東山「禅密気功な日々」(20) 動功編③

気功と好転反応<途中でやめてしまうのはもったいない>

 夜明け前に漆黒の闇が訪れるように、体調が好転する直前にかえって症状が重くなることは多くの人が経験することですが、これは一般には「好転反応」として知られています。私にも熱心に気功に取り組んでいたころ、かえって体調が悪くなった時期があります。
 蠕動のやり方がうまくなったために体内の滓が解凍し始めているのだが、そのために出た大量の邪気を放散できないために、かえって悪さをしているのではないかと思ったりもしたのですが、気功をやれば悪くなる、と言うか、休めば症状が軽くなるような経験をしました。
 しばらく気功を休んだ方がいいかもしれないと思い、実際に1週間ほどやらないこともありましたが、そのころ先生の『気功瞑想ですっきりする』の中に「気功には好転反応もあります」の一文を見つけて、救われた思いがしました。
 こう書いてありました。

 気功を練習することにより心身ともにさまざまな問題か生じてくることが考えられます。弱い体を健康な体にすることは大変です。一気に良くなるのではなく、波のように良くなったり悪くなったりしながら、階段を一段ずつ上がるように次第に改善されていきます。体調が少々悪くなっても継続し気功を信じて乗り越えることが大事です。

――良い結果がでるまでに苦しみ、痛みが先行する場合もありますね。たとえば2日間の基礎集中コースの練習の時、2日目は良い感じが次第に浮かんできますが、初日は疲れるばかりでつまらないと思うかもしれません。特にスジ、筋肉が硬くて弱い人は辛く感じることもあるでしょうし、2日目起きる時に、筋肉痛を伴うこともあるでしょう。それでも続けて2日目に練習に行くか行かないかが大事な分かれ道です。
 瞑想教室では4日間の工程をとっています。3日目までは辛くてしょうがなかったのに、4日目は見違えるように体が軽くなるという人は結構多いです。こういうところに気功を信じる心の強さが現れます。途中で止める人もいますが、残念ですね。

 何事によらず、ものごとをある程度理解できるようになるまでは時間がかかるし、それなりの練習も必要ですね。密処は股間全体で緩めなくてはならないと、言葉として理解することと、実際に体で体験して心底「腑に落ちる」のとは雲泥の差です。「これは大発見だ」と思ったことが、実は過去にすでに〝発見〟し、その後忘れていたものだったりすることはよくあります。
 修行には導師(グル)が必要だと言われるのも、このことと関係しますね。悩んでいるときに聞く「その一言」がありがたいわけです。
 好転反応についてウィキペディアには以下の説明があります。

 好転反応とは、治療の過程で一時的に起こる身体反応のこと。‣‣‣病状の改善が現れる前の一時的な悪化であり、経験上3~4日まで持続することが多い‣‣‣。
 慢性的に疲労していた筋肉がほぐれ、溜まっていた老廃物が血液中に流れることなどが要因として考えられる。だるさや眠気、ほてりなどを感じるケースが多い。‣‣‣。また、老廃物が尿として排出されるため、その色が濃くなったりする。その他にも、主訴となる症状が一過的にぶり返したかのように見える場合もある。

 他のウエブ上の記事を見てみると、好転反応というのは、鍼治療や整体などの自然治療を受けた翌日に、健康を取り戻す過程で、体にだるいなどの疲れや痛み、発熱などの症状が現れることを言う、という説明もあります。「一気に毒素や老廃物が身体中を駆け巡ることで、好転反応の症状が起きるようになります」とも書いてあり、この箇所は冒頭に述べた私の実感に近いです。
 『気功瞑想でホッとする』の「瞑想に入る前に」で書いておられる気功を始める心構えは、初心者にぜひ読んでいただきたいものです。好転反応の一字もここで見つけたわけですが、「信じることと気功」、「普段の生活と気功」のくだりはとくに、初心者向けです。ここでは「適切な教室、功法、指導者は信念を支える要素です」のくだりだけ再掲しておきます。

 いくら気功を信じて練習するといっても、 一人で練習するよりは教室に通うことで楽に長く続けられます。また、教室の雰囲気の中で練習する時と一人で練習する時とでは感覚が違います。
 功法は練習の方法であり教材です。1年生で3年生の内容を勉強しても効果がないし、3 年生になって1年生のものを勉強しても進歩はありません。
 また、教材がいかに素晴らしくても人によって理解が異なりますし、注意しないと間違った解釈になるかもしれません。ですから正しく体得している指導者が必要となります。良い指導者であれば教材の良さをすべて伝えることができます。

東山「禅密気功な日々」(19) 動功編②

基本姿勢と収功<なにはともあれリラックス>

 築基功のCDを聞いたりDVDを見たりしていただければわかりますが、最初に築基功を行うための準備態勢の説明があり、最後は「収功」にふれています。このことについてお聞きします。

――立ち方の基本は、身体全体の緊張をとり、心身ともに力が抜けて、もっともリラックスする位置を探すことです。頭のてっぺんである天頂を気の糸で吊るされているような感覚、かかとのあたりから密処(陰部と肛門の間)、天頂を通して気の柱が自分の中にあるといった感覚をつかみましょう。

 坐禅でも髪の毛で全身が吊るされている感じということを言いますね。天頂から密処にかけて気の筋が通るようにすると。

――立ち方のポイントは次のとおりです。

 ①両足を肩幅に開き、爪先を心持ち外に向けて立ち、指先は軽く開きます。体重の7割をかかとに落とし、3割を足裏の前の部分にかけます。これを三七分力といいます。
   ②両膝を曲げないようにし、硬直しないように緩めて、膝関節が自由に微動できる状態を保ちます。骨盤の関節を緩め、腰椎の生理的な前屈をなくすために、臀部を少し引っ込めます。また、両股の関節の前側を伸ばすように、少し前のほうへ出します。
   ③肩を下げ(緩め)、脇の下を少し開いて、両肘を心もち外側へ引っ張るようにします。両腕は下に垂らして、指は自然に開きます。頸椎は真っ直ぐにして、頭部は少し持ち上げ、天頂が天丼から細いヒモで吊るされているような感じにします。

