林「情報法」(2) 

「群盲象を撫でる」と「木を見て森を見ず」の微妙な差

 「情報法の現状」を端的に表す格言を上げるとすれば、「群盲象を撫でる」が一番良いのではないかと、かねてから考えていました。そこで、最初の原稿においては、この言葉を使っていたのですが、書きながら「言葉の使い方に厳しい世論を考えると、避けた方が良いかも」という逡巡を少しは感じていました。

 本書編集者の鈴木クニエさんは、更に厳しい見方をされていたようで、最初の校正段階で「木を見て森を見ずでは、いかがでしょうか?」とやんわり提案されてしまいました。私も上記のような感触を持っていましたので、安全策をとることになりましたが、出版後になっても「やはり当初案で行くべきだったのでは?」という気持ちを捨てきれないでいます。その心は何でしょうか。自問自答してみましょう。

 私がもともと「群盲象を撫でる」に親しみを感じたのは、「健常者にはゾウの全体像が見えるが、盲者には見えない」という意味でも、「(健常者であっても)視野が狭い人には全体像が見えない」という意味でもありません。私たちは誰でも「目が曇っている」ので、「全体を把握するには相当の努力を要し、通常は多くの人の多様な視点の分析を総合しないと全体像にならない」というのが実態だと思えたからです。

 それを「木を見て森を見ず」に代えてしまうと、「誰もが限界を持っている」という見方が抜け落ちてしまい、「部分に拘泥する人は全体が見えない」という側面だけが強調されることになってしまいます。つまり「立派な人には全体像が見えるが、そうでない人には無理だ」という、認識者のレベル差を前提にした表現になります。これを更に「井の中の蛙大海を知らず」と替えると、その差はますます広がっていくでしょう。

 つまり「群盲象を撫でる」の場合には、人は皆「群盲」であること、すなわちハーバート・サイモンが言った「限定合理性」(Bounded Rationality)しか持ち合わせていないことを前提にしているのに対して「木を見て森を見ず」の場合には、「木も森も見る」ことが出来る人は存在し得ること、にもかかわらす一般人にはそれができないことを前提にしているように思えるのです。

・ひとはみな「郡盲」である

 こうした視点は、法学の場合特に大切なように思われます。というのも、法律は原則としてあらゆる国民に平等に適用されるものですから、誰もが「合理的な判断ができる個人」(a reasonable person)であることを前提に、その平均値(an average reasonable person = ARP)を基準に判断しているからです。例えば、自動車事故を起こした時の責任を論ずる場合は、「平均人にはこの程度の注意義務が期待されている」という尺度を使って、過失のあるなしが判断されます。

 これは大量の法的処理(この例では、交通事故に関する裁判)が必要で、かつ近代法の大前提である「個人の平等」を旨とする限り、維持すべき大原則のように思われます。確かにその側面はありますが、矢野さんのライフワークである「サイバーリテラシー」の視点から見ると、リテラシーに著しい差がある個々人を「平均値管理」することの問題点も浮かび上がってきます。そして何よりも、「人は合理的な判断をする」という仮説そのものが疑わしくなっています。

 社会が高度化・複雑化を遂げた現代では、判断の合理性が疑われる事例が多くなっています。専門分野においても「日光浴は大切だ」と言っていたのが「紫外線は健康に悪い」という見方に変わり、「タバコは嗜好品の代表」と思われていたのが「タバコは百害あって一利なし」に近い理解になったのは、ここ半世紀以内のことです。つまり「常識」が覆される事例が増えており、私たちは「合理的な判断ができる」ほど優秀ではなく、「誤り易い個人」(an error-prone person = EPP)と捉えた方が、事実に近いのではないでしょうか?

 このように考える私は、有体物の世界では「ARP 仮説」が有効かもしれないが、情報を扱う分野では、「EPP 仮説」を部分的に組み込まないと、法体系として欠陥を内包することになるという懸念を捨てきれません。そして、ここまでの含意をも使う格言としては、やはり「群盲象を撫でる」しかあり得ないように思います。

 このような考えをする人が、法学以外にもいるのではないかとネット検索をしたところ、倉田祥一朗氏が葛飾北斎(北斎漫画第8編)の教えのとおり「一つの大きなことを理解するためには、多様な視点から見ることが大事であることを教えていると理解している」(倉田祥一朗「科学屋」)と述べている文章がありました。

