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2005年11月29日

三浦展『下流社会』(光文社新書)

うんざりする本である。本に対して、というより、書いてある事実に対して。フリーターとかニートが増えているとか、小泉政権の諸施策が社会の二極化を推進しているとか言われ、身のまわりでもなんとなく実感していることが、ここに、ある程度の数的裏づけをもって書かれている。

要は日本社会が「総中流」から「上流」と「下流」に二極分化する潮流が、ここ十年できわめて顕著になってきたということである。「下流」に属するとされる人たちは、「自分らしさ」を重んじ、ほどほどに仕事をして、それでとりあえず幸せなのであり、自分が下流に属することに対して、とくに不満がなさそうだというのが、なんとも寒々とした印象を抱かせる。彼ら、とくに若者の多くは自民党支持者でもあるという。

物あまりの時代では、コンビニやスーパーでそれなりの生活用品をそろえられるし、インターネット・オークションを利用すれば、ブランド品も手に入る。なにもあくせく働かなくても、生活はそれなりに保障されているわけだろう。

それでは「上流」をめざしている一部の人びとが豊かなのかというと、どうもそうでもなさそうである。もちろん夫婦共稼ぎで、高層マンションに住み、海外旅行を楽しんでいる、と外見的にはたしかに豊かなのだが、やはりのっぺりと画一的な印象で、微妙なひだは感じられない。

かつての大人たちが(私自身も含めて)豊かな生活を求めて頑張ってきたとりあえずの目標がかなえられる時代になって、階層分化がはじまったのである。それほど遠くないうちに、「上流」と「下流」の反目が健在化するのは必死だろう。

本文の、「たしかにこの『個性』とか『自分らしさ』という言葉は、団塊世代の青年期に登場し始め、その後広く社会を覆った言葉である」とか、「少数のエリートが国富を稼ぎ出し、多くの大衆は、その国富を消費し、そこそこ楽しく『歌ったり踊ったり』して暮らすことで、内需を拡大してくれればよい、というのが小泉―竹中の経済政策だ。つまり、格差拡大が前提とされているのだ」、「頑張っても頑張らなくても同じ『結果悪平等』社会より、頑張らない人が報われることがない格差社会の方を、国民も選択し始めているようにも見える」といった記述が印象的だった。

投稿者: Naoaki Yano | 2005年11月29日 12:58

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