古藤「自然農10年」(12)

不公平ただす頂門の一針か 続ウイルス考

3月7日の札幌市中心市街の道

 世界の富豪2153人が2019年に独占した資産は、最貧困層46億人の持つ資産を上回った(国際非政府組織「オックスファム」)。これほどの不公平が史上あったのかどうか私は知らない。しかし、新型コロナウイルスはその不遜な不公平を刺す頂門の一針の様に世界経済と株価に冷水を浴びせている。北海道の一人旅から無事帰宅できた私は、なお周囲を死に至らしめる可能性を持つ保菌容疑者として自宅に閉塞させられている。そこから見る混乱の世界風景は、ヒトや生き物が住む地球を、より生きやすい環境にするための自浄作用の一つのようにも思える。広がり続ける新型ウイルス騒ぎを棚田からながめ、不遜を恐れず再び考えてみたい。

 自然農は自然への負荷を少なくしようとつとめる。肥料、農薬を使わず、耕さず虫や草を敵とせず、機械、ガソリンの使用を最小にする。鍬と手鎌で育てる米や野菜は大量生産など望むべくもないが、世の人たちがほとんど手に出来ない豊かさを得ている。それが収穫する米や野菜の健康な生命力である。

・「普通の田んぼとは違うとたい」

 私に自然農を教えてくれた故松尾靖子さんの実父、家宇治守さんは私が広い棚田で自然農を始めるとき畝づくり、水深を一定にする土の均し方、水路づくり、水のため方まで親身に教えてくれた。戦前、戦後を小作農で苦労したお百姓は最初、娘の自然農を小馬鹿にした。しかし、娘の後を追うように亡くなったころは自然農を誰より信奉する人に変わっていた。「もっと早う知っとけば良かった」、「(自然農するのに)忙しゅうして死ぬる暇がなか」と周囲を笑わせていた。ある時、私の棚田をしげしげとながめ「美しか。葉が光っとるやろうが。普通の田んぼとは違うとたい」と感に堪えたように言った。

 その時はよく分からなかった。味や香りの違いは認識できても、姿や色の違いが分かるには少し時間がかかった。人は栄養で命をつなぐといわれるが、何より重要なのはその元気な命。放射能の様に何も見えない力だが、その命の力でしか免疫力、病気を治す抵抗力を体に取り込むことは出来ないと、いま信じて疑わない。

 利益、効率一辺倒に経済発展をひたすら目指す現代社会は決して人類を幸せにしてくれないとも思う。そのように説く川口自然農は欲望の社会の「むさぼる心」を強く否定する。いま新型コロナウイルスは、あたかもその自然農の方向を世界に強要するかのように働き、利益の追求や物、人の自由な動きにストップをかけ国際経済に激しく待ったをかける。

 また、川口自然農は、たとえ正しいと信じても、自然農に興味を持って近づいてこない人に説得、強要してはならないと戒める。自分の生き方を変えるだけでよい。後は自然に任せ、その結果を甘んじて受け入れる。自然に添い従う自然農の哲学である。

・激しく人を責めるコロナウィルス

 とはいえ、この経済、科学の急膨張と現在の繁栄はすべて人類が懸命に命をつなぎ、家族や仲間の豊かな暮らしを求めて歩いた結果でもある。サイトを主宰する矢野氏が時々とりあげるユヴァル・ノア・ハラリの人類史によれば、38億年前に生まれた細菌のような生命が気が遠くなる長い年月をかけて7万年前に噂話と陰口ができるヒトへと認知革命を成し遂げ、約1万2千年前の農業革命で豊かさへの流れを加速させた。そして500年前、それまで神の教えによって真理のすべてを知っているとした認識をなげ捨てて、ヒトがいかに無知であるかを悟った科学革命が大飛躍の原動力になったとする。

 1784年、ジェームス・ワットが蒸気機関を発明して産業革命が始まって以来、それまでとはまるで異なる速さで経済が発展し人口増は爆発した。その中で大変貌を遂げたのが人類の命を支える農業である。大量で多種多様な薬剤を使い、肥料と大型機械の導入によって農業者の数は激減したのに生産力は増大し続けた。この200年間で世界の人口が10億人から73億人に増えたそうだから、農業生産もざっと7倍に増えてたことになる。その陰で家畜は機械化、工場式生産方式で毎年、500億頭が最小のスペースの囲いと最小の生存期間で殺される。膨大に生産される食べ物は大事な生命力をしっかり持っているのか。

 ヒトにとってさらに切実なのが⑨回目で書いた大気汚染である。地球大気の99.9%以上が地球温暖化に影響しない窒素、酸素、アルゴンである事実が、ごく微量の二酸化炭素ガスが原因であるはずがないとする反対派の大きな根拠になり、トランプ米大統領もその尻馬に乗る。しかし、そのわずかな二酸化炭素ガスこそ地球の温暖化と密接につながっていることが南極の深い氷床コアに閉じ込められた気泡の分析で明らかにされたのである。

 気象学者のレイモンド・ブラッドレーが温暖化を虚偽とする勢力から非難の矢面に立たされたことは⑨回に紹介したが、彼の著書によれば、アメリカの研究チームが掘り出した南極の氷床コアで85万年間の気温の変化と二酸化炭素の変化がたどられた。その全期間を通じて二酸化炭素ガスの濃度は180ppmを下回ることがなく280ppmを超えることがなかった。地球の大気は何らかのバランス作用で平衡を保ったと考えられる。その二酸化炭酸ガスが現在、400ppmを超えている。

 ブラッドレーのさらに怖い警告は、地球大気の自然な状態では二酸化炭素ガス量が長い年月をかけ緩やかにしか変化しないという所見である。たとえ今、膨大になった化石燃料の使用をすべて止めたとしても二酸化炭素ガス量が100ppm減るのには1000年かかると彼は警告している。

 いかに猛威を振るおうと新型コロナウイルスは所詮、宿主である人間がいなくなれば自らの存続も保てない。今後も新たなウイルスがヒトを攻撃し、そのたびに人類は危機に立たされるが、緩やかに時間をかけてヒトとウイルスが共存する道しか双方の安泰はない。それが学者、専門家の一致した見解だ。進化と文明発展の速度を上げ続ける人類、その歩みを緩めるのか緩めないのか。自然農とは異なって激しくヒトを責める新型コロナウイルスはヒトにそう問いかけているように思えてならない。

 

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