新サイバー閑話(71)<折々メール閑話>㉑

山本太郎発言集Ⅶ

 この一滴が大河につながる

  参議院議員の水道橋博士が休職することになりました。命より大切な仕事なんてありませんからね。心と体を壊してまで成し遂げることなんてこの世の中に存在しないと私たちは考えています。(記者会見)

 A タレントの水道橋博士は7月の参議院選挙でれいわから出馬し当選しました。自らが維新によるスラップ訴訟を受け、その規制法を立法化したいとの初心のもとに頑張っておられましたが、うつ病になって山本代表に辞任を申し入れたそうです。それに対して、山本太郎が慰留、休職を奨め、その報告のための記者会見です。

 B 山本太郎は、水道橋博士に対して悪意の非難、中傷が起こることも予想して、そういう行為についてはしっかり監視していくようなことも言いましたね。立派なリーダーです。「士は己を知る者のために死す」。れいわの仲間が発奮するのももっともだと思います。

 よだかれんさんが新宿区長になる姿を見たかった! (当選した)吉住区長には是非、小さき声もすくいあげる区政を実行していただけるようお願いいたします。投票率28%ってすごい数字。ノビシロしかないな。頑張るぞ!(ツイッター)

A 11月の新宿区長選でれいわ新選組から出馬したよだかれんさんが落選した時の発言です。当選できなかったのはもちろん残念だけれど、吉住5万余票に対して、よだ2万余票は健闘とも言えますね。

B たとえば好物のワインを飲みながら、グラスが半分になったとき、「まだ半分残っている」と思うのが楽観主義者、「もう半分しかない」と思うのが悲観主義者だとよく言われ、楽観・悲観の差は個人の性格による面もあるけれど、楽観主義には、放置しておくと悲観的になる心の動きを意志の力で持ちこたえる面もあります。山本太郎の楽観には、政治に対する情熱の強さが感じられますね。

  山本太郎は16歳のメロリンキューよりも常識がありません。おそらく山本太郎は16歳のメロリンキューよりもさらに空気を読んでいません。

A 参議院選挙での街宣のアトラクションとして、かつてタレントだったころの自分のキャラクターで登場し、パフォーマンスをした後で言った言葉です。

B 山本太郎、48歳。自らを叱咤激励しているわけですね。

 母子家庭だったんですね。姉が2人。長男です。母はすごく正義感の強い人間で、昔から寄付をするという習慣があったんですね。たとえばお年玉をもらいました。その数%は徴収されて、寄付をするというようなことがあったんですよ。それが「国境なき医師団」だったり「ユニセフ」だったり、「グリーンピース」のような環境保護団体だったり、ということで原発ということの危険性をまったく知らなかったというより、ちょっとはわかっていた。(活動を始めてから) 忙しさは10倍、収入は10分の1以下です。ときどき売名行為ではないかと言われますが、こんな売名行為、だれもしないですよ(笑)。僕の行動のブレーキになるとしたらやっぱり母だと思うんですよね。若い時に迷惑かけたから老後は幸せにしてやりたいという気持ちはあります。やはり経済的なことって大事じゃないですか。母に言われたのは「自分の信念に従っていけ」と。母であり、親友であり、戦友であり、一番付き合いの長い女でもありますよ(笑)

A 山本太郎は2011年の東日本大震災での東電事故に衝撃を受けて、所属事務所もやめて、たった一人で反原発運動に飛び込みました。各地の市民集会で「3.11デビュー、にわか原発野郎です」と挨拶していた年に、テレビで放映された、映画監督、山本晋也のインタビュー番組がやはりユーチューブにアップされています。当時の山本太郎は37歳。
 開口一番、晋也監督に「いい目つきになったなあ」と言われて、照れ笑いしながら「アップでお願いします」とおどけるところから番組は始まっているが、晋也監督が最後に「この一滴はほんとうに大河になる一滴だ」と述べているのは、現在の彼およびれいわ新選組の躍進を見ると、たいへん感慨深いですね。

B 山本太郎の発言は、新しい事態に即してこれからも続くわけですが、ひとまずここで打ち切ることにします。山本太郎の人となり、基本的考えについて、一定のバックボーンを提示できたと思います。場合によっては、<折々メール閑話>で別途紹介することにしましょう。

 

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