古藤「自然農10年」(2)

古都奈良に自然農の聖地を訪ねる

 田畑は耕さず、農薬、肥料なしで米や野菜を見事に育てる―――世の常識をひっくり返す自然農の指導者、川口由一(よしかず)さんに初めて会ったのは2010年(平成22年)秋、奈良県桜井市の彼の田畑を見学し、近くの市民会館で勉強会をする2泊3日の「妙なる畑の会 全国実践者の集い」の会場でだった。

 自然農1年生の私は妻と物見遊山のドライブ旅行といった気分で参加した。宿は思い思いの分宿で私たちは県境を少し超えた三重県名張市のホテルにした。じつは2年前、同じホテルに泊まって伊賀上野に住む新聞社時代の先輩を訪ね、それが思いがけずもわが余生を自然農に導かれるきっかけになった。先輩夫婦は、古い農家と田畑を買って老後の農業生活を始めており、その夫人は川口さんの最も古いお弟子さんの1人だったのである。

 卑弥呼の墓説もある箸墓古墳や三輪山が近くに見える川口さんの田は黄金色に実っていた。肥料もなしに育った稲穂のすごさを、当時は見る目もなく眺めた。畑は草原に見えたが、大豆は驚くほどの鈴なりだった。座学をする市民会館は会社時代に見たことがない服装の人たちであふれていた。野良着もあれば草履ばきもある。手製の布袋やリュック、長靴に籠をかつぐ人もいる。

 宗教学者の山折哲雄氏、考古学が趣味という俳優の刈谷俊介さんらがゲストに招かれていた。川口さんの田んぼの1枚から整然と並ぶ大型建物の遺構が発掘され、卑弥呼の宮殿ではないかと大ニュースになっていた。川口さんは小柄で一見しょぼい老人という印象だった。次の年の第20回全国集会は糸島で、運営すべてを「福岡自然農塾」に任せることを決めて散会した。

 福岡自然農塾は、川口さんを糸島に招いて大きな拠点に育てた数人の農園、農塾の総称である。代表は「松国自然農学びの場」の代表も兼ねる松尾靖子さん。彼女の「ほのぼの農園」が直販する野菜の味にほれ込んだ福岡日航ホテルの料理長が彼女の野菜で8000円のコースメニューを作ったことが話題になった。福岡自然農塾にとっても活動20年の節目となる全国集会、メンバーは気合を入れて準備に入った。

・糸島の第20回全国集会に200人参加

熱っぽく語る川口由一さん(2011年、唐津市のホテルで)

 翌年11月18日からの全国集会は、北は宮城県から南は鹿児島県まで200人余が参加した。唐津の名勝、虹ノ松原のホテルを会場に、泊まりきれない人は隣の少し上等のホテルに分宿して2泊3日、うちベテラン実践者約60人はもう1泊した。夕食後も連日10時半終了という濃密な学習会だった。借り集めた9台のマイクロバスで見学の田畑とホテルの間を運んだ。私は、松国自然農学びの場の実践指導者、村山直通さんの下でスタッフ手伝いに加わった。

 参加者は、家業の農業を自然農で継ぐことにしたごく少数と、農地を買ったり借りたりした転職組や勤めながらの本格実践者が中心メンバーで、営農は少なく、多くは自給自足をめざす。2014年現在で61人が川口さんの著書に一覧表で紹介されている。彼らをリーダーに、都市から農業をしたいとやって来る人、食の安全や子どもの体質改善を願う母親などが集まっている。

 座学で初めて間近に見た川口さんは、しょぼいどころか芸術家のように服装を整え、長い頭をふわふわの頭髪でつつみ、仙人のような風貌だった。「大宇宙を生み、私たちの命も生み出した自然。その本源の力によって森羅万象が廻らされています。自然農はその力に応じ、従い、最後は任せる農業です」。時々瞑目しながら語る。「農業者が悪から離れ、美しく正しい生き方をしなければ、健康な命を持った野菜が育たないのです」とも。最後に「田畑や命をよく見て正しく応じないと作物を損ね、作る人も損ねることになります」とさりげなくつけ加えた。

 後年、私は川口さんの言葉の重さをかみしめることになる。

 福岡自然農塾にとっても20年の活動を記念する全国集会だったが、開会式はあいにくの冷たい雨。風にあおられる雨具の帽子を押さえながら松尾靖子さんが川口さんのすぐ横で歓迎のあいさつに立った。「私たちはいま地球に生きています。みなさん、元気ですか」と力いっぱいマイクを突き出したが、この時彼女は重い病状にあった。前年の集会では元気はつらつの登壇者だったのに、その後間もなくがんが見つかり田畑から遠ざかっていた。

 学びの田んぼに立つのは半年ぶり。代表の役を十分果たせなかったことを詫び最後に「これまで20年間、自然農に導いて下さってほんとにありがとうございました」と川口さんに向かって深々と頭を下げた靖子さんは、その半年後、この世を去った。ふっと消えるような別れだった。

