名和「後期高齢者」(10)

「いいね」の意味は?

 この呟きブログをはじめてほぼ半月、他愛のない拘忌高齢者(KK)の独り言につきあってくださり、「いいね」といってくださった方が十数人いらした。ありがとうございました。現役の方からはネグリジブル・スモールじゃないかと冷笑されるかもしれないが。

 びっくりしたのは、船山隆さんからの「マーラーを連想したよ」というコメント。その真意をただしたら、「嘆き節の振りをしていながら、じつは攻撃的なメッセージだね」との答えをいただいた。褒められたのか、けなされたのかは図りかねたが、船山さんはマーラー研究の専門家であるので、私自身としてはどちらにしても嬉しい。

 ここで本論に入る。もし、船山さんの上記のフェイスブックでのコメントに私が「いいね」を返したら、どうなるのかな。私は自分の攻撃性を自認することになってしまう。「いいね」の含意は複雑ですね。近年、「いいね!」「超いいね!」「うける」「すごいね」「悲しいね」「ひどいね」などと細分化された表現ができたのは、このためかとも思う。

 ただし、上記の細分化表現は、いずれも相手に共感を寄せるメッセージと理解できる。とすればフェイスブックは共感メッセージの交換システムという役割をもつ、と解してもよいだろう。ここに注目すればフェイスブックはユーザーに共感せよというアフォーダンス(第2回)をもつ。このアフォーダンスは物理的にも心理的にも孤立しがちなKKにとって望ましい特性となる。

 そのアフォーダンスは友だちリクエストという仕掛けで実現されている。くわえて友だちリクエストは「友だちの友だちは友だち」というルール(詳しくは次回)に支えられている、ともみえる。

 ここで私のフェイスブックとの付き合いを振り振り返ってみたい。7~8年前のある日、突然、数十年間、行き来のなかった知人から友だちリクエストが届いた、これがきっかけ。ちょっと戸惑ったが、懐かしさが先だって、「承認」を返した。その後、多くの方からリクエストがあいついで舞い込んだ。いずれも面識のある方からであり、「承認」を返した。

 ただし友だちの数が30人を越えるころになると、面識のない方からのリクエストが舞い込むようになった。私自身、とうの昔に退役しているし、自分の仕事に対する引用数などロングテールに埋もれてしまっているので、嬉しかった。

 私は、古臭いねと言われることを自覚してはいるが、それでも

           マジック・ナンバー=7±2

というJ.ミラーの法則を信じている。だから7人はともかく、同時に数10人の方と友だち付合いできるとは思わなかった。ここにいうマジック・ナンバーとは一度に処理できる短期記憶の数、つまり「統制の限界」を指している。(私はこの数を、占領軍が日本のビジネス界に残した下士官教育で学んだ。その教科名をManagement Training Programと呼んだ。)

 ということで、私は100人をこえる友だちをもつ方からのリクエストと「友だちの友だち」からのリクエストは謝絶することにした。いずれも私の統制の限界からはみ出してしまうから。

 当初、私は内心では友だちの数の上限を7人にするつもりであったが、ほとんどの方がすでに30人以上の友だちをお持ちなので、そして私自身の友だち数がすでに30人を超えてしまったので、上記のようにした。それでも、私自身の友だちは、思いがけない方がたからのリクエストに戸惑いつつ、現在142人にもなっている。なかには、30年ぶりで旧交を温めた人もいる。退役したものにとっては予想外。

 入稿後に林紘一郎さんから下記のようなメールを頂戴したことを思い出した。すっかり忘れていた。それを紹介しておきたい。

以前、「年長者がネットで意見交換できるのは、30人が限度」というメールをいただいたかと記憶します。また、それをインターネットの世界では著名なEさんに伝えたら、「30人ないし∞」という彼らしい反応があったことも、お伝えしたかと思います。
ところが、ネット・ジャーナリストとして著名な、中川淳一郎さんの『ネットのバカ』(新潮新書)を読んでみたら、何と彼自身も「30人の法則」を主張しているではありませんか(p.213以降)。
これはもはや「年長者の法則」ではなく、「普遍的法則」あるいは「ネットのバカが認めようとしない法則」ではないかと思った次第です。ぜひ、ご一読を。

【参考文献】
船山隆『マーラー』,新潮文庫  (1987)
マーラー (新潮文庫―カラー版作曲家の生涯)
名和小太郎「7±2」『情報セキュリティ:理念と歴史』、みすず書房、p.43-44 (2005)
情報セキュリティ―理念と歴史

 

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