことを思い出しました。みなさん、こんなことで萎縮することはないでしょうが、より一層の活躍を期待したいです。
B かつて山本太郎は「醜いアヒルの子」としての「白鳥の子」なんだと話したことがありますね。今は自民、公明、維新などのアヒルの子に嘴で突かれたり、足で蹴られたり、大いにいじめられていますが、時期が来れば成長して美しい白鳥になるんだと、あらためて大きなエールを送りたいです。
A 最近の政局を見ていても、岸田首相の息子の首相秘書官更迭があったり、維新の躍進で自公連立にさざ波が立ったり、立憲民主の依然としての危機感のなさが際立ったり、コップの中の嵐のようなごたごたが報じられています。コップの中と言えば、今は6月解散するかどうかの自民党内の駆け引きがすごいようです。
その間に日本の将来に暗雲を生じかねないような問題法案がどんどん成立していきます。こんなことで日本はいいのか、と焦燥感にかられるのが当たり前なのに、そういうまともな議員を懲戒処分するんですからね。統一教会問題で逃げまくっている議長がよく、「櫛渕万里君を懲戒処分とします」なんて言えると思いますよ。
B テレビニュースでは連日、世界各地で洪水、干ばつ、山火事、地震と、同時多発的な災害がひっきりなしに起こっており、地球全体が悲鳴を上げているように見えます。コロナ禍も含めて、これらの天変地異は、経済活動ばかり考えて自然を酷使してきたことに対する自然の悲鳴と言っていいでしょう。
少し前に、れいわの新党名として「れいわ新世党」はどうかと提案したこともありますが、最近、「人新世」の意味をあらためて考えています。
実は、遺伝子学の権威で筑波大学名誉教授でもある村上和雄さんの『コロナの暗号 人間はどこまで生存可能か?』(幻冬舎、2021)という本が人新世に注目していました。以下はこの本の受け売りですが、人新世というのは、オゾン層の研究で1995年にノーベル化学賞を受賞したオランダの大気化学者、パウル・クルッツエン氏が提唱したもので、従来の時代区分では1万数千年まえから続く「ホロシーン(完新世)」が最新区分でしたが、彼はいまや「人類の経済活動が地質学的なレベルの影響を与えている時代」として「アントロポセン(人類の新しい世)」という新しい名を提唱したわけです。これを日本語では「人新世(ひとしんせい・じんしんせい)」と呼んでいます。「地球と人間の関係が、人間の営みの影響でそれ以前の時代とは大きく変わってしまった」というわけです。
きわめてラフな地質年代の略図を示すと、 完新世は新生代第4紀に属し、更新世に続く年代です。クルッツエンはそこに人間活動の爆発的な影響力に注目して「人新世」を新たに加えた。第二次世界大戦後の1950年前後に始まったという捉え方が一般的のようですが、村上さんは「いままさに人類は、自らの手で自らを滅ぼす可能性に向かって突き進んでいるとしか思えない」と書いています。
最近の天候異変、さらにはコロナ禍などを思い起こすと、この説が大いに納得できますね。それほど大きな人類史的テーマがいま私たちの目前に迫っており、日本も、世界とともに、そういう大問題に向かって叡智を結集すべきですが、国会はご覧のような体たらくということですね。そこで改めて思うのは、こういう時代を射程に収められるのはまさにれいわ新選組しかないということです(「れいわ新世党」を提唱する理由)。
A れいわに大いに頑張ってもらいたいと思いますが、それより、もっと多くの人が低次元のれいわいじめに加担することなく、次期衆院選でのれいわ躍進を求めてほしいです。
B 個人の寄金だけでなく、日本、さらには地球の将来を憂える企業や篤志家、IT起業家の支援も期待したいですね。
話は突然、古い『三国志演義』の世界に飛びます。後漢末期に政情乱れ、黄巾の乱がし烈をきわめていたころ、劉備、関羽、張飛という3豪傑が後漢王朝の再興をめざして桃園で義兄弟の契りを結んだ。その直後に通りがかった旅商人が義挙に感じて馬、金銀、鉄をポンと寄付します。それで関羽はあの青龍偃月刀、張飛も大鋒を作り、500人ほどの義勇兵を集めたんですね。
