気功と好転反応<途中でやめてしまうのはもったいない>
夜明け前に漆黒の闇が訪れるように、体調が好転する直前にかえって症状が重くなることは多くの人が経験することですが、これは一般には「好転反応」として知られています。私にも熱心に気功に取り組んでいたころ、かえって体調が悪くなった時期があります。
蠕動のやり方がうまくなったために体内の滓が解凍し始めているのだが、そのために出た大量の邪気を放散できないために、かえって悪さをしているのではないかと思ったりもしたのですが、気功をやれば悪くなる、と言うか、休めば症状が軽くなるような経験をしました。
しばらく気功を休んだ方がいいかもしれないと思い、実際に1週間ほどやらないこともありましたが、そのころ先生の『気功瞑想ですっきりする』の中に「気功には好転反応もあります」の一文を見つけて、救われた思いがしました。
こう書いてありました。
気功を練習することにより心身ともにさまざまな問題か生じてくることが考えられます。弱い体を健康な体にすることは大変です。一気に良くなるのではなく、波のように良くなったり悪くなったりしながら、階段を一段ずつ上がるように次第に改善されていきます。体調が少々悪くなっても継続し気功を信じて乗り越えることが大事です。
――良い結果がでるまでに苦しみ、痛みが先行する場合もありますね。たとえば2日間の基礎集中コースの練習の時、2日目は良い感じが次第に浮かんできますが、初日は疲れるばかりでつまらないと思うかもしれません。特にスジ、筋肉が硬くて弱い人は辛く感じることもあるでしょうし、2日目起きる時に、筋肉痛を伴うこともあるでしょう。それでも続けて2日目に練習に行くか行かないかが大事な分かれ道です。
瞑想教室では4日間の工程をとっています。3日目までは辛くてしょうがなかったのに、4日目は見違えるように体が軽くなるという人は結構多いです。こういうところに気功を信じる心の強さが現れます。途中で止める人もいますが、残念ですね。
何事によらず、ものごとをある程度理解できるようになるまでは時間がかかるし、それなりの練習も必要ですね。密処は股間全体で緩めなくてはならないと、言葉として理解することと、実際に体で体験して心底「腑に落ちる」のとは雲泥の差です。「これは大発見だ」と思ったことが、実は過去にすでに〝発見〟し、その後忘れていたものだったりすることはよくあります。
修行には導師(グル)が必要だと言われるのも、このことと関係しますね。悩んでいるときに聞く「その一言」がありがたいわけです。
好転反応についてウィキペディアには以下の説明があります。
好転反応とは、治療の過程で一時的に起こる身体反応のこと。‣‣‣病状の改善が現れる前の一時的な悪化であり、経験上3~4日まで持続することが多い‣‣‣。
慢性的に疲労していた筋肉がほぐれ、溜まっていた老廃物が血液中に流れることなどが要因として考えられる。だるさや眠気、ほてりなどを感じるケースが多い。‣‣‣。また、老廃物が尿として排出されるため、その色が濃くなったりする。その他にも、主訴となる症状が一過的にぶり返したかのように見える場合もある。
他のウエブ上の記事を見てみると、好転反応というのは、鍼治療や整体などの自然治療を受けた翌日に、健康を取り戻す過程で、体にだるいなどの疲れや痛み、発熱などの症状が現れることを言う、という説明もあります。「一気に毒素や老廃物が身体中を駆け巡ることで、好転反応の症状が起きるようになります」とも書いてあり、この箇所は冒頭に述べた私の実感に近いです。
『気功瞑想でホッとする』の「瞑想に入る前に」で書いておられる気功を始める心構えは、初心者にぜひ読んでいただきたいものです。好転反応の一字もここで見つけたわけですが、「信じることと気功」、「普段の生活と気功」のくだりはとくに、初心者向けです。ここでは「適切な教室、功法、指導者は信念を支える要素です」のくだりだけ再掲しておきます。
いくら気功を信じて練習するといっても、 一人で練習するよりは教室に通うことで楽に長く続けられます。また、教室の雰囲気の中で練習する時と一人で練習する時とでは感覚が違います。
功法は練習の方法であり教材です。1年生で3年生の内容を勉強しても効果がないし、3 年生になって1年生のものを勉強しても進歩はありません。
また、教材がいかに素晴らしくても人によって理解が異なりますし、注意しないと間違った解釈になるかもしれません。ですから正しく体得している指導者が必要となります。良い指導者であれば教材の良さをすべて伝えることができます。








