小池百合子都知事の「嘘で固めた」人生の黄昏?
B 小池百合子都知事の「カイロ大学を首席で卒業」という経歴をめぐっては、ずいぶん昔から折にふれて疑問が呈されてきましたが、彼女はその都度、その批判をなんとかかわし、権力の階段を着々と登ってきました。そして、今回の自民党凋落を期に衆院選に打って出て自民党に復党、人気低迷の岸田首相を襲って女性初の総裁、首相をめざそうという野望も取りざたされていた折も折、前回都知事選前の経歴追及をみごとに鎮静化した「カイロ大学声明」なるものが、実は都知事陣営による自作自演だったとする告発記事が、月刊『文藝春秋』5月号に掲載されました。
題して「私は学歴詐称工作に加担してしまった」。告発したのは元環境庁キャリア官僚の側近、小島敏郎氏で、告発のあらましは以下の通りです。
前回都知事選前の2020年6月6日夕、「相談したいことがある」と小池さんに呼び出された。その年5月、ノンフィクション作家、石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋)が刊行され、そこ
で小池さんのカイロ時代の言動がくわしく検証され、カイロ滞在中に彼女と同居していた北原百代さん(本では仮名)の証言をもとに、カイロ大学卒業の経歴は虚偽だと告発していた。カイロ大学卒業を疑っていなかった私は、一応彼女に卒業証書や卒業証明書の存在を確認して、なぜうろたえるのか不思議に思いながらも、「カイロ大学から声明文を出してもらえばいいのではないか」と提案した。
するとわずか数日後の9日、駐日エジプト大使館のフェイスブックに、カイロ大学学長名の「声明:カイロ大学」という文書が掲載された。そこには、小池さんは1976年にカイロ大学を卒業した、卒業判定は公正な審理と手続きを経てなされた、日本の一部にカイロ大学の認定を疑問視する声が後を絶たないのは看過できない、などとと記されていた。
そのすばやい対応に驚いたが、その声明のおかげで学歴問題追及の動きは鎮静化、小池さんは翌10日、都知事選出馬を表明、再選された。圧勝だった。
私はその後、この声明と同じような文章を小池さんのブレーンだったジャーナリストA氏が書いたことを知った。A氏とのやり取りを通じて、A氏の文案と声明文には微妙な違いがあることもわかったが、そこでは後に言質を取られるような言い回しは巧妙に避けられていた。カイロ大学が出した声明文ならなぜカイロ大学のホームページに掲載されないのか、文章がアラビア語でなく英語と日本語だけというのも不思議である。私は、実際には大学を卒業していない小池さんが、声明文を自ら作成し疑惑を隠蔽しようとしたとの疑いを強めた。私とA氏は図らずもそれに加担したことになる。
小島さんは、経歴を偽り、それを糊塗するために隠蔽工作をするような人が国の中枢にいることを許してはいけないと、手記を書くに至るわけですね。彼は環境庁時代に小池環境大臣といっしょ
に「クールビズ」政策に取り組んだ縁で小池氏に呼ばれて都庁に転身したようです。12日、東京の弁護士会館で記者会見しましたが(左写真)、なぜ告発に踏み切ったかに関して、水俣病を告発したチッソ水俣工場付属病院長の細川一さんや、今回、「事実を知りながら黙っているのは共犯者になることだ」と実名証言に切り替えた北原百代さんなどの勇気に後押しされたと語っていました。2期目以降、東京オリンピックや神宮外苑再開発問題ですっかり自民党寄りになってしまった小池知事の政治姿勢への不満もあったようです。
なお、同じ文藝春秋には、北原百代さんの「カイロで共に暮らした友への手紙」のタイトルで「百合子さん、あなたが落第して大学を去ったことを私は知っている」との告発記事も載っています。
A 文春独走が続きますね。いまや文春と日刊ゲンダイ、それと赤旗が頼りになる媒体では?(^o^) 大手新聞社は一体何をしているのかと思いますね。そもそも小池氏がダントツで前回の都知事選を制したことがおかしい。
