東山「禅密気功な日々」(20) 動功編③

気功と好転反応<途中でやめてしまうのはもったいない>

 夜明け前に漆黒の闇が訪れるように、体調が好転する直前にかえって症状が重くなることは多くの人が経験することですが、これは一般には「好転反応」として知られています。私にも熱心に気功に取り組んでいたころ、かえって体調が悪くなった時期があります。
 蠕動のやり方がうまくなったために体内の滓が解凍し始めているのだが、そのために出た大量の邪気を放散できないために、かえって悪さをしているのではないかと思ったりもしたのですが、気功をやれば悪くなる、と言うか、休めば症状が軽くなるような経験をしました。
 しばらく気功を休んだ方がいいかもしれないと思い、実際に1週間ほどやらないこともありましたが、そのころ先生の『気功瞑想ですっきりする』の中に「気功には好転反応もあります」の一文を見つけて、救われた思いがしました。
 こう書いてありました。

 気功を練習することにより心身ともにさまざまな問題か生じてくることが考えられます。弱い体を健康な体にすることは大変です。一気に良くなるのではなく、波のように良くなったり悪くなったりしながら、階段を一段ずつ上がるように次第に改善されていきます。体調が少々悪くなっても継続し気功を信じて乗り越えることが大事です。

――良い結果がでるまでに苦しみ、痛みが先行する場合もありますね。たとえば2日間の基礎集中コースの練習の時、2日目は良い感じが次第に浮かんできますが、初日は疲れるばかりでつまらないと思うかもしれません。特にスジ、筋肉が硬くて弱い人は辛く感じることもあるでしょうし、2日目起きる時に、筋肉痛を伴うこともあるでしょう。それでも続けて2日目に練習に行くか行かないかが大事な分かれ道です。
 瞑想教室では4日間の工程をとっています。3日目までは辛くてしょうがなかったのに、4日目は見違えるように体が軽くなるという人は結構多いです。こういうところに気功を信じる心の強さが現れます。途中で止める人もいますが、残念ですね。

 何事によらず、ものごとをある程度理解できるようになるまでは時間がかかるし、それなりの練習も必要ですね。密処は股間全体で緩めなくてはならないと、言葉として理解することと、実際に体で体験して心底「腑に落ちる」のとは雲泥の差です。「これは大発見だ」と思ったことが、実は過去にすでに〝発見〟し、その後忘れていたものだったりすることはよくあります。
 修行には導師(グル)が必要だと言われるのも、このことと関係しますね。悩んでいるときに聞く「その一言」がありがたいわけです。
 好転反応についてウィキペディアには以下の説明があります。

 好転反応とは、治療の過程で一時的に起こる身体反応のこと。‣‣‣病状の改善が現れる前の一時的な悪化であり、経験上3~4日まで持続することが多い‣‣‣。
 慢性的に疲労していた筋肉がほぐれ、溜まっていた老廃物が血液中に流れることなどが要因として考えられる。だるさや眠気、ほてりなどを感じるケースが多い。‣‣‣。また、老廃物が尿として排出されるため、その色が濃くなったりする。その他にも、主訴となる症状が一過的にぶり返したかのように見える場合もある。

 他のウエブ上の記事を見てみると、好転反応というのは、鍼治療や整体などの自然治療を受けた翌日に、健康を取り戻す過程で、体にだるいなどの疲れや痛み、発熱などの症状が現れることを言う、という説明もあります。「一気に毒素や老廃物が身体中を駆け巡ることで、好転反応の症状が起きるようになります」とも書いてあり、この箇所は冒頭に述べた私の実感に近いです。
 『気功瞑想でホッとする』の「瞑想に入る前に」で書いておられる気功を始める心構えは、初心者にぜひ読んでいただきたいものです。好転反応の一字もここで見つけたわけですが、「信じることと気功」、「普段の生活と気功」のくだりはとくに、初心者向けです。ここでは「適切な教室、功法、指導者は信念を支える要素です」のくだりだけ再掲しておきます。

 いくら気功を信じて練習するといっても、 一人で練習するよりは教室に通うことで楽に長く続けられます。また、教室の雰囲気の中で練習する時と一人で練習する時とでは感覚が違います。
 功法は練習の方法であり教材です。1年生で3年生の内容を勉強しても効果がないし、3 年生になって1年生のものを勉強しても進歩はありません。
 また、教材がいかに素晴らしくても人によって理解が異なりますし、注意しないと間違った解釈になるかもしれません。ですから正しく体得している指導者が必要となります。良い指導者であれば教材の良さをすべて伝えることができます。

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