新サイバー閑話(130)<折々メール閑話>71

「政治的無関心層の突然の反乱」=参政党支持

 B 参院選における参政党躍進は、現在日本の政治状況の混迷を浮き彫りにしました。参政党に投票した人、比例区で言えば740万余票はどんな人びとなのか。
 これについて若手評論家の古谷経衡氏は「人生で初めて投票に行く『無関心層』が中心で、保守とリベラルの対立構造や与野党の違いすらあいまいで、報道や外国人が増えたという何となくの実感から無自覚なゼノフォビア(外国人嫌悪)を抱いた人びと」だとし、740万余票の内訳を、元々の支持者200万票、投票率が6ポイント上がって生まれた600万票の4~5割に当たる約300万票、自民からの離反組が100万票、これに加え、れいわ新選組が本来獲得すべきだった100万票強」と具体的に推測しています(AERA DIGITAL&日刊ゲンダイデジタル)。

A 総務省調べでは現在の有権者数は1億424万余票。ざっと1%100万人の計算ですね。れいわの票が100万票食われたというのは、我々の実感とも重なりますね。

B この「参政党に投票した無党派層」は、前回も言及しましたが、年齢的には10代から40代、さらに50代も含めた若年層で、彼らの多くはいままで既存選挙制度の枠外にいたわけですね。それが今回、政治の世界になだれ込んできた。既存政党の支持者だけで票を分け合っていた高齢者中心の選挙制度は、はっきりと終わったと言えそうです。自民、公明、立憲、共産の不振がそれを物語っています。
 ここで浮き彫りになった人びとは、既存の政治システムからだけでなく、社会的にも非正規雇用やパート勤務だったり、経済的な理由で結婚を諦めていたり、日本経済の長い停滞の中で今後の生活に不安をいだいていた層だったと思います。その彼らの票をなぜ参政党が掘り起こすことに成功したのか。

A 地道に地方組織を育てて集会+ネット発信で支持者を拡大してきたとか、ポスターなどのビジュアル作戦に長けていたとか、いろいろ言われているようですが、なんと言っても大きかったのは、「日本ファースト」のスローガンでは。

B ユーチューブ大学の中田敦彦は「参政党とは何か」という動画で、「参政党はこれまでの政党のように思想先行型ではなく、感情訴求型の政党だった」と興味深い指摘をしています。参政党は泣き叫ぶ子どもに寄り添う母親のように、あるいは不満をぶちまける彼女をなだめる彼氏のように、ただひたすら弱者の声に「寄り添って」きた。コロナワクチンは怖いという人に「そうだね」と言い、外国人が日本を破壊しているという人に「何とかしようね」と声をかけ、生活が苦しいという人に「減税を勝ち取ろう」とやさしく寄り添った。事実の真偽や具体的政策はあまり深く追求せず、ただひたすら人びとの不安や恐怖に寄り添ってきた。だから参政党の主張には思想的な一貫性がないし、いいとこ取りのところもあるが、それが奏功した要因ではないか、と。
 ここには30年余の日本経済の低成長が大きく影を落としています。いま50代の人でも高度経済成長時代やバブル経済を実感として知りませんし、日本が世界No.1とはやされたなどは、まるで夢物語の世界です。この間、国力は衰え、海外での日本の地位は低下、日本人としての羽振りも悪くなった。神谷宗幣代表も若いときに世界を歩いて、そのことを痛感したと言います。給料が上がらず、結婚もできない人々の不安を、これまでの自公政治は、野党の無策も含めて、ほとんど解決しようとしてこなかった。そして、「投票に行くより眠っていてくれた方がいい」(森喜朗前首相)と選挙制度、さらには政治の外側に放置してきたわけです。その放置されていた人びとが、今回、参政党という蜘蛛の糸につかまって、政治の世界になだれ込んできたということではないでしょうか。

