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2015年03月30日

IT長者と慈善事業に見る日米格差(2015/3)

 功なり名とげた人が後年、慈善事業や社会的に有益な活動にいそしむのは欧米ではよくある話で、そこにはキリスト教の慈善の伝統があるだろう。マイクロソフトのビル・ゲイツを筆頭に、昨今のIT長者たちもその例外ではないが、さて、日本のIT長者はどうなのだろうか。

ゲイツとザッカ―バーグ

 マイクロソフト創業者のビル・ゲイツは1992年に36歳で米誌『フォーブス』の世界長者番付1位となって以来、十数年にわたってその地位を占め続けた現代サクセス・ストーリーの持ち主だが、2008年にマイクロソフト社の経営とソフト開発の第一線から退いたあと、妻のメリンダと共同で慈善事業団体、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団を設立、発展途上国のエイズやマラリア、結核といった難病根絶や、米国での教育やIT技術に接する機会の提供推進などに精力的に取り組んでいる。

 その基金は383億ドル(約3兆8000億円)、世界最大規模の慈善団体である。もっとも億万長者のウォーレン・パフェットから支援を受けるなど、恵まれた環境にあることは間違いない。

 フェイスブックの創業者にしてCEO、マーク・ザッカ―バーグも25歳だった2010年、『フォーブス』で「世界で最も若い億万長者」になったが、彼は13年2月、妻のプリシラ・チャン、グーグルの共同創業者、サーゲイ・ブリンなどとともに難病を治療したり、人間の寿命を延ばしたりといった分野で功績のあった研究者を対象に「生命科学ブレークスルー賞」を創設した。賞金はノーベル賞の3倍もする300万ドルだという。

 第1回はiPS細胞を開発した山中伸弥教授など11名が選ばれたが、その記者会見でザッカ―バーグは「科学とテクノロジーは密接にかかわっている。IT企業をつくると市場から見返りがあって大金が稼げるが、科学の分野で並外れてすぐれた仕事をしても、そのような見返りはない。だからリスクを厭わずにチャレンジして重大な新発見ができるよう科学者を支援したい」と話した。

 記者会見にはサーゲイ・プリンの妻で創設者でもある生物学者、アン・ウォジツキも同席した。ふだんはライバルとしてしのぎを削っている若いIT起業家たちが共同してこのような賞を創立したところがたいへん興味深い。

 もっと古くは、表計算ソフト、ロータス1-2-3の開発者、ミッチー・ケイパーが、デジタル社会における「表現の自由」を守ることをめざして「電子フロンティア財団」を設立、環境衛生に関する慈善団体も運営している。ほかにも慈善事業に取り組んだり、社会的に有意義な活動や発言を行ったりしているアメリカのIT長者は多い。

キリスト教という背景

 これらの事業を「金持ちの道楽」と冷ややかに見る向きもあるだろうが、そうと言うにはあまりに多くの資金とエネルギー、そして熱意が投入されている。そこには自分の利益を社会に還元するというキリスト教の慈善(チャリティー)の伝統が流れているだろう。

 企業家ばかりではない。政界においても、ビル・クリントン元大統領の慈善活動は有名で、12年には彼が音頭をとって、貧困、紛争、環境汚染などを解決するための超党派フォーラム「クリントン・グローバル・イニシアティブ」を開催している。現役時代は好戦的だったジョージ・ブッシュ前大統領も、子宮頸がんなどの病気に苦しむアフリカの女性を救済する運動に取り組んでいるらしい。CNNの記者がザンビアの診療所改装のためペンキまみれになって働いている彼にインタビューしていたが、前大統領はアフリカでは人道主義者として尊敬されており、一部のアメリカ人も彼に対する評価を変えているのだという。

 エンターテイメントの世界でも、ロックバンド「U2」のボーカル、ボノはアフリカの貧困撲滅のための慈善活動で有名だし、14年8月にようやく正式に結婚したブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーの式に立ち会ったのは3人の実子と3人の養子だった。

彼我の差はどこから来るか

 日本のIT長者が大々的な社会福祉事業を立ち上げたといった話は寡聞にして聞かない。彼我の格差はなぜだろうかと考えれば、思い当たる節は多々ある。

 日本ではIT分野でも既存の大企業の力が強く、新規事業もベンチャー企業より企業のベンチャー部門で進められている。だからベンチャー企業で大成功したものは少ない。スケールの大きなIT長者そのものがいないのかもしれない。

 文化の違いもあるだろう。慈善活動はキリスト教の専売ではなく、仏教には喜捨の伝統もある。日本にもキリスト教徒はいる。にもかかわらず、そういう活動が表に出てこないのは、その種の活動は黙って静かにやるべきで吹聴すべきではないという日本的美風のせいかもしれない。

 法制度の問題もあるだろう。所得税法の寄付金控除の上限が決められているなど、大口寄付への誘因がアメリカに比べて少ないという事情もあるようである。

 それにしても、である。先にもふれたように、IT社会は「個の時代」である。アメリカIT長者たちの行動には個人の生き方、主張というものが強烈に打ち出されている。

 現下の日本は、企業の法人税を引き下げたり、輸出産業に有利な円安を誘導したり、企業の特許権強化を図ったり、従来通りの企業優遇策が進められ、それに応えるように、企業は自民党への献金を増やしている。しかし、大企業の取り組みには新味がなく、新興IT企業も金儲けに汲々としているだけでは、これからの世界に伍していくのは難しいだろう。

 いつまでも集団に埋没しているのではなく、「個の時代」にふさわしい魅力的な活動が、IT企業からこそ、いやIT長者からこそ、出現してほしいものである。

投稿者: Naoaki Yano | 2015年03月30日 16:04

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