林「情報法」(48)

GSOMIA破棄という二者択一

 「遠交近攻」という四字熟語が暗示するのは、「隣国との摩擦を回避するため遠い国と仲良くして集団としての安全を図る」戦略の有効性です。ただでさえ隣国との関係は難しいのに、一時期支配・従属の関係にあった日本と韓国が仲良くするのは、更に難しい課題でしょう。それにしても昨今の相互不信は「度を越えている」と考える人が多いのではないでしょうか? GSOMIA(General Security of Military Information Agreement)を例に、二者択一の限界と、「超えてはならない一線」がどこにあるのかを、考えてみましょう。

 ・自由貿易の例外としての輸出管理と優遇措置

  最近における日韓関係の悪化は、元慰安婦や元徴用工問題を二国間協定で解決したはずなのに、それを韓国側が「国内の裁判所が判断する被害者の法的救済は、国際関係とは別」などと、理解できない屁理屈で履行しないことに端を発しています。したがって、史上最悪とも評される両国関係の改善には、歴史認識などの深い理解が必要ですが、ここでは輸出管理の強化以降の問題に絞って議論しましょう。

 グローバル化の進展に伴って、貿易の障壁となる規制はなるべく撤廃しようという動きが強まり、「輸出入に関する規制はない方がよい」というコンセンサスが(少なくともトランプの登場以前には)できつつありました。しかし、北朝鮮の核実験やミサイル発射等にも見られるように、大量破壊兵器や通常兵器の拡散が「自由貿易」の間隙をついて横行していることが、大きな国際問題となっていました。

 これに対して、わが国は、安全保障と国際的な平和・安全の維持の観点から、大量破壊兵器や通常兵器の開発・製造等に関連する資機材・関連汎用品の輸出や、これらの関連技術の非居住者への提供について、外国為替及び外国貿易法(「外為法」)に基づいて、必要最小限の国家管理を実施しています。WTO(World Trade Organization)協定には安全保障を理由に貿易制限ができる例外規定があるので、これに依っているのです。

 この制度の下では、外為法で規制されている貨物や技術を輸出(提供)しようとする場合は、原則として経済産業大臣の許可を受ける必要があります。外為法に基づく規制は、化学兵器禁止条約等の条約に基づくものと、欧米先進諸国等が中心となって参加する国際的な輸出管理に関する合意(国際輸出管理レジーム)等に基づくものがあります。

 各国政府は軍事転用の恐れが大きい規制品目を輸出する場合、輸出企業に許可手続きを求めていますが、輸出先の国自身が厳しく輸出管理をしていると判断した場合、手続きを簡略化する優遇措置も認めています。具体的には、相手国の輸出管理制度の信頼度をランク付けして、優遇するのです。最上位の「グループA」は優遇措置が最も大きく、アジアで唯一となる韓国を含めて米国や英国など27か国が対象でした。しかし、日本政府は韓国の体制を「脆弱」と判断し、まず7月に韓国向けの半導体材料などの輸出管理を厳しくすることとし、その後8月28日から、最上位の格付けから除外し「グループB」に移しました。

 これに対して韓国も9月16日、本件はもともと元徴用工問題に対する報復であり、「政治的動機による差別的な措置」であるとして、加盟国間での貿易の差別を禁じる「最恵国待遇」のWTO原則に反するとして提訴しました。さらに9月18日、安全保障上の輸出管理で、優遇する国のグループから日本を除外しました。相互不信は、遂に報復合戦になってしまったのです。

・GSOMIA(General Security of Military Information Agreement

 しかも報復は貿易にとどまらず、国家間で軍事上の機密情報を提供し合い、共有し、また他国への漏えいを防ぐことを目的として締結される二国間協定である、GSOMIAの更新拒否(韓国の一方的離脱)にまで及びました。GSOMIAは普通名詞ですが、今問題になっているのは日韓における「秘密軍事情報の保護に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定」のことで、難産の末2016年に締結され、1年ごとに自動更新されてきました。終了させる場合は、更新期限の90日前(8月24日)までに相手国へ通告することとなっていたところ、2019年8月22日に韓国側が協定の破棄を決定し、日本側に伝達したのです(現協定は11月23日までは有効です)。