 三点一線というのはどういうものですか。

――両踵を結んだ線の真ん中、密処、天頂の3点が、垂直に一直線になるように立つことです。3点を結んで気の柱があるようにイメージするのがコツです。
 密処は陰部と肛門の間、すなわち会陰のあたりのことですが、小さな点や表面の一部ではなく、下腹部全体と連なった「立体」としてイメージします。密処は気を運行させる重要な通路で、要となる場所です。リラックスさせると同時に、意識を密処に強く集中します。密処が緩めば、両腿の内側に温かい感じがして、陰部に痺れ、微かな性感を感じます。
 慧中は両眉の真ん中、少し上のところにあります。「第三の目」とも言われるところで、エネルギーの出入り口です。慧中を開くには、快い気持ちを持って意識を慧中に集中し、そこに窓を開いて光を見るようにイメージします。

 密処を緩めるのと慧中を開くのは、ともに最初はチンプンカンプンだと思いますね。ふだん私たちは密処とか慧中を意識しないし、そもそも病気の時以外は、体のことを考えることもありません。そして喉元過ぎれば熱さを忘れる、健康になれば、また忘れてしまうわけです。
 緩密処(密処を緩めること)と展彗中(慧中を開くこと)は瞑想に結びつく大事なポイントですので、後でもお聞きしますが、一般的に言って、自分の体の内部をのぞくのは大変興味深い。精神世界の広大さを感じますね。「魂の井戸に石を投げてその深さを測る」という表現を見た記憶があります。気宇壮大と言えば、こんなざれ歌もあります。

  天と地を 団子に丸めて 手にのせて ぐっと飲めども 喉にさわらず

 落語家の始祖、曽呂利新左衛門の作とも言われるようですが、真偽は知りません。
 閑話休題。
 これは本コラム冒頭に書いたことですが、専門コーステキストに「注意事項」として、「彗中を広げ、密処を緩めるとき、いずれも〝点着〟(穴を守ること)しないで、〝面顧〟(全体意識)すること。でないと、結果はよくならない」と書いてありました。密処なら股間全体、慧中なら頭全体を緩めるということですか。

・眉間を開いて、笑みをたたえた状態にする

――展彗中では、眉間にシワを寄せるのではなく、平らに広げて穏やかな気持ちで、にこやかに笑みをたたえた状態にします。心の奥底から自然にこみ上げてくる楽しさ、悦び、おおらかさ、温かさ、優しさ、慈しみなどの気持ちが、自ずと笑みとなって現れた状態です。

 要はリラックスということでしょうが、このリラックスがなかなかむつかしい。実際に慧中が開いている人は外から見てもわかりますか。

――ゆったりとほほ笑むような気持になっていれば、当然、外から見てもわかりますね。実際に、にこやかにほほ笑むような気持になることが大事です。

 築基功をするにあたっては、三七分力、三点一線、展彗中、緩密処を整えないといけないということですね。
 続いて収功についてお聞きします。

――築基功の最後は気を収める動作、「収功」です。ポイントは、周りに広がった気を身体に入れて、下腹部の中心(丹田)に収める点です。収功の順序は次のとおりです。
 ①両手を左右に開いて、周りに広がった気を抱えるようにしてゆつくりと上げていきます。このとき背骨は微動させます。
 ②肩のあたりで両手の手のひらを上に向け、そのままゆつくりと上げていって、頭の上で手のひらを合わせます。このとき頭の上で気を集め、まとめるようにイメージします。
 ③合わせた両手を上からゆっくり降ろしていきます。慧中から顔の前を通り、胸のあたりまできたら、合掌している両手の手首の部分を少し開き、指先を付けたまま下に向け、そのままお腹の前まで降ろします。
 ④お腹の部分にある帯脈に沿って両手を左右に開きます。
 ⑤次に気を丹田に収めるために、印(解脱印)を結びます。両手の指を左右交互に組み、男性は左手の人差し指が右手の人差し指の上になるようにし、女性はその逆に置きます。このとき、気は慧中から背骨を通って、丹田にどんどん流れていき、背骨を洗います。
 ⑥気は拡散したボールからだんだん凝縮されたようになり、最後に気の感じがなくなったら、ゆっくりと目を開けます.

 収功は必ず必要ですか。教室で築基功をやったときも、必ずしも毎回、収功するわけでもありませんが‣‣‣。

――収功は、結局、体を整えるということですね。朝、いきなり起きるより、少し体を動かして態勢を整えて起きたほうがいいですね。妙な姿勢で起きると、一日調子が悪かったりします。これと同じで収功は穏やかな、やわらかい気持ちで終わるようにするのがねらいです。

 CDの最後に「脊椎を観想して、気を丹田のところに集めて、漏れないように集めます」と言っています。この「漏れないように集めます」というのはどういうことを言っているのでしょうか。

――意念を丹田に集中すれば気は自然に丹田に集まります。

 気の流れを心眼で追おうとしても、最初はどうしても腹の前あたりで止まってしまい、それより下までいけないということがありました。そのうち自然に下りていくようになりましたが‣‣‣。 
 話がぐっと下世話になって申し訳ないですが、鎌倉教室であるとき先生が蠕動の指導をしながら、「これをやっていれば、腰もくびれて、すっきりした体になりますよ」とおっしゃいましたが、これは私にはずいぶん腑に落ちる話です。体を隅々まで丁寧に動かし、たまった滓をそぎ落とせば、腰が引き締まるのは当然だと思いますね。

――背骨を使って体を動かせば、全身が締まってきます。だから腰も、腹も当然締まるわけですね。背骨の運動の効果は抜群です。

 

東山「禅密気功な日々」(18)先生に聞く・動功編①

基本としての築基功<背骨で体内の気を動かす>

(写真は2009上海・蘇州合宿の一コマ、以下同じ)

 最初に動功の基本としての築基功についてお聞きします。

――築基功は禅密気功の基礎を築くための功法です。背骨(頸椎・胸椎・腰椎)を、自在に動かし、生命活動の根源である気を全身にめぐらせます。

 背骨を前後、左右に、さらには回転させ(ひねり)ながら、全身の気をかき混ぜるように動かすわけですね。蛹動(ようどう)、擺動(ばいどう)、捻動(にゅうどう)、蠕動(じゅうどう)という4つの基本動作から説明してください。