B 大学の卒業証書や卒業証明書は本人が大事に保管しているもので、それを公開さえすれば真偽は明らかなはずだが、マスコミに公開したその写しが不鮮明で、かえって偽造したものではないかとの憶測を生んでいます。『女帝』では、その点も検証しています。
また自作自演の文書がなぜ駐日エジプト大使館のホームページに掲載されたのかは、小島さんにもわかっていないようですが、ここに不明瞭な関係が介在しているとすれば、エジプト側に弱みを握られた人が一国の首相になることについては、大きな不安も出てきます。今回の告発内容は、過去の出来事に対しても同じような偽装工作が行われた疑念を強めますね。
小島さんの経歴や記者会見での態度からは、たいへんまっとうな人だとの印象を受けます。これは「私は学歴詐称工作に加担してしまった」という懺悔の手記であり、こう言っては何だけれど、官僚の良心を久々に見る思いもしました。
一方で、都庁記者クラブの知事追及はまことに情けなかったようです。『文藝春秋』の記事を受けて正面から切り込むのではなく、都知事が否定する発言をうのみにするというか、それに迎合して「知事が文春記事を否定」と書いた新聞もありました。
『女帝』は大宅壮一ノンフィクション賞受賞の力作で、小池氏が十代で単身、カイロに出かけるころから始まり、「カイロ大学卒業」という経歴を武器に、ニュースキャスター、国会議員、環境大臣、防衛大臣、ついに東京都知事と権力の階段を登っていく経過が詳細に描かれています。一言でいうと、「嘘と虚飾」の人生であり、男社会で伍すために女性の立場を積極的に利用、男性がそれにころりと騙される話でもあります。著者の石井さんが度々書いているけれど、小池氏には政治家になって何をしたいかというビジョンはほとんどなく、うまく時流に乗り、ただ目立ちたい、偉くなりたいという執念だけが強かったようです。
中東専門記者も含めてマスコミや政治家、経済界の人びとが若くてバイタリティーあふれ、魅力的な容姿の小池氏をちやほやし、彼女の言うなりに(裏も取らずに)、「芦屋のお嬢さん」、「カイロ大卒でアラビア語ぺらぺら」などと持ち上げた。北原さんは『文藝春秋』の記事で「作り話にメディアが飛びつくので、百合子さんも『受ける』話を作ってしまいたくなるのでしょう。私は悪気なく嘘をつく百合子さんも悪いとは思います。でも嘘をつかせ続けてきた、メディアの責任も重いと思います」と書いています。
A メディアが彼女を育てたとも言えますね。文春オンラインに石井さんが自著の文庫版に寄せた以下の文章が再掲されています。
女性活躍、女性の時代といった言葉の数々がある。こうしたかけ声を追い風に、あるいは巧みに利用して「小池百合子」は誕生した。女性であっても公人である限り、その能力は冷静に批評されなければならないはずだ。だが、女性であるという理由で、批判が「女性に対する差別」としてすり替えられてしまう。それもまた、彼女が現在の地位を築き得た理由のひとつとなっている。
「小池百合子」は、小池百合子という、ひとりの存在によって作り上げられたわけではなく、私たちの社会が、時代が生み出したのだ。仮に小池百合子が去ったとしても、社会が変わらない限り、女にしろ男にしろ、第二、第三の「小池百合子」が現れることだろう。私は小池百合子という個人を恐ろしいとは思わない。だが、彼女に権力の階段を上らせた、日本社会の脆弱さを、陥穽(かんせい)を、心から恐ろしく思う。
B まことにその通りですね。彼女が今月28日に投票予定の衆院補選東京15区からの出馬を断念したのも、『文藝春秋』の記事掲載を察知したからとも言われていますが、今度の告発は決定的だと思いますね。7月に都知事3選を目指すとして、肩書に「カイロ大学卒業」を謳えるのか。肩書を外せばいよいよ憶測を生む、逆に書いたら今度こそ公職選挙法違反で訴えられる可能性もある、嘘に嘘を重ねてきた父親譲りらしい虚飾の人生もこれで破綻かと思わせられますが、最大の危機とも言うべきこのディレンマを彼女はどう乗り切ろうとしているのか。
