『M』(1932年 独)

M (エム) CCP-271 [DVD]  ども。最近、政治家のスキャンダルが(呆れつつも)面白くて仕方ない kik です。今のところ、2017年1番のヒットは、ピンクモンスターこと、豊田真由子衆議院議員の「このハゲーーーッ!」絶叫。全国の薄毛の人を敵に回しましたよね、あの人。
 ちなみに友人があの音声をメールに添付してきたんですが、間違って電車内で再生しちゃって、一瞬死ぬかと思いました。そういうイタズラ、良くないです。

 ネット上では、そうした炎上騒ぎが次々起きていますが、中にはイジメというか、集団私刑(リンチ)を思わせる行為も目につきます。誹謗中傷を浴びせたり、個人情報を晒したり、更にはもっと直接的な行為に及んだりと、それ自体が犯罪に近い行為ってのは、どう考えてもやり過ぎ。義憤に駆られての行為なんでしょうが、それらが集団で行われるとなると、もはや集団私刑以外のなにものでもありません。後から「そんなつもりはないんですぅ~~♪」と歌っても許されません。

 1931年に製作された本作でも、連続幼女殺人事件の犯人が、犯罪者集団や一般市民の手によって追いつめられていきます。
 ちなみに犯罪者集団が犯人捜しをするのは、警官が町をうろついてる状況が迷惑だから。割と自分勝手な理由だったりします(少なくとも当初は)。

 まあ、警察が見つけられない犯人を、市民が協力して探しだす。それ自体は、何の問題もありません。
 でも、群集が地下室で人民裁判を開き、その場で犯人を処刑…となれば、話は別です。しかも犯人は「少女を見ると殺さずにはいられなくなる」という(映画史上初の)性的異常者なので、問題は更に複雑に。

 凶悪事件の犯人が精神鑑定によって刑事責任を減免されることに関しては、(少年犯罪と並んで)今なお議論がありますから、(心情的には)この群集を理解できる人もいるかもしれません。
 しかし、映画は人民裁判の様子を犯人の視点で展開していきます。これこそ本作の主眼なんですが、そこで観客が目にするのは、怒りと憎しみ、そして義憤に我を忘れ、醜く歪んだ群集の顔、顔、顔…。何より恐ろしいのは、その顔の中に自分自身を発見しちゃうことです。

 本作の本来のタイトルは、『殺人者は我々の中にいる』。ナチ批判と疑われてタイトルを変更しましたが、この『M』とは、MURDER(殺人者)の頭文字を指します。
 また、監督自身の説明によれば、我々の掌には、誰にでも『M』に似た手相があるとのこと。そう、我々は誰であれ、Mになる可能性を持っているわけです。実際、Mへの怒りや恐怖、時に正義感によってすら、我々は暴徒=殺人者(M)に変わり得ます。ネットの集団私刑も根本的には同じですが、匿名性によって、より無意識に暴徒側になりやすい。つまるところ、(これは今思いついたんですが)、『M』は、MAN(人間)の頭文字なんですよね。怖い話です。

 ちなみに監督は、前出『メトロポリス』撮影後、ナチスから逃れてアメリカに亡命した、天才フリッツ・ラング。

 ちなみついでに言うと、本作のモチーフ(というかアイデアの一部)になったのは、1920年代初期にドイツ全土を恐怖に陥れた、ペーター・キュルテン、ゲオルグ・カール・グロスマン、フリッツ・ハールマン、カール・デンケといったシリアルキラー(連続殺人犯)たち。第一次大戦直後のドイツに、なぜこれほど多くのシリアルキラーが出現したのか、といった話も興味深いんですが、それはまた別の機会に。

監督・脚本 フリッツ・ラング
出演 ピーター・ローレ 他

“『M』(1932年 独)” への3件の返信

  1. kkkkkkkkkkkkeeeiiiiikkkkkkkkkkkkeeeiiiii

    政治家スキャンダルといえば、例の森友の公文書書換問題、また朝日の暴走の線が濃厚になってきましたね。
    現状を要約すると、朝日の記者がうろ覚えで文言が違うと言っていた文書、そもそも文書が違うということらしいです。そりゃ文言違うでしょうよ。
    これもマスコミはちゃんと報道しないんだろうな・・・それで街頭インタビューでっち上げて、政府の支持率印象操作するんでしょ。もうパターンが見えてます。