――蛹動は背骨を前後にS字状に揺らします。尾骶骨から始め、しだいに上に向けて動かします。力を入れてはいけません。軽く、柔らかく、ゆっくりと、まろやかに。脊柱を波打たせるように前後に動かします。意識を脊髄に集中し、一関節、一関節、気を関節ごとに絡め、回転させながら、仙椎、腰椎、胸椎の順に上にのぼり、頸椎の頂上まで上り詰めたら、こんどは下へ向けて一関節、一関節ずつ、ていねいに尾骨まで降ろしていきます(右図=ウィキペディアから)。

 S字状に動かすというのがむつかしいですね。ふだんあまり運動していない年長者の体はがちがちになっています。昔は腰がすっかり曲がってしまった年配のお百姓さんがいましたが、彼、あるいは彼女にとっては、曲がっている状態が自然というか、一番安定しているわけですね。しかし、それはたとえば田植えや草刈りに精出したといった生活からくる、やはりいびつな状態です。
 毎夜、接待の飲み会で疲れて、電車で眠って帰るサラリーマンは首のあたりにこぶのようなしこりが出来ていると聞いたことがありますが、これも同じですね。背筋を通して、しゃんとした姿勢に戻すのが健康の基本で、そのためには蛹動はすばらしい効果を上げてくれますね。

――背骨を動かすのが禅密気功のすぐれたところです。他の功法ではあまりそういうことは言いません。

 まっすぐ立って、背骨をS字状に動かせと言われても、なかなか思うようにいきません。私自身の経験から言っても、背骨がなめらかに動くようになるまでずいぶん時間がかかりました。背骨は関節でつながっている多くの小さな骨の集まりだから、関節がほぐれれば、金属製の鎖と同じで、ぐにゃぐにゃに動くわけだけれど、その関節がさびついている。
 だから最初はぎくしゃくしてもいい。とにかくなめらかに動かすという意識をもつことが大事です。究極的には、「揺らす」のではなく「揺れる」状態になるのがいいと言われますね。

――車の運転と同じです。初心者の場合は、ハンドル操作などぎこちないですが、慣れてくると、とくに運転しているという気持ちがなくても、自由に車を走らせることができます。気持ちと動作が一体化するわけです。運転しているという意識もあまりない。それと同じように、慣れてくると、無意識のうちに体が動きだします。

 導引動作ということを言いますね。たとえば体を前後に動かすときに、両腕を並行して前後に円を描くようにします。手の動きにあわせて体内の気を動かすわけです。だから手の動き自体、角張った感じではなく、円くなめらかにしないといけません。手の動きが円くなければ、背骨はスムーズに動いていないと考えた方がいいですね。体を沈ませたり持ち上げたりという動きとも連動していますね。

――擺動は背骨を左右に、これもS字状に、樹木が風になびくように揺らします。尾骨から始め、蛹動と同じように、極力軽やかに、柔らかく、ゆっくりと、まろやかに、脊柱を波打たせるように、左右に揺らします。意識を背骨に集中し、関節の間を縫うように、尾骶骨から頸椎まで、上に上ります。頸椎の頂上まで行ったら、こんどは下へ向かって、同じように関節ごとに、意念を縫うように降ろしていきます。

 擺動はわりとやさしいと思いますが、それでもまろやかに動かすのはむつかしい。体の左側を外に出して伸ばすときは、手は右側に開いて体全体のバランスをとる。逆の場合も同じです。とくに腰や肩を十分、伸ばしたり縮めたりするといいですね。蛹動でも同じですが、体を「く」の字型にする気持ちでやるといいと思いますが、これも角張ったくの字にならないことが大事です。

――捻動は背骨を左右にねじる動きです。まず身体を左から右にねじります。回す幅は、最初は小さく、次は中くらい、3回目に大きく回します。顔は正面を向いたまま、手と腰を同時に回します。次に右から左への回転を同じように行ないます。意念は背骨をねじるのに合わせて、背骨に絡ませるように回します。尾骶骨から始めて上にいき、頸椎の頂上まできたら、同じように下に降ろしていきます。背骨をねじる方向を右から左、左から右に変えるときには、意念をS字状に回して、気の回転する方向を変えます。

 捻動するとき、大事なのは体の外側から動かすのではなく、内側から動かす。すなわち背骨で体をひねることですね。背骨の動きにあわせて手(腕)も動きますが、手の後から背骨がついていくのではなく、背骨が先にねじれて、手がその動きについていく感じで練習するといいと思います。究極的に動いているのは背骨だということですね。

 ・蠕動は蛹動、擺動、捻動の組み合わせ

――蠕動は蛹動、擺動、捻動の3つの動きを組み合わせて、ゆっくりと自由自在に、滑らかに連続して動かします。蛹動の中に擺動があり、捻動があり、擺動の中に捻動があり、蛹動があります。また、捻動の中に蛹動があり、擺動があります。次第に全身のすべての関節、筋、筋肉も動かし、背骨で内臓も動かします。

 しばらく練習していると、蛹動、擺動、捻動という3つの動きの中でも、自分としては蛹動が一番やりやすい、いや捻動が好きだといろいろ好みが出てきますね。その違いを楽しみながら練習するのがいいと思います。
 私は蠕動が一番好きかもしれません。首、肩、胸、背、腰、腹、腕、股間、脚をそれぞれ意念とともに動かします。最初のころはどうだったのか、今ではもう覚えていませんが、途中から全身の骨や関節がボリボリ、ギシギシ音を立てるのに気づきました。首なんかすごかったですね。まるで下北半島の仏が浦か紀伊半島の橋杭岩のように大きな岩がごろごろ転がっている感じがしました(^o^)。しだいに小さくなり、岩から小石のようになっていきます。これだけの滓が体にたまっていたのだと思いますね。最初のころは音に気づかなかったのか、あるいは体全体が滓にまみれて、膠かビーフジャーキーのように固まって、音すらでなかったのか‣‣‣。
 先生のように若いころから武術に励んだり、スポーツに親しんだりしてきた人はそんなことはないのかもしれませんが、たいして運動もせず、いつの間にか歳をとってしまった人は、体がすっかりさびついているんだと思います。私は体内の気がスムーズに流れなくなって骨、関節、筋肉、内臓にたまってしまったのではないかと思い、これを「滓」と名づけています。
 体内の気をスムーズに流すだけでなく、こびりついた滓をほぐし(解凍し)、発生した気をうまく対外に放散してやれば、ある程度の若返りがはかれると考えているんですね。したがってこのインタビューでは、がたがたになった体を少しはまともなものにしたいと思っている年配の方を主な読者に想定しています。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の親鸞上人ではないけれど、だれにでも心がけ次第で救いはある、というのが僕の経験から得た知恵です。この辺は、コラム冒頭に掲載している「健康を守り、老化を遅らせ、若返りもめざす」でもふれました。

