踏みにじられた「広島」 (核廃絶)の心
A 5月下旬に行われたGセブン広島サミット(先進7か国首脳会議)は、大方の新聞論調とは違い、惨憺たる結果に終わったと思います。「広島」出身を売り物にして意欲満々で取り仕切った(?)岸田文雄首相だが、実際は、核廃絶の象徴「広島」への背信行為だったのではないでしょうか。れいわ新選組の山本太郎代表が支持者との集会で「残念な結果になった」と、おとなしい表現ながら、鋭い意見を述べていました。聞いていて、胸がスカッとしました。彼が総理になってからのサミットを観たい!
ウクライナのゼレンスキーも来ましたが、ほんとは来てほしくなかったですね。来るならプーチンとセットで来いというか。平和都市広島において、今行われている戦争停止に向けてテーブルを作るということなら、たとえゼレンスキーは来たけれど、プーチンは来なかったということがあったとしても、日本という国がいまある戦争を止めようとして仲介を果たそうとしているメッセージを世界に届けられたはずなんですよ。しかしそういう場にしなかった。
もちろん戦争をはじめたのはロシアだけれど、そうは言いながらも、殺し合いは止めなければならない。その止めるためのカードとして日本が仕事をする、広島サミットはそういう場にふさわしかったと思うけれど、そうはならなかった。逆に言えば、むしろあおりに出た。一方でアジア諸国は冷静に判断している。アメリカ、中国、どっちにつくのかというようなことやめろよ、アジアでそんな騒ぎ起こさないで、というようなアジア諸国に対して、日本だけがアメリカの尻馬に乗って、イケイケになっちゃってる。これはもうサミットをビジネスチャンスと考えていると捉えるしかない。
ほんとに迷惑です。というのはね、Gセブンは終わるんですよ、残されるのは私たちじゃないですか。ここまで最大限、アジアの緊張を高めるようなことを、最後にゼレンスキーまで来て、この後、どうして話し合いしていくの。戦争は終わらせられないし、逆に言えば、さらなる火種というものが生まれかねない。ほんとに残念な集まりだったな、と思います。
B 前回の米タイム誌のインタビューもそうだけれど、岸田首相はアメリカの言いなりになって、日本の軍事大国化をめざしているけれど、これが戦後一貫して平和主義を掲げてきた日本への裏切りであることは明白ですね。問題は、岸田首相にそのことがほとんどわかっていないように思われることです。ふつうの神経なら、西側諸国一体になって軍備強化を進めようという思惑のもとに、戦後日本の平和主義の象徴である「広島」を利用するなどできないはずです。このノンシャランなところがまさに岸田流と言うべきか。「広島に謝りなさい」と言いたいですね。
A 「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」というのは、まったくの作文でしかない。これについては日本共産党の志位和夫委員長が「被爆地から核に固執する宣言は許しがたい」との談話を発表しています。要旨は、①「核兵器のない世界」を言葉では述べているが、それは「究極の目標」と位置づけられ、永久に先送りされている、②核兵器そのものが非人道的な兵器であるという批判や告発は一言もなく、核の効用を認める核抑止力論を公然と宣言している、③90を超える諸国が署名している核兵器禁止条約について一言の言及もない。まことに正論だと思います。
B メディアはおしなべてG7の成功をほめたたえていますね。いまさらとは言うものの、批判精神の欠如もここに極まれりという感じがします。もっとも、地元の中国新聞の社説(オンライン)はまっとうです。
・討議の成果としてまとめた核軍縮に関する「広島ビジョン」が、多くの原爆死没者が眠る広島の地名を関するにふさわしいとは思えない。
・ビジョンが核兵器禁止条約に触れていないことは許しがたい。
・われわれは条約への署名、批准を政府、国会に改めて迫る必要がある。少なくとも年内にある第2回締約国会議にはオブザーバー参加をするべきだ。
