林「情報法」(38)

法学における嘘の扱い(1):意思表示における「嘘」

 これまで「嘘」にまつわる種々の問題を、人文科学・経済学などの視点から見てきましたが、肝心の法学は「嘘」にどう対処しようとしているのでしょうか? ここには、人間の行為を規律する意味で基本となる「意思表示」をどう扱うかという日常的な問題と、それから派生する消費者保護のあり方、更には法律そのものが「虚構という嘘」の上に成り立っていることをどう考えるかというメタ思考的な問題、の3つの側面があります。それぞれを明確に分けた上で、逐次説明していきます。

・法学の基礎となる「意思表示」の扱い

 人間は日々膨大な情報を処理しています。英国の哲学者フロリディが、人間を「情報処理有機体(informational organism = Inforg)と呼ぶのも、もっともです。この情報処理行為のうち、特定の法律的効果をもたらすものを「法律行為」と呼びますが、その基本は個人の意思を他者に伝達する「意思表示」です。

 近代法の大前提は、「個人は合理的(reasonable)な判断能力を持っている」ということ(その能力を欠いた場合の扱いは、別途定める)ですから、意思表示は原則として尊重されなければなりません。どのような内容の契約であっても、一義的には(民法90条の公序良俗違反等の場合は別ですが)尊重されるという「契約自由の原則」は、その具体的現れです。しかし、その際には、取引が当事者間に閉じたものではないことにも配慮し、第三者の利益を害さないよう配慮する必要があります。   

 そのため民法は、表示された意思は原則として効果を持つものとし、例外的に効果をもたらさない場合だけを規定しています。民法93条から96条は、わずか4条に過ぎませんが、情報法の基本原理を示している、とさえ評価できます(4条以外にも重要な条文がありますが、ここでは省略)。以下、やや細かい法律論になって長くなりますが、「情報法とは何か」という原点に関係しますので、大筋だけでも理解してください。

 なお関係する条文は、民法の一部を改正する法律(2017年法律44号)によって改正されており、2020年4月1日から施行予定です。以下の説明は改正法を前提にしますので、『情報法のリーガル・マインド』のもの(pp.26-28)とは異なっていることに留意してください。ただし実際には、判例や学説で認められてきた要素を取り込むのが改正の主目的ですから、基本的な仕組みに変わりはありません。

・意思表示に問題がある5つのケース

 改正法に関する法務省民事局の説明資料「民法(債権関係)の改正に関する説明資料-主な改正事項-」(http://www.moj.go.jp/content/001259612.pdf)によれば、意思表示がそのまま受け入れられないケース(前節で言う「例外」)として5つを掲げています。これに若干のコメントを付加すれば、以表のようになります。

  内容 事例 改正の有無
①心裡留保(93条) わざと、真意と異なる意思を表明した場合 退職をする意思はなかったが、反省の意を強調する趣旨で、退職届を提出した 有(第三者保護規定の新設等)

②通謀虚偽表示
 (94条)

相手方と示しあわせて真意と異なる意思を表明した場合 財産を債権者から隠すために、土地について架空の売買契約をする なし
③錯誤に基づく意思表示 ③―1間違って真意と異なる意思を表明した場合(表示の錯誤) 売買代金として¥10000000(1000万円)と記載すべきところ¥1000000(100万円)と記載した契約書を作成してしまった(売主に錯誤) 有(③-2を明文化すると同時に要件を明確化し、「無効」ではなく「取り消し得る」こととして③~⑤を統一)
(95条) ③―2真意どおりに意思を表明しているが、その真意が何らかの誤解に基づいていた場合(動機の錯誤) 土地の譲渡に伴って自らが納税義務を負うのに、相手方が納税義務を負うと誤解し、土地を譲渡した(売主に錯誤)
④詐欺による意思表示 だまされて、意思を表明した場合 だまされて、二束三文の壺を高値で買わされた 有(第三者保護の要件の見直し等)
(96条)
⑤強迫による意思表示 強迫されて、意思を表明した場合 強迫されて、不必要な土地を買わされた なし
(96条)

・2020年4月からこう変わる

 上記のように整備された概念に対応する改正後の規定は、以下のようになります。アンダーラインの部分が、今回の改正箇所です。従来の「錯誤」の概念を明確にするとともに、「無効」とされてきた効果を「取り消し得る」こととして、詐欺・強迫による意思表示と同じように扱うようになることが読み取れます。