 日韓におけるGSOMIAの必要性は、言うまでもなく北朝鮮問題と不可分です。北のミサイルの射程圏内にある両国にとっては、軍事情報を共有し不測の事態に備えることが死活的に重要だからです。「日韓の協定が破棄されても2016年以前に戻るだけで、米国との協定が生きている限り、米国経由で情報を入手できるので被害は少ない」との見方もありますが、それは有事における「時間」の大切さを忘れた議論でしょう。韓国から直で入手できる場合に比べ、韓国が米国に提供する情報を米国経由で入手する場合には、貴重な時間を浪費してしまいます。

 また「地球が丸い」以上、発射直後における情報は、日本からはキャッチしにくい点を過小評価してはなりません。この初期の数十秒が決定的な意味を持つことがあり得ます。加えて、閉鎖社会である北朝鮮に関する人的情報(ヒューマン・インテリジェンス)は、韓国に依存せざるを得ないことも認めざるを得ません。このような不利益は韓国にはないので、彼らは失うものはないとお考えかもしれませんが、実はそうではありません。

 わが国は偵察衛星を持っているほか、ソ連による大韓航空撃墜事件の際にその一部始終を傍受するなど、無線の分野のインテリジェンス力はかなりのものです。また、潜水艦の動きをキャッチする能力も優れているとされます。しかし、わが国だけで得られる情報には、当然限界があります。そこで、米国を軸にしつつ日韓が協力して、北朝鮮に関する情報を共有し対処するのが、一番理にかなっているのです。この事情は、わが国だけでなく、韓国の関係者にも共有されている認識(知らぬは大統領ばかりなり)であろうと思います。

・レッド・ラインを超えた韓国

 それではなぜ、韓国はGSOMIA  の破棄を選んだのでしょうか? 韓国では、右派と左派が融和不可能なほどの対立関係にあり、左派の文大統領の優先順位は「民主主義」よりも「祖国統一」の方にあるのかもしれません。つまり、日米流の自由主義体制を選ぶか、北朝鮮に寄り添った祖国統一を選ぶかという「二者択一」的発想では、後者を選択することに決めている「確信犯」ではないかと思えるのです。このような「二者択一」的発想の限界については、この連載で注意を喚起してきたところです。

 しかし、ここでより視野を広げて、1989年のベルリンの壁の崩壊をまたいで、一時期ドイツ統一や東欧の西欧化をウオッチする機会のあった、私の個人的体験を披露させてください。ドイツの統一にせよ、東欧諸国の旧ソ連からの解放にせよ、より強権的なシステムと、より自由なシステムとを統合するには、「より自由」な方に合わせるしかないというのが歴史的事実です。仮にこのトレンドに反する統合を企てれば、その政権がやがて終焉を迎え、「統合のやり直し」が行なわれるまで、混乱は避けられないでしょう。

 文大統領は、個人的な心情として、金正日に親近感を感じているのかもしれません。しかし、一国の統治者として「二者択一」しかないと決め込み、「北による韓国併合」ともいえる案を自ら推進するとすれば、自殺行為ではないでしょうか? わが国のみならず、西洋諸国はそのような指導者を信頼することはできません。トランプ大統領でさえ「南抜きでの北との直接交渉」を進めていますし、肝心の金正日も「文政権相手にせず」を貫いています。政治面のみならず経済面においては、韓国企業が西欧諸国と取引するうえで支障が出ることも想定されます。

 確かに、これらの国々が共有する価値である民主主義は、現実主義者で皮肉屋のチャーチル元英国首相によれば、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」という程度の、相対的優位性しか持たないものです。しかし、一旦民主主義世界で生活した人が、強権主義の命令に従わなければならなくなったら、その優位性を「絶対的」と言ってよいほどに感ずるでしょう。「一国二制度」の香港で、「現状維持」が如何に「革新的」とみなされているかを見れば、このギャップの大きさを感ずることができるでしょう(上述のように私は、旧東ドイツや東欧諸国を訪問することで、実感してきました)。

 文大統領が、民主主義を捨てても祖国統一を志向するなら、もはや「超えてはならない一線(レッド・ライン)を越えた」と評するしかないと思います。ただし、そのような最終判断を下すには、もう一度GSOMIAが何を目指しており、手続き的にはどのようなことを期待しているのかを、細部まで見ておく必要があります。その点は、GSOMIAを情報法的に解釈するという別のテーマになりますので、次回まとめて説明します。

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