トランプ大統領①(第132回、2017/1号)②(第133回、2017/2号)

 
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今回は「トランプ大統領」①②あわせての掲載です。イラスト、あいかわらずさえてるねえ
『広報』連載の挿絵を担当させていただいてから、1年が過ぎました。毎回楽しみながら、記事のちょっとしたスパイスになればと趣向を凝らしています
新聞社の整理部にいたころ、先輩から「記事に負けない見出しをつけろ」と言われたものだが、君のイラストは原稿に負けていないというか、発想が豊かで、テーマに関する新たな視点をつけ加えています
①はトランプゲーム、②は「インドの宇宙観」を題材に、危うい「トランプ王国」を象徴しました
今回の選挙は今のアメリカ世相を象徴した興味深い結果だった
①でカードゲームをしているのは、ともにアメリカの象徴キャラクターであるアンクル・サムと女神コロンビアです。②のイラストにある「インドの宇宙観」は、実はインド発ではなく、ヒンディー語をよく知らない人が絵だけ見てでっち上げた記事……というのが現在では通説のようで、そんなゴシップ的な流れもモチーフにしました
大統領の独自路線は現在でもニュースを賑わせているけど、そのあり方はサイバーリテラシーとしても注視していきたいところです
とくに「手札」には注意したいですね
……そのこころは?
最悪、ドロー(泥)試合になります
……お後が宜しいようで

< ML楽屋話 >


Sic ①のコンセプトは、「運命の大逆転」です。

 イラストでカードを引こうとしているのは、アメリカの象徴でもあるコロンビア(女神)です。コロンビア映画のオープニングの最初に出てきます。カードを持っているのは男性ですが、襟をよくみるとアメリカのトリコロールが施されています。この柄は、やはりアメリカの象徴として有名なアンクル・サムです。

 トランプカードの絵柄はほとんどがヒラリー(クイーン)ですが、コロンビアはドナルド・トランプ(ジョーカー)を引こうとしています。

 構図にはいろいろな意味を込めました。どちらもアメリカの象徴である2人の対決。男性(アンクル・サム)VS女性(コロンビア)。白人VS白人。過激VS保守……。

 コロンビアの過去描かれてきた姿は、みな天然パーマというか、クリクリのカーリーヘアなんですが、単純に同じように描くと、パンチパーマみたいになってしまったので、イラストでは漫画的なデフォルメを施してあります。

 カーリーヘアというと、映画「カーリー・スー」を思い出してしまうのですが、この映画も、アメリカの貧困層をテーマにしていて、当時そんな家族なんていないだろ~なんて思っていたら、現実はもっと深刻な問題になっていることにカルチャーショックを受けました。

 カードの絵柄は、選挙の終盤をイメージしています。あれほど横柄な態度だったトランプは、やや大人しくなり、ヒラリーは勝利を確信していたことでしょう。コロンビアが持っているカードの表面には「VOTE(投票)」と書いてあります。アメリカの選挙は、エンターテイメント性も高いようですが、今回の投票は個人的に(本当に大丈夫なのか?)っていうノリの人が多かったように感じました。ゲーム感覚というか、オバマがダメなら反対勢力……みたいな、あまり深く考えていないような印象です。

 結局、トランプゲームで勝敗が決まる……ドナルド・トランプのゲームの術中にハマる。そして、最後にコロンビア(女性→ヒラリー)が、JOKER(ババ)を引くという構図です。今後、女神の象徴である「自由」もJOKERを引くという皮肉にならなければいいんですが……


Kan これだけで好事家の意見が集まる要素満載です。Hei君の話だと、彼が大手銀行の元役員にサイバーリテラシーについて話したところ、大きな関心をもってくれ、いまMLでやっているトランプ大統領をめぐる議論にも参加したいと言ってくれたそうです。このための「サイバー燈台」ですよ。


