山本太郎・水道橋博士・キムテヨン――
B 山本太郎の出馬は東京選挙区からと決まりました(よだかれんは全国比例区に)。ここは改選議席6だ
けれど、立憲民主党の蓮舫、日本共産党の山添拓のほかに自民、公明からもそれぞれ有力議員が立候補する予定で、そこに「五体不満足」の乙武洋匡も無所属から出馬、立候補予定者が20人以上という大激戦区になりました。
A 友人はこの選挙区での山本太郎の参戦は野党勢力の票の食い合いになるだけだと警戒感を示しているけれど‣‣‣。
B 激戦区になるとは思うけれど、今の政治の沈滞、腐敗を糾弾するにはもってこいの選挙区だと思いますね。立憲民主、共産、れいわで最低3議席を獲得する勢いで頑張らないと、いまの沈滞した政治は変えられないんじゃないでしょうか。
A 全国比例区からはタレントの水道橋博士も立候補、日本国籍の在日韓国人、キムテヨンも出馬する予
定です。水道橋博士はれいわの演説会にふらっと現れて、自分が維新に訴えられた「スラップ訴訟」について山本太郎に訴えているうちに、「あなたが立候補しませんか」と言われて、一瞬ひるんだようだけれど、わりとすんなり出馬を決めました。
B ここに我々が忘れてしまった選挙の原点があるように思いますね。訴えたいことがある人が選挙に出て、それを選挙民に訴える。水道橋博士は「供託金は借りますが必ず返します」と宣言して、さっそく選挙活動を始めました。彼の目標は「スラップ訴訟廃止」法の成立です。
A 師匠のビートたけしの許可も得たと言っていました。大物師匠が応援してくれればな〜とも思いますが‣‣‣。
キムテヨンは東洋大学教授。専門は社会学で、多文化共生を唱えており、柔和な話し方で学生にも人
気があるみたいですね。「お前は日本人か!」と罵られるくらい日本に対する愛情が深く、「在日が日本を変革して何が悪い」とも発言しているとか。
全国比例区は早くから大島九州男が立候補を表明しているし、幹事長の高井たかし、弁護士のつじ恵、長谷川うい子、よだかれんも含めてにぎやかになりました。愛知選挙区からは、がきや宗司も名乗りを上げています。

れいわの候補者のレベルはほんとに高いですね。知性があり、志も高い。他党とはここが断然違う。組織も応援してくれる企業もなく、すべての活動を支えているのは全国の勝手連、つまりボランテ
ィアです。三重県の例でも、今日の「ねこちゃんず」のグループトークは36件です。ポス活(ポスター張りのボランティア活動)のやり方を先輩が伝授しています。こっちの方はまだ実践できていないけれど(^o^)、こんな政党が天下を取ればまさに前代未聞。世界でも例がないんじゃないですかね。
B 日本の空全体をいま重く淀んだ空気が覆っていて、自公維という与党勢力ばかりでなく、立憲を始めとする野党も、そしてメディアも、国民も、みんなその空気の中でアップアップしているように見えます。しかも自分がアップアップしているとは思っていない。
山本太郎率いるれいわは、こういった日本の現状と将来をしっかりと見ているように思われるが、濁った眼にはそれが見えないか、あるいは異形なもの、ピエロ的に映っている。しかもそういう連中が「野党は頼りないから自民、あるいは維新に入れるしかない」などと訳知り顔をしているわけです。山本太郎はそういう沈滞状況にカツを入れようとしている。そのためにこそ我々ロートルも「貧者の一灯」を掲げて頑張ろうではござらぬか(^o^)。
A ユーチューブにれいわ応援のために建て看板を自作し、それを街路に設置する姿だけを映している動画がアップされています。まだ若い女性だと思いますが、ハンパない熱の入れようですね。しかも楽しそう。こういう一人ひとりの行動が大きな成果を生むんだと明るい気持ちになりました。
B ウエブで見つけたので、真偽のほどはわからないけれど、本家新撰組の副長、土方歳三のセリフに「喧嘩ってのは、おっぱじめるとき、すでに我が命ァない、と思うことだ。そうすれば勝つ」というのがあるらしい。
山本太郎が激戦の東京選挙区で打って出る覚悟を決めたのも、そういう切羽詰まった気持ちからだと思いますね。
A 「来た、見た、勝った」といきたいですね。
B 古代ローマのジュリアス・シーザーね。さらば、こっちは源義経。平家との屋島の合戦で、義経は戦いに利あらずとなったときに逃げやすいための「逆艪」を用意しなかった。梶原景季が無謀だとなじったときに、義経は「いくさはただひらぜめにせめて勝ったるぞ心地はよき」と言ったというのだが、山本太郎の気迫もここにあるのでしょう。屋島の合戦というか、関ヶ原というか、いまの局面においては、これだけの迫力がないといけないということですね。
A 天下分け目の関ヶ原というほどではないけれど、この選挙は日本の将来に大きな影響を与えると思います。
B そのことを理解して、多くの人が投票し、かつ、れいわに票を入れてほしいと思いますね。せっかく衆議院で獲得した議席を次点だった櫛渕万里に譲り、自ら参院選に打って出るという不退転の決意は、遠方から傍観している人には、なかなか理解できないし、ピエロ的行動のようにも見えるでしょうが‣‣‣。
A ピエロの仮面に隠された決意を、有権者がわがものとしてくれれば、参院でれいわが現新あわせて10議席を獲得するのも夢ではないと思います。
B れいわというれっきとした政党(野党)があり、相当な人材がその旗の下に集まり、腐りきった政治に真剣に立ち向かおうとしているのに、多くの人にそれが「見えない」のはなぜか。見ようとしないから見えないわけだけれど、彼らの目を曇らせているものの正体が問題です。
A やはた愛の「おかん」が言ってましたよ。「なぜみんな選挙に行かないのか? えらい人たちがそれを望んでいるからです」。マジでポイント突いていると思いました。

まず大阪選挙区のやはた愛は、先日の衆院選でも立候補、惜しくも落選しましたが、そのときの街頭演説で経済の話になったとき、「株を買うなら私に投資してください。私はこれから伸びますよ~」とさわやかな笑顔で自分を売り込んでいたのが印象的でした。
A 福岡選挙区の奥田ふみよは、山本太郎が直々に一本釣りで口説き落とした方ですね。街宣時の質問が鋭く、すごい熱量を感じたそうです。3人の子育て中という普通の主婦でピアノの先生(武蔵野音大卒)。当初は立候補をためらったそうですが、いったん走り出したら街宣も熱い。博多のお母さんが怒ったら怖い! 子どもたちを幸せにするために立候補したド庶民です。
埼玉選挙区の西みゆかは慶應義塾大学法学部卒業後に司法試験合格。その後アメリカに留学し、アメリカ合衆国ニューヨーク州弁護士に登録、最高裁判所の司法研修所で刑事弁護の教官もつとめました。
全国比例区から出る長谷川ういこは、太郎さんの正に盟友ですね。これも東日本大震災時に知り合って以来の仲。その結びつきを我々は感謝すべきだと思います。緑の党代表でもあり、れいわの掲げるグリ-ンニューディ-ルの柱ともいえる貴重な存在です。
4月になって東京選挙区からの擁立が発表された、よだかれん(依田花蓮)って誰かって? 知らざあ言って聞かせやしょう(^o^)、彼女はトランスジェンダーであることを公表しており、国会内の記者会見で「女性や外国人、障害者など行きづらさを抱える人たちの困難を解消したい」と語りました。
アジアに「新しい風」が吹いてからすでに20余年。創立者の上高子さん(写真)は、日本航空勤務のあと、よりやりがいのある仕事を求めて40代半ばで早期退職、日本語教師へと転進したが、そこで焦点を欧米よりもアジアに定め、アジアの若者たちの日本語学習を支援することを思い立った。日本語教師の派遣を希望する大学の日本語学部に教師を派遣することから始めたが、Iメイト(アイメイト、I=インターネット、愛、出会い)という秀逸なシステムに乗って、その草の根的交流はアジア諸国と日本のきずなを深めることに大きな貢献してきた。NPO法人「アジアの新しい風」設立は2003年、現在その理事をつとめる古海正子さんに、コロナ禍以後も「新しい風」を吹かせたいと頑張っている同法人の活動について聞いた。
1970年4月日本IBM(株)入社、1982~1987まで全社新入社員研修を担当、1987後半から海外人事マネジャーになり、その後、国際人事及び福利厚生などを担当。日本IBMの上部組織にあたるアジアパシフィックで国際人事や秘書のマネジャーを経験した。2009年にアジ風会員となり、2012年から理事、2017年から3年間事務局長、その後現在に至るまで理事。
アジ風の現在のメンバーは190人ほど。50~70代が中心ですが、80を越えた方もいらっしゃいます。中国(清華大学)、ベトナム(貿易大学)、タイ(タマサート大学)、インドネシア(パジャジャラン大学)の日本語学科で学ぶ学生と直接、あるいはインターネットでのメール交換を通してコミュニケーションしながら、日本語学習の支援をしています。
交流校は先に上げた4校で、韓国、フィリピンなどが含まれていませんが、もともと日本語学部に日本語教師を派遣することから始まっており、とくに韓国からは「必要ない」と断られた経緯があります(^o^)。