『三国志』の世界では、3という数字がいろいろ意味を持つ。魏、呉、蜀の「天下三分の計」もそうだけれど、三国志にあやかって言うと、れいわ新選組も3人の共同代表制です(^o^)。

B れいわ新選組の共同代表でもある櫛渕万里議員に対する懲罰動議が5月25日の衆院本会議で自民、立憲民主、日本維新の会、公明、国民民主各党の賛成多数で可決しました。櫛渕議員は、鈴木俊一財務相に対する不信任決議案採決が行われた18日の衆院本会議の投票時に、「与党も野党も茶番」などと書かれた紙を掲げたことで与野党双方から懲罰動議が出されていました。
私を懲罰委員会に付する動議につき身上弁明を行います。まず5月18日の壇上における行為について議場の皆様にお詫びをいたします。国権の最高機関である国会において言論の府として議会制民主主義の根幹を支える院の秩序とルール、これは本来尊重されるべきものであることに深く同意いたします。私としても考えに考え抜き、党の内部でも真摯な議論を重ねた結果、政治が暴走するその危機に対して、已むに已まれず今回の行動に至りました。
私もやりたくてやっているわけではありません。この国で生きる多くの人びとが苦しんでいる中で、防衛増税法案を出してくる、こういった憲法25条や9条を無視したような政権のやり方に対して、憲法を守るものとして議員の務めだと思っています。実力行使については過去盛んに行われているということです。立憲・共産は今回この防衛増税法案に断固反対と、何としても止めるとおっしゃっていましたが、もっと体を張って止めましょうとういう呼びかけでもありましたから、それに対して処分でお答えになったというのは大変残念だなと。私自体は一人の国会議員として国民の期待に応えるために、自分が何をしていけばいいのか、ということについては、本当にできることが小さいと。だからこの国会の与党も野党もどういうことをやっているのかということを可視化して、まず国民の皆さんにお見せするということが、私の最大限できることなのかなと思います。
A 岸田文雄首相は5月19日から地元広島で開かれるG7サミットに意欲満々なようですが、米誌タイムの5月22・29日号がその岸田首相を表紙に取り上げ、「日本の選択」というキャッチのもとに「岸田首相は数十年にわたる平和主義を放棄し、日本を真の軍事大国にしたいと望んでいる。Prime Minister Fumiko Kishida wants to abandon decades of pacifism ‐and make his country a true military power」と紹介しました。
こんな型通りの抵抗ではどうしようもないと思っていた矢先、れいわ新選組の大石あき子議員が、衆院本会議場でその野党の態度に異議を唱えました。「大量の売国棄民法案を廃案にするためにもっと本気で戦う野党の復活を」(写真)と訴えたわけです。
B 話は変わりますが、横浜の映画館、ジャック/ベティで『ハマのドン』と『妖怪の孫』を同時に見てきました。
『妖怪の孫』は岸信介元首相の孫、安倍晋三元首相のやはりドキュメントですが、藤木さんのどっしりした存在感に比べると、安倍元首相のいかに薄っぺらなことか。彼はアベノミクスに対して、「やってる感だけだせればいいんだ」と、もはや驚くこともないけれど、これが首相の言かと思うようなことを平気で言っていました。


つい最近までサイバー空間は、ユーザーの関心がある、あるいはユーザー好みの情報を彼らの履歴を参考に自動的に選んで提供してくれるから、人びとは知らない間に自分好みの情報だけに取り囲まれて、結果的に社会は分断される(イーライ・パリサーのフィルター・バブル、『閉じこもるインターネット』2012、早川書房)と言われていたのである。もちろん今もその傾向は拡大しているが、一方で、ChatGPTは誰が質問しても同じような回答を返してくる。これも「今のところ」と制約をつけるべきかもしれないが、ともかく当面は私が質問しようと、他の人が質問しようと、質問が同じならば回答も同じではないかと思われる(もっとも、同じ質問でも条件を付けると回答が変わるし、同趣旨の質問でも、ちょっと表現が異なると答え方も変わってくる。利用する心構えとしては、よい質問をすることが重要になってくる)。
