東山「禅密気功な日々」(16)先生に聞く④

瞑想は緊張感をほぐしていく過程

杭州・西湖の夕陽(中国合宿の際に撮影)

 瞑想・意識・気感についての基本をお聞きします。

――瞑想という訓練法には、色々な呼び方がありますが、坐禅という名前が一番知られています。坐禅は、その訓練法の足を組んで動かないという形から、その名がつきました。

 坐禅は日本でも盛んに行われています。私も鎌倉の建長寺や報国寺の日曜坐禅会に何度か参加したことがありますが、報国寺の坐禅会は本格的で、朝7時から始まりますが、みんな6時ごろには集まり、境内の清掃から始めます。報国寺は竹寺としても有名な美しい寺です。本堂での修行のあとにおかゆが出され、初心者は和尚さんから法話を聞きます。「健康を守り、老化を遅らせ、若返りもめざす」で紹介した「いいと思うことを心を込めてくりかえす」という言葉もそのとき聞いたものです。坐禅歴何十年という〝猛者〟もたくさんいて、「最近になってやっと坐るということがわかってきた」なんて言っていました。

――瞑想では、訓練の時の体内の微妙な状態を強調します。この微妙な状態というのは、体内外の感覚が薄くなり続けて、他の微妙な感覚が浮かんできます。
 その状態には5つのポイントがあります。

①一つの物事に集中することにより、外部からの刺激を受け取らないようにします。
②体内の眠気と雑念の刺激が相次いで浮かんできます。瞑想の状態ではなるべくその刺激も受けないように努力します。
③顕在意識を活発にしないようにしていると、徐々に、空あるいは無というような感覚が浮かんできます。
④そのうち「喜ぶ、楽しい、良いなあ」という気持ちが浮かんできます。
⑤その時、寝ているようで、寝ていない状態になって、「夢うつつ」、「まどろむ」、「半分眠っている」、「半分スッキリしている」と言う状態になります。

 瞑想は緊張感がほぐれると同時に、気が活発になり、新陳代謝が良くなり、免疫力が高まる効果があります。

 坐禅は只管打坐(しかんたざ)、ただひたすら無念無想をめざすけれど、瞑想はある一つの事柄に意識を集中することで、やはり雑念から解放されるという理解でよろしいか。

――本来ならば坐禅は瞑想と同じで、名前が違うだけです。坐禅は形の方を強調し、瞑想は意識を訓練することを強調しています。いまの坐禅は形を細かく強調して、中身の訓練はあまりないように思います。私達の瞑想法は伝統の法を継承して、これを重視します。それが5つのポイントです。

 ストレスを抱えることで、体の生理機能である免疫力や新陳代謝の働きをかえって阻害しているような気がします。「カエサルの物はカエサルに」、生理機能に介入しないように努力していますが、これがなかなか難しいですね。
 瞑想と意識の関係は?

――瞑想という訓練法は意識を使って行います。人間の意識もまたエネルギーであり、このエネルギーは他のエネルギーをコントロールできるという大きな特徴があります。それで、意識を「気の中の気」とも言います。意識が分散された状態が雑念、意識の集中した状態が意念または念力です。意念は内部に、念力は外部に向けられます。

 意識には顕在意識と潜在意識がありますね。顕在意識が潜在意識に突き動かされることもありますし、顕在意識が潜在意識を不当に圧迫することもあります。閉じ込められた潜在意識はときに爆発する。夢として現れることはフロイトが〝発見〟しました。瞑想は顕在意識を鎮めることによって潜在意識を解き放つ、そのことで心身の健康を回復するということでしょうか。

――そうです。そのときは雑念を抑え込もうとするのではなく、むしろ解き放つ。無為夢想というのはそういう状態です。

 先生は「気感」という言葉もお使いになりますね。これは気とは違うわけですね。

――気感とは、瞑想中の微妙な気の感覚のことです。瞑想する時、身体がリラックスしてきますが、この変化を感じるのが気感です。私は練習の間に緊張感がほぐれる時の変化だと考えています。瞑想は緊張感をほぐしていく過程です。その時の「ほぐす」はイコール変化で、この変化を気感というわけです。例えば、痙攣を感じたり、身体が大きくなったり小さくなったり、身体が無くなるような感覚がでてきます。光や物体が見えるような感覚もそうですね。

 坐禅・瞑想中に上半身、とくに胸部に強い膨張感を感じることがあり、密処のうずきや胸の膨張感を感じると身体全体がほぐれ、気分もよくなります。

――この気感は、流派により、幾つかに分かれます。
 道家系では、気が任脈、督脈という小周天(しょうしゅうてん)に沿って回ります。密家系には、気を身体の真ん中、中脈に沿って流していきます。
 禅密気功では、功法によりさまざまな気感が生じます。背骨を動かすという基礎功法では背骨に絡んで気を蛇のように流しています。陰陽合気法・天地部では涼しい気と暖かい気が流れます。吐納気法では、外部の大自然の気を呼吸と合わせて体内に入れたり、流したりします。慧功法では内、外の気と一体になる、といったように、いろいろな練習法があります。
 禅密気功の瞑想では八触(はっしょく)という気感を強調しています。この辺はのちに詳しく述べますが、「動」「痒」「軽」「重」「涼」「暖」「粗」「滑」があります。

 そのいくつかは実際に感じているように思いますが……。

――意念と気感(微妙な気の感覚)の関係は以下のようになります。

意守気現:意念を置いて動かさない(雑念を起こさない)と様々な感覚が現れてきます。
意随気行:現れた気を動かすと、意念がついていきます。
意領気行:意念を先に動かして、意念で気を導引します。
意気合一:これは意と気が一体になることです。

 この辺は実践なしに感じることは難しいですね。そのために禅密気功では本部道場で各種の功法を練習したり、瞑想会を開いたりしています。

 江戸川橋は禅密気功のメッカですね(^o^)。

――本部道場では各種功法の専門コースの教室を開いていますが、春秋に行う「気の瞑想会」は全4日間の日程です。朝10時から午後7時まで、昼食や昼寝の時間以外は瞑想三昧です。何事もそうですが、一定期間、特定の練習に打ち込む時間をもつということが大事なんですね。必ずしも4日全部参加する必要はなく、1日でもいいのですが、やはり4日間の練習を受けた後は効果が違います。

