新サイバー閑話(3)

改憲をめぐる風景

 安倍首相の執念とも言うべき憲法改革もまた今国会の焦点である。国の将来に大きな影響を与える改憲においてすら、政権側からの丁寧な説明がなく、国会で十分な議論も行われないままに、また数の力で押し切られる恐れが強い。

 いずれ実現する可能性のある国民投票を前に、国民一人ひとりが国の基本法たる憲法についてよく考えるべきときである。そういう思いから、サイバー燈台・プロジェクトコーナーでジャーナリストの森治郎氏に「日本国憲法の今」という連載をお願いした。第5回では「この際の憲法読書案内」も掲載している。これらの本をいくつか読んでくれることを願っている。

 さて、それらの作業を通じて、私がイメージした日本国憲法の今をめぐる風景は、以下のようなものである。

 眼前に「安倍改憲川」が流れている。上流に一つ、大きなダムがあり、そこでは長い間「原理主義的護憲派」が頑張っていたが、「非立憲政権」の上からのクーデターと、そこに「ポスト真実」的な世界的潮流も加わって、ダムそのものがほぼ崩壊しつつある。ダムの下流には小舟がいくつか浮かんでいるが、その一つに「護憲的改憲論者」が乗っている。それは呉越同舟、侃々諤々の趣でなかなか意見はまとまりそうにない。もう一つの舟に「修正主義的護憲派」が乗り、船頭は、次第に急になってくる流れに掉さしてバランスを取ろうと懸命に努力しているが、舟自体は川下に流されていく。

 川にはいろんな小舟が浮かんでいるが(「読書案内」参照)、川そのものにまったく無関心な人や、日々の生活に忙しくそれどこではないと思っている人も多い。岸から不安そうに眺めている人もいる。波を搔き立てて流れを楽しんでいる舟もあるけれど、今の流れを食い止めようとしている舟の方が多い。しかし、狂暴化する「安倍改憲川」の濁流を防ぐ有効策を探し得ず、舟はおしなべて下流へ下流へと流されていく。

 その下流に最後のダム、「国民投票」が待ち構えている。国民投票は果たしてこの流れを食い止められるのだろうか。あるいは、もっとうまい流れを作り上げるには、国民は何をすればいいのだろうか。濁流を生みだした安倍政権は、先手を打って、国民投票ダムそのものを自己に都合のいいように変えようとしている。

 現在、ダムの上にはあまり多くの姿が見えず、最後のダムが決壊する可能性もある。この局面でどう行動するかは国民一人ひとりの判断だが、今必要なのは、自分たちが近い将来そのダムの上に立たざるを得ないこと、そこでは大きな決断をせざるを得ないことを認識することではないだろうか。(「原理主義的護憲派」、「修正主義的護憲派」、「護憲的改憲論」といった用語の意味は、第5回の原稿をご覧ください)

 

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