寒暖差激しい秋の夜長のだらだら閑話
A 先日の日曜日に知人と鈴木宣弘東大教授(農業経済学)の講演会に行って来ました。鈴木教授は以前から日本の食料危機に警鐘を鳴らし、「今だけ、金だけ、自分だけ」の情けない風潮を強く危惧されています。志摩市出身なので親近感もあります(^o^)。講演の中で「MTNが新自由主義の三悪人」と言われたので、質問タイムに真っ先に「Nとは誰のことですか?」とお聞きしたら、新浪剛史サントリー社長とのことでした。Mはオリックスの宮内義彦、Tは言わずもがな、竹中平蔵氏のことですね。
後に質問した方が「この食料危機の現状を打破する政党はどこだと思われますか?」と聞かれたので、思わず「れいわ!」と大きな声で叫んだのですが、鈴木先生もれいわの農業政策を高く評価されていて、我が意を得たり、でした。さらに、「れいわ新選組は他の野党とは違い、与党と裏で手を結んだりせずに真正面から与党に挑んでいる」ともおっしゃいました。講演終了後に名刺交換させていただきました(^o^)。
B 講演会の主催はどこですか。
A 三重県教職員組合で、聴衆は約30人、男女同数という感じでしたが、やはり若い人は少なかったですね。
B 鈴木教授は農業問題における国の姿勢を厳しく糾弾していますね。国の安全保障の根幹である農業政策に、この国のダメさ加減が集中的に表れていると言っていいでしょう。現在の食料自給率は38%という情けない事態ですが、ここに鶏や牛、豚の飼料や野菜の種の自給率などを勘案すると、自給率はぐっと下がるようです。昼食にも事欠く児童がいる一方でコメの減反が進められ、酪農行政の矛盾の表れとして、生乳が無残に廃棄されるという事態が進んでいます。
彼は、種子法の廃止、農業競争力支援法など一連の政策変更は、「公共政策や共助組織により維持されてきた既存の農林漁業の営みから、企業が自由に利益を追求できる環境に変える」ことだと言っています(『農業消滅 農政の失敗がまねく国家存亡の危機』平凡社新書、2021)。
私たちの財産でもあった自然環境が企業が儲かる商品に変えられていく神宮外苑再開発と軌を一にする動きで、極端に言えば、自動車輸出のために農業が犠牲になっている。アメリカには、自国農業を保護し育成し世界に進出させるという大きな戦略があるわけですが、日本は情けないことにその戦略に唯々諾々として従い、自国に不利な条件を率先して呑むという、まさに政治家たちの「国家私物化」とも言うべき事態が進んでいるわけです。
また『食の戦争 米国の罠に落ちる日本』(文春新書、2013)には「目先の自分の利益だけしか目に入らない人々が多すぎる。しかも、国民の幸せではなく、目先の自分の利益しか見えない政治家や、人の命よりも儲けを優先する企業の経営陣が国の方向性を決める傾向が強まっている。‣‣‣。皆、自分たちの目先の利益のみに目を奪われ、支え合う気持ちを失い、 やがては、全体が沈んでいって、そこで初めて気づくのかもしれない」とも書いています。ここには、安くさえあればいいと、輸入農産物に飛びつく消費者の問題もありますね。「消費者にも、食の本物の価値をしっかりと認識して、それに正当な対価を支払うことが当然だという価値観を持ってもらうことが大事だ」という指摘はもっともだと思います。
A まことに昨今のこの国の政治はお粗末すぎる。岸田首相はこれまで増税を叫んでいたのに、支持率低下を気にして減税を打ち出した。政策の柱がない場当たり的な人気取りに過ぎず、国民からも、さらには政権与党や財務省当たりからも不興を買う始末です。首相としてこの国をよくするために自分は何をやるのだというビジョンがまったく見えてこない。と言うより、何もないと考えるしかない。自民党、公明党、野党を見渡しても、どんぐりの背比べ、骨のある政治家はいないですね。政治家ばかりでなく、官僚、企業人、メディア人も同じような印象です。
・国益を守る→自分の政治生命を守る
B 『農業消滅』には、「建前→本音の政治・行政用語の変換表」というしゃれた付録がついていて、「国益を守る→自分の政治生命を守る。アメリカの要求に忠実に従い、政権に結びつく企業の利益を守ることで、国民の命やくらしを犠牲にする」、「自主的に→アメリカ(発のグローバル企業)の言うとおりに」、「ウィン・ウィンの日米貿易協定→日米ともに利益を得たという意味ではなく、日本から農産物も自動車も両方勝ち取った、アメリカの一人勝ち」などと辛辣な指摘があります。
A いつから日本はこんな体たらくになったんでしょうね。高度経済成長真っ盛りのころ、日本経済を牽引しようと奮闘した通産官僚の姿を描いた城山三郎『官僚たちの夏』などを読むと、当時の官僚には省益ばかりでなく、日本全体の利益という大きな目標もあったようだけれど‣‣‣。