 川口さんの自然農に感動し誠実に全力で田畑に立った人は、がんと分かった後も摘出手術、放射線、抗がん剤の治療は受けず自然療法などに徹していたと聞いた。先輩の夫人と靖子さんは川口教室のいわば1回生同士で大の仲良しでもあった。

 ふっくらと生きているような死に顔を思い出すたび、彼女の自然農に殉じるような余りに潔い亡くなり方に残念な思いがしてならない。靖子さんの命への応じ方は正しかったのか、川口さんの教えの言葉と重なって、今も私の心の中に堂々巡りをしている。

古藤「自然農10年」(1)

命あふれる棚田、私の花粉症も消えた

 今年の猛暑は山すその私の棚田にも容赦なく押し寄せたが、お盆が過ぎて急に秋の気配がただようになった。モズがけたたましく鳴き、朝露を含んだ畦道は秋の虫が元気に跳ねる。青々と繁る稲をかき分けて進むと、舞い上がる羽虫を食べるのか、アキアカネが空いっぱいに群れ飛び、私の後を追う。

 農薬を使わない田畑は元気な命にあふれている。自然農に出会って10年、メタボ気味だった体重は十数キロ軽くなり、足腰は強くなった。基準を超えていたコレステロール、尿酸値も現役時代がうその様におさまり、飲み薬と目薬が手放せなかった花粉症まですっかり消えた。

 畑にした棚田では、里芋が雨に恵まれて今年はよく育った。初めて安納芋を植えたサツマイモ畑は畑一杯に葉が広がる。タマネギ、ジャガイモは春に1年分を収穫、お米は自給以上で余分は「健康玄米」として売っている。トマト、キュウリ、ナスなど毎日の食材は、たいてい庭の畑でまかなえる。

 自然農の米や野菜は、健康な命の味と香りがする。養殖と天然の魚の違いが分かる人は同じように自然農の味の違いが分かるだろう。ナスは小さく傷があっても身がしまって甘い。タマネギは、おいしいだけでなく軒下につるすと腐らずに1年、保存できる。こうした命の力あふれる実りを手にできただけでなく、思いもしていなかった大きな恩恵があった。

 一つは、カエルやミミズ、ムカデまでも可愛いと眺める目になったことだ。田畑の生き物は食べたり食べられたり、いつも懸命に生きている。その強さ、はかなさ、ひた向きさは人の命と変わるところがない。ブヨやアブは人を刺しに飛んでくるが、ムカデは頭に這い上がって来た時も逃げるのに必死で刺すことはない。私はひたすら逃げるムカデの額に流れる脂汗を想像することが出来る。

 周辺の森に住むカラスは、しゃがんで畑の手入れをしていると様子をのぞきにやって来る。夕方は、いろいろ声音を変えて林の中で会話を交わし、雨の気配が近づくと静まって休む。キツツキが小気味よく木をたたき、フクロウは夕方が近づくと間のびした声で教えてくれる。

 だから一日、人がやって来ない棚田で孤独を感じることはない。すべての命と一緒に大自然に包まれ、生かされている実感が、やすらぎと安心を与えてくれる。命のあるかぎり自然農で暮らすことにした選択は間違っていなかった。今、少しも迷い、不安がない。充足感を持って余生を暮らせていることが、何よりも大きなもう一つの恩恵である。

・土地を耕さず、農薬も使わない

 それに使った農具は鍬、スコップ、手鎌のわずか3つ。自然農は、のちに詳しく説明するように、肥料を使わないばかりか、土地も耕さない。中古で購入した軽トラックに草刈り機とこの3つを積めば道具はすべてすむ。自然農が耕すことをやめた恩恵はとてつもなく大きいのだ。農耕が文化となって1万年ともいわれる人類史で、大逆転の革命ではなかろうか。耕さず、農薬、肥料を使わなくても自然が豊かな恵みをもたらすのは、ただ野山を見るだけで十分である。

 山と同じように耕さない畑は、刈った草や生き物の排泄物、死骸が積み重なり、おびただしい微生物の働きで自然に豊かになる。田畑を繰り返して耕す現代農業は、固くやせた土にして大量の化学肥料が必要になり、病気がふえて農薬も欠かせない悪循環に陥っているのではないか。大型農機を作るために投入される全エネルギーを考えれば壮大な無駄だと思われる。

 政治家は永続可能な農業や国民を豊かにする国土づくりに興味を示さず、儲かる農業、自らの票につながる農政に走る。農学部の研究も利益を生むバイオテクノロジーの分野が脚光を浴び、本来の田畑の研究は脇に追いやられている。私の様な老人初心者が、いとも簡単に大きな恵みと健康を手にできた自然農は、こうした日本農業の現状に鋭い問いを突き付けているように思えてならない。