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「サイバーリテラシー」とは、私が2000年以来提唱している考え方で、その基本は2002年にこのウエブに掲げた「サイバーリテラシーの提唱」をご覧ください。また近著『サイバーリテラシー概論』(知泉書館)は、これまでの成果をまとめたものです。一読いただければ幸甚です。 ![]() <サイバーリテラシー> 「サイバーリテラシー」とは、ひと言で言えば、「IT社会を生きるための能力」のことである。それは現代社会を、私たちが現に生活している「現実世界(リアルワールド)」と、インターネット上に成立した「サイバー空間(サイバーワールド、サイバースペース)」の相互交流する姿と捉えることで、これからの社会を快適で豊かなものにするための実践的知恵を導き出すことをめざしている。 <「情報リテラシー」と「サイバーリテラシー」> この種の問題を議論するとき、従来、「情報リテラシー」、あるいは「メディアリテラシー」という言葉が使われることが多かった。たとえば、ユニークなメディア教育実践家、水越伸(東京大学大学院情報学環准教授)は、メディアリテラシーについて「人間がメディアに媒介された情報を構成されたものとして批判的に受容し、解釈すると同時に、自らの思想や意見、感じていることなどをメディアによって構成的に表現し、コミュニケーションの回路を生み出していくという、複合的な能力」だと述べている(『デジタル・メディア社会』)。 情報リテラシーとメディアリテラシーは、情報とその器であるメディアのいずれを重視するかに差こそあれ、ともに情報一般の扱い方、そのリテラシーを問題にしているが、サイバーリテラシーはデジタル情報、およびそれが作り上げた新たな情報環境「サイバー空間」に焦点を絞り、そこでの生き方も含めて考えようとするものである。 ![]() 3つのリテラシーの関係 <サイバー空間と現実世界の交流史> 図1では、現実世界とサイバー空間がいわば並存している。どちらかというと、両者の関係は牧歌的で、現実世界の私たちはインターネットの便利さを素朴に享受してきた。そこには、インターネットを築き上げてきたハッカーたちが夢見た「フロンティアとしてのサイバー空間」のイメージがだぶっている。サイバー空間は、現実世界と独立した自由な空間と捉えられていた。インターネット黎明期に日本でも話題になった「ネティズン」という言葉も、この時代の明るいイメージを反映している。 図2では、インターネットの発達でサイバー空間が急速に膨張し、地球全体(現実世界)を薄い雲の層のように覆っている。サイバー空間の影響力が大きくなり、ローレンス・レッシグが『CODE』で指摘したように、サイバースペースは自由な空間から規制された空間へと変容していく。これは、アントニオ・ネグリ&マイケル・ハートが描いた『<帝国>』のイメージと重なる。一時、大いに話題になったアメリカを中心とした軍事諜報ネットワーク「エシュロン」が想起される。 図3では、サイバー空間と現実世界がほとんど密着し、複雑に絡み合っている。万人がサイバー空間の住人となり、相互の距離と時間の差は極限まで縮まった。メビウスの環のように、地球(現実世界)の表と裏の区別はなくなり、ねじれた現実世界の上部に、ほとんど縫い込まれるように、サイバー空間が張りついている。ジャーナリスト、トーマス・フリードマンが描いた『フラットな世界』の現実がそこにある。(三次元情報空間「セカンドライフ」に見るように、現実世界からサイバー空間へ、逆にサイバー空間から現実世界へと、容易にワープする状況を表すために、図はメビウスの環を2つかみ合わせている。) ![]() サイバー空間と現実世界のこの3態様は、両者の関係が歴史的に1から3へと移行しつつある3段階として捉えることもできるが、一方で、それらは現存するサイバー空間と現実世界の諸相だと位置づけることもできる。 ![]() そして現在もまたBの段階にあるが、現実世界がサイバー空間の上にそっくり乗った形で、すべての社会システムがサイバー空間上で動くようになった。この図は、Cのように描くこともできる。パソコンに例えれば、サイバー空間が基本ソフト(OS)で、現実世界のさまざまなアプリケーションがその上で動いている。