 このような見方からすれば、「群盲象を撫でる」の方が「人は皆限定合理性しか持ち合わせていない」という平等主義で、「木を見て森を見ず」の方が逆に「全体が見える人と部分しか見えない人がいる」という差別的な表現だとも言えそうです。ただ、ネット上の論争を見ていると、このような冷静な議論は望むべくもなく、「群盲象を撫でる」=差別発言として切ってしまわれそうです(炎上するかもしれません)。

・「YAHOO ! 知恵袋」と「教えて! Goo」

 しかし半面で、ネット上の反応は意外に冷静かもしれません。「YAHOO ! 知恵袋」のベスト・アンサーに、次のようなやり取りがありました。

rsvp878さん2006/9/13 09:31:25
「群盲象を撫でる」という慣用句は差別的であるため使ってはならないのでしょうか?

 ベストアンサーに選ばれた回答
kanariakajinさん 2006/9/13 10:39:34
「群盲象を撫ず」「群盲象を評す」「群盲象を模す」ともいいます。
意味するところは、平凡な人が大事業や大人物を批評しても、その一部だけにとどまって全体を見渡すことができないことです。
元来は、人々が仏の真理をなかなか正しく知りえないことをいったものです。
このような意味を思えば、差別的な部分はありませんので「盲」という語はあっても、使用に差し支えありません。

 次に、2つの格言の差について、「教えて! Goo」というサイトのやり取りを見ておきましょう。

質問者:yanku質問日時:2001/02/08 00:15回答数:6件
「群盲象をなでる」ということわざがあります。
多くの盲人が象を撫でて、それぞれ自分の手に触れた部分だけで巨大な象を評するように、凡人が大事業や大人物を批評しても、単にその一部分にとどまって全体を見渡すことができないことです。
同じような意味のことわざを探しています。
日本のものでも、外国のものでも、どちらでもOKです!

 No.5回答者: martinbuho#2 回答日時:2001/02/08 08:04
もっとも近いのは[木を見て森を見ず]でしょう。英語からの意訳といわれます。
(You cannot see the forest for the tree.)
群盲という言葉は差別用語の危険があり、この諺も使いづらい世の中になりましたので、少し意味は違いますが、木を見て・・を使われたらいいと思います。諺は時とともに応用(用例)が変るものです。昔は盲人を大切にして、生計が成り立つように一種の特権が認められていました。(目明きが同じ職に就けないなど)従って、盲人の中にはそれを悪用して庶民を困らせるものもいたといいます。群盲・・の諺には、庶民が日ごろのうっぷんを晴らす気持ちが込められていたようです。
凡人は大人物の心は分からないと解釈するのは拡大解釈ではないでしょうか。その意味なら[燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや](えんじゃくいずくんぞこうこくの・・)がぴったりです。ツバメやスズメに大鳥の心など分かるもんかといった意味です。

NO.6 回答者: earlybird 回答日時:2001/02/08 18:41
「木を見て森を見ず」なら、ドイツ語に、このような言い回しがあります。
“den Wald vor lauter Baeumen nicht sehen” 意訳すると「目の前の木々ばかりにこだわって森が見えない」といったところでしょうか。

 しかし、いわゆる『いいね』に類するマークはNo.6 に2つ付いていますが、No.5を含め他の回答には1つも付いていない点が気になっています。情報法の特質の1つに「不確定性」という性質がありますが、ある格言を使うか否かや、ある格言と同値とされるものが本当にそうであるかについても、かなりの「不確定性」がありそうです(この言葉については、拙著の重要なタームの1つですので、いずれ本稿で議論する予定です)。

 

『牛泥棒』 (1943年 米)

牛泥棒 [DVD] kikです。先日、会社の下りエレベーターに乗ったら、ものすごく臭かったんです。それはもう、卵の腐ったような強烈なニオイでした。他に乗ってる人がいなかったので、たぶん上階で降りた人の忘れ形見だろうと、息を止めて我慢してました。

 ところが、次のフロアで別の社員たちが乗ってきたんです。しかも女性ばかり。誰もが無言でしたが、僕に非難の目が向けられたことは、ハッキリと感じました。痛いくらい。その場では何も言えなかったけど…

冤罪だからな!