ジャーナリスト。元朝日新聞記者。経済部で大蔵省、外務省、自動車業界、金融業界などを担当。ロンドン特派員、編集委員、バンコク特派員などを歴任。2017年にデモクラシータイムスを立ち上げ「山田厚史の週ナカ生ニュース」で情報発信を続けている。2017年衆院選挙で立憲民主党(千葉5区)から出馬した経験がある。著書に『銀行はどうなる』、『日本経済診断』(岩波ブックレット)、『日本再敗北』(文芸春秋社・田原総一朗 と共著)など。
デモクラシータイムスという現在日本有数のネットジャーナリズムの牙城は、各種の情報サイトが1カ所に軒を並べた専門店だと言っていい。メニューは、これまで配信したものを含めると100近いが、いまのメインは「山田厚史の週ナカ生ニュース」、佐高信、平野貞夫、前川喜平の「3ジジ放談」、何人かのコメンテーターがその週のニュースを解説する「ウィークエンドニュース」など。参加メンバーは田岡俊次、竹信三恵子、升味佐江子、山口二郎、池田香代子、横田一、白井聡、高瀬毅、雨宮処凛、金子勝各氏など、ジャーナリスト、学者、評論家、小説家などさまざまで、それぞれが独自の情報を発信している。ほかに荻原博子、辛淑玉、マライ・メントラインさんなど女性がけっこう多いのも特徴である(写真は2025年正月の「週ナカ生ニュース」の山田さんと升味さん)。
朝日新聞入社は1971年、青森支局が振り出しで、その5年間で記者としての一通りのことを学びました。その後、経済部、外報部と記者生活を送り、定年後に朝日新聞グループが多メディア化の波に乗って開設した「朝日ニュースター」で経済問題を担当、ここでキャスターの勉強をしました。運営をめぐって朝日新聞からテレビ朝日に移ったり、メインキャスターの愛川欽也さんのポケットマネーで運営したりと紆余曲折の末、仲間で独立して活動した方がいいと考えて、9人の記者でデモクラTVをつくり、社長になりました。折からインターネット上のユーチューブというシステムを利用すると、大きなカメラを何台も用意することもないし、スタッフもディレクターとスピーカーの2人、小型カメラだけでで大丈夫と聞いて、「ほんまかいな」と疑心暗鬼ながら、山田、田岡、早野透(故人)で100万円づつ拠出して、2017年、ユーチューブのニュース提供番組、デモクラシータイムスをつくることになったわけです。
今回は久しぶりの<若者に学ぶグローバル人生>で、海外青年協力隊(JICA)の一員としてラオスに駐在、現地の理科教育普及や教員養成に励んでいる高橋麻里奈さんの話を聞いた。
会の発展に貢献するというのが願いだとか。その自由で軽快な行動スタイルが、若いエネルギーを感じさせる。
ラオスは、ベトナム、カンボジアなどとともにインドシナ半島を構成するASEAN諸国だが、他の国に比べると影が薄い。日本の本州ぐらいの国土に人口約700万人。1平方キロメートルの人口密度はたった24人(ベトナムは256人、タイは132人、日本は340人)。中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーに囲まれた内陸国で、かつてはタイの領土だった。共産主義国で宗教は上座仏教。中国やタイとの関係が深い。2021年にはラオス中国鉄道が開業した。入国直後は首都ビエンチャンでラオス語の訓練などを行い、いまは南のサラワン県(地図で丸で囲ったところ)に赴任、大きな平家に1人、多くのヤモリと生活している。
いろんなスライドを見せてもらったが、決して豊かとは言えない田舎が広がっているような光景で(主産業は農業)、まさに発展途上の国である。彼女も「ラオスは牧歌的で、シンプルで、びっくりしました。言い方が悪いけれども、特徴がない」という印象を受けたようだ。
佐藤章さんの現在の主な舞台はユーチューブ上の
最初のころは紙で新聞原稿を書き、大学では黒板を使って教壇から話し、ワープロ・パソコンによる記事出稿、そしてユーチューブ番組でのしゃべりと、情報発信のやり方はいろいろ変わったけれど、変わらないものは「志」だと思っています。
尾道は「放浪記」の作家、林芙美子ゆかりの地である。大林宣彦監督の映画「尾道三部作」の舞台でもある。小津安二郎の映画「東京物語」の老夫婦も住んでいた。
『海』発刊のいきさつと、そこに綴られたさまざまな思い出について、編集人の平秀子さんと3人の仲間に話を聞いた。なお、この回は森治郎氏主宰の『探見』と共催であ
る。
同じ年代の仲間が、同じ空間を共有したからこその思い出の世界がそこにある。たとえば、「今日も暑うなるぞ」という「東京物語」の笠智衆の朴訥なセリフとともに、映画のシーン、幕間にパンやキャラメルを売りに来た売り子の声、映画館と周辺の街の佇まい、湿った路地、傾いた看板、急な坂と向こうに広がる尾道水道、といった風景が生々しく、そして甘い感傷ととともにこみあげる。しかし、時代を隔てた若い人にこういう話はほとんど通じないだろう。
ともに語り合いながら、かつて共有した思い出を偲ぶ楽しみは、同じ場所に住み、同じ経験をした同い年の仲間だからこそで、そこに『海』の魅力がある。ほとんどが現役生活を終えてからの寄稿ゆえか、社会的しがらみからも自由なようだ。
編集作業は平さんを中心に4人の共同作業である。かつてテレビの報道番組制作に携わっていた吉光さんは企画立案、桑木さんが原稿依頼や催促などの渉外、参河さんは庶務などと、それぞれ持ち味を生かしつつ、楽しみながら編集作業に打ち込んでいる。制作100部以上、毎回、カラープリンタで5000ページぐらい刷るので、プリンタが悲鳴を上げたりするらしい。雑誌は無料。編集、制作、配付(郵送)などすべてボランティアで、原稿料はもちろんない。印刷用インクのコストが一番高いとか。
また「敗戦直前に生まれ、戦後の復興期に青春を迎え、大学紛争、バブル、サラ金、コロナ‣‣‣、そういう時代を生きた庶民としての証人。それをどこかで書き残し、伝えていくことができればと思います。日本史は地方史、地方史は家族史から成り立っている、そういうことが読者の頭にチラッとかすめてくれれば」とも。
唐澤豊さんのコロナワクチンをめぐる話の続報です。
骨子を紹介すると、最初に日本人の超過死亡者数(人口統計的に予測される死亡者数に比べて増加した死亡者数)が2021年以来増えているのはコロナワクチン接種の影響があるのではないかという背景説明があり、自らもコロナワクチン接種を機に血液ガンになった経験を持つ立憲民主党の衆院議員、原口一博氏が書いた『プランデミック戦争』の紹介があった。
「計画されたパンデミック」という意味の「プランデミック」(和製英語)は秀逸であり、彼は「現政府は国民の命を守りません。われわれの命は我々で守るしかないのです」と訴えている。
投げかけられているうえ、10月から日本で世界に先駆けて投与が始まるレプリコン・ワクチンは、変異したスパイク蛋白を体内で増殖させるものだけに、いよいよ危険だとされている。増殖したスパイク蛋白が唾液、汗などから周囲の人に伝播(シェディング)する恐れもある。mRNAの仕組みを発明したフランスの医師の「mRNAワクチンは危険だ」という指摘や、とくにレプリコン・ワクチンの感染危険性について警告する日本の医師のビデオの紹介があった(レプリコン・ワクチ
ンの危険性については77回も参照)。日本看護倫理学会も8月に緊急声明を出して、性急にレプリコン・ワクチンを導入することへの深刻な懸念を表明している。「mRNAワクチン中止を求める国民連合」副代表をつとめる村上康文・東京理科大学名誉教授はレプリコン・ワクチンの危険性を強調しつつ、「このままワクチンを打ち続けていると、日本だけが恒常的にパンデミックに陥る可能性がある」と警告している。
会社現役社員の慟哭』(方丈社)を10月に発売するという衝撃的なニュースもあった(キンドル版は9月18日発売でベストセラーになっている)。
話が大きくなりすぎた。国内に目を移そう。最近静岡地裁で元死刑囚、袴田巌さんの再審無罪判決が出た。犯罪処罰の場合は「疑わしきは罰せず」という刑事訴訟法の原則を守るべきだが、一方で、私たちの生命や健康をめぐる安全対策の場合は、逆に「疑わしきは罰す(手を出さない)」という原則を守るべきではないだろうか。
伊藤佑子さんが事務局長をつとめる「最期までよい人生をめざす会・相模原」は、代表の神経内科医、荻野美惠子さんの呼びかけで「日本の医療が抱える問題の共通認識を広める草の根運動」として2012年にスタートした。医師・看護師・保健師・薬剤師・理学療法士・作業療法士・介護スタッフ・ケアマネジャー・ソーシャルワーカー・行政関係者・僧侶・教員・一般市民・学生など現役、退職者問わず、この分野における多様性と専門性に富んだメンバー30人以上が参加している。伊藤さんの経歴も華やかで、北里大学衛生学部を出たあと、慶応義塾大学医学部で医学博士号を取得、極限環境微生物学の研究者だった。
4年前の7月、72歳の寿福吉さんは突然脳梗塞になってしまいました。入院後、治療やリハビリが行われましたが、言葉がしゃべりにくくなり、軽度の認知症と、右半身を動かしづらいという後遺症が残りました。なんとか杖や歩行器を使った歩行ができていましたので、介護保険
を申請し、デイサービスに通いながら家で生活していました。一ヶ月ほど前のある朝、福吉さんは再び脳梗塞になってしまったようです。
その中で「胃瘻(いろう)」という言葉も紹介されていた。「口からでは十分に栄養がとれないので、管を使って胃に直接栄養をいれる経管栄養」のことで、その解説もあったが、一方で、「胃が食べ物を受け付けなくなってもなぜ生きようとするのか」、「それは正しい老後のあり方なのだろうか」という医療技術に向き合う私たち(老人と家族)の姿勢も考察対象に含まれているようだった。
冒頭、伊藤さんから超高齢社会の各種データの紹介があったが、すでに紹介したものもあるので、最後に「65歳以上の一人暮らし世帯の推移」と
「死亡場所の推移」グラフだけ上げておく。後者では「病院、診療所」の比率が下がり「自宅」の比率が増えている。1975年頃を境に病院での死亡が自宅での死亡を上回るようになり、2010年代の80% をピークに、2020年代になっても65%程度を保っている。病院のキャパシティーはすでに満杯と言えるようで、自宅と介護施設で亡くなる方の割合が増え始めている、のだとか。