これもインターネット黎明期に『「みんなの意見」は案外正しい』(ジェームズ・スロウィッキー、2004年、角川書店)という本が話題になった。「正しい状況下では、集団はきわめて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中でいちばん優秀な個人の知力よりもすぐれている」として、最大公約数的な意見はけっこう正しいということを主張した本だが、それではChatGPTの提供してしてくれる情報は正しいと言っていいのだろうか。
たとえば最近、友人に勧められて孫泰造『冒険の書 AI時代のアンラーニング』(日経BP、2023)を読みました。孫泰造氏はいろんなITベンチャー企業に投資してきた企業家で、ソフトバンク創業者、孫正義氏の弟です。本書は、思索としての冒険の書であると同時にAI時代の生き方指南書でもあります。
沖縄の人たちが、何度やめてと頼んでも、海に今日も土砂が入れられる。これが差別でなくてなんだろう。見たくないものを沖縄に押しつけて知らん顔。現在、上間さんは琉球大学で教えるかたわら、若年出産女性を調査、支援する活動を続けています。エッセイの中にも10代で母になった女性が登場しますが、問題の背後にあるのも本土との経済格差だと思います。いまの政治家は沖縄に誠実に向き合っているとも思えない。
1つは妻宛に届いているカタログ雑誌『通販生活』2023年夏号に「岸田首相の〝聞く力〟は、誰の言葉を聞いているのだろうか」という緊急特集があり、<「敵基地攻撃能力の保有」に反対する12人の女性の声をぜひ聞いてください>として、上野千鶴子(社会学者)、上原公子(元国立市長)、落合恵子(作家)、加藤陽子(東京大学大学院教授)、斎藤美奈子(文芸評論家)、澤地久枝(ノンフィクション作家)、田中優子(法政大学前総長)、中島京子(作家)、浜矩子(エコノミスト、同志社大学大学院教授)、三上智恵(映画監督)、安田菜津紀(フォトジャーナリスト)、山本章子(琉球大学人文社会学部准教授)の声を掲げていました。
ちなみに加藤陽子さんは中高生向けに講義した内容をまとめた『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社、2009、小林秀雄賞受賞)などで有名ですが、2020年に菅義偉政権によって学術会議会員への任命を拒否された6人の中の1人でもあります。
加藤陽子の別の本(『戦争まで』)によると、19世紀の軍事思想家、クラウゼヴィッツは『戦争論』で、「戦争は政治的交渉の一部であり、従ってまたそれだけでは独立に存在するものではない」と言っている。以前にも紹介した昭和史および漱石の研究家、半藤一利が『昭和史』(平凡社ライブラリー)かどこかでふれていましたが、夏目漱石も「人びとはとかく大事件に注目するが、それ以前の小さな出来事の意味が大きい」といったことを書いているとか。
と』を確保しているとは認められない」。総務省ではこの見解を「『番組全体を見て判断する』というこれまでの解釈を補充的に説明、より明確にしたもの」と説明した。
B 僕はかつて『総メディア社会とジャーナリズム 新聞・出版・放送・通信・インターネット』(知泉書館、2009、大川出版賞受賞)という本を書いたことがあります。インターネット以前は、メディアと言えばいわゆるマスメディアだけでした。しかも新聞、出版、放送などのメディア企業は、ふつうの企業とは違う一種の「文化産業」とみなされ、そこでは不十分ながらも、「表現の自由」や「権力監視」といったい言論機関の役割が自覚されていたわけです。