新サイバー閑話(71)<折々メール閑話>㉑

山本太郎発言集Ⅶ

 この一滴が大河につながる

  参議院議員の水道橋博士が休職することになりました。命より大切な仕事なんてありませんからね。心と体を壊してまで成し遂げることなんてこの世の中に存在しないと私たちは考えています。(記者会見)

 A タレントの水道橋博士は7月の参議院選挙でれいわから出馬し当選しました。自らが維新によるスラップ訴訟を受け、その規制法を立法化したいとの初心のもとに頑張っておられましたが、うつ病になって山本代表に辞任を申し入れたそうです。それに対して、山本太郎が慰留、休職を奨め、その報告のための記者会見です。

 B 山本太郎は、水道橋博士に対して悪意の非難、中傷が起こることも予想して、そういう行為についてはしっかり監視していくようなことも言いましたね。立派なリーダーです。「士は己を知る者のために死す」。れいわの仲間が発奮するのももっともだと思います。

 よだかれんさんが新宿区長になる姿を見たかった! (当選した)吉住区長には是非、小さき声もすくいあげる区政を実行していただけるようお願いいたします。投票率28%ってすごい数字。ノビシロしかないな。頑張るぞ!(ツイッター)

A 11月の新宿区長選でれいわ新選組から出馬したよだかれんさんが落選した時の発言です。当選できなかったのはもちろん残念だけれど、吉住5万余票に対して、よだ2万余票は健闘とも言えますね。

B たとえば好物のワインを飲みながら、グラスが半分になったとき、「まだ半分残っている」と思うのが楽観主義者、「もう半分しかない」と思うのが悲観主義者だとよく言われ、楽観・悲観の差は個人の性格による面もあるけれど、楽観主義には、放置しておくと悲観的になる心の動きを意志の力で持ちこたえる面もあります。山本太郎の楽観には、政治に対する情熱の強さが感じられますね。

  山本太郎は16歳のメロリンキューよりも常識がありません。おそらく山本太郎は16歳のメロリンキューよりもさらに空気を読んでいません。

A 参議院選挙での街宣のアトラクションとして、かつてタレントだったころの自分のキャラクターで登場し、パフォーマンスをした後で言った言葉です。

B 山本太郎、48歳。自らを叱咤激励しているわけですね。

 母子家庭だったんですね。姉が2人。長男です。母はすごく正義感の強い人間で、昔から寄付をするという習慣があったんですね。たとえばお年玉をもらいました。その数%は徴収されて、寄付をするというようなことがあったんですよ。それが「国境なき医師団」だったり「ユニセフ」だったり、「グリーンピース」のような環境保護団体だったり、ということで原発ということの危険性をまったく知らなかったというより、ちょっとはわかっていた。(活動を始めてから) 忙しさは10倍、収入は10分の1以下です。ときどき売名行為ではないかと言われますが、こんな売名行為、だれもしないですよ(笑)。僕の行動のブレーキになるとしたらやっぱり母だと思うんですよね。若い時に迷惑かけたから老後は幸せにしてやりたいという気持ちはあります。やはり経済的なことって大事じゃないですか。母に言われたのは「自分の信念に従っていけ」と。母であり、親友であり、戦友であり、一番付き合いの長い女でもありますよ(笑)

A 山本太郎は2011年の東日本大震災での東電事故に衝撃を受けて、所属事務所もやめ、たった一人で反原発運動に飛び込みました。各地の市民集会で「3.11デビュー、にわか原発野郎です」と挨拶していた年に、テレビで放映された、映画監督、山本晋也のインタビュー番組がやはりユーチューブにアップされています。当時の山本太郎は37歳。
 開口一番、晋也監督に「いい目つきになったなあ」と言われて、照れ笑いしながら「アップでお願いします」とおどけるところから番組は始まっているが、晋也監督が最後に「この一滴はほんとうに大河になる一滴だ」と述べているのは、現在の彼およびれいわ新選組の躍進を見ると、たいへん感慨深いですね。

B 山本太郎の発言は、新しい事態に即してこれからも続くわけですが、ひとまずここで打ち切ることにします。山本太郎の人となり、基本的考えについて、一定のバックボーンを提示できたと思います。場合によっては、<折々メール閑話>で別途紹介することにしましょう。

 

新サイバー閑話(70)<折々メール閑話>⑳

山本太郎発言集Ⅵ

 寝言は寝てから言え


 (岸田首相の「資産倍増計画」について聞かれて)一言で言うと、「寝言は寝てから言え」と。最初は所得倍増だった。総裁選に出る時はそう言っていたのがいつの間にか、資産という話になっていて、海外に行ったときに、インベストメント岸田みたいなことを言い出した。何かというと、日本の金融資産を見てくれと、こんなに金があるんだっていう話、これをどんどん投資させていくから、みたいな話に代わってますよね。それっておかしいんですよ。投資って当然リスクがあるわけですよね。リスクがある物に対して国が推奨するのはおかしな話だと思うんですよ。それをやって喜ぶのは誰ですか? 金融市場で儲け続けている人なんでしょう? 海外の投資家にとっては嬉しい話でしょう。でも日本に目を移した場合、そういう話を景気をよくするための一丁目一番地として語ること自体がおかしい。もっと地道なものだろうってことですよ。
 この25年、もっと大きなことに投資してこなかったですよ、たとえば少子化、たとえば介護、少子化が起こらないようにするには何が必要だったか。ヨーロッパで出生率が上がった国を見てみれば、3つぐらいの要素がありますよね。1つは本人、家族に負担がかからないようにする教育、国が金出すしかないんですよ、でもこの国は教育に対して一番金を使わないドケチ国家なんです。人間に投資しない国なんですね。これは将来に対する先行投資ですよ。現実はどうなってるか、一番わかりやすいのが大学生、大学院生、2人に1人が奨学金借りてるわけでしょ。そして社会に出るまでに500万円ぐらいの借金しょってるわけですよ。大学院までなら1000万円、社会に出てから返済が始まるんだけれど、初任給とか安いじゃないですか、それで家族作れますか? 借金背負ったままで結婚する理由になると思う? 私、結婚を断られる理由になると思うよ。
 パートナーもいっしょに借金背負ってたらどうなる? 少子化が問題だって、お前らのやり方が問題だって話。それは若い人たちを金融商品化した末の話なんですよ。奨学金には利息もつくんです、6割から7割、どうして利息取るの、おかしくない? 年間380億円ぐらいの金を懐に入れたいから取るわけでしょ、もう金融商品なんですよ、若い人たちは。返せなくてもいいんですよ、なぜかって言うと、取り立てる仕事が生まれるから。そんな国滅びますよ、少子化が問題ならやるべきことがある、若い人たちにその周辺の家族に負担が極力かからないようにするっているのが絶対なんですよ。
 もう1つは住まい。自分で独り暮らししたいと思ったら、気軽にアクセスできるようにしなけりゃいけない。公的住宅がこの国には圧倒的に少ない、所得の40%ぐらい家賃に使うみたいな話。敷金いる、礼金いる、おまけに保証人いる、その資産、もともと持ってなかったら、部屋借りられないんですよ。じゃあ実家に居続けるしかないって、無茶苦茶じゃないですか、そんなの。少子化という問題に関してしっかり手を打ったヨーロッパの国々がやってきたこと、教育に、本人、家族に負担がかからないようにする、公的住宅を整備する、さらには、収入が少ない者に関して、しっかり給付してお金を積み上げてあげる、使えるお金を増やす、この3点セットをやった国は出生率が上がったっていう話です。
 何を言いたいかというと、総理の戦略として、金融資産をもっと増やしましょう、みたいな話って、いったい何のことなんですか、国の成長戦略として、みなさん株買いませんかって、どこのどんくさいおっさんの話なんですか。どこの金融業界の回し者なんですか。金融業営んでいる方々はそれでやってるわけだから、そこに対して私、何か言いたいわけじゃない。25年間この国の経済を疲弊させて、コロナにも本気でやらずに、物価上昇にも消費税さえ下げないという間抜けしかやってない政治が、いまこそ非常に重要なときなのに、インベストメント岸田、寝言は寝てから言えなんですよ。
 岸田さんが今まで言われた言葉で心に残っていることがあるなら教えてほしいです。「あの岸田さんの一言は忘れられんなあっ」というような。
 ないでしょう、何かって言ったら、彼は透明人間なんですよ、味のないパスタなんです。存在感がない。でもやろうとしていることは、けっこうえげつない。だからこれが一番危険なんです。やろうとしていることに対して、その中身のえげつなさがわからないってことですね。(街頭演説)

  れいわの経済政策はMMTではありません。私たちの財政政策の元は何かというと、財務省です。これまで財務省が言ってきたこと、やってきたことを勘案したうえで今のルールでできる最大限、これが私たちの政策のもとになっているということです。自国通貨建て国債を発行している国は破綻することがないという当たり前の話なんです。
 国債は返さなくてはいけないが、みなさんが個人で借金を背負わされているような感覚と、政府の借金とはまったく質が違うものです。社会にお金が回っていない時はお金を作って供給します、そのことで社会を安定させる、というのが政府の借金と言われるものの正体です。これが増えすぎると弊害があります。それは何故かというと、インフレが進む可能性が出てくる、過度なインフレになるのはよくないので、そのときにはお金を回収しなくてはいけない、回収する行為を税金と呼びます。
 個人の負う借金というものとはまったく違う話です。政府の借金は民間の資産である。政府の赤字は民間の黒字なんですね。景気を調整するのが政府の仕事です。(テレビ出演)