た内海聡医師(最近の都知事選に立候補)は、「レプリコン・ワクチンを打った人から新しいRNAが移る可能性があるので、そういう人とは接触しない方がいい」とさえ言っている。まことに恐ろしい事態が起こりつつある。
参加者が後に知らせてくれた情報によると、「当病院かかりつけの患者様は新型コロナワクチンを絶対に打たないように」との張り紙をした病院が既にあるそうだ。

左の表は「過去の放浪一覧」。訪問した国、滞在日時、期間、かかった費用が几帳面に記録されている。瀬川さんは旅行記をフェイスブックで公開しており、そのページ数も記載されている。表によると、訪問国96、期間は2009年から2024年まで、訪問日数の合計は2,220日。15年のうち6年は旅をしていたことになる。団体旅行も含めると、訪ねた国は110に上る。いろいろ工夫して格安の旅を組んでいるので、かかった費用は全部で2,363万円。「1年当たり158万円で、年金の範囲内です」との計算だった。うーん、数学者ですねえ。いや、関係ないかな(^o^)。
①もっとも長く滞在したオーストラリア:有機農法をしている農家に5カ月滞在、農作業を手伝いながら英語の勉強。農作業はきつくてほとんど勉強にならず、フィリピン、セブ島に転じる。写真は原住民のアポリジニーと瀬川さん。
②万里の長城と土楼:日本仏教の開祖である最澄・栄西・道元が学んだ天台の寺や中国五岳の一つ、泰山を訪ねる。西北部の銀川市の近郊で「万里の長城」を見る。よく見る北京近郊の八達嶺長城(はったつれい)とは違う素朴
なリアリティに感激した。黄河の源流も訪ね、福建省山間地にある「客家の土楼」も見た。
③シャカ生誕地とガンジス川:シャカ生誕の地、ブッダガヤを訪問、ガンジス川ではヒンドゥー教の火葬を見る。燃え残った木材や死体は
全てガンジス川に流してしまい墓は作らない。
ン教、イエスはユダヤ教)の堕落に抗して新宗教を始めたこと、売春婦(釈迦は遊女アンバパーリ、イエスはマグダラのマリア)を差別しないで更生させたことなど。「ローマ帝国に伝わった以降の世界宗教になったキリスト教を良しとしませんが、イエスは好きです」。
⑤世界最古の人類「ルーシー」発掘現場:320万年前と言われる人類の化石はエチオピアの標高630mの火山灰台地の中の窪地で見つかった。1974年の発見当時、発掘現場ではビートルズの”Lucy In the Sky With Diamonds”という歌のレコードが流れていたことから、この化石
はルーシーと名づけられた。写真は発見現場と、記念の銘盤の周囲で万歳する瀬川さん。
打ちだとか。
日本のメディアがこの話題を取り上げたのはその後すぐだったが、それから1年半もたたない現在、ChatGPTに代表される生成AIの普及発展はまことに目まぐるしい。唐澤さんによると、「ChatGPTは事前訓練された生成的な変換器で、ある単語の次に出てくる単語を予測するモデル」で、厳密には人間のあらゆる知的作業を理解・学習・実行できる汎用人工頭脳(Artificial General Intelligence、略称: AGI)とは区別されるべきだという。しかし、この生成AIはすでに各種のブラウザ―などに搭載され、多くのユーザーがこれを利用している。今ではテキストだけでなく、画像、映像、音楽、音声なども生成できる。左の写真は「日本の棚田をゴッホ風に描いてください」と頼んだとき、ほんの2~3秒で描かれたものである。
エヌビディア(NVIDIA Corporation)というGPU専門の半導体メーカーで、米国カリフォルニア州サンタクララにある。グラフィックに強いことから飛躍的に発展、2024年には時価総額でアップルを抜いた。左表のように、1位マイクロソフト、2位エヌビデイア、3位アップルである。
米IT企業の攻防はすさまじい。これを象徴するのが「ユニコーン企業」という言葉である。「創業10年以内」、「評価額10億ドル以上」、「未上場」、「テ
クノロジー企業」の4条件を満たすスタートアップ企業を指し、IT業界は、誕生するユニコーン企業と退場するユニコーン企業によって激動している。創業何十年という伝統も、一部上場といった肩書も無用の、まさにドッグ・イート・ドッグ(dog-eat-dog)の骨肉相食む死闘である。
生成AIをめぐっては、大学生のレポートが簡単に作れることが心配されたり、元のデータを提供している新聞記事などの著作権問題が話題になったりしているが、AIはそんな心配を尻目に私たちの周りにどんどん侵食してきている(その一端は「余談―1」参照)。
都心とは思えない新宿御苑のうっそうとした〝森〟に初夏の涼風が吹き抜ける。参加者は木肌を紙に写し取るフロッタージュを楽しんだり、
大木の根の先あたりに立って、「魂ふり」の行に挑戦したり――陽光を受けつつ、地肌になお冷気も感じさせる草原に坐りながら、案内役の高橋由紀子さんから、木と対話する人生の豊かさについて話を聞きました。
が、 だれの心がけがよかったのか、前日の風雨とは打って変わった好天にめぐまれ、時節良
し、天候良し、場所良し、参加者良しと、まことにすばらしい会になりました。塾からは7人、唐澤さんや高橋さんの知り合いなどを含め約20名が参加、その後は近くの喫茶店で、これもなごやかなひとときを過ごしました。
朋あり、遠方より来る、また楽しからずや。ふだんはZoom越しに会い、顔はよく知っていながらも、現実に相まみえるのはまた格別で、少し遅れたためにイベントにはほとんど出席できなかった人が、苑内をさんざん探し回ったあげく、最後の集会にやっと合流できるという微笑ましい風景もありました。
若宮正子さんは戦前の1935年生まれ 、4月に89歳の誕生日を迎えた。81歳だった2017年にスマートフォンのゲームアプリ(hinadan)を公開して、米 アップル社のCEO、ティム・クック氏に開発者向けの国際会議(Worldwide Developers Conference)に特別招待されたことをきっかけに、「世界最高齢のプログラマー(アプリ開発者)」として一躍脚光を浴びた。
<第1部>私の歩んだ道
どんなゲームでも年寄りは負ける。それは1分間にいくつコマを動かすと何点とか、時計が入っていてカチャカチャやるからです。時計を入れないゲームがあってもいいんじゃないかと思って、ひな壇にお雛さまを正しい順序に並べるだけのゲームを作りました。これだと、年寄りは並べ方を知っているから、手が震えていようと、目がかすんでいようとできます。
後半は、若宮さんの知識と経験をもとに「日本のデジタル競争力はたいへん低い」、「とくに高齢者の利用率が低い」といった「超高齢化社会の現状と問題点」についてのコメントがあったが、これがまた堂々たる報告だった。とても全部はお伝え出来ないので、そのエキス、「超高齢社会を生きる高齢者への提言」の部分だけ報告しておこう。
①学びなおす。時代は産業革命期→コンピュータ・インターネット時代→AI時代と移ってきている。これまでの考えではついていけない厳しい時代だが、一方でそれは、新しいビジネスチャンスでもある。高齢者の中から新しいビジネスが生まれる可能性もある。そのためには新しい時代に応じた「学びなおし」が必要であり、「ワクワクしながら学びましょう」。若宮さんはChatGPTも駆使しており、AIを学びのために賢く利用する方法なども伝授していただいた。またカメの甲より年の功、年長者の叡智こそAI時代と共存するためのキーワードだとのご託宣だった。
③創造的に生きる。若宮さんは表計算ソフトのエクセルを描画ソフトとして使うExcelArtの考案者でもある。ここに掲げたPPファイルのデザインもエクセルを使ったものだが、衣服デザインにも応用している。柔軟な発想で機器を使いこなす見本と言っていい。おととし、台湾のデジタル庁長官、オードリー・タンさんとオンライン対談したことがあるが、そのとき、タンさんがエクセルアートに興味を持ってくれて、「完全にオープンソース化されたデジタルアートの数少ない成功例」と評価してくれたという。「すばらしいアートの開発者なのに、プログラマーだなんて言われて、嫌でしょう」とも言って、若宮さんを喜ばせたとか。
者の高齢者による高齢者のためのオンライン広場とも言うべき「
今回、唐澤さんが「精通者」として紹介してくれたのは高橋由紀子さん、テーマは「空の路地」である。高橋さんは物心ついたころから木々と親しく接し、対話してきた。その活動が縁でいろんな雑誌に紹介され、展覧会やワークショップも開くようになった。フランスに出かけたこともある。いまは主宰する「哲学・語学の『ココロエ』教室」で、木から学んだ共生(ともいき)を仲間と共有する日々を過ごしている。
として知られている)。小学校6年の時の担任の先生から、「大事なものは目に見えない」ことを教えられ、地中に伸びた根っこにも関心をもつ。
カメラで木の写真ばかりを撮っていたが、ある夕、近くの都立松沢病院の雑木林で欅を見上げながら撮った1枚の写真(右)の枝の間に興味を惹かれた。「なんだか道があるみたい」。友人から「木も話している」と聞いて、「木のコミュニケーション回路なんだ」と合点、これを「空の路地」と名づけた。
「空の路地」が雑誌に取り上げられ、講演したり、ワークショップをしたりするようになる。唐澤さんが高橋さんに出会ったのも日比谷公園でのワークショップだったとか。
あらゆる自然万物に神が宿り、私たち人間はその恩恵によって生かされています。神道的な自然観というのは、世界に誇るべき日本の宝だと私は思います」という石清水八幡宮の田中恒清宮司の文章にも接した。
杉本万由さんは現在、東京学芸大学大学院で教師教育学を専攻しながら、東京都の小学校で外国語の非常勤講師をしている。小学校の先生になりたくて東京学芸大学に入学、4年生のときは台湾大学にも留学し、現地の自由な授業風景に接してきた。大学卒業後の2020年、横浜市の教員採用試験に合格、念願の教師になったが、折しもコロナ発生の時期に重なり、異常な新人教師生活を送った。その中でも創意工夫に富む授業をしてきたようだが、教育現場の厳しい環境に突き当たり、もともと大学院進学の思いもあり、3年でいったん教師生活にピリオド。教育現場はいかにあるべきか、悩みつつ前に向かって歩み続ける若い教師の真摯な物語を聞いた。
また勤めていた小学校の環境としては、
こういう現状を反映して、教師の成り手がどんどん減っており(左表は公立学校教員採用率の推移)、東京都では倍率1、教員になりたい人はすべて採用される状態だという。これが教師の質の低下に結びつき、ときどき新聞紙面をにぎわすような不届き教師が現れる。ちなみに学芸大学卒業生のうち教員になるのは3割程度という。