――すばらしい。とくに骨、関節、筋肉、内臓のすべてに言及しているところがいいですね。私も子どものころ腕に大きなけがをしたので、その部分がいびつに変化しているのでしょう、ギシギシすることはありますよ(^o^)。

 気功は何の準備もいりませんし、場所もほとんどとりません。毎日、ゆっくりと背骨を動かすだけで体が健康になるのですから、ぜひ皆さん、やっていただきたいと思います。最初は鎌倉教室や本部教室に通うのがいいと思いますが、練習用のCDやDVDもあります。
 百聞は一見に如かず。本コラム第15回でも紹介した先生の実践動画をここにも張り付けておきますから、コロナ禍で外出しずらいような場合は、まず動画を見ながら、見よう見まねでやってみてください。

 この動画は各功法とも前半だけですが、概略を知るには十分でしょう。先生の無駄のないなめらかな体の動きをよく見てください。無駄がないと同時に、動いていない部分がない、だからたいへん美しくもあります。

東山「禅密気功な日々」(17)

「動功編」を始めます

 前門のコロナ、後門の猛暑とも言うべき今夏ですが、みなさんお元気で気功に励んでおられるでしょうか。

 本欄で<朱剛先生に聞く>入門編を始めてからすでに5か月近くたちましたが、近く「動功編」の連載を始めます。やはり5回です。御覧いただいて、感想なりご意見などございましたら、東山までご連絡ください。

 なおこのインタビューはテレワーク用のアプリ、Zoomを使って行いました。

 サイバー燈台では、アフター・コロナを見据えて、<Zoomサロン>の試みを初めています。興味のある方は、Onlineシニア塾への招待をご覧ください。

Onlineシニア塾報告①<2020.5~2021.4>

<Onlineシニア塾>については、<Onlineシニア塾への招待>をご覧ください。以下はそのOnlineシニア塾報告①です。

講座<若者に学ぶグローバル人生>

・第1回(2020.5.20) 
中国人留学生、ユー・プーホン(余浦弘)さん。北京の中央財経大学卒業後、UCLA、シカゴ大、スタンフォード大に短期研修留学、2019年から東大経済学部修士課程に在学中。

・第2回(2020.7.2) 
ベトナムのチャントゥチャン(TRAN THU TRANG)さん。ハノイ貿易大学在学中の2011年、日本文科省の奨学金を得て来日。東京外大日本語教育センター終了後、2016年に京大経済学部を卒業して日本の製薬会社に入社、2021年からシンガポール勤務。

・第3回(2020.7.17) 
ミャンマーのスータンギレッさん。ヤンゴン外国語大で仏語専攻。ミャンマーの日系企業で働いた後、2015年奨学金を獲得し来日。2018年法政大大学院でMBA取得。同大卒業後、2018年から日系総合商社に勤務。

・第4回(2020.7.24) 
スウェーデンで日本語を教える雪江しおりさん。大妻女子大在学中、北京師範大で2年間中国語を学ぶ。上海の日本語スクールでスウェーデン技師と知り合い、結婚してスウェーデンへ。ストックホルム大学で専門職学士の学位を獲得。現在、スウェーデン語学校のキャリアカウンセラーとして勤務。

・第5回(2020.8.19)
ネパールの青年実業家、パウデル・スンダ―さん。現地からの参加。ポカラ出身。祖父から「日本のラジオは世界一だ」と聞かされて育ち、ネパールの大学を卒業後、1999年に来日。武蔵工業大学で環境情報学を学び、卒業後、日本人と交流する場を作るためネパール・インド料理のレストランを開業した。その後、東洋大学大学院博士課程で木造建築を研究。ネパールで木造建築の普及を目指す会社を設立。

・第6回(2020.9.7)
ナイジェリアから留学中のチグメズ・イベグアムさん。2017年にあしなが育英会「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」の奨学生として採用され、2018年春に来日。2年間、JASSO東京日本語教育センターおよび大阪YMCA日本語学校に通い、2020年4月より岡山大学グローバル・ディスカバリー・プログラムに進学中。
 参加者約15人。2年で修得したとは思えない流暢で〝訛り〟のない日本語に全員が驚く。いずれは故国に帰って児童教育に取り組みたいとのこと。あしなが育英会の沼志帆子さんから「アフリカ遺児高等教育委支援構想」についても話を聞く。

・第7回(2020.9.14)
ドイツ在住の映像ジャーナリスト、玉腰兼人さん。立命館大学国際関係学部在学中の2008年9月より交換留学生としてベルリン・フンボルト大学に1年間滞在、日本に帰国し大学を卒業後、再度渡独し「オペア・ホームステイプログラム」に参加、ハンブルグのドイツ人家庭で5人の子どもと1年間生活。2012年、ベルリンの映像制作会社に勤務、2019年にフリーの「VideoProducer/Coordinator」として活動。ドイツ・欧州各国において、主に日本のテレビ番組、各種プロモーション動画・写真の撮影、取材アレンジ・コーディネートなどを手がける。ドイツの難民支援組織にも所属している。玉腰さんのウエブhttps://www.kentotamakoshi.com
 一人の青年がドイツという社会でたくましく育っている姿は感動的だった。日本の教育のお粗末さを改めて感じさせられもした。

・第8回(2020.10.13)
シェラレオネから留学中のイジキエル・ガイネシさん。2018年にあしなが育英会「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」の奨学生として採用され、2019年春に来日。JASSO東京日本語教育センターに1年間通い、2020年4月より東京国際大学に進学中。デジタル・ビジネス&イノベーション専攻。
 フェイスブックを通じてあしなが育英会を知ったのが彼の人生の大きな転機になった。学校では英語を使ってきたが、来日にあたって日本語に挑戦、大学院にも進んで、将来は国の発展に尽くしたいという。「シェラレオネの福沢諭吉をめざせ」とのエールも飛んだ。