 日本禅密気功研究所の本部道場は地下鉄・有楽町線の江戸川橋駅近くです。第1回で先生に神田川沿いの桜を撮影していただきました。地蔵通り商店街は昔懐かしい雰囲気を漂わせています。
 専門コースや瞑想会のほかにも、秋には合宿をしていますね。私も湯河原や山中湖の合宿に参加したことがあります。またときどき中国合宿も行われています。2007年の黄山、2009年の蘇州・上海合宿に参加しましたが、黄山合宿には名うての気功士が多数参加し、たいへん貴重な経験をしました。

――今年(2020年)4月にも中国気功研修旅行を企画していましたが、残念ながらコロナ禍で中止しました。

・光の瞑想、色の瞑想

 先生は光の瞑想、色の瞑想ということを言われています。実際、瞑想しながら彗中を通して無限の空を見るようにしていると、全体が明るくなったり、青、黄、赤、白などいろんな色が見えたりしますね。銀河のようだったり、線香花火のようだったり、オーロラのようだったり、色のあざやかさにはびっくりします。

――瞑想のポイントとプロセスを整理すると、身、気、光、意、心になります。

身の練習:動功で、主には有酸素運動です。これは体質改善に良いです。
気の練習:肉体の身体を変えて気の身体になる感覚です。これは身体の病気を抑えるのにいいです。
光の練習:瞑想中の光や光景を整えることです。これは心の病などを治すのに良いです。
意の練習:スッキリした意識の状態になることです。人生観を高めます。
心の練習:愉快な穏やかな気持になることです。人生がより楽しくなります。

 これで気とは何か、禅密気功とは何か、体を揺らすことや瞑想の功徳などについて、ひと通り初歩的なことをお聞きしました。しばらく間をおいて、次回シリーズでは動功について、その基本である築基功をはじめとして、各種功法についてお聞きする予定です。コメント欄や私へのメールで、ご感想や今後、先生に聞いてほしいことなどをご連絡いただければ幸甚です。

東山「禅密気功な日々」(15)先生に聞く・番外編

瞑想と免疫力とコロナウイルス

 折しも4月8日から、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象に新型コロナ特別措置法に基づく緊急事態宣言が発令され、対象地域ではいよいよ外出自粛や運動施設などの休業要請が強くなっています。すでに禅密気功の本部教室や鎌倉教室に通い、ある程度、気功がどういうものかわかっている方は、この期間も自宅などで練功に励んでください。

 またせっかく禅密気功に関心を持っていただいたのに、しばらくは教室に通えない方のために(鎌倉教室も4月いっぱいお休みです)、それまでの準備として、以下の動画を見ながら、禅密気功の概要を知っていただければ、と思います。コロナ禍が落ち着いたら、お会いしましょう(^o^)。

 疑問点などありましたらakira☐cyber-literacy.comまで。また朱剛先生のご承諾を得て、先生が「会報105号(2020.3)」に書かれた「瞑想と免疫とコロナウイルス」という原稿をここに転載しておきます(一部字句修正)。冒頭の一文には重い意味があると思います。

瞑想と免疫力とコロナウイルス

 コロナウイルスについては、人類がこれから反省して大自然との関係をもう少し調和しなくてはならない機会なのだと思います。

 それよりも目の前のコロナウイルスについて我々はどうやって乗り越えていけばよいのでしょう。これから禅密瞑想とコロナウイルスとの関わりを述べたいと思います。

 中国ではコロナウイルスが爆発的に感染拡大すると同時に、自分達の功法を練習すると感染しない、あるいは治癒するという一部の流派がでてきました。ある漢方を飲むと治癒するという人もいます。でも現時点ではその効果については確実な医学的データはありません。このウイルスについて現在分かっているのは、特定の人間がかからないということはないですし、反対に誰でも感染する可能性があります。ですが、一般的には若年層、基礎疾患のない元気な人たちは、感染しても軽症で、風邪と同程度の軽い症状で収まっています。

 私たちが練習している禅密瞑想は、体質を改善するので抵抗力と免疫力のアップにつながります。禅密瞑想は動功と静功の両方を大事にしています。この動功は背骨を通して全身を動かす運動です。この運動は内臓をマッサージして内臓の新陳代謝を活性化しますし、有酸素運動ですから体質を改善することができて抵抗力と免疫力をアップします。瞑想すればこのコロナウイルスをどこまで減らせるかというデータはありません。人道的にもこの実験は許せないでしょう。

 しかしある実験では睡眠を7時間以上とる人と5時間以下の人では、風邪の罹患率が異なるという結果が得られました。7時間以上睡眠をとる人の方が罹患率が低いです。瞑想は睡眠よりも体に良い影響を与えます。

 背骨の運動はできれば30分以上続けましょう。そうすると全身の細胞まで活性化されます。瞑想の時は、内在の気、光、心を大事にして練習しましょう。

 コロナウイルスに特効薬はまだありませんが、このウイルスと戦う時に、様々な症状がでてきても、健康で丈夫な人は軽症で乗り越えられます。そうなるためにも私達も禅密瞑想(動功と静功)をもつと頑張つて練習していきましょう。

東山「禅密気功な日々」(14)先生に聞く③

気をなめらかに動かす

朱剛先生の気功三部作

 気功には動功と静功があり、動功の基本功法が築基功ですね。その具体的練習法はのちに詳しくお聞きしますが、その基本中の基本、体内の気を「なめらかに動かす」ことについてお聞きします。

――気は体内の総合的なエネルギーです。このエネルギーを活性化するための練習が気の練習、気功になります。中国では気功イコール瞑想です。80年代は気功という言葉が多く使われましたが、現在では禅修(瞑想)という言葉の方が多く使われています。この瞑想に動功と静功があるわけです。
 動功の流派はたくさんありますが、各流派には秘密の動き方(動功)があって、この動功に従って練習すれば、秘密のエネルギーを動かすことができると言っています。しかしながら各流派の動功をみると、それらの共通点は秘密の神秘的な動きではなくて、有酸素運動です。
 有酸素運動は血液中の酸素濃度を高め、全身の組織、細胞、内臓器官に、より多くの酸素濃度の高い血液を送ることができます。有酸素運動をすると、運動中の酸素の消費と供給のバランスが良くなり、同時に体内の新陳代謝も良い状態になります。有酸素運動の特徴は、運動の強度は強くないけれど、長時間継続して行えることです。これは健康にとって非常に優れた方法と言われています。