 小泉、竹中時代から日本の雇用ぶっ壊されて、労働者を部品のように使える状況がどんどん加速していっている。そこに好景気がきたって、労働者においしい思いがしたたり落ちてくるわけないじゃないですか。
 2割から3割の人しか生活保護を受けられていないんですよ。生活保護から漏れた人がどこへ行くかっていうと、刑務所しかないんじゃないですか。もしくは生きるのをあきらめるしかないんじゃないですか。好景気を謳っておきながら、低収入の人たちの収入格上げがまったくされてないんですよ。ここを変えなければ本当の景気回復なんて来ないんじゃないですか。
 初年度の20143%の税収、これが5兆円だった。うち社会保障費の増額に使われたのはたった5000億円。たったの1割。2017年度は8.2兆円のうち1.35兆円で1.6割。全額使うと嘘を言ったうえに、5年総額で社会保障費を3.45兆円削減している。はっきり言って詐欺ですよ。やっていることが無茶苦茶じゃないですか(街頭演説)

B れいわの積極財政政策に大きな影響を与えた松尾匡立命館大学教授は『この経済政策が民主主義を救う』という2016年に書いた本で、「日銀の緩和マネーを福祉・医療・教育・子育て支援にどんどんつぎ込む」、「日銀がおカネをどんどん出して、それを政府が民衆のために使うことです」と明解に述べています。赤字国債を発行すると国民一人当たりの借金が膨らむ(だから禁じ手である)と長い間言われてきましたが、現在日本の超緊急事態を救うには、ケインズ経済学の「復活」が必要だという考え方です。ここで大事なのは、何にお金を使うかということで、れいわの長谷川うい子さんは「グリーンニューディール」を標榜しています。山本太郎も言及していますが、お金は野放図に刷れるわけではない。れいわの積極財政についてはウエブにある解説をご覧ください。
 松尾教授によれば、積極経済政策は最近では左翼の世界標準として熱狂的に支持されているらしく、その代表的論者はノーベル経済学賞受賞者、ポール・クルーグマンなどで、アメリカ大統領選で民主党候補として善戦したバニー・サンダースもその提唱者です。

新サイバー閑話(69)<折々メール閑話>⑲

山本太郎発言集Ⅴ

改憲より先にやるべきことがある

  憲法改正は立法府が取り組むべき優先順位としてはかなり低いものであることをしっかり政治家が認識しなければなりません。2022年参議院選挙後の7月の共同通信世論調査では、選挙で投票する際もっとも重視した政策で見てみると、
 1位 物価高・経済対策 42.6
 2位 年金・医療介護 12.3
 3位 子育て・少子化対策 10.4
 4位 外交・安全保障 9.6
 5位以降にコロナ対策、原発(エネルギー対策)とならび憲法改正5.6
 国民にとっての最重要課題は目の前の生活です。改憲を直ちに進めたいという人には申し訳ない話なんですけど、憲法を変えなければ直ちに不都合がある状態ではございません。むしろ、現行憲法が順守されていないために命や暮らしが脅かされている事態が存在します。
 25年におよぶ経済不況、そこにコロナの感染拡大、そして輸入物価高という三重苦の中で明らかに生存権・幸福追求権が脅かされ続けている、先進国の中で唯一不況が続き、衰退し続ける国が日本、先進国の中で唯一日本だけが賃金が上がらない国、一部の勝ち組を除いて多くの国民が貧しくなった、それが日本なんですね。この30年近くの間、ほぼ一部政治家のためだけに政治は機能してきた。たとえば憲法25条、守られてませんよね。憲法改正云々する前に、やるべきことあるんです。(国会質疑)

 B 憲法改正をめぐっては、国会でもいろいろ議論されているけれども、いま憲法改正よりも差し迫った問題があるからそちらからやろう、というような話は、野党からもあまり聞かれませんでした。9条をどうするかという各論に入る前に、もっと議論すべきことがあるだろうと、彼は言っているわけで、まことに正論だと思います。政府やマスメディア調査などのデータをきちんと提示し、なるべく客観的な事実に基づいて話そうともしている姿勢も共感を持てます。

A 岸田政権の閣僚が「私の記憶にはないが、そういう写真があるなら、それが事実だと考えられる」といった答弁をしたのとは、まるで逆ですね。国会をまっとうな議論の場にしなければ。

  法律はみんなを縛るもの、憲法は誰をしばるものですか。憲法はご存じの通り権力者を縛るものなんです。権力を持った人が暴走すると人びとを傷つけることになりかねないんですね。戦前、戦中を見れば、政府に対して不都合なことを言う人は次々に捕らえられ、拷問にかけられた。黙っておけ、閉じ込めておけ、っていうことも可能になる。権力ってすごいコワいものだから、ルールで縛ろうぜ、というのが憲法。だから憲法の存在が神なんです。新しい憲法がどういうものになるかということで、世の中大きく変わっちゃいますよ。
 ちょっと考えていただきたいんですが、権力者を縛るためのルールを権力者側から変えたいと言う、その時点で怪しいと思わなきゃダメなんですよ。泥棒が窃盗罪緩めてくれっていうぐらいの警戒感が必要。だって権力の暴走から守ってくれているルールを権力者自ら変えたいと言ってきてるんですよ。
 もう一つ、注意しなければいけないのは、変えたいと言っている人が今ある憲法をちゃんと守ってるのか、ってことです。今あるルールを守ってない連中が新たなルール作りたいなんて、そんな都合の良い話ある?そんなツラの厚い話なんてないですよ。図々しいにも程がある。
 たとえば憲法25条、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。最低限度で生きていけることを求めているものじゃないですよ。健康でなければダメなんです。安くて高カロリーなもんばっかり食べるような経済状況じゃダメなんですよ。
 文化的って何かと言ったら、読みたい本が読めるとか、買えるとか、年に何回かは自分の好きな舞台見に行けるとか、ということも含めて文化的なんですよ。厚生労働省のコロナ前の調査では、生活が苦しいと訴えている人が全世帯の54.4%、母子世帯では86.7%。この状態で憲法25条が守られているって、私思えないんですよ。というより、社会の底がぬけちゃってる。(街頭演説)

 A 憲法を変えようとする人たちが、だれもが守るべき国の最高法規を現に守っていない、守ろうとすらしていないというこの国の現状はまことにおぞましいですね。

 ピンチはこの国に山ほどあると思うが、一方でチャンスをつかめていない。とくに原発事故に関してはチャンスに出来てない。溶け落ちた核燃料、どこにあるかもわからないと、これでは廃炉など夢のまた夢なんです。だからこそ世界最悪の事故を教訓として日本が廃炉ロボットの再生産技術を生み出せば世界に貢献できるのではないか。これがまさにピンチをチャンスに変えることではないですか。
 廃炉ロボットにしても国産ではなく海外メーカーに開発を頼んで、それを日本が購入したりしているわけですよ。残念ながら日本は原発事故後、廃炉を前に進めて、かつ産業発展につながるような実用性のあるロボットをほとんど作れなかったんですね。原発事故をチャンスにしたのは実は海外企業なんです。国内企業は一方で埋没しているんです。これっておかしくないですか。発注を受けた海外メーカーは、特殊な環境下、とてつもない高汚染下での実験まで行えると。廃炉ロボットは海外から調達、おまけに海外技術のさらなる発達にも貢献している。このままでいいのかな、と思うんです。
 政府はこの分野に投じる予算、一桁少なかったんじゃないですか。世界中の知能と技術力を日本に集結させて、廃炉という新たな産業を大々的に進める覚悟がないから日本は負けたんじゃないですか。私はそう思っています。ロボットでは負けました。ボロ負けです。勝てる可能性のあるもの、ほかにもあるんですね。ピンチをチャンスに変えていただきたい。ビジネスチャンスです。それは汚染水処理です。10年前に最新とされた知見を、いまも最新とされているのはおかしくないですか。この10年間、技術革新は起こさなかったんですか。技術などどうでもいい。さっさと汚染水を海に流して、なかったことにしたいんですか。2015年の検証試験が終了して現在まで国内国外のトリチウム分離技術にどのような進歩があったか政府は承知していますか。
 ちょっと問題意識薄すぎません? 危機意識がなさすぎるんですよ。本来なら公募の段階から政府のプロジェクトとして行うべきことでしょ。どうして国が一生懸命力を尽くさないの?これがピンチをチャンスに変えるということでないですか。すべて民間任せではないですか。政府はトリチウム分離技術に関して前面に出たくないのではないか。
 (西村環境大臣の答弁に関して)逃げたらダメなんですよ。大臣は。安倍さん、菅さんのときも言っていたじゃないですか。閣僚全員が復興大臣なんでしょう。頭が変わったら全部変わるんですか。自分は縦割りだから、って絶対に言っちゃいけないことではないですか。(国会質疑)

A これは参議院環境委員会の発言です。この動画を編集した人は「これぞ鮮やかな国会質疑。今回は山本太郎さんが見事に岸田内閣を論破したシーンを分かりやすく編集しました」とコメントしていますが、それにしても西村大臣の情けない答弁は岸田内閣の人材不足を感じさせます。
 山本太郎の質問に対して、環境庁の役人は「これらの事業は私企業がやっていることで、東京電力などがその都度公表している」と述べ、また一般論と断りつつ、「応募した企業に関する情報に関しては、当該法人の権利、その他正当な領域を侵害することになるので慎重な判断をする必要がある」などと、まったく当事者意識のない紋切り型の答弁をしています。最後は西村大臣が「それぞれ司司(つかさつか)の問題だから、環境庁としては環境モニタリングをしっかりやっていきたい」と、述べたことに対する山本太郎の怒りの発言です。

 B 洪水、津波、山火事、火山爆発などの気候変動危機、依然として収まらないロシアのウクライナ侵攻、居座るミャンマー軍事政権――、世界で激動が続いているけれど、それらの問題に国を挙げて、役所の壁を越えて対応しようという気力が日本政治にほとんど見られないですね。日本で深刻なのは世界一の超高齢社会だということだが、まさに山本太郎の言う「ピンチをチャンスに変える」覚悟があれば、日本が世界に貢献する道も開かれるでしょう。世界情勢が緊迫しているから防衛費をGDPの2%以上にしようと、アメリカから武器を買い入れることばかり考えている政治のお寒い現状を山本太郎は撃っているわけです。臆面もなく、いまだに「司司」などという表現を使う環境大臣しか持たない日本の悲劇を感じますね。