彼女が徒手空拳で権力中枢にまで上り詰めたエネルギーにあらためて驚嘆するし、彼女が男たちをうまく手玉に取っていく姿はたしかに「女傑」を思わせ、本書の興味深い読みどころでもあります。彼女自身、「ウソも方便」と言っているけれど‣‣‣。
A 虚言ということでは、国会で嘘をはき散らした安倍晋三元首相とよく似ている。こういう人間が跋扈するのが日本政治の哀しい実態ですね。
安倍首相と言えば、最近、小林製薬の紅麹サプリで死者が出た「機能性表示食品」は、事業者が食品の安全性と機能性に関する科学的根拠を届け出れば、健康効果などを表示できるようにしたアベノミクスの一環です。2015年に導入されています。国の審査が必要な特定保健用食品よりも規制が緩くなっており、健康産業育成のために規制を撤廃するやり方が、今回の事故を引き起こしたとも言えます。これも安倍政治の負の遺産と言っていいでしょう。
新聞『赤旗』が4月10日に報じたところでは、小林製薬は安倍元首相が代表だった自民党山口県の支部に2022年までの12年間で310万円の献金をしていたと言います。まことにおぞましい話です。
・すっかりタガが外れた日本社会
B 規制を緩くしても、企業はきちんと安全を守るというまっとうな企業風土そのものが壊れている。政治の世界だけでなく、財界、メディア界、もっと言えば、日本人の生き方そのものが危機に瀕している。石井さんが書いている「日本社会の脆弱さ」、「陥穽」です。小池知事も、安倍元首相も、こういう風土の上に咲いたあだ花とも言えるでしょう。岸田首相や他の自民党議員、あるいは野党議員にもその類の人が多いですね。権力監視を第一義とすべきメディアもその例外でないところが情けない。
本コラムでは日本を覆う倫理崩壊を象徴するものを「アベノウイルス」と呼んできましたが(『山本太郎が日本を救う』参照)、日本人のタガがすっかり外れてしまった。身の周りの市井の人びと、あるいは今回告発に踏み切った小島さんや北原さんなどを見ていると、「日本人なお健在なり」との印象も強いけれど、国力が低下するに従い、基本的な規範がどんどん崩れつつある。もちろんそこには、折にふれて指摘してきたように、ITの影響も大きいわけです。まさに社会の液状化です。
これまで取り上げてこなかったけれど、今年1月に、漫画『セクシー田中さん』の作者、芦原姫名子さん(50)が自作のテレビドラマが「原作者の意図と異なる脚本になっている」とテレビ局に訴えている過程で自殺するという傷ましい事件がありました。ドラマ化にあたって脚本家は原作者と相談しないのが慣行になっているらしいのだが、これって不思議ですね。同一性保持権など著作者人格権の侵害だと思うけれど、実情はそれが守られず、原作者としても、ドラマ化してもらえば原作が世に知られ、したがって売れるからまあいいか、ととくに異議申し立てをしない風潮もあるらしい。
これはひどいと思っているところへ、東京新聞(4月13日付)に同じ漫画家、東村アキコさんへのインタビュー記事が出ていました。その中で東村さんが、自作が韓国でドラマ化されたときの経験を話しています。韓国から脚本家4人がやってきて、セリフの1行1行について綿密なうち合わせをしたそうで、彼女が「好きにやっていいですよ」と言っても、「先生の世界観、思いをしっかり反映したいんです」と逆に怒られたとか。インタビューでは「原作者の意向をいかに忠実に映画やドラマに反映するかへの思いも強かった」と言っています。なんという彼我の差か。当たり前の姿が韓国にはあるのに、日本では崩れているわけです。
