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2011年11月28日

ソーシャルメディア⑤「神出鬼没」の若者達がアラブ政権覆す(2011/10)

 ソーシャルメディアは否応なく政治の道具になった。2011年になって立て続けに崩壊したチュニジア、エジプト、リビアの独裁政権。これらの政変にツイッター、フェイスブック、ユーチューブなどのソーシャルメディアが果たした役割は決して小さくない。

 チュニジアでは23年に及んだベン・アリ政権が2011年1月に崩壊した。30年間もエジプトを支配したムバラク大統領が辞任したのは同年2月である。リビアのカダフィ政権は9月に崩壊、40年余の独裁体制に幕を下ろした。新政権作りをめざす国民評議会は18日、東部の拠点都市ベンガジで、暫定政府発足へ向けての協議を始めた。

「ジャスミン革命」という言葉

 一連のアラブ独裁政権崩壊をめぐり、若者や一般民衆がソーシャルメディアを活用して反政府運動を展開したことで、これらの動きは、チェニジアの代表的な花にちなんで「ジャスミン革命」と呼ばれることがある。あるいは「フェイスブック革命」とも、「ツイッター革命」とも。

 アラブ革命を引き起こしたのは、何よりも長期独裁政権の腐敗であり、強圧政治であり、失業率の高さであり、厳しい言論統制だった。長い間に散発的な抗議行動も行われてきたが、封殺されてきたのである。だから今回の動きを「ソーシャルメディア革命」といったように、メディアで象徴させることには批判もある。

 実際、ヒットラーの政権獲得を「ラジオ革命」とは言わないし、ベルリンの壁崩壊が「テレビ革命」と呼ばれたこともない。「衛星テレビ革命」といった言葉も聞かない。革命は根深い政治的、社会的背景の中で起こるもので、ソーシャルメディアは有効なコミュニケーションツールとして利用されたにすぎないとも言えよう。

 しかし今回、圧政下で徹底的なメディア規制が敷かれているなかで、これだけ短期間にしかも広範囲に反政府デモが組織され、そこに多くの一般民衆が参加したことをソーシャルメディア抜きに語ることも難しい。

チュニジアとエジプト

 チュニジアの政権崩壊の発端は、2010年12月17日、南部の都市、シディブジッドの県庁舎前で26歳の青年が焼身自殺を図って病院に収容されたことである(後に死亡)。彼は、30%を超える失業率のなか定職につけず、露天商をしながら家族を支えていたが、警察から不合理な摘発を受けて商売道具を没収された。返却を申し出ても聞き入れられず、抗議の自殺を図ったのである。現場にいた人びとが抗議し警官と衝突したが、その状況は主要メディアで報じられず、人びとが現場で撮影した写真や画像がフェイスブックやユーチューブにアップされた。フェイスブックには事件に抗議するグループのページもでき、わずか1日で2500人が参加するほどになった。反政府デモの動きが衛星テレビ局、アルジャジーラで報道されるなどの経過を経て、政権への抗議行動はしだいに規模を拡大、警官との衝突で死者も出て、12月中にチェニジア国内の主要都市約20か所に及んだ。最終的には軍部も政権から離反、ベン・アリ大統領は青年の自殺からわずか4週間後の1月14日、サウジアラビアに脱出した。

 同じ1月にエジプトでは、カイロ市中心部に市民1万人が参加して民主化デモを行っている。前年6月に警察官の暴行を受けて死亡した28歳の青年を悼むページをフェイスブック上に立ち上げた若者が呼びかけたものだった。デモでは死者も出たが、独裁政権崩壊を叫ぶ反政府運動はその後、燎原の火のごとくエジプト全土に広まった。

 デモを呼びかけた若者はグーグルのドバイ駐在員だったが、帰国するところを逮捕されている。2月7日に釈放され、記者会見して「自分は安全な場所からキーボードを叩いただけ。英雄は街頭にいるあなたたちだ」と泣きながらに語ったが、これがユーチューブに転載され、さらに多くの人びとの共感を呼び、フェイスブックには彼を支持する新たなページも作られた。反政府運動はさらに盛り上がり、彼は期せずしてエジプト革命の英雄になった(その後グーグルをやめてエジプトでNPO法人を立ち上げている)。ムバラク大統領は2月11日に辞任した。

多人数の神出鬼没の活動

 ソーシャルメディアがなければ、これだけ短期間にしかも大がかりなデモが組織されるのは難しかっただろう。きっかけになった出来事も、それを広めたのも、職業的革命家や政党が関与したものというよりも、ごく普通の若者たちの行動だった。

 チュニジア民衆の不満爆発の引き金がウィキリークスが暴露した外交公電だったというのも興味深い。公電によれば、米国チュニジア大使は2009年7月の時点で「ベン・アリ政権は国民の信頼を完全に失っている」と述べている。政権の腐敗ぶりが公然と語られており、この英語の文書をアラビア語やフランス語に翻訳してフェイスブックに掲載、さらに多くの人の関心を引き起こした人もいた。

 政権側もブログなどのサイトを閉鎖したり、ブロッガーを逮捕したり、インターネット・アカウントを停止したりしたが、若者たちは規制以上にソーシャルメディアをたくみに使いこなした。デモ隊が政府批判のスローガンを叫びながら警察と衝突する動画をユーチューブにアップ、それが遮断されると、フェイスブックやツイッターを通じて情報交換を行い、デモの組織化を行った。既存ジャーナリズムが機能しない部分をソーシャルメディアがカバーしたのみならず、その神出鬼没の活動で政権側を翻弄した。

 ソーシャルメディアが新しい政治の道具になったのは間違いない。もっとも、リビアの政権崩壊とソーシャルメディアの関係はあまり報道されていない。中国では2月に民主化を求める茉莉花革命が中国版ツイッターなどで呼びかけられ、一部に多くの人びとが集まったが、当局によって制圧されている。イギリスでは8月のロンドン暴動をソーシャルメディアで扇動した容疑で3人の男が逮捕されたり、英首相がこれを規制する可能性に言及したりしている。

「ジャスミン革命」と、メディアを前面に出した言葉が語られること自体がソーシャルメディアの新しい力を浮き彫りにしている。ソーシャルメディアはいよいよ政治の舞台に登場しつつあるとも言えよう。

<追記>カダフィ大佐は2011年10月20日、反カダフィ勢力との抗争で殺害された。

投稿者: Naoaki Yano | 2011年11月28日 13:57

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