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2014年04月10日

本人死亡後の書き込みはどう扱われるか?(2014年/3月)

 インターネットの普及以来、人びとはメール、ブログ、掲示板などに膨大な量の情報を書きつけてきた。そして、私たちが現実世界においてその生を終えても、サイバー空間上の記録は、何も手を打たない限り、そのまま残る。「サイバー空間は忘れない」からである。しかし、死んだ後も自分が書いた文章や写真が半ば公然と残ることを好まない人もいる。かくして、サイバー空間における「終活」が話題になるようになった。

就活・婚活・終活

 多くの人が、高齢者も含めて、フェイスブックやツイッターなどのソーシャルメディアを利用するようになったことが、この背景にある。もともと「終活」などという言葉はなく、就職活動を「就活」と縮めて呼ぶことの援用で(「婚活」という言葉もある)、お墓を用意したり、遺産相続や葬式の段取りをすませたりといった「人生の仕舞い支度」を総称する「終活」という言葉が生まれた。週刊誌の発案によるらしく、2012年には新語・流行語大賞のトップテンに選ばれ、「終活のすすめ」、「賢い終活」といったイベントや雑誌特集なども行われている。それをサイバー空間にまで拡大し、生前の記録をどう処理するかという「終活」が浮上してきたわけである。

 たしかに自分が作ったウエブやブログを死後どうするかは、生前から考えておいた方がいい。そのまま放置しておくのか、消してしまうのか。思わぬ事故で亡くなった時、後事をだれに託すのがいいのか。悩ましい問題でもある。

 昨年夏には「ソーシャルメディアに対する“終活”の意識調査」が実施され、その結果がウエブで公開されている(ブログサービスなどを提供しているニフティと企業などのソーシャルメディア活動を支援するコムニコが共同実施したもので、昨年7月から8月にかけて、年代別、性別均等割りした500人を対象にインターネット上でアンケート調査した)。

 興味深いのは、「あなたが亡くなった場合、自身のソーシャルメディアの情報を消したいと思いますか」との質問に、72%が「残したくない」、「どちらかと言うと残したくない」と回答をしたのに、「(仮に家族が亡くなった場合、その家族の)ソーシャルメディアの情報を残したいと思いますか」との質問に対しては、同じ回答が51%とかなり低かったことである(「残したい」、「どちらかと言うと残したい」が49%あった)。

 自分の記録は残したくないと考えつつ、故人の記録は思い出のために残しておきたいという微妙な心理が反映しているかもしれない。
 
 家族がそれを消したいと思えば、フェイスブックやツイッターなどでは、死亡を証明する書類をそろえて申告すれば解除してくれるようだが(閲覧範囲を親族などに限定するとか)、実際の削除要請はあまりないらしい。匿名での書き込みはもちろん削除されない。

 実際、今年1月に急死した知人のフェイスブック上には2月末現在、彼のページが残されており、本人の更新は当然途絶えているけれど、プロフィール写真はそのままだし、友達リクエストなども受け付けるようになっている。本人は亡くなっても、サイバー空間上の(少なくともフェイスブック上の)本人はなお「生きて」いるわけである。

サイバー空間の「ゴミ」問題

 もう10年以上前、友人たちとサイバー空間の「ゴミ」問題について話したことがあった。
私が「情報の価値は、それを必要とする人次第である。ある人にとっては、何ものにも代えがたい貴重な宝ものでも、他の人にとっては、それこそ無用のゴミに等しい。だからインターネット上には空中のチリ芥のようなゴミ情報が浮遊することになる」と言うと、一人が「そのゴミこそが宝の山なのだ。現代の考古学者が古代人の骨片や食器のかけらなどを集めながら古代人の生活を研究するように、将来の考古学者は、現代のデジタル情報のかけらを収集し、それを分析しながら、現代人の思想と行動を研究するだろう」と言った。情報は何でもいいから、とにかく、どんどんデジタル化したほうがいい、だからデジタル情報にゴミはないのだと。それを受けて、もう一人が「それらの情報を一箇所に集めて、時間軸で切ると、バーチャルなタイムマシンができる」と言った。

 当時は米国防総省が進める「ライフログ」計画や、マイクロソフトの「マイライフビッツ」プロジェクトが話題になり、デジタル機器を体に装着し、自分の見たもの、聞いたものを全て記録しようとする「サイバーマン」が話題になっていたが、いま考えてみると、この「バーチャル・タイムマシン」の発想はなかなか鋭かった。いまやビッグデータの時代であり、先号で取り上げたウエアラブル端末の時代である。

 私たちすべてがサイバーマンよろしく、より小型化し、高機能化した電子道具で武装して、四六時中、日々の出来事を記録している。そうして出来上がった全地球規模のデータベースを時間軸、あるいは空間軸で切り取れば、私たちの生活の昨日を、一年前を、さらには十数年前を蘇らせることができるはずだ。そうなると、サイバー空間には、メールの重複といった例を別にすれば、無用なゴミはほとんど存在しない(サイバー空間の容量もとりあえず問題なさそう)。本人が死亡したといってそれを除去するのはもったいない、という考えも出てくるだろう。

いずれ対策が必要に

 話を「終活」に戻そう。死後は自分の情報をなるべくサイバー空間からも除去したいと考えるのにも道理がある。なりすまし行為によって本人死亡後もウエブが更新され、それが悪用されるといった事態も起こるだろうし、サイバー空間上の死亡通知をどうするかといった問題も発生するだろう。

 サイバー空間上の「終活」は現実世界のそれに比べると切実ではないが、いずれはきちんとした対策が必要になるだろう。本人のパスワードがわかれば、家族や知人がそのパスワードを使って死者の情報を削除できるわけで、実際に、あらかじめ指名した「デジタル相続人」が本人の死亡証明書を提出すれば、故人のパスワードを教えてくれるといったサービスも出現している(これも悪用される恐れがないとは言えないが……)。

投稿者: Naoaki Yano | 2014年04月10日 13:07

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