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2013年02月02日

プロの編集者の知恵を情報発信に生かす(2012年/12)

 今年4月13日、戦後を代表する出版人、小宮山量平さんが亡くなった。年の瀬にあたり、小宮山さんを偲びつつ、「総メディア社会」を生きる万人に不可欠な情報編集の技術についてあらためて考えておこう。

 小宮山さんは戦後いち早く理論社を設立、雑誌『理論』を発行した硬派のジャーナリストだが、一方で創作児童文学出版に意欲をもやし、灰谷健次郎の「兎の目」などを世に出した人でもある。その彼に『編集者とは何か』(1)という名著がある。もっぱら紙のメディアである書物の、プロの編集者を目指す人を対象に書いたものだが、いまやすべての人がライターであり、編集者である。参考になることは多い。

『ニューズウィーク』の撤退

 今年10月、来年で創刊80周年を迎えるはずだったアメリカの老舗ニュース週刊誌『ニューズウィーク』が、年内いっぱいで紙の雑誌を終了、来年からオンラインでの情報発信に専念すると発表している。
 
 2007年には300万人を超えていた定期購読者数は半減、広告収入も5年間で70%減少したという。新聞の購読者数が減少しているのは日米共通の傾向でもある。
 
 紙のメディア、というよりマスメディアは大きく衰退、代わって登場したのがオンラインメディアである。情報の送り手と受け手が相互に入れ替わる「総メディア社会」では、玉石混交の情報が溢れかえる。そこで重要になるのが情報を取捨選択し、適切に発信するための「情報編集の技術」である(これを私は「狭義のサイバーリテラシー」と呼んできた)。
 
 編集とは、一定のテーマのもとに素材を集めて、それらを整理、加工して、一つのまとまった作品を作り上げることである。素材は、さまざまなメッセージを伝える手段で、文章(テキスト)、写真、図版、イラスト(挿画)、音声、動画などが含まれる。作品を載せるメディアとしては、新聞、雑誌、書籍、レコード、ラジオ、映画、テレビなどがあり、そこに新たにパソコン、CD-ROMなどのデジタルメディアが加わった。今や主役はインターネットである。
 
 文芸評論家、外山滋比古の『思考の整理学』(2)はいまでも大学生協のベストセラーらしいが、彼は1975年に書いた『エディターシップ』(3)という本で、人間の精神活動そのものが広義の編集作用であると言っている。

 人間の記憶がすべてを永久不変に覚えているわけでない以上、そこには好むと好まざるとにかかわらず、記憶の編集作業が働いている。だから、「人間として生きるかぎり、拡大された意味でのエディターシップと無縁ではありえ」ず、「新聞、雑誌などの『編集』は、その氷山の小さな一角のさらにまた特殊な一部でしかない。したがって、エディターシップとは、いわゆる編集にその露呈を見せている全人間的機能ということになる。人間の文化とはこの広義のエディターシップの生んだ文化である」。

 そして、彼は「われわれはすべて、自覚しないエディターである」と結んでいる。この編集の定義は、まさに現在の万人に当てはまる。

編集者の資質とは

 さて、小宮山量平である。彼は「編集者」の資質として大略、以下の3点をあげている。
 ①つねに総合的認識者という立場を持続できること。森羅万象にすなおに驚き感動する心をもち、しかも一つの専門にかたよらない、むしろ専門自体になることを拒否することで総合的認識の持続をつらぬく気概をもつこと。

 ②知的創造の立会人という役割に徹すること。それはアシスタントであり、ときにアドバイザーでもある。そのためには、あらゆるものの存在理由について無限の寛容性をもつ「惚れやすさ」、著者の創造過程に同化しつつ、著者を励ます「聞き上手」、そして相対的批判者の立場から誉め批評ができる「ほめ上手」の三つの役割を、うまく果たさなければならない。

 ③自分が制作する出版物を広く普及するため、特有の見識をそなえ、力倆を発揮しうること。

 ①について言えば、編集者は何にでも興味を持たないといけない。だから、おたくは編集者には向かない。すべてに好奇心を持つ、言葉を悪く言えば、浅く広く、何でも知っていることが大事である。

 編集者は最初の読者、とも言われた。だから、②の「惚れやすさ」、「聞き上手」、「ほめ上手」というのは大事である。原稿を見た途端に、「先生、あまりおもしろくないですねえ」などと言ったら、書く方はすっかり萎縮してしまう。注文があれば、後で言えばいいので、最初はとにかく、いっしょに面白がらなくてはいけない。
 
 ③は、作品を書物という具体的な商品にまとめあげるという職人的な仕事で、どのような判型にして、どんな紙を使うか。定価をいくらにして、何部くらい制作するか。斤量(紙の厚さ)はどのくらいか。ハードカバーか、ソフトカバーか、中身にふさわしい表紙の装丁をどのデザイナーに頼むか、といった実務である。活字の大きさ、フォント、行間や字間の開け方などの基本的な組み方、いわゆる組版も考える。

情報環境をより美しく

 こういう編集者の視点をもって日々の情報活動を展開、オンライン上の情報を整理すると同時に、自分のウエブやブログを編集していけば、私たちの情報環境は豊かで、より美しいものになるはずである。情報編集の技術は、総メディア社会を生きるための基本素養なのである。

 ちなみに②に関して言えば、こういう態度は何も編集作業に関係するだけではない。たとえば販売セールスにあたっても、商品を売り込む前に客の話をよく聞いて(聞き上手)、理解を示せば(惚れやすさ、ほめ上手)、話はまとまりやすくなるのは必定(笑)、ではないだろうか。

<注>
①小宮山量平『編集者とは何か-危機の時代の創造-』(日本エディタースクール出版部、1983、絶版)
②外山滋比古『思考の整理学』(筑摩書房、1983、ちくま文庫に再録)
③外山滋比古『エディターシップ』(みすず書房、1975、絶版)

投稿者: Naoaki Yano | 2013年02月02日 10:05

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