 日本でふつうに有酸素運動というと、歩いたり、泳いだり、エアロビクスをしたり、という感じですが、動功もまた効果的な有酸素運動ということですね。

――禅密気功の動功は背骨の運動法で、名前は築基功といいます。築基功は背骨を通して全身を動かす動功です。この運動の特徴は、普段こりやすいところ、例えば首、肩、背筋、腰を動かすことです。

 背骨を前後、左右に動かし、あるいはひねる――、ただこれだけの運動だけれど、その効果はすばらしいと日々、実感しています。身軽に動ける服装だけしていれば、何の道具もいらないのが大いなる利点です。屋内でも戸外でも、さして場所も取りませんし……。外出自粛が叫ばれる今日このごろ、自宅で築基功に励みましょう(^o^)。

――背骨運動法の他のメリットは脳髄液の循環に刺激を与え、内臓をあんまして、新陳代謝が良くなることです。背骨の前に動脈があり、背骨を動かすことによって、動脈が動くので、循環器に良い刺激を与えることができます。

 背骨がポイントですね。動かし方にはコツがあり、激しく、力を入れるのではなく、ゆっくり、なめらかに動かすと。

――築基功という背骨運動法は背骨をゆっくり柔らかく、大きく持続して繰り返し動かします。この運動法により気持ちを落ち着かせることができて、より愉快でリラックスした気持ちになります。

 教室では「円緩軽柔」と教わりました。全身を蛇のように動かす、あるいは波のように動かすとも言われますが、リラックスのためには気持ちをゆったり持つことが大事ですね。先生は「彗中を開いて無限の空を見る」ことを勧めておられます。私は与謝蕪村の俳句を思い出したりしています。

春の海ひねもすのたりのたりかな
菜の花や月は東に日は西に

――築基功には、肉体的な運動だけではなく、気を流す方法も含まれています。体を動かすことで体内の気も動かすわけです。背骨を動かす時に、単に背骨を動かすだけではなく、気を動かすように意識して練習すると、身体の重力が無くなって、気の世界にふわふわと浮かんでいるような気持になります。そういう訓練をすると、心を整える効果がより高くなります。

 先生はよく、「白く、ねばっこい気を動かす」ともおっしゃいますが、たしかに気には粘りがあるようですね。

――一方、静功は狭い意味での瞑想のことで、基本的に大事なポイントは外部の刺激を受けないようにして、微妙な感覚を追求して見守ることです。静功を練習していくと、心身の奥、芯までリラックスさせることができます。
 現代社会は生活リズムがすべて早く、イライラして病気になることが多いです。「病は気から」という言葉がありますが、気持ちから病気になることも多いですね。静功では瞑想を通して、心の緊張感、傷をほぐして、病を治し、元気になることができます。皆さん忙しいので、瞑想の時間を取るのはいよいよ難しくなっていますが、こういう時代こそ瞑想は重要です。瞑想は農業時代から伝わってきた素晴らしい養生法です。これからも続けて伝えられていくと思います。

 これは「禅密気功な日々」で書いたことですが、『ホモ・デウス』、『サピエンス全史』という世界的ベストセラーを書いたイスラエルの歴史家、ユヴァル・ノア・ ハラリはヴィバッサーナ瞑想の修行を十数年続けており、1日2時間の瞑想をしていると言います(『21 Lessons』、河出書房新社)。『ホモ・デウス』の謝辞では「(ヴィパッサナー瞑想の)技法はこれまでずっと、私が現実をあるがままに見て取り、心とこの世界を前よりよく知るのに役立ってきた。過去15年にわたってヴィパッサナー瞑想を実践することから得られた集中力と心の平安と洞察なしには、本書は書けなかっただろう」と書いています。

・練習は一つの生き方、一つの生活

 ――瞑想という練習をより効果的にするには、日々の生活、生き方も大事です。例えば暴飲暴食を避け、早寝早起きを心掛け、社会の誘惑はたくさんありますが、自分の意志でそれを避け、規則的でシンプルな生活を守ることが大切です。なるべく無意味なトラブルを避けましょう。
 瞑想をすると、どうやって人生をより良く過ごすかということを考えます。もちろん、生活の経済的な安定は必要です。ですがそれだけはなく、その上に穏やかな気持ちを持っていれば、一番良い人生になるのではないかという考え方が出てきます。
 瞑想すると良い気持ちが浮かんできて、それを見守ると非常に幸せになります。だから練習の体験と日々の生き方をあわせると、練習していない時も練習と同じ気持ちになります。人生は総て練習です。

 修行ですね。私もすでに禅密気功十数年、練習には限りがないというか、日々の練習がすなわち新しい発見でもあります。江戸幕府の基礎を作った徳川家康は「人の一生は、重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし」と言いましたが、まさに人生は死ぬまで永遠に続く道を歩み続ける修行で、気功は取り組むに不足のない(?)、それにふさわしい功法だと思っています。

――練習は一つの生き方、一つの生活です。

 気には、「外気」と「内気」があり、それは常に交流していると言われますが、体のどこを通して往来しているのでしょうか。

――気はエネルギーのことで、外と内の区別は実はありません。一般的には皮膚の外は外気、内は内気と言っていますが、気はそんなふうに分かれているわけではありません。
 しかしながら練習する時は、たしかに基礎としては、先ず体の中の気を養う、充実させて、そのあと外の気を取り入れて一体感をめざします。内気と外気の交流の仕方は、流派によりそれぞれ功法があります。私達の功法では5つの入り口を通して、気を交流させています。

 5つの入口とは?

