東山「禅密気功な日々」(31)

「ゼロ・ポイント・フィールド」仮説と禅密気功

 禅密気功に親しんでいる人にとっては、気が宇宙にあまねく存在するエネルギーだということは常識だと思うけれど、知人に教えられて読んだ田坂広志『死は存在しない  最先端量子科学が示す新たな仮説』(光文社新書、2022)はたいへん興味深かった。

 現代科学の最先端はミクロレベルでは、物質の単位を原子核から光子、素粒子へとどんどん細分化し、ついに物質そのものは存在しない、あるのは波動エネルギーだけであるというところまで到達したという。逆にマクロのレベルでは、真空も無ではなくそこには莫大なエネルギーが秘められており、そもそも宇宙は138億年前、「量子真空」が何らかのゆらぎをおこして突然膨張、大爆発(ビッグバン)を起こして、そこから銀河系も、太陽系も、地球も、そして人類そのものも誕生した。

 朱剛先生もインタビューでふれたことがあるけれど、宇宙の95%は私たちに普通では認識できない暗黒物質(暗黒エネルギー)から成り立っている。量子真空は実は宇宙のあらゆる場に遍在し、そこには「ゼロ・ポイント・フィールド」というエネルギーの場があり、過去・現在・未来の地球上の、いや全宇宙のあらゆる出来事が波動情報としてホログラム原理で記録されている。だから、その記録は減衰せず、常にその一部に全体を包含している。

 私たちがときに経験する予知、予感、直観、既視感、シンクロニシティといった不思議な精神現象はすべて、無意識下の量子レベルで行われるゼロ・ポイント・フィールドとの交流(交信)のせいで、しかも、このゼロ・ポイント・フィールドは138億年の記憶をどんどん蓄積してより広大に、そしてより深遠になっており、我々の自我意識も、肉体の死後はこのゼロ・ポイント・フィールドに比重を移し、宇宙意識と合体していく。

 著者は、「『神』や『仏』や『天』とは、宇宙の歴史始まって以来の『すべての出来事』が記録され、人類の歴史始まって以来の『すべての叡智』が記録されている、この『ゼロ・ポイント・フィールド』に他ならない」、「そして、もし、そうであるならば、昔から、世界の様々な宗教において、『祈祷』や『祈願』、『ヨガ』や『座禅』や『瞑想』と呼ばれ、実践されてきた諸種の技法は、実は、この『ゼロ・ポイント・フィールド』に繋がるための『心の技法』に他ならない」と書いている。

 また「もし、あなたが、『私とは、この壮大で深遠な宇宙の背後にある、この「宇宙意識」そのものにほかならない』ことに気がついたならば、『死』は存在しない。『死』というものは、存在しない」とも。

 先に「蟷螂の尋常に死ぬ枯野かな」で紹介した日本の解剖学者、三木成夫の「人類の生命記憶」の話も思い浮かぶし、昔読んだ、コーリン・ウイルソンの『賢者の石』、ヘルマン・ヘッセの『荒野の狼』の世界も彷彿とさせる。実は、本書にはカール・ユングの「集合的無意識」、アーサー・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』のスターチャイルド、仏教の天台本覚思想(山川草木悉皆成仏)、般若心経の「色即是空空即是色」、深層意識としての阿頼耶識、さらにはジェームズ・ラブロックのガイアの思想、、グレゴリー・ベイトソンの創発、複雑系の科学、イリヤ・ブルコジンの自己組織化などなど、宗教、科学にまたがる多くの先達の見解が紹介されている。

 特筆すべきことは、これがただの幻想、幻視ではなく、科学的な仮説だということである。著者は物理学を専攻した科学者で、ゼロ・ポイント・フィールド仮説を通して、「科学的知性」と「宗教的叡智」を結びつけ、「新たな文明」を生み出す壮大な試みに挑戦しているわけである。

 瞑想中にどこかで深い真理にふれるというか、より透明な心境に到達できるという感覚は多くの人に共通するところで、築基功で「慧中を開き無限の宇宙を見る」ということは、まさに、無意識下で行われるゼロ・ポイント・フィールドとの交流を促進する技法の一つではないか。そう考えると、ゼロ・ポイント・フィールド仮説と禅密気功とは大いに親和性があることになるだろう。

