古藤「自然農10年」(8)

川口さんの軌跡②今もすそ野を広げる川口自然農

 夜ひそかに乗船し国禁のアメリカ密航を願う侍にペリーは幕府との手前すげなくノーと断ったが、身なり貧しい青年の気迫と品格にこの国の未来は明るいと書き残した。その人、吉田松陰は5年後に獄死したが、彼の遺言が維新を動かしたとも言えるだろう。その彼が至高の精神としたのが千万人にひるまぬ「浩然の気」、そしてその反対の最もダメな精神が獄中の「講孟箚記(さっき)」にある「耘(くさぎ)らざる者」、田植え後に草取りをしない者である。

 田畑の草を放置するのはそれほど恥、怠惰の象徴であり、今も農業者の心に深く残る。耕さないだけでも白い目で見られるのに農薬、肥料を使わず、農業機械をも捨てる自然農、まして草まみれに見える田畑が周囲からいかに異様な目で見られたかは想像を超える。

 妻の病を治すため現代医学と手を切り、現代農業とも決別、自然の道を歩み始めた川口さんだったが、ことはそうすんなりとは運ばなかった。暗中模索しながら福岡方式を手掛かりに7反の田畑をすべて自然農に切り替えたのは、「谷底」の翌年1978年(昭和53年)の暮れ近く、すでに39歳になっていた。

 翌年の稲作からすべて自然農。しかし最初の年、米の実りを手にすることはまったく出来なかった。翌年も、また翌年も米は育たない。最初の1年は保存米で食いつないだが、それからは乏しい資産、田畑を売るしかない。集落農家からの容赦ない苦情がさらに追い打ちをかけた。

 田んぼが畑と異なるのは、それが水利権とセットになっているからである。田んぼは村共同体の要でもある。1軒だけが一斉散布の農薬を断り、草を生やして虫を増やせば文句を言われるのは避けられない。

 川口さんが今も貫く鉄則は異なる意見と絶対に論争しないことである。正しいと思う道を自ら歩むことに徹する。集落の人たちにもひたすら頭を下げて謝り通した。そんな彼にとって最もつらかったのは老母の哀願だったのではないか。米が実らぬことより周囲からまったく孤立することに耐えられない母親の涙にも黙って耐えた。種類も多く、育て方も様々に異なる野菜すべてが普通に育つまでには10年の歳月が必要だった。

 その間の苦労を彼が語ることはほとんどない。自然農を集大成した2014年(平成24年)の著作『自然農にいのち宿りて』(創森社)には4ページにわたる詳細な年表が添えられているが、自然農に切り替えてからの10年間は空白である。

・息づく漢方を学ぶまなざし

 その田畑は次第に世間の注目を集めるようになり、増え続ける見学者に日にちを決めた見学会、さらに熱心な人のための宿泊勉強会を開く「自然農学びの場」も誕生した。川口さんが自然農の取り組みすべてを語り、教え始める1988年(昭和63年)からやっと年表の記載が再開される。

 そんな見学者の一人が県境のすぐ外にある広い休耕田を提供してくれることになり、1991年(平成3年)、川口自然農の中心拠点ともいえる赤目自然農塾が開かれ、自然農の実践者が全国から集まる1泊2日の集会も毎年開かれるようになった。赤目自然農塾はその後、周辺の休耕地を借り増ししてさらに広がったが、田畑を分け合って自然農を学ぶ参加者はスタート時で約200人、スタッフは50人だった。

糸島で自然農を教え始めた川口さん
(後列左から4人目、その右隣りが松尾靖子さん)

 地元だけでなく請われれば全国どこへでも出かけ、集まる人に自然農の考え方と実技を惜しみなく教える川口さん。松尾靖子さんたちの頼みで春と秋の年2回、糸島に出かけ、私にもつながる福岡自然農塾が始められたのは赤目が開かれた翌年である。そのころ、現代医療に見放され川口さんの元へやって来る人が年々増え、数十人になっていた。

 川口さんは妻の病気、自分の体や子どもの病いを治すために漢方の処方をするようになったが、その彼を頼って人びとが次々と相談を求めてやって来る。医者ではないから治療は出来ない。しかし、「それならともに漢方を学びいっしょに体を治す勉強をしましょう」と漢方勉強会が始まった。

 普通の医療でも医師と患者の信頼は欠かせない。人はそれぞれ異なる命の強さや体質を持つ。その日々変化する脈や形、色、におい、人が発するすべての状態を判断して薬草を調合する漢方処方は、相談であっても病を持つ人との信頼、協力が格別に大事である。川口さんが相談を受ける人は多い時には同時に60人から70人にものぼった。自然農の話の休憩時間に公衆電話で患者さんと会話を交わす川口さんの姿もしばしば見られたという。

 種もみを直播する福岡方式ではうまくいかず、苗床で苗を育てて1本ずつ植える田植え方式にたどり着くのに3年かかった。川口自然農は、習った年から初心者もコメの豊作が可能だし、野菜もすぐにうまく育てられるようになる。それが、今なお全国に広がり続ける理由である。同時にコインの両面の様に、漢方を勉強するまなざしで命の営みを深く観察するから、今も深化を続けている。

 他の自然農とまったく異なる川口自然農がここにある。

 

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