――密処、天頂、彗中、手のひら、足のうらです。

  密処は身体の真ん中の一番下、肛門と生殖器の真ん中。
  天頂は頭の真ん中の一番上のところ。
  慧中はひたいの、第三の目と言われるところ。
  手のひらは中央やや上、指の付け根の労宮(ろうきゅう)と言うツボの辺り。
  足のうらは土踏まずの前の方、湧泉(ゆうせん)と言うツボの辺り。

 とくに手のひらと彗中を通して交流させることが大事です。もっと練習すると気が身体全体を通して、入ったり出たりして、しだいに外と内、関係なく一体になります。

 たしかに手のひらは大事なようですね。日本語には「手当て」という表現もありますし、患部に手をかざして傷をいやすといったことは日常的に行われています。鍼灸で言うツボも交流のポイントみたいですね。先生は教室で両手を近づけて指の間を往来する気を見る〝実験〟を披露してくれたこともあります。「天然の気」という言葉を聞いたことがありますが、これはどういう意味ですか。

――一番自然なエネルギーという道家の考え方です。例えば、大自然のエネルギー、生まれたままの赤ん坊のエネルギーのことです。

 先生は外気治療(外治療)もおやりになりますね。会報などを読むと、外気治療のおかげで胸椎骨折の痛みが消えたとか、手術の前後に治療を受けたら痛みも少なかったし予後もよかったとか、いう報告があります。
 体内の気を活性化し、それを外気と交流させながら、まさに自然とともに生きていくのが気功ですね。

 

東山「禅密気功な日々」(13)朱剛先生に聞く ②

伝統文化に息づく気

鎌倉教室の練習風景

 中国の道教、仏教、儒教にも気と関係する教えがあるということは、気が伝統文化の中に息づいていることを示しています。そこで重視されるのが瞑想ということですか。

――中国の三大伝統文化としての仏教、道教、儒教について、私はこれをそれぞれ仏家、道家、儒家というふうに呼んでいます。仏教は宗教で教祖、礼拝、偶像、人を集めるための宣伝がありますが、仏家は宗教と関係なく、仏法を実践する流派という意味です。道家、儒家も同じで、宗教と関係なく、本質を実践する流派と言っていいでしょう。
 もちろん仏教と仏家は時として重なっています。と言うのは宗教家であっても同時に実践していたり、実践しながら宗教の活動も行っていたりするからです。道教、儒教も同じです。私が言いたいのは、気や瞑想は宗教と関係なく、実践する仏家、道家、儒家のほうに密接に繋がっていることです。

 私たちが習う気功は禅密気功、すなわち仏教の禅宗、密教に深く関係しているわけですね。

――仏家で大事なことは仏になるように実践することです。仏についてはいろいろな説明がありますが、一番基本で大事なことは、悩みが無い、あるいはいは執着しない気持ちの状態にいることです。これが瞑想の基本です。
 基本的には、まず気持ちを落ち着かせ、穏やかな気持ちを追求し、それを見守るようにします。それが習慣になると、生活、性格にまで影響が出てきます。
 イライラして物事に対する感覚と、穏やかな気持ちで物事に対する感覚は違います。仏法を通して練習する人はその違いが分かります。これからの人生をどう生きていくかが分かるということですね。あるいは世界観、人生観が変わってきます。
 これをまとめると

 ①実践すると気持ちが愉快に(絶対ではなくて根本的に)なる。 
 ②物事に対する考え方、認識が異なってくる。

 ①を「明心(みょうしん)」といい、②を「見性(けんしょう)」といいます。あわせて「明心見性」(仏教用語)です。
 ②の観点からすると、気持ちの持ち方により、万事万物に対する感覚も異なってきます。良い気持ちになるということが第一で、その時、万事万物に対して感じた感覚は根本的な感覚です。自分の認識している宇宙はその感覚(感情)から始まってその感覚(感情)に戻ります。これは瞑想につながっています。

 瞑想については、後に詳しく聞いていきますが、簡単に説明するとどういうものですか。

――瞑想すると、微妙な感覚が浮かんできて、体内のエネルギーが活発に、元気になるだけでなく、気持ちも落ち着いてきます。これは仏法の基本の大事な功法です。瞑想を外れると愉快な気持ちが浮かんできません。もちろん、仏家の思想と合わせて瞑想すると仏になるというか、愉快な気持ち、悩みがないという状態に達します。

 日本では一般に仏教と仏家、道教と道家というふうな区別はしないので、以下、仏教、道教というふうにお聞きしていきますが、道教の道(タオ)と気の関係は深いように思います。

――道家の道も同じで、見ても見えないし、聞いても聞こえないし、触っても感じませんが、どこにでも存在すると考えられています。
 現在の言葉で言えば、道はエネルギーです。もう一つの意味は大自然の規則です。道家の修行者の目標は「得道(とくどう)」です。その意味は大自然のエネルギーを十分に利用して、大自然の規則に従って生きることです。それも瞑想と繋がっています。瞑想する時、普段の生活にない微妙な感覚が浮かんできて、身体が元気になります。その現象は道のエネルギーという性質と繋がっています。瞑想すると気持ちが穏やかになって物事に対して柔軟になります。生き方として無理なく、自然に従っていくことを追求するようになります。

 儒教はどうですか。

――2000年前に800年間続いた周朝が崩れ、幾つかの国に分かれ紛争が起きた時、儒家の思想が生まれました。儒家の思想は礼儀を重んじ、崩れた天下をよくするために貢献しました。外側の礼儀を正しくするには、まず内側の人格を高めることを大事にすることです。この人格を高める5つのポイントは「仁、義、礼、智、信」です。その中で一番基本になるのは「仁」で、この「仁」の基本的な意味の一つは善です。「仁」を求めるために気持ちを鍛えなくてはなりません。この鍛えることについて大事なことは瞑想することです。
「仁」を得るために「浩然(こうぜん)の気を養う」という孟子の言葉があります。この「浩然の気」は無限のエネルギーあるいは気という意味であると同時に、広い気持ちを持ちます。養うということには、心を整えて瞑想をすることも含まれています。

 ブリタニカ国際大百科事典によれば、浩然の気とは「人間の内部より発する気で、正しく養い育てていけば天地の間に満ちるものとされる。また、道義が伴わないとしぼむとされ,道徳的意味を強くもつ概念である」と説明されていますが、これが先生の言う「広い気持ち」ですね。

――三国時代の蜀の国の諸葛孔明は大儒(儒家の実践者)と認められています。孔明が息子に伝えた有名な言葉で「静以修身(心を落ち着かせた「平静」の状態で修身すること)」があります。これも瞑想と同じです(「君子の行うは、静以て身を修む、倹以て徳を養う」)。

