ピコ太郎(第131回、2016/12号)


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イラスト

今回は2016年半ばに突如現れ、爆発的な大ヒットとなったピコ太郎を取り上げたわけだが、ピコ太郎から孫悟空とは……
(記事を読んで)かなり早い時期から西遊記ベースのイメージがありました
ほほう
ピコ太郎の全身黄色衣装と、全身の風貌がなんとなく猿のイメージで踊っている……何かの手の上で踊らされているという連想から、孫悟空と釈迦のエピソードに至りました
飛んでる発想、筋斗雲に乗ったかな(^o^)
外国人からみた日本人=イエローモンキー(黄色いピコ太郎)というのもあります
孫悟空は何かつぶやいているね。皮皮…なんとか
あれは中国語のアルファベット表記です。「PPAP?」と言っています
呟きといえば、ピコ太郎ブレイクのキッカケもつぶやき(ツイッター)だった
有名人がこぞってつぶやきましたからね
垣根のないサイバー空間の、ソーシャルメディア(SM)ならではの爆発力だったということをうまく表現しました
まさに「悪事千里を走る」です
これは悪事じゃないけれど
ピコ太郎の噂も、まんべんなく雲の上まで届くわけですよ
そのこころは?
均等に、うーんと!
……お後がよろしいようで

< ML楽屋話 >


Sic 今回のコンセプトは、「サイバースペースの斉天大聖」です。記事の中でも触れていますが、ピコ太郎氏はかつて「底ぬけAIR-LINE」というグループで活動していた古坂大魔王氏で、芸歴は25年にもなる大ベテランです。

 ジャスティン・ビーバーのツイートで爆発的に大ヒットしたことで有名ですが、理念に基づいたリズムネタは、非常によく考えられて制作されています。目に留まったのがたまたま世界的な有名人で、影響力も大きかったこともあるでしょうが、もし仮にそうでなかったとしても、そこそこのヒットはしたことでしょう。
 イラストのモチーフは西遊記の孫行者、日本では孫悟空の名でよく知られるキャラクターです。孫悟空は釈迦如来との勝負で世界の果てを目指し、そこにあった5本の柱に落書きをしますが、実はそれは釈迦如来の掌で、柱は釈迦の指だったという西遊記のエピソードです。

 世界の最果てに到達した孫行者(孫悟空)が、柱に「斉天大聖到此一遊」(天に等しい大聖者「孫悟空」が此処まで到達したぞ)と落書きをしています。余談ですが、孫悟空は画像検索するとドラゴンボール(漫画)の主人公ばかりがヒットし、次いで西遊記をモチーフにした日本の漫画が続きます。懐かしいところでは、堺正章が主演のドラマが出てきたりもしましたが、ここでは原点回帰として京劇や中国の挿絵を参考にしました。

 ネット情報の速さとパチモン(偽物、粗悪品)、劣化コピーの風刺として、孫悟空の乗る筋斗雲に、早速コバンザメが張り付いています。右からは、どこからか情報を嗅ぎつけたドジョウが2匹、本来の意味とは異なりますが「二匹(目)のドジョウ」を表現しています。

 孫悟空が持つ筆は、いうまでもなくPPAPです。世界の果てに到達した(ように見えた)途端、あっという間に様々なものが群がってくる……そんな風刺でもあります。思えばアメリカの大統領選も、世論という見えない何かの掌で踊らされていた感がありました。
 「光陰矢の如し」といいますが、ネット情報の流れはまことに「光の如し」なのかも知れません。通信速度は光速ですし。


Kik まさかここで西遊記とは思わなかったなあ。ピコ太郎現象に関しては、ちょうど忙しかった時期と重なり、興味を持った時には既に人気も失速気味。ビルボードにランクインした曲としては世界最短らしいですが、人気が廃るスピードも世界最短になる気もします(^^;)。

 ちなみに、あの曲(というか流行)について最初に思ったのは、規模こそ違え昔からあの手の「音ネタ」、「リズムネタ」というのは流行りやすいなあ、ということ。最近だと、クマムシの「あったかいんだから」、オリエンタルラジオの「I’m Perfect human」、ちょっと前だと小島よしおの「オッパッピー」とか、エグスプロージョンの「本能寺の変」とかテツandトモの「なんでだろ~」とか、COWCOWの「あたりまえ体操」とか、8.6秒バズーカの「ラッスンゴレライ」とか、子どもの頃は、ドリフのヒゲダンスとか、もっと前だと、「がちょ~ん」とか。挙げていくとキリがないですね。おっぺけぺー。

 上に挙げた流行(?)に共通するのは、
・フレーズやリズムが覚えやすく、子どもたち(幼児から中高生)にウケる
・真似する人(二次創作)が多い
という点かな。

 ネット時代の現代では、後者の「二次創作を生みやすい」というのが非常に重要で、AKBの「恋するフォーチュンクッキー」や、PSYの「江南スタイル」のように、多くの人が二次創作(パロディ等)をネットで発表することで相乗効果となり、爆発的な拡散力につながることが珍しくありません。