竹信さんは朝日新聞記者として経済部、シンガポール特派員、労働担当編集委員などを歴任、2011年から和光大学現代人間学部教授。『ルポ雇用劣化不況』(岩波新書)で労働ペンクラブ賞受賞、最近は『女性不況サバイバル』(同、末尾に表紙写真)を出版している。今日のテーマは<高齢者にとっての今と将来~「ご隠居」から「労働者」へ>。現代の「超高齢社会」を鋭い切り口で分析してくれたが、彼女によれば、「かなり深刻な事態なのに、高齢者自身、それをあまり意識していない」のだという。たしかに。なお、今回は森治郎さん主宰の『探見』との共催で行われた。
こういう事態を受けて、国は高齢者を働かせるための施策をどんどん打ち出している。
高齢者の就業率は2021年で900万人を突破、就業率は25%、65~69歳の就業率は50%を超えた。高齢者にももちろん裕福な人はいるし、子ども孫に囲まれて悠々自適の生活している人もいるが、問題は高齢者も二極化しており、働かないと生活できない、働いても生活できない、働けない「下流老人」(藤田孝典『下流老人』朝日新書)は、空腹と冬の寒さの二者択一 (イートorヒート)をすら迫られているのだと言う。
それに対抗する高齢者は既存組織から離れているだけに孤立している。もっともこれは高齢者ばかりでなく、女性も、年少者も同じだと思われる。いわゆる企業などで働く生産年齢人口を中心に考えるだけでは、さらには男性本位に考えるだけでは、社会の矛盾を解決できない状況であるにも関わらず、既存の政治も、私たちの意識も、まだ古い残滓に取りつかれているということのようだ。
第3がその話で、唐澤さんの意図は上に掲載した通りである。縄文時代は1万年以上続いたとされ、その後の弥生時代で農耕が始まり、それが定着化、権力の発生へと繋がり、現代文明へと引き継がれるわけだが、弥生時代以後の全時代に比べて、縄文時代ははるかに長い。その感性は今の日本人にも脈々と流れているはずで、唐澤さんは、理想社会実現のヒントを縄文社会研究に求めたいと考えているようだった。もっとも、これは今後のテーマである。
1999年6月、中国・深圳市で生まれた。深圳外国語学校高校部卒業、清華大学日本語学科に入り、2019年から半年、慶応義塾大学別科に留学した経験がある。現在、清華大学修士課程に在学中、当日は大学会議室から参加していただいた。
1980年に鄧小平の改革開放路線で経済特区に指定され、急速に発達した。彼女によると、ここ30年ぐらいで人口が30万人から2000万人近くに増え、65歳以上の人口がわずかに2%程度という。「若い中国」を象徴する都市である。いまや北京、上海、広州にならぶ中国4大都市となり、高層ビルが林立する姿は東京と変わらない(写真は観光パンフから)。
清華大学図書館には夏目漱石、宮本百合子、中野重治の全集をはじめ、法律、社会福祉関係の本などがたくさんあるし(写真)、学校では加藤周一をめぐるシンポジウムや各種フォーラムがいくつも企画されている。書店では村上春樹(『職業としての小説家』など)、東野圭吾(『容疑者Ⅹの献身』など)といった最近作ばかりでなく、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』もある。芥川龍之介や太宰治なども人気で、それぞれ数十点が翻訳されており、川端康成の著作権の時効(中国では死後50年らしい)が切れたことで、『雪国』の翻訳も盛んだとか。フェミニズム関係では、上野千鶴子、伊藤詩織などの名も上がった。
もっとも若年層ではアニメなどサブカルチャーを通して日本に関心をもつ人が多く、彼女も宮崎駿をよく見るらしい。子どものころ朝夜の食事時には「名探偵コナン」、「ドラえもん」などを見て育った。本に関しては、「一般読者」と言えるような層は中国にはないが、日本もかつての「教養主義」はすでに消えており、中国とあまり変わらないのではないか、おしなべて「ファッションとしての読書」という位置づけがふさわしい、日本のサブカルチャーがリアルな日本にふれるための窓口になっている、などなど。1980年代から始まった中国の海外旅行ブームの影響にも言及があった。彼女自身、来日中、「アジアの新しい風」の人たちに案内されて、「スラムダンク」の聖地、神奈川県鎌倉高校前踏切も見学したそうである。
最後に専門の加藤周一について、それこそ修士論文レベルの考察があった。彼に限らず、丸山真男など人文科学にも関心が広がっているようだ。加藤周一に関しては、『羊の歌』、『日本文学史序説』、『日本 その心とかたち』、『日本文化における時間と空間』、『20世紀の自画像』など大部の主要著作をほとんど読んでいるようで、とくに加藤の「雑種文化論」に惹かれているとか。「戦争とは、爆撃の危険に本質があるのではなく、思想の自由が日常的に制限される心理的抑圧の経験だ」という言葉が印象深いという。
「輝くばかりの才能」が世界を変える?
福岡県小郡市で生まれ育ち、県内の大学電気工学科を卒業した牟田慎一郎さんは、そのまま福岡県に本社を置く九州松下電器に就職した。高度経済成長下の日本で、その戦士として海外約15カ国に出張した牟田さんは、外国のビジネスマンたちがけっして仕事一辺倒ではなく、自らの家族や友人、地域の人たちとの生活を楽しんでいることを見聞し、つくづく考えたらしい。仕事一辺倒の日本人よりも彼らの方がよほど豊かな人生を送っているのではないだろうか。日本社会は豊かでも個人の生活は豊かなのか。それに海外にはなんと個性豊かな人が多いのか、と。
き方に大転換する決断をし、新しい魂の旗として「創造性開発研究所」を設立した。自宅農家を近代的なものに改築、あわせて所有の水田をつぶして、人びとが交流する場所「クリエイトプラザ(ゲストハウス)」建設をめざす。テニスコート、若者たちの音楽ステージなどを併設した「夢の王国」である。ビジネスマンらしく「計画書」を作成し、家族、友人、知人に示すと、趣旨に賛同する人たちが拠金してくれ、1000万円以上が集まったという。 なるべく多くの人に会うことをモットーとしたが、そのころたまたま新聞記事で「スリランカの子どもたちの教育里親」を募集している団体を知った。英語名が「教育的文化的交流を通じて日
本人を改革する」とあるのも牟田さんの関心を誘い、さっそく月2000円を援助する里親になり、3年目にはスリランカを訪れた。現地の子どもたちは、貧しくとも目が輝いており、親や先生、お坊さんを敬う。牟田さんはここでも日本の子どもたちとどちらが幸せなのかと考え込んだという。
挑戦、勉強の成果をパソコン解析本として出版、多額の印税も得たという。アジア太平洋こども会議のホームページ作成を手伝ったのがきっかけで、ミッション・プロジェクトの団長に採用され、ミャンマー、パラオなど14カ国を訪問し、牟田さん自身、全アジアに行ったことになるという。その結果が写真のような〝絢爛〟たる肩書である。ここに日本ハビタット協会の記述もあるが、実はこの国連組織のケニアにある本部を訪れたときの話を第55回の当塾で話していただいたことがある。ウクライナから福岡に80人ぐらいの避難者が来て、地元の大学が受け入れを支援した際も協力し、その時ウクライナの応援歌を教わった。別の機会にウクライナの若い女性3人に会ったとき、それをハモニカで演奏すると、みんなが泣きだしたとか。支援ネットワークからも誘いがあって、特別顧問も引き受けている。
るけれど、人のために何かしてあげるというのは見返りを期待しているところがある。自分が楽しいからやる、というのが本当だと思う。ボランティアをしたら単位を上げるという大学があるが、愚の骨頂ではないか。
ビバ・ボランティア、あるいはボランティアの王国
80歳を超えてなおかくしゃくたる伊藤俊洋さん(元北里大学副学長、北里環境科学センター名誉顧問)が長年提唱しておられる「宇宙生命哲学―人生は素敵な地球人になるための終わりのない練習」について話を聞いた(伊藤さんは森治郎氏主宰『探見』のメンバーでもあり、今回は『探見』との共同主催である)。
地球上の生命の循環図である。大気、大洋、大地に依存し、微生物、植物、動物、人間に至るまで、あらゆる地球上の生命は、分子または原子として循環している。すべての生物は環境から生じ、また環境に返っていく。死んだあとは、微生物により分解され、二酸化炭素と水とミネラルになる。だから死とは、絶望的なことでなく、未来につながる自然の出来事であり、決して怖いことでははない(特別なものに生まれ変わるというようなことはない)。地球上の生物はすべて家族であり、そこには時空を超えた生命の流れがある。
学問の階層性。伊藤さんは「すべては物理現象として考えることができる」として、学問体系の基盤に物理学、そして化学を置き、その上に生物学、心理学を配し、最上位に「21世紀を生きるための哲学」として宇宙生命哲学を位置づけている。その上の「Ⅹ文明」は、ポストコロナ時代の人類の文明を指すという。
こり、物質を構成する原子およびその中心にある原子核の研究も進んだが、原子の構造はたとえば左図のように、原子を半分に輪切りにしたものを東京ドーム全体に例えると、原子核は2塁ベースの上においたパチンコ玉くらいの大きさなのだという。その原子核の周りは、超高速で回転する、まるで雲のような電子雲で覆われており、伊藤さんの専門である化学で言えば、化学反応はその電子雲の領域で起こる。そのさらに奥にある原子核を操作することはたいへん難しいということにもなるようだ。
理論的なことはここまでとして、宇宙生命哲学から導き出される指針は左のようにきわめてわかりやすい。「生命にとってもっとも大切なものは地球環境であることを意識」、「日常生活の中で、仕事、家庭、趣味、社会奉仕活動を大切にする」。伊藤さんはこれを「素敵な地球人になるための終わりのない練習」と呼んでいる。「終わりのない練習」とは試行錯誤大いに結構、ということのようである。
上平さんはその後、『宇宙太子との遭遇』(たま出版)という本も書き、それによると、9歳の秋に宇宙船(小型円盤)に乗った宇宙人に会った。彼らは「宇宙には地球人類だけでなく、他にも知的生命体がいることを教えるために剛史に会いに来た」、「大人になったら地球人類を救済するための本を書いてもらうことになっているが、今日のことは誰にも話すな」などとテレパシー通信で伝えたという。また14歳の5月に近くの山に登り、頂上で「宇宙の神様、私のところに降りて来てください」と叫んだあと昼寝をしていると、いつの間にか宇宙船に乗せられていた。宇宙船の仕組みなどの説明を受け、アインシュタインの理論には問題があり、光速より早く飛ぶことは可能であると言われた。別れ際に見たこともないボトルに入った飲み物をもらった。
Iさんの親友の元銀行マンは、スエデンボリの崇拝者で、実業で成功するかたわら『宇宙が味方する経営』、『宇宙が味方する生き方』などの著書もあるという。

