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2008年03月29日

フィルタリングは、子どもを有害情報から隔離するのが先決(2008/3)

 小中学生を含めた未成年者のケータイ所有が広がるにつれて、大人がつくった有害情報ばかりでなく、子ども同士のコミュニケーションサイトによるトラブルも増えている。これを受けて総務省はケータイ業者に対して、未成年者が利用するケータイに原則としてフィルタリングを導入するよう要請したが、そのフィルタリングの方法をめぐって議論が起こっている。

小学3年生で34%が所持

 子ども向けポータルサイト「キッズgoo」が2007年11月に行ったアンケート調査によると、自分専用のケータイを持っている小学生が34%いる。子どもが自分で欲しがるより、親が塾通いなどを理由に与えているケースが多く、3年生から持ち始める生徒が急増、6年生になると40%を超えている。また、2007年12月に内閣府が発表した調査結果によると、ケータイの使用率は小学生31%、中学生58%、高校生96%となっており、そのほとんどがインターネットにアクセスしている。

 ケータイの普及につれて、子どもが出会い系サイトに巻き込まれたり、不用意にアクセスしたサイトから法外な料金を請求されたり、また俗に「学校裏サイト」と呼ばれる、子ども同士のコミュニケーションサイトで誹謗中傷合戦が行われたりと、ケータイをめぐるトラブルはすでに社会問題化していると言っていい。

 このため総務省は2007年暮れ、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクモバイル、ウィルコム、電気通信事業者協会に対して、18歳未満のケータイ利用者に対して、新規契約と既存契約を問わず、フィルタリング導入を原則とし、これを望まない者に対しては親の意思を確認するよう要請した。

 フィルタリングというのは、見たくない、あるいは未成年者などに見せたくない情報を遮断するためのソフトで、子どもが個人情報を無造作に外部に漏らそうとするのを止める機能もある。また企業が仕事中の従業員のインターネット・アクセスを制限するためにも使われている。フィルタリング・ソフト(サービス)は、パソコンでは早くから導入されていたが、ケータイは言わば野放し状態だった。

フィルタリング方法に異議

 フィルタリングには2つの方式がある。見たいサイトだけリストアップして閲覧できるようにし、それ以外はシャットアウトするのがホワイト・リスト方式、逆に、見せたくないサイトを選んでこれをブロックするのがブラック・リスト方式である。ケータイ各社はそれぞれの対策を打ち出し、ホワイトの例もあるし、ブラックの例もある。

 ところで、総務省はこのホワイト方式に対して異議を唱えているらしい(「携帯フィルタリング、総務省が“過剰規制”に『待った』」)。ケータイ会社によっては、自社の公式サイトだけを閲覧できるようにし、他の一般サイトにはアクセスさせないようにしている例があり、これは、優良な一般サイトまで排除することになり、コンテンツ市場をゆがめる恐れがあるからだという。

 ケータイ会社ごとにリストアップされたサイトが違えば、ユーザーはそれを自由に選べばいいわけで、有害コンテンツから青少年を隔離するためには、リストから漏れたサイトが紛れ込んでくる恐れのあるブラック方式よりも、ホワイト方式の方がより確実だと言える。もちろん、ブラック方式はダメだと言うわけでもない。

 ホワイト方式ではコンテンツ市場の健全な育成が阻害されるという考えの裏には、青少年向けのコンテンツ制限と、産業政策の混同がある(成人はフィルタリングを導入する必要もない)。中途半端なフィルタリングのために、有害サイトへのアクセス制限が不十分になることをこそ警戒すべきではないだろうか。
 パソコンも、ケータイも、そこで流れるコンテンツは千差万別で、成人はそれを自らの判断で取捨選択できるとしても、まだ人生経験の少ない、これから社会常識を学んでいく子どもたちが、その洪水に無造作に放り込まれるのは危険である。フィルタリングがその有効な方法であることは間違いないが、日本でのフィルタリング導入の実績は低い。親の無自覚が大きな原因で、だから総務省が青少年へのフィルタリング導入を求めるのは時宜を得ていると言えよう。

「サイバー元服」という考え方

 私は、『倫理と法―情報社会のリテラシー』(共著、産業図書)で、子どものケータイ利用やインターネット・アクセスに関して、何らかの年齢制限をする社会的合意が必要な時期に来ているのではないかと提言、かつて子どもが大人になる過程で通過した「元服」になぞられて、これを「サイバー元服」と呼んでいる。

 子どもたちはこれまで、親や兄弟、親戚、地域の人びと、先生など、「現実世界」の対面コミュニケーションを通じて、社会に出て守るべきこと、やってはいけないことを学んできた。いまは家族やコミュニティの束縛は緩み、教育(ごくふつうのしつけ)も不十分で、子どもたちはいきなりインターネットを通じて「サイバー空間」と接触、自分たちだけの世界に入り込む。子どもたちは大人の常識とは掛け離れた世界を築きつつあり、それがさまざまなトラブルを招来するとともに、大袈裟に言えば、社会の仕組みそのものが壊れつつある。

 ウエブ上には、未成年者へのケータイ・フィルタリングという総務省の政策自体を、ケータイという「ソーシャルメディア」の重要な一角を占める中高生を締め出すことで、メディア発展を妨げ、ひいては国際競争力も低下させるといった意見も掲載されていたけれど(岸博幸「未成年者携帯フィルタリングという『愚策』」など)、子どもへのフィルタリング問題は、産業育成政策から切り離して、もっと真剣に論ずべきだろう。

 そうすれば、高校生にはブラックリスト方式、小中学生には、より完璧なホワイト・リスト方式といったように、年齢で切り分けるなど、きめ細かなフィルタリング対策が可能だと思われる。

投稿者: Naoaki Yano | 2008年03月29日 16:27

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