・子どものころ十大形を学ぶ

  伝統武術も気を重視しますね。

――私は十大形(じゅうだいけい、「心意拳」の別称)という武術を学んだことがあります。この武術は三つある「内家拳」という流派の一つで、中国で最も有名です。後の二つは太極拳と八掛拳です。十大形の特徴は実際の格闘の際に強力だと言われています。私の体験では時代が変化して今の中国伝統の武術は他の格闘術と比べて実際に格闘することがあまりなく、弱まっている可能性があると思いますが、まだ魅力はあります。 
 というのは練習する時、力がどこから発生して流れているかという体内の感覚を追求しながら練習しているからです。意識を集中することが瞑想や伝統文化と繋がっています。
 武術の中に気の練習もあります。これは、気力の流れの練習です。瞑想の時の気の流れる感覚とは違いますが、意念を使って練習することは同じです。武術では、気は意念に沿って流れています。
 車の運転で、左折と思うのが先で、それにつれて操作が無意識的に行われるのと同じです。「意到気到」という中国語があります。意味は意念が到着すると、気力も自然に到着するということです。

 中医学については第1回でもふれました。

――中医学は伝統文化に基づいて行う治療法です。これは身体全体のエネルギーを整えることによって元気になる方法です。中医学のかなりの部分は現代科学ではまだ証明されていませんが、効果があることは2000年~3000年の中医学の歴史の中で認められています。大自然には未知の事柄がたくさんあります。中医学でも科学的に証明されていないことはたくさんあります。

 日本でも、古くは聖徳太子による仏教普及があり、平安時代には空海や最澄が密教を広め、禅宗では道元、栄西などが活躍しました。江戸時代の武士の子弟のための塾では、四書五経など多くの漢籍を学びましたし、朱子学は徳川幕府の政治の基本にもなりました。戦前の日本人は長い間、中国文化の影響を受けてきたわけですが、気や瞑想について体系的に教えることはしてこなかったように思います。これは私の勉強不足かもしれません。

――瞑想を通して伝統文化がより身近に理解できるのも面白いと思います。

 子どものころ、どういう環境でお過ごしになりましたか。

――自宅から20キロぐらい離れた祖父母のいる農村で夏や冬を過ごしました。平屋の北側に防風林、周りには林があり、井戸もありました。夏には、涼しい林の中で食事をすることも多く、林の中でも、風の通るところや、湿気が多く快適ではない場所があるなど、微妙な違いも分かりました。
 井戸で果物や飲み物を冷やし、楽しみましたが、祖母の止めるのも聞かずに冷たい井戸水で行水をし、体が冷えてお腹をこわしたこともありました(笑)。
 冬は天気がよければ布団や衣類を干し、大自然のエネルギーを取り込みました。排水設備はまだ整っていませんでしたが、雨が降れば、溝を掘って排水させ、家の下に湿気がたまらないようにしていました。湿気は体に良くない陰のエネルギーなので、取り込まないように工夫していたわけです。祖母は薬草も植えて、病気に対処していました。
 その祖母は50代の時に子宮がんにかかりましたが、手術もせずに、薬草を飲み、自己流の体操をして、91歳まで元気に過ごしていました。

 なんだか懐かしい話ですね。

――大自然のエネルギーを利用することは、気を利用することです。つい最近まで、私たちは気の中で生活していました。

 伝統文化の中にまさに気が息づいていたわけですね。古く縄文時代の人類は自然と豊かな交流をしていたようで、このアニミズム(生物・無生物を問わず、すべてのものの中に霊魂が宿っているという考え方)は民族によっては、いまでも強く残っていますね。霊魂がすなわち気であると言ってもいいですね。

――気は体内にあるだけでなく大自然にも充満しています。昔は現代のように科学が発達していなかったので、気を利用して、元気になったり、病気にならぬようにしたりしてきました。自然と共存している森との対話や、アニミズム文化のような流れは、気を重視して利用してきたということです。

東山「禅密気功な日々」(12)朱剛先生に聞く ①

 禅密気功のすばらしさ、ありがたさをより多くの方々、とくに、これまで気功に接したことがない方々に知ってもらうために、禅密気功研究所代表の朱剛先生に初歩的なことをお聞きするシリーズを始めることにしました。

 最初は、そもそも気とは何なのか、体内外の気を交流させるとはどういうことかなど、ごく一般的な話をお聞きし、回を重ねるにつれて、気功の具体的功法、動功と静功の違い、瞑想の極意といった具体的話題に入り、さらには武術と気功、朱剛先生の生い立ちとこれまでの活動、これからの目標などをお聞きするつもりです。

 日本滞在すでに30年、これまでの先生の研究と実践の成果を思う存分語っていただきたいと思います。テーマごとに何回か集中連載し、その後少し間をおいてまた再開することになるでしょう。その間も通常のコラムは続けます。

 気功の概略や朱剛先生の経歴、禅密気功研究所周辺の環境、さらに私が気功とどうかかわってきたかなどについては、本コラム「禅密気功な日々」冒頭3回の<会報から:「健康を守り、老化を遅らせ、若返りもめざす」>をご覧ください。

 折しも世界中でコロナウイルスが猛威をふるっています。スポーツジムは軒並み閉鎖、外出もままならない、こういうときに何の設備も、道具もいらず、ただ自宅や戸外で、あるいは異国にあっても、体を動かすだけで健康を維持できる気功のありがたさが再認識されるといいと思っています(2020.3.26記)。

古人の知恵・気・現代科学

神田川の桜は今年も満開(3月29日、江戸川橋公園近くで 撮影・朱剛)

 日本語には「気」に関する言葉が多いです。元気、病気、弱気、短気、強気、勇気、意気、空気、天気、正気、邪気、無邪気、毒気、茶目気、平気、雰囲気、人気、大気、男気、女気、電気、気配、気合、気品、気転、気持ち、気分、気候、気質、気息、気体、気脈、気にする、気になる、気が滅入る、気にしない、気の抜けたビール、気が合う、気が重い、気が気でない、気に障る、気の毒、気を吐く、などなど。中国でも同じような感じですか。

――中国でも同様に気のつく言葉は多いです。元気、病気、邪気、毒気、気力、気場、心気、陰気、陽気、など、同じように書きます。それは昔から気が大事なものだと考えていたからだと思います。しかし、日本の方がよりこまやかですね。最近では「人気」というような日本語が、便利な言葉として、中国に逆輸入されて使われています。

