小林「情報産業論」(7)

「虚業」観念の居なおり

虚業であるがゆえに、それは実業にはない新鮮で独自の性格をもちえたのである。
このことは、数学における虚数の発見に似ている。(p50)

時代精神という言葉がある。ツァイトガイスト。なんだか、この言葉には、独特のニュアンスがある。だれもが、時代精神から完全に解き放たれた思考、生き様を全うすることは不可能なことだ。しかし、時代精神は変容する。そして、その変容を牽引し下支えするのも、また時代精神の中で生きている人たちなのだ。

梅棹の『情報産業論』で「虚業」もしくは「虚業」産業という言葉に出会うたびに、ぼくの脳裏には、時代精神という言葉がよぎる。梅棹が『情報産業論』を著したのは、まさに、実業を重んじ、まだ言葉としてさえも生まれていなかった情報産業を軽んじる時代精神のただなかにあってのことだった。この言葉に出くわすたびに、ぼくは、梅棹の時代精神に抗う姿が目に浮かぶ。梅棹は、重厚長大の時代にあって、軽薄短小の時代が到来することを、見越していた。

本論に入る前に触れたことだが、時代は新幹線を始めとする東京オリンピックに付随する重厚長大な建造ラッシュに沸いていた。池田勇人の所得倍増計画の只中。

その只中で、梅棹はあがいていた。悪あがきではない。確信をもって、力強く。しかし、時代精神の抵抗は大きい。梅棹の「虚業観念の居なおり」というやや揶揄的もしくは自嘲的な言葉の響きのかげに、ぼくには、当時の梅棹の苦闘と決意が透けて見える。

アルバート・ゴア・シニアがインターステートハイウェイを提唱したのが、1956年、ゴアジュニアがインターネットスーパーハイウェイを提唱して副大統領になるのが、1993年。この二つの年代を見比べただけでも、梅棹が日本だけではなく、地球規模で見回して見ても、いかに時代精神を突き抜けていたかがうかがえよう。

・虚数概念のアナロジーには違和感

梅棹の先進性に、全幅の尊敬の念を抱きながら、しかし、ぼくには、梅棹の虚数概念へのアナロジーへの違和感だけは、何度読んでも拭い去ることができない。

思いついてネットで虚業の訳を見たら、risky businessとある。やれやれ。

一方、虚数は、imaginary number。

う〜ん。

-1の平方根にimaginary numberという言葉を充てたのは、ルネ・デカルトだと言われている。デカルトの脳裏には、虚数なんてなんの役にも立たないもの、という先入主が宿っていたとも言われている。Imaginary numberに虚数という訳語を充てたのは、用語としては定着してもいるし、まあ良しとしよう。しかし、《虚》という漢字の連関だけから、虚数と虚業のアナロジーを展開するのは、どうにもいただけない。

デカルトは、虚数にimaginary numberという名称を充てるとともに、いわゆるデカルト座標系という以後の自然科学や工業の発展に欠くことのできない「役に立つ」概念への道をも拓いた。虚数は、実数軸上にプロットができないという点では、虚実の虚ではあるが、2次元空間の拡がりを措定した途端に、確かなリアリティを持って実体化する。虚数を捉える時代精神はデカルトの名付け以降大きく変貌することとなった。

先に、梅棹は、重厚長大の時代にあって、短小軽薄の時代を見据えていた、と書いた。それはそれとして、梅棹の虚業という言葉には、どこか軽佻浮薄といった自虐的なニュアンスが感じられる。しかし、それでも梅棹が用いた時代の虚業という言葉が指し示す職業の実態と、現在のrisky businessの訳語として用いられる虚業という言葉が指し示す職業の実態との間には、大きな隔たりがあるように思われる。今や、情報産業をして虚業だと揶揄する人はもういないだろう。情報産業は、日本のみならず地球規模での経済活動の多くの部分を支える実業へと成長した。デカルトの虚数が、実数軸という1次元の世界を飛び出し、デカルト座標系という2次元の世界に飛翔したとたんに確かな実体性を獲得したと同様、情報をビジネスの対象、すなわち、商品として捉えたとたん、それは、矢野さんの言葉を借りれば、サイバースペースの中で確かな実体性を獲得したのだ。

ここまで書き進んできて、改めて、梅棹の「虚業」という言葉遣いに対するぼくの違和感を思う。ぼくの違和感は、梅棹が生きた時代の時代精神に対する違和感ではなかったか。いまだ言葉すら存在しなかった情報産業を、軽薄短小、軽佻浮薄といった形容で捉える時代の精神、梅棹自身が抗い続けた当時の時代精神に対する違和感。

「虚業」という自虐的、揶揄的な言葉を遣いながら、そこに最も違和感を抱いていたのは、他ならぬ梅棹自身ではなかったか。

大きさや重さという外延量を持たない情報の、商品としての位置付けについて語り尽くすためには、「虚業」という言葉では、いかにも不十分だった。梅棹が揶揄的に「虚業」という言葉で示さざるを得なかった実態を語るためには、デカルト座標における虚数軸に相当するなんらかの視点もしくは基軸への想像力がどうしても必要だった。

情報産業論において、今まで地球上の誰もが想像しなかった新たな視点・基軸を提唱する地平にまで梅棹は到達していた。

 

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