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2017年05月06日

便利な生活の裏に恐怖が張りつく「超監視社会」(2017/3)

 ビッグデータ技術の進展で、私たちの個人データは企業や国家によってまるごと〝収奪〟されている。日々の快適な生活の裏に恐怖が張り付いていることに私たちはほとんど気づいていないが、インターネット初期から言われ、私自身も指摘してきたIT社会の不気味さが明らかな現実になってきた。

ウーバーとエアビーエヌビー
 
 インターネットの普及で生活は各段に便利になった。

 たとえば私はいまバリで転地療養しているが、その準備として妻がシムフリーのスマートフォン端末を入手した(残念ながら私のアイフォンはシムロックになっている)。到着早々、最寄りのショップで現地のシムを千円ほどで購入し、端末に挿入した。それで現地での電話連絡ができるばかりか、インターネットにも自由にアクセスできる。私のようなシムロック端末でデータ通信するには定額利用でも1日3000円近くかかるし、音声電話ならバリの市内通話で1分あたり70円もかかる。

 シムフリー端末でもっとも便利だったのはインターネット・タクシー、ウーバー(Uber)の利用である。サイトを開くと、現在地がグーグルマップ上に表示される。ウーバーを依頼すると、近くにいる車が応答して迎えに来る。地図上にはその車の所在場所が表示され、到着予想時間も示される。迎えの車がいまどこにいるかもわかる。

 自分の端末に行き先を入力すると、それが直ちに運転手のスマホに転送され、道をよく知らない運転手は地図をナビゲーターにして進む。到着すれば、料金が自動的にクレジット決済されるので、現金受け渡しは不要である。下車後まもなく料金が表示され、運転手の評価をするように要請される。これらの評価も公開されるから、旅行先でタクシーを拾って遠回りされたり、「釣銭がない」と高い料金を取られたりといった心配もない。

 宿は以前このコラムでも紹介した宿泊施設紹介サイト、エアビ-エヌビー(airbnb)で見つけた。個人が使っていない建物を貸し出しているもので、プール付き3ベッドルームの立派な邸宅が1日1万円以下である。長期滞在割引もある。

 エアビエヌビーでは、提供する者とサービスを受ける者との間で何度もメールでやりとりした後で契約するのがふつうだし(その間をサイト経営者が取り持っている)、双方がそれぞれ書き込んだコメントがサイト内で公開されているから、ある程度の信頼度をはかることもできる。

「リトル・ブラザー」による網羅的監視

 便利なサービスを受けるためにはスマホの位置情報(GPS、全地球測位システム)を公開しないといけないし、クレジット決済がふつうである。こうして私たちの個人データはサイバー空間(利用サイトやグーグル、フェイスブックなど)に蓄積されていく。

 見方を変えると、私たちは日々、さまざまなデータを生産し、それをサイバー空間に吐き出している。データにはメールの内容や写真のようなメッセージばかりではなく、メタデータと呼ばれる「データに関するデータ」もある。メールなら、自分や相手のメールアカウント、メールした時刻、その容量、頻度、送信経路など、写真なら、撮影日時、場所、カメラの識別番号、レンズの種類などである。集団全体の実態を知るためには、メタデータの方が有益だとも言われている。

 ビッグデータ技術の進歩と保存コストの低下で、私たちのデータは企業によって網羅的に保存され、分析され、そしてもっぱら広告配信に利用されている。不動産広告の場合でも、個々人の好みや資産能力に応じて異なった物件を配信するのである。
 
 高校生の娘に妊娠中絶用の広告が配信されているのを知って父親が広告主に抗議したら、実際に妊娠していたという話もあるようだ。サイバー空間は親よりも娘のことを知っている。

 著名なセキュリティ専門家、ブルース・シュナイアーは『超監視社会』(1)で、これは企業による顧客の「監視」そのものであるとして、最近の実例を豊富に上げて警告している。その中に「私たちとインターネット企業の関係は、商業的な関係というより、封建的な関係と言ったほうがいい。……私たちは企業の農地でせっせと働いてデータという作物を生みだし、企業がそれをよそで売って儲けている」というくだりがある。

 「超監視社会」のもう1つの、より危険な側面が国家による監視である。こちらもターゲット(容疑者)を絞って令状のもとに監視するという古典的な手法でなく、いざというときのために国民全体のデータを集めておく網羅的大量監視に変わっている。9.11以後、国民のインターネット・セキュリティよりも国家の監視優先の傾向が進み、それに対する社会のチェック機能も弱まっている。

 企業と国家のデータ収集は不即不離の関係にあり、エドワード・スノーデンが暴露したように、NSAなどの諜報機関が企業に情報提供を強要、企業はそれに応じていた(官民の監視パートナーシップ)。私たちの個人データは過去に遡って蓄積され、いつでも選択的に利用される。「やましいことがなければ何も心配ない」ような生やさしい事態ではない。シュナイアーは「巨大な『ビッグ・ブラザー』が私たちの一挙一動に目を光らせるというより、数知れない『リトル・ブラザー』たちがひっきりなしに告げ口をする時代が訪れようとしている」とも述べている。

便利さに溺れる私たち

 広告配信に使われた顧客の選別技術は政治的にも利用され、私たちは見たいものしか見られないように仕向けられ、対立する考えからは遮断されている。いつ何時、「危険分子」として摘発されるかもわからない。
 
 GPSをオフにし、メールはなるべく使わず、クラウドも使わず、買い物はオフライン中心で、とサイバー空間に情報を蓄えないようにするに越したことはないが、生活の便利さを捨て去ることはもはやできない。またそうしたところで、結局は素性を割り出されてしまう。シュナイアーが言うように、社会全体でこの現実をしっかりと把握し、企業の個人情報取り扱いを規制したり、国民のセキュリティを犠牲にしてまで情報収集(監視)を優先する権力の暴走に歯止めをかけることが求められている。しかし、便利さに溺れた私たちは、その危険さにあまりに無頓着だと言えよう。

<1>草思社刊。原著はDATA and GOLIATH:The Hidden Battlles to Collect Your Data and Control Your World(2015)。「超監視社会」というのは邦題である。

投稿者: Naoaki Yano | 2017年05月06日 12:53

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