 言葉の点でも、気は私たちのまわりに満ち満ちているわけですが、気は森羅万象、たとえば人間、人間以外の動物や植物、海や山にも流れていると考えていいですか。

――そうです。

 昨年(2019年)お亡くなりになった女優の樹木希林さんが主演した映画「あん」の後半に、朝方、主人公が倚りかかった大木の幹から湯気が立ち上るという感動的なシーンがありました。これは撮影当日、希林さんが湯気の出ている幹を見つけて、ここで自分を撮るように監督に助言したのだそうです。
 この湯気は樹皮にしみ込んだ雨水が太陽の熱で温められ、蒸発していたのだと思いますが、死をまじかにした希林さんが見つけたという経緯も含めて、これも気の一種かしらんと思わされました。

――気は昔の人びとの宇宙感でした。万事万物は気で組み合わさってできていて、それを分解すると気になる。気というものは眼に見えないし、耳にも聞こえないし、触れても感じない。しかし存在していると考えていました。

 身体も気で構成されており、身体を細かく分解すると気に返る、だから心身の健康は気と密接に繋がっていると考えました。さらに意識と健康、環境と健康、食事と健康などすべては気と繋がっており、気を整えることによって、健康になるだけでなく、良い人生を送れるとも考えていました。
 気については、何千年も研究しているうちに、解明された部分もありますが、まだまだ疑問も残っています。解明されているのは、「気の練習を通して心身ともに元気になる」ということです。それが気功です。
 道教系、仏教系、儒教系、中医(中国医学)系、武術系などを通して気の練習法が伝わり、気功は健康に良いという認識は受け入れられ、とくに80年代から急激に盛んになって、練習を通して元気になった人たちがたくさん出ました。私たち日本禅密気功研究所も多くの効果を見ることができました。

 気功の効果は認められてきたと。

――そうです。しかし、気についての疑問や謎はまだたくさん残っています。例えば、体内で気がどのように動いているかということについては、流派によって説明が異なっています。道教系には任脈と督脈という考え方があります。気が任脈と督脈の中でまわっていれば、元気になる。まわらないと病気になるか死ぬ。密教系は体の真ん中に気の流れる道として中脈があり、中脈に気が流れると元気になり、流れないと病気になるか死ぬと考えます。東洋医学では体内に大事な12本の経絡が通っていて、この経絡が開くと気がスムーズに流れて元気になり、閉じると病気になるか死ぬと言われます。
 たしかに各流派の考え方に従って練習すれば元気になりますが、各流派同士は互いを認め合っていませんし、自分たちの流派だけが正しいと考えています。

 いろんな考え方があるわけですね。

――昔は情報があまり入手できなかったので、それぞれの功法を守っていればよかったのですが、今は情報公開が進み、各流派を並べて比較できるようになりました。そうすると矛盾点が明らかになって、各流派の限界や不足しているところも分かってきました。

・気とはエネルギーである

 なるほど。そもそも気とは何でしょうか。

――現代の言葉で言うと、気とはエネルギーです。人間が生きていられるのはエネルギーがあるからです。いまは病気になったら様々な検査をして、医学的、科学的に原因を探ろうとしますが、昔はそのようなことができなかったので、全体的な体の状態を見て判断していました。
 元気があるか足りないか、艶があるかないか、病気が強くてもまだ元気がある、病気の反応が少なくても元気がなくなるなどなど、総合的に症状をみて判断し、整えてきました。この総合的な現象をまとめたものが気です。いわばエネルギーということです。

 西洋医学では気の存在が確認できていないわけですね。

――たしかにそうとも言えますが、実は気というエネルギーの測定は行ってきました。例えば、練功前後の体温の違い、微電流や脳波の違い、低周波の違いなど、多くの測定はなされています。変化も発見されました。
 ある科学者たちは体温の変化を通して気を認識していますし、別の科学者たちは微電流の変化を通して気を認識しています。また脳波の変化を通して気を認識している人たちもいます、などなど。これらの認識に従って電気療法、温熱療法、低周波療法、音声療法、赤外線療法、脳をリラックスさせる療法などが開発されましたが、それは気の一部分のみを認識しているだけです。これでは十分ではありません。
 たとえば1人の人の練習前後の体温、微電流、磁気などを同時に何回も測定し、1人でなく大勢の人のデータを揃えて分析すれば、気というエネルギーの性質の大部分を把握できるでしょう。それでもすべてと言えないのは、身体の研究はすればするほど未知の部分が出てくるからです。宇宙の中でも暗黒物質(dark matter、ダークマター)とか暗黒エネルギー(dark energy)という仮説の物質やエネルギーの占める割合の方がはるかに大きいと言われています(一説によれば、地球上で分かっている物質は全体の4%にしかすぎません)。

 そう言われると、気が西洋科学でとらえられていないとしても、恐るるに足らず(?)という気分になりますね。

――気については、未知のことがたくさんありますが、科学的に測定し、さまざまなデータを集めれば、総合的に気を把握することもできるようになると私は考えています。集めたデータを利用して健康状態を管理することは、気を整えて健康になる方法といえるでしょう。そのやり方は細かく見ると科学が介入していますから、伝統の気を整える方法とは異なりますが、全体のエネルギーを見て整えることは昔と同じでしょう。この管理方法が実現すれば、とても意味のあることと思います。

 古人が経験を通して開発した健康法が、いずれは科学的にも追認されることになるだろうと。

――1980年代に中国から気功が流行り日本でも1990年代にはブームとなりましたが、それ以降、徐々に人気がなくなりました。その原因の一つは中国本土で法輪功事件が発生して(法輪功は気功の一派。急速に拡大したなどのために共産党指導部により弾圧された)、急激に人々が気功を練習しなくなったことがあげられます。日本でもその影響は避けられませんでした。その大きな原因は、気というものがまだ科学的に解明されていないということだったわけです。

東山「禅密気功な日々」(10)

天風とWillpower

 天風会認定・鎌倉の会から送っていただいた「鎌倉のいぶき」によると、中村天風は「五十、六十は花ならつぼみ、七十、八十は働き盛り、九十になってお迎えが来たら百まで待てと、追い返せ」と常々言っていたらしい。

