古藤「自然農10年」(10)

2家族にドラマチックな暮らしを聞く

 天文学的数字とはもっぱら宇宙の数字と思っていたが、足元にもそのような数字の世界があるそうだ。地球に住む微生物の総数は10の30乗とされ1の後に0が30個つく。1京が10の16乗だから想像を絶する数字だ。その種類は、森林土壌1g中の存在数から控えめに見積もっても地球に10億種が存在し、そのうち人類が正確に把握している種は0.0005%に過ぎないという。(札幌・産業技術研究所 鎌形洋一氏)

 中国の武漢で始まった肺炎の集団感染が新型コロナウイルスによるものと分かった日(2020年1月9日 新華社通信)から大騒動が続いているのも未知への恐怖心がベースにあるからだろう。細菌、ウイルスなどこれらの微生物に含まれる炭素量は地球上の全植物が取り込み固定している炭素量にほぼ匹敵しているそうだから、地球の気候環境にも深くつながっている。

 川口由一さんが耕さない農業へ転換したのは、耕さない田畑の方が豊かなことに気づいたからである。彼が微生物の天文学的数字に言及したことはないし、多分そこまでは知らなかっただろう。慧眼というほかはない。気候変動を防ぐという点でも自然農は最も進んだ農法といえる。

 この1月、糸島で開かれた福岡自然農塾で自然農を実践する2家族に「その暮らしと生き方」を聞く機会があった。ともにドラマチックな人生の軌跡だった。

石黒夫妻(右側のふたり)と中村夫妻

・電気、ガス、水道のない30年

 風の盆で知られる富山市八尾の棚田と山林に囲まれた一軒家で暮らす石黒完二さん(63)は、その師を超える自然農に徹した暮らしをしている。石黒家は電気、ガス、電話も水道もない。自然農だけの暮らしを30年続ける。本やウエッブでも紹介されることの多い自然農の有名人だ。

 ランプの灯りと薪ストーブだけの調理、シャワーがない五右衛門風呂にたらいを持ち込んで洗濯する生活を妻の文子さん(61)が紹介した。息子4人と娘1人の義務教育も自給自足で、両親が先生になった。小中学校はそれを認めて無償の教材と卒業証書を届けている。

 長男は漁師、次男は大工、今年20歳の末っ子はゴルフ場勤務とみんな大好きな道に進み、自分たちより上手な社会人ぶりに両親は安心している。厳冬は雪に埋まる暮らしだったが、家族が力を合わせて自給自足を分担、いっしょに学び遊んだ日常は苦労より楽しい記憶ばかりが残ると話した。

 完二さんは長身で筋肉質、自信満々に響く声は大きく、口元には黒いひげ。妻の倍の1時間余を費やして彼が語ったのは30年たっても師から諭された「絶対界に立つ大安心の境地」になかなか立てきれないという内省の言葉ばかり、自慢話は一つもなかった。

 狭い庭の虫や自然だけを眺めて命と宇宙を描ききったとされる画家、熊谷守一のように、川口さんも自然農で野菜や人の命を見つめ続け、そこで得た宇宙観から自然の営みに寄り添って暮らす自然農の生き方を説いた。

 私たちが認識する宇宙、森羅万象は自然の力によって生じた現象であり、大事なのはその奥にあるすべての現象と命を存在させ巡らせている力、その宇宙本体、本源を体感する絶対界の境地に立つことである。そうすれば、個々別々でありながらすべての命が一体でつながり、自分がいかに大事な存在であるかを確信する安心の境地に立てる。それが川口自然農の教える生き方と宇宙観、「絶対界に立つ境地」である。

 石黒さんは大阪のサラリーマン暮しに飽き足らず、有機農業を目指して愛知に住む文子さんに巡り合い、川口さんの田畑に感動して今に至るが、川口さんの宇宙観は完二さんにとって最初は外国語の様に聞こえた。頭では分かっているが、まだまだ体で納得できているわけではないと、会場でも話した。

・阪神淡路大震災が転機

 同じ学びの会に招かれた中村康博さん(61)も元はごく普通の会社員暮らし。妻の洋子さん(53)と西宮のマンション5階に住んでいた25年前、阪神淡路大震災に遭った。もろくも一瞬に崩れた都会暮らしに2人とも環境や生き方に関心を向けるようになった。震災から4年後、洋子さんに連れられて初めて赤目を訪れた康博さんだったが、川口さんの田畑に感動して熱中したのは彼の方だった。

 黙々と取り組む姿が信頼を得たのか2年でスタッフに加えられた。体調を崩して歩けない川口さんを車で運んでいたある日、赤目自然農塾の代表を自分に代わってほしいと突然に告げられて頭が真っ白になった。7年前のことである。

 「あのー」、「ええっと」、「自然農に出会って生き方に納得と安心感を得ました」。石黒さんより時間がかかる話し方で、毎月開く1泊2日の見学会を一人で主宰する大役を何とか頑張って自分も成長したい、そのために相手の話を聞くことに心をくだいていると語った。

 長女が生まれたのを機会に会社勤めもやめ、川口さんの田畑から遠くない棚田に移住して自給自足の暮らしである。だから石黒さん同様ほとんど無収入だが、中学生になった娘も加わって昨年は家族3人の稲刈りだったと喜ぶ。

 中村さんと石黒さんの周辺には彼らを慕って自然農の仲間たちが集まってくる。地上の命と同じように地中の微生物にも寄り添う2人だが、たとえ新型ウイルスに寄りつかれたとしても、うまく共存するだけで、絶対負けることがない人たちだ、と私は妙に確信している。

 なお福岡自然農塾にはウエブもある。興味のある方はのぞいてみてください。

 

 

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