Kyu ゴールデン・グローブ賞授賞式でメリル・ストリープが話したことは至極まっとうなのに、ネット上では「だから、エスタブリッシュメントが嫌われるのをわかっていない」と、ストリープを批判する書き込みがあるのには驚きました。ホンネを感情のまま人前でべらべらしゃべるのは、大人ではないと親に教わったんですが、人間の規範が変わったのでしょうか。「ハリウッドスターは、なぜトランプ政権が嫌いなのか」という記事があったのでご参考まで。 


Hei トランプ政権下、ビッグブラザーで有名なジョージ・オーエルの『1984年』がアメリカでベストセラー入りしたようです。


Kan ハリウッドの俳優たちが堂々と発言しているのはすばらしいです。もっとも、記事でも触れていたけれど、そのハリウッドをマッカーシズムが吹き荒れたことがあるわけですね。油断はできない。

 『1984年』の怖さはビッグブラザーもそうだけれど、人びとの考え方そのものを規制する(体制批判ができないようにする)「ニュースピーク」という新語法にあるわけで、その点、トランプ政権の「オルタナティブファクト(もう一つの事実)」というのは不気味です。

 先日、「徹子の部屋」を見ていたら、現在82歳とかいう彼女が、「100歳になったら、いまは発言を控えている政治的な問題についても発言したい」と言っていたけれど、日本のテレビ界にはどういう空気が流れているんでしょうね。


Sic ②のコンセプトは、「自家用トランプ合衆国」です。モチーフは、「インドの宇宙観」としてよく知られる図で、大地は3匹(元ネタでは4匹とも8匹とも)の象に支えられ、更にその下には巨大な亀がいる……という構成になっています(この「インドの宇宙観」は出所が怪しいという話もあります)。

 トランプ大統領は実業家で、なんでも自家用を持っていることでも有名でした。自家用ジェット機、世界的にも有名な自ビルのトランプタワー……。合衆国大統領には専用ジェット機エアフォースワンがありますが、そんな大統領ステイタスを持つ前から、大統領顔負けの資産を誇っていました。そして遂に合衆国という大国をも手に入れました。

 大地の上には、トランプタワー(イラストはシカゴのトランプタワー)がそびえ立ち、天辺には国旗がはためきます。トランプタワーは「富の象徴」の一方、成金や(あまり印象のよくない)金持ちのシンボルとして、80年~90年代の映画にもよく登場していました。ペットは飼い主に似るといいますが、亀の髪型や目の下のサングラス焼けは、国家代表に似てしまったのかもしれません。

 就任直後のTPP離脱などのド派手なパフォーマンスは記憶に新しいところです。開国を迫った国が、今度は自ら鎖国しようとしている……なんて皮肉もありました。選挙前から言っていた「公約」通りなんでしょうが、制御不能な感じがしてしまうのは私だけでしょうか。


Kik 彼の勝利は確かに驚きでしたが、その衝撃に乗せられたマスコミが(予想を基にした)否定的論調を続けるのは、かえってトランプ氏の思う壺じゃないかと思います。

 Kyuさんがふれたように、ネット時代になり匿名性が確保されたことで、世界は「ホンネ」を公然と語り始めました。それは、「政治的な正しさ」、「ポリティカル・コレクトネス」といった流れによって必然的に、否応なく、リベラルにしかなりようのないマスコミ言説に対し、「ホンネ」で疑問を感じていた人びとがいかに多かったかを現しているのではないでしょうか。

 米国の多くの「個人」にとって、ホンネでは「他国人の人権」より「自分や家族の安全」のほうが大事なのです。「失業者や外国人の保険まで負担するオバマケア」より「質が落ちたうえに値上がりした保険料」のほうが大問題なのです。「ホンネ」を抱える人が多いであろうことは、実は選挙前から誰もが分かっていたことではないでしょうか。