 彼が上野精養軒近くの石の上に立って辻説法を始めたのは大正8年(1919年)6月8日、43歳の時である。今年が100年目にあたる。残念ながら天風は92歳で世を去ったが、おそらく死の直前まで旺盛な活動を続けていたのだろう。

 講演会で紹介された『成功の実現』という大部の演説集を読んでみたが、波乱万丈の彼の人生とともに、その人生哲学に大いに裨益された。潜在意識にたまる消極的観念を絶え間ない意志の力によって積極的なものに変えていくというのがその基本的考えだと思うけれど、これを読みながら、数年前ベストセラーになったケリー・マクゴニガル『自分を変える教室』(大和書房)を思い出した。マクゴニガルは米スタンフォード大学の気鋭の心理学者で、本書の原題はThe Willpower Instinctである。

 要は意志の力(willpower)の重要性を説いた本で、本書によれば、意志の力には以下の3つがある。

①I will(やるぞ) 自分の目標に沿うことを実行しようとする意志。
②I won‘t(しないぞ) それ以外のもの(誘惑や快楽など)を切り捨てる能力。やりたいことをやることを妨げるものをやらない力。
③I want(こういう人間になりたい) 目標をはっきさせる。自分のゴール(将来の夢)を具体的に認識する力。

 ここで言われているのとまったく同じことを天風が1世紀前に言っていたということである。彼もまた意志の力が大事だと力説し、メガネの曇りを拭い去るように、自分の心の中の曇り(消極的考え)を不断にチェックすることを説いた。とくに彼が自分の夢を真剣に、腹の底から願い、その具体的イメージを心にくっきり描くことを強調したのは、大いに学ぶべきことだと思われる。

東山「禅密気功な日々」(9)

中村天風と心身統一法

 先日、中村天風財団・鎌倉の会が鎌倉商工会議所ホールでやっていた講演会に参加させていただいた。禅蜜気功鎌倉教室の仲間数人もいっしょだった。わりと若い講師が2時間半、10分ぐらいの休憩を入れたとはいえ、ずっと話しっぱなしで、しかも聴衆を飽きさせなかった。たいしたものだと感心した。話は、言わずと知れた中村天風の人生哲学の骨子、心身統一法(心が身体を動かす)である。

 中村天風という人について少し説明すると、すでに1968年、92歳で亡くなっているが、日露戦争当時、優秀な諜報部員として活躍、のちに肺結核を病んだのを機に渡米、世界放浪というか漫遊の旅のあと、インドのヨガ行者のもとでヨガを習得、心の持ちようがそのまま体に影響することを悟ったという。病は全快していた。帰国後、大道説法を始めたが、多くの政治家、軍人、財界人、文化人が師事するようになり、財団法人天風会を設立、その活動はいまに続いている。

 私が中村天風に興味を持ったのは、合気道師範でこれも故人の藤平光一の著書をいくつか読んでからである。彼は合気道を通して中村天風に弟子入り、後に「氣の研究会」を組織し、心身統一道、気の原理の普及につとめた。その氣(彼はこの字を使っている)の理論については後に紹介する機会があるあるかもしれないが、今はとりあえず天風会の講演である。

 講師は「観念要素の更改」という表現で、潜在意識に潜む消極的要素をいかにして積極的なものに変えていくかという実践法を話した。これはこれで納得のいく話だが、頭で理解するのと実際に活用するのはまるで別である(そう言うと、「信念がたりない」とお叱りを受けるのは必定だけれど……)。

 ただ、気功における瞑想は潜在意識の解放法だと言ってもいいのではないだろうか。以前、会報の原稿を書いたとき、『ホモ・デウス』、『サピエンス全史』という世界的ベストセラーを書いたイスラエルの歴史家、ユヴァル・ノア・ ハラリはヴィバッサーナ瞑想の修行を十数年続けており、1日2時間の瞑想をしていたことにふれた。『ホモ・デウス』を故サティア・ナラヤン・ゴエンカ師に捧げており、謝辞で「(ヴィパッサナー瞑想の)技法はこれまでずっと、私が現実をあるがままに見て取り、心とこの世界を前よりよく知るのに役立ってきた。過去15年にわたってヴィパッサナー瞑想を実践することから得られた集中力と心の平安と洞察なしには、本書は書けなかっただろう」と書いている。瞑想なくして、動物→サピエンス→ホモ・デウスという世界の度肝を抜いたような歴史観には到達できなかったと思われる。

 ところで、鎌倉天風会はときどき鎌倉駅近くの妙本寺で日曜行修会をやっている。天気がよければ境内、雨が降れば堂内でやるのだという。禅密気功としても、本部教室、鎌倉教室とはやや離れて、一般の人にも広く開かれたサークル活動のようなものができるといいと思っているのだが、問題は場所探しである。天気がよければ外、雨が降れば室内、練功のあとは講師の話も聞けるような場が持てると理想的なのだが……。

 

東山「禅密気功な日々」(8)

ウエブ<気功と健康>について

 藤田正和さんのウエブ「気功と健康」が禅密気功普及に果たした役割は大きい。藤田さんは40代のころ過労から体調を崩したのがきっかけで朱剛先生と禅密気功に出会ったという。朱剛先生の人柄に引かれたことも大きかったらしい。それ以来、朱剛先生の師である劉漢文師にも教えを受け、気功に精進してこられた禅密気功大先達の1人である。

「気功と健康」は1996年の開設で、私が<「気圧の魔」研究会報告>を立ち上げたのより2年ほど早い。まさにウエブ黎明期の快挙である。

 気功の紹介と説明、実践例、参考文献紹介、よもやま話など、気功のすべてを網羅したと言っていい内容で、その経験の豊富さ、理解の深さ、添えられた写真の見事さ、どれをとってもすばらしい。

 禅密気功に関しては、<我々現代人には、姿勢が悪いために健康に支障を来たしている病気あるいは「未病(半病人)」の人が多くなりつつあるのではないでしょうか。気功の本来の目的は、「未病を治す」事だと言われています。特に、背骨のゆがみの是正と、気の滞りの除去と流れの円滑化を功法の基礎(築基功)に据えた禅密気功は、理にかなった健康法だと思います>記されている。私が大いに納得したのは「気功を練習していて常々感じるのは、その習熟曲線が直線ではなく、階段状、それもかなり段差のある階段状だということです」(気功徒然草「気功の階段」)という文章だった。

