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小久保 はじめまして。今日はお呼びいただいてありがとうございます。インターネットが女性の味方をするというお話なんですけれども、女性にというよりも私にとって大変味方をしてくれたと思います。「この指とまれ!」というサイトを、私がこうやって小さく、小さく、引っ込み思案に指を出していたら、まわりの人が手を引っ張って「もっと前に出しなさいよ」と……。それくらい私は引っ込み思案で、いまこうやってお話ししていてもドキドキしています。社長として14年間やってきているんですけれども、それでもまだドキドキしているような自分なんです(笑)。
 そんな私がインターネットのおかげで、自分の頭の中で考えたものを言葉にして、それをみなさんに情報発信していけるようになったときは大変うれしく思いました。「この指とまれ!」のサイトをご存知の方がどのくらいいらっしゃるか教えていただけますか。ありがとうございます。ほとんど80パーセント、90パーセントくらいの方にご存知いただいていますね。
 このサイトが始まったのが1996年、もうすぐ8年になろうとしています。小学校から大学まで日本に学校は何校くらいあると思いますか。実は5万校を超えているんですね。いま少子化と言われていますけれど、子どもがまったく生まれなくなることはあり得ないですね。毎年100万人が生まれている。その方々が自分の母校を探して登録すると、懐かしい同窓会が開けます、というサイトです。
 小学校、中学校、高等学校、高等専門学校、各種学校、短期大学、大学、盲学校、養護学校、聾学校、それから予備校も増えました。海外の学校も増えました。日本だけではなくて、いま全世界に広げています。5万3030校の学校を「ゆびとま」に登録しています。登録会員数は、先ほど矢野先生が250万人とおっしゃいましたが、いまは269万になりました。1人で小学校と中学校とかを登録しますので、実際のユニーク登録者数は147万人です。
「この指とまれ!」はずいぶん有名になりましたけれども、実はインターネットがなかったときに、第一の起業をやりました。1990年、いまから14年前です。OLをやって10年たったとき、コンピュータがどんどんダウンサイジングをしていく時代だったんですが、事務のOA化とか大量処理、高速処理とか、オフコンとか汎用機の専門家のエンジニアをやっていて、なんか違うな、ちょっと冷たいなというふうに思っていました。もっとコンピュータが人に与えられるものはないんだろうかと。コンピュータが企業から家庭に入っていく、個人のものになっていくという予感はあったんですね。
 そのときにインターネットが登場しましたが、まだ一般市民は使えませんでした。一部の先生や学生しか使えない、ドメインで言えば、ac.jpしかなかったんです。それがco.jpもできるようになった。「ゆびとま」のサイトを見てもらうとわかるんですけれど、or.jpです。いまor.jpというドメインはないんですよね。Organizationのorなんですけど、いまgrになってますよね。そのころからインターネットをやりたいと思っていたわけです。
 西の果て、長崎でインターネットに携わったときの喜び、これはとても言い表せないぐらいです。人前に出るのが恥ずかしくても、インターネットで時を超えて、距離を超えて話せるという感動! 中小企業というか弱小企業の私たちに神様が与えてくれたものだというふうに思っていました。
 第一の起業の話に戻しますと、一人で会社をつくったんです。そのころOLというのは、総合職がまだない、男女雇用機会均等法もない時代でした。女性はお茶汲みをしたり、コピーしたりしかできないわけです。コンピュータの進化とともに自分も成長していくにもかかわらず、責任ある仕事もできなくて、頑張っても頑張っても、自分の先行きが見えてしまうOL時代を過ごしていました。これはやっぱりおかしいなあ、と思い始めたんですね。
 そのころは結婚、いまもしていませんけど(笑)、一人ということと女性であること、そういうことをあまり何も考えないで、先に進んでから考えるという性格もあって、一人でつくっちゃいました。一人でつくるのは簡単なので、みなさん方にもどんどん起業していただきたいなと思います。
 インターネットができたことで、起業への敷居がものすごく低くなりました。なおさらみなさん方には起業してただきたいと思っていますが、会社は一人では絶対に何もできないものでもあります。営業する人もいれば、技術屋さんも事務屋さんもいります。三拍子が欲しいなと思っているんです。
 私はおしゃべりするのは苦手なので、営業はとてもできなかったです。それでどうしたかというと、自分の技術を一人のお客様、一社に絞って、そこで徹底奉仕させていただきました。そのことによって、お客様が営業マンになってくださったんです。それで、次から次に仕事が舞い込んでくるようになったんですね。私には営業マンはいらなかった。その一社にとことん尽くせばよかったんです。
 そうやって順調に会社は伸びて、生活の基盤もできて、何不自由なく暮らしていたんですけれども(笑)、やっぱりなんかコンピュータって私が思っているものと違うなと感じていました。そのときにインターネットの登場が重なってきました。ちょうどそのころ、何十年ぶりに同窓会を開きませんかという話があったんですね。インターネットを一番有効に使えるのはこのことかもしれないと思って、私が技術屋だったのでそれを形にしてみたいと。初めて自分の気持ちの中に自分を表現できるものを感じたときに、すぐに技術屋として設計し、社長の権限を活かして、社員に「ちょっとプログラムして」とお願いしちゃったんですね(笑)。
 1週間後くらいでサイトの原型ができました。1996年のことですから、まだインターネットをやっている人はほとんどいませんでしたが、口コミでどんどん広がっていくんですね。自分の同窓会ですから、自分の同級生だけのサイトを作ればよかったんですが、技術屋の私にとっては、一つの学校の同窓会のホームページをつくるのも、全国の学校のホームページをつくるのも同じだった。それで全国版にしちゃいました。
 そのころは学校が5万校あるなんて全然知らなかったんです。だけど、全国版ということは1億2000万人の方々が登録することになるんだなと思って、ちょっとドッキリしちゃったわけですよ。でも、それに気づくのが遅くて(笑)、始まってしまったんですね。もともとがボランティアサイトなんで、自分のペースでゆっくりやっていけばいいと思っていたんですけど、登録者が口コミでどんどん増えてしまうんです。日本人に友だちがこんなに多かったのかというくらいみんなに口コミで広げていただいたんです。