 てことで、今回は冤罪(えんざい)に関する映画。

  1800年代後半のアメリカ西部、オックス・ボーとい小さな町(なので原題は『Ox-Bow INCIDENT』)が舞台。牧場主殺害と、牛泥棒を疑われた3人の男が、自警団に捕まります。無罪を訴える彼らですが、町の大多数が(怒りと正義感から)私刑を支持。正式な裁判を経ず、彼らは縛り首となります。しかしその直後、町の人々は、彼らが無実だったことを知るのでした…うわぁ…てな話。

 まあ、冤罪というテーマはドラマになりやすいので、昔から演劇や映画でよく扱われてきました。いわゆる「法廷モノ」の定番ですね。
 ただし、本作は法廷モノというより、前出『M』同様、群集心理の怖さを描き、『正義とは何か』を問いかける、より骨太な西部劇です。実話がベースの なんともやるせない話ですが、アカデミー賞候補にもなった名作。終盤にヘンリー・フォンダが読み上げる手紙が、ドスンと胸に響きます。

 現代では、さすがに私刑で縛り首…は聞かなくなりましたが、替わりに(?)「スマイリーキクチ中傷被害事件」のような、新たな形の冤罪が生まれています。そうした事件や、ネットで他人の非を執拗に難じている人たちを目にすると、本作で無実の男たちを吊し上げていた自警団を思い出します。インターネット時代になっても、人間の本質的な弱さ、愚かさ、恐ろしさは変わらないんですな。

 て、他人事みたいに言ってますが、多数派に属しているだけで、なんとなく自分が正しい気になったり、正しさへの過信から、集団の中に絶対的な正義が生まれてしまう状況って、日常生活の中でもありえますよね。エーリッヒ・フロム言うところの「匿名の権威」は、いつの時代もを支配してるんです。たぶん。

 しかも現代では、仮に冤罪が晴れたとしても、疑われたという事実がネット上に(ほぼ永遠に)残りますからね。二次被害というか、自分に非がなくても、ずっと嫌な思いをしなくちゃなりません。「忘れられる権利」が一般的な権利として、社会に浸透するのはいつの日なんでしょうか。

 そして願わくば、過日エレベーターに乗り合わせた女性たちの記憶から、僕が忘れられることを祈ります。

 だって、冤罪だもん。

監督 ウィリアム・ウェルマン
出演 ヘンリー・フォンダ 他

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『M』(1932年 独)

M (エム) CCP-271 [DVD]  ども。最近、政治家のスキャンダルが(呆れつつも)面白くて仕方ない kik です。今のところ、2017年1番のヒットは、ピンクモンスターこと、豊田真由子衆議院議員の「このハゲーーーッ!」絶叫。全国の薄毛の人を敵に回しましたよね、あの人。
 ちなみに友人があの音声をメールに添付してきたんですが、間違って電車内で再生しちゃって、一瞬死ぬかと思いました。そういうイタズラ、良くないです。

 ネット上では、そうした炎上騒ぎが次々起きていますが、中にはイジメというか、集団私刑(リンチ)を思わせる行為も目につきます。誹謗中傷を浴びせたり、個人情報を晒したり、更にはもっと直接的な行為に及んだりと、それ自体が犯罪に近い行為ってのは、どう考えてもやり過ぎ。義憤に駆られての行為なんでしょうが、それらが集団で行われるとなると、もはや集団私刑以外のなにものでもありません。後から「そんなつもりはないんですぅ~~♪」と歌っても許されません。

 1931年に製作された本作でも、連続幼女殺人事件の犯人が、犯罪者集団や一般市民の手によって追いつめられていきます。
 ちなみに犯罪者集団が犯人捜しをするのは、警官が町をうろついてる状況が迷惑だから。割と自分勝手な理由だったりします(少なくとも当初は)。

 まあ、警察が見つけられない犯人を、市民が協力して探しだす。それ自体は、何の問題もありません。
 でも、群集が地下室で人民裁判を開き、その場で犯人を処刑…となれば、話は別です。しかも犯人は「少女を見ると殺さずにはいられなくなる」という(映画史上初の)性的異常者なので、問題は更に複雑に。

 凶悪事件の犯人が精神鑑定によって刑事責任を減免されることに関しては、(少年犯罪と並んで)今なお議論がありますから、(心情的には)この群集を理解できる人もいるかもしれません。
 しかし、映画は人民裁判の様子を犯人の視点で展開していきます。これこそ本作の主眼なんですが、そこで観客が目にするのは、怒りと憎しみ、そして義憤に我を忘れ、醜く歪んだ群集の顔、顔、顔…。何より恐ろしいのは、その顔の中に自分自身を発見しちゃうことです。