(心裡留保)
第93条
1 意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方がその意思表示が表意者の真意でないことを知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。
2 前項ただし書の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。
(通謀虚偽表示)
第94条
1 相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。
2 前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。
(錯誤)
第95条
1 意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。
一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤
2 前項第二号の規定による意思表示の取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。
3 錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第1項の規定による意思表示の取消しをすることができない。
一 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき。
二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。
4 第1項の規定による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。
(詐欺又は強迫)
第96条
1 詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
2 相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知り、又は知ることができたときに限り、その意思表示を取り消すことができる
3 前2項の規定による詐欺による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。

・表意者の故意による意思と表示の乖離=心裡留保と通謀虚偽表示

 以上の諸規定は一見込み入っていますが、全体を鳥瞰してみると、例外処理が行なわれるのは意思と表示が異なる場合に限り、表意者が真意でないことを知っている場合(表意者の故意による意思と表示の乖離)と、何らかの他律的要因で表意者が間違った場合(意思表示に瑕疵がある場合の意思と表示の乖離)の2つがあることが分かります。

 まずは、表意者が意識して「嘘」を表明した時の扱いです。これには、① 表意者だけが「嘘」と知りつつ表明する場合と、② 相手方と通じている場合の2つのケースがあります。更に両者から派生して、「相手方が嘘と知るべきであった」場合(③)と、両当事者以外の第三者が「嘘」だと知っている場合(④)があります。

 民法93条(心裡留保、単独虚偽表示とも言います)は上記 ① のケースを想定したもので、意思と表示が食い違う場合は、取引の安全を図る必要から「表示を重視」し「意思は関係なし」とするものです。これまでの連載では、「表示の偽装」を、倫理的あるいは商慣習上許されないとしてきましたが、法律上も「表示を信頼せよ」としていることになります。

 ただし、相手方が表意者の真意を知っている(このことを、法学では「悪意」であると言います。世間一般の用語の悪意とは異なります)か、あるいは知ることができたとき(知ることについて「過失」があると言います)には、その意思表示は無効とされます(93条1項但し書き)。これは上記 ③ のケースに対応するものです。

 次に94条(通謀虚偽表示)では、「相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効」として、② のケースへの対応を規定しています(94条1項)。虚偽表示であることを知る立場にある相手方を、保護する必要がないことから、当然のことと思われるでしょう。ただし、この意思表示の無効は、善意(これは前述の「悪意」の反意語で、法的には「事情を知らない」ことを指し、善人であるとは限りません)の第三者に対抗することができません(94条2項)。④ のケースへの対応です。

「対抗することができる」も法律用語で、「法律的な主張が正当なものとして認められる」ことを示し、その条件は通常法律に書かれています(これを「対抗要件」と言います)。ここでは逆に「対抗することができない」ですから、「そのように主張しても法的に正当なものとして認められない」ことになります。2人が通謀して行なったことで、事情を知らない第三者に被害が及ばないようにするためです。

・意思表示に瑕疵があることに由来する意思と表示の乖離:錯誤・詐欺・強迫

 第2類型として、人間は時として間違いを犯すことを前提にすれば、意思表示に欠陥(瑕疵)があった場合のことも定めておかねばなりません。間違いは、⑤ 自分だけの問題であるケースもありますが、⑥ 他者から影響を受けた場合もあります。

 ⑤ について民法95条(錯誤)は、「意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる」として、「表示に対応する意思がない場合」と「表示をする動機に錯誤がある場合」を定めています。ただし、「表意者に重大な過失(重過失)があったときは、(更に例外的な場合を除き)取り消すことができない」(95条3項)など、細かな条件が付されています。

 ⑥ について民法96条は、瑕疵ある意思表示(詐欺・脅迫がある場合)として、以下のように定めています。まず詐欺による意思表示は、原則として取り消すことができます(96条1項)が、第三者が介入した場合は、相手方がその事実を知っていた(悪意の)場合に限られます(96条2項)。また、その取消しは、善意・無過失の第三者に対抗することができません(96条3項)。他方、強迫による意思表示は取り消すことができる(96条1項)だけでなく、これについては96条3項に対応する規定はなく、善意・無過失の第三者にも対抗できます。 

 条文の数は少ないのですが、「嘘」についての法の基本的な立場を規定していることが、お分かりになったかと思います。

 

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