 まあ、ネット(というか、若者にとってのネット=SNS)というのは、要は「口コミ(バイラルマーケティング)」の文化であり技術なので、こうした現象は当然とも言えますが。

 「ピコ太郎」は、上に挙げた過去のリズムネタと比べて特別面白いとも思えません。面白くないとまでは言わないけど。

 今回大きく違ったのは、この「仲間内のネタ」の「元ネタ」が英語だった点と、「仲間内」の中心にジャスティン・ビーバーがいたこと。(彼は「中高生」という年齢じゃないけど、精神的に「子ども」的であることは有名。彼にとって人気要因の一つでもあり、彼の感性があの動画を気に入ったこと自体、不思議ではない)

 もともと日本の「リズムネタ」は面白くて楽しいのだけど、これまでは言葉の壁でガラパゴス状態だったのかもしれないですね。今回は英語による表現で、一気に広がった感じでしょうか。簡単に言ってしまえば、「ピコ太郎現象」的なモノは、日本では珍しかったものの、世界レベルではもはや当たり前なんですよね。先生も書かれているように「アラブの春」あたりから、シンプルなキーワードやスローガンが、若者中心にネットで拡散され、社会現象まで昇華したりしています。

 政治的なモノからお笑いまで、もはや「流行」や「オピニオン」を先導しているのは、
旧来メディアでも、政治家や文化人でもない。ごく当たり前の若者たちや、ごく普通の市民がネットというツールを使って、どんどん「時代」を作っていく。時に爆発的な拡散力と影響力を伴って。

 それは、ものすごく良いことのようにも思えるし、なんとなく危険な肌触りもあります。人々は、この流れのまま、感情を強く刺激する言説にしか反応できなくなっていくのか…と構えると、少々大げさですけど。


Sic 世の中、特にサイバースペースでのヒットは、影響力のある個人だったり、一部の集団だったりが、大きな流れを作ります。このPPAPのすぐ後くらいに朴槿恵大統領のニュースがありました。

 個人的に、このニュースはPPAPと対照的ながら、同時によく似ているとも感じました。
大集団の意見に翻弄され、片や一躍世界的スターに、片や辞任へと追い込まれていますが、両者とも大きな流れに飲まれて、本人の意思など関係なくあっという間に事態が動いていきました……文字通り「明暗」を分けた2つのニュースは、あたかも見えない何かの掌で踊らされているかのようです。


Kik たしかに今、韓国では大統領がエラいことになってますね。どうもあの国の大統領は、レームダックになってくると、ろくな最後を迎えられないようで(^^;)。あの群集心理には、単純な正義感というより、権力者を引きずり降ろしてやろうという、なんとなく小市民的な心理も見え隠れして、ちょっとイヤです。自分一人じゃ怖くて何も出来ないけど、みんなでやれば(匿名になれば)怖くない、みたいな。

 「ピコ太郎現象」自体は、何も悪いことはないですけど、一つのこと=情報が(その価値を熟考する暇もなく)一気に拡がって、(吟味する間もなく)一気に流れていく時代になったのかも。その波に、敢えて飲まれて楽しむのも良いけれど、世の中の様々な分野で、そうした傾向が増えていくのだとしたら、それは少しだけ怖いことかもしれないなあ…と。


Sic イラストの補足ですが、孫悟空の代名詞でもある頭の輪っか「緊箍児(きんこじ)」がありませんが、これは三蔵法師とのエピソードで出てくるもので、釈迦との対決時にはまだありません。私は絵を描くときに反転とかしながら描くのですが、うっかり着物合わせを逆にしてしまったと思い、中国の着物合わせについて調べてみました。すると、右前は庶民、左前は高貴な身分の着方らしく、釈迦との対決時には斉天大聖を名乗っていた孫悟空には、むしろ慇懃無礼な感じでいいかも!とそのままにしました。

 日本では、同じく三蔵法師の御供の沙悟浄が河童として描かれることが多いですが、もともとの原作にそのような記述はありません。そもそも河童は日本固有?の妖怪なので、西遊記に登場するのはおかしい話なんですが、これは日本に入ってきたときのアレンジなんだそうです。沙悟浄は水の妖怪なので、孫悟空=猿、猪八戒=豚に対して馴染み深く親しみ安い姿に変換されたんでしょう。昔話などをアレンジした、サイバー昔話なんてコンテンツも児童向けにいいかもしれませんね。