新サイバー閑話(68)<折々メール閑話>⑱

山本太郎発言集Ⅳ

政治家が総理をめざすのは当然

 総理になるって、いつなるんだよ、っていうお話ですね。ありがとうございます。今れいわ新選組の国会での議席は8です。国会全体では700議席ちょっとぐらいですね。700分の8議席で総理になるって、「大丈夫ですか、山本さん」って思われる方もいらっしゃるかもしれないけれど、政治の世界に足を踏み入れて、総理になる気持ちがないなんて、私には意味がわからないです。みなさんどう思われます? 700分の1になりたくて議会に行くんですか。自分が考えるビジョンってものを確実なものにしたい、そのためには総理になるしかないと思って政治活動をされてる方が非常に多いと思うんですね。
 私の場合、何が何でも総理になるんだって気持ちで政治やってるわけじゃないんです。私が考えるような社会を作るためには、ほかの方でそれが実現できるなら、その人をお支えしたいんです。その方が話は早いかもしんない。でもどうやらそういう人はいなささそうなので、私がなりますねってことを言っているんです。
 700分の8でいつごろメドが立つんだってことに関しては、頭の体操として聞いてくださいね、すいません、例えば3年以内に衆議院選挙があります。れいわはそこで、どこまで票を伸ばせるかってのはけっこうカギになることです。でもれいわが伸びるだけではダメなんですよ。次の選挙までの間に野党側がかなり太い柱の経済政策を武器として、多くの方々に期待を持っていただけるような塊にならなきゃダメなんです。
 そんなこと言わんでお前らだけで頑張れっていう方もいらっしゃるんです。もちろんそういうやり方もあるだろうと思います。でもちょっと時間かかるな、そう思います。
 25年不況でそこにコロナがやってきて、手当ても中途半端。そこで物価上昇ということで苦しまれている方々が、いっぱいいらっしゃるんです。この状況をいつまでも耐えられると私、思わないんですよ。国の手当ても薄いから。だからこそ野党は徹底した経済政策で、日本の底上げをやっていく必要がある。日本はもう衰退国家なんですよ、経済政策誤り続けてきたんです。その結果、日本の中で物が売れない、当然産業も育成できない、だから企業は生産拠点を海外に移していくんですよ。そうならざるを得ないような経済運営が続いてきたってことですね。これを国内回帰させながら日本の底上げをやっていかなきゃいけないタイミングなのに、そういうこともやってない。
 振り出しに戻れば、経済政策の弱い野党の中で、超骨太の経済政策を打ち込んでいく、それが柱になって野党が闘いますって言ったときに初めて政権交代が見えるんですよ。
 自民公明の塊とそれ以外の野党という構図だけでは勝負にならない。小選挙区制では一騎打ちで勝負するしかない。ABの形にもっていかなくてはいけない、しかしただABの塊になっただけで勝てるわけないんですよ。ましにはなるけれど。大惨敗は防げるが、政権交代までは無理なんです。ABの堂々たる戦いに持ち込むためには、しっかり芯の通った、期待の持てる経済政策を掲げられるような野党にならなきゃいけないわけですよ。
 その作業を誰がするかって言ったら、他の政党にまかせられないんですよ。基本が緊縮財政だから。消費税上げない、て言って上げた人たちもいたでしょう? いまが通常時だと思ってもらっちゃ困るってことです。超緊急時なんですよ。この局面において私たちが野党と連携をしていくためには、私たちがそこに入っていくためには、やっぱり経済政策として太いものを求めていくってことですね。そういう立ち回りをしているときにはA対Bの戦いはあり得る。私たちれいわ新選組の議席も2桁台に乗ってきたときには、存在が無視できなくなるってことです。
 じゃ、だれを野党の塊のトップに持ってきますかって言ったら、もしですよ、時空のゆがみが起これば(^o^)、よし、あのお調子者を呼ぼうって話もありますね。最短は何だっ言われたら、それしかありません。それだけです。 1回の衆議院選挙だけではなかなか決まらない。その後の参議院選挙でも勝たなきゃいけない。まず衆議院でれいわが2桁台に乗っていく、8議席が20近くなるとか、20超えるような状態になってくると、当然私たちにも一部の主導権を握れる、影響を及ぼせる、れいわ抜きでは話ができないな、ってことになっていくってことですね。8ではやっぱり少ないということです。まったく無視はできないけれど、まあ影響ない程度ですね。これを次の選挙で広げられるかどうか、っていうことです。(記者会見)

B 山本太郎およびれいわの政策ビジョンははっきりしています。経済政策の基本は積極財政です。ただの数字合わせで野党陣営がまとまっただけでは「少しはましだが」、基本的には「駄目である」。だかられいわ新選組が中心になって野党陣営をまとめ、政権交代を実現したいと述べているわけです。その時は当然、山本総理誕生ということでしょう。

  6年前、東京で参議院に受からせてもらった、この一議席を守るのは非常に重要です、でも、それやって何になるんですか。いま自分の一議席守るために永田町の論理に飲み込まれるんですか。いまやることはそうじゃない、ほんとうに底上げする、みんなの力を借りて、ある所から取ろう、ないところから取るな、これが税金の基本でしょう、消費税なんてことはあり得ない、みんなの生活を底上げするなんでいくらでもできるんですよ。
 徹底的に、這いつくばってでもあなたのためにやります、って誓える集団をつくりたいんですよ、どうしてそこまでして闘うのかって、だって悔しすぎるから。あまりにもひどすぎるから、せっかく芸能界やめてこっち来たんだから、爪痕残してやりますよ、形にしてやりますよ。そのためにあなたの力必要なんですよ、貸してくれませんか、力。(2019街頭演説)

A 2022年参議院選挙に出るために、山本太郎が獲得したばかりの衆議院議員の椅子を次点だった櫛淵真理に譲ったことを取り上げたコラム2でも述べたけれど、山本太郎は「男の中の男」です。正に捨身。無私無欲。あるのはこの国を変えたい一念のみ。こんな政治家は他にいないでしょう。

B 中国の古諺には「蛟竜の淵に潜むは昇らんがためなり」というのもありますね。

新サイバー閑話(67)<折々メール閑話>⑰

山本太郎発言集Ⅲ

あなたが政治をコントロールできる

 この国の主役はあなた方ってことですよ。なのに、それをコントロールできる、この国を変えられるってことに気づいていない。あるいは多くの人が放棄しちゃっている。国政選挙で投票率が6割行かないんですね。
 
一方で諦めない人たちがいる。それは、政治を使えば自分たちがもっと儲けられるとわかっている人間、企業側ですよ。組織票と企業献金で自分たちの代理人を議会で多数派にしてしまえば大減税はしてもらえるわ、長時間労働しても問題ないような形にしてもらえるわ、外国人労働者を大量に呼び込める状態までつくってもらえたり、とか。なぜこんなことになっているのか。みんながゆるくつながれば政治のコントロール権を取り戻せるということです。いま自民党に投票している方、全有権者の3割程度、3割でコントロールできるんですよ。4割の諦めた人がゆるくつながれば消費税ゼロなんてできますよ。
 ネットの中で何言っていても無理ですよ。はっきり言って。シェアすることはできる。拡散することはできる。でもそこで止まる。だってネットって自分の興味のある範囲でしか見られないじゃないですか。ネットで配信してくださる方、非常にありがたいんですけども、その時間があるんなら、横に広げる努力をしていただきたい。その方が私たちのためになる、そう、私は思っています。今週に入ってから何人の人にシェアできた? 実際に人に会って横に広げられた? いっしょにやってみたいという了解を何人に取れた? 先週は? 先々週は? 先月は? 今年に入ってからは? ステップバイステップでしかできないんですよ。
 それを自民党はやってますよ、ずっと。公明党もやってます、そういうステップバイステップがなかったら、いきなり変わるなんて無理ですよ、ちゃんと努力してるんですね。企業も組織票とか企業献金するなど頑張って長時間労働でも問題なくなる。残業代、これ自体を概念としても無くすようなこともどんどん決まってきてるじゃないですか、自分たちの支援者のために一生懸命仕事しているんですよ。えらいですねえ。
 だけど、そっちを見てるんじゃなく、こっち見てくれって話なんです。こっち向かせるのは誰の仕事かというと、一人ひとりの仕事でしかないんですよ、いくらネットの中でいろんな展開をしたとしても、それを見てる人は限られていますよ。シェアすることは重要、情報を分け合うこと、拡散することは重要、でもその中だけでしかないんですよ。だとしたらどうなるか、また負けるんです。
 人に会って説得したりしている人たち、その裏には金があったり宗教があったり、いろんなものがありますよ、イデオロギーがあったり‣‣‣。だけど、繋がる理由がある人たちっていうのは、確実にフィールドワークやっていってる。でもそんな暇、なかなかないじゃないですか、毎日忙しくて、ギリギリ生活してて、それで政治の話は勘弁してほしいっていう状況の中で、仲間を広げていくというのは至難の技です。
 至難の技だけどやっていきたいんですよ、やっていった先に政治をコントロールする力を取り戻したいんですよ。ここまで振り切れてるんですよ(2019街頭演説)。

A 街頭演説で山本太郎に強硬に反対して「口先ばかりだ」と罵っていた人が、山本太郎の丁寧な説明に納得したのか、あるいは、どんな反対意見にも真摯に耳を傾け、自説をわかってもらおうと努力する熱意に打たれたのか、最後に「あんたに洗脳されてんのかなあ」などと言いつつ矛先を収めるといったシーンもしばしば見られます。
 政治に対して激しい怒りをぶつけたり、話しているうちに自ら激高して涙を流したり‣‣‣ 街頭演説には山本太郎の裸の姿が映っています。しかも、誰の意見でも聞く。時間を5分に制限しながらも聴衆の質問を受け付け、それに真剣に答えようとしています。もちろん反対意見にも耳を傾けるし、どこかに共通点を求めようと対話の努力をしています。こんな誠実な政治家は当今、ちょっといないんじゃないでしょうか。

