名和「後期高齢者」(5)

プラットフォームにて

 杖の使い手の困惑について、もう少し続ける。とくに難儀なのが電車の乗降。プラットフォームと電車とのあいだの隙間が気になる。まず、乗車のとき。このときに頼れるのは杖1本、あとは隣人とぶつからないように、最後に乗る。だから、席の取り合いには不利。ただし、ラッシュ時でなければ、当方のよれよれぶりを察知して、席をゆずってくれる人は多い。ここで思い出した。吉野弘に「夕焼け」という作品がありましたね。あとで紹介したい。

 降車のときはどうか。電車の扉の内側には握り棒があり、そこを残った片手で掴めばよいのだが、多くの場合、そこには大きな鞄を肩に掛けた屈強の若者が立っていたりする。ただし、ほとんどの人は声をかければ避けてくれるので助かる。それでも、こちらは最後の降り手となるので、せっかちな乗り手とぶつかることがしばしば。

 ここで飯田橋駅(JR中央線)について不満をぶつけたい。この駅のプラットフォームは曲率が大きい。だから車両とのあいだの隙間も大きい。とくに、4号車とその前後のあたりがひどい。なぜ4号車の前後かといえば、この付近でレールの曲率がもっとも大きいためだ。

 もう一つ。隙間は下り列車のほうが大きい。なぜ下りかといえば、曲線のレールには付きもののカントがあるためだ。カントとは曲線部分で走行中の車両が遠心力で脱線することを防ぐために、外側のレールを高くすることを指す。この駅では下りプラットフォームが外側レールに接する。つまり隙間に高低差が加わる。

 もしあなたが飯田橋駅の乗降者であれば、お節介ながら申し上げたい。乗降ともに、4号車は、とくにその車両中央部の扉は、絶対に使わないように。ここがプラットフォームからもっとも離れる。しかも足場となるプラットフォームが階段脇の狭い通路になっているので。

 そもそも、駅はヒトを車両に誘導するための人工物である。その誘導という機能のなかにはアフォーダンスも入るだろう。とすれば、飯田橋駅はわざとアクセスを不便にして乗降客を少なくしようと企んでいるとしか思えない。

 だからか、「飯田橋駅 ホーム隙間」という検索語を入れてみると、24万件の記事が現れる。私と同じ危惧を持つ方が多いということだろう。現在の飯田橋が貨物駅として建てられたのが大正末期。とすれば、この駅はほぼ1世紀にわたり人びとにとって尋常ならざる存在であったということか。ただし、いま飯田橋駅は改良工事中である。プラットフォームを200メートル西に移し、直線化するという。

 ついでに隣のJRお茶の水駅についてもひと言。この駅の周辺には病院が多い。だが、なぜか乗降の手段は階段のみである。エレベータもなければエスカレータもない。

 最後になったが、ここで吉野弘の「夕焼け」について、その梗概を紹介しておこう。詩の梗概とは乱暴な話だが、許してほしい。「いつものことだが 電車は満員だった。・・・・・・うつむいていた娘が立って としよりに席をゆずった。・・・・・・やさしい心にせめられながら 娘はどこまでゆけるのだろう。・・・・・・美しい夕焼けもみないで。」(私事にわたるが、吉野弘は私にとって労働組合運動の先輩だった。)

【参考文献】
吉野弘『幻・方法』飯塚書店 (1959)
幻・方法 (愛蔵版詩集シリーズ)

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