B 政治家もダメ、企業人もダメ、官僚もダメ、メディアもダメと、まさに「ダメダメ日本」ですねえ。
A われわれとしては、だからこその山本太郎とれいわ新選組ですが‣‣‣。
B これも『週刊文春』で知ったのだけれど、最近、朝日新聞の中堅記者が朝日新聞経営陣の姿勢に「絶望」し、沖縄の地方紙に転職したらしい。社をやめた記者がフリーになったりする例はこれまでも多かったけれど、他の地方紙に移ったのが印象的です。少なくとも彼は新聞記者という職にまだ意義を見出しているのだが、それが朝日新聞ではもはや無理だと言っているわけですね。OBとしては、まことに感慨深い出来事です。
A 日本人全体の知的レベルの劣化というのを感じざるを得ないですね。われわれの身の回りの市井の人々の中には、いまでも立派だと思う人がたくさんいるわけで、日本人全体というと語弊があるけれど、少なくとも知的職業と思われてきた政治家、企業経営者、官僚、メディア関係者というふうにくくると、その劣化は覆うべくもない気がします。
B その原因の一つに、日本人が漢籍や古典を読まなくなった、あるいはそれらの教育が重視されなくなったという事情があるように思いますね。大学でも人文科学が軽視されているように、人間として備えておくべき基本的なバックグラウンドが枯渇しつつあるのではないかと。
鈴木先生が上げた新自由主義の信奉者や、昨今話題になった自民党議員の中にも、日本の一流大学を出て、ハーバード大学などのアメリカの名門で勉強し、語学も堪能、学力としては超エリートな人がけっこういるわけですね。だけど、経営などの技術・知識は抜群かもしれないけれど、人間としての資質はどうなのか、というと怪しい人がけっこう多い。以前にもふれたけれど、高等教育を受けると、かえって人間的にダメになるという傾向も見られますね(「まともな人間を育てない教育」、『山本太郎が日本を救う』所収、アマゾンで販売中)。「反知性主義」はここまで来た、というか。
子どものころから塾や寺子屋で論語などの四書五経を意味もわからずに暗唱し、成長するにつれて、身にしみついたその言葉の真意を噛みしめるというような教育が日本人のバックボーンを育てていたのだと思わざるを得ないですね。
ここで誤解を避けるために付言すれば、一時、自民党筋から修身教育復活などの声が上がったけれど、ここで言おうとしていることは、古い忠君愛国道徳を刷り込もうという発想とは違いますよ。だいたいそういうことを言いつのる人間は、自分をその枠外に置いているし、どちらかというと道徳観念の薄い人が多いですね。ここにはIT社会の進展という別の要素も大きく影響していると思います。
A 人間としてのバックボーンはどうなのか、まさにそれですね! 漢籍や古典は読まなくなり、一方では効率一点張り。廉恥と言う言葉を知っている国会議員が果たして何人いるのか? 何でもかんでもコ・ス・パ。世の中住みにくくなるはずです。
日常の言語空間でも漢籍的表現で語られる言葉など聞いたことがない。あるのはカタカナ英語とアルファベット大文字連語の氾濫。自らの国の言語をおろそかにする国は滅びる、と池田晶子さんも語ってました。
その昔、次男と甥の高校受験の家庭教師をやらされたのですが、その時に国語の勉強ということで、中島敦の「李陵」を音読させたことがあります。狙いは漢文調の文章の持つ魅力を感じさせることでしたが、見事に奏功しました(^o^)。
・支局は新聞記者の学校だった
B 「李陵」はいいですね。 僕も高校の教科書で接して以来、愛読しています。李陵については<平成とITと私>⑭『DOORS』突然の強制終了(『<平成とITと私>①『ASAHIパソコン』そして『DOORS』』所収、アマゾンで販売中)で苦い思い出とともにふれています。ご笑覧ください。
当時から朝日新聞は駄目になって行ったというのが僕の持論で、その点は<平成とITと私>シリーズの続編でフォローしていくつもりです。ついでに思い出話をすると、我々の若いころは、これは他社も同じだと思うけれど、新人の4~5年の間に配属
される支局が「新聞記者の学校」だったんですね。僕も2度目の佐世保支局時代に田中哲也支局長の薫陶を受け、少しはまともな記者になれたかと思っています。その思い出を書いた「これが新聞記者だ 反骨のジャーナリスト田中哲也」という論考にもリンクを張っておきます(写真は「正装」で任侠三部作を謳う故田中哲也さん。『追悼 田中哲也』から)。
A 今日は8人の仲間で構成するボランティア活動、恒例の「さくら苑に歌声花束を!」の日でした。さくら苑というのは伊勢市のデイサービスセンターで、訪問するのは今回が3度目、僕は十八番の「旅の夜風」を歌いました。ちなみに貴兄の尊敬される田中哲也氏の任侠三部作も好きで、よく歌います。中でも