中国人留学生、ユー・プーホン(余浦弘)さん。北京の中央財経大学卒業後、UCLA、シカゴ大、スタンフォード大に短期研修留学、2019年から東大経済学部修士課程に在学中。
ベトナムのチャントゥチャン(TRAN THU TRANG)さん。ハノイ貿易大学在学中の2011年、日本文科省の奨学金を得て来日。東京外大日本語教育センター終了後、2016年に京大経済学部を卒業して日本の製薬会社に入社、2021年からシンガポール勤務。
ミャンマーのスータンギレッさん。ヤンゴン外国語大で仏語専攻。ミャンマーの日系企業で働いた後、2015年奨学金を獲得し来日。2018年法政大大学院でMBA取得。同大卒業後、2018年から日系総合商社に勤務。
スウェーデンで日本語を教える雪江しおりさん。大妻女子大在学中、北京師範大で2年間中国語を学ぶ。上海の日本語スクールでスウェーデン技師と知り合い、結婚してスウェーデンへ。ストックホルム大学で専門職学士の学位を獲得。現在、スウェーデン語学校のキャリアカウンセラーとして勤務。
ネパールの青年実業家、パウデル・スンダ―さん。現地からの参加。ポカラ出身。祖父から「日本のラジオは世界一だ」と聞かされて育ち、ネパールの大学を卒業後、1999年に来日。武蔵工業大学で環境情報学を学び、卒業後、日本人と交流する場を作るためネパール・インド料理のレストランを開業した。その後、東洋大学大学院博士課程で木造建築を研究。ネパールで木造建築の普及を目指す会社を設立。
ナイジェリアから留学中のチグメズ・イベグアムさん。2017年にあしなが育英会「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」の奨学生として採用され、2018年春に来日。2年間、JASSO東京日本語教育センターおよび大阪YMCA日本語学校に通い、2020年4月より岡山大学グローバル・ディスカバリー・プログラムに進学中。
ドイツ在住の映像ジャーナリスト、玉腰兼人さん。立命館大学国際関係学部在学中の2008年9月より交換留学生としてベルリン・フンボルト大学に1年間滞在、日本に帰国し大学を卒業後、再度渡独し「オペア・ホームステイプログラム」に参加、ハンブルグのドイツ人家庭で5人の子どもと1年間生活。2012年、ベルリンの映像制作会社に勤務、2019年にフリーの「VideoProducer/Coordinator」として活動。ドイツ・欧州各国において、主に日本のテレビ番組、各種プロモーション動画・写真の撮影、取材アレンジ・コーディネートなどを手がける。ドイツの
シェラレオネから留学中のイジキエル・ガイネシさん。2018年にあしなが育英会「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」の奨学生として採用され、2019年春に来日。JASSO東京日本語教育センターに1年間通い、2020年4月より東京国際大学に進学中。デジタル・ビジネス&イノベーション専攻。
中国留学生、ショウ・ヨウレイ(焦燁泠)さん。江蘇省・南京市出身。南京外国語学校で中高時代を過ごし、北京科技大学に進学、英語を専攻。大学2年次に、北京大学・国家発展研究院で、経済の第2学位を取得。交換留学で北欧エストニアのタルトゥ大学に進み、その後カリフォルニア大バークレー校のサマースクールを受講。2019年秋に来日し、東大経済学部大学院研究科コースで、農業経済学や、ジェンダー労働経済学を研究中。趣味は、JーPOP、K―POP、テコンドー、ピアノ演奏。
ベトナム出身の起業家、ドゥツク・ドバ(Duc Doba)さん。タンホア市生まれ。ハノイ国家大学IT学部を卒業したあと、ソフトウェアエンジニアとして来日。楽天、LINE、ソフトバンクなど大手テクノロジー企業で12年間、IT開発サービス研究開発に従事。日本でのSB Cloud (Alibaba Cloud)サービスの立ち上げに貢献した。2017年に9月に日本の深刻なIT人材の需要と供給のギャップを埋める事業をめざす
セネガルから留学のアストゥ・ンジャイさん。あしなが育英会の高校留学プログラムに合格し、2016年~2019年の3年間は仙台育英学園で過ごす。卒業後、「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」の奨学生として東京国際大学に進学。現在2年生で、経営学・マーケティングを専攻している。
ベトナムのブイハン(BUI THI THUY HANG)さん。2009年、ハノイの貿易大学入学。2011年、文部科学省の奨学金で日本へ留学、東京外国語大学日本語教育センターを経て2016年、一橋大学経済学部卒業して日本企業に入社。その後Warwick Business School大学院(イギリス)を卒業し、2020年ベトナムに帰国、現在は現地企業のプロジェクト品質管理に所属。
ベトナムのレマイフォン(Le Mai Phuong)さん。ハノイの貿易大学卒業後、一橋大学経済学部卒、現在は大阪大学経済学研究科博士課程在学中。
ベトナムのグエンミンフェ(NGUYEN MINHHUE)さん。高校を卒業してすぐ日本に留学、町田市立看護専門学校を卒業して正看護師国家資格を取得、「勉強好き」(本人の弁)が高じてか、続いて放送大学教養学部卒業、さらに東京大学大学院創成科学研究科博士課程でメディカルゲノムを専攻した。JAXA(宇宙航空研究開発機構)などを経て、現在は日本の製薬会社勤務。 すごい知力とバイタリティ。その間に修得したペラペラ、かつ早口の日本語で、医療から見たベトナムと日本の違いなどについて、しじゅう笑顔で話してくれた。「Zoomのチャット機能を使って質問してくれれば、後からまとめてお答えします」と、Zoomの使い方指南もしていただいた(^o^)。

宮前ゆかりさんはコロラド州ボルダー在住。フリーランスのリサーチャー、翻訳家。TUP(平和をめざす翻訳者たち)メンバー。ボルダーの独立非営利ラジオ局KGNUでニュース番組や音楽番組を手がけるプロデューサーでもある。元ナイトリッダー新聞社メディア研究員。訳書にダニエル・エルスバーグ著『世界滅亡マシン:核戦争計画者の告白』(共訳:岩波書店)、グレッグ・ミッチェル著『ウィキリークスの時代』(岩波書店)など。米国の市民運動に関する複数の記事を月刊『世界』に寄稿している。


『ASAHIパソコン』草創期にアルバイトとして3人の学生が手伝ってくれていたが、彼らは毎年、花見にも参加、そのうち彼女を連れてくるようになり、ほどなく結婚、そのうち親になった。子どもたちの中で同い年の男の子2人はすっかり仲良くなり、年に1度の出会いを楽しみにしていた。彼らは満開の桜の下でも、花吹雪の中でも、雨に打たれる花びらの上でも、ほとんど花には背いて、ゲームなどに興じていた。時がたち、2人は社会人になり、それぞれ自動車関係の会社に就職した。そのうちの1人が今回、花見の義理に背かず、講師役を買って出てくれたわけである。今回の授業を担当した松浦氏も花見後半の常連だった。