林「情報法」(61)

「加速化する時間という厄介」の緩和策

 前回に続いて「<よろずやっかい>解決に貢献できるか」を議論します。今回は、⑧ の「時間の加速化という厄介」が対象です。矢野さんがこのテーマを選ぶ際には、私も若干後押しした経緯があるので、このテーマを中心に、第6回にある「等身大精神の危機」という要素を加味して論じてみましょう。

・厄介の正体

 まず矢野さん自身が、この厄介をどう捉えているかといえば、以下の諸断章から全体像を浮かび上がらせることができます。

私は常々、サイバー空間の登場は人類史を2分できるほどの出来事である(BC=Before CyberspaceとAC=After Cyberspace)と述べてきたが、その最大の特徴は飛躍的スピードの増大にこそ求められるかもしれない。
ネットスケープタイム。(中略)彼(創業者のジム・クラーク)によれば、創業から株主公開までの期間は以下のように短縮した。
 ヒューレットパッカード 創業1939 株式公開1957(18年後)
 マイクロソフト 創業1975 株式公開1986(11年後)
 アップル 創業1976 株式公開(4年半後)
 ネットスケープ 創業1994 株式公開1995(1年4ヶ月後)。
コンピュータに限らず、文明の発展にともなって私たちの時間が加速しているのは間違いない。足で歩く→自転車に乗る→鉄道を利用する→車→飛行機と、交通手段の発達はまさにスピードアップの歴史であり、電信、電話などの通信手段もまた時間の克服に大きく貢献した。

 ここで厄介が生ずるのは、このような加速化についていけない人と、楽々キャッチ・アップできる人の間に「差別」が生ずるだけでなく、時間間隔の相違から思わぬミスが生じたり、行き違いが生じかねないことでしょう。例えば、私が慶應の教師だったころ、ゼミを自宅で開催したことがあります。ゼミ生に地図のコピーを渡して到着を待ったのですが、なかなか現れません。後刻判明した事実は「学生は携帯のGPSに頼りすぎて、(紙に書かれた、動かない)地図が読めなくなっている」ということでした。

・時間は不可逆:経路依存性

 この問題に関して、経済学者の間で共通認識となりつつある概念を、いくつか紹介しましょう。最初に挙げたいのは、経済学が「白紙に絵を描く」ように、時空を超越して「いつ、いかなる状態でも適用可能」な理論を提供できるという神話が、経済学の内部から見直されていることです。発端は、キーボードの標準配列であるQWERTYの考察から始まりました。パソコンを使い慣れている人でも、「QWERTY配列が効率的で使いやすい」と感ずる人は少数派でしょう。なぜ経済学が忌み嫌う「非効率」な配列が、生き延びているのでしょうか? 

 経済史家のポール・デイヴィットは、当初は数ある配列が競争をしていた状態から、タイプ・バーがジャムを起こしにくい配列であることが評価された、タイピスト学校が採用したためQWERTYに慣れたタイピストが多くなった、タイピング・コンテストの優勝者がこの配列を使っていた、といった「歴史的な小さな事件」(historical small events)の積み重ねが、配列の「固定化」(lock-in)をもたらし、その後の経路を決定した(path-dependency)と主張しました。

 これは考えてみれば当たり前の「時間は不可逆である」ことと同じで、世の中に「従来のやり方」は一顧だにせず、「これが正しい方法だ」といって一気に転換可能な方法が、そう簡単にみつかるはずはありません。経済学はもっと早く「経路依存に配慮しない理論は現実性がない」ということに気づくべきでした。連載58回以降引用しているポズナーとワイルが、一見突拍子もないradical な提言をしながら、実は現状から改革に進む過渡期のあり方に、かなりの検討を割いていることが、その証左になるかと思います。

・初期値過敏性と経路依存

 しかし経路依存性の含意は、意外なところに現れました。経路依存性と言えば従来は「過去のトレンドから大きく外れることはない」「線形的な方法で将来予測ができる」ことと符合していました。ところが「複雑系」や「カオス」の研究が進むにつれて、初期値の設定が変わった(あるいは間違えた)だけで、結果が大きく違ってくることが分かってきました。その先例となったのが、気象学者が発見した「バタフライ効果」です。この点を、Wikipediaは以下のように説明しています。

1961年にエドワード・ローレンツが計算機上で数値予報プログラムを実行していた時のこと、最初ローレンツはある入力値を「0.506127」とした上で天気予測プログラムを実行し、予想される天気のパターンを得た。このときのコンピュータのアウトプットは、スペースの節約から、入力値が四捨五入された「0.506」までしか打ち出されないものであった。ローレンツは、もう一度同じ計算をさせるため、特に気に留めずに、打ち出された方の値「0.506」を入力して計算を開始させた。計算が終えるまでコーヒーを飲みに行き、しばらく後に戻って2度目の計算結果を見てみると、予測される天気のパターンは一回目の計算とまったく異なったものになっていた。ローレンツはコンピュータが壊れたと最初は考えたが、データを調べていく内に入力値のわずかな差によるものだと気づいた。この結果から、もし本物の大気もこの計算モデルのような振る舞いを起こすものならば、大気の状態値の観測誤差などが存在する限り気象の長期予想は不可能になることを思い付き、初期値鋭敏性と長期予測不能性のアイデアを持つようになる。