 2016年まで逐次更新されてきた結果だが、惜しいことに、レンタルサーバーの都合でそれ以後は更新されず、クローズされた形になっている。

 藤田さんによれば、その際、いくつかの項目でリンクが途切れたり、アクセス数のカウントができなくなったりしたらしい。100万件をめざしたアクセス数は90万件ほどでストップ、「気功めやす箱」のデータも失われた。とくにユーザーとの双方向向けコミュニケーションの道具だったBBS機能が失われたのが残念だったという(いまはフェイスブックで情報発信されている)。

 しかしこのウエブが禅密気功普及に果たした意義は大きいだろう。鎌倉教室に通う人の中にも、いまだに「気功と健康」で気功を知ったという人が結構いる。当初の目的は十分果たされ、いまも禅密気功の道しるべとして貢献している。その努力に敬意を表し、ここに紹介させていただいた(ちなみに藤田さんは「禅密気功」のウエブも立ち上げられたとか)。

 彼は国際派ビジネスマンとして国内外で活躍しつつ、テニス、カメラ、バードウオッチングなど多彩な趣味を楽しんでおられる。つい先日も仲間と3週間のエーゲ海クルーズに行ってきたと言い(写真はそのクルーザー)、私が電話したときは「明日から軽井沢でテニス合宿」だとか。1946年生まれ、私よりはやや年少ではあるが、まことにすばらしい「壮年」生活である。これも気功のおかげだろう。
 ギリシャは私のあこがれの地であり、まだ30代のころ、1カ月ほど休みをとってアテネ、スパルタ、オリンピア、デルフォイ、クレタ島、ロードス島などを放浪したときの海と空の碧さが懐かしい。

 

東山「禅密気功な日々」(7)

日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ

 52歳で家督を息子に譲り隠居した三屋清左衛門は、「残日録」と題する日記を書き始めるが、その表題を垣間見た嫁の里江に「いま少しおにがやかなお名前でもよかったのでは」と言われて、「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シの意味でな。残る日を数えようというわけではない」と答えた。隠居後の人生もまた大切にしたいという決意表明だっただろう。藤沢周平の名作、『三屋清左衛門残日録』冒頭の話である。彼はまた藩の道場に通い始める。

 いまや5人に1人が70歳以上。65歳をすぎないと年金ももらえない時代である。隠居という言葉自体、すでに死語に違いが、65歳ごろから人生を引き算で考えはじめ、しかもずるずると90歳、100歳まで生きてしまうとなると、これはやはり「迂闊」というべきだろう。

 「休息は死の床で」をモットーとして会社経営に、執筆に精力的に活動している友人がいるが、そこまでは無理としても、超高齢化社会を健康で前向きに生きていく心構えはやはり必要だろう。

 『残日録』の最後にこういう記述もある。「衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終えればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ」

あれをご覧よ 真っ赤な夕陽
落ちてゆくのに まだ燃えている

 福田こうへいの「南部蝉しぐれ」のこの歌詞を私は気に入っているが、高齢にしてなお矍鑠として生きようとすれば健康第一、そのためには本コラム第3回で書いたように、蠕動+筋トレが一番である。というわけで、このコラムでも折々に<老いと筋トレ>についても書いていきたい。

 インドの聖人、ガンジーにはこういう言葉もあるという。https://www.excite.co.jp/news/article/Mycom_freshers__gmd_articles_18852/など参照

明日死ぬと思って
生きなさい。
永遠に生きると思って
学びなさい。
Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

東山明「禅密気功な日々」(6)

気を動かす=細胞を共鳴させる

 先に築基功のやり方に関して、「円緩軽柔=ゆっくり、柔らかく、なめらかに、そして速度は一定」が大事だと書いたけれど、それは体をなぞるようにして気を動かすということである。朱剛先生流に言えば、「白くて粘っこい」気を動かす。私流に言えば、体中の細胞を蠕動の動きに共鳴させる、ということになるだろうか。

 坐禅で呼吸を数える、いわゆる数息観でも、呼吸の速さはゆったりしたものでなくてはならない。「どのくらいの速さがいいのか」と問えば、「いろいろ試しているうちに、自分にぴったりの呼吸に落ち着く」というふうに教えられる。自分固有の速さというのが大事である。築基功で言えば、個々の細胞が共鳴するような動かし方がある、ということだと思われる。

 この点で興味深いのがバイオレゾナンスの考え方である。

 バイオレゾナンスはドイツ発祥の振動医学による治療法である。振動医学では、一般の西洋医学とは違って、人間の体を生命エネルギー(すなわち気)の場ととらえ、気が体の隅々にまでスムーズに流れることが健康な状態であるとする。逆に滞った状態は不調である。

 この気の捉え方は、私の気功の考え方と共通しているが、興味深いのは、バイオレゾナンスでは「『気の滞り』にも原因などによって固有の周波数の波動があり、その同じ周波数の波動による共鳴現象(ハーモナイズ)によって滞りを解消できる」としていることである。「生命エネルギー(=気)の振動(=波動)には、それぞれの器官、組織、働きなどにより固有の周波数があること。そして、その気が滞りスムーズに流れなくなることが、健康が損なわれるということであり、そのときには滞りと同じ周波数の波動による共鳴現象によって滞りが消えて再び気が活発に流れるようになる、これが健康を取り戻すということだ」(ヴィンフリート・ジモン『「気と波動」健康法』イースト・プレス、2019)。

 バイオレゾナンス理論は、プランクの量子論、前科学的な地中探査法であるダウジング(北米大陸やアンデスなどの先住民が地下水脈や鉱脈を見つけるために使ってきた)、そして東洋医学・チベット医学の「気」の三要素をもとに組み立てられたという。実際、診断治療においても、丸い球がついた揺れる竿のようなものも使うようだ。

 私が注目するのはレゾナンス(共鳴) という言葉である。バイオレゾナンスについては門外漢なので、正面から論ずることはできないが、蠕動しながら体を動かしていると、体内の滓がほぐれ、気がゆるやかに流れるためには、やはり細胞を共鳴させてやる必要があるように思われる。その共鳴のしかたは、部署(筋肉や内臓)によっても違うし、日によっても違うようである。