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2005年12月29日

「等身大の精神」が危機に瀕している!?

東京証券取引所をめぐるみずほ証券の株誤発注事件は、マンション耐震強度偽装事件と並んで、今年を象徴する出来事だった。

ほんのちょっとした、だれにでも起こるようなコンピュータ入力ミスで、あっという間に会社に400億円の損害を与えてしまった社員の将来を考えると、もはや打つ手なし、という印象を受ける。彼が定年まで在籍しても、給与総額は400億円の100分の1を上回るかどうか。ここでは損害を賠償するという、ある意味でまっとうな考えはまったく意味をなさない。

誤発注を奇禍として大儲けをした投資会社の方はどうか。誤発注を知ってやったとすれば倫理のかけらもないが、システムが自動的にやったとすれば、倫理が入り込む余地がない。そこにはビジネスの論理と技術の成果が見られるだけで、倫理的な問題、ある意味でまっとうな生き方は消えていく。

ところでこの問題は、「誤発注を認識しながら、間隙をぬって自己売買で株を取得するのは美しい話ではない」という与謝野馨金融担当相の談話や「これじゃまるで火事場泥棒ではないか」といった世論を背景に様相を変え、証券各社は儲けた利益を何らかの形で返済する方向で検討を始めたという(方法をめぐって紆余曲折はありそうだが……)。

この事件が起こった翌朝、たまたまフジテレビの番組「とくだね!」を見ていたら、メインキャスターの小倉智昭氏が証券会社に対して「武士の情けも義理人情もなにもない」とつぶやき、ゲストの女優、高木美保さんが間髪をいれず、「そんな人とは結婚したくない」と言った。ふつうの人の常識的な感覚が残っているのは嬉しい限りだが、それが覆りそうになっているのが現実である。

この事件では、個人で20億円を儲けた人もいた。週刊誌の記事によると、この青年は数百万円の元手でパソコンによる株取引をはじめ、ここ数年で60億円ほどを稼いだという。才覚さえあれば、たった1日で20億円を稼ぐ可能性が万人に開かれてしまったわけだが、20億円といえば、サラリーマンが一生に稼ぐ額の十数倍だろう。これもまた間尺に合わない、常識離れの儲け方である。 

かつてエコロジーの世界で、「等身大の技術」ということが言われた。たとえて言えば、大型船でマグロを一網打尽にするのではなく、食べるに必要な分だけ一本釣りしながらおすそわけにあずかるという自然と共生する知恵の提唱だったが、いま起こっているのは、そのような肉体機能の拡張としての「等身大の技術」への回帰どころではない。

コンピュータという精神機能拡張の道具が、私たちを途方もない世界につれて行き、そこでは「等身大の精神」が危機に瀕している。現代IT社会では個人一人ひとりの生き方が重要になると私は言ってきたが、一方で、巨大になった組織や国家が構成員たる個人にいよいよ責任を転嫁しがちなこともたしかで、「等身大の精神」、個人の倫理を支える社会システムこそが重要である。それは「社会資本」の生産でもあろう。

一つの行為がもたらす結果があまりに膨大なために、姉歯建築士にしても、欠陥マンション量産業者にしても、犯した罪の責任をとりようがない。逆に言うと、責任のとりようのないことを何の痛痒も感じずに行える状況に置かれている。映画「男はつらいよ」のタコ社長ではないが、コツコツものを作り上げるといった仕事のありようが、どうにも馬鹿らしくなってくるのを否みようがない。

現代の子どもたちは成人するまでの間に、心のどこかでシャボン玉がかすかな音を立てて割れるような失望感を何度も経験していくだろう。そうすれば、「武士の情け」や「義理人情」はいよいよ遠くに追いやられ、若い女性は「そんな人(あっという間に大金を手にするような人)と結婚したい」と思うようになる。

それでほんとうにいいのだろうか、という思いが強い年の瀬である。

投稿者: Naoaki Yano | 2005年12月29日 16:57

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コメント

謹賀新年。矢野さん、ごぶさたしました。立ち読みついでの“立ち書き”ですが――。

「株誤発注事件」で飲み屋の話題になってたのは、失敗したヤツの運命はどうなるんだろうかだった。手元の“小さな”ミスが、とてつもない巨大爆発を起こしてしまった。そのギャップの大きさに圧倒されて、原因とかシステムといった深遠な問題は棚上げされたのだ。それよりも運の悪いご同輩の運命に関心が行ってしまったのだろうし、その気持ちはよくわかる。この極小-極大の構図から反射的に連想したことがある。足もとの“小さな”事件のことだ。

