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2014年11月25日

「忘れられる権利」再考―難題は削除権限を私企業に与える是非(2014/11)

 自分の名前を検索すると犯罪に関わっているかのような結果が出てくるのはプライバシーの侵害だと、検索大手のグーグル本社に検索結果の削除を求めた仮処分申請に対して、東京地裁は10月9日、その一部の削除を命じる決定をした。この機会にあらためて「忘れない」サイバー空間の難点について考えてみよう。

 6月に日本人男性がグーグルの検索表示で「生活が脅かされている」として237件の検索結果の削除を求める仮処分を申請したのに対して、東京地裁の関述之裁判官が、そのうち122件は「著しい損害を与える恐れがある」として、グーグルに検索結果の表題と内容抜粋の削除を命じる決定をしたというのが今回の事例である。

サイバー空間は忘れない

 サイバー空間における「忘れられる権利」をめぐる係争については、本連載で過去にも2度、取り上げた。
 1つはEU(欧州連合)の執行機関である欧州委員会が12年1月下旬、利用者がネット事業者に自分の個人情報の削除を要求できる「忘れられる権利(rights to be forgotten)」を盛り込む法案をまとめたという記事(1)。
 これは、過去のデータの削除を当該者が要請すればこれを認めるべきだという考え方で、以下のような内容である。

 ①ユーザーがもはや不要と思う個人データ(名前、写真、メールアドレス、クレジットカード番号など)は、事業者に対して削除要請できる。
 ②正当な理由がない限り、事業者は削除要請に応じなくてはいけない。
 ③深刻な違反に対しては、事業者に最大100万ユーロ(約1億円)か、売り上げの2%の罰金を科す。

 もう1つは今回の事件と同じように日本人男性の会社員がグーグルにサジェスト機能表示差し止めの仮処分を申請し、東京地裁が12年3月にそれを認める決定をしたというもの(2。のちに同趣旨の判決も出たが、東京高裁は14年1月、一審判決を取り消した)。

 「サイバー空間は忘れない」というのがサイバーリテラシー第1原則で、このサイバー空間の長所が同時にプライバシー上のさまざまな難題も生じさせているというのが両記事の趣旨だった。

 この「忘れられる権利」に関して、今年大きな進展があった。

EU司法裁判所の削除命令

 EU司法裁判所が5月、自分の過去の報道(新聞記事)内容に関するリンクをグーグルの検索結果から削除するよう求めたスペイン人(男性)の訴えを認めた。司法当局が「忘れられる権利」を明確に認め、「過去の報道内容に関するリンクを検索結果から削除する」ようグーグルに命じたわけである。

 グーグルはこの判決に遺憾の意を表明したが、EU最高裁の判決で上訴はできないために、欧州の利用者を対象に検索結果に含まれる自分の情報に対する削除要請を受け付けるサイトを設けた。さらに同社幹部や外部の専門家で構成する委員会を設けて対応の検討を始めた。自分の情報を削除してほしいとの要請は7月までに7万件を超えたと言われる。

 グーグルがいつから、どのような基準で削除するかは明らかになっていないが、今回の日本の事例に関しても、グーグルは「削除するかどうか検討中」との意向を男性側に伝え、実際に指摘された部分の削除を進めているらしい。

 検索サイトはオリジナルな情報を提示しているわけではなく、インターネット上のさまざまな情報を検索して表示しているだけである。しかし検索サイトの強力な機能と現実での役割を考えると、検索サイトに表示されない情報は、たとえサイバー空間上にあっても利用者からは実質的に見えない状況にある。だからEU司法裁判所の判断は、オリジナル情報ではなく、検索サイトでの表示の削除を検索サイトに命じるという構造になっている。

だからこそサイバーリテラシー

 検索サイトが強力になっている現実から考えると、実効的な対策ではあるが、これはどのような情報(リンク)を検索サイトから削除するかという作業をグーグルに委ねることでもある。そうでなくても検索サイトは、ユーザーの性向などを分析してそれに合わせた情報を提供するなど、インターネット上の情報を取捨選択して提示している。

 判決は、その強力な検索サイトにさらに権限を与えるようなもので、「表現の自由」との関連で判決への危惧を指摘する声が出るのも当然だった。たとえばジョナサン・ジットレイン(The Future of the Internet、邦題『インターネットが死ぬ日』の著者)はニューヨークタイムズ電子版に「グーグルに『忘れる』ことを強制するな、Don’t Force Google to ‘Forget’」と批判する論考を書いた。英上院の委員会も「忘れられる権利はうまく働かないし、合理的でもないし、原理的に誤っている」というレポートを発表している。

 ジットレインの第1の論点は、グーグルに対して記事のリンクを外すように命じることは、アメリカでは明らかな憲法違反である「検閲」をグーグルにさせるものである、第2はいくらグーグルの記事へのリンクを外したところで、ウエブ上の情報そのものは消えるわけではなく、原告の名前や情報は決して「忘れられる」わけではない(対応としては不十分である)、ということだった。

 彼は、オンライン上の不適切な記事にどう対処していくかは、法的というより社会的な問題であり、グーグルなどの検索サイトの努力も含めて、周知を集めて考えていかなくてはいけないと論じている。

 インターネット上の「忘れられない」情報にも何らかの「時効」を設けるべきだというのが私の意見で、「忘れられる権利」をめぐる最近の動向は歓迎すべきだが、その取捨選択が一私企業の手に委ねられるのはやはり危険である。この問題は社会全体で考えるべきだというジットレインの考えは正論であり、ここにこそ「サイバーリテラシーと情報倫理」の働く余地があるだろう。

<注>
(1) 「『忘れられる権利』と『消費者プライバシー権利章典』」12年6月号
http://www.cyber-literacy.com/blog/archives/2012/06/20126.html
(2) 「自分の名が中傷記事に結び付けられる」⒓年7月号
http://www.cyber-literacy.com/blog/archives/2012/08/20127.html

投稿者: Naoaki Yano | 2014年11月25日 17:53

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