広大な敷地に群生していた大木を伐り、桃やリンゴの木を植え、野菜を作った。桃もなり始めた8年後の2011年3月11日、外出中にグラリと来た(写真は震災前、遠方からやってきた仲間と花見を楽しんでいるところ。広い畑に立派な桜が咲いていた)。
彼が持って来てくれた、本人を含む15人の原発被害者証言集、樋口健二編著『フクシマ原発棄民 歴史の証人』(八月書館、2021)を読んだ。当日の内容を、それによって敷衍しておこう。「この国は、つつましく生きる人々を守る意思も仕組みもないのだ。これは事故ではない、災害でもない、れっきとした犯罪だ、と思った」、「住まいの補償も賠償も打ち切られ、追い詰められている被害者が頼る術は、それでもなお、『司法の良心』以外に見当たらない。これが民主主義国家日本の現状なのだ」、「ちょうど僕らが裁判を起こした時に、第2次安倍政権になって、その象徴が2013年9月の〝アンダーコントロール〟発言ですよ! オリンピック招致のためにね。あの時こそ、ほんとうに腹が立ちました。はらわたが煮えくり返るような思いでしたよ」、「いま第2次被害が起きており、まさに進行中なんです。その現われが毎年、絶望して自殺する人や、関連死なんですよ。子どもの甲状腺がんだけでなく、老人の心筋梗塞なんかもだんだん増加しているんですよ。こうした現実にフタをして押さえ込み、無いことにする。こういうのが第2次の被害、というより犯罪だと思うのです。事故を起こしたことが第1次の犯罪だとすれば、第2次の犯罪の方が罪が重いんじゃないでしょうか」。(Y)
国連推計によれば、インドは2023年の人口が14億2863万人で、中国の14億2567万人を抜き、世界一の人口国になった(国土は世界第7位、日本の9倍)。インドと中国で世界人口の3分の1以上を占める。2070年には16億9023
万人(+18%)となり、これに対して中国は10億8529万人(-24%)に減るという。この統計には香港、マカオは含まれず、当然、台湾も含まれていないわけだから、中国人は依然として超多数ではあるが、インドが世界一の人口国になったのはやはり特筆すべきだろう。
インド最大の宗教はヒンドゥー教で、独特の文化が育っているが、3大祭りの一つ、デイワリーは光の祭りと言われるだけに、夜空の花火にインド独特の建造物が浮かび上
がって美しいとか。インドの貧富の激しさは相変わらずで、マイクロバスの中での教育が行われているなど、古い部分も根強く残っているということだった。