・第9回(2020.10.22)
中国留学生、ショウ・ヨウレイ(焦燁泠)さん。江蘇省・南京市出身。南京外国語学校で中高時代を過ごし、北京科技大学に進学、英語を専攻。大学2年次に、北京大学・国家発展研究院で、経済の第2学位を取得。交換留学で北欧エストニアのタルトゥ大学に進み、その後カリフォルニア大バークレー校のサマースクールを受講。2019年秋に来日し、東大経済学部大学院研究科コースで、農業経済学や、ジェンダー労働経済学を研究中。趣味は、JーPOP、K―POP、テコンドー、ピアノ演奏。
 中国の学生は勉学意欲がすごいらしい。それに比べると日本人学生は「勉学をのんびり楽しんでいる」とのこと。喜ぶべきか、あるいは、そうでないのか。現在、日本企業への就活中。

・第10回(2020.11.10)
ベトナム出身の起業家、ドゥツク・ドバ(Duc Doba)さん。タンホア市生まれ。ハノイ国家大学IT学部を卒業したあと、ソフトウェアエンジニアとして来日。楽天、LINE、ソフトバンクなど大手テクノロジー企業で12年間、IT開発サービス研究開発に従事。日本でのSB Cloud (Alibaba Cloud)サービスの立ち上げに貢献した。2017年に9月に日本の深刻なIT人材の需要と供給のギャップを埋める事業をめざすTokyo Techiesを起業しCEOに。従業員はベトナムと日本側で合わせて35人。在日ベトナム青年学生協会(VYSA)会長も務めた。
 ベトナムの学生時代に縁あって日本企業に就職、いくつかの企業で研鑽を続け、実績も上げた経緯を、現場で覚えたという達者な日本語で、笑顔とともに話してくれた。IT技術者養成事業を日本で立ち上げた動機には篤志家の俤も。

・第11 回(2020.11.30)
セネガルから留学のアストゥ・ンジャイさん。あしなが育英会の高校留学プログラムに合格し、2016年~2019年の3年間は仙台育英学園で過ごす。卒業後、「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」の奨学生として東京国際大学に進学。現在2年生で、経営学・マーケティングを専攻している。
公用語のフランス語、民族語、英語、日本語を話し、スペイン語、朝鮮語も勉強したという。「英語でテストがあると、私が85点ぐらいでも日本人は100点取ったりするけど、話すのはちょっと苦手」。グローバル人生としては、明るく前向きに生きる彼女に対し、日本の若者はかなり後れを取っているようである。

・第15回(2021.3.4)
  第2回にご登壇いただいたチャントゥチャンさんの紹介でベトナム在住の女性にスピーカーをお願いしていたが、現地の回線状況の関係でアクセスできなくなり、代わって3月にはシンガポールに転勤する予定のチャンさんに、在日10年の思い出や職場の国際的な顔ぶれ、今後の仕事などについて話を聞いた。まさに世はグローバル時代であることを実感させられた。

・第16回(2021.3.26)
ベトナムのブイハン(BUI THI THUY HANG)さん。2009年、ハノイの貿易大学入学。2011年、文部科学省の奨学金で日本へ留学、東京外国語大学日本語教育センターを経て2016年、一橋大学経済学部卒業して日本企業に入社。その後Warwick Business School大学院(イギリス)を卒業し、2020年ベトナムに帰国、現在は現地企業のプロジェクト品質管理に所属。
 第2回に登壇してくれたチャントゥチャンさんの紹介。ハノイの大学の同窓だが、同じ奨学金で留学後に日本で知り合ったとか。奇しくもご両人とも卒業後は医療関係の仕事に従事している。当日はチャンさんも参加してくれ、日本とベトナムの教育、医療関係の話題などで大いに盛り上がった。

・第18回(2021.4.3)
ベトナムのレマイフォン(Le Mai Phuong)さん。ハノイの貿易大学卒業後、一橋大学経済学部卒、現在は大阪大学経済学研究科博士課程在学中。
経済学に心理学を導入した新しい学問、行動経済学を研究しているというだけあって、テレビ番組に題材をとった日本人の東西比較(関東人と関西人の性格や習慣分析)から始めて、ベトナム人と日本人との商習慣の違い、実のある交流を促進するための技術など、「このところ日本語はあまりしゃべっていないので」と謙遜しつつ縦横無尽に展開する話に、質問攻めにあったシニアたちはタジタジとなりつつも、2時間近い授業は笑いが絶えなかった。

・第19回(2021.4.14)
ベトナムのグエンミンフェ(NGUYEN MINHHUE)さん。高校を卒業してすぐ日本に留学、町田市立看護専門学校を卒業して正看護師国家資格を取得、「勉強好き」(本人の弁)が高じてか、続いて放送大学教養学部卒業、さらに東京大学大学院創成科学研究科博士課程でメディカルゲノムを専攻した。JAXA(宇宙航空研究開発機構)などを経て、現在は日本の製薬会社勤務。   すごい知力とバイタリティ。その間に修得したペラペラ、かつ早口の日本語で、医療から見たベトナムと日本の違いなどについて、しじゅう笑顔で話してくれた。「Zoomのチャット機能を使って質問してくれれば、後からまとめてお答えします」と、Zoomの使い方指南もしていただいた(^o^)。

<Onlineシニア塾2020忘年会>

 12月16日、13人の仲間参加のもとにバーチャル忘年会を開きました(1人遅刻)。


 冒頭、フィリピン在住の鮎澤優さんの波乱万丈の半生を語っていただいたあと、Onlineシニア塾に参加しての感想や今後の運営に対する提案などを話し合いました。Onlineシニア塾は新年も月2回程度のペースで進める予定です。少しずつ講座も広げていければと考えています。参加希望者は<Onlineシニア塾への招待>をご覧いただいたうえ、<info@cyber-literacy.com>までご連絡ください。

