名和「後期高齢者」(23) 年賀状

 今年も年賀状を頂戴した。私のような老いぼれにも関心をもってくださる方がたがおいでになりということだろう。かたじけない話である。今年いただいた数は229通。これが多いのか少ないのか私には不明だが、定年退職後やがて30年、年々単調減少はあるものの、私としては、よくぞ、まあ、とお礼をもうしあげたい。

 退役前は、1か年の無沙汰がハガキ1枚でチャラになるので、これを使わない手はない、などと不遜なことを考えていたが、80歳を越えると、さすがに賀状書きはシンドイ。年々、これで最後というご挨拶をいただくことが少なくないが、そのお気持ちは私にも身に染みて分かる。問題は、その辞めるときの口上だが、これが難しい。先年、ある技術者から「察して」という一語の賀状を頂戴し、これが最後となったことがあったが、これには心を打たれた。

 ところで、賀状はSNSの日常化とともに、多分、減少していることだろう。SNSに適応できないアナログ人間のみが使っているのかもしれない。賀状の愛好者は友達には挨拶をするが、友達の友達へとなると、つい、躊躇をせざるをえない。賀状の挨拶には、それぞれの個人情報が載っているから。

 いまアナログ人間といったが、それは宛名書きをみると一目瞭然。古いソフトを使っている。宛名書きはなにしろ年に1回の作業、だからソフトの更新などにコストをかけたくない。私など、古い宛名書きソフトだけを残している古いパソコンを持っている。

 ところで、賀状にはどんな情報が記載されるのか。まず、挨拶、ついで、近況報告、そして所感の吐露といったところか。挨拶には家族写真などが使われたりする。近況には、ボランテア活動への参加、旅行などポジティブなものと、病気、体調などネガティブなものがある。所感となると、ほぼ、経世の言ということになる。私はシステムが怖いので、所感は書かないことにしている。システムが怖いとは、最近、フェイスブックが示してくれた。

 と、あれこれ喋ったが、これで私の年賀状とさせていただく。自己矛盾に充ちた言説であることは、当人もよく自覚しているが、あとは「お察しください」。

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