B 山本太郎は演説がうまい。彼の発言を文字に起こしていると、しゃべっていることがほぼそのまま原稿の形になるのに驚くほどです。
 古今東西、政治家の演説ではアブラハム・リンカーン、ウィンストン・チャーチル、ジョン・ケネディ、マハトマ・ガンジーなどの名手が思い浮かぶけれど、最近の日本でも田中角栄の田中節は出色だったですね。山本太郎も演説の名手として歴史に記録されるだろうと思いますね。この発言集もその際の貴重な資料になるといいですね。

A 僕はけっこうツイッターをやっていて、何人かの人のフォロアーでもあります。フォローしている方の発言からは教えられることも多いのですが、彼はツイッターはあまりやらないみたいですね。

B インターネットに関しても、まっとうな意見を述べていると思います。ツイッターなどのSNSで安倍批判をすれば何かやった気になるけれど、それは、同じ意見を待っている人には響くけれど、反対する人に届かない。インターネットの仕組みがすでに同意見の仲間の間だけで流布し、反対する人には届かない仕組みになっているからです。もっとも敵をやり込めようと手ぐすね引いている人は、検索してそういう意見を集めることもできます。
 インターネットの分断傾向については、2000年初頭に政治学者のキャス・サンスティーンが「反対意見を必ず表示できるようにしたらどうか」と提案したり(『インターネットは民主主義の敵か』)、2010年初頭にインターネット活動家のイーライ・パリサーが「フィルターバブル」という言葉で、それを批判しています(『閉じこもるインターネット』)。
 最近話題のメタバースに関して、Online塾DOORSで通信業界の先達、唐澤豊さんの話を聞きましたが、そのとき見た動画で、メタバースの専門家でもある若者がこういうことを言っていました。
 「メタバースに希望が持たれているのは『現実世界はクソだな』と思っている人が多いからだと思う。メタバースでは自分で理想の世界をつくり、理想の姿に変身し、誰とでも意見交換できる」と。メタバース的な世界が広がるにつれて、人々は新たな宇宙(『地球2.0』というタイトルの解説書もあった)に没入していく。これまでも書物や漫画、映画、アニメ、そしてゲームでそういう夢幻傾向はあり、それは文学の温床でもあったけれど、これからはより多くの人がメタバースに集団移住していくのではないかという気がしました。このとき現実世界はどう変容するだろうか。それこそ廃墟のようになるかもしれない。現代世界の政治の混乱、若い人たちの政治への無関心とも深いところでリンクしていると思いますね。山本太郎への支持がいま一つ広がらないこととも関係していますね。

  そろそろみんな怒ろうじゃないか、という話なんですよ。20年財政を絞って、結果、何が起こったかというと貧困ですよ。なぜ子どもたちの7人の1人が貧困なんですか。政治が責任取りましたか。だから言ってるんですよ。私に力貸してください。ある所から取る、ないところから取らない、これが税金の基本でしょう? 私が国会で牛歩戦術取っているのは、徹底的に闘うと言って戦わない野党に対する抗議なんですよ。徹底的に闘わない奴をなぜ国民が支持するかっていう話なんですよ(2019街頭演説)

 B 立憲民主党など野党はまことにだらしないけれど、それはアジェンダ(実現すべき計画やプラン)セッティング能力の不足によることが大きい。現在の世界では何が問題なのか、何が隠されているのか、語ることを妨げているものは何か。こういった私たちを覆う厚い雲を晴らすことが大事だけれど、それに対する想像力、あるいは創造力がない。国会質疑は戦術的に個別問題に立ち入らざるを得ない面が多いけれど、それだけだと、ほとんど常套的な答弁によって覆されてしまうわけです。「法と手続きに従って厳粛に対応する」とか、「個別の問題についてはお答えを差し控えさせていただきます」とか。

A もともとジャーナリズムで大事なのはそのアジェンダセッティング機能でもありますね。権力の監視はもちろん。当今のマスメディアではその大事な機能がすっかり失われました。

 消費税10%にしろという労働組合なんてあるかよ、なんのための労働組合だよって話ですよ、連合のこともこれからは言っていきますね。仁義なき戦いが始まってますよ、はっきり言って。喧嘩上等ですよ、それが嫌だったら野党一つになれよってことですよ。消費税5%でまとまって戦わないと、何も変えられないじゃないですか、その圧力をかけるために一人で旗降ってるんですよ。でもいいですよ、ある時期が来てからは徹底的にやりますから。
 なぜ予算委員会が長期にわたって、何カ月も開かれていないか、その理由は何なんだっていう質問を広島で受けました。それに対して私は野党第一党のせいだって言いました。だって与党の自民党と折衝するのは野党第一党なんだから。筆頭間協議でどうしてしっかり突っぱねないのっていう話なんですよ。だから、私は質問に対して立憲民主党のせいですよ、と言ったんです。それに対して、どうして野党を叩くんだって言われるんです。違うよ、立憲民主党の支持者がお尻叩けばいいじゃないかって、何をゆるゆるやってんだって話ですよ、次の参院選でねじれつくるっている気迫がないんやったら、どうして政治やってるんですか?いつになったらやるんですかって。次の選挙はその次の選挙のための地固めなんですって、いい加減にしてくれませんか。何年苦しんだら、その苦しみから解放されるんですか。希望を見せてくれってことですよ。それが見せられるのが政治だろうって。万年野党でいるつもりかって話ですよ(2019街頭演説)

新サイバー閑話(66)<折々メール閑話>⑯

山本太郎発言集Ⅱ

生きててよかったと思える社会に

 この6年間、国会の最前列でみた景色は何だったか。金のためだったら人の命は後回しってことです。人々の生活を削り、人々の生活を破壊してでも大企業などを儲けさせるっていうようなことを徹底してきた6年間ですよ。でもこれは第二次安倍政権から始まったことじゃない、痛みを伴う改革、よく聞く言葉でしたよね。小泉、竹中時代から言われてきたことですよ。みなさんにお聞きしたい、痛みを伴う改革の後には、痛みしか残ってない、って話なんですよ。
 20年以上続くデフレ、だれの責任ですか。この国に生きる人が頑張らなかったって言うんですか、とんでもない。20年以上デフレが続くような異常事態の国は、日本しかないんですよ。みんなの消費が失われて、みんなの投資が失われた。つまり需要が失われ続けた20年間、これによってこの国は完全に衰退してしまった。このデフレからの脱却を行えるのは民間ではない、国が経済政策をしっかりと打つ以外には脱却できないんですよ。
 しかるべき投資を行ってこなかった。その結果、どうなったか。IMF国際通貨基金のデータでは、1997年からの20年間、世界140か国以上の政府総支出、日本は最下位ですよ。ドケチ国家のNo1が日本なんですよ。あなたの生活の苦しさをあなたのせいにされてませんか。20年間の名目GDPの伸び率、もっとも成長しなかった国は日本ですよ。20年以上続くデフレの原因は明らかなんです。
 間違った経済政策の連続によって傷ついたのはあなたの生活であり、あなたの人生じゃないですか。働いても働いても豊かになれない、当たり前ですよ。そんなふうに制度設計されてるんですよ。物価は消費税によって強制的に上げられる。賃金は上がっていかない。実質賃金は下がる。景気をよくするために何をすればいいですか。消費がもっと喚起されなければいけませんよ。GDPの6割が個人消費なんですよね。2014年に消費税が5%から8%に引き上げられたことによって、2014年に落ち込んだ消費が8兆円、リーマンショックのときの個人消費の落ち込み6.3兆円、リーマンショックを上回っとるやんけ!おかしいでしょ、こんなの。
 誰かの消費はだれかの所得、あなたが何かを買ったら、そのお金はだれかの所得に回る、当たり前の話です。個人消費が8兆円失われたということは8兆円の所得も失われているということですよ。何が「景気回復、この道しかない」だ。この道の先には崖しかないだろう。
 いまやるべきことは何か。お話します。まず消費税を廃止にしなきゃならない。消費税8%やめたら初年度は物価が5%落ちます。ということは、消費がより喚起されるっていうことですよ。消費税廃止を決めた途端、企業側はこれからものがもっと売れるぞと予測するわけですよ。そうすれば貯めこんだ内部留保だって、出しながら投資していくわけでしょう。もっと人を雇わなければ間に合わない、雇用も増えていくでしょう。数だけ増やしたって人は来ない、じゃ賃金も上がっていくでしょう、ってことですよ。今何より必要なのは消費税、強制的な物価の引き上げをすぐにもやめなきゃなんない、それによってこの国に失われた消費をすぐにでも喚起しなきゃならない、このままだと本当の衰退国家になってしまう。まず20年以上続いたデフレを脱却させる、当たり前のことですよ、かじ取りできるのは国だけ、あなたの生活をまず底上げすることを考えずしてどうして政治なんてやってんだよ。
 ダイヤモンドから紙おむつまで同じ税率なんてありえないだろう。れいわ新選組は消費税廃止を訴えています。みなさんにお聞きしたいんです。そんなこと無理だって思われますか。無理だと思われる根拠は何ですか。消費税を廃止した国、存在していますよ。マレーシア。マレーシアはどうして消費税なくせたんですか。マレーシアの人びとが決断したんですよ。マレーシアに出来て日本でできないことあるんですか、私一人やったって何もできない、そんなことできるはずがない、って思いこまされてません?あなた人には力がないって、あなた一人動いたって今まで何もならなかったじゃないか、とか、ずっと言われ続けているんですか。
 そんな社会こそ変えなきゃいけないだろうってことですよ、あなたには力がある、何よりもあなたがいないと始まらないってことですよ、いっしょにやってほしいんですよ、いままであなたのコントロールがきく政党ありましたか、いままであなたのコントロールがきく国会議員がいましたか、地べた這いずり回ってでも、与党や野党とガチンコで喧嘩してくれるような国会内勢力、今までありましたか。つくりたいんですよ。みなさんの税金で回されている議会が、闘っているふりだけしてるような、そんなことになってしまえば、その先に見える地獄はどんなものになってますか。
 すでにもう十分地獄ですよ。そんな社会を変えませんか、そんな社会を変えたいんですよ、その先頭に立たせてもらえませんか。生きててよかったと思える社会をつくる、きれいごとばかり言ってんな、という声も聞こえます。何言ってんですか、政治がきれいごと、つまりはビジョンを語らないで、誰が語るんですか。私たちが目指す世界はそういう世界なんです、力を貸していただきたい、大暴れしてやります。(街頭演説)