講座<気になることを聞く>

・第12 回(2021.1.31)トランプ大統領によってあぶりだされたアメリカ社会の亀裂①

 在米数十年の翻訳家、宮前ゆかりさんにトランプ米大統領の4年とその退陣の混乱を通して浮かび上がったアメリカ社会の亀裂について聞いた。コロラド時間の30日午後9時からということで、日本時間は31日(日曜)午後1時からと変則的になったが、十数人の参加のもとに新講座<気になることを聞く>が無事スタートした。
 冒頭、1月6日のワシントンDCで反乱を起こした人々がParlerというアプリで内部の様子を撮影してアップロードしたビデオをProPublicaが時系列でまとめた動画の一部(写真は午後3時ごろの状況)を視聴した(担当/森治郎・矢野直明)。
宮前ゆかりさんはコロラド州ボルダー在住。フリーランスのリサーチャー、翻訳家。TUP(平和をめざす翻訳者たち)メンバー。ボルダーの独立非営利ラジオ局KGNUでニュース番組や音楽番組を手がけるプロデューサーでもある。元ナイトリッダー新聞社メディア研究員。訳書にダニエル・エルスバーグ著『世界滅亡マシン:核戦争計画者の告白』(共訳:岩波書店)、グレッグ・ミッチェル著『ウィキリークスの時代』(岩波書店)など。米国の市民運動に関する複数の記事を月刊『世界』に寄稿している。
 このセッションは引き続き開催する。

・第17回(2021.3.28)トランプ大統領によってあぶりだされたアメリカ社会の亀裂②

 今回のアメリ大統領選でバイデン候補が獲得した選挙人は306人、トランプが獲得したのはのは232人と、大差がついたようだが、投票状況を共和党(ブルー)と民主党()でカウンティ(郡)単位で図示すると、全体にパープル()模様になる(USA Today)。
  ここには共和党、民主党と支持を明確に決めきれない有権者の現状が反映されているとも言えるが、宮前さんによると、アメリカの選挙制度自体に複雑な歴史があり、黒人などの有色人種や移民などのマイノリティの人びとが投票しにくいように改変されて来ているのだと言う。つい最近も、ジョージア州で共和党の知事によって、選挙制度を厳密に運営する(「不正を防ぐ」)との大義名分のもとに、投票所(投函箱)の数を減らす、公共機関のバスなどでは行けない遠いところに設置するなど、現実には底辺の人びとが投票しにくくなる選挙制度改正案が成立している。
 これが、トランプ大統領が今回の選挙を「不正」だと攻撃し、共和党支持者の多くがそれを信じているという、日本では信じられない状況の背景である。今回は、選挙制度と銃規制をめぐるアメリカの建国以来の歴史について興味深い話を伺った。

銃規制と選挙制度と建国の精神  授業直前の3月22日に、私の住んでいるコロラド州ボルダーのスーパー内で無差別銃撃事件が起き、知り合いも含む買い物客や店員など一般市民10人が殺されました。
 ボルダーは、歴史的にも先進的な自治政策と平和運動の拠点として知られており、2018年に独自の襲撃銃禁止令を採択しましたが、NRA(全米ライフル協会)の訴訟をきっかけに、事件の10日前に州の裁判官が襲撃銃禁止はコロラド州法に違反すると裁定を下したばかりでした。犯人は21歳のシリアからの移民で、動機は明らかになっていませんが、以前にも暴力事件を起こしたことが知られており、精神的に不安定だったにもかかわらず身元調査も受けずに、事件の6日前に襲撃銃を手に入れています。
 アメリカでは、建国当時の有権者である白人地主階級が、先住民の土地の略奪と奴隷労働の搾取によって富を築いてきた歴史があり、その利権が結局は軍部や警察の肥大に貢献し、銃を保持する権利の根拠である憲法修正第2条(規律ある民兵団は、自由な国家の安全にとって必要であるから、国民が武器を保有し携行する権利は、 侵してはならない)を産み、それは同時に選挙権を抑圧する法律を支えてもきたのです。
 アメリカ建国以来の2つの理念、企業による富の集中を重んじる中央集権的考えと、地方の独立した農林業に重点を置く権力分散型の考えは、その後の歴史で変質、あるいは重複、錯綜しながらも、現在の民主党と共和党の対立に受け継がれています。
 一見唐突に見えるトランプ台頭や全米に吹き荒れる白人至上主義拡大は、歴史的必然とも言えるのです(M)。

・第13 回(2021.2.10)ミャンマーの軍事クーデターで苦悩する日本在住の若者たち①

 本講座<気になることを聞く>第2回(通算13回)は急遽、軍事クーデターの起こったミャンマーの若者、6人を招いて10日午後8時から2時間開催した(担当/星野真波)。
 2月1日のクーデターから10日、ミャンマーではヤンゴンなど主要都市で数万人規模の抗議デモ(軍事政権不服従運動、指3本の表示がシンボル)が行われているが(写真はフェイスブックから)、日本でも先日、外務省前に在日ミャンマー人、約3000人が集まって軍事政権への抗議の声を伝えている。

 当日は6人の若者(女4、男2。20~27歳)が日々の不安な生活の実態やミャンマー民主化を取り戻すための決意などを話してくれた。
 Onlineシニア塾はコロナ禍の自粛生活の中で、インターネットというツールを使ってシニア相集い、世代を超えたグローバルなコミュニケーションを行いたいと始めたものだが、激動する世界の息吹を身近に感じ、また日本人として何をすべきかというある種の責任についても考えさせられる機会となった。
 若者たちは「ミャンマーで起こっている事実を知ってほしい。ミャンマーの民主化のために日本の皆さんにもご尽力をお願いしたい」との強い気持ちから、故国の肉親の安否さえ心配な中で参加してくれた。それにしても、日本語が達者であるばかりか、自分の考えを堂々と開示できるすばらしさ。参加者からは異口同音に驚きの声が上がった。
 このセッションも適宜、開催する予定。

民主主義を守ろうとする社会の「粘り」 ミャンマー国会の8割以上の議席をNLDが占めながら軍事クーデターを許してしまった背景には、民主主義を守ろうという社会全体の「粘り」が薄れつつある世界共通の状況があるようにも思われる。アメリカしかり、日本ももちろん例外ではない。軍事政権はミャンマー国内ですでにインターネットを遮断、逆に、アメリカでは一IT企業たるツイッター社がトランプ大統領のアカウントを停止し、政治の動きに大きな影響を与えた。サイバーリテラシー的にもいろいろ考えさせられる昨今である(Y)。