多くの善意とボランティアに支えられて

 予想したのとは全然違うスピードで進むものですから、サーバーはパンクし、何回も何回も変えなくちゃいけない。最初はアメリカのフロリダでサイトを立ち上げたんですけれども、そのサーバーセンターからも打ち切られ、日本に戻そうとしたんですけれども、日本にはそういうホスティングのサービスがない。それで、企業に少し助けてもらったりしているうちに、日本でもその種のサービスが始まりました。ですから、時代と技術の発展と社会のニーズと、もう追いかけっこですね。自転車操業でやってきたんですけれども、それでも口コミの効果は凄まじいものがあって、私一人で起業した「ヌーベルバーグ」という会社では支えることができなくなった。そのころボランティアが30名ほどいて、企業の皆さんからもサーバーを貸していただいて、というサイトだったんですけれども、それもまかなえなくなった。
 そのころゴールデンタイムのテレビ番組で2週連続で40分くらい「この指とまれ!」を特集していただいたんですね。ありがたい話だが、困ったなあ。サーバーを増強しなくちゃと、とりあえず増強したんですね。それでも案の定、サーバーは耐えられなくなりました。そのときに20万人の方にご登録いただきました。それを一気に受け付けなくてはいけなかったんで、サーバーがパンクするのは当然でした。これからこういうことが何回もあるんだ、サーバーをどこまで拡張すればいいのだろうかと考えたときに、大変な予算が舞い込んできたんですね。サーバーを拡張するには2億円くらいかかりますよ、という話になって(笑)。
 それじゃあボランティアではやっていけないからサイトを閉じようかと思ったんですけれど、ちょうどネットバブルが絶頂期で、アメリカからジャスラックやマザーズが日本に上陸してきました。だから、もうサイトは潰れるというまさにそのときに投資家のみなさんに2億5000万円を投資いただいて、いま現在に至っているわけです。ただ、投資いただいたのが3月31日で、4月にはもうバブルは崩壊していましたので、すっかり逆風になってしまいました(笑)。
 ユーザーが増えれば大丈夫、大丈夫と言われて、指を高々と上げなさいと言われてきたのが、少し引き気味にあるようで、いま苦しい4年間が過ぎようとしています。登録者はいまだに増え続けています。ビジネスモデルがまったくなく、ボランティアで回っていた状態ですので、人件費はゼロ、事務所コストはゼロ、サーバー経費はゼロ、データセンターはゼロという状況の中で、すべての経費が必要になってきました。
 ですからゼロからのベンチャースタートではなく、とことんマイナスからのスタートで、まだまだ投資を続けている状態です。ただ、ビジネスモデルは早々簡単にできるものではなくて、いま私がしなくちゃいけないことは何だろうかと考えたときに、私はエンジニアなんですね、投資をいただいたということは、みなさんがたIPO(新規株式公開)などを期待されてるわけですよね。3年半、SI(システム・インテグレーション)事業は横においてネットワークで頑張ってきたんですけれども、いまこういう状態でもありますし、SI事業、システムソリューション事業に原点回帰をしています。
「この指とまれ!」の8年間で蓄えたノウハウはたくさんあるわけですね。それを同窓会コミュニティ構築支援ツールシステムとして、「OBキャンパス」というパッケージを出させていただきました。「この指とまれ!」というのは同窓会の勝手サイトですね。それをオフィシャルな同窓会の事務局のみなさまが、自分たちも同じようなことをやりたいと、私どものほうに何件かお話をいただき、大学の方にまずご提供させていただいています。
 学校だけでなく、コミュニティの構築支援は大変有意義だと見直されてきていますので、コミュニティ支援ツールを、企業のみなさまや個人も入りますけれども、提供させていただいています。
 今日は地方での起業についてもふれるようにとのことですが、じつは投資をいただいたときに本社を東京に移してほしいと言われたんですね。株主のみなさんも東京ですし、監査法人であったり、これから関わっていく人たちは東京に集中しているので、移ってほしいと言われたんですけれども、どうしても長崎からは移したくなかった。それは私が未熟だったということもありますし、もちろん会社の立ち上げ時期だったということもあります。地の利がわからない、見ず知らずの人ばかりのところに行ったときに何ができるだろうか、と。だから、起業するのは簡単だけど、それを続けていくには知り合いがたくさんいる、私の心の支えがたくさんいる地元でこそ孵化できる、地方がインキュベーターとして私を支えてくれたと思っています。
 それと私が大きくなったときに、自分を育ててくれた地方にそれを還元したいという思いもありました。私は長崎にいたからこそ「この指とまれ!」もたぶん生まれたんだろうし、私も育ってきたと。私は地元とともに成長していきたいと思っていて、今も長崎に本社はありますし、これからも変わらず長崎に本社を置き続けたいなと思っています。


矢 野 どうもありがとうございました。ひとわたりお話しいただいた後で、テーマにそってまた議論することことにしましょう。続けて新川さんお願いします。


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