インターネットがいよいよ社会の隅々まで浸透している現在、サイバー空間と現実世界は、まさに分かちがたく結ばれ、両者の融合した世界こそ「現実」と言ってもいい。 現代社会の諸問題はもちろんITによってのみ引き起こされたものではなく、そこには政治的、経済的、社会的な要因が絡んでいるが、ITがその動きを加速し、また変形しているのは間違いないと言えるだろう。 <サイバーリテラシー3原則> 現代のサイバー空間は以下の原理によって成り立っている。この特徴が現代社会のさまざまな問題を引き起こしている原因であり、IT社会のあり方を考えるとき、常に念頭に置くべき原則である。詳しくはウエブの「サイバーリテラシー3原則」を参照してほしい。 第1原則 サイバー空間には制約がない。 第2原則 サイバー空間は忘れない。 第3原則 サイバー空間は「個」をあぶり出す。 第3原則で言及しているサイバー空間が肉体を離れた存在であることが、とくに子どもにとって、大きな影響を与えている。これまでなら、現実世界の対面的なコミュニケーションを通じて、社会のルールやマナーを学んでいた子どもたちが、いきなりサイバー空間に接触するようになるからである。 <サイバーリテラシーの課題> サイバーリテラシーの課題は、次の3つである。 (1)デジタル技術でつくられたサイバー空間の特質を理解する。 (2)現実世界がサイバー空間との接触を通じてどのように変容しているかを探る。 (3)サイバー空間の再構築と現実世界の復権。 <サイバーリテラシーと情報倫理> サイバーリテラシーを現代IT社会の見方(大袈裟には哲学)だとすれば、サイバーリテラシーに基づきながらIT社会の具体的な生き方を追求するのが、私の言う「情報倫理」である。その意味で、サイバーリテラシーと情報倫理はセットの関係にある。 一般に「情報倫理(Information Ethics)」は、20世紀後半に急激に発達した科学技術が人間社会に突きつける新たな問題の解決をめざす応用倫理の一つだと考えられているが、私は「情報のデジタル化が引き起こす問題に有効に対応するための倫理的課題を探る」ものと位置づけている。 長い歴史を経てそれなりに安定し、合理的でもあった、これまでの考え方や社会秩序が、サイバー空間の影響を受けて変容し、もはや不合理ともなっている。とくにサイバー空間と現実世界が、あざなえる縄のごとく複雑にからみあう現在、私たちの生き方も再検討を迫られていると言えるだろう。このことを考えるのが「情報倫理」の課題である。 それは、(1)IT技術が倫理を突き崩しつつある実態を分析する、(2)サイバー空間の登場で従来の倫理に生じた指針の空白を埋める、(3)新たなサイバー空間構築に向けての社会的合意を探る、の3つで、当然ながら、サイバーリテラシー3つの課題に対応している。 なお、雑誌『情報管理』に連載した「サイバーリテラシーと私たちの生き方」(全6回)をご覧になることができます。(リンク先のファイルはPDF形式です。) <「総メディア」社会のリテラシー> 「インターネットリテラシー」、あるいはこれを縮めた「ネットリテラシー」という言葉が、ネット(サイバー空間)の特徴を理解して、これをうまく使うノウハウの意味で使われることが多い。メディアリテラシーのインターネット版で、このネットリテラシーは、サイバーリテラシーの一環と言える。メディアということに注目すれば、現代社会はマスメディアとパーソナルメディアが錯綜する「総メディア社会」で、だからこそ、インターネットというメディアの特性を理解すると同時に、すべての人が情報発信することにともなう基本素養(リテラシー)を身につけるべきだろう。これを「狭義のサイバーリテラシー」と呼んでいる。 ![]() <総メディア社会とジャーナリズム> ![]() ![]() 総メディア社会の進展図 既存のメディア(マスメディア)の垣根が取り払われ、それらすべてがインターネットへと収斂しているのが、現代「総メディア社会」である。『総メディア社会とジャーナリズム』では、現代メディア状況の鳥瞰図を提示すると同時に、これからの社会における「表現の自由」とジャーナリズムのあり方を探った。 |
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