「流転」が好きですね。仲間のHさんはギター担当、Tさんはハーモニカ担当、これがプロ級でハーモニカも何本も持っています。おかげさまで好評、皆さん喜んでくださるので張り合いがあります。
B 老々慰問かな。花も嵐も踏み超えて、仲間とともに講演会やボランティア活動に参加する充実した老年生活を送っておられますねえ。貴兄にはなんといっても、得意の裕次郎ばりの声があるからなあ。羨ましい(^o^)。

ひとことで言うなら、厚顔無恥、ポエムの連続、中身なしです。彼が一番力強く訴えたかったの経済の再生だっだと思うんですけど、三位一体の改革をやる、って言ってるんですよ。労働市場の改革、企業の新陳代謝の促進、物流改革――、労働市場の改革って、これいわゆる流動化でしょ。不安定な仕事をより広げていくってことですよ。企業の新陳代謝の促進は、中小企業潰しです。経済的に不安定な状況のとき、不況のときには、企業を守らなきゃダメなんですよ。でもそういうものをどんどんばらしていくっていうのは、失われた30年を作ってきた戦犯である自民党のやり方を一切変える気が ないってことです。それを、より拡大していくって訴えてるってことですね。だまされちゃいけない。よくそんなこと恥ずかしげもなく、大声で言えてるな、っていうことです。それに対して自民党席はやんやの大喝采です。劇団自民党と岸田さんと一席設けたみたいな光景を私たちずっと見せられてる状況だったということです。
B 話が〝面白く〟なるのは、彼が市長になってからです。初登庁後の市議会一般質問で、市議の1人がいびきをかいて寝ていたので、彼はいきなりツイッター(今はⅩと名を変えているが、以下ツイッターの旧名を使用)で、それを公開します。これが市長vs市議会のスタートですが、市議会でツイッターをやってる市議はほとんどいなかったらしく、ツイッターを見た報道陣がこの件について市議会議長に問い合わせると、議長は「居眠りがどうした?」と言ったかどうかはともく、居眠り議員を擁護すると同時に、議会内の出来事をSNSで発信した行為に対して市長不信を強め、徹底抗戦の姿勢を取り始めます。議会は本来公開されているものだから、それをツイッターで書いたから問題だということはないんだけれど、議員連中が驚いたのはわからないでもないですね。
B その最高潮が7月、いまから3か月前の市長定例記者会見です。市長案件を説明する中で、地元の中国新聞記事を取り上げ、事実関係の記述があいまいだと中国新聞記者を問い詰めました。このことにより、第三者を標榜している新聞メディアが当事者として引き出され、石丸市長の鋭い追及に新聞社側はタジタジの事態となりました。
B ここにはマスメディアのいわゆる「客観報道」の問題点が凝縮しているとも言えます。古くは 60年安保当時の7社共同宣言が反対デモによる死傷者発生を機に「暴力を排し議会主義を守れ」との見出しを掲げ、「その事の依ってきたる所以は別として、議会主義を危機に陥れる痛恨事であった」と、結果的に安保闘争を鎮静化させた例があるけれど、やはり「事の依ってきたる所以」を捨象して「混乱する議会」の正常化を叫んでも、解決にはならないですね。若い市長によって大手新聞社が批判されたと言うので、この安芸高田市制作の動画が再生回数100万回というヒットになりました。
なければならない」と定めているんですね。罰則はありません。



予想以上に参加者が多かったために、4グループに分かれての行進で、警備の警察官もたくさん出ていましたが、とにかく見物人が多い。スマホで撮影したり、応援したり、飛び入り参加したり、ブラスバンドの演奏もあって、なかなか楽しいデモのようでした。昔懐かしい風景でもあり、これぞ街頭行動の典型ですね。
以前、現代社会ではまっとうな大人が育ちにくくなっているとして、教育のあり方を話題にしましたが(<折々メール閑話>⑨「まともな人間を育てない教育」。『山本太郎が日本を救う』第1集、アマゾンで販売中)、すでに大人になった人もそうだが、とくに若者に危惧すべきことが多いように思います。
ある私立大学のゼミでは、安倍政権を肯定する意見が7割を占め、学生からは「そもそも、総理大臣に反対意見を言うのは、どうなのか」、「(政権に批判的な学生に対しては)空気を読めていない。かき乱しているのが驚き、不愉快」などの発言があるといった〝悲惨〟な実情報告も紹介されています。