元同僚のアベルソンさんは92歳の誕生日当日には、“For while it may be late in my afternoon, with the sun setting, it is not yet darkness”と「人生の午後」を楽しむメッセージをMLに寄せたという(藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』の「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」を思い出させる)。同じく92歳で、今でもボランティア活動の合間にテニスを楽しんでいるという、もう一人の元同僚は、”How old is too old to play tennis”と応じ、また“I no longer have birthdays enough already”と書いている。
ここでも映画「マイ・インターン」が話題になったが、たしかに大手企業を定年退職した男性が若い女性が起業したアパレル企業に「インターン」として再就職、そこで同僚や若い社長と対等につきあい、人生の午後を謳歌するということは日本ではなかなか難しい。

ト
最初は単純に自分が「あったらいいな」と思うサイトを立ち上げてきたが、やっているうちに「関わる人に喜んでもらえる」ことがやりがいになり、今では事業=「自分がやりたいこと」×「誰かをしあわせにできること」だと考えるようになったという。食卓をしあわせにしたい、作り手に光をあてたい、地域を元気にしたい、働くやりがいを感じてほしい、などなど。
た女性向けファッション通販サイト『About The Fit』に定年を迎えたデ・ニーロが再就職先としてインターンとしてやってくる話だが、粟飯原さんのオフィスも、映画とよく似た明るい雰囲気ではないだろうか。
ワクチンの接種状況は表の通りである。1回目は80%を超える接種率で、すでに5度目まで接種が続いている。そして、4月28日の第93回