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のメンバーは「核抑止論や核の傘で戦争をあおるような会議になって怒りを覚える。核兵器廃絶への希望を完全に打ち砕かれた」と述べたといい、東京新聞によると、サミットの拡大会合に参加したブラジルのルラ大統領は記者会見で、「バイデン大統領はロシアへの攻撃をけしかけている」と批判しつつ、「ウクライナ問題はロシアと敵対するG7の枠組ではなく、国連で議論すべきだ。グローバルサウスは和平を見出したいが、ノースはそれを実現しようとしない」と非難したようです。
・松岡洋右にも学ぶべき点がある
A なぜ岸田首相は主催国議長として、Gセブンを広島で開催するにふさわしいものにすることができないんでしょうね。たまたま総理になっただけの人物が何の信念も無く、ただただアメリカの言いなりになって、高揚している怖さを感じます。日本は本当に危険な状態だと思わざるを得ません。
B 真の同盟、あるいは友好関係を築こうとするなら、お互いの立場を認めつつも、言うべきことを言う態度が必要だと思いますが、戦後の日本外交は、からっきしだらしがない。
戦犯として有罪になった悪名高き元外相、松岡洋右に関する興味深いエピソードがウイキペディアに紹介されています。敗戦後のある日、出入りしていた新聞記者が「アメリカ人はどういう人間か」と聞くと、彼は以下のように答えたと言います。
野中に一本道があるとする。人一人、やっと通れる細い道だ。君がこっちから歩いて行くと、アメリカ人が向こうから歩いてくる。野原の真ん中で、君達は鉢合わせだ。こっちも退かない。むこうも退かない。そうやってしばらく、互いに睨み逢っているうちに、しびれを切らしたアメリカ人は、拳骨を固めてポカンときみの横っつらを殴ってくるよ。さあ、そのとき、ハッと思って頭を下げて横に退いて相手を通して見給え。この次からは、そんな道で出会えば、彼は必ずものもいわずに殴ってくる。それが一番効果的な解決手段だと思う訳だ。しかし、その一回目に、君がヘコタレないで、何くそッと相手を殴り返してやるのだ。するとアメリカ人はビックリして君を見直すんだ。コイツは、ちょっとやれる奴だ、という訳だな。そしてそれからは無二の親友になれるチャンスがでてくる。(出典は三好徹『松岡洋右-夕陽と怒濤』学陽書房)。
A 戦後の日本外交はほとんど殴られっぱなしだった。
B もうひとつエピソードを紹介しておきましょう。
松田武『自発的隷従の日米関係史』(岩波書店、2022)という本に「スマート・ヤンキー・トリック」という言葉が紹介されています。南北戦争時にも使用され、第26代大統領、セオドア・ルーズベルトの行動を説明するときにも用いられたと言いますが、その意味はこうです。「ある国が相手国から何かを得たい、手に入れたいと思う時には、まず相手国にその旨を伝え、外交手段や時には力づくで欲しいものを手に入れていくというのが常道」だが、「『スマート・ヤンキー・トリック』の場合は、あらゆる手管を使って根回しをし、最終的には相手国から差し出される、場合によっては懇願されるという形で、欲しいものを相手国から手に入れるという方法である」。
こういう手法は日常生活のレベルでは、とくに男女関係においては、よくあることだと思いますが(^o^)、これがアメリカ外交の基本に組み込まれていたと言うんですね。自発的隷従は日本の卑屈な態度の結果だと思ってきたのだが、そしてそれはその通りでもあると思うけれど、そこにはアメリカの巧妙な外交戦略があった、と。
A ゼレンスキー大統領の突然の登場で、今回のGセブンの思惑がかえって鮮明になりました。SABEJIMA TIMESが、これを画策したのはバイデン陣営ではないかと推測していましたが、サミットを奇禍としてウクライナにF16戦闘機を供与する道も開かれたようです。広島サミットは平和を追求するよりも、西側陣営の軍事的結束を強めるデモンストレーションだったように思えます。
B それにしてもメディアの扱いはひどいですね。戦前の戦争賛美の論調そのものではないですか。国民もそれにあおられて岸田内閣の支持率が上がったりしているわけですね。