B 最後のくだりが山本太郎の真骨頂ですね。

A れいわ新選組の公約の目玉は積極財政と消費税廃止です。

 私がやりたいことは、まずは徹底的な経済政策。アメリカはコロナで800兆円ものお金を突っ込むことに決めた。税金を集めてバラまくんじゃない、自国通貨を増やして足りないところに入れていくってことを決めた。それでコロナ前より景気爆上がり、日本の1年間の予算は100兆円ですよ、そこに加えてもう100兆円あるならば数年にわたって安定的に出していける。
 
次に消費税をやめること、年間26兆円でそれができる、大学院卒業まで教育費無償、5兆円でできる、そして国がやっているサラ金、2人に1人が借りている奨学金、これチャラにしたい。それに9兆円。高齢化が問題なんでしょ。少子化も問題なんでしょ。だったら保育士、介護士、全産業平均100万円以上低いという現在の処遇、これ変えなきゃダメですよ。月10万円以上引き上げる、全体で3.7兆円でいける。わたしたちが言っている政策というのは決して荒唐無稽じゃない、当たり前の話なんです。(街頭演説)

新サイバー閑話(65)<折々メール閑話>⑮

山本太郎発言集Ⅰ

「れいわ新選組」を立ち上げました 


 自分で団体を立ち上げました。「れいわ新選組」という名前です。この国で一番偉いの誰? みなさんですよ、生きてていいんですかって、生きててくださいよ。死にたくなるような世の中、やめたいんですよ。生きててよかったと思えるような社会にしようよ。それができるのが政治ですよ。頑張るべきはあなたじゃない、政治なんだって思いません?
 頑張っても頑張っても普通に暮らせないっていう社会状況が25年以上続いているんですよ。お金は作れる、財源はある、その力はこの国にあるんです。この国のオーナーはみなさんなのに、みなさんの望まないことを政治が続けている、その理由は別に飼い主がいるからですよ。企業ですよ。自分たちの税金は減らして他の財源を作らせる、それが消費税増税ですよ。この国に必要なのは、徹底した財政出動です。そのためにみなさんの力を貸していただきたい。個人の命や人生に対して何のリスペクトもない、すべて票、すべて金です。この国を変えるカギを握っているのはみなさんお一人おひとりです。ひっくり返してやりたいんです。そういう思いでマイクを握っています。
 コロナの終わりが見えていないのに、持続化給付金、家賃支援給付金、民間金融機関を通じた無利子無担保融資、受付終了するんですか、支援をやめるんですか。終わりが見えていないのに、こういった救済策を終えるということは、体力ないところはつぶれていけ、という宣言でしかない。無茶苦茶ですよ。個人や企業の努力が足りないから潰れていくという状況ではないんです。
 残念ながらこいう政治を放置してきたのが私なんですよ。政治に対して興味持っていなかった。自分の人生が充実しているかどうかだけがメインテーマだったけれど、原発事故を境に、世の中こんなことになっているのかということに気づいて、それじゃあ何とかしないといけないなと――。私みたいに極端に考え方が変わった人は少ないかもしれないけれど、そこからなんですよ、知っちゃったらやるしかないもん、でも私たちだけではできない、この国のオーナーであるあなた方の力を借りなければ。
 あなたのために私は政治家をやっています、と言わなくてゴメン。自分のためにやってます、何かの拍子に生きづらくなったときに見捨てられない社会、そういう社会、ほしくないですか。家族に見捨てられても、仲間に見捨てられても、世界でたった一人ぼっちになっても、国だけは見捨てないよという存在だったらどんなに心強いか。
 まさに国会はいま、人の命の期限を決めるような議論がいつ始まってもおかしくない状況なんですよ。これ以上国の財政を圧迫させないために、お年寄りの皆さん、そろそろいいんじゃないですか、自分の期限を決めろ、みたいな論議ですね。国会議員やっていて感じました。そのきっかけになったのは麻生太郎さんです。2016年6月、北海道小樽の講演でこいうことをお話になったんです。「90になって老後が心配だとかわけのわからないことを言ってる人がテレビに出ていたけれど、お前いつまで生きてるつもりだと思いながら見ていました」と。居酒屋でおっさんが言ってる話じゃない、「ちょっとお父さん、言いすぎよ」みたいな話じゃないんです。この国の財務大臣であり、副総理である人がこういうことを言う。命の選別がこの先、始まっていくんだろうな、という危機感があったんですね。
 世の中で役に立たなくなった人は社会的な圧力によって死を選ばざるを得ない状況にされていくんじゃないか。「高齢者の方、あなたずいぶん長生きしましたねえ、あなたのために多くの人が力を使って大変ですよ。もうそろそろいいんじゃないですか」みたいな空気を許してしまえば、当然、高齢者が入口だったとしても、障碍者にも広がるし、それ以上にも広がっていきますよ。それが自分に降りかからないようにするには何が必要かというと、自分がどれだけ役に立つ人間か、自分がどれだけ生産性が高いに人間なのかということを世の中に示し続けなければならないような社会がより加速するということですよ。(2019年街頭演説)

B 山本太郎が街頭演説で聴衆に訴えたり、記者会見で語ったり、国会で質問したりした言葉を集めました。素材はいろんな人びとが「切り抜き山本太郎」とか、「れいわ新選組を伝える動画」とか、「涙の街頭演説」とかいうタイトルで、あるいは単独でユーチューブにアップしたものから書き起こしています。一部はツイッターのつぶやきやテレビ番組のインタビューからも採用しました。
 ユーチューブに上げる時にすでに素材の取捨選択が行われており、それを臨機応変に選んで活字にし、いくつかのテーマにわけて編集、若干のコメントを加えたわけですから、編集上の偏りもあるでしょう。しかし、山本太郎が2019年にれいわ新選組を立ち上げてからこれまで、何を訴えてきたかの全貌、とまではいかなくても重要な事柄について知ることができるように工夫しました。
 岸田首相や閣僚、さらには担当官僚のほとんどが誠意の見られない紋切り型の答弁をくりかえし、それに引きずられるように野党もまるで木を見て森を見ないような質問をし続け、またマスメディアも現代の政治状況を鋭利に分析できないといった状況の中で、山本太郎の主張のまっとうさ、大局を見る目、政治に対する情熱、いずれも出色のように思われます。
 本コラム14回でも述べていますが、なぜれいわ新選組および山本太郎への支持が思うように広がらないのか。それは山本太郎が「醜いアヒルの子」としての「白鳥」だからではないでしょうか。山本太郎が来るべき日本社会の白鳥として大きく羽ばたけるように願って収集したこの「貧者の一灯」が、ふだんあまりユーチューブなどを見ない活字世代の方々に、山本太郎のすばらしさを知ってもらえる一助になれば幸いです。もちろんこれは、最初に説明したように、多くのれいわファンの汗と努力の結晶(コラボレーションの成果)でもあります。
 なるべく山本太郎の口吻が反映されるようにしていますが、話し言葉と書き言葉はやはり違います。冗長な部分は削ったり、繰り返しは省いたり、一定の編集処理をしています。同じ街頭演説を別の個所に分けたものもあります。オリジナルな発言の真意は損ねていませんが、そっくり同じ体裁ではないことはご承知ください。
 素材はほとんど2022年の発言から取っていますが、それ以前のものはその旨表記しています。発言の最後に「街頭演説」、「記者会見」、「国会質問」、「テレビ・インタビュー」などと状況を付記しました。

A れいわ新選についてウエブでは以下のように説明しています。<れいわ新選組は、2019年4月に山本太郎参議院議員(当時)が立ち上げ、同年7月の参議院選挙ではALS難病患者の舩後靖彦、重度障がい者の木村英子が当選。2021年10月の衆議院選挙では、山本太郎、たがや亮、大石あきこが当選。2022年4月、山本太郎が参議院選挙に出馬するため衆議院議員を辞職、くしぶち万里が繰り上げ当選。2022年7月の参議院選挙では、山本太郎、天畠大輔、水道橋博士が当選。8人の国会議員が所属する国政政党です。大企業・労働組合、宗教団体などの組織に頼らず、一人ひとりの市民のボランティアと、ご寄附に支えられた、まったく新しい草の根政党です>。
 冒頭の街頭演説には彼の思いがよく表れていますね。れいわはまさに日本の希望だと思います。国会勢力としてはまだ弱小で、新聞各紙が定期的に実施している世論調査でも国民の支持率は高くて2%台という状況ですが、わずか3年で8人の国会議員を擁するようになったのは前進とも言えますね。

B 自分のために行動しているのだという覚悟がいいですね。インドの賢人、ガンジーが言ったとされる言葉に、「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。それをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」というのがあります。もちろん山本太郎は日本を変えようとしているわけだけれど。 

  私は不安しかないですよ、いま自分、議員を落ちてますよ、党代表では来てますけど、先はわからない。私も生活困窮に足を踏み入れることがあるかもしれない、そのときに真っ先に行政が手を差し伸べてくれるような国であってほしい、だから社会を変えたい、っていうことですよ。自分のために変えたいんですよ。もちろん、みんなのためでもあるけれど。自分勝手でごめんね、だけど自分には自信がない、スーパーマンじゃない。芸能人だったけど、今は芸能人じゃない。芸能界に戻れるなんて思ってない、じゃ、変えるまでやるしかないじゃないか。変えるっていう希望をみなさんが見せてくれる限り、続けるしかないでしょうって。変えたいんだよ、こんな嫌な社会にしたくないんだよって、ことですよ。(2019街頭演説)