こういう現象はほかにもあります。先日、主宰するOnline塾DOORSで東京学芸大学大学院生でもある小学校教師の話を聞いたけれど、彼女は大学生時代に台湾大学に留学したことがあります。そのとき、現地の小学校教育の現場を見たけれど、教員の勤務時間は7:30から17:00まで。18時過ぎには学校からだれもいなくなる。担任が受け持つ授業は15コマ。1クラス20~26人。教員採用倍率は10倍ほど。なりたくてもなれない人が多く、教員は尊敬される身分だとの社会的受け止め方が強いとか(これに対して、彼女が教員のときの授業は24~26コマ。雑務に忙殺されて、午後6時前に学校を出ることはほとんどなかったようです。公立学校教員採用率で見ると、東京都はほぼ1倍)。日本の小学校における教師の多忙さ、拘束時間の長さ、教師志望者の少なさなどと比べると、台湾の方がはるかにまっとうな教育行政です。この2例だけで一般化するのは乱暴ではあるが、国の底力という点でも、すでに日本はアジア諸国に遅れを取りつつあるような気がします。
A そのためにこそまず政治を変えていく必要がある。このところ統一教会問題、オリンピック汚職、大阪万博をめぐる混乱、遅れる能登地震復興、突出した防衛費増強、少子化対策などを名目にする実質増税、目に余る裏金問題などで、自民党政権の膿があふれ出ていますが、そういう中で岸田首相は国賓待遇でアメリカ訪問、すっかりご機嫌です。政権交代すればすべてが解決するとは言えないにしても、せめて政権交代ぐらいしないと、という気持ちも強まりますね。この点については、少し明るい材料もあるようです。さすがに国民も目が覚めつつあるのではないでしょうか?
これも文春オンラインに載っている調査だけれど、次期衆院選に対する党派別獲得議席予測がちょっと興味深い。自民党は現有議席259が186に減少、公明党も32→22に減ります。逆に立憲民主党は95→147と大幅増で、日本維新の会は41→62。国民民主党は7→16と倍増です。
立憲民主党がこんなに伸びるとはちょっと信じられないけれど、その中でれいわ新選組は3→10とやはり大幅増です。参院の5人に加えて国会議員15名になる予想だけれど、目標の20議席にはまだたりない。
いずれにしろ、16日に告示された28日の衆院補選(東京、長崎、島根)、5月の静岡県知事選、7月の東京知事選――、これらの選挙は衆院選の前哨戦です。少しはまっとうな風が吹くことを期待したいですね。

B 5日の参院予算委員会でれいわの山本太郎代表が「総理、いつやめるんですか」と切り出して、「金と政治の問題に関しては国会で法改正しなくてはならないと考えています」と原則論を述べた岸田首相に対して、「それって面の皮が厚いと言いませんかね。自民党の4分の1の議員は裏金ネコババの泥棒なんですよ。泥棒行為を是正する法律を泥棒といっしょに作るっておかしくないですか。もっと言えば、泥棒が作った予算案を普通に審議している現在もおかしいし、泥棒が作った数々の法案をこれからこの通常国会で成立させようということ自体、あり得ない話ですよ。これに対して粛々と泥棒予算を審議し、最後だけちょびっとだけ闘うふりをして、結局、年度内成立に力を尽くした野党第一党もグルだと言えます。国民の真意を問う必要があります。総理、解散しないんですか」と腹立ちまみれに畳みかけていましたが、これこそ多くの国民の声でしょう。
B 芸人の松本人志の性加害問題がまだ尾を引いていますが、彼は税金を使って〝遊んだ〟わけではないですね。公費を使うことや税金を払わないことに対してまるで無神経なところが末期的たる所以です。3月13日の東京新聞に「不祥事や問題が発覚したた岸田政権の政務三役や自民党議員」のリストが上がっていますが、まさに惨憺たるものです。
A 以前 (「号外」)、センキョという会社が実施している去年12月の世論調査で、れいわ新選組の政党支持率が11.9%と高く、自民党18.6%、日本維新の会14.1%にくらべて3位になったというデータを紹介しました。ところが今年2月の調査では、なんと、れいわが12.9%で、これは自民の16.3%に次ぐ2位、野党第1位です。日本維新の会(12.2%)、立憲民主党(6.4%)を抜きまし
