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2016年06月05日

ITが社会を変えていく深層を見つめる―サイバーリテラシー再説(2016/5)

 私がサイバーリテラシーを提唱してから15年がたつが、インターネットはすでに社会の基幹インフラであり、インターネット元年の1995年生まれの若者も成人になった。その間にインターネットは人びとの感性、思考をはっきりと変えているが、一方でその影響は多岐にわたり、深層を探ることはいよいよ難しくなっている。

「その8%がわからない」

 今年の花見の席で、ある人が私に「サイバーリテラシーでいま一つわからないところがある。92%まではわかるが、あとの8%がよくわからない」と言った。

 彼が言おうとしたのはこういうことではあるまいか。

 サイバーリテラシーの9割方は、それをメディアリテラシーと言ってもいいし、情報リテラシーと呼んでもいいが、これらのリテラシーとも共通する一種の情報理論である。だからサイバーリテラシーのエキスは残る1割にある。それはIT社会をインターネット上に成立したメディア(サイバー空間)と現実世界が錯綜する姿ととらえる視点である。そこからIT社会の問題点を探り、あわせてこれからの私たちの生き方を豊かで快適なものにする知恵を導きだそうとしている。

 それは「サイバー空間登場以前と以後では人類史はまるで違うものになった」という直観に基づいており、私はこれをBC(before cyberspace)とAC(after cyberspace)に二分した。技術決定論の典型とも言えるが、技術で作られたサイバー空間が現実世界を大きく包み込んでいる限り、その力を軽視することはできない。

 さらに言えば、サイバー空間の特徴が「サイバー空間には制約がない」、「サイバー空間は忘れない」、「サイバー空間は『個』をあぶり出す」というサイバーリテラシー3原則で、このアーキテクチャーこそが世界を大きく変えている。

 だから「サイバーリテラシーの8%はわからない」というのは、「サイバーリテラシーはよくわからない」、もっと言えば、「サイバーリテラシーには興味がない」と言ったのではないかと私は受け取った。

 残念ながら、これがおそらくサイバーリテラシーに対する一般の理解の最大公約数ではないだろうか。彼は「サイバーリテラシーという言葉がわかりにくい」とも言ったけれど、これも何度も聞かされたことである。サイバーリテラシーは「IT(サイバー)社会を生きるためのリテラシー(基本素養)」と言っても、それでもわからない、あるいは興味がないと多くの人は言うかもしれない。

保育園落ちた日本死ね

 実際、サイバーリテラシーはこれだと言い切ることは難しい。だから横文字ばかりでもあり歯切れが悪いが、これからサイバーリテラシーはいよいよ大きな意味を持つと、私自身は考えている。
たとえば、「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログである。「何なんだよ日本。/一億総活躍社会じゃねーのかよ。/昨日見事に保育園落ちたわ。/どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」(注・/は段落)」。たった一人の主婦がうっぷん晴らしのように書いたブログ(2月15日)が大きな波紋を投げかけた。

 同2月29日の国会(衆院予算委)で民主党(現民進党)の代議士がこのブログを取り上げた。安倍首相は「匿名なので実際に起こっているのか確認しようがない」と答弁したが、同じような経験をした女性たちが「保育園落ちたのは私だ」とツイッターで次々意見を述べはじめ、ついには3月上旬、国会前で数十人の女性が集まり抗議した。この問題はインターネット、テレビ、新聞などで話題になり、同月14日の参院予算委で安倍首相は低姿勢に転換、「待機児童ゼロを必ず実現させていく決意だ」と述べた。

 この出来事は、社会に鬱屈する不満を鋭利に浮かび上がらせた点で、匿名ブログの〝勝利〟だったと言っていい。

 4月16日付朝日新聞は「ブログに負けたの新聞だ」という、自虐的な見出しの女性記者による記事を掲載しているが、彼女は「ブログが書かれる前の1年間の朝日新聞の記事で『待機児童』と検索すると389件。問題は繰り返し書いてきたのに。読まれていないだけなの?負けた理由は何?」と自問している。

 メディアに関して言えば、「総メディア社会」における既存マスメディアの力は相対的に低下した。たしかに新聞は読まれなくなり、マスメディアに頼らなくても他の表現手段があるとわかった政治家たちは、いよいよ新聞、テレビを軽視、あるいは政権に都合の悪い批判を封じるために表現の自由を踏みにじる露骨な干渉を繰り返している(「第四権力」という言葉が懐かしい)。新聞が待機児童問題を何度書こうと、以前のように政治を動かすことができないし、記事の迫力も衰えた。

現実を変える地道な努力

 待機児童問題にはいろんな要素が絡んでいる。何よりも国の取り組みが遅れているが、保育所を認可・管轄する自治体行政にも問題があるようだ。保育所よりも保育士が不足しているのは、保育士の給与が安いからである。「一億総活躍社会」を喧伝しながら、共稼ぎ家庭が増えれば必然的に生じる保育所などの不足に対策を講じていないのは矛盾である。共稼ぎの増加と契約社員、パートといった低賃金構造とはリンクしていないのか。そもそもアベノミクスには広い視点からの国民福祉政策はあるのか、などなど。

 大切なのは、これらの難題に真正面から取り組む努力であり、参院選前の人気取り的弥縫策で解決するわけではもちろんない。国会やメディアも含め、そういった地に足の着いた議論が不足しがちな昨今だが、そういう事情の背景にこそ、インターネットというメディアの不気味な影響があると、サイバーリテラシーは見るわけである。

投稿者: Naoaki Yano | 2016年06月05日 17:21

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