「軍事政権不服従運動」 日本在住のミャンマーの若者たちと初めて話をした時、異口同音に「ミャンマーで起こっている事実を知って欲しい」と訴えていたのが印象的でした。その言葉には、事実が伝わらずに世界から見放された結果、暴力による支配に陥った時代には戻るまいという決意が込められていたからだと、今回の議論を通して感じました。 日本人の常識やこれまでの報道からは推し量りにくいミャンマーという国の背景や、人々に共有されている感情を汲み取るためにも、直接話を聞く意義を確認できる機会にもなったと思います。
 また彼らが最も伝えたかったこと一つである、「クーデター以降72時間は事態を静観したのと、デモが全国規模で平和的に展開しているのは、軍部側に民衆が暴徒化したという武力鎮圧の口実を与えまいという総意によるもの」だという話も、多くの人に丁寧に伝えられてほしいと思います。彼らは「軍事政権不服従運動」という言葉を使っています。
 ミャンマーと日本との深く、そして、複雑な関係にも話が及びました。彼らにも不安な思いが募っていると思いますが、思い描く進路、将来に向かって活躍できるよう、日本人としてできることを考え、不安な思いの中、話をしてくれた勇気に応えていきたいと思っています(H)。

・第14 回(2021.2.20)巨大地震などに備える燃料電池(災害時の非常用電源)について開発の現状を聞く

<気になることを聞く>第3弾(Onlineシニア塾通算14回)は、災害に備えた非常用電源ということで、自動車産業が先端的に取り組む燃料電池などの開発について、若い研究員、伊東直基さんに話を聞いた.(担当/松浦康彦)。
 冒頭、担当者から日本を取り囲む4大プレート(北米、ユーラシア、太平洋、フィリピン海)の説明と、東日本大震災より一桁大きな南海トラフ巨大地震が2035年±5年のうちに起こるという学者の警告などの報告があり、富士山大爆発も含めて非常用電源を準備しておく必要性が強調された。それを受けて自動車企業の研究部門で燃料電池などの研究開発に携わっている伊東さんの話を聞いた。
 活発な議論が展開され、燃料電池の利用は車に限った話ではなく、家庭用電源としての利用なども考えるべきではないかと、本来なら研究所長や社長に向けられるべき質問も飛んだが、新入社員が研究所長や社長に成り代わって日本社会の、ひいては世界の将来を考えるべき時代なのかもしれない。
 伊東直基さんは1993年生まれ。首都大学東京大学院で電磁環境工学研究室に所属し、電気自動車用ワイヤレス電力伝送装置の漏洩磁界のシミュレーションを実施。大学院卒業後は関東にある自動車メーカに就職し、充給電ユニットの開発に従事している。

 花見と直基とときどき松浦 コロナ禍の冬も終わり、急に春らしい季節になった。私は『ASAHIパソコン』を創刊した1988年から裏山の源氏山で毎年、見ごろの日曜日を選んで花見の宴をはってきた。多い時には100人ほどの参加者があり、紅白の垂れ幕を背に、敷きつめたゴザの上で女装した芸人が舞ったり、カラオケに興じたりした。雨の日は我が家に集まって花より酒の宴となり、花冷えの夕方もやはり我が家で二次会をした。つい最近まで30年以上続けてきたが、花も参加者も高齢化し、つい数年前に打ち切った。
『ASAHIパソコン』草創期にアルバイトとして3人の学生が手伝ってくれていたが、彼らは毎年、花見にも参加、そのうち彼女を連れてくるようになり、ほどなく結婚、そのうち親になった。子どもたちの中で同い年の男の子2人はすっかり仲良くなり、年に1度の出会いを楽しみにしていた。彼らは満開の桜の下でも、花吹雪の中でも、雨に打たれる花びらの上でも、ほとんど花には背いて、ゲームなどに興じていた。時がたち、2人は社会人になり、それぞれ自動車関係の会社に就職した。そのうちの1人が今回、花見の義理に背かず、講師役を買って出てくれたわけである。今回の授業を担当した松浦氏も花見後半の常連だった。
 金も組織もない「バーチャル井戸端会議」である我がOnlineシニア塾が、よって立つのが個人的なつながりだということを示すエピソードとして、この話を記した。インターネット上に半ば開かれ、半ば閉じた空間(トポス)が、IT社会のオアシス、あるいは核になる可能性に触れておきたかったからである(Y)。

特別講座<もっとZoom、初めてのSlack>

・第20回(2021.4.21)
 新たに特別講座を設けました。通常講座とは別に、ときどきの話題などを取り上げると同時に、Onlineシニア塾の「オープンキャンパス」として、従来の会員以外にも広く参加を募ります(info@cyber-literacy.comまで)。
 特別講座第1回として、Zoomのより便利な使い方ガイドと、Onlineシニア塾としても導入を始めたコミュニケーション・ツール、Slackの紹介を行った(担当/星野真波、西岡恭史、高橋慈子)。
もっとZoom
 Zoomをより効果的に利用するノウハウの紹介と「ブレイクアウトセッション」の体験。Onlineシニア塾ではまだ参加者が少なく、分科会を同時開催する必要はあまりないが、将来に備えて(^o^)。
初めてのSlack
 Slack(スラック)は2013年に開発されたチーム・コミュニケーション・ツールで、またまくまに世界中に波及、もはや多くのIT企業で必須のコミュニケーションツールとして使われている。Onlineシニア塾でも遅まきながら導入、事務連絡をはじめ授業前の情報交換、授業後のさらに掘り下げた議論などに活用したい。とくにスピーカー同士の交流に威力を発揮するのでは(ベトナムのチャンさんやレマイさんも参加)。

Online塾DOORSへの招待

ネットのオアシスを求めて

 Online塾DOORSは2023年5月で3周年を迎えました。2020年春に朝日新聞OBで始めた「Zoom勉強会」が発端で、オンライン・ミーティングツール、Zoomを使ったコミュニケーション塾です。当初はOnlineシニア塾と名乗っていましたが、2周年目の2022年5月にOnline塾DOORS(略称OnDOORS)に改めました。これまで60回近い授業(年平均20回)を続ける中で、授業内容も参加者も当初のシニア本位の枠を離れて、よりグローバル、より多世代交流的なものに発展してきました。国境を越え、世代を超えた<Online塾DOORS>です(なお、本ウエブの古い活動履歴などは、これまでのOnlineシニア塾をそのまま使っています。ご了承ください)。