 本作の本来のタイトルは、『殺人者は我々の中にいる』。ナチ批判と疑われてタイトルを変更しましたが、この『M』とは、MURDER(殺人者)の頭文字を指します。
 また、監督自身の説明によれば、我々の掌には、誰にでも『M』に似た手相があるとのこと。そう、我々は誰であれ、Mになる可能性を持っているわけです。実際、Mへの怒りや恐怖、時に正義感によってすら、我々は暴徒=殺人者(M)に変わり得ます。ネットの集団私刑も根本的には同じですが、匿名性によって、より無意識に暴徒側になりやすい。つまるところ、(これは今思いついたんですが)、『M』は、MAN(人間)の頭文字なんですよね。怖い話です。

 ちなみに監督は、前出『メトロポリス』撮影後、ナチスから逃れてアメリカに亡命した、天才フリッツ・ラング。

 ちなみついでに言うと、本作のモチーフ(というかアイデアの一部)になったのは、1920年代初期にドイツ全土を恐怖に陥れた、ペーター・キュルテン、ゲオルグ・カール・グロスマン、フリッツ・ハールマン、カール・デンケといったシリアルキラー(連続殺人犯)たち。第一次大戦直後のドイツに、なぜこれほど多くのシリアルキラーが出現したのか、といった話も興味深いんですが、それはまた別の機会に。

監督・脚本 フリッツ・ラング
出演 ピーター・ローレ 他

小林「情報産業論」(1)

「情報産業論」とその時代(1)

10年近くにわたり、毎年、梅棹忠夫の「情報産業論」を読んでいる。ここ数年は、毎年、2度ずつ、非常勤で出講している大学で、学生たちと。何度読んでも、何かしら新しい発見がある。学生たちに教えられることも少なくない。「情報産業論」を読むことを通して、ぼくが得たことどもについて、書き綴っていきたい。「情報産業論」そのものについてはもちろんだが、梅棹忠夫が、「情報産業論」を書いた時代についても、また、ぼくが「情報産業論」に出会った経緯についても、触れることになるだろう。

「情報産業論」は、まごうことなく情報と社会との関わりを論ずるときに欠かすことのできない、古典中の古典だ。しかし、どのような古典も、いや古典となって受け継がれる文章だけではなく、あらゆる文書が、ある時代精神のもとで書かれ、書かれた時代と同じと否とにかかわらず、ある時代精神のもとで読まれる。そして、時代を超えて読み継がれてきた文書のみが、古典となる。

ぼくは、「情報産業論」がどのような時代に書かれ、ぼくが「情報産業論」を読んでいる時代がどのような時代なのか、ということについてもどうしても書いておきたい。「情報産業論」を読み継いでいくであろう、次の世代のささやかなよすがとなることを願って。

・それはどんな時代だったか

「情報産業論」を論ずるためには、自ずから「情報産業論」そのものの引用が不可欠となる。引用には、手元の中公文庫『情報の文明学』(1999年4月18日発行、2010年7月15日第7刷)を用いる。最初の引用は、梅棹本人による解説。

一九六二(昭和三七)年晩秋、わたしはこの「情報産業論」という論文を執筆した。これは『放送朝日』の翌年の一月号に掲載された。『放送朝日』のこの号には、関連する問題をめぐって、大宅壮一氏ほかの諸氏との座談会が掲載されている。
その直後、中央公論社から転載のもうしでがあり、わずかに手をいれたものが、そのまま『中央公論』の三月号に掲載された。ここには、『中央公論』掲載のものを採録した。一九八九(平成元)年になって、この論文は『中央公論』六月号の巻末付録「『中央公論』で昭和を読む凹」に再録された。それには関沢英彦氏による解説が付されている。(p.38)

ときに、梅棹42歳。助教授として大阪市立大学で教鞭をとるとともに論壇でも刮目される気鋭の研究者だった。

このころ、1951年産まれのぼくは、まだ、小学生。「情報産業論」を知るのは、ずっと、後になってのこと。しかし、ぼくも、梅棹と同じ時代の空気を吸い、肌に感じていた。