ビラ取り締まりの報道が、年越しで喉に引っかかっている。餅の通りが悪い。立川の自衛隊官舎ビラ入れは1審の無罪が覆り、2審の東京高裁で罰金刑となった。「管理権者らの意思」を根拠にして、特定情報の流通を「犯罪」と見なす判決だ。こんな流儀が定着したらたまらない。早大構内での「ビラまき」学生はたちまち逮捕され、10日間の勾留延長がついた。ビラが実際にまかれたかどうかもはっきりしないし、だれかが警察に通報したのかどうかも不明のままだ。もっと前にも似たような“事件”があった。

ビラこそメディアの原型である。なんか言いたいとき、ペラ1枚に「等身大」の主張を盛り込む。手配りして皆さまに読んでいただく。掲示板に張る。ある日の郵便受けには「当店の灯油は去年の値段で頑張ってます」「映画『リトルバーズ』は生涯学習センターで○月○日○時から――○○9条の会」が入ってる。だれかが投げ込んだのだ。駅前で手渡されるのは「子どもたちを守ろう」だし、大学祭のサークルビラなんぞは資源の無駄遣いといいたいぐらい次々に押しつけられる。「生協の白石さん」をスターにしたきっかけは、東京農大生協の掲示板に張られた双方向のQ&Aビラだった。

スパムもあれば割引券付きもあるが、たかがビラである。どのみち、読むも読まぬもこっちの自由。それでもこのミニメディアには、マスメディアにない味わいがあり共感も湧く。“ご近所メディア”の手触りがいい。このIT時代に健気なもんだなあ、というシンパシーもじわっと寄せる。手配りするなんて能率わるそー。そんなの情報の流通といえるか。バッカみたい。だけど、うんエラいことには違いないなー。

憎いヤツの郵便受けに手書きビラを連日放り込んだり、あたりにべたべた張り付ける。「お前を許さない!」。手紙やメールなんかじゃ気が済まない。もっと強く訴えたいのだ。やり口の是非は別として、熱意のほどは先方にじっとりと伝わるに違いない。「週末サービスは国産牛肉2割引き。米国産は当分扱いません」「○○電鉄で年末・年始の高校生アルバイト募集」……。こんなのも見かける。ビラのターゲットはまあ半径4キロ内とか鉄道沿線だろうか。○○電鉄のビラ配りをした主婦アルバイターから聞いたのだが、新聞の投げ込みチラシでは配布エリアが違いすぎるのだそうだ。足を使って配るしかない。

大政党なんかのマスプロビラでは、数百万部刷って全国に配ることがあるらしい。この手はご近所の手触り感がないから、一目で判別できる。こうしたマスビラに気持ちが動かないのは、ミニメディアとしての性格を裏切っているからだ。そもそも大政党と健気さは両立しない。ビラの中身以前に、流通のセンスが似合ってないのでキモチ悪いのだ。

それが自衛隊や大学で配ったとなると、押っ取り刀でお上が駆けつけてくる。繰り返すが、ビラごときはたかがご近所メディアである。お上が色気を出すような大物なんかではない。花見る人の長刀。なんとも無粋なことをする。小なりといえど、ビラはメディアである。その流通を制限するとは何事ぞ。エラそうにいえば、情報の自由な流通を基礎とする民主主義社会の否定である。

察するに連中の狙いは、言論表現に対する牽制や威嚇ではなかろうか。大メディアへの規制は一筋縄ではいかない。そこを迂回してビラをいじめれていれば、お利口な大メディアなどは先回りして自主規制するだろう。萎縮するに違いない。そう読んでるのではないか。なによりも表現内容に立ち入らなくてすむ。立川ビラ入れ2審のように「管理権者らの意思」で押し通せばいいのだ。自衛隊官舎側がビラは嫌だと言ってる。大学当局は配るのはやめてくれという見解を表明してる。それなのに配るから罪になるんだぞ。

こうした流れは世間の意識を変えていく。ビラまきは取り締まりの対象になっていて、逮捕されるんだ。ヤッバー。ダッサー。そんなのやめとこ。こんな気分が居座る。この意識は家庭や企業や社会も変えていく。異質な考えや生き方を認めず、排除しようとするセンスが満ちていく。“非寛容”の根は太くなっているのではないか。それはすぐさま攻撃的な気分に転化する。イラクでの日本人人質事件で噴出した「自己責任論」の合唱は、昨日のことではない。ネットにはたくさんの鎌イタチが棲みついていて、暗い目を凝らしているではないか。

そんな世の中だから、ビラを守らなければならないと思う。メディアの公共性と透明性を担保する原点がビラにあるからだ。読む読まないは自分で決めたい。だからビラを配る人が脅かされるのは困る。配る人の自己責任なんかじゃない。表現の自由の侵害なのだ。メディアの原型がビラにあることを忘れたくない。ビラの一穴である。

――ほろ酔いなので論旨が心配です。新年のめでたさに免じて……。

投稿者: 角田暢夫 | 2006年01月01日 18:12

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