A 国会休会中も、相変わらず腹立たしい出来事が続きますね。木原誠二官房副長官の2018年における捜査介入疑惑に関しては、『週刊文春』のスクープが続きます。僕は9週連続で文春を買いしましたよ(^o^)。他のメディアはほとんど報道していませんが、2006年段階における木原副長官の妻の元夫変死事件に関して、露木康浩警察庁長官が改めて「事件性なし」と表明したのに対し、2018年段階で捜査にあたった現場の刑事が実名で反論、後には記者会見までしました。根の深い問題だと思いますね。他の自民党大物政治家も登場して、松本清張の推理小説を読んでいるようです。
B 自民党女性局長の松川るい参院議員や局長代理の今井絵理子参院議員が、7月下旬に研修旅行としてフランス・パリを訪問した際に、はしゃいでエッフェル塔前でポーズ写真を撮り、それを自分のSNSにアップしたことも非難されました。実態はほとんど観光で、松川議員は〝研修中〟、娘を大使館に預けていたようです。昨今の政治家の「公私」混同は岸田首相を筆頭に目を覆いたくなる惨状です。こういう議員を選んで恥じない国民にも問題があるけれど、半数近くは棄権しているわけですね。政治を選挙だけで考えるのはもはや無理ではあるとしても、やはり「有権者」としての権利行使はきちんとしないと、こういう高学歴ながら人間的には非常識な政治家が誕生するわけです。木原副長官、松川議員ともに東大法学部卒、その後も、財務省や外務省の主流を歩いてきた人です。そうであるからこそ、日本の現状に対するみじめな感じが強まります。
この滋賀の「びわ湖大花火大会」はコロナ禍で中止されていたのが今年4年ぶりに開催されたようですが、有料の観覧席が設置された会場の周辺約2キロにわたって目隠しとなるフェンスが張られ、地元民はその隙間から覗くという情けないことになりました(写真)。さすがに地元の自治連合会が開催反対を求める決議文を提出するなどしたようですが、これは「公私」混同というより、本来「公」のものである花火大会を自治体が「私」的に囲い込み、金を払わない地元民を「排除した」ものです。
若いマルクス経済学者、斎藤幸平が力説しているように、私たちはもはや資本そのものから離れることを考えるしか将来の展望はないと思いますね。と言って、暴力革命だとか、前衛一党独裁とかいうような化石話を思い出す必要はない。祭りは地元の共有財産なのだから、みんなで管理運営して、みんなで楽しもうという当たり前のことでいいわけです。そのためには金にならないことでも奉仕するという相互扶助精神が大事だけれど、これって、昔はどこの地域でもやっていたことで、何も難しいことではないですね。
というわけで、ちょっとコマーシャル。<折々メール閑話>も少し期間があきましたが、この間のコラムを『山本太郎が日本を救う』第2集『みんなで実現 れいわの希望』としてまとめました。前著同様、1300円(税込み1450円)でアマゾンで購入できます。興味のある方はどうかご購入ください。見出しは以下の通りで、「櫛渕万里の弁明」全文書き起こしが目玉です。

B 櫛渕万里議員は6月1日の衆院本会議で10日間の登院停止という懲戒処分を受けました。2番目に重い処分で、衆議院議員の処分は16年ぶりとか。自民、公明、日本維新の会などの動議です。
きわめてラフな地質年代の略図を示すと、 完新世は新生代第4紀に属し、更新世に続く年代です。クルッツエンはそこに人間活動の爆発的な影響力に注目して「人新世」を新たに加えた。第二次世界大戦後の1950年前後に始まったという捉え方が一般的のようですが、村上さんは「いままさに人類は、自らの手で自らを滅ぼす可能性に向かって突き進んでいるとしか思えない」と書いています。
B れいわ新選組の共同代表でもある櫛渕万里議員に対する懲罰動議が5月25日の衆院本会議で自民、立憲民主、日本維新の会、公明、国民民主各党の賛成多数で可決しました。櫛渕議員は、鈴木俊一財務相に対する不信任決議案採決が行われた18日の衆院本会議の投票時に、「与党も野党も茶番」などと書かれた紙を掲げたことで与野党双方から懲罰動議が出されていました。
私もやりたくてやっているわけではありません。この国で生きる多くの人びとが苦しんでいる中で、防衛増税法案を出してくる、こういった憲法25条や9条を無視したような政権のやり方に対して、憲法を守るものとして議員の務めだと思っています。実力行使については過去盛んに行われているということです。立憲・共産は今回この防衛増税法案に断固反対と、何としても止めるとおっしゃっていましたが、もっと体を張って止めましょうとういう呼びかけでもありましたから、それに対して処分でお答えになったというのは大変残念だなと。私自体は一人の国会議員として国民の期待に応えるために、自分が何をしていけばいいのか、ということについては、本当にできることが小さいと。だからこの国会の与党も野党もどういうことをやっているのかということを可視化して、まず国民の皆さんにお見せするということが、私の最大限できることなのかなと思います。