新サイバー閑話(64)<折々メール閑話>⑭

日本政治の劣化とれいわ新選組の出番

B この間の出来事を見るにつけて感じるのは、日本政治の劣化です。もとからそうだったかもしれないけれども、とくに昨今の統一教会をめぐる自民党の対応はひどすぎる。8年余の安倍政権下で落ちるところまで落ち、現岸田政権はそれを改善する意欲も能力もないことがいよいよ顕著になったように思えます。

A ひどくて何が悪い、という居直りすら感じますね。

B それは何故なのか。素人の床屋談義レベルの感想をデフォルメして記せば、まず自民党そのものの質が低下した。原因はいろいろあると思うけれど、まず1990年代から始まった政界再編ですね。日本新党、新生党、新進党、新党さきがけ、民主党、自由党、国民新党など、何がどう違うのかわからないぐらい新党が林立し、自民党を割って出た政治家が他党も含めて離合集散を繰り返した時期がありました。自民党vs.社会党という55年体制に代わる新しい二大政党制をめざす動きでもあったわけですが、そのとき自民党からかなりの人が離れた。それらの議員たちが優れた人材だったかどうかはともかく、このことで保守本流だった自民党の多様性が失われたのはたしかでしょう。自民党にとどまった人々には世襲議員が多かったようにも思えます。
 また政界再編時代に行われた選挙制度改革で衆議院が小選挙区比例代表制になり、小選挙区に立てる自民党の議員が原則1人となり、公認を決める党本部の力が強大になった。それまでの中選挙区では自民党から2人、場合によっては無所属も含めて3人も当選可能だったわけで、ここでは議員が所属する派閥の力が強かった。いっぱしの議員になるためには派閥で「雑巾がけ」をして修行をする、これが政治家としての生きた学校でもあったわけです。派閥の力が弱まることで所属議員の切磋琢磨の場は失われ、派閥のボスの力も弱まり、党としての多様性は一層失われました。
 昨今の自民党を見ていると、最大派閥だった安倍派というのは、古い体制に安住するというか、人間的に魅力のない人材のたまり場だった印象を受けます。カニは甲羅に似せて穴を掘る。そういう意味では、安倍元首相はかっこうのボスだったわけです。今回の一連の騒動での細田衆院議長、下村、萩生田、世耕など安倍派の重鎮の発言を見ていると、まことにお粗末な印象です。こういう人たちが安倍首相を支えていたわけですね。

A 安倍首相は8年余の政権担当を通じて、自分の山を彩るにふさわしい人材発掘に熱心だった。稲田朋美、杉田水脈、生稲晃子など新人もみな安倍元首相のお気に入りで、女性議員と言いながら、むしろ女性の敵的発言をしているのも目立ちます。

・統一教会と日本会議の二本柱

B 統一教会問題での議論が実りのないのには理由があると言えるでしょう。安倍首相銃撃事件以来、統一教会と自民党議員のずぶずぶ関係がクローズアップされていますが、安倍政権下で憲法改正準備、教育基本法改正、閣議決定による集団自衛権容認などの政策が進められていたころ、話題になっていたのは実は「統一教会」ではなく、神社本庁や生長の家と関係の深い「日本会議」でした。
 2016年の段階で『日本会議の正体』(平凡社新書)という本を書いたジャーナリストの青木理は、その正体について「私なりの結論を一言でいえば、戦後日本の民主主義体制を死滅に追い込みかねない悪性ウイルスのようなもの」と述べています。「悪性であっても少数のウイルスが身体の端っこで蠢いているだけなら、多少痛くても多様性の原則の下で許容することもできるが、その数が増えて身体全体に広広がりはじ始めると重大な病を発症して死に至る」とも書いています。
 この記述を統一教会との関連で読むと大変興味深い。安倍元首相は自らの政権、および自民党の基盤をきわめて偏った2つの勢力、統一教会と日本会議に置き、彼らが望むような政策を続けてきたと言えるでしょう。

A 内部にゴミをため込みながら、外からは右翼的な日本会議や統一教会からエネルギーをくみ取ってきた。そのパイプを太らせてきたわけで、政策が右傾化するのは必然だったと思います。

B なぜこのような政治状況が生まれたかについては、より大きな社会的要因があるのは確かです。労働組合の衰退、官僚機構の崩壊、社会におけるリベラル勢力の弱体、経済界の人材払底などで、その背景には日本経済の衰退という大きな問題が横たわっています。デジタル社会の影響も無視できません。対面の濃密な人間関係は希薄になり、メールやウエブを通しての離合集散が進んだとも言えます。

A 右翼的な主張は自民党のパイプによって政治の表舞台に吸い上げられ、実際に着々と成果を上げていく反面、そうでない、リベラルというか、常識的でまっとうな人々の思いを吸い上げるパイプはどんどん細くなった。だから政治から排斥され、あるいは政治にそっぽを向いて行ったのだと思います。野党やメディアのふがいなさの反映でもありますね。
 従来の地盤、看板、カバンという選挙基盤とは無縁のところから出てきて、あっという間に国会議員だけでも40人近い勢力を誇るにいたった松下政経塾はどういう役割を果たしたのでしょう。

B この松下政経塾というのが微妙ですね。政権再編の波にうまく乗り、雨後の筍のように政界に進出してきたのだけれど、一言でいうとぱっとしない。松下政経塾は松下電器(ナショナル、パナソニック)の創業者ですぐれた実業家だった松下幸之助氏が将来の国家指導者を育てたいという熱意のもとに、1979年に私費70億円を投じて開設したものです。同塾のウエブによれば、データは最新のものではないようですが、すでに300人近い卒業生を出し、そのうち政治分野に進出したのが121名、国会議員が35名となっています。国会議員35名というのはすごい実績ですね。

A 最近、国会で安倍追悼演説をした野田佳彦、一時は民主党代表も務めた前原誠司、立憲民主党前幹事長、福山哲郎、現自民党政調会長、高市早苗‣‣‣、野党に多くの人材を提供しているけれど、その野党人脈が野党らしくないですね。

B 野田議員の追悼演説の質の悪さがそのすべてを象徴しているように思えます。国葬で弔辞を読んだ菅前首相同様、歯の浮くような言葉を臆面もなく並べる下劣な品性にはまいりました。政敵を悼むのだからある程度のひいき目は必要でしょうが、安倍首相その人の業績、というより果たした役割を真摯に振り返れば、それなりの批判をせざるを得ないはずですが、それが出来ない。そもそも追悼演説を引き受けるのが間違いで、立憲民主党も国葬に反対するのなら、追悼演説も拒否すべきだったのだと思います。
 弔辞を読むことの礼(小さな善)を守ることで、安倍政治の大きな悪を見逃し、あるいは是認した。これは追悼演説を引き受けたときにわかっていたことで、野党政治家失格と言われてもしょうがない。この演説に野党からも賛辞があったというのも不思議です。
 沖縄密約をめぐる毎日新聞記者のスクープに対して、当時参議院議員だった市川房枝さんが「取材方法が女の人を脅迫するみたいなやり方で卑劣だった」と新聞で語ったことに対して、ノンフィクション作家、澤地久枝が「政治家としての市川房枝氏には、もっと本質を透視する目を持っていただきたかった」(『密約』)と書いているけれど、それと同じだと思います。
 政界全体にものの本質から目をそらし、適当にその場を繕うような軽さを感じますね。自民党の村上誠一郎議員が安倍元首相を「国賊」と言って自民党から処分されたとき、同党の石破議員が「私ならああいういい方はしない」とあいまいな表現ながら、結局は村上氏を批判したときも同じような印象をもちました。ハンナ・アーレントの「凡庸な悪」という言葉を思い出しますねえ。

・松下政経塾が果たした役割

 話を松下政経塾に戻すと、「松下政経塾は失敗だった」という手厳しい評もあります。押しなべてビジョンがない、自己の理想に殉じる気概がない。カルチャーセンターで文章修行をしてきた新米が「原発に関する我が社の見解はどういうものですか」と上司に確認してから、その見解に合わせてすらすら原稿を書くのを見てびっくりしたことがあるけれど、新聞記者になるべきでない人が新聞記者になり、政治家になるべきではない人が政治家になっている印象すら受けます。
 日本会議や統一教会は自民党の中枢に食い込み、その一部になることで自民党を堕落させたと思いますが、松下政経塾は自民党、野党問わず、政界の中心にはなばなしく登場したけれど、そのことで政治家が小粒になったり、与党と野党の区別のはっきりしない液状化状態が起こったり、日本の政治そのものを堕落させたようにも思えます。出井康博というジャーナリストが「松下政経塾の研究」に関する本を書いていますが、そのタイトルが『襤褸の旗』(飛鳥新社)というんですね。「襤褸とはつぎはぎだらけのボロ布のこと」と説明がついているのだが、言い得て妙だと思います。

A 右翼的傾向の人びとは安倍政治を謳歌してきたと思いますが、その間の野党の体たらくで、我々が折々に言及してきた「まっとうな人びと」の関心は政治の場に吸い上げられない状態が続いてきた。選挙のたびに自民党が圧勝し、野党が衰退していった構造はこれですね。

B 朝日新聞政治部出身の鮫島浩が「山際辞任と野田演説はセットの関係で、これを機に立民、維新が共同して自民党に近づき、自民・公明・立民・維新という新しい体勢ができる」と鋭い予想をしていました。国会での統一教会批判も今後は下火になるだろうと(Samejima Times)。
 これは本人も言及していたけれど、悪いことばかりではないと思いますね。ダメな政治家集団が談合することで、れいわと共産を軸にするそれこそまっとうな野党体制がようやくできる素地が固まったとも言えます。そこに他党のまともな人材が合流してほしいです。