A 岸田文雄首相は5月19日から地元広島で開かれるG7サミットに意欲満々なようですが、米誌タイムの5月22・29日号がその岸田首相を表紙に取り上げ、「日本の選択」というキャッチのもとに「岸田首相は数十年にわたる平和主義を放棄し、日本を真の軍事大国にしたいと望んでいる。Prime Minister Fumiko Kishida wants to abandon decades of pacifism ‐and make his country a true military power」と紹介しました。
こんな型通りの抵抗ではどうしようもないと思っていた矢先、れいわ新選組の大石あき子議員が、衆院本会議場でその野党の態度に異議を唱えました。「大量の売国棄民法案を廃案にするためにもっと本気で戦う野党の復活を」(写真)と訴えたわけです。
B 話は変わりますが、横浜の映画館、ジャック/ベティで『ハマのドン』と『妖怪の孫』を同時に見てきました。
『妖怪の孫』は岸信介元首相の孫、安倍晋三元首相のやはりドキュメントですが、藤木さんのどっしりした存在感に比べると、安倍元首相のいかに薄っぺらなことか。彼はアベノミクスに対して、「やってる感だけだせればいいんだ」と、もはや驚くこともないけれど、これが首相の言かと思うようなことを平気で言っていました。

たとえば最近、友人に勧められて孫泰造『冒険の書 AI時代のアンラーニング』(日経BP、2023)を読みました。孫泰造氏はいろんなITベンチャー企業に投資してきた企業家で、ソフトバンク創業者、孫正義氏の弟です。本書は、思索としての冒険の書であると同時にAI時代の生き方指南書でもあります。
沖縄の人たちが、何度やめてと頼んでも、海に今日も土砂が入れられる。これが差別でなくてなんだろう。見たくないものを沖縄に押しつけて知らん顔。現在、上間さんは琉球大学で教えるかたわら、若年出産女性を調査、支援する活動を続けています。エッセイの中にも10代で母になった女性が登場しますが、問題の背後にあるのも本土との経済格差だと思います。いまの政治家は沖縄に誠実に向き合っているとも思えない。
1つは妻宛に届いているカタログ雑誌『通販生活』2023年夏号に「岸田首相の〝聞く力〟は、誰の言葉を聞いているのだろうか」という緊急特集があり、<「敵基地攻撃能力の保有」に反対する12人の女性の声をぜひ聞いてください>として、上野千鶴子(社会学者)、上原公子(元国立市長)、落合恵子(作家)、加藤陽子(東京大学大学院教授)、斎藤美奈子(文芸評論家)、澤地久枝(ノンフィクション作家)、田中優子(法政大学前総長)、中島京子(作家)、浜矩子(エコノミスト、同志社大学大学院教授)、三上智恵(映画監督)、安田菜津紀(フォトジャーナリスト)、山本章子(琉球大学人文社会学部准教授)の声を掲げていました。
ちなみに加藤陽子さんは中高生向けに講義した内容をまとめた『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社、2009、小林秀雄賞受賞)などで有名ですが、2020年に菅義偉政権によって学術会議会員への任命を拒否された6人の中の1人でもあります。
加藤陽子の別の本(『戦争まで』)によると、19世紀の軍事思想家、クラウゼヴィッツは『戦争論』で、「戦争は政治的交渉の一部であり、従ってまたそれだけでは独立に存在するものではない」と言っている。以前にも紹介した昭和史および漱石の研究家、半藤一利が『昭和史』(平凡社ライブラリー)かどこかでふれていましたが、夏目漱石も「人びとはとかく大事件に注目するが、それ以前の小さな出来事の意味が大きい」といったことを書いているとか。
と』を確保しているとは認められない」。総務省ではこの見解を「『番組全体を見て判断する』というこれまでの解釈を補充的に説明、より明確にしたもの」と説明した。
B 僕はかつて『総メディア社会とジャーナリズム 新聞・出版・放送・通信・インターネット』(知泉書館、2009、大川出版賞受賞)という本を書いたことがあります。インターネット以前は、メディアと言えばいわゆるマスメディアだけでした。しかも新聞、出版、放送などのメディア企業は、ふつうの企業とは違う一種の「文化産業」とみなされ、そこでは不十分ながらも、「表現の自由」や「権力監視」といったい言論機関の役割が自覚されていたわけです。
A 近くの梅園に行ってみました。春ですねえ。