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2016年03月04日

社会のサナギ化とチョウへの変身(2016/2)

 毛虫がみずからの内部諸器官をいったんどろどろに溶かしてサナギとなり、一定期間をへたあとチョウへと変身するように、現代社会もまた時代の転換点にある――もう15年近く前の2002年にウエブで公開した「サイバーリテラシーの提唱」の冒頭である。そのサナギ化がいよいよ深まっているのに、既存秩序の中枢にいる人にはそのことが見えず、それがいよいよサナギ化を促進しているように思われる。

 IT(インターネット)が従来の社会構造や私たちの常識的な考えを根底から変えていく姿を、毛虫がいずれ美しいチョウへと変身するための過渡的現象と捉えたわけだが(1)、現代社会は、政治的にも、経済的にも、社会的にも、大きく混乱するばかりで、将来への展望は見えていない。

 前回取り上げた3つの事件からも、「社会のサナギ化」が極限近くにまで到達した姿がうかがえるが、一方で、よほど性根を入れ替えないと、この社会はうまくチョウに変身できないのではないかという疑念も浮かんでくる。今回は政治とメディアの最近の話題を通して、この辺を見てみよう。

いびつな政治過程と為政者

 朝日新聞の「思想の地層」というコラムで歴史社会学者の小熊英二は、世界中で政治秩序が揺らいでいるのは「選挙区に定住している住民が、数年に1度の選挙で代表を選び、国政を審議する」という20世紀の政治制度の基本そのものが、「情報化」や「グローバル化」で適応しなくなっているからだと述べている(1.12夕刊)。

 一定地域に長く生活するというこれまで当たり前だった習性そのものが崩れ、多くの人が国外も含めて、頻繁に移動するようになった。著者によれば、日本の選挙区の場合、居住年数が3年以下の人びとの投票率はきわめて低い。1950年に90%だった地方選挙の投票率は今では40%だとも言う。地方議員はおもに地縁血縁で結びついた中高年の定住者によって選ばれ、移動率の高い転勤族や若者の票が政治過程に反映しない状況が久しく続いている。

 国政に目を転じても、2014年の衆院選および前年の参院選の投票率は53%、若者の投票率はいよいよ低く、衆院選においてすら、20代と30代前半の投票率は50%に満たない。都会と地方の「一票の格差」問題は、何度も最高裁で違憲判決が出ており、弥縫策程度の改善が行われているが、国民の声をあまねく、なるべく公正に国政に吸い上げるという制度本来のタテマエは大きく損なわれている。

 このことは2つの問題を提起している。

 第1は国民の一部の支持なのに、結果的に圧倒的な勝利をおさめた自民党のおごりである。12年の衆議院選挙は59%という戦後最低の投票率だったが、投票した人の半数以下、結局は国民のわずか4分の1程度の支持(小選挙区25% 比例代表16%)で成立した安倍政権は、国会という、いまや小さな土俵の上で一強体制を築き、各種の政策を強引に推し進めている。

 政治本来の考え方からすれば、残る4分の3の声を尊重して政策に反映する立場にある安倍政権は、むしろ居直ったように、自説に異を唱える意見を無視したり、あるいは押さえつけたりしているのが現実である。

 第2の問題は、既存政治過程の外にいる人びとを、別の形で政治に向ける回路が、日本の場合、極端に細いことである。海外においても、いよいよ過激化、凶暴化するテロもまた、既存政治秩序への参加を拒まれ、あるいは意図してそこから外れた集団による暴力的異議という面があることは否定できないだろう。

新聞の軽減税率適用と経営者

 メディアのあり方に目を転じてみよう。

 政治の監視がマスメディアの重要な役割だが、ジャーナリズムの雄を自任してきた新聞が軽減税率をめぐって揺れている。17年4月から消費税が10%に引き上げられるのにともなう軽減税率が、「定期購読で週2回以上発行される新聞」にも適用されることになった。新聞業界は早くから「新聞は民主主義社会を支える基盤である」として、新聞購読料を軽減税率の対象にするよう主張してきたが、今回の決定に当たっては「生活必需品である電気・ガス・水道などを差し置き、新聞のみが軽減税率の対象となるのはおかしい」(2)、「政権との取引ではないか」、などと批判が強い。

 もともと新聞や書籍は、定価販売を維持するため、独占禁止法の例外である再販制度(再販売価格維持制度)の対象になっており、その理由もまたメディアは文化に深くかかわるもので、同一定価が崩れると地方文化の荒廃につながるなどということだったが、今回はその書籍とも、あるいは電子メディアとも切り離された新聞単独の除外である。
 
 IT社会におけるジャーナリズム維持という大きな構想のもとでの「毅然たる要求」というよりも、13年の消費税アップ時に著しく部数を落とした悪夢からくる「政権すり寄りのお願い」のようにも見える。自らの事情のみを優先する姿勢がジャーナリズムと相いれないことは論を待たない。新聞のジャーナリズムへのわずかな期待を裏切ることに現経営陣たちが無自覚なのがここでの問題である(たびたび論じてきたように、新聞は新たなジャーナリズム・プラットホームを作り上げるなど新たな営業努力を行うことで再生を期すしかない)。

チョウになる新たな試み

 サナギ化は、産業界、政界、メディア界を問わず社会のあらゆる側面で進展しているが、チョウという新しい社会を生みだす努力は、いろんなところで試みられているようにも思われる。

 昨夏の安保法制強行採決に抵抗する国会周辺の抗議行動は、選挙―国会という既存政治過程の外に新しい政治過程を作り上げる萌芽と見ることもできる。こういった芽を大きく育てるのが、IT社会に生きる私たちの責務である。

<注>
(1)サイバーリテラシー研究所のウエブhttp://www.cyber-literacy.com
(2)http://agora-web.jp/archives/1666165.html 筆者の小黒一正・法政大学教授は、低所得者層にはむしろ新聞購読者が少ない事実を指摘している。

投稿者: Naoaki Yano | 2016年03月04日 13:04

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