« 大鹿靖明『ヒルズ黙示録 検証・ライブドア』(朝日新聞社) | メイン | 日経社員のインサイダー取引と「情報倫理」 »

2006年07月24日

トーマス・フリードマン『フラット化する世界』㊤㊦、(日本経済新聞社)

フラット化する世界(上)

ピュリツアー賞を3度も受賞したアメリカの外交・国際専門ジャーナリストによるすぐれたIT社会論である。「フラット化」とは、サイバー空間によって現実世界のさまざまな制約が取り払われた結果、世界が一つの平面になった、ということである。ここに紹介されている現実は、サイバーリテラシーの格好の素材とも言えよう。

<東京に電話するとオーストラリアから応答がある>

まず、私自身の体験から。

デルのモニターの調子が悪くなり、最近買い換えた。マニュアルを見ても操作方法がよく分からず、テクニカルサポートセンターに相談しているうちに、先方の都合で電話が切れた。やむを得ずかけなおして、「いま話していた女性を出してくれ」と頼むと、「名前が分からないと繋げられない」と言う。

「いま話していたのだから、その辺にいるんじゃないの」と言っても、「そうはいかないんですよ」との返事。「ちょっと大声出して呼んでよ。そんなに大きな部屋なの?」などと話しているうちに、私の電話を受けた女性は川崎のセンターではなく、中国の大連にいるかもしれない、ということが分かった。

市外局番044で川崎に電話したのだが、その問い合わせを高速回線で結ばれた大連のコールセンターの人間が出ることもあるのだという。これには驚いたが、同じころアップルのアイポッド(iPod)の問い合わせをしたときに出たのが、オーストラリアのブリスベン在住の日本人女性だったのにはまた驚いた。

いまや川崎と大連、東京とブリスベンの距離はゼロに等しい。これが本書で言う「フラット化」の意味である。著者は、アメリカから見ればまさに地球の裏側にあたるインドを訪れたとき、「世界はフラットだ(The World is Flat)」と実感したという。

もはや地球は丸くなく、表も裏もない。

私はこの本を読んでいたので、デルやアップルの態勢を即座に理解できたが、本書にはこのような話題がふんだんに紹介されている。 

インド版シリコンバレーと呼ばれる南西部のバンガロールのコールセンターは、アメリカの航空会社やコンピュータ会社の業務委託(アウトソーシング)を受け、乗客の荷物紛失や機器の取り扱いの問い合わせに答えている。両者間は高速、高性能の衛星通信や海底光ケーブルで結ばれている。インド人はたいてい流暢な英語を話すが、わざわざ米国なまりの特訓も受けているらしい。客は地球の裏側から応答を受けているとは気づかず、ある女性オペレーターは「お客さまに結婚してくれ」と言われたとか。

イラク戦線で米軍宿営地周辺の状況を刻々と送ってくる無人飛行機を遠隔操縦しているのは、じつはラスベガス近くにある空軍基地オペレーターである。カタールの現地司令部に設置された平面スクリーンの3台にはイラク各地のリアルタイム画像が映し出され、他の1台にはヤンキースとレッドソックスの野球の試合が映っていた。ミズーリ州にあるマグドナルドのドライブスルーで注文を受けるのは、1500キロ離れたコールセンターである。注文を受け、客の写真を撮影して、それを高速回線で店の厨房に送り返す。1500キロの距離を迂回することで、注文から受け取りまでの時間を短縮できるし、取り違え防止にも役立つのだという。アメリカでは安価なインド人(もちろんインド在住)家庭教師を雇う家庭が増えている、などなど。

<現実をまず理解し、問題点を整理する必要>

世界が「フラット化」すれば、従来のように限定した地域内で、いわば垂直的にものごとが決められ、解決されてきたシステムからからは考えられないような事態が起こる。国民、企業、労働者、地域住民などの利害が入り組んでくるからである。世界のフラット化は格差解消に役立つが、一方では新たな格差を助長することにもなる。

こんな例も紹介されている。

2003年、インディアナ州政府が入札に出した失業保険給付申請用コンピュータ・システムのアップグレード作業をインドのシステム会社(米子会社)が、2位を大幅に下回る額で落札した。民主党知事は死去する前にこの契約を承認したが、新知事を選ぶ選挙で共和党がこれを争点にした。そのため当選した民主党の新知事は、契約を取り消すと同時に地元企業も入札に参加しやすい措置をとった。

これはインディアナ州の企業やそこで働く労働者にとっては地元企業に受注チャンスをもたらす朗報だったが、州政府にとっては非効率的な決定である。減らした税金で他部門の職員を増やしたり、新しい学校を建てたりできるわけで、これは住民にとっても利益だし、長い目で見れば、失業者を減らすことに貢献する可能性もあった。

これをどう考えればいいのだろうか。どちらかというと労働者寄りの民主党の決定が市場重視の共和党の反対で覆されたのも皮肉である。

全世界にサプライチェーンを繰り広げ、安い品を提供して急成長したウオルマートは、同業他社に比べて賃金が安いし、福利厚生施設も見劣りするらしい。従業員からの訴訟や企業姿勢を批判する声もある。ところが、ウオルマートの客の平均所得は年間3万5000ドル、同種企業であるターゲットは5万ドル、コストコは7万4000ドルだという。この点を指摘して、「ウオルマートを貧困対策事業と見なすなら、消費者に2000億ドル以上の還元を行っているわけで、これは連邦政府の数多くの事業に十分匹敵する」と評価する論説が新聞に載った、とも紹介されている。

何が善で、何が悪か、といった物差しそのものがケースバイケースでころころ変わり、一定の基準をつくることが難しくなっている。一人の人間の中でも、立場によって相反する見解を抱かざるを得ない。このブログで「等身大の精神」の危機についてふれたことがあるけれど、いまや個人のアイデンティティそのものが危機にさらされている。

本書の前半はフラット化をもたらした要因について、後半は激動に対応した「大規模な整理」の必要について書かれているが、はっきりした見取り図が示されているわけではない。そもそも簡単に処方箋が書けるような生やさしい現実ではない。これこそサイバーリテラシーのポイントでもある。

サイバー空間によって現実世界がどのように変化しているかをきちんと把握した上で、ラディカルな対応を考えることが、IT社会に生きる私たちに課せられた「重い荷物」であろう。個人的な感慨を言えば、真に豊かで実りあるIT社会を実現する前に、その弊害がいよいよ拡大しているように見えるのは悲しいことである。

投稿者: Naoaki Yano | 2006年07月24日 12:56

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.cyber-literacy.com/scripts/mt/mt-tb.cgi/118

コメント

コメントしてください




保存しますか?


Copyright © Cyber Literacy Lab.