A いよいよれいわの出番ですね。

B 主宰するOnline塾DOORSで<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>、<よりよいIT社会をめざして>、<超高齢社会を生きる>といったテーマ授業をしていますが、30年近い経済停滞を含め、議論すべき課題が山積しています。しかし国会論議はまことに低調。これからの日本をどうするかという大問題を真剣に考えているのは、まさにれいわと共産党ぐらいでしょう。

A 従来、官僚機構が国づくりのシンクタンク的役割も果たしてきたのだけれど、安倍・菅の官邸主導の強権人事で官僚機構はガタガタになっています。骨のある人材は外され、忖度官僚が跋扈しています。官僚には官僚としての本分をつくしてもらい、まっとうな人間の政治への関心を高めていくことが大事です。その条件がいまようやう整いつつあるとも言えるかもしれません。

B この<折々メール閑話>はサイバー閑話のメニュー中の<令和と「新選組」>の一部として始めました。2019年8月6日の第1回では、<幕開けは風雲急  かつての新撰組は幕藩体制維持を掲げたが、れいわ新選組は安倍政権打倒を旗印としている。新撰組は剣を武器としたが、れいわ新選組はSNSというコミュニケーションツールを駆使する。声の広がりが武器である。山本代表は、「命をかけている」、「本気だ」という意思を「新選組」に託したのだろう><れいわ新選組は日本の希望です>などと書いています。
 最後に「悲憤慷慨メール 鳴きやまぬ 老いの夏(^o^)」との駄句を添えているが、その悲憤慷慨メールをもとに<折々メール閑話>を始めたのが2022年4月22日。今夏に始まる参院選をめざしてれいわ応援からスタート、安倍襲撃事件以後は目まぐるしく動く政局を話題にするようになりました。
 これからしばらく、原点に返って、混乱する政情下で孤軍奮闘するれいわと山本太郎をはじめとする議員諸氏の活動を見ていきたいと思います。れいわ新選組は私たちが思ったほどの世論の支持をまだ獲得できていないように思われますが、それは、れいわが「アヒルの中の白鳥」、「狂気の中の正気」だからではないでしょうか。

A ちょっと国会中継を見たり、それを切り取ったユーチューブ番組などを見れば、れいわ議員の質の高さがよくわかります。日本社会を改善するために何をすべきか、小手先の解決でなく、問題の本質を正面からとらえようとする熱意が感じられます。
 大石あき子衆議院議員の予算委員会での3分の質問時間が2分3秒に削られ、そのことに他野党も異議を唱えないという「れいわいじめ」もあるようですが、れいわを支援する声が高まれば事態は好転すると思います。れいわは間違いなく、これまで政治と距離を取ってきた「まっとうな人びと」の声を政治の場に引き戻すパイプ役になってくれるでしょう。

 

 

新サイバー閑話(63)<折々メール閑話>⑬

自民党&日本に深くたくみに潜行した統一教会

B 安倍元首相の銃撃事件をきっかけに、統一教会(旧統一教会と現世界平和統一家庭連合を一括してこう表記)は、信者の世界だけでなく政治の世界にも深くたくみに潜行していたことが、日に日に明らかになっています。
 若いころ水中ダイビングで比較的浅い海底に立った時、ふと前の岩場を見ると穴から大きなウツボがこちらをにらんでいた。あの獰猛な面構え。目を移すとそこにも、振り向いた背中の後ろにもウツボがいて、ゾッとしてあわてて浮上したことがあります。その恐怖に似た感覚を今回、思い出しました。統一教会はこんなに日本社会にひたひたと浸透していたのか、と。長期に及ぶ異常とも言える安倍政権を支えていた構図の一断面がはっきり見えたようにも思います。

A 統一教会と議員に対する自民党の調査は相変わらずおざなりで、本丸ともいうべき安倍元首相、細田衆院議長などは調査の対象外、数々の関連が明らかになっている山際大志郎経済再生担当相も閣僚に居座ったままですね。
 岸田首相は最近の国会で統一教会に対する宗教法人法に基づく調査を「質問権」を行使してやると言ったものの、解散命令請求が認められる法令違反として刑法だけでなく民法まで含まれると答弁するのに、1日の朝令暮改がありました。こんな腰の軽さでは、本気で解散命令を考えているようにも思えません。世論調査の内閣支持率急減にあわてふためき、この場をなんとか切り抜けようという魂胆が見え見えではないですか。

B 国政選挙で選挙の手助けをする見返りとして、統一教会側が自民党国会議員に対して教団の政策を推進するよう「推薦確認書」を提示し、署名を要求していたことも明らかになりました。そりゃそうでしょう、選挙事務所に教団員を無償で応援にかけつけさせ、雑務や電話応対をさせていた教団側からすれば、当然の見返りだったとも言えます。しかしこれは教会が日本の政治に影響を与えようとしていた証拠としてきわめて重要です。この事実は自民党調査では表に出てこなかったですね。自らの恥部を隠そうとしたのだと思えます。

A 統一教会と自民党議員の癒着は地方議会も例外ではありません。教団員の一票の重みは地方自治体選挙でこそ増すわけだから当然でもあります。妙なツイート発言をめぐって紛糾した小林貴虎三重県議の統一教会との深い関係はすでに明らかですが、自民党富山県連会長は10日、国会議員や県議を集めた会議で「統一教会と県内議員との関りについて調査しないことに決めた」との方針を明らかにしました。
 日刊ゲンダイDIGITALが「調査したら大混乱となり、有権者の支持を失うと恐れて、調査しないと決定した可能性がある」と書いています。こういう「臭いものにふた」というのは、政界のみならず日本社会の悪弊だと思いますが、もはや悪臭芬々、すべてを明るみに出すべきときだと思います。
 富山県では県知事や富山市長の統一教会との関係も指摘されています。これも保守王国の岐阜県では、中日新聞調査によると、県政自民クラブの19人が統一教会や関連団体のイベントに出席したと回答したようです。この種の例は各県で見られるのでは。

B 推して知るべし、でしょうね。

A 統一教会の地方への浸透ぶりを示す一つの指標として、2012年以来、地方議会で成立している「家庭教育支援条例」の広がりがあります。財団法人、地方自治研究機構の調べだと、2022年9月現在で、都道府県条例が10、市町村条例が6成立しています(表)。
 提案者は議員や市長となっていますが、各種報道によれば、提案を働きかけた人物に統一教会(勝共連合も含む)関係者の影が見え隠れしています。提案議員と統一教会の直接的な関係が指摘されている例もあります。最初の熊本県条例が成立した2012年は第2次安倍内閣が発足した年でもあります。
 これとは別に、国レベルの家庭教育支援法を制定しようとする動きがあり(野党の反対で現在は棚上げ)、全国34の地方議会が家庭教育支援法の制定を求める意見書を可決しています。ここでもたとえば熊本県や神奈川県などで統一教会の関与が指摘されています。

B これは2006年、第1次安倍政権下で実現した教育基本法改正と歩調をあわせた動きです。いじめ、登校拒否、虐待などの原因は親の責任だとして、公権力の家庭への介入をめざしています。その背景には伝統的な家族観があり、核家族、共稼ぎ、貧困家庭、不十分な福祉政策など現在の家庭を取り巻く環境は捨象したままです。ジェンダーフリー・バッシングの動きとも軌を一にしており、個人(子どもや障碍者、性的マイノリティーなど)の基本的人権への配慮が極めて希薄です。
 実はこれは自民党改憲草案に脈々と流れる考え方でもあり、安倍政権や自民党、公明党、さらには維新などの保守勢力が推進しようとしている政策を、同じ考えに立つ統一教会が支援しているとも言えます。二人三脚と言ってもいいし、政権側が統一教会の強力なエネルギーを利用し、運動の下支えどころか実質的な駆動力にしているとも言えるでしょう。

A 統一教会は2015年に世界平和統一家庭連合と改称したように、「家庭」、「家族」が教えのキーワードで、その家族観は、創始者の故・文鮮明氏を「真のお父さま」と呼び「神様の下に人類が一つの家族である世界」を理想に掲げており、自由恋愛や婚前交渉は論外、信者には合同結婚式で相手が選ばれます。社会の構成単位が個人ではなく、教主を頂点とする家族なわけですね。個人の自由をまったく尊重していない。むしろ否定している。生まれた2世へのしばりもそうですね。

B 家庭が大事だというのはその通りで、子どもの教育には親もあずかってしかるべきですね。たしかに安倍元首相のふるまいを見ていると、この「金持ちのお坊ちゃん」は家庭でどういうしつけを受けてきたのかと不思議に思うことが多かったですね。その人が家庭教育が大事だというのも不思議と言えば不思議です。
 冗談はさておき、一連の動きの背景には国や地方自治体が家庭に介入する国家統制的な考えが潜んでいます。「法は家に入らず」という格言もあり、この種の立法には慎重でなくてはいけません。
 自民党と統一教会の癒着は、選挙で協力してもらう見返りに社会的認知と広報㏚をするというだけに止まらず、もっと深いところで結びついている。もはや同根と言ってもいいでしょう。来年4月に設置予定の「子ども家庭庁」の名称は、元は「子ども庁」だったらしい。統一教会側が自らの働きかけの成果として報告しているほどです。

A 統一教会は、「山上家の悲劇」に象徴されるように、家庭を破壊しつつ、家族愛を訴える。大いなる矛盾を抱えた組織です。

・「ウツボの恐怖」と闇を払う覚悟

B 問題を広げると、自民党改憲草案と統一教会の政治組織、国際勝共連合の見解が「緊急事態」や「家族条項」などでほとんど一致していることが指摘されています。ニワトリが先か卵が先か、この辺は何とも言えないけれど、結果的に、統一教会の意向が陰に陽に最高法規にまで忍び寄ってきている感じがしますね。
 統一教会と政権与党の考えが一致しているから統一教会の影響を受けているとはもちろん言えませんが、統一教会の考えと家庭教育支援条例の内容が似ていることは確かで、自民党議員と統一教会のどちらが主導しているのかは非常にあいまいです。