これまでの講座は本ウェブ上で講座別に梗概を紹介しています。

講座<若者に学ぶグローバル人生>
講座<気になることを聞く>
講座<とっておきの話>
講座<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>
講座<よりよいIT社会をめざして>
講座<超高齢社会を生きる>
講座<女性が拓いたネット新時代>

<若者に学ぶグローバル人生>海外から日本にやってきた外国人留学生や逆に海外で活躍している日本人の若者から話を聞いています。
<気になることを聞く>メンバーが日ごろから気にしている話題、あるいは最近のニュースなどに関してその道の専門家や当事者、研究者などから話を聞いています。アメリカ最新報告、ミャンマー問題を考える、レオナルド・ダ・ヴィンチ天才の証明などの授業を行っています。
<とっておきの話>メンバーが取り組んでいるか、あるいは取り組んできたテーマや趣味などについて話し合い、メンバー相互の交流を促進しようというものです。
<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>躍進するアジアの国々の最新事情を、IT起業家などに聞いています。
<よりよいIT社会をめざして>矢野が提唱するサイバーリテラシーを通奏低音に、このところ目覚ましく発展するメタバース、ChatGPTなどの最新情報をメンバーの<情報通信講釈師>唐澤豊さんのリーダーシップのもとに取り上げ、その意味と今後への影響などを語り合っています。
<超高齢社会を生きる>超高齢社会日本の現状を考えたり、各分野で活躍中の高齢者の話を聞いたりしています。
<女性が拓いたネット新時代>ネット新時代を築いてきた女性パイオニアに話を聞いています。

インターネット黎明期の雑誌『DOORS』

 2023年5月現在、新聞社OB、ライター、編集者、IT起業家、日本語教育従事者、大学関係者、主婦など30人以上が参加、在日50年の米国人修道女やフィリピンで活躍する起業家もいます。
 これから世界に大きく羽ばたこうとしている若者、すでに社会の一線を離れ、組織との縁が薄れたとは言うものの、心理学者、ユングが言う「人生の午後」を有意義に過ごしたいと思っている人、伊能忠敬の「一身二生」を生きようと考えている人、さらに言えば、藤沢周平の描く三屋清左衛門のように「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」を実感している人々などなど、さまざまな境遇の人びとがお互いを隔てている扉を開け放ち、広い世界に飛翔できるOnline塾DOORSであってほしいと願っています。

 私はインターネット黎明期(1995年)にその情報誌『DOORS』を創刊し、紙のメディアである雑誌、電子メディアとしてのCD-ROM、オンライン雑誌としての「OPENDOORS」の三位一体メディアをめざしたことがありました(OPENDOORSはマスコミ最初のオンライン雑誌でした)。創刊2周年を前にメンバーで話し合った結果、DOORSの新装復活となった次第です。インターネットがいよいよ私たちの生活に浸透するようになった時代のOnline塾DOORSに、多くの人が参加してくださることを期待しています。

半ば開き、半ば閉じたオアシス

 パーソナルメディアの雄、SNSも「SNS疲れ」ではありませんが、一時の勢いは衰え、新たなメディアの曲がり角だとも言われています。かつてセカンドライフとして話題になったネット上のバーチャル空間でのビジネスがメタバースとして脚光を浴びてもいます。最近は対話型AIによるChatGPTが大変な話題です。

 これからは、社会に常にむき出しになった場ではなく、インターネットを使っているのだが、完全には開かれていない半開半閉の「新たなトポス」が見直されるのではないでしょうか。

 この種の場は、〝古くは〟パソコン通信、最近でもメーリングリスト(ML)などがあったわけですが、Zoomもまた現実世界の生き方をより豊かなものにするための場として機能することが可能だと思います。

 朝日新聞の先輩でもある名文記者、深代惇郎を扱った後藤正治『天人』に、深代の青春日記にふれた箇所で、(彼は)「ドイツにおける時代状況を見詰め、マスコミの果たした役割を考察している。ナチズムがマスコミを支配しつつも数人の集まりを警戒したことを取り上げ、小さなコミュニケーションの意義を強調している。学生らしいというべきか、『それは小さなレジスタンスであるが、最も大切なレジスタンスである』と生硬な言葉で論考を締め括っている」とあります。深代流に言えば、こういう市井の小さなコミュニケーションの場を広げることに<Online塾DOORS>の意義もあると考えています。

<Online塾DOORSの概要>

・メンバー資格
 ウエブ<サイバー燈台>上の招待文を読んで参加を希望する人は、事務局(info@cyber-literacy.com)か矢野まで申し込めば、簡単なプロフィルを提出していただいたうえで、基本的に参加を許可する。日本語を主な言語として使用しているが、年齢、性別、国籍の制限はない。会費は無料である。スピーカー(講師)を務めてくれた方は、自動的にメンバー資格を得る。

・メンバー心得
 Online塾DOORSを通して活動の幅を広げるとともに、何らかの形で社会貢献することを考える。完全なボランティア活動なので、スピーカー発掘、参加者の拡大、新たな授業計画など、率先して会の運営に協力する。入会と同時にslackにも参加し、会員間のコミュニケーションに役立ててほしい。若いスピーカーには新風を、シニアの方には昔とった杵柄で若者に助言を与えるなど、塾に積極的に貢献することを期待している。

・ゲスト
 ゲストとして、毎回参加するのではなく、興味のある会だけ参加することも可能である。また時々開催する特別講座は、大学の「オープンキャンパス」のように広く参加者を募っているので、まずゲストとして参加していただくのもいいだろう。参加希望者は名前とURLを添えて事務局に申し込めば、当該授業への参加が許可される。

・サイバー燈台
 Online塾DOORSの活動はウエブ<サイバー燈台>のOnline塾DOORS報告で逐一報告される。それぞれの授業においてはスピーカー紹介、話の概要、エピソード、感想、みんなに知らせておいた方がいい知識などを適宜編集して公開、一般の人が当塾に興味を持ってくれるように心がけている。メンバーの寄稿も歓迎している。

2023年5月 Online塾DOORS・矢野直明