だれもが、記憶している時代の記憶がある。例えば、三島由紀夫の自害、浅間山荘事件、サリン事件など。そして、その記憶の多くは、映像とともに、その情報を自分が得た場所の記憶と深く結びついている。

このころの、ぼくの記憶といえば、何と言っても、1964年の東京オリンピック。そして、少し遡るが平成天皇明仁の皇太子としての婚姻。

ちょっと、年表風に書き出してみよう。

1956年:大阪朝日放送開始
1958年:『女性自身』創刊
1958年〜1959年:ミッチーブーム
1960年:時の内閣総理大臣池田勇人、所得倍増論を発表
1960年:カラーテレビ本放送開始
1963年:『女性セブン』創刊
1963年:通信衛星によるJFK暗殺画像の送信
1964年:東海道新幹線開通
1964年:東京オリンピック

今の平成天皇明仁が皇太子として、正田美智子嬢と結婚したのが1959年、その前年には、光文社から『女性自身』が創刊され、ミッチーブームを牽引し、週刊誌ジャーナリズムの時代を画した。長く対抗誌となる小学館の『女性セブン』創刊が1963年。

「情報産業論」初出誌の栄誉を担った『放送朝日』誌を発行していた大阪朝日放送がテレビ放送を開始したのが、1956年。1960年には、カラー放送を開始している。

そして、1964年の東京オリンピック。ぼくは、中学生となり、ブラスバンド部の活動に夢中になっていた。皇太子成婚の際に、団伊玖磨によって作曲された祝典行進曲や、古関裕而作曲のオリンピックマーチなどの小太鼓パートは、体に染み込んでいた。自宅の洋間に鎮座していたカラーテレビでオリンピックの入場行進を見ながら、体が自然にリズムを刻んでいた。そんな時代だった。

しかし、メディアの歴史という意味で、何よりもこの時代を象徴するのは、 東京オリンピックでの衛星中継の下準備として行われたアメリカからの送信テストの際に送られてきた、ダラスにおけるJFK暗殺その瞬間の映像ではなかったか。幾度となく繰り返し放映されたJFK暗殺の瞬間の映像は、脳裏に焼き付いている。

1960年に時の首相池田勇人が発表した所得倍増計画。東京オリンピック直前に開通した東海道新幹線。

ぼくが、大学に入学した1970年の万国博覧会は、所得倍増計画の掉尾を飾った。そして、1950年の朝鮮戦争に始まる日本の敗戦後の復興と経済成長は、1990年のバルブの崩壊まで続くことになる。

梅棹忠夫が「情報産業論」を書いたのは、そんな時代のまっただなかだった。

林「情報法」(1)

執筆のご挨拶

 今回、旧友矢野さんのサイトをお借りして、この2月に上梓した『情報法のリーガル・マインド』(勁草書房)のその後の展開を「つれづれなるままに」、つまり不定期に、分量も定めず、しかも「その日の気分の赴くままに」書いても良いという、願ってもないお申し出を喜んでお受けすることにしました。

 私のこれまでの経験では、1冊の本を書き終えた後は虚脱感に襲われ、自著を素材にして次の文章を書く気にならない、つまり「少し休憩」したいところです。しかし今回は、やや異質の経験もしているので、矢野さんのオファーを素直にお受けする気持ちになりました。今回も「売れない本」を書いたことに変わりなく、少しでも売り上げを伸ばそうと、こちらからお願いして小グループの読書会的な会合を幾つか設定していただきましたが、その延長線上で学会のミニ・シンポジウムとして、この本を取り上げていただく企画が進んでいるからです。

 情報ネットワーク法学会の研究大会 (11月11日・12日、名古屋大学) の分科会の1つとして、偶然今年の2月にほぼ同時に発売された、松尾陽(編)『アーキテクチャと法』(弘文堂)と水野祐『法のデザイン』(フィルムアート社)に拙著を加えた3つの著作を俎上に上げて、多角的な議論を展開しようとする企画です。

 実は、これら3著に先行して1年前に出た、曽我部真裕・林秀弥・栗田昌裕『情報法概説』(有斐閣、2016年1月刊)や、上記企画のコーディネータである成原慧『表現の自由とアーキテクチャ』(勁草書房、2016年6月刊)を加えると、少なくとも「情報法」に関連する分野が、それ以前とは比較にならないほどのホットな話題になっていることだけは、疑いありません。