た。さらに「次回総選挙の比例代表でどの政党に投票したいか」では、1位の日本維新の会(15.2%)に次ぎ、れいわ(14.8%)が2位になりました。これは自民党の14.1%をも上回りました。

B 自民党の「裏金アンケート」結果を見ましたか。東京新聞(2.14付)に「アンケートで不記載が確認された自民党議員」とその訂正額が載っていますが、明らかにされただけでも2018年から2022年の間で85人計5.8億円の不記載があった。何に使ったかわからないこれだけの金が、裏金として政治資金収支報告書に記載されていなかった。今回それを修正したからと言って、それで話がおしまいというのもおかしい。

B れいわ新選組の大石あき子衆院議員が2021年12月に配信された「日刊ゲンダイ」のインタビューで、元大阪府知事の橋下徹氏に対して、「気に入らない記者は袋だたき」にし「飴と鞭でマスコミを服従させた」などと批判したことに対し、橋下氏が大石さんと「日刊ゲンダイ」を名誉棄損だとして慰謝料300万円の損害賠償を求めた訴訟で、大阪地裁(小川嘉基裁判長)は1月31日、「発言の重要な部分は真実で、論評の範囲を逸脱していない」と、橋下氏側の請求を棄却しました。大石あき子の完全勝利と言っていいようです。
B ここで<お詫びと訂正>です。<折々メール閑話>㉕「訪れた春を愛でつつ、つれづれ閑話」(『みんなで実現 れいわの希望』所収、アマゾンで販売中)で書いた半藤一利の「40年史観」が本書に図示されていて、それによると、1945年から51年までの占領期間が「空白の6年」とされています。したがって本コラムでは1985、および2025年が40年の節目だとしていますが、実際は、1992、2032年になるようです。訂正して、その表を掲示しておきます。
1月24日に開かれた参院予算委員会で山本太郎代表が岸田政権下で起こった自然災害11件を上げて、それらの被害者が現在苦しい状況に置かれたままであることを具体的に説明、口先で「政府全体として災害対策に万全を期す」と言うだけで、実際は自治体に丸投げしている国の姿勢を厳しく追及しました。
A れいわの山本太郎代表は5日に能登に入り、連日、ツイッターで被害状況や必要な対策について発信し続けています。「始発でレンタカーに空きがある駅まで移動し、能登町に到着したのは午後6時。役場の駐車場には全国から集まったNPOが片付けと翌日の準備に忙しい」とレポートを始めています。彼は昨年暮には渋谷でホームレスのための炊き出しにも参加していました。
A 正月2日には羽田空港で日航機が被災地への救援物資を運ぶ途中の海上保安機と衝突するという傷ましい事故もありました(写真はJNNの中継画面)。

A その政党支持率だけれど、センキョという会社が今年8月から毎月、全国386万人余りの市民が参加するプラットフォーム「タウンマッチ」を組織して、内閣や政党の支持率などを調査していますが、なんと、この12月の政党支持率を見ると、れいわが11.9%。自民党18.6%、日本維新の会14.1%にくらべて3位ですよ。立憲民主党などわずか4.9%です。
センキョという会社は「民主主義をもっとスマートに」をキャッチフレーズに2019年に発足した若い会社で、ウエブの説明によると、「市民の声がより容易に社会に反映されるようになる『ワクワク』を実現する。社会と国民がなめらかにつながる社会の実現をめざしていきます」とあり、まっとうな会社のようですね。今回の調査は386万人の母集団の中からランダムに抽出した2041人からの回答で、その年齢別構成は右の通りです。年齢的偏りはないですね。この調査で岸田内閣支持率はわずか9.3%です。
A 山本代表はたしか、支持率には一喜一憂しないと言っていたと思いますが、これはすごい結果ですね。マスメディアが依然としてれいわ黙殺に近い状況の中で、これだけの支持が集まっている。増税ストップデモやおしゃべり会が各地で大盛況の影響も大いにあるのでは?
