傘寿を迎えて老年について考える

18世紀アイルランドの鬼才、ジョナサン・スウィフトが書いた架空航海記の『ガリヴァ旅行記』は世界中のだれもが知っているが、ガリヴァは小人の国(リリパット)や巨人の国(プロブディンナグ)ばかりでなく、宮崎駿のアニメで有名な飛ぶ島、ラピュタとか賢明な馬が支配する国(フウイヌム)にも行っている。最後のフウイヌムには、検索サイト、ヤフーの由来となったヤフーという人間種に近い猿のような醜い動物も登場、スウィフトの諷刺も最高潮に達する。
スウィフトはたいへん饒舌な人だったらしく、いろんな与太話が次々登場する塩梅で、そこにさまざまな、そして鋭い社会諷刺がちりばめられているようだが、当時の社会をほとんど知らない目から見ると、あまり面白くも感じない。当然といえば当然だが‣‣‣。
・不死は人類の夢か
ある魔法の国では死者を蘇らせて話ができるというので、ホメロス、アレクサンダー、ジュリアス・シーザー、ブルータスなどなどいろんな人に会ってみたりしているが、こんな話もある。某国にはときどき不死の人が生まれるらしく、著者はそれがどんなに素晴らしいことかといろいろ夢想してみるが、いざ接見したそれらの人びとは老いにともなうマイナス要素(肉体の衰え、記憶力の喪失、多くの疾病など)をいたずらに加重して醜いばかりで、「吾輩は、心に描いていた美しい幻影を心から恥じるようになった。たとえどんな暴君が案出するどんな恐ろしい死であろうとも、このような生を逃れるためならば喜んで飛び込んでみせると思った」(中野好夫訳)などと書いている。
ガリヴァは諸国を経めぐりつつ、日本の近くまで流れてきたらしく、オランダ船で帰国する前に日本にもちょっと寄ったことになっている。首府がエドであり、踏み絵の儀式だけは勘弁してほしいと奉行に頼み込んだり、ナンガサクまで送ってもらって、そこから無事にオランダ船に乗って帰国したりとか、ほんのわずかな行数の中で、それなりに〝最新知識〟を織り込んでサービスしながら、そこに諷刺も利かせているのはあっぱれというべきか。
最終章によれば、ガリヴァの旅は16年以上に及んだらしい。この章でも近頃は嘘八百の旅行記が多いが吾輩は真実のみを語ったとか、旅行記作者には出版前に大法官の前に出て真実宣誓書を書かせるべきだとか、吾輩は訪れた国に対して領有宣言をしようなどとは考えなかったし、国務大臣だったとしても彼らの国を攻略せよなどとは言わないだろうとか、二重三重の煙幕を張っている。いまなら「そんな国があるなら探検に行こう」ということになるだろうが、当時はもっと世界は広く果てないと考えられていたから、だれもそれを実行しようなどと考えないという前提に立っていたらしい。フウイヌムにすっかり感化されたガリヴァは帰国後すっかり人間嫌いになったが、「ヤフー」たる家族と付き合わざるをえないために年々堕落しているなどと独白している。
中野好夫『スウィフト考』によれば、スウィフトは風刺に対する批判が身辺に及ぶのを恐れて匿名でこの本を出したが、出版元が勝手に風刺部分を削ったり書き換えたりして改ざんするといった、すったもんだの経緯もあったらしい。だから版によって内容が違ったりするらしいが、結局は大評判となったわけである。
・老化に対する考えかた
私も今年傘寿を迎え、押しも押されもせぬ「老人」になった。しかし、ガリヴァのように達観できる心境ではない。そこで最近、「高齢者専門の精神科医」、和田秀樹さんの本をいくつか読んでみた。80歳になったら自らの長寿を寿ぎ、無理に年齢に逆らわない方がいいと書いてある。曰く、健康診断を受けて新たな病気を発見してもらうようなことはしない、80歳を過ぎたらがんなど切らない方がいい、内臓の数値を基準外だからと言って、上げたり下げたりする薬もやめるに越したことはない、などなど。
