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2009年01月02日

メディア受容態度にも地すべり的変化(2008/12) 

 アメリカの事情にふれながら、メディア企業はコングロマリット化して、そこで流される情報は、社会的関心の強いジャーナリズムより、顧客が喜ぶ「おもしろくて役に立つ」実用情報やエンターテインメントに、これまで以上に傾きがちだという話をした。そして、これは人びとのメディア受容態度の変化とも符合している。

若者はパーソナルメディアにシフト

 ここでもいくつかのデータを上げておこう。図1は、新聞の世帯主年代別普及率である。年齢が低くなるほど、年を追うごとに、普及率がはっきりと落ちている。24歳以下の落ち込みはすさまじい。図2では、テレビと新聞は高年齢になるほどよく利用し、逆にインターネットは若者ほどよく利用しているという対象的な傾向がよく表れている。図3は、メディア利用頻度の変化を聞いて、「増えた」との回答の割合から「減った」との回答の割合を引いた値である。全体として、テレビが5.1ポイント上がっているが、新聞は0.3ポイント、雑誌・書籍は11.2ポイント、ラジオは17.4ポイント、それぞれ減っている。変わって増えたのがパソコン(41.5ポイント)、携帯電話(21.4ポイント)である。この傾向は、若年層になるとより一層鮮明にな、ここではテレビもポイントを下げている。

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 若い人ほどマスメディアからパーソナルメディアへとシフトしている。それよりも、人びとの関心がマスメディアから離れ(高齢者は例外)、情報行動の中心がパーソナルメディア、電子メディアへと移行している。

「ジャーナリズムは不要」との意見も

 1日24時間という全体の時間枠は変わらず、人びとが情報活動に費やす時間が限られている以上、インターネットやケータイの普及で既存マスメディアへの接触時間が減るのは当然とも言える。メディア企業における伝統的マスメディアの比重が低くなっているばかりか、人びとの関心の面から見ても、マスメディアは影が薄い。

 ジャーナリズムはもともと日々の記録という意味だが、みんなが情報発信するようになれば、ジャーナリズムもまた活発化するわけではない。ウエブやブログを拠点にしたジャーナリズム活動も一部ではさかんで、それはそれで新しい可能性を秘めているが、社会全体を見ると、新しい情報ツールはおしゃべりや趣味の意見交換に使われ、社会的な言論活動としてのジャーナリズムはむしろ低調である。

 若者の間には、ジャーナリズム不要論さえある。たとえば、ライブドアによる日本放送株取得などが話題になっていた2005年当時、堀江貴文・ライブドア社長は「自宅で新聞を取っていないし、取る必要もない。情報はケータイとインターネットのサイトですべて探せる。一次的な情報を競争して提供する時代はすでに終わった。(マスメディアの人たちが考える)ジャーナリズムは、インターネット以前の話で、今ではインターネット上にいろんな意見がある。それを並行して見て行けば、自分の考えを形成できる。情報の価値判断はユーザーがすればいい」と語っていた(1)。

「表現の自由」を行使する手段が万人に開かれたとき、マスメディアにおいても、パーソナルメディアにおいても「表現の自由」やジャーナリズムへの関心が薄れつつあるというのが偽らざる現実だろう。

そういう状況下で、通信と放送融合時代の新しい法体系(「情報通信法」の構想)を築き上げる作業が進んでいるが、この過程で「表現の自由」がいよいよ狭められる恐れも強い。このシリーズの最後として、次回はこの問題について考える。

<注>
(1)毎日新聞2005年3月5日朝刊。

投稿者: Naoaki Yano | 2009年01月02日 13:18

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