新サイバー閑話(74)<折々メール閑話>㉓

新春を揺るがすれいわの奇策「議員連携の計」

A 「れいわローテーション」についてはご存知だと思いますが、その発表動画を見て『山本太郎が日本を救う』という本のタイトルは大正解だと強く感じました。
 水道橋博士の病による辞任を受けて、れいわローテーションを創案する頭の回転の良さ。「パフォーマンスだ」とまた心ないバッシングにあうかも知れないが、個性的なれいわの5議員が活躍するのをぜひ見たい!大石さんは「れいわは転んでもただでは起きない」と笑いながら言ってましたが‣‣‣。

 新聞紙上などではいろいろ意見が出ていますね。立憲民主党や共産党なども強い違和感を示しています。
 水道橋博士が辞任したのは残念だけれど、山本太郎の言ではないが、「命より大事な仕事はない」。ここはゆっくり静養していただきたいですね。公職選挙法の規定によると、比例代表で当選した議員がやめるときは、その党の次点者が繰り上げ当選するわけで、今回の例で言うと、大島九州男がそれに該当します。
 ところがれいわは、大石あき子の言ではないが、「転んでもただでは起きない」。当選した人が辞任するというピンチをチャンスに変えるというか、この議席を1年交代で長谷川うい子、辻恵、蓮池透、依田かれんを含めて1年ごとに交代するというリレー方式を提案したわけです。
 そんなことありか、というのが大方の感想で、だからこれは既存の考えの盲点を突いた「奇策」です。記者会見では「議席の私物化ではないか」という意見が出ましたが、山本太郎は「私物化という感覚が理解できない。実験的という前置きは必要かもしれないけれど、これは有権者の票を最大限に生かす試みです」と答えていました。

A 今朝、朝毎読の3紙を購入してきて、れいわローテーションの扱い方を見てみました。毎日はかなりのスペースを割いており問題意識ありですが、朝日は相変わらずの両論併記、読売は論ずるに値せず。法的には何ら問題ないはずで、蓮池さんが言っている通り、現在の政治に一石を投じる快挙だと思います。
 これから批判も出てくるかもしれません。中央選挙管理委員会の判断には2週間を要するみたいですが、まさに「成り行きが注目」されますね。

 中国の古典、三国志(演義)に「連環の計」という作戦が出てくるけれど、これをもじって「議員連携の計」というのはどうですか。こういうことはめったに実現するものではないですね。まず当選した議員が自発的にやめることはちょっと起こらない。繰り上げ当選する人は、せっかく自分に回ってきた幸運をそんなに簡単に手放さないでしょう。次点最高点の大島さんがそれを了承し、個人票の多かった順に1年ごとに交代するとの合意ができたことに、れいわという政党の他党には見られない団結力を感じますね。

A 全員が日本の政治を良くしようという熱い気持ちを持っているからですね。こういう政党だからこそ、日本を変えてくれる期待も高まります。ただの員数合わせのためにタレント人気や組織票だけで当選してきた人とは次元が違います。まさに「異次元」の党です。

 れいわが日本の政治を変えようとしていることは、この一件にも明らかですね。
 話は変わるけれど、新年には、2021年の衆院選で立憲民主党から立候補して落選した若い女性(岐阜5区)が、今度は自民党から県議選に立候補すると表明して、これもちょっと話題になりました。
 この人が自民党に移ったことよりも、そもそもなぜ立憲民主党から立とうとしたかの方が興味深い。これはあくまで推測だけれど、若い彼女にとっては、野党の立憲民主党も与党の自民党も大して変わらなかったんじゃないでしょうか。イデオロギー的な立場はほとんど反映していないように思えます。
 つい最近まで立憲民主党の県支部で活動していたらしいから、その変わり身の早さにちょっと驚くけれど、それに対して立憲民主党の幹部が怒りまくっているのを見ると、言葉は悪いけれど、「目くそ鼻くそを笑う」というか、「目くそ鼻くそを叱る」ような感じを受けますね。実際、立憲民主党は日本維新の会と共闘するなど、どんどん与党化しているし、あの党にイデオロギー的背景があるとも思えない現状です。

A 維新にすり寄り、自民に秋波を送り、もはや野党の体をなしていない。

 というふうな現状をみると、れいわの奇策にかけた政治改革の意欲は多くの人びとの共感を生むのではないでしょうか。小党である立場を肯(がえん)ぜず、出来ることを最大限に繰り出すれいわの戦いに拍手を送る人も多いと思います。

A 実際、ツイッターには喝采の声がけっこう上がっています。記者会見での私物化発言に対して、「ちなみに私物化とは世襲議員のことを言うのですよ、記者さん」と揶揄するのもありました。 

 山本太郎には蜀の劉備玄徳に仕えた諸葛孔明のような軍師がいるのかな、いや山本太郎こそが孔明かな(^o^)。