名和「後期高齢者」(21)

「弘法は筆を選ぶ」か?

 知人に筆まめの美学者がいる。その人を私はひそかに迷亭さんと呼んでいる。(だからといって、私は自分を寒月であると擬するわけでない。寒月先生の孫弟子ではあるのだが。)

 その迷亭さんが「弘法は筆を選ぶ」という手紙を送ってきた。本人の説明によれば、迷亭さんは4本のモンブラン万年筆をもっており、それを使い分けているという。さらに、その手紙をみると、みずからがザインした便箋に書かれている。後日、当人に確かめたら、原稿用紙も自家製だという。

 なぜ、こんな手紙を送ってきたのか。私が、迷亭さんの手書きはヒエログリフのようだ、と評したことへの反応らしい。私は褒め言葉のつもりだったが。

 迷亭さんの「弘法は筆を選ぶ」だが、それは巷間いわれている「弘法は筆を選ばず」という諺の逆命題になっている。迷亭さんが弘法ではないことは確実だから、どちらかの主張が間違っていることになる。私は「“クレタ人は嘘をつかない”とクレタ人はいった」という文章を読んだときのように、幻惑のなかに放りこまれた。

 私の場合はどうか。改めて考えると「弘法ではないのに筆を選ばない」という惨状である。念のために言えば、私の筆はPC。入出力ともに、カタカナでも、ひらがなでも、ローマ字でも使える。さらに、筆がなくとも、語りかけるだけでも、使える。

 ところでIT技術者は「弘法は筆を選ばず」をどう表現するのかな。「弘法はネズミ(マウス)を選ばず」かな。

 ここで私は「ユニバーサル・デザイン」という言葉を思い出した。これは「できるだけ多くの人が利用可能であるようなデザイン」にすること、だという。とすれば、鉛筆とPCとのどちらが「ユニバーサル・デザイン」の意にかなっているのか、にわかには判断できない。なお、「ユニバーサル・デザイン」はデザイン対象を障害者に限定していない点が「バリア・フリー」とは異なる。ほかにも「ノーマライゼーション」という上から目線の概念があった。

 ここで私が「ユニバーサル・デザイン」という言葉を想起したのは、PCにはよく不具合が生じ、そのトラブル・シューティングが、孤立しがちな高齢者には難儀だからである。多くの高齢者に頼りになるのは、家族や現役時代の仲間だろうが、その人たちがインターネットの「犬の歩み」に追いついているか否かは疑わしい。付言すれば、トラブル・シューティングについては、いつもマーフィーの法則が現れる。それは

 「何でも間違いうるものならば、間違うことになる。」

という経験則である。

 つい先週も、私の契約しているプロバイダーから「緊急・警告」というメッセージが跳びこみ狼狽した。まず、そのメッセージの真偽を確認しなければならない。さっそく電話をしてみたが、その番号は存在しないという電話会社の回答。こんなことが月に1回はある。これに比べて、代表的な筆である鉛筆であれば、こんなことは皆無といってよい。ただし、万年筆は保守に若干の手間はかかるかな。

  いっぽう、PCには重いという弱点がある。近ごろの現役世代はその重いPCを鞄に放り込んで仕事をしている。先日もSNSで悲鳴を上げている活動家がいた。脊椎を痛めたという。私も似た経験をもっている。くわえて、筆には欠かせない紙も重いね。ただし、こちらは後期高齢者にならなければ気付かない。

 思い出したことがある。90年代だったか、工業標準化調査会で21世紀の標準化の在り方について議論したことがある。そのときに、私はマン・マシン・インタフェイスについて1通りであるべきと主張した。独りものの遭遇するトラブル・シューティングが念頭にあったからである。

 だが、多くの委員の意見は違った。それは、個々のユーザーに特化したマン・マシン・インタフェイスが望ましい、というものであった。この意見はたぶんバリア・フリーを意識したものだったかとも思う。

 いまになって思えば、私の意見と他者の意見とは矛盾するものではなかった。私の主張は、ユニバーサル・デザインに関する7原則のうち、第3原則と第5原則と第6原則を強調したものであった。その7原則とは、ウィキペディアによれば、(1)公平な利用、(2)利用における柔軟性、(3)単純で直感的な利用、(4)認知できる情報、(5)失敗に対する寛大さ、(6)少ない身体的な努力、(7)接近や利用のためのサイズと空間、を指すという。

 ところで、「弘法も筆の誤り」という言葉もありますね。ユニックス・ユーザーは、コマンド嫌いのマック・ユーザーに対して、「悪いユーザーは自分の道具をけなす」というらしい。

【参考資料】
R.L.ウェーバー編(橋本英典訳)『科学の散策』, 紀伊国屋書店(1981)
科学の散策
(2)Wikipedia「ユニバーサルデザイン
(3)オースティン・C・トラビス(倉骨彰訳)『マックの法則』、BNN (1994)
マックの法則―Macにはまった馬鹿なやつら

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