 このような変化の原動力は、言うまでもなく情報通信技術(ICT)の驚くべき進化と、それと裏腹の「法学の立ち遅れ」への気づき(awareness)でしょう。法学は、ことが起きてから(事後的に)対応するのがこれまでの伝統でしたが、ICTがドッグ・イヤーで進展を続けるとすれば、「事前的」(proactive)な対応を考えざるを得ないからです。これらの書物に共通する、アーキテクチャとかデザインという言葉は、事後対応で良ければ出てくるはずのない言葉で、そこに法学者の「あせり」と同時に、「何とかしたい」という気概も見て取ることができそうです。

 折角執筆の機会をいただいたので、11月の学会までは、その準備作業として検討する事項をリアル・タイムでお伝えし。分科会以降は、その模様を事後検証することで、とりあえず「その日暮らし」の本稿の、おおまかな予定としておきましょう。

 

『メトロポリス』(1927年 独)

メトロポリス 完全復元版  (Blu-ray Disc) ども。某酒席で、「サイバーリテラシー的な問題点って、映画じゃ昔からテーマになってるんですよねー」なんて言ったら、(当サイト主宰者から)「じゃあそれ書け」と命じられた kik です。余計なこと言わなきゃ良かった…。

 まあ、そんなこんなで始まった当コラム。 『映画史に見る~』なんて仰々しいタイトルも頂いちゃいましたが、要は、古い映画をサイバーリテラシーにこじつけて…もとい、サイバーリテラシー的な視点で、(極私的に)考察してみようという気楽なコラムです。気楽にお付き合い頂ければ幸いです。

 さて。いきなりですが、どんなテクノロジーも諸刃の剣なんです。

 て、いきなり大上段に構えてみましたが、実際そうだと思います。インターネットだって、使い方によっては自由とか民主主義を拡散するテクノロジーになり得ますが、同時に、それらを阻みたい権力者にとっても便利なツールになりますからね。
 そして、テクノロジーを効率的に使うことに長けているのは、いつの時代も、権力者側じゃないのかな、と。

 SF映画黎明期の傑作として知られる本作でも、テクノロジーが、使う側の意図次第で、いかようにも変化することが描かれています。裕福な支配者階級と、貧しい労働者階級に二極化した未来社会で、支配者が用いるテクノロジーアンドロイド=マリアでした。ちなみにマリアは、アンドロイドだけど見た目は超美人。さすが権力者、その辺(どの辺か知りませんが)よく分かっていらっしゃる。労働者たちは、たちまち虜になります。

 権力者側の目的は、マリアを使い、ストライキを企てている労働者たちの団結を崩すことでした。今で言うところの情報操作ですね。インターネットなんてない時代から、権力者ってのは情報をコントロールしたがるもんです。
 しかし、マリアを作った科学者の真の目的は、階級闘争を扇動し、国家に混乱をもたらすことにありました。今で言えばサイバーテロですね。高度なテクノロジーってのは、悪意を持った技術者が一人いるだけで、エラいことになります。
 かくして、マリアに扇動された労働者たちは、やがて暴徒と化して街を破壊していきますが…。
 
 映画史的に見どころの多い本作ですが、個人的にモヤモヤしたのは、暴動によって自らの子どもたちを危険にさらした労働者たちが、支配者階級の青年に助けられる終盤シーンでした。青年が悪の科学者を倒し、支配者階級と労働者階級を和解させる…というエンディングは、どうにもスッキリしません。だって、階級格差はちっとも解消されないんだもの。

 その原因は、本作監督(フリッツ・ラング)の妻であった、テア・フォン・ハルボウの脚本のせいです。ラングは労働者側の勝利で終わる話にしたかったんですが、ハルボウは当時、ナチス思想に傾倒しており(それが原因でユダヤ人のラングとは離婚)、支配者階級をエリートとして礼賛こそすれ、一方的な悪者として描く気はなかったわけです。

 彼女に限らず、昔から映画はプロパガンダとして使われてきました。それは現代も変わりませんが、この時代は特に露骨というか、各国の権力者が、映画を「国策宣伝」のために利用していました。つまり、当時は映画こそが、最新のテクノロジーだったわけですね。

 ちなみに、本作に登場する映画史上初の(そして映画史上最も美しい)アンドロイド=マリアは、後に『スター・ウォーズ』のC3-POのモデルになったことでも有名です。(Kik)

監督 フリッツ・ラング
出演 アルフレッド・アベル 他