東山「禅密気功な日々」(27)

「病邪の実を瀉す」

 これまでも2度ほど東洋医学(鍼灸)の「虚実補瀉(病邪の実を瀉し、正気の虚を補う)」という言葉にふれたけれど、作家、宇野千代の『天風先生座談』(廣済堂文庫)に、中村天風がエジプトのカイロでたまたま会ったインドの行者についてネパールの山奥に行き、長年の病を治した経験が語られている。

 行者はすぐにでも病から解放される方法を教えてくれると思ったのだが、幾日たっても何の音沙汰もない。2カ月を無為に過ごし、しびれを切らした天風先生が「いつになったら教えていただけるのでしょうか」と聞くと、行者は「大きな水飲みの器に水をいっぱい入れてこい」と言った。持っていくと、今度は「湯をいっぱい持ってこい」、「その湯を器にそそげ」と言う。「そんなの無理ですよ。水も湯もこぼれるだけです」と天風がたまらず抗議したとき、行者はこう言う。

お前をつれてきた翌日からでも教えたいと思ってじっと見ていると、お前の頭の中はな、私がどんなことを言っても、そいつをみんな、こぼしちまう。さっきの水のいっぱい入っているコップと同じだ。お前の頭の中に役にも立たない屁理屈がいっぱい詰まっている以上、いくらいいことを言っても、それをお前は無条件に受け取らないだろう。受け取れないものを与える。そんな愚かなことは、俺はしないよ。

 天風が心底、納得した姿を見た行者は、「今夜から俺のところへ来い。生まれたての赤ん坊のようになってな」と言った。

・「蠕動+筋トレ」の真意

 禅修行のときなどでも同じようなことを言われるようだが、頭をカラにしておかないと、新しいものは入ってこないということである。虚実補瀉は、これが体にも言えることを示している。筋肉を発達させ、若々しく蘇生させるためには、まず長年の間にたまってしまった滓を取り除く必要がある。高齢者トレーニングは「マイナスからの出発」だと言ったのはそのことである。

 体が錆びついたままいくら重いダンベルを上げても、筋肉は相変わらずしぼんだままで、けっしてパンプアップしてくれない。逆に股間ストレッチや呼吸法などを実践している人が、筋トレをしていなくても、その肌が水々しく、また筋肉も引き締まり、若者のようにしなやであるのを見て驚いた人もいるはずである。

 気功(蠕動)で筋肉の滓をほぐし、それを体外に排出する、次いで筋肉トレーニングをする。これが「蠕動+筋トレ」の真意である。スポーツ教室に行っても、筋トレだけでなく、エアロビクスやウォーキング、ヨガ、ストレッチなどをやれば、滓ほぐしの効果があるから、それでもいいわけだが、私の経験では、毎日蠕動をやったうえで、ときどき筋トレをやれば、年老いてからもけっこう若々しい肉体を保つことができる。

 もっとも老いは日々降り積もる。滓ほぐし≧降り積もり、でないとなかなか思うようにはいかない(^o^)。