ところで、元の号外ニュースに戻ると、普通なら野党第一党の党首が上位に来てもおかしくないのに、立憲民主党の泉健太が枝野幸男、小沢一郎、共産党の志位和夫より下の14位というのも興味深い。前川喜平さんがツイッターで「泉健太氏を総理大臣にしたいと思えない悲しさ」とつぶやいていたけれど、かなりの層がそう思っている反映じゃないですか。
我が国有数の経済学者、宇沢弘文はかつて「社会的共通資本」という考えで、自然と人間の関係を射程に入れた経済学の構築に挑みました。彼の説明によれば、社会的共通資本には自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の3つがあり、大気、水、森林、海洋、土壌、道路、交通機関、上下水道、電力・ガス、さらには教育、医療、金融、司法、行政など、みんな社会的共通資本です。そして「社会的共通資本は、一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割を果たすもの」(『社会的共通資本』、岩波新書)とされていました。この社会共通資本も含めてどんどん「商品化」し、企業が儲ける経済が新自由主義で、このタガのはずれ具合が現代政治に反映しているのは明らかだと思います。
A まだ30代。アメリカの大学や台湾大学大学院を経て外務省に入り、ロシアに長く勤務していたようです。自らの官僚生活を通じて自民党政治に強い疑問を感じ、「自民党を支えるのではなく、自民党政治を変えるために政治家になろう」と決意したと言います。
A 大阪でやはた(八幡)愛、福岡では奥田ふみよ(芙美代)が立つことも決まっています。ご両人は2022年参院選にも立候補、そのときに<折々メール閑話>でも紹介しています。
A 奥田ふみよ(福岡3区、兼比例九州ブロック)は糸島氏在住、ピアノ教師で3人の子の母。学校のカルト校則への批判を強めて、いろんな学校に出かけています。演説もだんだん堂に入るというか、たくましくなってきました。
本コラムでもときどき引用するトラジロ君がこの
A 当時本人がユーチューブで、「街頭でよく『残念だったねえ』と慰められるんですよ。『いや、私、当選したんですよ』」と言っていたのがつい最近のようですが、その後の「切り込み隊長」としての活動は目覚ましいですね。
たあと大阪府に就職、あの橋下徹が大阪府知事になって職員にハッパをかけた朝会だかで、橋下徹に噛みついて名を上げたようです。議員になってからも一貫して維新(日本維新の会)批判や、大阪府・大阪市が推進するIR(カジノ)や大阪万博批判を繰り広げてきました。大阪万博がいかに時代遅れの金食いイベントであるか、今ようやく明らかになりつつあります。
B 全文を書き起こして、
この名演説はぜひご覧いただきたいと思います。そこにこんなくだりがあります。
A 岸田首相に関しては、最近になって彼が自民党本部で統一教会幹部と同席していたことが明らかになりました。朝日新聞がスクープしたもので、彼が党政調会長だった2019年10月に統一教会の友好団体「宇宙平和連合ジャパン」トップ、梶原正義氏、ニート・ギングリッチ元米下院議長(共和党)、、米教団元会長とされるマイケル・ジェンキンス氏と4人で撮った写真も公開されました(写真は東京新聞12月9日付、共同)。本来は安倍元首相と面会する予定だったのだが、日程の都合で岸田氏が出席したらしい。
B 「不時着」というのは諸般の事情でやむなく予定地以外に着陸することで、乗員はまず無事の場合が多いでしょうね。墜落(crash)を「不時着水」と言い換える日本政府に、オスプレイの飛行停止を求める主体的な外交を求めるのは無理。その後、米軍はオスプレイ飛行を全世界で停止すると発表しています。また12月9日の沖縄タイムスウエブ版によると、米国防省はオスプレイの生産を2026年で中止するとのことです(オスプレイの写真は同ウエブから、米軍横田基地)。
それはともかく、この政局液状化の中で前明石市長の泉房穂氏が「救民内閣」のスローガンを掲げたのは興味深いですね。東京新聞11月26日のインタビューで、「国民負担増から国民を救う政治へと転換する『救民内閣』発足に向け、政権奪取構想を練り始めた」と述べています。
A ここで主役を演じるのは山本太郎しかない(^o^)と思うけれど、泉構想がそういう役割を彼にふるかどうかという問題もありますね。
少しさかのぼるけれど、今年6月に日本外交の道筋を考える超党派の議員連盟「超党派石橋湛山研究会」が立ち上がったというニュースがありました。向米一辺倒の外交から転換すべきだとの意味を込めているらしい。