老化は自然の摂理と受け止めよ、と言うのだが、もちろんぼんやり生きて行けと言っているわけではない。曰く、若さを維持するのはコレステロールと前頭葉だから、たんぱく質、とくに肉を食べる、「前頭葉はルーティンだけの生活をしていると衰えてしまいます。想定外のこと、いつもと違うことを積極的に生活に取り入れることで活性化します。その意味では、自分とは違う考え方の人、想定外の考え方に接し、自分なりの考えも披露するような場に参加することはとてもいいことです」などなど。
要は人生100歳時代を見据えて、天命には従いつつ、若さを持続するように、なるべく老いを遅らせるように生きるべきだという教えである。傘寿を迎えた身としては、ここが無難な着地点だろう。と言うより、この東山「禅密気功な日々」はそういう考えのもとに書き継いでいるのである。
くり返しになるけれど、全身を揺する禅密気功は老年の人にとってとりわけ有効だと思う。教室に集い練習をすること自体すばらしいけれど、鎌倉教室の場合、その後で先生を囲む食事会があり、それぞれの体験を語り合ったり、先生からいろんなエピソードを聞いたりするのは老化を遅らせるうえですばらしいとも言えよう。
私自身、コロナ恐怖症で、コロナ禍以来ほとんど教室に参加していないので大きなことは言えないが、そのためか鎌倉教室の会員が減少、運営が持続できるかどうかの瀬戸際だという。なかなか悩ましいことである。


カメラアングルも教室全体がうまくおさまり、先生が坐っているときも、蠕動しているときもほぼ全体が俯瞰できるように設定され、マイクから流れる先生の音声も明瞭に聞こえた。本部教室でみんなといっしょに先生の話を聞き、蠕動したり、瞑想したりするのとは違うと思うが、それなりの臨場感もあり、個人的には久しぶりに参加した瞑想教室で得るところがあった。こんな具合に受講できるのなら3日間参加したいと思ったほどだが、あいにく前日から風邪をひいていたこともあり、1日だけの参加で終わった。
俳人、芭蕉の第一の高弟とされる宝井其角の句である。蟷螂はカマキリ。カマキリはメスより小さいオスがメスの背中に乗って交尾をする。それが終わると、メスは首を後ろに向けて、当のオスの頭をガリガリと噛んで食べてしまう。私はその現場を見たことはないけれど、ネットで検索すれば、その動画やメスの背中に止まったままの頭のないオスの写真を見ることができる。
三木成夫はすでに30年以上前に亡くなった解剖学者で、東京大学医学部や東京医科歯科大学で研究・講義をしたあと東京芸術大学教授となった。経歴からしてユニークだが、その研究がまた独創的、かつ画期的だった。
彼は生前、『内臓のはたらきと子どものこころ』(築地書館、1982、後に『内臓とこころ』と改題されて河出文庫として出版)と『胎児の世界』の2著しか公刊しておらず、1987年には60歳すぎで世を去った。名声は死後大いに高まり、その独創的研究をめぐって多くのシンポジウムが開かれ、遺稿集や講演録などが次々に出版された。
『胎児の世界』まえがきの冒頭にはこうある。「過去に向かう『遠いまなざし』というのがある。人間だけに見られる表情であろう」。また『海・呼吸・古代形象』に収められた「動物的および植物的」という論考では、動物と植物のありようを対比して述べたくだりで、ロダンの「考える人」と広隆寺の弥勒菩薩の2つの彫像を対比させ、ロダンの彫刻では、「感覚―運動」の動物相が全面に出て、人間のみに宿る「精神」の機能(「近」への志向)が表現されているが、弥勒菩薩には植物相(「遠」への志向)が全面に出ている、と分析している。「〝あたま〟を押さえるものがなく、胴体も手足も、筋肉はのびやかに、‣‣‣、微笑を浮かべた口許には、小宇宙を象るような指の輪が添えられ、‣‣‣。宇宙リズムと秘めやかに共振する植物系の、その内に深く蔵されたこころを、表わそうとしたものではないか」。