A その萌芽は古くは維新の躍進だと思いますが、この流れが顕著になったのは、昨年の都知事選における石丸(伸二)ブームであり、衆院選における国民民主党の躍進だった。

B これまでの政治の貧困のつけが回ってきたとも言えるが、今回顕在化した人びとの群れを何という言葉で表現するのがいいのか。市民とか人民とか呼ぶには、明快な政治的意見を持っているとは思えないし、民衆、庶民というには、生活に密着した知恵(歴史に培われた良識)から引き裂かれているように思えます。大衆に一番近いかもしれないが、彼らはあまりに孤立している。多くは新聞もテレビも見ず、ただスマホを通じてSNSだけで情報を集め、それに瞬間的に反応しているように見えます。何らかの組織に帰属しているというより、むなしく宙(インターネット)に浮いている感じだから、群衆という感じもしない。参政党の憲法構想案からは臣民という言葉も浮かんでくるが、本人たちもまさか臣民になりたいとは思っていないでしょう。「政治的無関心層の突然の反乱」をうまく表現するのはなかなか難しい。
 ここで思い浮かぶのは、彼らが完全なデジタル世代だということです。インターネット元年と言われた1995年からすでに30年。1995年生まれの人が30歳、当時若者としてインターネットに親しんでいた人はすでに50代になるわけです。私はIT社会を生きる基本素養としてサイバーリテラシーを提唱し、サイバー空間登場以前をBC(Before Cyberspace)、それ以後をAC(After Cyberspace)と分けていいほどに、インターネットは人類の思考、感性に大きな影響を与えると考えています。年長者には想像するのは難しいけれど、「政治的無関心層の突然の反乱」→参政党支持=デジタル世代の行動様式、という図式がなりたつのではないでしょうか。
  はっきりしているのは、彼らがこれまでの政治の犠牲者であるということです。ここ数十年の日本の政治、あるいは教育が生み出してきた新しい人物像です。彼らは理屈で政党を選ぶのではなく、自分の感情のままに、今の苦難に風穴を開けてくれそうな参政党に票を投じた。古い秩序が硬直化し、新しい世代を教育し、秩序の中に包摂することを拒否してきたがために、その犠牲者たちがいま反乱を起こしたというのが一番近い説明のように思われます。
 保守思想家の中島岳志氏は、保守の伝統的思考は「うつろいやすい大衆」と「良識に依拠した庶民」を明確に区別して、「健全なデモクラシーは『庶民』の伝統的英知・社会的集合知によって支えられるべき」ものだと考えてきたと述べています。だから彼らを保守と呼ぶのはまるでふさわしくない。われわれは「庶民の英知」をわきまえた人という意味で、折にふれて「まっとうな人間」という言葉を使ってきましたが、彼らがまっとうだともちょっと考えにくいですね。

A 現代社会では教育そのものが変質し、まともな人間を育てなくなっていますが、今回の参政党の「躍進」は、それとはまた別の「空虚さ」というものを感じさせますね。

B そうです。社会が彼らを育てた。と言うより、育てなかったからこそ、彼らは反乱を起こしたという側面がありますね。そこで、れいわ新選組です。れいわは結党以来、政治の外に置かれてきた人びとに政治への参加を呼びかけ、選挙のたびに既成政党と一線を画して、「みんなで政治を変えよう」と訴え、着実に議席数を伸ばしてきました。れいわこそ、古い政治に風穴を開け、若者を中心とした無関心層を掘り起こし、新しい政治を樹立したいと懸命に努力してきた政党だったわけで、実際、前回衆院選では9議席を獲得する躍進ぶりでした。山本太郎代表をはじめとする、いまや結構の人数になった国会議員たちの活動で、ようやく風穴が開きそうになったところを、まるで似て非なる政党にトンビに油揚げをさらわれる如く、無党派層のかなりの層をさらわれたということだと思います。
 だから、参政党に流れた無関心層をどうれいわの側に取り込んでいけるかをあらためて考えていかなくてはいけません。有権種の6%に当たる人が今回投票したわけで、それはそれで大きな前進、プラスです。その票の行き先を参政党かられいわに向けることこそがいま大事なのだと思います。
 国会地図で言うと、リベラル勢に入る日本共産党、立憲民主党、社会民主党は今回も伸び悩み、あるいは退潮を余儀なくされました。これをどう立ち直すべきかも大きな課題だと思いますが、我々としては、なぜメディアや識者はれいわのやろうとしていることをきちんと認識し、報道しないのかと思いますね(^o^)。

A 参政党から学ぶべきこともあるようです。参政党が結党以前から続けてきた地方組織網です。その組織作りに元共産党員が活躍したということですが、参政党の地方組織は政治家(議員)ではなく党員中心の組織らしい。2025年8月4日現在。都道府県議会議員8人、市区町村議会議員155人を擁してもいるようです(ウイキペディア)。

B 参政党の「日本ファースト」という考え方は、トランプ大統領のMAGA(Make Amerika Great Again)と同じですね。ヨーロッパでもEUを離脱したイギリス、ドイツの右翼政党躍進など、保守回帰は世界的潮流でもあります。
 ともかくも8月1日、臨時国会が開かれ、今回参院選で当選したれいわの伊勢崎賢治、木村英子、奥田ふみよ(芙美代)の3氏が高井崇志幹事長とともに登院し、国会前で意気込みを語ったあと、支持者も交えて記念撮影していました。
 われわれとしては、今後のれいわの活躍を一層期待したいと思います。