 マスコミが無自覚にいつしか1%の富裕層(オリガーキー)を代表してきたことを、99%に属する多くの国民が気づいていながら、これまではそれを表現すらできなかった。ネットの匿名性がその箍を外し、「マスコミを始めとする特権階級」に抑圧されている(と考える、マスコミが思っていたよりはるかに多かった)人びとは、ついにはアメリカの多数派となり、ホンネ派の大統領を生み出したということです。世界を牛耳ってきた1%のオリガーキーに対し、99%の人びとが起こした無血革命と言ってもよいかもしれません。

 と言うと、今回の結果を手放しで評価しているようですが、勿論、それだけではありません。今回の選挙は、米国社会の歪みを正すための一石にはなったかもしれませんが、そのために米国は「ホンネ」に身を委ねてしまいました。

 「文明」とは、「ホンネ」や「本能」より、「理論」や「理性」を重んじることによって、少なくとも、そうであろうとする絶え間ない営為によって 成り立つもののはずです。マスコミを「敵対勢力」、「野党」として扱うことで、「ホンネ」を優先とする社会が、それまで築きあげた文明を、果たして維持できるのでしょうか。ツイッターやSNSに拡がる「ホンネ」が、「言論」に成り代わり得るのでしょうか。

 米国の行く末は、日本にも大きな影響を与えます。日本も「ホンネ」文化が広まりつつあり、対岸の火事ではありません。トランプ氏が、「オリガーキーから米国を取り戻す」という大義を追いつつ、米国がこれまで築いた国際的地位、社会的安定、秩序、文明、文化といったものを守り通せるのか、今後も注視していきたいです。


Kyu アメリカだけでなく、ヨーロッパもフィリピンも、本音を語れるリーダーを求めているようです。ただ、リーダーがホンネを語ってくれても、それを求める人びとのための政治をするわけではないので、逆に望まない結果になるかもしれませんね。


Kik 英国はホンネで動いた後の揺り返しがあって、EU離脱を後悔している人も多いと聞きますが、オランダやフランスといったリベラルな印象が強い国でも、極右政治家(政党)を支持する人が増えているとか。

 世界中の人がネット上の事実だったりデマだったり、つまり真偽はともかく「情報」に沿って動いていますが、想像力は…どこいっちゃったんでしょうか(^^;)。


Kan 本音とタテマエをめぐる議論はトランプ現象の本質にかかわるものですね。Kyu、Kikご両人が書いているように、トランプ現象は政治の舞台に本音が突然噴出したものだと見ることができそうです。

 もともと政治はタテマエを重視することで成り立っていた。社会契約説が説くように、みんなが本音を言い合っていたのでは社会はうまく回らない、だからこその擬制が必要でした。このタテマエは背景というか深層に本音をうまく抱えている必要があったわけですが、擬制(グローバリズムや多元的文化主義など)が硬直化して本音から大きく乖離していった。一種の制度疲労です。リベラリズムもこの事態にうまく対応できず、タテマエを語ることで良しとしていたわけで、こういった事態にネットの力を借りた国民が本音をぶつけた、それをたくみに受け止めた、と言うより、むしろ煽り掻き立てたのがトランプ陣営だったということではないでしょうか。この辺はイラストにもよく反映されていると思います。

 ネットはタテマエの制度疲労を促進したし、それに対する本音の逆襲にも貢献した。ここにIT社会の深層があると思います。

 リベラリズムについて言えば、社会学者の宮台真司がリベラリズムは面白くない、だから駄目なんだと言っていましたが、じゃあ面白ければいいのかとも思うわけです。僕が情報倫理が大事だというのは、本音をきちんと踏まえた新しいタテマエをつくり、それを大事にしていこうということですが、ここがサイバーリテラシーは生真面目すぎると思われるところかも(^o^)。

 本音とタテマエということだと、日本の安倍政権は立憲主義ばかりでなく、かつての保守のタテマエをも次々と打ち破ってきており、それをネットなどの〝本音主義者〟や〝利にさとい〟財界などが支持しているわけですね。安倍首相はトランプ大統領より先行しているとも言える。