 この説明は、理知的で温和な学者が書いたものと思われますが、同じ現象を見て「ここに商機あり」と思うビジネスマンがいたとしても、不思議はないでしょう。彼らの解釈では「初期値に過敏で、経路依存性から脱却できないのなら、先手必勝のビジネス・モデルができる」という発見になったと思われます。

 中でも「バグ」による瑕疵担保責任を免除された製品、すなわちソフトウェアを商売にする人々は、「未完成製品をβ版として市場に出して、ユーザーにデバッグさせよう。その方が早く顧客をロック・インできる」と理解しました。デバッグさせられるユーザーにしてみれば、宮沢賢治の「注文の多い料理店」(料理を楽しみたかった客が、逆に調理されてしまう)状態で癪ですが、このビジネス・モデルは、どの法律にも違反していないのです。

・有限資源としての予算と時間

 このようにして、インターネットの世界は「何でもあり」に近くなりました。私が経済学から法学に転向した理由は、前回述べたように経済学の無倫理性についていけなかったのが主原因ですが、もう一つ別の理由は、インターネットの秩序の最適解を求めるには「自由度のある変数が多すぎてインターネット方程式が解けない」「仮に定数があるとすれば法律(あるいは制度)しかない」と考えざるを得なかったことです。

 現在定数になっているのは、DNS(Domain Name Server)の数や設置場所、IPアドレスの割り当て方式、技術基準の決め方に関するRFC(Request For Comment)方式など、いわゆるインターネット・ガバナンスに関する基本的考え方やそれを実装した制度だからです。しかし、これらの仕組みはインターネットの母国である米国が決めたものがほとんどで、中国やロシアなどから鋭い批判を浴びており、いつまで維持できるか分かりません。

 もちろん有限資源の制約が、インターネットの秩序に枠をはめる(つまり定数になる)部分はあります。しかし通常は制約になり得る予算(つまりカネ)は、「異次元の金融緩和」という怪しげな理論で使い物にならなくなってしまいました。今後ブロック・チェーン技術を利用した新しい通貨が多数出回るようになれば、この傾向はますます進行するでしょう。

・時間の身体性:等身大精神の危機

 そこで残された唯一の有限資源が、「時間」ということになります。時間は誰にでも平等に一方向に進むし、貯めておくことができない、つまり時間が経過すればチャンスもリスクも消滅することが多いからです。しかし矢野さんは、先回りして「等身大精神の危機」という言い方で、「時間の身体性」についても見通しています。以下が、それに触れた部分です。

一部のSFファンの間では有名な話のようだが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』などの作者が提唱した「ダグラス・アダムスの法則」というのがある。
人は、自分が生まれた時に既に存在したテクノロジーを、自然な世界の一部と感じる。15歳から35歳の間に発明されたテクノロジーは、新しくエキサイティングなものと感じられる。35歳以降になって発明されたテクノロジーは、自然に反するものと感じられる。
<よろずやっかい>➆の最後にふれたように、技術がもたらした問題の多くは技術によって解決できるはずである。サイバー空間と現実世界の接点における快適な時間の確保ということに関しても、秀逸な<よろずやっかい解決アイデア>が求められるとも言えよう。ノーベル賞級か、あるいはイグノーベル賞級の。

 しかし私には、最後の部分はかなり楽観的に過ぎるのではないか、と思われます。先に挙げた「動かない地図が読めない」と類似の現象が、いたるところで起こっているからです。「24時間働く」ことを美徳としてきた「企業戦士」の私からすれば、「会議の5分前に着席している」のは「同僚の時間を奪わない」最低限の義務と思っているのですが、現代の主流のルールは、トヨタ式のJIT(Just In Time)のように思われます。当方からすれば、「めったに合わない人と、会議前に雑談の一つも交わしたい」のですが、効率性基準では「ムダ」となるのでしょうか?

 このような感覚の差は、世代間では調和不能なほど拡大しています。私は伝統的なeメールが快適ですが、子供はショート・メッセージでないと「まどろっこしい」ようです。孫は今のところショート・メッセージ派ですが、次の技術が出てくれば、親世代よりも早く移行するでしょう。この3世代が、それぞれ別のところから1つのレストランに集まる過程を見ていると、その時間感覚の差に驚きます。そして、こうした変化がほんの四半世紀ほどで起こった(Windows 95から数えています)ことに、再び驚きます。

 この「新しい分断」に対する処方箋は未だ持ち合わせていませんが、とりあえずの対策は「適宜ブレイクして、その間に時差調整する」しかないように思います。わが国は年次有給休暇さえ放棄する(あるいは買い取ってもらう)傾向がありますが、「会議は長くても1時間で終わらせる」「2時間になるようなら途中で休憩を入れる」程度のことは、今回のコロナの経験を生かす意味で、実践してみてはどうでしょう。

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