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2013年05月30日

IT社会の難点①犯罪を追求すると責任が蒸発してしまう(2013年4)

 インターネットがこの世に登場してから40年余。その画期的ツールが人びとの生活に浸透して、インターネット元年と呼ばれる1995年から数えても、すでに20年近くたつ。この間に起こった事件事故をあらためてふりかえってみると、インターネットおよびサイバー空間の登場が、現代IT社会に大きな、しかも特異な影を投げかけていることがよくわかる。これからしばらく、折々にそれら「IT社会の難点」について整理しておこう。

 今回は「小さな行為が増幅され大事となるが、犯罪を追求すると責任が蒸発してしまう」ことである。

オンライン誹謗中傷事件

 その例は、かつて本連載でも取り上げたお笑いタレントK氏に対するオンラインの誹謗中傷事件である(2009年摘発)。多くの人びとが、20年も前に起きた都内の女子高生コンクリート詰め殺人事件にK氏が関与したと決めつけて、インターネットの掲示板やKさんのブログに「人殺し」、「犯人のくせに」などと悪質な中傷記事を書き込んでいた。
K(スマイリーキクチ)氏は後に『突然、僕は殺人犯にされた』(竹書房、2011)という本を著し、見に覚えのない誹謗中傷、罵詈雑言に怯えた日々を記録している。

 それによれば、摘発された19人は北海道から大分県まで、上は46歳から下は17歳までの男女で、半数近くは30代後半の男性だった(もちろん摘発されたのはごく一部)。「出身地も、性別も、年齢も関係ない。互いの名前さえも知らない」人びとで、「一人だけ『書き込みは嘘だと思っていたけど、みんながやっているから、おもしろくてやった』と供述していたが、それ以外の人物はネットのデタラメな書き込みを鵜呑みにし、本気で『殺人犯』、『強姦の共犯者』と思っていた」らしい。身元を特定され、取り調べで刑事から真実を告げられると、「ほとんどの人が『ネットに洗脳された』、『ネットに騙された』、『本に騙された』と供述して、『悪いのは嘘の情報を垂れ流した人だ』と他人に責任をなすりつける。最終的に『仕事のストレス』、『人間関係の悩み』、『離婚をして辛かった』、『私生活がうまくいかず、ムシャクシャしてやった』と被害者意識にすり変わってしまう」状態だったという。

「妊娠中の不安からやった」

 にもかかわらず、彼らの書き込みは、「スマイリー菊地。許さねぇ、家族全員、同じ目に遭わす」、「スマイリー鬼畜は殺します」といった過激なものである。
パート事務員の女性(23)は、「この菊地って野郎は20年前の(事件名)に関わっている人殺し てめーは いい死に方しねーよ 普通に死ねても 確実に地獄行き 一人の女を無惨に殺しておいて、てめーは行きつけのキャバクラかスナックで人殺しの自慢してたんだよな てめー人間としてどうなんだよ最低極まりないよな 人殺しを自慢してそれで何になんの? おしえろやおまえ狙ってんのたくさんいるぜ」という凄まじい書き込みをしている。

 彼女は取り調べに対して「掲示板のデタラメな書き込みを本気で信じてしまい、『人殺しが許せなかった』」と話し、さらに追及されると、「『妊娠中の不安からやった」と供述したという。これが、まもなく母親になろうとする女性の行為だったことは驚きである。
 
 著者の苦悩の日々は摘発ですべて終わったわけではない。当初は、警察発表で何人かの被疑者の名前を公表する方針だったようだが、今度は彼らが糾弾制裁されるのを恐れて、全員匿名となった。摘発された19名中、書類送検されたのは7人だったが、取り調べ時に十分恐縮したとみなされたのか、いずれも名誉毀損と脅迫罪の嫌疑不十分か起訴猶予、不起訴処分になっている。

善意も、悪意も、大きく増幅

 無責任な書き込みを続けた人びとに、その行為が他人を悲しませる、あるいは精神的に追い詰めるという意識(想像力)はほとんどなかった。パソコンやケータイのディスプレイに向かいながら、掲示板の内容を見て「これはけしからんなあ」と思ったり、あるいはなんとなくむしゃくしゃしているときに書き込みを見たりして、その真偽を確かめることもなく、内容にさらに尾ひれをつけて悪口雑言を拡大していった。その一つひとつは小さな行為が、インターネット上で大きな動きになってタレントを苦しめた。

 インターネットは、善意も、悪意も、大きく増幅する装置である。

 しかも、それを取り止めさせるのが至難だった。掲示板を運営しているプロバイダーに削除を要請しても聞き入れてもらえず、警察に相談しても「とくに身体的な危害を加えられたわけでもないから」と門前払いされている。ようやく理解を示してくれる警察官と出会い、捜査が始まったが、加害者は現実世界の住人としてはごくふつうの人びとで、自分の身元が割り出されたことにびっくりし、あるいは「みんなやっていることだ」と居直り、あるいは「すいません、すいません」と平謝りした。その結果、「こういう行為は厳しく取り締まらなくてはいけない」という捜査当局の意気込みもすっかり鈍り、検察当局はこれを不起訴にした。それがまた被害者を大きく落胆させている(不起訴によって彼への疑いが晴れない恐れもあり、彼にはその後も、「示談金を受け取った」とか、「賠償金を請求した」とかいう嫌がらせがあったという)。

 結局、だれもお咎めなしである。一生懸命捜査した警察にとっては、いささかの徒労感を生んだろうし、こういう事件はモノにならない、と将来の捜査意欲を減殺する可能性もある。ストーカー犯罪やいじめ事件にも共通することだが、結局、大事にならなければ何の対策もとられない。

 小さな行為が大きく増幅されて個人を苦しめるが、それを逆にたどっていくと、それぞれがたわいないと言えなくもない行為に還元されて、結局は社会的責任が蒸発してしまう。増幅された悪意が、今度は雲散霧消してしまうのである。この現代IT社会の大きな陥穽をなくす努力をしない限り、快適な社会は実現できないだろう。

投稿者: Naoaki Yano | 2013年05月30日 21:35

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