A 暴力的とも言える献金などを強要していた「反社会的集団」の統一教会と政権与党が手を組んでいたと。

B 前回も言及しましたが、世耕参議院議員は「この団体の教義に賛同する我が党議員は1人もいない。我が党の政策に教団が影響を与えたことはない」と語ったけれど、語るに落ちるというか、影響を受けたのではなく、もともと同じ考えだと言うつもりでしょうか。その類似点、および相違点についても釈明してほしいですね。
 これに関連して、「文春オンライン」(9月22日)は下村博文衆院議員が政調会長時代、統一教会の関連団体幹部から陳情を受け、党の公約に反映させるよう指示を出していた疑いを報じています。統一教会の改称が認められた2015年の文科大臣は下村氏でした。

A 自民党の野田聖子・前男女共同参画担当大臣が超党派の女性議員らでつくる勉強会で、「伝統的な価値観を重視する宗教団体が自民のジェンダー政策に一定の影響を与えた可能性がある」という認識を示したとも報道されました。

B すなおに見ればこういうことだと思いますね。ここ十数年、戦前への回帰の動きが強まってきていますが、保守政治の着々とした動きの背後、少なくともその一部に、統一教会の存在があることがしだいに明らかになってきたということでしょう。
 それは安倍政治がめざしていたものであり、さらに言えば、彼が念願していた憲法改正への下準備でもあったように思われます。国会で改憲する、改憲すると言いつつ、裏ではなし崩し的な〝改憲〟状態を進めようとした面を否定できないですね。

A 自民党議員たちが選挙協力を受けることで、統一教会に隠れ蓑を貸したり広告塔になったりすること自体が大いに問題だけれど、自らの政策遂行のために反社会集団と手を組んでいる実態こそをより深刻に受け取るべきですね。まるで同じ穴のムジナではないですか。

B 自民党議員が統一教会との関係をあいまいにしようとしている真意は、どうやらそこにありそうです。冒頭でムジナならぬ「ウツボの恐怖」と言ったのは、統一教会がいつの間にか日本の深部に深く浸透してきていることへの驚きです。これが安倍政治の本質だったと思いますが、いま岸田政権はその安倍政治を踏襲すると言っています。
 この日本社会に広がる「深く暗い」闇を払うには、野党も、メディアも、私たち自身も、相当の覚悟が必要ではないでしょうか。

新サイバー閑話(62)<折々メール閑話>⑫

世襲議員の跋扈が日本政治をダメにする

A 国葬強行に加えて統一教会と自民党議員の関係清算に対するヌエな態度が岸田内閣の支持率をどんどん下げていますが、その折も折、岸田首相はわずか31歳の長男、翔太郎氏の首相秘書官起用を決めました。
 岸田首相は祖父の代から数えて衆議院議員3代目ですが、将来を見越して4代目後継を養成するためだとも言われており、日本の政治家、とくに自民党に顕著な世襲議員の跋扈、それを当たり前のように認めてきた国民の政治感覚の異常さが改めてクローズアップされています。安倍元首相も「光り輝く」3代目で、彼亡き後、家族や地元の関心は安倍後継選びだそうです。

B 日本では地方議会も含めて、2世、3世議員がけっこう目立ちます。ウィキペディアのデータをもとに、代表的な国会議員3代目の一覧を表にしてみましたが、国政の中心が3代目によって占められるという〝壮観〟ぶりです。2世まで範囲を広げると、世襲議員は野党も含めてけっこう多いですね。
A 政治をあたかも家業のように考えているのでしょうね。過去の偉大な政治家に「世襲」がいたとは聞いたことがありません。2代目3代目は政治的信念を継承するのではなく、ただ地盤と利権を継承するだけ。そもそも彼らに成し遂げたい政治的信念があるとは思えない。人望や実力がなければなれないヤクザの2代目3代目の方がまだ筋が通っていますね。もちろん、例外がないわけではない。

B 世襲議員について、日本総合研究所の寺島実郎が評論家、佐高信と行った対談『戦後日本を生きた世代は何を残すべきか(河出書房新社、2019)でこう言っています。

いま日本人が気づかなければいけないのは、続々と登場してくるリーダーが、まず政治家の2世3世ばかりだということです。日本のさまざまな現場で歯を食いしばって支えた人がリーダーになっていくのではなく、多くは家業として代々政治家をやっているからそういうものだろうというレベルでいる。そういう人たちが、政治家で飯を食っている人の大部分を占めている状況は、世界広しといえども日本にしかない。これは端的に、戦後日本の歴史が新しい方向感覚を見失って劣化しているということです。この国の政治に対する期待がどんどん低減している。

A 「家業」としての政治家が日本政治を壟断していることについて、そろそろ選挙民も考えるべきです。政治家を地盤、看板、鞄によって占おうとする報道の仕方そのものを改めないと。

B 主宰するOnline塾DOORSで、衆議院での一票の格差是正運動に取り組んでいる升永英俊弁護士の話を聞いたことがあります。なぜ国民に平等な一票を割り振る作業が進まないかというと、それは立法者である国会議員が自分の不利になるような選挙区改正に反対するからです。今の一票の不平等な制度では、国民の過半数が国会議員の過半数を選ぶというふうにはなっておらず、だから升永弁護士は日本を「国民主権国家」ではなく「国会議員主権国家」だと言っていました。
 そこで羽振りを利かしているのが地盤、看板、鞄という従来の選挙方式だから、国民の真の代表として国会議員を選ぶことができず、したがって議会の多数を占めた政党から出た総理は国民の総意とは違うものになる。
 日本の国会議員の数は人口比で見ると、アメリカの3倍とも言われています。しかも人口が減っているのに国会議員は減らない。こういういびつな選挙制度そのものを変えていくような議論、例えば議員定年や任期制限、さらには世襲制限を、現制度で選ばれた現国会議員が真剣に議論するのは難しい。ここが大きなネックです。

A 毎回、世襲議員を唯々諾々と選んできた選挙民に問題があるのも確かですね。だからこそ選挙では投票すべきだと思うけれど、若者の投票率はきわめて低い。かつて某首相が「若者は眠っていてくれた方がいい」と言ったことがありましたが‣‣‣。

・それにつけても質の悪さよ

B いまの政治家の質の低さには驚きますね。
 自民党の世耕弘成参院幹事長は6日の参院本会議で安倍晋三元首相は「教団とは真逆」の考え方の持ち主だ、と臆面もなく言ったようです。その理由が、旧統一教会は「『日本人は謝罪を続けよ』と多額の献金を強いてきた団体」だが、安倍元首相は首相時代の2015年に発表した戦後70年談話で次世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と主張しているのではないか、だから「この教団とは真逆の考えに立つ政治家だった」というわけです。
 強弁もいいところです。安倍首相は表では韓国を過度に貶める発言をしながら、あるいはそういう行動をとりながら、裏では自分の選挙に有利になる統一教会とむしろ手を組むというダブルスタンダード、恥ずべき背信をしていたわけです。表の発言を通して裏の実態を否定する世耕氏の発言は誤り、というよりきわめて悪質なものです。世耕議員も祖父が衆議院議員です。

A これを正面から反論しない国会も情けないが、それをそのまま報じるだけのメディアもどうですか。世耕議員は「この団体の教義に賛同する我が党議員は一人もいない。我が党の政策に教団が影響を与えたことはない」とも語ったようです。それにはさすがに本会議場でどよめきが起きたらしいが、それを報じたオンライン上の記事では<インターネット上では、『ズバッと言ってくれてすっきり』と評価するコメントがある一方、「『我が党に一人もいない』とか寝言を言ってた」、「自民党の政策、改憲草案は、統一教会の教義と一緒ですが!偶然とは言わせませんよ」との声もあった>とネットの発言を紹介するだけで終わっている。ここはきちんと事の本質を指摘すべきだと思いますね。

B 寺島実郎は『シルバー・デモクラシー』という本では、「現下の日本で、政治で飯を食う人たちと向き合えば、その人間としての質の劣悪さに驚く。戦後日本の上澄みだけを吸ってきた愚劣で劣悪な政治家・指導者を拒否する意志、この緊張感が代議制民主主義を錬磨するのである」とも言っています。先の本ではこういう話も紹介していました。
 幕末の幕臣、勝海舟がアメリカに行ったとき、帰国後、老中にどうだったか聞かれて、「あの国では賢い人が上に立っています」と答えた。国父ともいうべきジョージ・ワシントンの子孫はどうしているかと聞いても、だれもが「さあ、どうでしょうか」としか答えられなかった。勝は驚きつつ「民主主義とはこういうものか」と思ったというんだが‣‣‣。

A 政治家の責任、倫理ということで言うと、なぜ山際大志郎経済再生担当相はいまだにやめないのか。

B それについては、文芸評論家の斎藤美奈子が12日の東京新聞「本音のコラム」で面白いことを書いていました。

これだけやり込められたら普通なら自分から辞めるだろうし、そうでなければ首相が引導を渡すはずだが、何のお咎めもなし。そこで思い出したのが海抜より低い国、オランダの堤防で水漏れを発見して、その穴に自分の腕を突っ込み、我が身を犠牲にして国を守った少年の話である。少年が手を抜いたらたちまち堤防が決壊する。それと同じで、他の統一教会がらみの議員に〝類〟が及ぶから手を抜くわけにもいかず、必死で頑張っている。しかし、もう「栓は限界だ。諦めてはどうか」と。

 山際議員はだれのために頑張っているのか。もちろん国民のためではなく、仲間の自民党議員を守るためです。改めて調べてみたら、同議員は世襲議員ではない。東京大学大学院を出た獣医学博士です。本コラムで取り上げた<⑨まともな人間を育てない「教育」>の成果というか、犠牲というか。現在の政治の退廃が世襲議員を減らせばすべて解決といかないこともまた事実ですね。

A れいわ新選組が進めている来期統一地方選に向けての候補者募集では、それこそ「まっとう」な人材が応募してほしいですね。ここから新しい政治家が生まれることを祈りたいです。