Kik 日本の場合、政治からタテマエが消えていった原点はどこなんでしょう。どの世界でも政治のタテマエに反発する層は常に一定量存在しますが、日本の場合、「制度疲労」が表面化してきたのは、もしかしたら1990年頃の「土井ブーム」辺りだったりするんでしょうか。というのも、当時、「台所の声を国政に」などという標語を聞いて、「台所感覚で国政やられてたまるか!」と憤慨した記憶があり、何となく今回の感触に似ている気がしたもので。

 あの頃は、時代の「風」とやらで、「マドンナ議員」なる素人集団が次々と国政に参加し始めました。それまで政治とは、それなりの知見や経験を有した「プロの仕事」で、昨日まで主婦だったような素人が、政治を動かして良いものでないし、動かせるはずがない、というのが大人の意見だったはずです。

 しかし、当時は自民党の政権運営に対する批判が強かったこともあり、多くの人がそうした変化を面白がり、マスコミも連日「主婦感覚」やら「国民目線」やらの「素人ホンネ政治」を喧伝していたように思います。

 タテマエ重視の政治をホンネに近づけた、最初の動きだったのかもしれないなあと、今思いついたので書いてみました(^o^)。ただ当時は幸か不幸か、マスコミが政権批判を始めるようになると、世論もそれに合わせて揺り戻していきましたね。ホンネや素人感覚だけでは、「タテマエ=理想」には近づかないという「理屈」が、まだ生き残っていたような気がします。翻って現代は、そうした「理屈」自体が崩壊してしまったように見えます。

 いまではグローバリズムが進み、政治の「タテマエ」が、多くの人にとっての「理想」ですらなくなってしまいましたから。どれだけ「平和」を語っても戦争やテロは終わらないし、「平等」のために我慢していると、格差は拡がる一方で、「自由」や「人権」の名の下に、犯罪者が堂々と街を歩く。世界の株価がどうだろうと、儲かっているのは一部の連中だけ。歩き続ければいつか辿り着けると思っていた世界は、明らかにその道が塞がれたように感じます。

 トランプ大統領には、オリガーキーから国を取り戻した後、どういう世界を目指すのかも語って欲しいところです(今のところ、彼の眼には米国一国しか映ってないようですが、グローバリズムを破壊すれば、当然世界の在り方も変えなければならないはずですから)。 サイバー空間の「集合知」が、その答えを導けることを(ちょっとだけ)期待しています(^O^)。というか、せめてそれだけでも、期待したいものです…。


Kan 政治家(プロ)は自分たちの権力や情報を自らのためだけに使い、悪いことばかりする(「民の竈は賑わいにけり」という古代君主の言葉もあるけれど)、だから素人が政治にも参加した方がいいのだという動きは、「山が動いた」と感じられた時からはっきりしてきたのかもしれません。それに対して与党自民党もタレント議員を重用するようになり、政治の世界は劣化していくわけだけれど、これは政治ばかりでなく、官僚機構、マスメディアでも同様だったようです。身の回りを見回してみても、ジャーナリストの劣化は否めないですね。

 そして、ここへきて、「何も知らなくていいんだ」、「勉強する必要はない」というムードがネットを通じて蔓延、ついに一国の首相や大統領を選ぶようになっているわけです。いつぞや香山リカがネットでリベラルな先輩が頑張ってくれないと嘆いていたけれど(ここにはリベラリストの劣化もある)、ネットの世界は一部の専門的領域は別にして、大勢として現実追随、順応主義に流れているわけですね。この怒涛の〝奔流〟を前にすると、現在の一部のまっとうな専門的ウエブの力はきわめて小さい(悪ウエブは良ウエブを駆逐する)。この動きに抗おうとするのがサイバー燈台だと言いたいところです(^o^)。


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