    それで本題ですが、この記事がアップされて今まで、映画そのものを勘違いしてました。
    「M?ああ、アレね…ヒッチコックのやつ」くらいの認識で読んでたのですが、監督名で違和感を覚えつつも、生来の聞き流し体質がかつてのファンタジスタ、ロナウジーニョのノールックスルーパスを彷彿させるがごとく、あるいはスペインのマタドールが闘牛の突進を華麗に躱すがごとく、まあとにかくサラッと流してました。
    まあ、「ダイヤルM」のほうも、Mにマーダーの意味を被せてましたので、9回裏2死満塁ギリギリセーフといったところでしょうか?先攻ですけど。(駄目じゃん)

    そういえば、桂正和の同名タイトルの漫画を思い出しました。
    発表当時は何のこっちゃ?とかなり、相当、思いっきりガッカリしたのですが、今思い起こすとかなり深いギミックがあったのだと感じます。
    我々は誰しも「M」になる可能性を秘めている…確かに怖い話です。
    (真剣に読んでる方、漫画見て怒らないでね)

    でも、中途半端よりはガッツリ背中とか踏まれるほうが気持ちよかったりしますからね、我々は誰しも「M」になる可能性を秘めているんです。SじゃなくMの可能性を!(そっちじゃねーよ)

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  2. KikKik 投稿作成者

    > 例の森友の公文書書換問題、また朝日の暴走の線が濃厚になってきましたね。

    うーん。そうでしょうか。財務省は、朝日が「書き換え前」と報じた「契約当時の決裁文書」の存在を、完全に否定してはいませんね。公文書改ざんを否定できない(否定しない)というのは、実は大問題です。事実なら公文書管理法違反なので。本件に深く関わっていたとされる近畿財務局の職員が昨夜、自殺したことで、更に疑惑が深まりました。そしてつい先ほど、佐川国税庁長官も、ついに辞任を発表しました。ここまできちゃうと、認めたようなものかと。言葉では決して認めないんでしょうけど。

    一方の朝日も、(件の文書を)「確認した」としか発表しておらず、(そういう表現の場合)手元にはないようで、いまいち決定打に欠けます。まあ、財務局、大阪地検、あるいは検察事務官からのリークで、資料は返却したというのが一番ありそうなパターンですが。伝統的に権力に厳しい社会部のスクープでしょう。

    マスコミ不信は、マスコミ自体が招いた部分が大きいのでしょうが、「マスコミの信頼度」と、「権力を厳しく監視する」こととは別です。マスコミ憎しで、権力側の言うことをそのまま信じていると、ろくな事にならないのは歴史が証明しています。思想の左右は自由ですが、権力を持った側の行動は厳しくチェックするという方針は、マスコミに限らず、民主主義国家として正しい在り方のようにも思います。
    マスコミ側も反省点は多いですが、我々も、ネットの一部の声(声の大きい人達が「多数派」に見えてしまうネットの特徴)に惑わされないよう気をつけましょう。(実際、フェイクニュースはネットの中にこそ多いので)

    ファクトチェックが、もっと進むといいですね。
    https://www.buzzfeed.com/jp/daisukefuruta/fake-vs-fact-check-in-japan?utm_term=.kp47eQ1lG#.rtlQKz2Eb

    ところで、「そもそもの文書が違う」というのは、自民党の和田政宗参院議員が自身のブログで疑問を呈した件ですか?

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  3. kkkkkkkkkkkkeeeiiiiikkkkkkkkkkkkeeeiiiii

    私が知ったのは毎日の記事ですが、ルーツは和田氏のヤツみたいですね。
    で、私はコメントを書いた後に職員の自殺を知り、その後、佐川国税庁長官の辞任が報道されました。
    まさにタイムリーな話題です。これこそ朝日新聞社を証人喚問して、事実関係をはっきりさせるべきなんじゃないかと思います。(もしかしたら、そういう動きがあるのかも知れませんが、現段階、私は聞いたことがないので)
    私は基本的に、マスコミの発する情報に対しては常に疑いを持って見てますが、だからといって権力側が正しいとも思ってません。
    真実が白日の下に晒される事を望むばかりです。まあ、多分ないでしょうけど。

    ファクトチェックは昨今、特に言われるようになりましたね。
    急務だと思いますが、そのチェック体制そのものの信憑性を考えると、急造ではあって欲しくはないなとも思います。
    その在り方自体に納得できるものをシッカリ作って欲しいですね。

    返信

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