Kik 以前読んだ本の中で「知識人は三種類に峻別される。真正の知識人であるインテレクチュアル、専門的知識をツールとして操るインテリジェント、持てる知識を過剰な政治的コミットメントに注ぐインテリゲンチャ」という分類があったのですが(たしか西部邁氏の著作ですが、タイトルは忘れました)、ネットの普及は、インテリジェントとインテリゲンチャにとって有利なツールである一方、哲学的だったり、形而上的だったりする真の「知性」は、どんどん希釈されて時代に飲み込まれるか、誰にでも分かりやすいハウツーモノとなって、(あっという間に)消費されていくようにも思えます。

 いやまあ、「ピコ太郎」からそこに話を持って行くのは飛躍的すぎますね。言いたかったのは、こういう時代だからこそ、先生の「サイバーリテラシー」は重要なんだと。耳に優しかったり、過度に刺激的だったりしないから、一気に拡散は難しいでしょうけど、地道に広げていきたいですね。


Kan 問題はやはりインターネットがもたらすスピードじゃないかねえ。これに抗うスローフードのような運動が必要な気がします。スローライフの勧めというか。そのブレーキはネットの中にはなく、身の回りの生活(家族、地域、要するに現実世界)を再確認する必要があるというのが僕の意見ですね。古いと言われると、まさに化石的かもしれないのだが、この古いものが捨て去られていくことの鬱積が爆発する日が来るようにも思います。

 今度の米大統領選もその例と思われる節があります。トランプを当選させた原動力とも言えるアメリカ白人労働者層ですが、拡大する格差の中で埋没し、しかもこの不満を既存政治過程にうまく反映できないでいたわけですね。これは当然、グローバル化への反発と結びつきました。

 人種差別撤廃、移民庇護、貧困層ケアと、これまでの理詰めの考えからする〝善政〟が、予想外の副作用もあって、それほどの効果を上げられない中で既存中間層が埋没する飢餓感が原因だと思うわけね。


Kik スローフードのような運動が必要だというのは、まったくその通りですね。僕はおよそ「グローバリズム」なるものに信を置いていませんので、豊かな世界のためには、「ローカリズム」こそ重要と考えておりますし、「伝統」というものを大切に思っています。なので、政治的にも「保守」の精神は必要だと考えています。

 しかしながら、最近の自民党は、「ナショナリズム」が目立ちますね。「パトリオティズム」なら賛同できるのですが、偏狭な国益主義は気に入りません。しかも、「伝統」という言葉を、明治維新から敗戦までの、日本史の中では極めて特異な時期から(だけ)求めようとしているのも納得できません。

 アメリカのトランプ人気にも通じますが、異郷を憎むことで得られる愛国心は、幸徳秋水の「甚だ卑しむ可き者」だと感じます。


Kan 確認だけれど、自民党改憲草案などにある「家族の復権」、「公共の秩序」の強調と、僕の「身の回りの生活(現実世界)の再確認」は似て非なるものですね。


Kik サイバースペースに対をなす「現実世界」も、そのサイバースペースによって急速に変化しているのが心配ですが、「変わらぬもの」を偏狭な愛国主義に求めるのではなく、もっと身近な人間関係の中に求められる社会を望みます……と、そんなことを思う残業中です。


ご意見をお待ちしています

3 Replies to “ピコ太郎(第131回、2016/12号)”

  1. 高橋清

    「ソーシャルメディア独歩の時代」に異を唱えるつもりは毛頭ありませんが、昭和18年生まれの感想を一言。このPPAPなる動画をはじめて見ました。ユーチューブ再生回数9467万回!2016年12月5日現在の数字ですから現時点ではどうなっているのでしょう!

     ピコ太郎現象のスピードとそのひろがり、同時に宇多田ヒカルの「ファースト・ラブ」のヒットしたメディア背景もなるほどと思いました。これは俺もCDを買いました(笑)で、ここで対照的な、1978年に280万枚を売り上げた渥美二郎の「夢追い酒」ヒットの背景をちょっと。
     発売当時は鳴かず飛ばずで低迷していたのですが、渥美二郎の全国行脚と、本人の有線放送への電話でじわじわ売り上げを伸ばし、大ヒットとなりました。ここで、感動的なのは(感動するのは俺だけかもしれませんがw)渥美二郎本人が、10円玉を100枚200枚と準備した上で、赤電話から有線放送に毎日リクエストをいれていたことです! 三者を比較して見ますと、まさに隔世の感があります。

     昭和は遠く遠くなりにけり!
     IT技術の進歩はとどまるところを知らず、恐ろしい感じさえします。
     人間は試練にさらされているのではないでしょうか?
     あ、これは貴兄のテーマでした!
     
     この古いものが捨て去られていくことの鬱積が爆発する日が来るようにも思います。
     全く同感です。

    • 高橋清

       見てないですね〜w いささかの痛痒も感じません。 大相撲だけは協会のアプリで見てます。ネット社会にハマってる?

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