を使って多くの楽曲が著作権者に無断で流通しているのは著作権法違反だとして、2003年に楽曲をアップした店員2人が逮捕され、続いて翌年、プログラムの開発者、金子勇さん(当時、東大大学院特任助手、写真)も幇助罪で逮捕された。包丁を使って殺人が行われたからと、包丁業者も取り調べられるのはおかしい、と当初から警察・検察の捜査には強い異論があったが、京都地裁は
これを有罪と認め、その後、大阪高裁で逆転無罪、2011年、最高裁でも無罪が確定した。
さて、そのバーチャルオフィスだが、彼女がプレゼンテーションしてくれたオフィス(写真)はたしかにすばらしかった。会議室、作業室、応接室、集中作業室などいろんな部屋があり、東京オフィス、北海道オフィス、奈良オフィスなどが同居、それぞれの従業員が仕事に励んでいるが、たとえば社長の田澤さんが東京オフィスを訪ねて、声をかけるとそれぞれの従業員がカメラをオンにして、そこで打ち合わせもできる。勤務先は東京、奈良、北見と離れていても、まるで一カ所にいるような親近感も感じられる。これが田澤さんのめざすテレワークである。
また田澤さんのプレゼンテーションはパワーポイントを画面共有して話すだけでなく、ご本人がその背景の中に入り込んで教師が黒板を指し示しながら話をする臨場感あふれるもので、なるほどこれはいいと、我がOnline塾DOORSでも実践を目指すことにした。
ワクチンを接種した人にとってはショッキングな内容で、①新型コロナが人工によってつくられたものであることはほぼ明らかになっている(モデルナ社が特許をとった人工ウイルスが中国の武漢研究所から漏れた可能性が強い)、②ワクチンの実用化にはふつうは10年近い試験期間が必要なのに、コロナワクチンは1カ月程度という短期間の試験期間しかなかった、③ワクチンはいろんな障害をもたらす恐れがあるが、人体のRNAを書き換えるため、長期的には免疫不全症候群(エイズ)と同じような副作用をもたらす可能性がある(写真はその警告)。④ワクチンの製造元、米ファイザー社の科学計画ディレクターをつとめる若い研究者への「覆面インタビュー」によると、ファイザー社は事前にコロナの変異株を作り、それに対応するワクチンを開発、さらなる金儲けを画策している。またワクチンの規制当局は、天下り先のファイザー社には甘い対応しかしていない、といったもので、とくに④は第一線の技術者のモラルの崩壊をもうかがわせるものだった。
ナイロビのハビタット本部も加えた特別ツアーに、ボランティア仲間など10人が参加した。広大な大地を一直線に伸びる道路を大型ジープに乗って疾駆、ナイロビ周辺の都市や大自然、人びとの暮らしや習俗などを探訪してきた。ケニアの広大な夕陽、ケニアとタンザニアを移動するヌーの大移動な
ど、めずらしい経験が丁寧な記録として整理されており、たいへん楽しいひとときだった。ヌーの大移動を実際に見る機会はめったにないらしい。ナイロビのハビタット本部には3800人が働いており、活動の一環として進められていた一
大スラムの居住計画も見学してきたという。
上の写真は、ある人が「ChatGPTはどんな質問ができますか」と質問したら、答えは「受け付けられる質問」を列記したものだったという例。たとえば、これまで調べものをする人の多くがグーグルの検索エンジンに、たとえば「学問とは何か」といったキーワードを打ち込み、表示される関連サイトを読みながら考えをまとめていたわけである(書籍など他の文献を参照する人も多いだろうが)。この検索、編集の作業をChatGPTがリアルタイムで行い、即座に英語の質問になら英語で、日本語の質問なら日本語で答えてくれる。唐澤さんの実証によれば、その回答は優等生的で誹謗中傷などは行わず、どちらかというと最大公約数的になりがちだが、それでもそれなりの答えを一瞬で出してくる。学界に提出できるレベルの論文を書いたり、実働するプログラム、読後感想文、イベント企画、歌詞までつくったりするらしい。同サービスはとりあえず無料で公開されている。
コンピュータの性能は、2045年には人間の頭脳を上回る(シンギュラリティ=技術特異点)と説くレイ・カーツワイルのような未来学者(コンピュータ科学者)もいるが、「情報通信講釈師」を名乗る唐澤さんは「2050年ぐらいまではコンピュータの知能が人間を上回ることにはならないのではないか」と語った。彼の結論は「我々は人間にしかできない脳力を磨き、人工知能を使いこなせば良い」ということである。ちなみに経産省が未来人材会議に諮問してまとめ、2022年5月に発表した「未来人材ビジョン」では、2050年に必要になる人間の能力について、以前(2015年)と対比させつつ、上図のように表示している。


話は豊富な写真のもとに、アフリカの自然、民族、経済、暮らしなど多方面にわたった。アフリカと言うと、貧困、民族紛争、感染症、貧富の差など暗い話題が多いが、アフリカがいま急速に発展しつつあるのはたしかなようだ。
ケニアの新幹線やキャッシュレス制度、ナイジェリアや南アフリカ共和国の近代都市群などなど。ケニアのキャッシュレス制度M-PESAはほぼ100%の実施で、物乞いの人たちも坐った前に自分のID番号を表示して、ケータイ経由で施しを受けているのだとか。ナイジェリア、ケニアなどで特徴的だが、発展すればするほど格差がひどくなる。資源のある国は豊かだが、その資源が民族紛争につながったりもしているらしい。



ベトナム出身で現在、鹿児島の専門学校、赤塚学園で職員として、教師として活躍するプティニュ・マイさん。ハノイ近くのハイズォンで高校を卒業、ハノイ日本語学校で日本語を学んだあと、2011年に来日、日本経済大学経営学部を卒業し、そのまま福岡や石川の日本企業で働き、2022年から赤塚学園に就職した。
赤塚学園は看護、医療事務、美容、デザインなどの専門学校だが(下写真)、3代目の経営者、赤塚隆平さんになってからグローバルビジネス科も設置し、現在、海外からの留学生も含む300人が学んでいる。
ノイは同じ距離です。だから<東南アジアの中の鹿児島>という位置づけで生徒募集もしています」と話していた。実際、赤塚学園はスリランカ、ベトナムなどから多くの留学生を迎えている。田中さん自体、地方から世界を撃つというか、ローカルにしてグローバルな教育理念を掲げているが、マイさんその人も地方で学び、そのまま地方で就職するという、中央指向の風潮とは対極にある生き方をしており、ここでも日本とアジアの新しい共生が始まる希望を感じる。
メタバース講義2回目は、それを実現させるためのさまざまな技術についての説明だった。そしてわかったのは、インターネットはさらなる新次元を迎えている(サイバー空間は三次元化し、しかも分散型ネットワークに変わる)という事実だった。メタバースが近い将来に実現するかどうかはともかく、そこに投入される技術の革新性は、いま世界を支配しているGAFA (Google、Amazon、Facebook、Apple。Microsoftを加えてGAFAMとも呼ぶ)の時代を終わらせる可能性も秘めているようである。
とに関連しては、現代のところ文章は書けるが感動を与える小説は苦戦中というところらしい。美術では、文章とモード(〇〇ふうというタッチ)の選択で作品が創造できる「Dream」アプリがある(写真)。グーグルのプロジェクトLaMDAのプロモーションも紹介された。
サイバー空間がかぶさっている。このサイバー空間は三次元であり、おそらくこの空間そのものがメタバースという新しい宇宙になるだろう。現実世界の我々はメタバースに適宜アクセスしてゲームやコミュニケーションやビジネスを楽しむことができるが、ほとんどの時間をサイバー空間のみで過ごす人も出てきそうである。


このメタバースについてメンバーの唐澤豊さんに聞いた。
ネパールのスペディ・ナビンさん。2013年にトリブワン大学経営学部を卒業、同年に日本に留学、日本語学校や福岡工業大学短期大学部ビジネス情報学科などで学び、2019年10月からアジアマーケテインググループに就職、現在は日本ITビジネスカレッジで、外国人労働者および留学生受け入れ関連業務に従事している。
日本ITビジネスカレッジは第40回授業、<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>で登壇していただいた田中旬一さんが地元の瀬戸内市でローカルとグローバルの接点として立ち上げたベンチャー企業で、いま中国、ベトナム、フィリピン、ネパールなどから50人近い留学生が国際ビジネス学科(IT、外国語)、介護福祉学科などで学んでおり、来春には日本語学科新設も予定している。ナビンさんはそこで働いているわけである。一時は150人もいた留学生がコロナ禍で減っているが、2年後にはまた150人規模に復活したいと言う。
道の2倍弱、人口3000万人。産業はほとんどが農業で、435万人が海外に出ており、日本在住者が9万人いるという。ネパールの月収は平均2万円、日本で学ぶためにはざっと140万円を準備する必要があるとかで、ナビンさんは親戚や銀行などから金を駆り集めて日本にやってきた。
新聞配達などのアルバイトをしながら苦学してきたらしいが、常に笑顔を絶やさず、前を向いて頑張っている姿はたいへんさわやかで、国自体の若さを感じさせられた。いずれはネパールと日本の架け橋として、故郷で起業することをめざしている。
1965年東京都生まれ。早稲田大学文学部・同大学院で中国文学・漢字学を研究。国立国語研究所研究官などを経て、2007年から早稲田大学社会科学学術院教授。漢字の字体問題、日本で生まれた国字研究、漢字と社会の関係など、漢字を広い視野から深く研究、その著作 や発言は文部科学省やJISの漢字規範の制定にも大きな影響を与えている。『日本の漢字』(岩波新書、2006)、『謎の漢字』(中公新書、2017)などの著書がある。この講義は『探見』の会との共催で行われた。
国際政治学者で慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授。同大総合政策学部学部長を経て2021年8月から慶應義塾常任理事(副学長)。インターネット上のサイバー空間が国際安全保障環境に対して及ぼす影響などの研究で知られる。『サイバー・テロ 日米vs.中国』(文藝春秋、2012)、『暴露の世紀――国家を揺るがすサイバーテロリズム』(KADOKAWA、2016)、『サイバーグレートゲーム――政治・経済・技術とデータをめぐる地政学』(千倉書房、2020)などの著書がある。
サイバー戦争の戦場は前4者とは性格が違い、世界中に広がっているとも言えるが、土屋さんによれば、それは「通信機器+通信チャンネル+記憶装置」である。たしかに。

彼によれば、ベトナムのIT企業は国の支援もあって伸び盛りで、毎年大学から5万人の人材が供給される。現人員の90%強が20代、30代の若者で、女性が4割を占める。「私が大学を出たころはまだIT企業も少なかった。日本語の先生に日本で勉強して帰国後に起業するのがいい」と勧められた。私たちの世代はベトナムIT事業の先頭を走っている」、「最初はオフショア(委託業務)を受注する企業が多かったが、自前の開発をするところも増えてきた。今のベトナムは50年ほど前の日本の状態。ここで発展させなければ、いずれベトナムも高齢化の波にのまれてしまう」。ベトナムは若い国であり、ヴァンさんの未来も明るく輝いているようである。
ベトナムについては、正直に言うと、ベトナム戦争の悲惨な映像しか知らなかったのだが、行ってみて大いに驚いた。ホーチミン市には国内最高層、81階のランドマーク81(写真)を初めとして高層ビルが林立し、交通手段はバイクだが、人々の表情は活気に満ちていた。繁華街に行くと、昔ながらの市場もあり、時代が交錯し変化していく姿を体感できた。なるほどこれが「高度成長の活気なのか」と私は思った。日本でも高度成長期には給与も上がり、変化が目まぐるしく、仕事は忙しかったが活気があって楽しかった、という話をよく聞かされていた。
東京都多摩市長。日本新聞協会事務局次長から、2010 年に、民主・共産・社民・生活者ネットワークの推薦で立候補し当選、次期14 年からは政党の推薦を受けずに無所属で立ち、今春4選を果たした。「健康」と「幸福」を兼ねそなえた「多摩市健幸都市宣言」、「多摩市非核平和都市宣言」、「多摩市気候非常事態宣言」など、独創的な地域づくりや平和・脱原発への取り組みで知られる。森治郎さん主催の<『探見』の会>との共催2回目です。
は都直轄の保健所しかなく、PCR検査など患者情報が個人情報保護法のネックで市と共有できないなど、最初はいろんな制約があったが、それを粘り強い国への働きかけ(「多摩一揆」などと言われたらしい)で丁寧にほぐしつつ、都内でワクチン接種率1位という実績に結びつけた。
熊本生まれ、横浜育ち。母親の影響で早くからボランティア活動に親しむ。教師になろうと入学した大学の文学部史学科時代、夏休みを利用して東南アジアをバックパーカーとして旅行したこともあって、途上国での医療活動に従事しようと翻心、看護学科に学士入学して看護師となった。NGO職員としてミャンマーに出かけて、2021年2月1日の軍事クーデターに遭遇した。
昨日(2022.7.12)までの犠牲者は2077人、逮捕者は1万4549人、いまだにスーチーさんをはじめ1万1483人が拘束されている。軍政下の圧政は苛烈と言っていいようだが、その中で市民的不服従運動(CDM)、亡命政府(NUG)などを中心に抵抗も続いている。国境周辺の少数民族の武装勢力と組んで若者たちが武装して戦
っているのは報道されている通りである。

って授業カリキュラムを作成する」、「企業と提携して授業を展開し、インターンシップも実施」するなど、企業との提携を強めている。近く日本語教育部門も開設する。いまは実務教育本位だが、田中さんの構想はそれに止まらず、2030年以降は多様な価値観が求められる時代を生き抜くためのリベラルアーツ(理系、文系の垣根を超えた一般教養科目)を教える大学院大学を設立する計画だという。日本ITシステムやブロックチェーンなどIT関連会社も運営しており、これらの会社は卒業生の受け皿企業ともなりそうである。田中さんは全国各地に広がるいろんな地方創生事業とも連携を深め、地元に根ざししながら、同時にグローバルに展開するという。まさに発展途上である(右写真は瀬戸内海船上でのブロックチェーンの面接風景)。
インドネシアのサムスル・マアリフ(Sasul Maarif)さん。2013年、パジャララン大学日本語学科卒、南山大学日本語別科や大阪大学大学院文化研究科博士課程で学び、現在、パジャジャラン大学日本語学科非常勤講師。
であるとのデータが興味を引いた。その一部をグラフにしたもので見ると、数の多さが際立つ。インドネシアの人口は世界第4位ではあるけれど‣‣‣。
ところで第21回講義でも紹介した下図によると、日本滞在の外国人数は中国、韓国、ベトナム、フィリピンの順で、留学生でも中国、ベトナム、ネパール、韓国となっている。
インドネシアで日本語を学んだ人の半数は現地の日系企業に就職しているという。なぜ日本に来ないか。その理由はイスラム教にある。インドネシアは世界最大のイスラム教国であり、人口の9割がイスラム教徒である。食べ物の制限(ハラール)もあるし、1日5回のお祈り、ラマダーンの断食など厳しい戒律があり、生活環境の違いが来日を思いとどまらせているらしい。サムスルさんは「祈りの場所を用意していただけると、インドネシアからの雇用もスムーズにいくのでは」と話していた(Y)。
大森静です。中国から日本に来て、いまは日本人と結婚、福岡市に住み、4歳の子どもがいます。九州大学研究室で働いています。よろしくお願いします。楽しい場にできるように頑張ります(^o^)。



1人1票訴訟の経過にふれておくと、